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帖外ご文章

提供: 本願力

御たすけ候へを否定的に使っている時代のお文。文明第三炎天の頃とあるから吉崎御坊建立の年の炎天(旧暦6月、新暦7月)に書かれたものと推定される。いわゆる信心正因・称名報恩と押さえた「聖人一流章」の元になったお文(御文章)。なお、この時点では、「仏け御たすけ候へとだにも申候へば往生するぞと心得てこそ候へ」の、たすけ候を請求の意味で否定的に使っておられる。→「攻めの蓮如


文明第三炎天のころ、賀州加ト郡(かぼくごうり)五ヶ庄の内かとよ、(ある)片山辺に人 十口ばかりあつまりゐて申しけるは、このごろ仏法の次第以外(もってのほか)わろき由を讃嘆しあへり。そのなかに勢たかく色くろき俗人のありけるが、かたりけるは、一所の大坊主分たる人に対して仏法の次第を問答しける由を申て、かうぞかたり侍りけりと云々。

(くだんの)俗人問て、当流の大坊主達はいかやうにこゝろねをもちて、その門徒中の面々をば御勧化候やらん、御心もとなく候。くはしく存知仕候て聴聞すべく候。[1]

大坊主答ていはく、仏法の御用をもて朝夕をまかりすぎ候へども、一流の御勧化のやうをもさらに存知せず候。たゞ手つぎの坊主へ礼儀をも申し、又弟子のかたより志をもいたし候て、念仏だに申候へば肝要とこゝろゑたるまでにてこそ候へ。さ候間、一巻の聖教をも所持候分も候はぬあさましき身にて候。委細かたり給ふべく候。

俗のいはく、その信心と申すすがたはさらさら御存知なく候やらん。

答ていはく、我等がこゝろへをき候分は、弥陀の願力に帰したてまつりて朝夕念仏を申し、仏け御たすけ候へとだにも申候へば往生するぞと心得てこそ候へ、そのほかは信心とやらんも安心とやらんも存ぜず候。これがわろく候はゞ御教化候へ、可聴聞候(ちょうもんつかまつるべくそうろう)。

俗いはく、さては大坊主分にて御座候へども、さらに聖人一流の御安心の次第をば御存知なく候。我等は俗躰の身にて大坊主分の人に一流の信心のやう申入候斟酌のいたりに候へども、「四海みな兄弟なり」[2]と御沙汰候へば、かたのごとく申入べく候。

坊主答ていはく、誠以(まことにもって)貴方は俗人の身ながらかゝる殊勝の事を申され候ものかな、いよいよ我等は大坊主にては候へども、いまさらあさましくこそ存候へ、早々うけ給り候へ。

答ていはく、かくのごとく御定候あひだ、如法出物に存候へども、聴聞仕置候おもむき大概申入べく候。御心をしづめられ候てきこしめさるべく候。

まづ聖人一流の御勧化のおもむきは信心をもて本とせられ候。そのゆへは、もろもろの雑行をなげすてて一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として仏のかたより往生を治定せしめたまふなり。このくらゐを「一念発起入正定之聚」とも釈したまへり。このうへには行住坐臥の称名念仏は如来我往生をさだめ給ふ御恩報尽の念仏と心得べきなり。これを信心決定の人とは申なり。

(しだい)坊主様の信心の人と御沙汰候は、たゞ弟子のかたより細々に音信をも申、又なにやらんをもまいらせ候を信心の人と仰られ候。これは大なる相違とぞ存候。よくよく此次第を御こゝろゑ候ひて、真実の信心を決定あるべきものなり。当時は、大略かやうの人を信心のものと仰られ候。あさましき事にはあらず候哉。

この次第をよくよく御分別候て御門徒の面々をも御勧化候はゞいよいよ仏法御繁盛あるべく候ふあひだ、御身も往生は一定、又御門徒中もみな往生決定せられ候べき事うたがひなく候。
これすなはち「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報仏恩」[3]の釈文に符号候べき由申候処に、大に坊主悦て殊勝のおもひをなし、まことに仏在世にあひたてまつりたるこゝろして、解脱の法衣をしぼり、歓喜のなみだをながし、改悔懺悔のこゝろいよいよふかくして申されけるは、向後我等が少門徒も貴方へ進じおくべく候。つねには御勧化候て信心決定させたまふべく候。我等も自今以後は細々に参会をいたし聴聞申て仏法讃嘆仕るべく候。誠に「同一念仏無別道故」[4]の釈文いまにおもひあはせられてありがたく候とて、この山中をぞかへるとて、またたちかへり、ふるきことなれども、かくぞ口ずさみける

  うれしさをむかしはそでにつゝみけり、こよひは身にもあまりぬる哉。[5]

と申すてゝかへりけり。まことにこの坊主も宿善の時いたるかとおぼへて、仏法不思議の道理もいよいよありがたくこそおぼへはんべり。あなかしこあなかしこ。



注釈

  1. 教化対象の俗人をして坊主に対して仏法を語らしめるという手法は浄土真宗ならではである。いわゆる寺院に安穏として法の取次ぎを懈怠している坊主どもに対する強烈なカウンターであろう。これが攻めの蓮如さんの面目であった。
  2. 『論註』の「同一に念仏して別の道なきがゆゑなり。遠く通ずるにそれ四海のうちみな兄弟たり」を引く。
  3. 「みづから信じ人を教へて信ぜしむること、難きがなかに転たまた難し、大悲を伝へてあまねく化する、まことに仏恩を報ずるに成る」という善導大師の『往生礼讃』の文。阿弥陀仏の本願の救いを自分も信じ、他人にも信を勧める意。善導大師以来、念仏者の姿勢として示されたもので、他人にも信を勧める教化が阿弥陀仏への報恩となるとあるのによる。なお親鸞聖人は異本によって「大悲弘くあまねく化す」と読まれている。
  4. 同一に念仏して別の道なきがゆゑなり。(論註) ◇くだんの門徒の「四海みな兄弟なり」の語を受けている。こういう手法に門徒はしびれたのであろう。
  5. 御文章一帖の一に「古歌にいはく」として使われている。能舞台で退去するときに振り返って感慨を述べる手法を思い起こさせる手法であり、ありがたいことである。