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拾遺語灯録中

提供: 本願力

底本は、ネット上の「大藏經テキストデータベース」の黒谷上人語燈録を利用し、浄土宗の「浄土宗全書」検索システムを参考にした。また適宜『真宗聖教全書』を参照し、頁Noはそれに依った。貴重な資料をネットで公開されたことに、資料に接することの困難な在家の一門徒として感謝したい。なお、読む利便を考えカタカナをひらがなに、旧字体を新字体に変換した。また、適宜改行を付した。文中に挿入されている末註は、学習用に私において付したものであり、浄土門各宗派の見解ではないことに注意されたい。
なお、いかなる場合においても、本データベースの利用、及び掲載文章等を原因とすることによって生じたトラブルについて、当サイトは一切その責を負いません。

拾遺黒谷語灯録 巻中

上漢語 中・下和語

  厭欣沙門 了恵集録

登山状 第一
示或人詞 第二
津戸返状 第三
示或女房法語 第四

登山状

「元久法語」とも呼ばれる。法然聖人が元久二年(1205)、七十三才の時、聖覚法印に筆をとらせて書かせたもの。延暦寺をはじめとする既成教団の専修念仏に対する弾圧を和らげるためであるといわれる。聖覚法印は、弟子というより法然教団の客分的な存在であり、安居院流の唱導法談をもって一世を風靡した。七五調の流麗な文章と故事来歴の引用は師の博識と文才を窺わせる。親鸞聖人は師を敬慕され著書の『唯信鈔』を関東の門弟にしばしば送られ、また『唯信鈔文意』という書も著されている。

その流浪三界のうち、いづれの界にをもむきてか、釈尊の出世にあはざりし。輪迴四生のあひた、いづれの生をうけてか、如来の説法をきかざりし。『華厳』開講のむしろにもまじはらす、『般若』演説の座にもつらならす、鷲峯説法のにはにものぞます、鶴林涅槃のみぎりにもいたらす、[1]われ舎衛の三億の家[2]にややとりけん、しらず地獄八熱のそこにやすみけん、はづへしはづへし、かなしむへしかなしむへし。 まさにいま多生曠劫をへて、むまれかたき人界にむまれて、無量劫ををくりて、あひがたき仏教にあへり、釈尊の在世にあはざる事は、かなしみなりといへとも、教法流布の世にあふ事をえたるは、是よろこひ也。たとへは目しゐたる亀の、うき木のあなにあへるがことし。[3]わか朝に仏法の流布せし事も、欽明天皇あめのしたをしろしめして、十三年みつのえさるのとし、冬十月一日はしめて仏法わたり給ひし。それよりさきには如来の教法も流布せさりしかは、菩提の覚路いまだきかず。ここにわれらいかなる宿縁にこたへ、いかなる善業によりてか、仏法流布の時にむまれて、生死解脱のみちをきく事をえたる。
しかるをいまあひかたくしてあふ事をえたり。いたずらにあかしくらして、やみなんこそかなしけれ、あるひは金谷の花[4]をもてあそひて、遅遅たる春の日をむなしくくらし、あるひは南楼に月をあざけりて、[5]漫漫たる秋の夜をいたずらにあかす、あるひは千里の雲にはせて、山のかせぎをとりてとしををくり、あるひは万里のなみにうかひて、うみのいろくづ[6]をとりて日をかさね、あるひは厳寒にこほりをしのぎて世路をわたり、あるひは炎天にあせをのぎひて利養をもとめ、あるひは妻子眷属に纒はれて、恩愛のきつなきりかたし、あるひは讐敵怨類にあひて、瞋恚のほむらやむ事なし。総してかくのことくして、昼夜朝暮、行住坐臥、時としてやむ事なし、ただほしきままに、あくまて三途八難の業をかさぬ。

しかれはある文には、「一人一日中、八億四千念、念念中所作、皆是三途業」[7]といへり。かくのことくして、昨日もいたつらにくれぬ、今日も又むなしくあけぬ、いまいくたびかくらし、いくたひかあかさんとする。それあしたにひらくる栄花は、ゆふへの風にちりやすく、ゆふへにむすふ命露は、あしたの日にきえやすし。是をしらすしてつねにさかへん事を思ひ、是をさとらすしてつねにあらん事をおもふ。
しかるあひた、無常の風ひとたひふきて、有為のつゆながくきえぬれは、これを曠野にすて、これをとをき山にをくる。かばねはつゐにこけのしたにうづもれ、たましゐはひとりたびのそらにまよふ。妻子眷属は、家にあれどもともなはず、七珍万宝は、蔵にみてれとも益もなし。ただ身にしたがふものは、後悔のなみた也。
つゐに閻魔の庁にいたりぬれは、つみの浅深をさだめ、業の軽重をかんがへらる。法王罪人にとひていはく、なんぢ仏法流布の世にむまれて、なんぞ修行せずして、いたづらにかへりきたるやと。その時にはわれらいかかこたへむとする、すみやかに出要をもとめて、むなしく帰る事なかれ。

そもそも一代諸教のうち、顕宗・密宗、大乗・小乗、権教・実教・論家、部八宗にわかれ、義万差につらなりて、あるひは万法皆空の旨をとき、あるひは諸法実相の意をあかし、あるひは五性各別の義をたて、あるひは悉有仏性の理を談し、宗宗に究竟至極の義をあらそひ、各各に甚深正義の宗を論ず。みなこれ経論の実語也。
抑、又如来の金言也。あるひは機をととのへてこれをとき、あるひは時をかかみてこれををしへ給へり、いづれかあさく、何れかふかき、ともに是非をわきまへかたし。かれも教これも教、たがひに偏執をいだく事なかれ。説のごとく修行せは、みなことことく生死を過度すべし。法のことく修行せは、ともにおなしく菩提を証得すへし。
修せずしていたつらに是非を論す。たとへは目しゐたる人のいろの浅深を論し、みみしゐたる人のこゑの好悪をいはんかことし。ただすべからく修行すへし、何れも生死解脱のみち也。
しかるにいまかれを学する人はこれをそねみ、これを誦する人はかれをそしる。愚鈍のものこれがためにまどひやすく、浅才の身是がためにわきまへかたし。たまたま一法にをもむきて功をつまんとすれは、すなはち諸宗のあらそひたかひにきたる。ひろく諸教にわたりて義を談せんとおもへは、一期のいのちくれやすし。

かの蓬莱・万丈・瀛州といふなる三の山にこそ、不死のくすりはありときけ、かれを服してまれ、いのちをのへて漸漸に習はばやと思へども、たづぬへきかたもおもえす。 もろこしに秦皇・漢武ときこえし御門、これをききてたづねにつかはしたりしかども、童男丱女ふねのうちにして、年月ををくりき。[8]彭祖か七百歳の法、[9]むかしかたりにていまのときにつたへがたし。
曇鸞法師と申しし人こそ、仏法のそこをきはめむと思ふに、人のいのちはあしたを期しかたしとて仏法をならはんがために、長生の仙法をはつたへ給ひけれ。時に菩提流支と申す三蔵ましましき。曇鸞かの三蔵の御まへにまうてて申給ふやうは、仏法の中に長生不死の法、この土の仙経にすぎたるありやととひ給ひけれは、三蔵、地につばきをはきてのたまはく、この方にはいつくのところに長生の法あらん。たとひ長年をえてしはらくしなすとも、つゐに三有に輪迴すとの給ひて、すなはち『観無量寿経』をさづけて、大仙の法也、是によりて修行せは、かならす生死を解脱すへしとのたまひき。
曇鸞これをつたへて、たちところに仙経を火にやきすて、『観無量寿経』によりて、浄土の行を修したまひき。そののち曇鸞・道綽・善導・懐感・少康等にいたるまて、このながれをつたへ給へり。そのみちをおもひて、いのちをのべて大仙の法をとらんとおもふに、道綽禅師の『安楽集』にも、聖道・浄土の二門をたてたまふは此の意なり。その聖道門といふは、穢土にして煩悩を断して菩提にいたる也。浄土門といふは、浄土にむまれて、かしこにして煩悩を断して菩提にいたる也。

いまこの浄土宗につゐてこれをいへは、又『観経』にあかすところの業因一つにあらす、三福九品、十三定善、その行しなしなにわかれて、その業まちまちにつらなれり。まづ定善十三観といふは、日想 水想 地想 宝樹 宝池 宝楼 花座 像想 真身観音 勢至普観 雑観是也。
つぎに散善三福といふは一には孝養父母・奉事師長、慈心不殺・修十善業、二には受持三帰、具足衆戒、不犯威儀、三には発菩提心、深信因果、読誦大乗、勧進行者也。
九品はかの三福の業を開してその業因にあつ、つぶさには『観経』にみえたり。総じて是をいへは、定散二善の中にもれたる往生の行はあるべからす。 これによりて、あるひはいづれにもあれ、ただ有縁の行にをもむきて、功をかさねて、心のひかん法によりて、行をはげまば、みなことことく往生をとぐへし。さらにうたがひをなす事なかれ。いましはらく自法につきてこれをいはば、まさにいま定善の観門は、かすかにつらなりて十三あり、散善の業因は、まちまちにわかれて九品あり。その定善の門にいらんとすれは、すなはち意馬[10]あれて六塵の境にはせ、かの散善の門にのぞまんとすれは、又心猿あそんて十悪のえたにうつる、かれをしづめんとすれともえす、是をととめむとすれどもあたはす、いま下三品の業因をみれは、十悪五逆の衆生、臨終に善知識にあひて、一声・十声、阿弥陀仏の名号をとなへて、往生すととかれたり。これなんぞわれらが分にあらざらんや。
かの釈の雄俊といひし人は、七度還俗の悪人也。[11]いのちをはりてのち獄卒閻魔の庁庭にゐてゆきて、南閻浮提第一の悪人、七度還俗の雄俊ゐてまいりてはんべりと申けれは、雄俊申ていはく、われ在生の時『観無量寿経』をみしかば、五逆の罪人阿弥陀ほとけの名号を十声となへて、極楽に往生すとまさしくとかれたり。われ七度還俗すといへとも、いまた五逆をはつくらす、善根すくなしといへとも、念仏十声にすぎたり。雄俊もし地獄におちば、三世の諸仏妄語のつみにおちたまふへしと高声にさけびしかば、法王は理におれて、たまのかふりをかたふけて、是をおかみ、弥陀はちかひによりて金蓮にのせてむかへ給ひき。
いはんや七度還俗にをよばざらんをや、いはんや一形念仏せんをや、「男女貴賤、行住坐臥をえらはず、時処諸縁を論せす、これを修するにかたからす、乃至臨終に往生を願求するに、そのたよりをえたり」{往生要集下巻}と。 楞厳の先徳のかきをき給へるまことなるかなや。又善導和尚この『観経』を釈しての給はく、「娑婆の化主その請によるがゆへに、ひろく浄土の要門をひらき、安楽の能人別意の弘願をあらはす。その要門といは、すなはちこの観経の定散二門これ也、定はすなはちおもひをやめてもて心をこらし、散はすなはち悪を廃して善を修す、この二行をめぐらして往生をもとめねがふ也。 弘願といは、大経にとくがことし。一切善悪の凡夫のむまるる事をうるもの、みな阿弥陀仏の大願業力に乗して、増上縁とせすといふ事なし。又ほとけの密意弘深にして、教文さとりかたし、三賢・十聖もはかりてうかがふところにあらす、いはんやわれ信外の軽毛也、さらに旨趣をしらんや。あふひておもんみれは釈迦はこの方にして発遣し、弥陀はかのくにより来迎し給ふ。ここにやりかしこによはふ、あにさらざるへけんや」{玄義分}といへり。しかれは定善・散善・弘願の三門をたて給へり。[12]

その弘願といは、『大経』に云、
「設我得仏、十方衆生、至心信楽欲生我国、乃至十念、若不生者不取正覚、唯除五逆誹謗正法」[13]といへり。 善導釈していはく、
「若我成仏十方衆生 称我名号下至十声 若不生者不取正覚 彼仏今現在世成仏 当知本誓重願不虚 衆生称念必得往生」{礼讃}[14] 云云
『観経』の定散両門をときをはりて、
「仏告阿難 汝好持是語 持是語者 即是持無量寿仏名」[15]{観経} 云云
これすなはちさきの弘願の意也。又おなしき経の真身観には「弥陀身色如金山 相好光明照十方 唯有念仏蒙光摂 当知本願最為強」[16]{礼讃} 云云
又これさきの弘願のゆへなり。
『阿弥陀経』に云、「不可以少善根福徳因縁 得生彼国。若善男子善女人 聞説阿弥陀仏執持名号 若一日若二日乃至七日 一心不乱其人臨命終時 心不顛倒即得往生」[17] 云云

つきの文に、「六方にをのをの恒河沙の仏ましまして、広長の舌相を出して、あまねく三千大千世界におほひて、誠実の言なり、信せよ」{小経}と証誠し給へり。これ又さきの弘願のゆへ也。 又『般舟三昧経』にいはく、「跋陀和菩薩、阿弥陀仏にとひていはく、いかなる法を行してか、かの国にむまるへきやと。阿弥陀仏の給はく、わか国に来生せんとおもはんものは、つねに我名を念じてやむ事なかれ。かくのことくして、わが国に来生する事をう」との給へり。これ又弘願のむねを、かのほとけみつからのたまへり。

又五台山の大聖竹林寺の『記』にいはく、「法照禅師清涼山にのぼりて、大聖竹林寺にいたる。ここに二人の童子あり、一人をは善財といひ、一人をは難陀といふ。 この二人の童子、法照禅師をみちびきて、寺のうちにいれて、漸漸に講堂にいたりてみれは、普賢菩薩、無数の眷属に囲繞せられて座し給へり。文殊師利は、一万の菩薩に囲繞せられて坐し給へり。法照礼してとひたてまつりていはく。末法の凡夫はいづれの法をか修すへき、文殊師利こたへての給はく、なんぢすでに念仏せよ、いままさしくこの時也と。法照又とひていはく、まさにいづれの仏をか念すへきと、文殊又の給はく、この世界をすぎて西方に阿弥陀仏まします、かのほとけまさに願ふかくまします、なんぢまさに念ずへし」と。大聖文殊。法照禅師にまのあたりの給ひし事也。 すべてひろくこれをいへは、諸教にあまねく修せしめたる法門也と。つふさにあぐるにいとまあらす。

しかるをこのころ念仏のよにひろまりたるによりて、仏法うせなんとすと、諸宗の学者難破をいたすによりて、人おほく念仏の行を廃すときこゆ。いまた意得ず侍り。仏法はこれ万年也。うしなはんとおもふとも、仏法擁護の諸天善神まもり給ふゆへに、人のちからにてはかなふへからす。かの守屋の大臣が、仏法を破滅せむとせしかとも、法命いまだつきずして、いまにつたはるがことし。いはんや無智の道俗在家の男女のちからにて、念仏を行するによりて、法相・三論も隠没し、天台・華厳も廃退する事、なじかはあるべき。
念仏を行せすしてゐたらは、このともからは一宗をも興隆すへきかは、ただいたづらに念仏の業を廃したるばかりにて、またくそれ諸宗のをぎろ(広大・深遠)をもさぐるへからす、しかれはこれおほきなる損にあらすや。諸宗のふかきなかれをくむ南都・北京の学者、両部の大法をもつたへたる本寺本山の禅徒、百千万の念仏世にひろまりたりとも、本宗をあらたむへきにあらす。又仏法うせなんとすとて念仏を廃せは、念仏はこれ仏法にあらずや。たとへは虎狼の害をにけて、獅子にむかひてはしらんかことし、余行を謗じ念仏を謗ぜん。おなしくこれ逆罪也。とら、おほかみに害せらるると、獅子に害せられんと、ともにかならす死すへし。これをも謗すへからす、かれをもそねむへからす。ともにみな仏法也、たがひに偏執する事なかれ。『像法決疑経』にいはく、「三学の行人たがひに毀謗して、地獄にいること、ときや[18]のことし」といへり。
又『大論』にいはく、「自法を愛染するゆへに、他人の法を毀呰すれは、持戒の行人なりといへとも、地獄の苦をまぬかれす」といへり。 又善導和尚のの給はく

世尊説法時将了 慇懃付属弥陀名
五濁増時多疑謗 道俗相嫌不用聞
見有修行起瞋毒 方便破壊競生怨
如此生盲闡提輩 毀滅頓教永沈淪
超過大地微塵劫 未可得離三途身[19]{法事讃}

といへり。念仏を修せんものは、余行をそしるべからす、そしらはすなはち弥陀の悲願にそむくへきかゆへなり。余行を修せん者も念仏をそしるへからす、又諸仏の本誓にたがふかゆへ也。
しかるをいま真言・止観の窓のまへには、念仏の行をそしり、一向専念の床のうへには、諸余の行をそしる。ともに我我偏執の心をもて義理をたて、たがひにをのをの是非のおもひに住して会釈をなす、あにこれ正義にかなはんや。みなともに仏意にそむけり。

つきに又難者のいはく、今来の念仏者わたくしの義をたてて、悪業をおそるるは、弥陀の本願を信ぜさる也。数遍をかさぬるは、一念の往生をうたがふ也。行業をいへは、一念十念にたりぬへし、かるかゆへに数遍をつむへからす。悪業をいへは、四重・五逆なをむまる、かるかゆへに諸悪をはばかるへからずといへり。この義またくしかるへからす、釈尊の説法にもみえす、善導の釈義にもあらず。もしかくのごとく存ぜんものは、総しては諸仏の御意にたがふへし、別しては弥陀の本願にかなふへからす。その五逆・十悪の衆生の、一念・十念によりてかのくにに往生すといふは、これ『観経』のあきらかなる文也。たたし五逆をつくりて十念をとなへよ、十悪ををかして一念を申せとすすむるにはあらす。
それ十重をたもちて十念をとなへ、四十八軽をまもりて四十八願をたのむは、心にふかくこひねがふところ也。をよそいづれの行をもはらにすとも、心に戒行をたもちて、浮嚢[20]をまもるかことくにし。身の威儀に、油鉢をかたふけずは[21]、行として成就せずといふ事なく、願として円満せすといふ事なし。しかるをわれらあるひは四重[22]ををかし、あるひは十悪を行す。かれもをかしこれも行す、一人としてまことの戒行を具したるものはなし。
「諸悪莫作、衆善奉行」は、三世の諸仏の通戒也。善を修するものは、善趣の報をえ、悪を行する者は、悪道の果を感すといふ。この因果の道理をきけともきかざるかことし、はじめていふにあたはず。しかれとも分にしたがひて悪業をととめ、縁にふれて念仏を行じ往生を期すへし。悪人をすてられずは、善人なんそきらはん。つみををそるるは本願をうたがふそといふは、この宗にまたく存ぜさるところ也。

つきに一念・十念によりてかの国に往生すといふは、釈尊の金言也、『観経』のあきらかなる文也。善導和尚の釈にいはく、「下至十声一声等定得往生、乃至一念無有疑心故名深心」[23]{礼讃}といへり。又いはく「行住坐臥 不問時節久近 念念不捨者、是名正定之業、順彼仏願故」[24]といへり。しかれは信をは一念にむまるととりて、行をは一形にはげむへしとすすむる也。弥陀の本願を信じで、念仏の功つもり、運心としひさしくは、なんぞ願力を信せすといふへきや。すへて薄地の凡夫、弥陀の浄土にむまれん事、他力にあらずは、みな道たえたるへき事也。をよそ十方世界の諸仏善逝、穢土の衆生を引導せんがためには、穢土にして正覚をとなへ、浄土の衆生を化益せんが為には、浄土にして正覚を成給ふに、阿弥陀仏は浄土にして正覚を成て、しかも穢土の衆生を引導せんといふ願をたて給へり。それ穢土にして正覚をとなふれは、随類応同の相をしめすかゆへに、いのちなかからすして、とく涅槃に入なり。又浄土にして正覚を唱ふれは、報仏報土は是地上の大菩薩の所居にして、未断惑の凡夫は、たたちにむまるる事あたはさるところ也。しかるを、いま阿弥陀仏浄土を荘厳し給ふことは、をよそ仏道を修行し、成仏を願求する本意は、造悪不善のともからの、輪転きはまりなからんを引導し、破戒浅智のやからの、出離の期なからんをあはれまむがため也。

もしそれ三賢を証し、十地をきはめたる久行の聖人、深位の菩薩の六度万行を具足し、諸波羅蜜を修行してむまるるといはは、これ大悲の本意にあらす。この修因感果のことはりを、大慈大悲の御心のうちに思惟して、年序そらにつもりて、星霜五劫にをよへり。かくのことく善巧方便をめぐらして、思惟し給はく、われ別願をもて浄土に居して、薄地底下の衆生を引導すへし。その衆生のおのれが業力によりて、むまるるといはばかたかるへし、我須衆生のために、永劫の修行ををくり、僧祇の苦行をめぐらして、万行万善の果徳円満し、自覚覚他の覚行窮満して、その成就せんところの万徳無漏の一切の功徳をもて、わが名号として、衆生にとなへしめん。衆生もしこれにをいて、信をいたして称念せは、わが願にこたへてむまるる事をうへし。
名号をとなへばむまるへき別願ををこして、その願成就せは、仏になるへきかゆへ也。この願もし満足せずは、永劫をふともわれ正覚をとらじ。ただし未来悪世の衆生、憍慢懈怠にして、是にをいて信ををこす事かたかるへし。一仏二仏のとき給はんには、をそらくはうたかふ心をなさんことを。

ねがはくはわれ十方諸仏に、ことことくこの願を称揚せられたてまつらんと、かくのことく思惟して、第十七の願に「設我得仏 十方無量諸仏 不悉咨嗟 称我名者 不取正覚」[25]とちかひ給ひて、つきに第十八願に「乃至十念、若不生者、不取正覚」[26]、とちかひ給へり。その無量の諸仏に、称揚せられたてまつらんと、たて給へる願、すでに成就し給へるゆへに、六方にをのをの恒河沙のほとけましまして、広長の舌相を出して、あまねく三千大千世界におほひて、みなおなしくこの事をまことなりと証誠し給へり。 善導これを釈しての給はく、「もしこの証によりてむまるる事を得すは、六方の諸仏ののべ給へる舌、口よりいてをはりてのち、つゐに口に返りいらずして、自然にやぶれただれん」とのたまへり。これを信せさらん者は、すなはち十方恒沙の諸仏の御したをやぶる也。よくよく信すへし。
一仏二仏の御したをやふらんだにもあり、いかにいはんや十方恒沙の諸仏をや。大地微塵劫を超過すとも、いまた三途の身をはなるへからすとの給へり。弥陀の四十八願といは、無三悪趣、不更悪趣、乃至念仏往生等の願これ也。すへて四十八願の中に、いつれの願か一つとして、成就し給はぬ願あるへき。願ごとに不取正覚とちかひて、いますでに正覚をなり給へる故也。しかるを無三悪趣の願を信せすして、彼国に三悪道ありといふものはなし、不更悪趣の願を信せすして、かのくにの衆生いのちをはりてのち、又悪道に返るといふ者はなし、悉皆金色の願を信せすして、かのくにの衆生は、金色なるもあり、白色なるもありといふものはなし。無有好醜の願を信せすして、かのくにの衆生は、かたちよきもあり、わろきもありといふ者はなし。乃至天眼・天耳・光明・寿命、をよひ得三法忍の願にいたるまて、これにおいてうたかひをなすものはいまたはんへらす。ただ第十八の念仏往生の願一つをのみ信ぜさる也。
もしこの願をうたかはは、余の願をも信すへからす。余の願を信せは、この一願をうたがふへけんや。法蔵比丘いまたほとけになり給はすといはは、これ謗法になりなんかし。もし又なり給へりといはは、いかか此願をうたがふへきや。四十八願の弥陀善逝は、正覚を十劫をとなへたまへり。六方恒沙の諸仏如来は、舌相を三千世界にのべたまへり。たれか是を信せざるへきや。善導この信を釈しての給はく、「化仏報仏若一若多、乃至十方に遍して、ひかりをかかやかし、したをはきて、あまねく十方におほひて、この事虚妄なりとの給はんにも、畢竟して一念疑退の心ををこさし」との給へり。しかるをいまの行者たちは、異学・異見のために、たやすくこれをやふらる、いかにいはんや報仏・化仏のの給はんをや。

そもそもこの行をすては、いすれの行にかをもむき給ふへき。智慧なけれは、聖教をひらくにまなこくらし、財宝なけれは布施を行するにちからなし。
むかし波羅奈国に太子ありき、大施太子と申き。貧人をあはれみて、くらをひらきてもろもろのたからを出してあたへ給ふに、たからはつくれともまづしき者はつくべからず。ここに太子うみの中に如意宝珠ありときく、海にゆきてもとめてまづしきたみにたからをあたへんとちかひて、竜宮にゆき給ふに、竜王おとろきあやしみて、おぽろけの人にはあらずといひて、みつからむかへてたからのゆかにすへたてまつり。はるかにきたり給へるこころさし何事をもとめ給ふそととへは、太子の給はく、閻浮提の人まづしくてくるしむ事おほし、王のもとどりの中の宝珠をこはんがためにきたる也との給へは、王のいはく、しからは七日ここにととまりてわが供養をうけ給へ、そののちたからをたてまつらんといふ。太子七日をへてたまを得給ひぬ。竜神そこよりをくりたてまつる、すなはち本国のきしにいたりぬ。
爰にもろもろの竜神なげきていはく、このたまは海中のたからなり、なをとり返してぞよかるへきとさだむ。海神人になりて太子の御まへにきたりていはく、君世にまれなるたまをえ給へりときく、とくわれに見せ給へといふ。太子これを見せ給ふに、うばひとりてうみへいりぬ。太子なげきてちかひていはく、なんぢもしたまを返さずんは、うみをくみほさんといふ。海神いでてわらひていはく、なんぢはもともおろかなる人かな、そらの日をはおとしもしてん、はやきせをばとどめもしてん、うみのみづをばつくすへからすといふ。
太子の給はく、恩愛のたへかたきをもなをととめんとおもふ、生死のつくしがたきをもなをつくさんとおもふ。いはんやうみの水おほしといふともかぎりあり、若この世にくみつくさすは、世世をへてもかならすくみつくさんとちかひて、かいのからをとりてうみの水をくむ。ちかひの心まことなるがゆへに、もろもろの天人ことことくきたりて、あまのはごろものそでにつつ見て、鉄囲山の外にくみをく。太子一度二度かいのからをもてくみ給ふに、海水十分が八分はうせぬ。竜王さはきあはてて、わがすみかむなしくなりなんとすとわびてたまを返したてまつる。

太子これをとりて都に返りて、もろもろのたからをふらして、閻浮提のうちにたからをふらさざるところなし。くるしきをしのぎて退せさりしかは、これを精進波羅蜜といふ。むかしの太子は万里のなみをしのぎて、竜王の如意宝珠をえ給へり。いまのわれらは二河の水火をわけて、弥陀本願の宝珠を得たり。かれは竜神のくひしがためにうばはれ、これは異学・異見のためにうばはる。かれはかいのからをもて大海をくみしかは、六欲・四禅の諸天きたりておなしくくみき。これは信心の手をもて疑謗の難をくまは、六方恒沙の諸仏きたりてくみし給ふへし。かれは大海の水やうやくつきしかば、竜宮のいらかあらはれて如意宝珠を返しとりき、これは疑難のなみことごとくつきなば、謗家のいらかあらはれて、本願の宝珠を返しとるべし。かれは返しとりて閻浮提にして貧窮のたみをあはれみき、是は返しとりて極楽にむまれて薄地のともからをみちびくべし。

ねがはくはもろもろの行者、弥陀本願の宝珠をいまだうばひとられざらむ者は、ふかく信心のそこにおさめよ。もしすてにとられたらんものは、すみやかに深信の手をもて疑謗のなみをくめ、たからをすてて手をむなしくしてかへる事なかれ。いかなる弥陀か十念の悲願ををこして十方の衆生を摂取し給ふ、いかなるわれらか六字の名号をとなへて三輩の往生をとげさらむ、永劫の修行はこれたれがためそ。功を未来の衆生にゆずりたまふ、超世の悲願は又なんの料そ、こころさしを末法のわれらにをくり給ふ。われらもし往生をとぐへからすといはは、ほとけあに正覚をなり給ふへしや、われらまた往生をとげましや。われらか往生はほとけの正覚により、仏の正覚は我らか往生による。若不生者のちかひこれをもてしるへし。不取正覚のことはかきりあるをや。 云云

示或人詞

一。しと[27]はこの時西にむかふへからす、又西をうしろにすへからす、きた・みなみにむかふへし。おほかたうちうちゐたらんにも、うちふさんにも、かならす西にむかふへし。 もしゆゆしく便宜あしき事ありて、西をうしろにする事あらは、心のうちにわがうしろは西也、阿弥陀ほとけのおはしますかた也とおもへ。
たたいまあしざまにてむかはねとも、心をたにも西方へやりつれは、そそろに西にむかはて、極楽をおもはぬ人にくらふれは、それにまさる也。

一。孝養の心をもてちちははをおもくしおもはん人は、まづ阿弥陀ほとけにあつけまいらすへし。わが身の人となりて往生をねがひ念仏する事は、ひとへにわか父母のやしなひたてたれはこそあれ、わが念仏し候功徳をあはれみて、わが父母を極楽へむかへさせおはしまして、罪をも滅しましませとおもはは、かならすかならすむかへとらせおはしまさんずる也。
されは唐土に妙雲といひし尼は、おさなくして父母にをくれたりけるが、二十年はかり念仏して、父母をいのりしかは、とをに地獄の苦をあらためて、極楽へまいりたりける也。

一。善導和尚の『往生礼讃』に、本願をひきていはく、「若我成仏十方衆生 称我名号下至十声 若不生者不取正覚 彼仏今現在世成仏 当知本誓重願不虚 衆生称念必得往生」[28] この文をつねに、口にもとなへ、心にもうかへ、眼にもあてよ。阿弥陀仏すでに本願を成就し、極楽世界を荘厳したてて、御目を見まわして、わが名をとなふる人やあると御らんじ、御みみをかたふけて、わか名を称する者やあると、よるひるきこしめさるる也。されは一称も一念も、阿弥陀仏にしられまいらせずといふ事なし。
されは摂取の光明はわが身をすて給ふ事なく、臨終の来迎はむなしき事なき也。この文は、四十八願の眼(まなこ)也、肝なり、神也。四十八字にむすひたる事は、このゆへ也。よくよく身をもきよめ、手をもあらひて、ずずをもとり、袈裟をもかくへし。不浄の身にて持仏堂へ入へからす、この世の主君なとをだにも、うやまひをそるる事にてあるに、まして無上世尊の、もろもろの大菩薩にもうやまはれ給へるに、われらが身にていかてかなめにもあたりまいらすへき。一切の諸天もかうべをかたふけ給ふ、いかにいはんやわれらが身をや。

又つみををそるるは、木願をかろしむる也、身をつつしみてよからんとするは、自力をはげむなりといふ事は、ものもおほえぬ、あさましきひが事也。ゆめゆめみみにもききいるへからす。つゆちりばかりももちゐましき事也。はしめ浄土の三部経より唐土・日本の人師の御作の中にもまたくなき事どもを、心にまかせてわがおもふさまに、わろからんとていひ出したる事也。一定三悪道におちんずる事也。一代聖教の中に、ふつとなき事也。五逆十悪の罪人の臨終の一念十念によりて来迎にあづかる事は、そのつみをくゐかなしみて、たすけおはしませなおもひて念仏すれは、弥陀如来願力ををこして、罪を滅し来迎しまします也。

本願のままにかきてまいらせ候。このままに信じて、御念仏候へし。かまへてかまへてたうとき念仏者にておはしませ。あなかしこあなかしこ。

津戸三郎へつかはす御返事

津戸三郎為守(1163-1243)。法然上人に帰依した源頼朝の御家人。源頼朝の上洛(1195)の折、法然聖人を紡ね、戦場で殺生を重ねた自らの罪を懴悔し念仏者となった。 関東へ帰国後も念仏を勧め、その輪が広がっていった。『西方指南抄』に親鸞聖人は「つのとの三郎といふは、武蔵国の住人也。おほこ・しのや・つのと、この三人は、聖人根本の弟子なり。」と、記しておられる。1243年割腹往生をとげたという。

表題がないので日付を付した。

十月十八日

周囲に念仏を勧め、その輪が広がっていったが、それによって、念仏者を非難する者があらわれたので、鎌倉幕府で念仏者に対する詮議が行われた。その説明のために法然聖人に指示を仰いだので、それに対する返信であろうと思われる。御京上の時とあるので、聖とは法然聖人のことを指す。「生死をいづる道は、極楽に往生するよりほかには、こと道はかなひかたき事也」の文は、恵信尼公の御消息中で、親鸞聖人は「よき人にもあしきにも、おなじやうに生死出づべき道をば、ただ一すぢに仰せられ候ひしを……」とあり、晩年の「歎異抄」では、「ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。」と、生死出ずべき道を往生極楽の道と示されていることを引き合わせて読むとありがたい。

御文くはしくうけ給り候ぬ。御所より念仏の事召問はれ候はんには、なしかはくはしき事をは申させ給ふへき。けにもいまだくはしくもならせ給はぬ事にて候へは、専修・雑修の間の事は。くはしき沙汰候はすとも。いかやうなる事そと召問はれ候はは、法門のくはしきことはしり候はす。御京上の時うけ給はりわたりて、聖のもとへまかり候て、後世の事をばいかかし候へき。在家のものなとの後生たすかるへき事は、何事か候らんと問候しかば、聖の申候し様は、おほかた生死をはなるるみち、様様におほく候へとも、その中にこのころの人の生死をいづる道は、極楽に往生するよりほかには、こと道はかなひかたき事也。是ほとけの衆生をすすめて、生死をいださせ給ふ一つの道也。

しかるに極楽に往生する行又様様におほく候へとも、その中に念仏して往生するより外には、こと行はかなひかたき事にてある也。そのゆへは、念仏はこれ弥陀の一切衆生のためにみつからちかひたまひたりし本願の行なれは、往生の業にとりては、念仏にしく事はなし。されは往生せんとおもはは、念仏をこそはせめと申候き。いかにいはんや又最下のものの法門をもしらす、智慧もなからんものは、念仏の外には何事をしてか往生すべきといふ事なし。
われおさなくより法門をならひたるものにてあるだにも、念仏より外には何事をかして、生すべしともおぼへす。たた念仏ばかりをして、弥陀の本願をたのみて、往生せんとのみおもひてある也。まして在家の人なとは、何事かあらんと申されしかば、ふかくそのむねをたのみて、念仏をはつかまつり候也と、申させ給ふべし。
又この念仏を申事は、たたわが心より、弥陀の本願の行なりとさとりて申事にもあらす。唐の代に善導和尚と申候し人の、往生の行業にをいて、専修・雑修と申す二つの行をわかちて、すすめ給へる事也。専修といふは、念仏也。雑修といふは、念仏の外の行也。専修のものは、百人は百人なから往生し。雑修の者は、千人か中にわつかに一二人ありといへる也。

唐土に又信中と申者こそ、このむねをしるして、『専修浄業文』といふ文をつくりて、唐土の諸人をすすめたり。その文は、じやうせう房なとのもとには候らん、それをもちてまいらせ給ふへし。
又専修につきて五種の専修正行といふ事あり。この五種の正行につきて、又正助二行をわかてり、正業といふは、五種の中に第四の念仏也。助業といふは、その外の四種の行也。いま決定して浄土に往生せんとおもはは、専雑二修の中には、専修の教によりて、一向に念仏をすへし。
正助二業の中には、正業のすすめによりて、ふた心なくたた第四の称名念仏をすべしと申候しかは、くはしき旨ふかき意をはしり候はず。さては念仏は、めてたき事にこそあなれと信じて申はかりにて候。
件の人の申候しは、善導和尚と申人は、氏ある人にも候はす、阿弥陀ほとけの化身にておはしまし候なれは、をしへすすめさせ候はんこと、よもひが事にては候はしと申されしを、ふかく信して念仏はつかまつり候也。
そのつくらせ給ひたる文ともおほく候なれとも、文字もしり候はぬものにて候へは、ただ意はかりをききて、後生やたすかり候、往生やし候とて、となへ申ほとに、ちかきものども見うらやみ候て、少少申すものとも候也と、これほとに申しせ給ふへし。

中中くはしく申させ給はは、あやまちもありなとして、あしき事もこそ候へとおほえ候。様様に難答をしるしてと候へとも、時にのぞみては、いかなること葉ともか候はんすらん、書てまいらせ候はんも、あしく候ぬへく候。ただよくよく御はからひ候て、早晩よきやうにこそはからはせ給ひ候はめ。
又念仏申すへからすとおほせられ候とも、往生に心さしあらん人は、それにはより候まじ。念仏よくよく申せとおほせられ候とも、道心なからん者は、それにはより候まし。とにかくにつけても、このたひ往生しなんと人をばしらず御身にかぎりては、おほしめすへし。
わざとはるはると人あげさせ給ひて候こそ、返返下人も不便に候へ。なをなを召し問はれ候はん時には、これより百千申て候はん事は、時にもかなひ候ましけれは、無益の事にて候。はからひてよきやうに、早晩にしたがひて、申させ給はんに、よもひが事は候はじ。真字・仮字にひろくかきてまいらせ候はんする事は、にはかにすへきにても候はす。それは又中中あしき事にても候ぬへし。ただいと子細はしり候はす。これほとにききて申候なりと申させ給ひ候はんに、心候はん人はさりとも心え候ひなん。
又道心なからん人は、いかに道理百千万にわかつとも、よも心え候はし。殿は道理ふかくして、ひが事おはしまさぬ事にて候と申しあひて候へは、これらほどにきこしめさむに、念仏ひが事にてありけり、今はな申しそとおほせらるる事はよも候はじ。さらざらん人は、いかに申すとも、思とも、無益の事にてこそ候はんずれ。何事も御文にはつくしかたく候。あなかしこあなかしこ

  十月十八日

九月二十八日

おぼつかなくおもひまいらせつる程に、このお文返返よろこひてうけ給はり候ぬ。 さても専修念仏の人は、よにありがたき事にて候に、その一国に三十余人まて候らんこそ、まめやかにあはれに候へ。京辺なとのつねにききならひ、かたはらをもみならひ候ひぬへきところにて候だにも、おもひきりて専修念仏をする人は、ありかたき事にてこそ候に、道綽禅師の、平州と申候ところにこそ、一向念仏の地にては候に、専修念仏三十余人は、よにありかたくおほえ候。これひとへに御ちから、又熊谷の入道なとのはからひにてこそ候なれ。それも時のいたりて、往生すべき人のおほく候へきゆへにこそ候らめ。縁なき事は、わさと人のすすめ候にたにも、かなはぬ事にて候に、子細もしらせ給はぬ人なとの、おほせられんによるへき事にても候はぬに、もとより機縁純熟して、時いたりたる事にて候へはこそ、さ程に専修の人なとは候はめと、をしはかられあはれにおほえ候。

ただし無智の人にこそ、機縁にしたがひて、念仏をはすすむる事にてあれと申候なる事は、もろもろの僻事にて候。阿弥陀ほとけの御ちかひには、有智・無智をもえらはす、持戒・破戒をもきらはす、仏前・仏後の衆生をもえらはす、在家・出家の人をもきらはす、念仏往生の誓願は、平等の慈悲に住して、をこしたまひたる事にて候へは、人をきらふ事はまたく候はぬなり。されは『観無量寿経』には、仏心者大慈悲是[29]なりとときて候也。善導和尚この文をうけて、この平等の慈悲をもて、あまねく一切を摂すと釈し給へり。
一切のことばひろくして、もるる人候へからす。釈迦のすすめ給も、悪人・善人・愚人・智人、ひとしく念仏すれは、往生すとすすめたまへる也。されは念仏往生の願は、これ弥陀如来の本地の誓願なり。余の種種の行は、本地のちかひにあらす、釈迦如来の種種の機縁にしたがひて、様様の行をとかせたまひたる事は、釈迦も世に出給ふ意は、弥陀の本願をとかんとおほしめす御意にて候へとも、衆生の機縁にしたがひてときたまふ日は、余の種種の行をもとき給ふは、是随機の法也。仏の自の御心のそこには候はす。

されは念仏は、弥陀にも利生の本願、釈迦にも出世の本懐也。余の種種の行には似す候なり。これは無智のものなれはといふへからす。又要文の事、書てまいらせ候へし。又熊谷の入道の文は是へとりよせ候て、なをすへき事の候へは、そののちかきてまいらせ候へし。事なにも御文に申つくすへくも候はす。のちの便宜に又又申候へし。

  九月二十八日

四月二十六日

法然聖人は、「嘆かわしき事は、道心の薄き事と病の多いこと」と、仰っておられたそうだが、その病を心配し病状を尋ねた津戸三郎への返信であろう。心配し案じる相手に、こと細かに自らの療治のことを語っておられ、もしもの事があっても上京するようなことに心を懸けるのではなく、どこに居ても念仏してともに往生しようと言われる。けれんみのない法然上人の人柄が窺われる手紙である。

まづきこしめすま々に、いそぎおほせられて候御心ざし申つくしがたく候。この例ならぬ事は、ことがらはむつかしき様に候へども、当時大事にて、今日あす左右すへき事にては、さりながらも候はぬに、としごろの風のつもり、この正月より別時念仏を五十日申て候しに、いよいよ風をひき候て、二月の十日ごろより、すこし口のかはく様におぼえ候しが、二月の二十日は、五十日になり候しかば、それまでとおもひ候て、なおしゐて[30]候し程に、その事がまさり候て、水なんどのむ事になり、又身のいたく候事なんどの候しが、今日までなやみもやみ候はず、ながびきて候へども、又ただいまいかなるべしともおぼえぬ程の事にて候也。
医師の大事と申候へば、やいとう[31]をふたたびし、湯にてゆで候。又様々の唐のくすりどもたべなんどして候気にや、このほどはちりばかりよき様なる事の候也。左右なくのぼるべきなんど仰られて候こそ、世にあはれに候へ。
さ程とをく候程には、たとひいかなる事にても、のぼりなんとする御事はいかでか候べき。いづくにても念仏して、たがひに往生し候ひなんこそ、めでたくながきはかり事にては候はめ。何事も御文にはつくしがたく候、又又申候へし。

  四月二十六日

わたくしにいはく、これは命をおしむ御療治にはあらず、御身おだしく[32]して、念仏申させ給はんがためなり。下巻の『用心抄』のおはりを見あはすべし。

示或女房法語

念仏行者のぞんし候へきやうは、後世ををそれ往生をねがひて念仏すれは、をはるときかならす来迎せさせ給よしをそんして、念仏申より外のことは候はす。三心と申候も、ふさねて申ときは、たた一の願心にて候なり。
そのねがふ心のいつはらずかさらぬ方をは、至誠心と申候。この心の実にて念仏すれは、臨終にらいかうすといふことを、一念もうたかはぬ方を、深心とは申候。このうへわが身もかの土へむまれんとおもひ、行業をも往生のためとむくるを、迴向心とは申候なり。
このゆへにねがふ心いつはらすして、げに往生せむとおもひ候へは、をのつから三心はぐそくすることにて候也。
そもそも中品下生に来迎の候はぬことはあるましければ、とかれぬにては候はす。九品往生にをのをのみなあるへきことの略せられてなき事も候也。善導の御心は、三心も品品にわたりてあるへしとみえて候、品品ごとにおほくのこと候へども、三心と来迎とはかならすあるへきにて候なり。往生をねかはん行者は、かならす三心ををこすへきにて候へは、上品上生にこれをときて、余の品品をも、是になずらへてしるへしとみえて候。
又われら戒品のふねいかだもやふれたれば、生死の大海をわたるへき縁も候はす。智慧のひかりもくもりて、生死のやみをてらしがたけれは、聖道の得道にももれたるわれらがために、ほとこし給他力と申候は、第十九の来迎の願にて候へは、文にみえす候とても、かならす来迎はあるへきにて候也。ゆめゆめ御うたかひ候へからす。あなかしこあなかしこ

源空

拾遺黒谷語灯録 巻中


末註

  1. 天台の五時教判では、釈尊は最初に『華厳経』を説かれたというので、その会座を<『華厳』開講の筵>という。同じく第四時に『般若経』説いたので<『般若』演説の座>といい、第五時に『法華経』が、霊鷲山で説かれたから<鷲峯説法の庭>という。そして、釈尊入滅にあたって説かれたのが『涅槃経』であり、入滅のみぎり沙羅双樹が悲しんで、枯れて鶴のように白くなったという伝説から<鶴林涅槃のみぎり>という。
  2. 仏の説いた法が、遇い難く聞き難きことを表して、舎衛の三億という。『大智度論』で、舎衛城の九億の家のうち、三億は眼に仏を見、三億は耳に仏有りと聞くのみで、三億は見ることも、聞くこともない、という説話に自己をなぞらえている。なお古代のインドでは10万単位を1億と数えた。したがって3億とは30万のことである。
  3. 会うことが非常に難しいことのたとえ。また、人として生まれることの困難さ、そしてその人が仏、または仏の教えに会うことの難しさのたとえ。◇大海中に棲(す)み、百年に一度だけ水面に浮かび上がる目の見えない亀が、漂っている浮木のたった一つの穴に入ろうとするが、容易に入ることができないという寓話による。「盲亀浮木」で知られる。『雑阿含経』一六
  4. 金谷の花。金谷園の花のこと。◇西晋の石崇が洛陽の北の金谷に建てた別荘の庭園に咲く花のを喩えている。漢詩によく使われる名前。
  5. 南楼。晋の庾亮が武昌の南楼に登り秋夜、論談し詠じたという故事。李白の詩にも、清景南楼夜 風流在武昌 庾公愛秋月……の句がある。
  6. いろくず。うろこのある魚のこと。いろこ 【鱗】 「うろこ」の古形〕
  7. ひとり一日のうちに八億四千をおもい、念念の中になすところ、皆これ三塗の業なり。:『安楽修』第九大門の、「人生世間 凡経一日一夜 有八億四千万念」(人、世間に生じておほよそ一日一夜を経るに、八億四千万の念あり。)からの取意の文であろうか。とにもかくにも、一刻もはやく、なんまんだぶをせよとのことである。まさに「ただし三心・四修と申すことの候ふは、みな決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ふうちに籠り候ふなり。」ではある。
  8. 秦皇とは秦の始皇帝のこと。長寿を願ったという徐福伝説がある。東の海上にある蓬莱・方丈・瀛洲の三神山には、不老不死の薬があるというので、この仙薬を取りに徐福を遣わしたが帰って来なかったという伝説。『史記』には、「齊人徐市等上書言。海中有三神山 名曰蓬莱 方丈 瀛洲 僊人居之 請得齋戒 與童男女求之。於是遣徐市發童男女數千人 入海求僊人」(史記秦始皇本紀第六)と、ある。
    漢武とは漢の武帝のこと。彼もまた不老長寿願望があり、仙女の西王母から三千年の桃(みちとせのもも)という不老長寿の桃を貰ったという伝説がある。
  9. 彭祖。中国古代の伝説上の長寿者で養生術にたけ、800年以上も生きたとされる。中国の長寿の代名詞的存在。神仙思想の発達につれて仙人の一人とされた。『浄土論註』で引用される『荘子』の「蟪蛄は春秋を識らず」の次に長寿者の代表として出されている。
  10. 意馬。次の心猿と合わせて、暴れる馬や騒ぐ猿のように、心に起こる欲望や心の乱れを押さえることができず制することが難しいことのにたとえ。「意馬心猿」。
  11. 釈の雄俊とは、中国唐代中期の『往生西方浄土瑞応伝』に出る。七度還俗の件はないので後で付加されたものか。平安末期の仏教説話集である『宝物集』には七度還俗の件も見えるとのことで、当時有名な話であったのだろう。ありがたいので『瑞応伝』から該当部分を引いておく。
    僧雄俊第二十一
    僧雄俊姓周。城都人。善講説無戒行。所得施利非法而用。又還俗入軍営殺戮。逃難却入僧中。
    大暦年中。見閻羅王判入地獄。
    俊高声曰。雄俊若入地獄。三世諸仏即妄語。
    王曰。仏不曽妄語。
    俊曰。観経下品下生。造五逆罪 臨終十念尚得往生。俊雖造罪。不作五逆。若論念仏。不知其数。
    言訖往生西方。乗台而去。
    (僧雄俊は姓は周、城都の人なり。講説を善くするも戒と行は無し。得るところの施利は非法に用ゆ。また還俗して軍営に入り殺戮をし、難を逃れてかえって僧中に入る。大暦の年のうちに(死んで)、閻羅王(が罪状を)見て地獄に入ると判ず。俊、高声にいう。雄俊が、もし地獄に入らば、三世の諸仏は、すなわち妄語せり。王曰く。仏は、妄語かってせず。俊はいう。観経の下品下生には、五逆罪を造りて臨終に十念(の念仏)なお往生を得るとあり、俊は罪を造るといえども、五逆は作らず、もし念仏を論ずれば、その数を知らず(ほど称えた)。言いおえるに、台に乗じて西方に往生し去る。)
  12. ここでは、明らかに定善・散善・弘願の法義は別々であると見られていることに注意。
  13. たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。
  14. 〈もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称せん、下十声に至るまで、もし生れずは正覚を取らじ〉と。かの仏いま現にましまして成仏したまへり。まさに知るべし、本誓重願虚しからず、衆生称念すればかならず往生を得。
  15. 仏、阿難に告げたまはく、「なんぢ、よくこの語を持て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり」
  16. 弥陀の身色金山のごとし。相好の光明十方を照らす。ただ念仏するもののみありて光摂を蒙る。まさに知るべし、本願もつとも強しとなす。
  17. 少善根福徳の因縁をもつてかの国に生ずることを得べからず。もし善男子・善女人ありて、阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持すること、もしは一日、もしは二日、乃至七日、一心にして乱れざれば、その人、命終のときに臨みて、心顛倒せずして即ち往生を得ん。
  18. ときや。疾(と)き矢。速い矢の意か?
  19. 世尊法を説きたまふこと、時まさに 了りなんとして、慇懃に弥陀の名を付属したまふ。五濁増の時は多く疑謗し、 道俗あひ嫌ひて聞くことを用ゐず。修行することあるを見ては瞋毒を起し、方便破壊して競ひて怨を生ず。かくのごとき生盲闡提の輩は、頓教を毀滅して永く沈淪す。大地微塵劫を超過すとも、いまだ三塗の身を離るることを得べから ず。
  20. 浮嚢(ふのう)。うきぶくろのこと。◇『梵網経』に、「若仏子。護持禁戒。行住坐臥 日夜六時読誦是戒。猶如金剛。如帯持浮嚢欲度大海 如草繫比丘」(若仏子、禁戒を護持し、行住坐臥、日夜六時この戒を読誦することなお金剛のごとくせよ。浮嚢を帯持して大海を度らんと欲するがごとく、草繫比丘のごとくせよ)とある。浮き袋で大海を渡るときのごとく常に戒を離れないようにという喩え。
  21. 『北本涅槃経』にある「王勅一臣持一油鉢、經由中過莫令傾覆。若棄一渧當斷汝命。復遣一人、拔刀在後隨而怖之。臣受王教盡心堅持、經歴爾所大衆之中。」(王、一臣に勅して一油鉢を持たしめ、中を経由し過ぎて傾覆せしむなかれ。もし一滴を棄つれば汝が命を断つべしと。復、一人を遺して、刀を抜いて後に在て随い、これを畏怖せしむ。臣、王の教を受け、心を尽して堅持し、その大衆の中を経歴す。) 戒律をまもることの困難さを、王が家臣に油壺を持たせて歩かせ、一滴でも油をこぼしたら命を絶たれるように難しいものだと示す。なお、ここから、油をこぼしたら命を断つ、油断という語が出来たといわれる。
  22. 四重禁戒のこと。殺生・偸盗・婬・妄語の四。
  23. 下十声・一声等に至るに及ぶまで、さだめて往生を得る、一念に至るまで疑心あることなし。ゆゑに深心と名づく。
  24. 行住坐臥に時節の久近を問はず、念々に捨てざるは、これを正定の業と名づく、かの仏の願に順ずるがゆゑなり。
  25. たとひわれ仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、わが名を称せずは、正覚を取らじ。◇第十八願の十念の称名(なんまんだぶ)の出拠を第十七願に求めておられる。聖覚法印は『唯信鈔』でも「これによりて一切の善悪の凡夫ひとしく生れ、ともにねがはしめんがために、ただ阿弥陀の三字の名号をとなへんを往生極楽の別因とせんと、五劫のあひだふかくこのことを思惟しをはりて、まづ第十七に諸仏にわが名字を称揚せ られんといふ願をおこしたまへり。」と第十七願を第十八願の「乃至十念」の根拠とされている。もちろん法然聖人も『三部経大意』で、「その名を往生の因としたまへることを、一切衆生にあまねくきかしめむがために諸仏称揚の願をたてたまへり、第十七の願これなり。」とされている。当然これは『選択本願念仏集』の「念声是一論」に対する批判に応答すると同時に、南無阿弥陀仏を『観経』ではなく『無量寿経』にその根拠を求められたものであったに違いない。御開山はこれを根拠として第十七の願に依って大行論を展開されるのであった。
  26. 乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。
  27. しと(尿)。小便のこと。
  28. 〈もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称せん、下十声に至るまで、もし生れずは正覚を取らじ〉と。かの仏いま現にましまして成仏したまへり。まさに知るべし、本誓重願虚しからず、衆生称念すればかならず往生を得。
  29. 仏心とは大慈悲これなり。◇「真身観」の、「観仏身故 亦見仏心 仏心者大慈悲是」(仏身を観ずるをもつてのゆゑにまた仏心を見る。仏心とは大慈悲これなり。)の文。
  30. しゐて。強(し)いて。無理をしてでもやりとげようと。
  31. やいとう。灸のこと。
  32. おだしく。穏(おだ)しく。落ち着いてということ。