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法然門下では、浄土往生の願は第十八願だけであり、第十九願はその往生に際して来迎の利益を誓う願であるとしていた。その意を知るために浄土宗二祖聖光房弁長上人の『浄土宗要集』(略称は西宗要)から、第十七願、第十八願、第十九願、第二十願の記述について抜粋した。
御開山は、第十八願、第十九願、第二十願の三願を「生因三願」とされる。それには明恵上人が『摧邪輪』(上)で「第十九の願に云く、「発菩提心、修諸功徳」等と云云。是れあに本願にあらずや」という論難に応答するとともに、三願を浄土三経に配当し「願海真仮論」として法然聖人の浄土思想を精密に考証しその真意を洞察されたのであった。なお法然聖人が「初めに正しく往生浄土を明かす教といふは、いはく三経一論これなり」とされながら言及されなかった『浄土論』とその解説書『浄土論註』を隆寛律師の示唆により導入することによって、なんまんだぶを称えて仏願に乗ずる「誓願一仏乗」という雄大な大乗仏教の究極の相(すがた)を示されたのであった。

浄土宗全書 10巻 227P 西宗要 弁長

第六十四 第十七願

{安キ事ナレトモ聖行[覚]房ニ宣ヒシ義ヲ聞カントアレハ宣ヒシ事ヲ申サン爲ニ出之也}

問 雙卷經中付明四十八願 爾第十七願何願也可云乎。

問う、『双巻経』[1] の中、四十八願を明すに付けて、しかれば第十七願は何の願なりと云ふべしや。

答 咨嗟稱嘆願也 可答申。

答う、咨嗟称嘆の願なりと答え申すべし。

難云 十方諸佛同妙覺究竟位在。

難じて云く、十方の諸仏は同く妙覚究竟の位に在すなり。

下位コソ上位稱嘆同位等行如來 何稱嘆之乎。

下位よりこそ上位を称嘆する。同位等行の如来、何ぞこれを称嘆したまふや。

阿彌陁佛被讚嘆無由 諸佛能讚嘆無詮乎。

阿弥陀仏も讚嘆せられて由し無く、諸仏も能く讚嘆して詮無きをや。

下位上位讚 得利益進上位故也。

下位の上位を讚ずるは、利益を得て上位に進むがゆえなり。

爾者此事不明如何。

しかればこのこと明らかならず、いかん。

答 諸佛語默作作 皆衆生利益爲也。

答う、諸仏の語黙作作は、みな衆生利益の為なり。

諸佛尚讚嘆 况下位乎。

諸仏なお讚嘆す、いはんや下位おや。

十方菩薩 隨喜可奉讚嘆故 發此願也。

十方の菩薩、随喜して讚嘆し奉るべし、故にこの願を発したまふ。

是以下卷願成就文云 十方恒沙 諸佛如來 皆共讚嘆 無量壽佛 威神功德 不可思議{文}

ここをもって下巻の願成就の文に「十方恒沙 諸仏如来 皆共讚嘆 無量寿仏 威神功徳 不可思議」(大経 P.41)と云り。{文}

第六十五 第十八願

問 善導和尚明往生行 依雙卷經本願文見 爾者四十八願中依何本願可云乎。

問う、善導和尚往生の行を明かすこと『双巻経』の本願の文に依ると見へたり。しかれば四十八願の中に何の本願に依ると云ふや。

答 第十八願也

答う、第十八願なり。

問 第十八願何願也可云乎。

問う、第十八願はいかなる願なりと云べしや。

答 稱名往生願也。

答う、称名往生の願なり。

難云 驚釋文檢經文第十八願乃至十念云 直稱名念佛不見誰知觀念念有。

難じて云く、釈文に驚きて経文を検するに第十八願の乃至十念と云は直ちに称名念仏とは見へず、誰か知る観念の念にても有るらん。

答 善導經乃至十念下至十聲得意 法然房義乃至下至念聲得意也。

答う、善導は経の乃至十念を下至十声とこころ得たまひ、法然房の義は乃至を下至と、念を声とこころ得たまふなり。→念声是一

譯者暗譯處善導我譯カウソ譯セマシト思食釋也。

訳者の暗く訳する処を、善導は我が訳せばこうぞ訳せましとおぼしめし釈したまへるなり。

上卷發願文幽ナレトモ下卷願成就文 稱名念佛堅也。

上巻の発願の文、幽(かすか)なれども下巻の願成就文にて称名の念仏とは堅むるなり。

其文云 諸有衆生聞其名號信心歡喜乃至一念割注文割注。

その文に「諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念」(大経 P.41) と云へり{文}

聞其名號云故稱名被得 是其證也割注法然御房義也。 第十八願ヨリ外ニ往生ノ願ナシ第十九ハ來迎ノ願ニシテ也非ス往生ノ願ニ又第十七願ヲ稱名念佛ト云人有リ加樣ノ事ヲ爲令知也割注

聞其名号と云へるがゆえに称名と得られたり。これその証なり{法然御房義也 第十八願より外に往生の願なし 第十九は来迎の願にして、また往生の願に非ず[2] 又第十七願を称名念仏と云ふ人有り 加様の事を知らしめんが為なり[3]

觀念法門云 如無量壽經四十八願中説 佛言若我成佛十方衆生願生我國稱我名字下至十聲乘我願力若不生者不取正覺。此即是願往生行人 命欲終時願力攝得往生故 名攝生增上縁割注文割注

『観念法門』に云く、「『無量寿経』の四十八願のなかに説きたまふがごとし。「仏のたまはく、〈もしわれ成仏せんに、十方 の衆生、わが国に生ぜんと願じて、わが名字を称すること、下十声に至るまで、 わが願力に乗じて、もし生ぜずは、正覚を取らじ〉」(観念法門 P.630)
これは即ちこれ願往生の行人、命終らんと欲する時、願力摂して往生を得しむ。ゆえに摂生増上縁と名くと{文}

禮讚云 如無量壽經云 若我成佛十方衆生稱我名號下至十聲 若不生者不取正覺 彼佛今現在世成佛 當知本誓重願不虚 衆生稱念必得往生割注文割注

『礼讚』に云く「『無量寿経』にのたまふがごとし。もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称すること下十声に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじと。かの仏いま現に世にましまして成仏したまへり。まさに知るべし、本誓重願虚しからず、衆生称念すればかならず往生を得。」(往生礼讃 P.711){文}

法事讚云 弘誓多門四十八 偏標念佛最爲親 割注云云割注

『法事讚」に云く「弘誓多門にして四十八なれども、ひとへに念仏を標してもつとも親となす」(法事讃 P.531){云云}

群疑論第五に云く 四十八弘誓願中 於念佛門別發一願言 乃至十念若不生者不取正覺 割注文割注別發云四十八願中取分此願志願被得也。

『群疑論』の第五に云く「四十八の弘誓願の中、念仏門において別に一願を発して言く、乃至十念せんにもし生れずは正覚を取らじ」(*){文}
別発と云ふは四十八願の中に取分けこの願を志し願じたまふと得られたり。

往生要集下云四十八願中於念佛門 別發一願云乃至十念 若不生者不取正覺云

『往生要集』の下に云く「四十八願の中、念仏門において別に一願を発して云う、乃至十念せんにもし生れずんば正覚を取らじ」と云へり。(要集 P.1098)

此等人師御意 皆カク得意給也。

これらの人師の御意、皆かくこころ得へ給ふなり。

此等文只念佛願云事非 四十八願中殊勝願云事也。

これらの文は只念仏の願と云ふのみの事には非ず。四十八願の中に殊(こと)に勝れたる願と云ふ事なり。

其佛本願力聞名欲往生云是也。

「其仏本願力 聞名欲往生」と云へるも是なり。(大経 P.46)

此等皆經神也 法然上人御義如此傳也 文作給本意共如此割注盜人目云云割注。

これらみな経の神(たましひ)なり、法然上人の御義はこの如く伝へたるなり。文を作り給へる本意共にこの如し。{盗人目云云}

法本房云念者思ヨムサレハ非稱名割注云云割注。

法本房[4]の云う、念とは思ひとよむ、されば称名には非ずと{云云}

答此念佛不習也 念思ヨミ又唱ヨム割注云云割注經文字押書カヘケリ弟子ソレヲ智者ホメケル也

答ふ、これは念仏を習わざるなり。念は思ふとよみ又唱ふとよむ{云云}経の文字をも押て書きかへけり、弟子はそれを智者とほめけるなり。

天王寺願行房 釋迦説殘經 法本房説也割注云云割注。

天王寺の願行房は、釈迦の説き残したまひたる経を法本房は説けるなりと{云云}

辨阿義 平等覺經稱讚淨土經證據スル也。

弁阿が義は『平等覚経」『称讚浄土経』を証拠とするなり。

經云如上書。

経に云く上に書くが如し。

問大阿彌陀經念佛往生願 雙卷經念佛往生願何見乎。

問う、『大阿弥陀経』の念仏往生の願は『双巻経』の念仏往生の願なりとは何(いず)くに見へたるや。

答大阿彌陀經上云 第四願使某作佛時 令我名字皆聞八方上下無央數佛國 皆令諸佛各於比丘僧大衆中 説我功德國土之善諸天人民蜎飛蠕動之類 聞我名字莫不慈心 歡喜踊躍者皆令來生我國得是願乃作佛不得 是願終不作佛割注文割注

答う、『大阿弥陀経」の上に云ふ第四の願に「それがし作仏せしめんとき、わが名字をもつてみな、八方上下、無央数の仏国に聞かしめん。みな諸仏おのおの比丘僧大衆のなかにして、わが功徳・国土の善を説かしめん。諸天・人民・蜎飛・蠕動の類、わが名字を聞きて慈心せざるはなけん。歓喜踊躍せんもの、みなわが国に来生せしめ、この願を得て乃し作仏せん。この願を得ずは、つひに作仏せじ〉」(* ){文}

尋云二經説樣何勝見乎。

尋て云く、二経の説き様何れか勝れて見ゆるや。

答 當時説文大阿彌陀經勝見也 雙卷經十方衆生云カタチヲ不出 大阿彌陀經諸天人民蜎飛蠕動之類割注文割注。

答う、当時の説文は『大阿弥陀経』勝れて見ゆるなり。『双巻経』には十方衆生と云てかたちを出さず、『大阿弥陀経』には「諸天人民蜎飛蠕動之類」{文}これ勝れたり。

是勝尋云經文爾也有。現證乎。

尋ねて云く、経文はしかなり。現証ありや。[5]

答安息國アウム鳥也。又龍舒淨土文云八八兒 口生蓮華。 

答う、安息国のアウム鳥なり。又『竜舒浄土文』に云、八八児、口より蓮華を生ず。

有人養一鸜鵒俗名八八兒見 僧念佛亦學念佛遂捨與僧 此僧常敎念阿彌陀佛後八八兒死 僧爲小棺埋之墓上生蓮華一朶 開棺看其根自口中生 人爲偈云有一飛禽八八兒。

人有り、一鸜鵒を養ふ、俗に八八児と名く。僧の念仏するを見て、念仏を学ぶ、遂に捨てて僧に与ふ、この僧常に阿弥陀仏を念ぜしむ。後に八八児死す。僧小棺を為(つく)りてこれを埋む。墓上に蓮華一朶を生ず、棺を開きてみれば其根口中より生ふ。人偈を為(つく)りて云、一の飛禽八八児有り。

解隨僧口念彌陀 死埋平地 蓮華發我輩爲人豈不知。

僧に随ひ口に弥陀を念ずることを解す。死して平地に埋むに蓮華発く、我が輩人の為にして豈(あに)知らんやと。

蓋阿彌陀佛有誓願 云衆生念我名號者必生我國。

けだし阿弥陀仏に誓願有りて衆生我名号を念ずる者は必ず我国に生ずと云へり。

凡言衆生者 上自天人下至微細蟲蟻之類皆是 以此觀之則此八八兒必生極樂世界 爲上善人矣人而不知人而不修可痛惜哉割注文割注

おほよそ衆生と言ふは、上 天人より下 微細虫蟻の類に至るまで皆これなり。これをもってこれを観れば則ちこれ八八児必ず極楽世界に生じて上善の人とならん。人として知らず人として修せずんば痛惜すべきかな。[6]{文}

第六十六 第十九願

問 第十九願何願乎

問う、第十九の願は何の願ぞや。

答 來迎願也。

答う、来迎の願なり。

難云 十方淨土往生説未説來迎故 極樂如餘土無來迎 淨土業成 自往生 是以十方隨願往生經見 自業所作善根力以 十方淨土生説如何。

難じて云く。十方の浄土には往生を説けども来迎を説かず。ゆえに極楽も余土のごとく来迎無くとも、浄土の業成ぜば自ら往生しなん。これをもって『十方隨願往生経』を見るに自業の所作の善根力をもって十方の浄土に生ずと説けり、いかに。

答 既法藏菩薩撰擇願也 來迎願有ヨカルベキカ故 選取願之也。 來迎土選取也。

答う。すでに法蔵菩薩選択の願なり。来迎の願ありてよかるべきがゆえに、選択してこれを願じたまわん。来迎ある土を選択したまへり。

又有人云 修諸功德云 是諸行往生本願ニテコソアレ。

またある人の云く、修諸功德と云へるは、これ諸行往生の本願にてこそあれ。

答 是ワロシ。

答ふ、これわろし。

是諸行往生願取 來迎願何處アルソヤ 故上念佛往生願也。

これを諸行往生の願に取らば、来迎の願はいずれのところにあるぞや。ゆえに上は念仏往生の願なり。

此衆生往生時 我迎往云迎接願也。

これは衆生の往生せん時、我れ迎ひに往かんと云ふ迎接を願じたまふなり。

修諸功德云佛本願給非 修諸功德者往生來迎セント云 願來迎コソ願立給。

修諸功德と云を本願とし給うには非ず。修諸功德の者の往生するを来迎せんと云う願なれば来迎こそ願とは立て給へり。[7]

第六十七 第二十願

問 第二十願何願也可云乎。

問う、第二十願は何の願なりと云うべきや。

答 係念定生願也。

答う、係念定生の願なり。

難云 極樂淨土是願行具足生土也 而係念云者當唯願既無行 何云定生乎

難じて云う。極楽浄土は、これ願行具足して生ずる土なり。しかるに係念と云うは唯願に当たれり、すでに行無し、何ぞ定生と云うや。

答 係念定生云名目以知 順次往生非其時節長短難知{此ヲ法地房ノ宣シハ魚ノ鈎ヲ呑タルカ暫ク引テアルクカ終ニハヒキアケラルルカ如シ我レニ念ヲカケタラン衆生ヲ終ニハ極樂ヘ生セシメント云フ願ヲ起シ給ヘル也 是レハ下種結縁也ト}{云云}

答う。係念定生と云う名目をもって知んぬ。順次往生には非ず、その時節の長短は知り難きなり。{これを法地房のいいしは、魚の鈎を呑たるか暫く引てあるくが、終にはひきあげらるるが如し。我れに念をかけたらん衆生を終には極楽へ生ぜしめんと云ふ願を起し給へる也。これは下種結縁[8]也と云々}

  1. 双巻経(そうかんぎょう)。無量寿経のこと。二巻になっているので『双巻経』と略称する。
  2. 第十八願に限って往生の願であるとし、第十九願は第十八願の者の来迎の利益を誓った願であるとする。
  3. 第十八願の乃至十念を第十七願の諸仏称名によって証明しようとする萌芽。『三部経大意」には「名号をもて因として、衆生を引摂せむがために、念仏往生の願をたてたまへり。第十八願の願これなり。その名を往生の因としたまへることを、一切衆生にあまねくきかしめむがために諸仏称揚の願をたてたまへり、第十七の願これなり」とある。
  4. 法本房。法本房行空のこと。歎異抄の流罪記録に行空法本房とある。強烈な一念義を説き、称名の一念より信の一念を重視し説いたので多念義の鎮西派弁長らからは嫌われた。
  5. 鳥獣などが往生したという例はあるのかと問うている。
  6. 鳥でさえなんまんだぶを称え往生したのに、人として生まれて称名を知らないのは痛惜すべきことである。
  7. 御開山までは臨終来迎は浄土願生者の素朴で切実な願いであったので、第十九願を念仏者の利益を示す「来迎の願」としたのであろう。また願の体は一であるので、願文の「修諸功徳」の諸行往生の本願ではないとする。つまり第十九願は念仏者の利益をあらわしている願とみているのである。
  8. 下種結縁(げしゅ-けちえん)。下種とは種を下すこと。信の種を人々に植えつけること。仏法にはじめて結縁する段階をいう語。