相馬一意勧学の回答
提供: 本願力
安芸教区宗会議員の渡邉幸司議員より、相馬一意勧学寮員へ以下3点の質問状に対して、相馬勧学寮員の回答を両者の了解を得て公開します。尚、相馬一意勧学寮員は、「新しい領解文」に寮員のひとりとして同意したことの責任を感じ、2月28日、勧学寮辞表を提出しました。
目次
安芸教区宗会議員 渡邊 幸司師への回答
1.「新しい領解文」を勧学寮が認めた理由
a. 宗学上の問題三点だけに絞って、承認できない旨を答える段階になって、徳永前寮頭と葛谷室長の会見があり、前寮頭の一存で「承認するのもやむを得ない」と、認めてしまったためである。
b. 12月16日の会議の冒頭で、徳永寮頭と葛谷室長の二人だけの会談の録音を聞いた。その内容は、前寮頭が「解説文をつけるということで、認めた」というように聞こえた。また、徳永前寮頭からは「無条件の承認ではなく、解説文をつけることを条件に承認した」と経緯の説明があった。そして、そのことがすでにご門主に報告され、事務が進められているという雰囲気であった。この状況下では、寮員が反対して寮頭の承認を白紙に戻すことは難しいだろうという判断になり、条件であるとされた「解説文」という枠をはめることで宗義からの逸脱を止め得るかと考えてやむなく他の寮員は前寮頭の承認を追認することとなった。
c.よって、勧学寮員全員は、「新しい領解文」について勧学寮の示す解説文にしたがって理解されなければならない、という意味で了承したと受け止めている。言い換えれば。勧学寮の解説文以外の恣意的な解釈は排除されなければならない、と理解している。
2. 勧学寮が了としたときの経緯
a. まずは、寮員会議を開催して検討し、問題点十四箇所ほどを指摘して「不承認」を決議した。2022年12月13日のことだと思う。
b.それが、事情で、三点の教学上の問題点だけを示して、「不承認」ということになった。「領解文」という言葉の使用等々も問題にはされたが、勧学寮への諮問には教義上の事柄に絞って答えるべきという意見が出てきたため。
c. この宗義上の問題箇所三点を指摘したとき、葛谷室長が勧学寮に来られて、前寮頭との一対一の会見が為された。(不鮮明ながら録音あり) そこで、前寮頭は室長の要求を入れて、「承認もやむなし」の言質をあたえてしまった。これが勧学寮の承認の第一歩である。ということで、前寮頭の単独での承認がまずあった。
d. 前寮頭の単独での承認が葛谷室長との対談において先行してあった。徳永寮頭からは、「その承認は解説文をつけることが条件である」という説明があり、他の寮員は「解説文」によって宗義からの逸脱が防げるかと判断して、前寮頭の承認を追認することになったのである。この追認は12月16日の寮員会議であった。
e. こうして勧学寮は、『新報』2月1日号に発表された「解説文」をまとめることになったのである。
f. 勧学寮は、寮頭の名の下に承認の旨を総局に回答し、以後は、解説文の作成に尽力することになった。「解説文」の草案作成者を決めたのもこの時であろうと思う。しかし、寮員の同意の捺印については、したはずであるがその期日をはっきりとは記憶していない。
3. 「新しい領解文」の教学的な問題について
a. 最大の問題点は、「私の煩悩と仏のさとりは本来一つ」である。 出拠が明確に得られない。(満井氏の学習会での説明は、すべて当たらない) 法性・真如の段階では言えるかもしれないが、方便法身・報身の阿弥陀如来のはたらくこの娑婆世界に於いては、煩悩とさとりは別物であり、だからこそ私たちは「罪悪深重の凡夫」といわれるのである。
b. 「少しずつ執われの心を離れます」 これは、真宗の人間観から外れている。少しずつ向上して煩悩の人間がそうでなくなってゆく、という見解は、真宗ではとらない。それでなければ、『観経』におけるような機の真実は説かれないし、「他力回向」の弘願が意味をもたなくなる。
c. 「日々に精一杯つとめます」 これは、何に日々つとめるというのか。「解説文」では、あえて「聞法につとめる」こととしているが、そうでなくては「往生浄土」にとって意味をなしえない。単なる道徳生活の勧めに堕してしまうであろう。
d.「新しい領解文」では、浄土往生がいつ得られるのか示されていない。よって、「解説文」では、あえて、「私の命が終わったその時に」とか「今生が終わった後」と限定している。かようにこの「新しい領解文」には教学的に危うい表現が目立つ。 そして何よりも、宗祖聖人がご本典に「本願と名号」と述べられている「本願」が表出されていない。これでは、「浄土真宗のみ教え」としては不十分であろう。
e. (以下省略)
【参考文献】
法性すなはち法身なり。法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。(唯信鈔文意註p.709)
この一如宝海よりかたちをあらはして、法蔵菩薩となのりたまひて、無礙のちかひをおこしたまふをたねとして、阿弥陀仏となりたまふがゆゑに、報身如来と申すなり。これを尽十方無礙光仏となづけたてまつれるなり。この如来を、南無不可思議光仏とも申すなり。この如来を、方便法身とは申すなり。(同上註p.690)
「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと、 水火二河のたとへにあらはれたり。(一多文意註p.693)