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真宗高田派で伝時されてきた、親鸞聖人筆(国宝)の法語集。親鸞聖人が師匠である法然聖人の法語・消息・行状記などを、収集した書物。奥書より康元元(1256)年~康元二(1257)年頃(84~85歳)書写されたものと思われる。テキストは、ネット上の「大藏經テキストデータベース」を利用し、『真宗聖教全書』に依ってページ番号を付した。これによってページ単位でもリンクも可能である。
読む利便を考えカタカナをひらがなに、旧字体を新字体に変換した。また、適宜改行を付した。各サブタイトルは『昭和新修 法然聖人全集』などを参考に適宜、私に於いて付した。
なお、いかなる場合においても、本データベースの利用、及び掲載文章等を原因とすることによって生じたトラブルについて、当サイトは一切その責を負いません。

西方指南抄 中本

建久九年正月一日記

『 三昧発得記 』ともいわれる法然聖人の伝記。いわゆる『醍醐本』には、「又上人在生之時、発得口称三昧常見浄土依正、以自筆之、勢至(観?)房伝之。」(また上人在生の時、口称三昧を発得し常に浄土依正を見たてまつる。以て自らこれを筆す、勢至房これを伝う。)とあり、末尾には「此三昧発得之記、年来之間、勢観房秘蔵不披露。於没後不面伝得之書畢。」(この三昧発得の記は年来の間、勢観房秘蔵して披露せず。没後においてはからずもこれを伝え聞いて書きおわんぬ。)とあり、『一枚起請文』と同じように勢観房源智上人が伝持されたものであろう。

聖人御在生之時記註之 外見におよはされ秘蔵すへしと。
  御生年六十有丑年也。
建久九年正月一日記。

一日桜梅の法橋教慶のもとより、かへりたまひてのち、未申の時はかり、恒例正月七日念仏始行せしめたまふ。一日明相少しこれを現したまふ。自然にあきらかなりと 云云
二日水想観自然にこれを成就したまふ。 云云
惣じて念仏七箇日の内に、地想観の中に、瑠璃の相少分これをみたまふと。二月四日の朝(あした)、瑠璃地分明に現したまふと云。
六日後夜に、瑠璃宮殿の相、これを現すと云。七日朝に、またかさねてこれを現す。すなはちこれ宮殿をもて、その相影現したまふ。総して水想・地想・宝樹・宝池・宝殿の五の観、始正月一日より、二月七日にいたるまて、三十七箇日のあひた、毎日七万念仏。不退にこれをつとめたまふ。 これによりて、これらの相を現すとのたまへり。

始二月二十五日より、あかきところにして目をひらく、眼根より赤袋瑠璃の壺出生す、これをみる。そのまへにして、目を閉てこれをみる。目を開けへすなはち失すと云り。

二月二十八日、病によて念仏これを退す。一万返あるいは二万、右眼にそののち光明あり、はなはだなり。また光あり。はしあかし。また眼に琉璃あり、その形瑠璃の壺のことし。琉璃に赤花あり、宝形のことし。また日入てのち、いててみれは、四方みな方ことに、赤く青き宝樹あり。その高さだまりなし。高下こころにしたかふて、あるいは四五丈、あるいは二三十丈と云。

八月一日、本のことく六万返これをはじむ。九月二十二日朝、地想分明に現す。周囲七八段はかり、そののち、二十三日の後夜、ならひに朝に、また分明にこれを現すと。 云云

正治二年二月のころ、地想等の五の観、行住座臥こころにしたかふて、任運にこれを現すと。 云云

建仁元年二月八日の後夜に、鳥のこゑをきく、またことのおとをきく、ふゑのおとをきく。そののち、日にしたかふて、自在にこれをきく。しやうのおとら、これをきく。さまさまのおと、正月五日三度。勢至菩薩の御うしろに、丈六はかりの勢至の御面像現せり。これをもてこれを推する、西の持仏堂にて、勢至菩薩の形像より、丈六の面を出現せり。これすなわちこれを推するに、この菩薩すてにもて念仏法門の所証のためのゆへに、いま念仏者のために、そのかたちを示現したまへり。これをうたかふへからす。同六日、はしめて座処より四方一段はかり、青瑠璃の地なりと。 云云
今においては、経釈によて往生うたかひなしと。地観の文にこころうるに、うたかひなしといへるかゆへにといへり。これをおもふへし。

建仁二年十二月二十八日、高畠の少将きたれり。持仏堂にしてこれに謁す。そのあした、例のことく念仏を修したまふ。阿弥陀仏をみまいらせてのち、障子よりすきとほりて、仏の面像を現したまふ。大け丈六のことし。仏面すなわちまた隠れたまひ了ぬ。二十八日午時の事也。

元久三年正月四日、念仏のあひた、三尊大身を現したまふ。また五日、三尊大身を現したまふ。

聖人のみつからの御記文なり。

法然聖人御夢想記

法然聖人が、はるかに時間と空間を隔て善導大師との宗教的交感を遂げた時の夢告である。偏依善導と偏に善導一師に依るとされた法然聖人と善導大師の二人の間で交わされたものである。『醍醐本』によれば、他者に教えを説く事を躊躇されておられたが、この夢告以後、「この法を弘むに年年繁昌して、流布せざるの境、無きなり。」とある。

法然聖人御夢想記 善導御事

或夜夢みらく、一の大山あり、その峯きわめて高し。南北なかくとおし、西方にむかへり。山の根に大河あり、傍の山より出たり、北に流たり。南の河原眇眇として、その辺際をしらす。林樹滋滋(しげしげ)として、そのかきりをしらす。ここに源空たちまちに山腹に登て、はるかに西方をみれは、地より巳上五十尺はかり上に昇て、空中にひとむらの紫雲あり。以爲(おもえらく)、何所に往生人のあるぞ哉。ここに紫雲とひきたりて、わかところ、にいたる。希有のおもひをなすところに、すなはち紫雲の中より、孔雀・鸚鵡等の衆鳥とびいてて、河原に遊戯す。沙をほり浜に戯る。これらの鳥をみれは、凡鳥にあらす。身より光をはなちて、照曜きはまりなし。
そののちとび昇て、本のことく紫雲の中に入了(いりおわりぬ)。ここにこの紫雲、このところに住せす。このところをすぎて、北にむかふて、山河にかくれ了(おわりぬ)。また以爲、山の東に往生人のあるに哉。かくのことく思惟するあひた、須臾にかへりきたりて、わかまへに住す。
この紫雲の中より、くろくそめたる衣著たる僧一人、とびくだりて、わかたちたるところの下に住立す、われすなはち、恭敬のためにあゆみおりて、僧の足のしもにたちたり。この僧を瞻仰すれは、身上半は肉身、すなはち僧形也。身よりしも半は金色なり、仏身のことく也。ここに源空合掌低頭して、問てまふさく、これ誰人の来りたまふそ哉と。答て曰、われはこれ善導也と。また問てまふさく、なにのゆへに来たまふそ哉。また答曰、余不肖なりといゑとも、よく専修念仏のことを言(まふす)、はなはたもて貴(とうとし)とす。ためのゆへにもて来(きたれる)也。また問て言く、専修念仏の人、みなもて爲往生哉と。いまたその答をうけたまはらさるあひたに、忽然として夢覚了。

十七条御法語

十八条法語
『選択本願念仏集』に、念・声は是一なりと「念声是一」を主張され口称の念仏を重視された法然聖人だが、この法語には、「往生の業成は、念をもて本とす。名号を称するは、念を成ぜむかため也。もし声をはなるるとき、念すなわち懈怠するがゆへに、常恒に称唱すれば、すなはち念相続す。心念の業、生をひくがゆへ也。」と、心念(信心)に注目されておられるのは興味深い。なお、『十七条御法語』と呼ばれているが実際は十八条ある。なお漢文で書かれた三種心釈以下は『和語灯録』三心義と同趣旨である。和語と漢語の部分は、本来別々の法語ではなかったかという見方もある。

或人念仏之不審を、故聖人に奉問曰、第二十の願は、大綱[1]の願なり。係念といふは、三生の内にかならず果遂すべし[2]仮令通計[3]するに、百年の内に往生すべき也。[4] 云云

これ九品往生の義意釈[5]なり。極大遅者[6]をもて、三生に出(いで)ざる[7]こころ、かくのごとく釈せり。又『阿弥陀経』の已発願等は、これ三生之証也と。[8]

又云、『阿弥陀経』等は、浄土門の出世の本懐なり。『法華経』者、聖道門の出世の本懐なり。云云  望(のぞむ)ところはことなり、疑に足ざる者也。[9]

又云、我、安置するところの一切経律論は、これ『観経』所摂の法也。[10]

又云、地蔵等の諸菩薩を蔑如[11]すべからず。往生以後、伴侶たるべきがゆへなりと。[12]

又云、近代の行人、観法をもちゐるにあたはず[13]。もし仏像等を観ぜむは、運慶康慶が所造にすぎじ。もし宝樹等を観ぜば、桜梅桃李[14]之花菓等にすぎじ。しかるに「彼仏今現在成仏」[15]等の釈を信じて、一向に名号を称すべき也と云。ただ名号をとなふるに、三心おのづから具足する也と云り。

又云、念仏はやうなきをもてなり。名号をとなふるほか、一切やうなき事也と云り。[16]

又云、諸経の中にとくところの極楽の荘厳等は、みなこれ四十八願成就の文也。念仏を勧進するところは、第十八の願成就の文なり。『観経』の三心、『小経』の一心不乱、『大経』の願成就の文の信心歓喜と、同(おなじき)流通の歓喜踊躍と、みなこれ至心信楽之心也と云り。これらの心をもて、念仏の三心を釈したまへる也と。[17] 云云

又云、『玄義』に云く、「釈迦の要門は定散二善なり。定者(は)息慮凝心なり、散者(は)廃悪修善なりと。弘願者如大経説、一切善悪凡夫得生[18]」といへり。予(よが)ごときは、さきの要門にたえず、よてひとへに弘願を憑也と云り。[19]

又云、導和尚、深心を釈せむがために、余の二心を釈したまふ也。経の文の三心をみるに、一切行なし、深心の釈にいたりて、はじめて念仏行をあかすところ也。[20]

又云、往生の業成就、臨終・平生にわたるべし。本願の文に別にゑらばざるがゆへにと云り。恵心のこころ平生の見にわたる也と云り。[21]

又云、往生の業成は、念をもて本とす。名号を称するは、念を成ぜむかため也。もし声をはなるるとき、念すなわち懈怠するがゆへに、常恒に称唱すれば、すなはち念相続す。心念の業、生をひくがゆへ也。[22]

又云、称名の行者(は)常途念仏のとき、不浄をはばかるべからず、相続を要とするがゆへに。如意輪の法は、不浄をはばからず、弥陀・観音一体不二也。これをおもふに、善導の別時の行には、清浄潔斎をもちゐる尋常の行、これにことなるべき歟。恵心の不論時処諸縁之釈(*)、永観の不論身浄不浄之釈[23]、さだめて存するところある歟と云。

又云、善導は第十八の願、一向に仏号を称念して往生すと云り。恵心のこころ、観念・称念等みな、これを摂すと云り。もし『要集』のこころによらば、行者においては、この名をあやまてらむ歟と。

又云、第十九の願は、諸行之人を引入して、念仏之願に帰せしめむと也。[24]

又云、真実心といふは、行者願往生の心なり。矯飾[25]なく表裏なき相応の心也。雑毒虚仮等は、名聞利養の心也。『大品経』云、「捨利養名聞」 『大論』述此文之下に云、「当業(棄)捨雑毒者、一声一念猶具之、無実心之相也。翻内矯外者。仮令外相不法。内心真実願往生者。可遂往生也」[26] 云云
深心といふは、疑慮なき心也。利他真実者、得生之後利他門之相也。よてくはしく釈せずと、

{▼以下の漢文と同意の文が和語で『和語灯録』「三心義」にある。→和語灯録#三心義

『観無量寿経』に、「若有衆生願生彼国者。発三種心即便往生。何等爲三。一者至誠心。二者深心。三者迴向発願心。具三心者必生彼国」[27]といへり。
『往生礼讃』{意}に、釈三心畢云。「具此三心必得往生也。若少一心即不得生。」然則尤可具三心也。[28]

一至誠心者。真実心也。身行礼拝。口唱名号。意想相好。皆用実心。総而言之。厭離穢土。忻求浄土。修諸行業。皆以真実心可勤修之。
外現賢善精進之相。内懐愚悪懈怠之心。所修行業日夜十二時無間行之不得往生。外顕愚悪懈怠之形。内住賢善精進之念修行之者。雖一時一念其行不虚必得往生。是名至誠心。[29]

二深心者。深信之心也。付之有二。一者信我是罪悪不善之身。無始已来輪回六道無往生縁。二信雖罪人以仏願力爲れは強縁得往生。無疑無慮。
付此亦有二。一就人立信。二就行立信。就人立信者。出離生死道雖多。大分有二。一聖道門。二浄土門。
聖道門者。於此娑婆世界。断煩悩証菩提道也。浄土門者。厭此娑婆世界。忻極楽修善根門也。雖有二門。閣聖道門帰浄土門。然若有人。多引経論。罪悪凡夫不得往生。雖聞此語。不生退心弥増信心。[30]

所以者何。罪障凡夫往生浄土。釈尊誠言。非凡夫妄説。我已信仏言深忻求浄土。設諸仏菩薩来。罪障凡夫言不生浄土。不可信之。
何以故。菩薩仏弟子。若実是菩薩者。不可乖仏説。然已違仏説言不得往生。知非真菩薩。是故不可信。 仏是同体大悲。実是仏者。不可違釈迦説。[31]

然則阿弥陀経説。一日七日念阿弥陀仏名号必得往生者。六方恒沙諸仏同釈迦仏。不虚証誠之。
然今背釈迦説云不得往生。故知非真仏。是天魔変化。以是義故不 可依信。仏菩薩説尚以不可信。何況余説哉。汝等所執雖大小異。同期仏果。穢土修行聖道意。我等所修正雑不同。共忻極楽。往生行業浄土門意。聖道者是汝有縁行。浄土門者我有縁行。不可以此難彼。不可以彼難此。如是信。是名就人立信。[32]

次就行立信者。往生極楽行雖区。不出二種。一者正行。二者雑行。正行者於阿弥陀仏之親行也。雑行者於阿弥陀仏之疎行也。 先正行者。付之有五。
一謂読誦。謂読三部経也。
二謂観極楽依正也。
三礼拝。謂礼弥陀仏也。
四称名。謂称弥陀名号也。
五讃嘆供養。謂讃嘆供養阿弥陀仏也。
以此五合爲二。[33]

一者一心専念弥陀名号。行住座臥不問時節久近。念念不捨者。是名正定之業。順彼仏願故。二者先五中除称名已外礼拝読誦等。皆名助業。次雑行者。除先五種正助二行已外諸読誦大乗・発菩提心・持戒・勧進行等一切行也。付此正雑二行有五種得失。
一親疎対。謂正行親阿弥陀仏。雑行疎阿弥陀仏。
二近遠対。謂正行近阿弥陀仏。雑行遠阿弥陀仏。
三有間無間対。謂正行係念無間。雑行係念間断。
四廻向不廻向対。謂正行不用廻向自爲往生業。雑行不廻向時不爲往生業。
五純雑対。謂正行純往生極楽業也。雑行不爾。通十方浄土乃至人天業也。
如此信者。名就行立信。是名深心。[34]

三廻向発願心者。過去及今生身口意業所修一切善根。以真実心廻向極楽忻求往生也。」[35]

又云、善導与恵心相違義事。
善導は色相等の観法おば観仏三昧と云へり。称名念仏おば念仏三昧と云へり。恵心は称名・観法合して念仏三昧と云へり。[36]

又云、余宗の人、浄土門にその志あらむには、先づ『往生要集』をもて。これをおしふべし。
そのゆへは、この書は、ものにこころえて、難なきやうに、その面(おもて)をみえて、初心の人のためによき也。雖然、真実の底の本意は、称名念仏をもて、専修専念を勧進したまへり。善導と一同也。

又云、余宗の人、浄土宗にそのこころざしあらむものは、かならず本宗の意を棄べき也。そのゆへは、聖道・浄土の宗義各別なるゆへ也とのたまへり。

法然聖人臨終行儀

法然聖人の臨終についての法語。源信僧都の説かれた臨終行儀では、正念であるから来迎があるとしたり、臨終の善知識が重視されたり、平生の念仏よりも臨終の念仏が重視されたことなどと比べると、すべての人に実践が可能な行儀であろうと思われる。

法然聖人臨終行儀

建暦元年十一月十七日、藤中納言光親卿の奉にて、院宣によりて、十一月二十日戌の時に、聖人宮へかへり入たまひて、東山大谷といふところにすみ侍に、同二年正月二日より、老病の上に、ひころの不食、おほかたこの二三年のほとおいほれて、よろつものわすれなとやられけるほとに、ことしよりは、耳もきき、こころもあきらかにして、としころならひおきたまひけるところの法文を、時時おまひいたして、弟子ともにむかひて談義したまひけり。

またこの十余年は、耳おほろにして、ささやき事おは、ききたまはす侍りけるも、ことしよりは、昔のやうにききたまひて、例の人のことし。世間の事はわすれたまひけれとも、つねは往生の事をかたりて、念仏をしたまふ。またあるいは高声にとなふること一時、あるいはまた夜のほと、おのつからねふりたまひけるも、舌口はうこきて、仏の御名をとなえたまふこと、小声聞へ侍りけり。ある時は舌口はかりうこきて、その声はきこえぬことも、つねに侍りけり。

されは口はかりうこきたまひけることおは、よの人みなしりて、念仏を耳にききける人、ことことく。きとくのおもひをなし侍りけり。また同正月三日戌の時はかりに、聖人看病の弟子ともにつけてのたまはく、われはもと天竺にありて、声聞僧にましわりて、頭陀を行せしみの、この日本にきたりて、天台宗に入て、またこの念仏の法門にあえりと、のたまひけり。

その時看病の人の中に、ひとりの僧ありて、とひたてまつりて申すやう、極楽へは往生したまふへしやと申けれは、答てのたまはく。われはもと極楽にありしみなれは、さこそはあらむすらめと、のたまひけり。

又同正月十一日辰時はかりに、聖人おきゐて、合掌して高声念仏したまひけるを、聞人みななみたをなかして、これは臨終の時かと、あやしみけるに、聖人看病の人につけてのたまはく。高声に念仏すへしと侍りけれは、人人同音に高声念仏しけるに、そのあひた、聖人ひとり唱てのたまはく。阿弥陀仏を恭敬供養したてまつり、名号をとなえむもの、ひとりもむなしき事なしと、のたまひて、さまさまに阿弥陀仏の功徳を、ほめたてまつりたまひけるを、人人高声をととめてきき侍りけるに、なほその中に、一人たかくとなへけれは、聖人いましめてのたまふやう、しはらく高声をととむへし。かやうのことは、時おりにしたかふへきなりと、のたまひて、うるわしくゐて合掌して、阿弥陀仏のおはしますそ、この仏を供養したてまつれ。たたいまはおほえす、供養の文やある、えさせよと、たひたひのたまひけり。
またある時、弟子ともにかたりてのたまはく。観音勢至菩薩聖衆まへに現したまふおは、なむたちおかみたてまつるやと、のたまふに、弟子等えみたてまつらすと申けり。またそののち、臨終のれうにて、三尺の弥陀の像をすえたてまつりて、弟子等申やう、この御仏をおかみまいらせたまふへしと申侍りけれは、聖人のたまはく。この仏のほかに、また仏おはしますかとて、ゆひをもて、むなしきところをさしたまひけり。按内をしらぬ人は、この事をこころえす侍り。しかるあひた、いささか由緒をしるし侍るなり。

凡そこの十余年より、念仏の功つもりて、極楽のありさまをみたてまつり。仏菩薩の御すかたを、つねにみまいらせたまひけり。しかりといえとも、御意はかりにしりて、人にかたりたまはす侍るあひた、いきたまへるほとは、よの人ゆめゆめしり侍す。おほかた真身の仏をみたてまつりたまひけること、つねにそ侍りける。また御弟子とも、臨終のれうの仏の御手に、五色のいとをかけて、このよしを申侍りけれは、聖人これはおほやうのことのいはれそ、かならすしもさるへからすとそ、のたまひける。

又同二十日巳時に、大谷房の上にあたりて、あやしき雲、西東へなおくたなひきて侍る中に、なかさ五六丈はかりして、その中にまろなるかたちありけり。そのいろ五色にして、まことにいろあさやかにして、光ありけり。たとへは、絵像の仏の円光のことくに侍りけり。みちをすきゆく人人、あまたところにてみ、あやしみておかみ侍りけり。

又同日午時はかりに、ある御弟子申ていふやう。この上に紫雲たなひけり、聖人の往生の時ちかつかせたまひて侍るかと申かけれは、聖人のたまはく。あはれなる事かなと、たひたひのたまひて、これは一切衆生のためになとしめして、すなわち誦してのたまはく。光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨と、三返となへたまひけり。またそのひつしの時はかりに、聖人ことに眼をひらきて、しはらくそらをみあけて、すこしもめをましろかす。西方へみおくりたまふこと、五六度したまひけり。ものをみおくるにそにたりける。人みなあやしみて、たた事にはあらす。これ証相の現して、聖衆のきたりたまふかと、あやしみけれとも、よの人は、なにともこころえす侍りけり。おほよそ聖人は、老病日かさなりて、ものをくはすして、ひさしうなりたまひけるあひた、いろかたちもおとろえて、よはくなりたまふかゆへに、めをほそめて、ひろくみたまはぬに、たたいま、ややひさしくあおきて、あなかちにひらきみたまふことこそ、あやしきことなりといひてのち、ほとなくかほのいろも、にわかに変して、死相たちまちに現したまふ時、御弟子とも、これは臨終かとうたかひて、おとろきさわくほとに、れいのことくなりたまひぬ。あやしくも、けふ紫雲の瑞相ありつる上に、かたかたかやうのことともあるよと、御弟子たち申侍、けり

又同二十三日にも、紫雲たなひて侍るよし。
ほのかにきこえけるに、同二十五日むまの時に、また紫雲おほきにたなひきて、西の山の水の尾のみねに、みえわたりけるを、樵夫とも十余人はかりみたりけるか。その中に一人まいりて、このよしくわしく申けれは、かのまさしき臨終の午の時にそあたりける、またうつまさにまいりて、下向しけるあまも、この紫雲おはおかみて、いそきまいりて、つけ申侍りける。すへて聖人念仏のつとめおこたらすおはしける上に、正月二十三日より二十五日にいたるまて、三箇日のあひた、ことにつねよりも、つよく高声の念仏を申たまひける事、或は一時、或は半時はかりなとしたまひけるあひた、人みなおとろきさわき侍る。かやうにて二三度になりけり。またおなしれき二十四日の酉の時より、二十五日巳時まて、聖人高声の念仏をひまなく申たまひけれは、弟子とも番番にかわりて、一時に五六人はかり、こゑをたすけ申けり。すてに午時にいたりて、念仏したまひけるこゑ、すこしひきくなりにけり。さりなから、時時また高声の念仏ましわりて、きこえ待けり。これをききて、房のにわのまへに、あつまりきたりたる結縁のともから、かすをしらす。聖人ひころつたへもちたまひたりける、慈覚大師の九条の御袈裟をかけて、まくらをきたにし、おもてを西にして、ふしなから仏号をとなへて、ねふるかことくして、正月二十五日午時のなからはかりに、往生したまひけり。そののち、よろつの人人きおいあつまりて、おかみ申ことかきりなし。

諸人霊夢記

一。聖人の御事。あまた人人。夢みたてまつりける事

中宮の大進兼高と申す人。ゆめにみたてまつるやう。或人もてのほかにおほきなるさうしをみるを。いかなるふみそと。たちよりてみれは。よろつの人の臨終をしるせる文なり。聖人の事やあるとみるに。おくに入りて。光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨とかきて。この聖人はこの文を誦して往生すへきなりと。しるせりとみて。ゆめさめぬ。この事。聖人も御弟子ともも。しらすしてすくすところに。この聖人さまさまの不思議を現したまふとき。やまひにしつみて。よろつ前後もしらすといゑとも。聖人この文を三遍誦したまひけり。かの人のむかしのゆめにおもひあわするに。これ不思議といふへし。かの人ふみをもちて。かのゆめの事をつけ申たりけるを。御弟子とも。のちにひらきみ侍こり。件の文ことなかきゆへに。これにはかきいれす

一。四条京極にすみ侍ける。薄師字太郎まさいゑと申すもの。ことしの正月十五日の夜。ゆめにみるやう東山大谷の聖人の御房の御堂の上より。むらさき雲たちのほりて侍り。ある人のいふやう。あのくもおかみたまへ。これは往生の人のくもなりといふに。よろつの人人あつまりておかむとおもひて。ゆめさめぬ。あくる日そらはれて。みのときはかりに。かの堂の上にあたりて。そらの中に五色のくもあり。よろつの人人。ところところにして。これをみけり

一。三条小川に。陪従信賢か後家の尼のもとに。おさなき女子あり。まことに信心ありて。念仏を申侍けり。同二十四日の夜。ことにこころをすまして。高声に念仏しけるに。乗願房と申すひしり。あからさまにたちやとりて。これをききけり。夜あけて。かの小女。けの乗願房にかたりていはく。法然聖人は。けえ二十五日に。かならす往生したまふへきなりと申けれは。この人申さく。なに事にてかやうには。しりたまへるそと。たつぬるに。この小女申やう。こよひのゆめに。聖人の御もとにまいりて侍りつれは。聖人のおほせられつるやう。われはあす往生すへきなり。もしこよひ。なむちきたらさらましかは。われをはみさらまし。よくきたれりと。のたまひつるなりと申けり。
しかるに。わかみにとりては。いささかいたみおもふ事侍り。そのゆへは。われいかにしてか。往生し侍るへきと。とひたてまつりしかは。聖人おしへたまふ事ありき。わかみにとりて。たえかたく。かないかたき事ともありき。そのゆへは。まつ出家して。なかく世間の事をすてて。しつかなるところにて。一向に後世のつとめを。いたすへきよしなりと侍りき。しかるに。けふのむまの時に。聖人往生したまふへき事。このゆめにすてにかなへりと申侍りけり

一。白川に准后の宮の御辺に侍りける。三河と申す女房の。ゆめにみるやう。同二十四日の夜。聖人の御もとにまいりておかみけれは。四壁に錦の帳をひけり。色さまさまにあさやかにして。ひかりある上に。けふりたちみてり。よくよくこれをみれは。けふりにはあらす。紫雲といふなるものは。これをいふか。いまたみさるものをみつるかなとおもひて。不思議のおもひをなすところに。聖人往生したまへるかとおほえて。ゆめさめぬ。夜あけてあしたに。僧順西といふものに。この事ともをかたりてのち。けふのむまの時に。聖人往生したまひぬとききけり

一。かまくらのものにて。来阿弥陀仏と申すあまの。信心ことにふかくて。仁和寺にすみける。
同二十四日の夜。ゆめにみるやう。よにたうときひしりきたれり。そのかたち。えさうの善導の御すかたににたりけり。それを善導かとおもふほとに。つけてのたまふやう。法然聖人は。あす往生したまふへし。はやくゆきておかみたてまつれと。のたまふとみて。ゆめさめぬ。かのあま。やかておきゐて。あか月くゐものなといとなみて。わりこといふものもたせて。いそきいそきいてたちて。聖人の御もとへまいるところに。下人ともおのおの申すやう。けうはさしたる大事侍り。これをうちすてて。いつかたへありきたもふそ。はやくけうはとまりたまふへしと。いひけれとも。かかるゆめをみつれは。かの聖人の往生をおかみにまいらむとて。よろつをふりすてていそくなり。
さらにととまるへからすといひて。仁和寺よりほのほのにいてて。東山大谷の房にまいりて。みたてまつれは。けにもその日のむまの時に。往生したまへり。このゆめは。聖人いまた往生のさきに。ききおよへる人人あまた侍りけり。さらにうたかひなきことなり。
返返この事ふしきの事なり。おほよそ二十五日に。聖人の往生をおかみたてまつらむとて。まいりあつまりたる人。さかりなる市のことく侍りけり。その中に。ある人のいふやう。二十三日の夜のゆめにみるやう。聖人きたりて。われは二十五日のむまの時に往生すへきなりと。のたまふとおもひて。ゆめさめぬ。このことのまことをあきらめむとて。まいりたるよし申けり。これならす。あるいはきのふの夜。このつけありといふものもあり。あつまりたる人人の中に。かやうのことともいふ人おほく待り。くわしくしるし申侍らす」

一。東山一切経の谷に。大進と申す僧の弟子に。歳十六なる児の 袈裟 といふゆめに。同二十五日の夜みるやう。西東へすくにとおりたるおほちあり。いさこをちらして。むしろをみちの中にしけり。左右にものみる人とおほしくて。おほくあつまれり。ゆゆしきことのあらむするそとおほえて。それもともにみ侍らむとて。みちのかたわらに。たちよりて侍るほとに。天童二人たまのはたをさして。西へゆきたまへり。そのうしろに。また法服きたる僧とも。千万人あつまりゆきて。左の手に香呂をもち。右の手にはけさのはしをとりて。おなしく西へゆくを。ゆめの中にとふやう。これはいかなる人のおはしますそといふに。ある人こたへていふやう。これは往生の聖人のおはしますなりといふを。またとふやう。聖人とはたれ人そととへは。これはおほたに聖人なりとみて。ゆめさめぬ。この児そのあか月。師の僧にかたり侍りけり。この児聖人の事おもしらす。また往生のよしおもききおよはさりけるに。そらにこのつけありけり

一。建暦二年二月十五日の夜。故惟方の別当入道の孫。ゆめにみるやう。聖人を葬送したてまつるを。おかみけれは。聖人清水の塔の中にいれたてまつるとみて。のちまた二日はかりすきて。ゆめにみるやう。となりの房の人きたりていふやう。聖人の葬送にまいりあはぬことの。ゐこむに候へとも。おなしことなり。はかところへまいりたまへと申に。よろこひて。かのはかところへ。あひ共してまいりぬとおもふほとに。八幡宮とおほしき社の。みとあくるところをみれは。御聖体おはします。その時はかところへまいるに。八幡の御聖体とは。なにおか申すへきといふに。かのとなりの人いふやう。この聖人の御房こそは。御聖体よといふあひた。身の毛いよたちて。あせたりて。ゆめさめぬ。

一。同正月二十五日辰時に。念阿弥陀仏と申すあまの。ゆめうつつともなくてみるやう。はるかにうしとらのかたをみやれは。聖人すみそめのころもをきて。そらにゐたまへり。そのかたはらに。すこしさかりて。しらさうそくして。唐人のことくなる人ゐたり。おほたににあたりて。聖人と俗人と。南にむかひてゐたまへるほとに。俗のいふやう。この聖人は通事にておはすと。いふとおもふほとに。ゆめさめぬ」

一。同二十五日卯時に。念阿弥陀仏。またゆめに。そらはれて西のかたをみれは。しろき光あり。あふきのことくして。すゑひろく。もとせはくして。やうやくおほきになりて。虚空にみてり。光の中にわらたはかりなる紫雲あり。光ある雲とおなしく。東山の大谷のかたにあたりて参したる。人人あまたこれをおかみけり。いかなる光そといふに。ある人のいふやう。法然聖人の往生したまふよと申によりて。おかみたてまつれは。人人の中に。よにかうはしきかなと。いふ人もありとおもふて。これを信仰しておかむとおもへは。ゆめさめぬ」

一。聖人往生したまへる。大谷の坊の東の岸の上に。たいらかなるところあり。その地を。建暦二年十二月のころ。かの地主。聖人にまいらせたりけれは。その地を墓所とさためて。葬送したてまつり侍りけり。その地のきたに。また人の坊あり。それにやとりゐたるあまの。先年のころ。ゆめにみるやう。かのはかところの地を。天童ありて行道したまふとみ侍りけり。また同房主。去年十一月十五日の夜の夢ゆみるやう。この南の地のはかところに。青蓮華おいて開敷せり。そのはな。かせにふかれて。すこしつつ。この房へちりかかるとみて。ゆめさめぬ。またおなし房に。女の侍りけるも。去年の十二月のころ。みるやう。南の地に。いろいろさまさまの蓮華さきひらけてありと。みおはりてのち。ことしの正月十日。かの地を墓所とさためて。穴をほりまうくるとき。この房主はしめておとろきていふやう。ひころのゆめともの。三度まてありしか。たたいまおもひあはするに。あひたるよといひて。ふしきかりけり

一。建暦元年のころ。聖人つのくにの勝尾といふところに。おはしける時。祇陀林寺の一和尚に侍りける。西成坊といふ僧の。ゆめにみるやう。祇陀林寺の東の山にあたりて。金色の光をさしたりけるを。あまた人これをみて。あやしみとひたつねけれは。そはなる人のいふやう。これこそ法然聖人の往生したまふよと。いふとおもふほとに。ゆめさめぬ。其後。聖人勝尾より大谷にうつりゐたまふて。往生したまひぬとききて。この僧。人人に。かかりしゆめをこそみたりしかと申けり
一。華山院の前の右大臣の家の侍に。江内といふもののしたしき女房。三日かあひた。うちつつき三度まて。ゆめにみるやう。まつ正月二十三日の夜のゆめに。西山より東山にいたるまて。五色の雲の一町はかりに。なおくたなひきて侍りけり。大谷の聖人の御房まいりて。おかみたてまつりけれは。すみそめのころもけさをきたまへるか。袈裟のおほは。むすひたれて。如法経のけさのおのやうにて。請用かとおほえて。聖人いてたちたまふとみて。ゆめさめぬ。また同二十四日の夜みるやう。昨日の夜五色の雲。すこしもちらすして。おほいかたのやうに。おほまわりにまわりて。東かしらなるくも。西かしらになりて。とほくたなひけり。聖人も。さきのことくしておはしますとみて。ゆめさめぬ。又同二十五日にみるやう。件の雲。西へおもむきて。聖人七条の袈裟をかけて。臨終の作法のやうにて。かのくもにのりて。とふかことくして。西へゆきたまひぬとみて。ゆめさめぬ。むねさわきておとろきたるに。わかくちもころもも。あたりまても。よにかうはしく侍ける。よのつねの香にもにす。世にめてたくそ侍りける

一。ある人。二月二日の夜のゆめにみるやう。聖人往生したまひてのち。七日にあたりける夜のゆめに。ある僧きたりていふやう。聖人の御房は往生の伝記に入せたまひたるおは。しるやいなやといひ侍りけれは。この人いふやう。たれ人のいかなる伝に入たまへるにかと申侍りけれは。ゆひをもちて。まへなるふみをさして。このふみに入せたまふなりとみて。ゆめさめぬ。そのゆひにてさしつる文をみれは。善導の『観経の疏』なりけり。
これは長楽寺の律師隆寛一昼夜の念仏申ける時のゆめなり」

一。先年のころ。直聖房といふ人。熊野へまいり侍りけるに。聖人いささかの事によりて。さぬきへくたりたまふとききて。下向せむとするほとに。ことにふれて。ははかりのみありて。やまひかちに侍りけれは。この事権現にいのり申侍りけるに。直聖房かゆめにみるやう。なむちいつへからす。臨終のときすてにちかしと侍りけれは。かの僧申すやう。聖人の事の。きわめておほつかなく候なり。はやく下向し候て。子細をうけたまはり候はやと。おもひたまふと申けれは。権現のしめしたまふやう。かの聖人は勢至菩薩の化現なり。なむち不審すへからすと。みおわりてのち。いくほとをへすして。かの僧往生し侍りける事。めをおとろかさすといふ事なし。このありさま。よの人人みなしれり

一。天王寺の松殿法印の御坊 静尊 高雄寺にこもりゐて。ひころ法然聖人といふ人ありとはかりしりて。いまた対面におよはす。しかるに。正月二十五日午時はかりに。ある貴所より阿弥陀経をあつらえて。かかせらるる事ありて。出文机にて書写のあひたに。しはらく脇息によりんかりて休息するほとに。ゆめにみるやう。世間もてのほかに。諸人ののしるおとのするに。おとろきて。えむのはしにたちいてて。そらをみあけたれは。普通ののりくるまのわほとなる。八輻輪の八方のさきことに。雑色の幡をかけたるか。東より西へとひゆくに。金色の光ありて。四方をてらすに。すへて余のものみえすして。金色の光のみ天地にみちみちて。日光弊覆せられたり。
これをあやしみて。人にこれをとふとおほしきに。かたわらの人つけていはく。法然聖人往生の相なりといふ。帰命渇仰のおもひをなすほとに。ゆめさめぬ。そののち。しらかわの御めのとのもとより。同二十七日に。御ふみをおくらるるついてに。おととひ二十五日のむまの時にこそ。法然聖人往生せられて候へと。申されたる時。夢想すてに府合して。いよいよ随喜のおもひをなしおはりぬと云り

一。丹後国しらふの庄に。別所の一和尚僧ありけり。昔天台山の学徒。遁世之後。聖人に帰したてまつりて。弟子になりけるほとに。丹後よりのほりて。京に五条の坊門富の小路なる所に住しけり。
或日ひるねしたるゆめに。空に紫雲そひきたる中に。尼一人ありて。うちゑみて云く。法然聖人御おしえによりて。極楽に往生し候ぬるを。仁和寺に候つると告ける。
そののち夢さめて。聖人の九条におはしましけるに。やかてまいりて。妄想にてや候つらむ。かかるゆめをみて候と申けれは。聖人うちあむして。さる人もあるらむとて。人を仁和寺へつかはさむとしけるか。日もくれけれは。次の朝に。かの所へつかはして。便宜になに事か候とたつぬへきよし。使におほせられけるに。件の尼公は昨日の午時に。往生せられ候ぬと申たりけるを。聖人まふされていはく。かの尼公は。法華経千部自読せむと。願をおこして候か。七百部はかりはよみて候か。のこりをいかにして。はたしとくへしとも。おほ候はぬと申候しを。としよりたる御身に。めてたくよませたまひて候へとも。のこりおは。一向念仏にならせたまへかしとて。名号の功徳をとききかせられけより。経おはおきて。一向専称して。とし月をへて。往生極楽の素懐をとけるにやとそ。おほせありけると

  康元二年丁巳正月二日
  愚禿親鸞 八十五歳 校了


末註

  1. 請。異本。
  2. 阿弥陀仏の第二十願には「設我得仏 十方衆生 聞我名号 係念我国 植諸徳本 至心廻向 欲生我国 不果遂者 不取正覚(たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を聞きて、念をわが国に係け、もろもろの徳本を植ゑて、至心回向してわが国に生ぜんと欲せん。果遂せずは、正覚を取らじ)」と不果遂者(果遂せずは~)の語がある。源信僧都の師である慈恵大師は『極楽浄土九品往生義』で、第十八願で除かれる、五逆を造り正法を誹謗した罪業の深い者は、順次生で罪の償いをしたあと、その次の生(順後生)には浄土へ往生できるから経文に不果遂者とあるのだとされていた。この意を「三生の内にかならず果遂すべし」というのであろう。 →三生果遂#三生果遂
    なお、御開山は、第二十願に「至心廻向」とある文に依って、阿弥陀仏から回向される正定業の〔なんまんだぶ〕を称える行為を、自らが浄土へ回向して往生しようとする自力念仏であるとされ、真実報土ではなく仏智を疑う者の往生する方便化土往生の「植諸徳本(もろもろの徳本を植える)の願」であるとされておられる。また果遂の語は、第二十願から第十八願へ転入させる「果遂の誓」であるともみられていた。
  3. たとえば(仮令)、全体を通じて計算(通計)すればという意。通は通じるの意で全体を意味する。
  4. なお、良忠の『浄土宗要集』巻二には、
    正信上人自筆記割注{在嵯峨二尊院割注}云 先師上人示云 人師釋第二十願 或云係念定生願 或云三生果遂願 後義相符源空存念 値彌陀願修念佛行 百年之内決定可生極樂 然則曠劫之間 今百年内可見淨土也 一生二生雖不往生 第三生決定可遂 自今已後一生 不可過五六年 又、又生間決定可入淨土故也 割注{云云}割注{建長三年後九月二十七日記之湛空 割注{印證取意}

    正信上人〔正信房湛空〕自筆の記に{割注:在嵯峨二尊院{割注:云}。
    先師上人示して云、
    人師第二十願を釈して、或は係念定生の願と云ひ或は三生果遂の願と云ふ。
    後義、源空が存念に相ひ符(かな)へり。
    弥陀の願に値(あ)いたてまつりて念仏の行を修す、百年の内には決定して極楽に生ずべし。然れば則ち曠劫の間の今百年の内に浄土を見るべし。
    一生二生往生せずと雖も、第三生には決定して遂ぐべし。今より已後の一生、五六年には過ぐべからず。
    又又の生の間には決定して浄土に入るべきが故也{割注:云云}
    建長三年後の九月二十七日これを記す。湛空{割注:印証取意}
    とある。『浄土宗要集』
  5. 義意釈(ぎい-しゃく)。文の当面の意味ではなく文の義によって文の意を釈すること。◇第十八願によって直ちに浄土へ往生出来ない、自力の九品往生の念仏者に説かれたのが第二十願の大綱(大づかみにとらえる意)であるという意か。
  6. 左仮名:キワメテオホキニオソキモノナリ
  7. 現在と、次の生と、その次の三生を越えることはないということ。
  8. 『阿弥陀経』に、「舎利弗若有人 已発願 今発願 当発願 欲生阿弥陀仏国者……於彼国土 若已生 若今生 若当生(舎利弗、もし人ありて、すでに発願し、いま発願し、まさに発願して、阿弥陀仏国に生ぜんと欲はんものは、…… かの国土において、もしはすでに生れ、もしはいま生れ、もしはまさに生れん)」と、過去・現在・未来と説かれているのは、今生と次生の次次生の三生のうちに往生するという証だということ。 第二十願の「不果遂者」の、果たし遂げなければ不取正覚の文を釈していう。
  9. 『阿弥陀経』などの往生浄土をを説く浄土門の経典と、この世でさとりを目指す聖道門の教えを説く『法華経』の教説は、法門の綱格そのものの論理の立て方が違うのであるから比較を論ずるまでもないということ。
  10. 一切の経・律・論は、すべて『観経』の定善と散善に収まっているという意か。この一切仏教を納めた『観経』から、なんまんだぶ一行の往生浄土の法義を開いたのが、専修念仏の浄土門であるという意であろう。御開山は、『観経』の教説は第十九願の「発菩提心 修諸功徳」の発菩提心の語により、聖道門から浄土門に転じ、聖道門の菩提心をもって往生成仏を欣求する者に開かれた願が第十九願であるとみられていた。「信巻」引文の第三深信釈で「また決定して深く、釈迦仏この『観経』に三福九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証讃して、人をして欣慕せしむと信ず」と「欣慕」の語に着目された所以である。「仮門の教、欣慕の釈、これいよいよあきらかなり」と述懐された所以である。
  11. 蔑如(べつじょ)。さげすむこと。蔑視すること。
  12. 浄土宗という宗名をつけられたとき参照された『西方要決釈疑通規』にある、地蔵菩薩に対しての記述があるのを参照されていわれているのであろう。
  13. ここでの観法とは「宝樹等を観ぜば」とあるように『観経』に説かれる定善十三観のこと。もちろん当時流行の本覚法門の真如観をも指している。『和語灯録』の一百四十五箇条問答では「これは恵心のと申て候へとも、いらぬ物にて候也。 おほかた真如観は、われら衆生は、えせぬ事にて候程に、往生のためには、成へきともおもはれぬことにて候へは、無益に候」とされている。
  14. 桜梅桃李(おうばいとうり)とは、桜、梅、桃、李(すもも)のこと。『十八条法語』の成立は『選択集』1198 以前とされているが、1254成立の『古今著聞集』にも「春は桜梅桃李の花あり、秋は紅蘭紫菊の花あり、皆これ錦繍の色、酷烈の匂なり」と、あるので当時使われていた成句であろう。後年、『阿弥陀経』の「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光、微妙香潔」の句と同値され、桜、梅、桃、李の花は、それぞれがそれぞれで絶対の価値を持つのだという意で使われるようになった。
  15. 彼仏今現在成仏(彼の仏いま現に在しまして成仏したまえり)の、本願が成就していることを示す。『礼讃』の「若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚 彼仏今現在世成仏 当知本誓重願不虚 衆生称念必得往生(〈もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称せん、下十声に至るまで、もし生れずは正覚を取らじ〉、と。かの仏いま現に世にましまして成仏したまへり。まさに知るべし、本誓重願虚しからず、衆生称念すればかならず往生を得)」の、本願はすでに成就しているとの文。御開山は、この『礼讃』の文を法然聖人に記していただいたことを『教行証文類』の後序に感慨をもって記述されておられる。なお「彼仏今現在世成仏」の世の字を略されるのが御開山の特長である。法然聖人に記述していただいたとき、世の字を脱されたことを大切にされたからであろう。後年、覚如上人は『口伝鈔』第十条で、この世の字を脱された意を考察しておられる。
  16. やう(様)。様式。様子。手本。模範など、それらしいさまをいう。◇晩年の親鸞聖人が御消息などでよく使用された「如来の誓願には義なきを義とす」御消息の、法然聖人にうけたまわったという「義なきを義とす」の文を思わせる法語である。
  17. 元来、第十八の至心信楽欲生我国は、至心に信楽して我が国に生まれんと欲(おもえ)えと、一連で読むべきを、至心と信楽と欲生の三心に分けて見られたのは法然聖人である。つまり、『大経』の至心を『観経』の至誠心と、同じく、信楽を深心と、欲生我国を迴向発願心に合わせられたのである。これは『選択本願念仏集』に先立つ、法然聖人の『観無量寿経釈』の「此經三心 即同本願三心 謂至心者即至誠心也 信樂者即深心也 欲生我國者即迴向發願心也(この経の三心は、すなわち本願の三心と同じ。いわく至心は至上心なり、信楽は深心なり、欲生我国はすなわち回向発願心なし)」の文から解かる。
  18. 「玄義分」の文。「弘願といふは『大経』に説きたまふがごとし。一切善悪の凡夫生ずることを得る」
  19. 法然聖人は、息慮凝心・廃悪修善の要門と、第十八願の本願をたのみて念仏する弘願門は、別の法義であると見られていたことが判る。◇参照:ある人問ていはく、つねに廃悪修善のむねを存して念仏すると、つねに本願のむねをおもひて念仏するといづれかすぐれて候。答ての給はく、廃悪修善は、これ諸仏の通誡なりといへども、当世のわれらことごとく違背せり。若し別意の弘願に乗ぜすは、生死をはなれがたきものか。『和語灯録』「諸人伝説の詞」
  20. これによると、法然聖人は、『観経』の三心は深心(深信)に納まると見られていた。親鸞聖人は、『観経』の三心を深信に納め、この深信を開いてあるのが『大経』の至心・信楽・欲生の三信であると見られたのである。そしてこの三信が、至心は如来の智慧の名号であり、欲生は如来の招喚の回向の大慈悲心であり、信楽一つに納まると見られたのであろう。そしてそれは『浄土論の』「世尊我一心」の「一心の華文」であった。(なんか、ややこしいが『唯信鈔文意』の「「若少一心」といふは、「若」はもしといふ、ごとしといふ、「少」はかくるといふ、すくなしといふ。一心かけぬれば生れずといふなり。一心かくるといふは信心のかくるなり、信心かくといふは、本願真実の三信心のかくるなり。『観経』の三心をえてのちに、『大経』の三信心をうるを一心をうるとは申すなり。このゆゑに『大経』の三信心をえざるをば一心かくると申すなり。この一心かけぬれば真の報土に生れずといふなり。」の文を理解しようとすればそうなる。)
  21. 法然聖人は、自身の回心の原点である善導大師を「善導和尚は偏に浄土をもつて宗となして、聖道をもつて宗となさず。ゆゑに偏に善導一師に依る」(選択集p.1289)と、偏依善導(へんね-ぜんどう)とされて『観経』を中心として浄土教を理解しておられた。しかし、善導大師の思想の根底は『無量寿経』の本願に立脚されていることは自明のことと思われていたのである。この底意を正確に継承し、法然聖人が『選択集』で「三経一論」と挙げられた『浄土論』と、その注釈書である曇鸞大師の『浄土論註』によって『無量寿経』主体のご法義を展開されたのが御開山であった。ともあれ、ここでは『無量寿経』の第十八願や本願成就文には臨終の業事成弁を説かれていないから、往生が決定するのは臨終と平生に通じていると見られていたことが判る。来迎を説く第十九願や『観経』の教説と違って『無量寿経』の本願には、往生決定について臨終と平生の区別を説かれていないからである。これはまた『観経』の「念仏衆生摂取不捨」の平生業成の平生の意から導出されることでもあった。なんまんだぶ なんまんだぶ 
  22. この文では、往生が決定(業成)するのは、信心(心念)一発する時であるとされている。名号を称する時、往生が定まるのではなく、本願に選択された願力回向の〔なんまんだぶ〕の名号を、私の往生の業因と受け入れ領解した時、浄土往生は定まるのであった。これを御開山は信心正因といわれ、その相続行を「真実の信心はかならず名号を具す」(信巻 P.245)といわれたのであった。この意を「正信念仏偈」で、本願名号正定業(本願の名号は、正しく往生の決定する行業である)。至心信楽願為因(その行法を受けいれた第十八願の信心を往生の正因とする)、とされたのである。
  23. 永観の『往生拾因』の一、広大善根故に「不簡身浄不浄。不論心専不専。称名不絶必得往生(身の浄・不浄を簡ばず、心の専・不専を論ぜず、称名絶えざれば必ず往生を得)とある。
  24. 第十九願の意を、諸行(聖道門)の者を誘引して第十八願に帰せさせる為であるとする見方は、御開山の三願真仮論の淵源であろうと思われる。
  25. 矯飾(きょうしょく)。矯はいつわる飾はかざるで、うわべをとりつくろい飾ること。
  26. まさに雑毒を棄捨すべしとは、一声一念なおこれを具せば、実心の相無きなり。内を翻して外を矯(ため)るとは、たとい外相不法なれども内心真実にして、往生を願ずれば往生を遂ぐべきなりと。◇『智度論』には「当棄捨雑毒」の文しかなく、「一声一念猶具之以下」は、「当棄捨雑毒」の説明であろう。なお『智度論』では「当棄捨雑毒」になっているので「業」は「棄」の写誤であろう。*以下の深信釈の次に、また至誠心釈が来るので、『観無量寿経』以下の文は別の法語の文章が紛れ込んだのかも。
  27. もし衆生ありてかの国に生ぜんと願ずるものは、三種の心を発して即便往生す。なんらをか三つとする。一つには至誠心、二つには深心、三つには回向発願心なり。三心を具するものは、かならずかの国に生ず。
  28. この三心を具すれば、かならず往生を得るなり。もし一心も少(か)けぬれば、すなはち生ずることを得ず。」然れば即ち尤も三心を具すべき也。
  29. 一に至誠心というは、真実心なり。身に礼拝を行じ、口に名号を唱え、意に相好を想う、みな実(まこと)の心を用いよ。総じてこれを言ふに、厭離穢土、忻求浄土、修諸行業、みな真実心をもってこれを勤修すべし。外に賢善精進の相を現じ、内に愚悪懈怠の心を懐けり。所修の行業、日夜十二時に無間(ひまなく)これを行ずれども、往生を得ず。外に愚悪懈怠の形を顕し、内には賢善精進の念に住してこれを修行せば、一時一念といえども、其の行、虚しからず必ず往生を得む。これを至誠心と名づく。
  30. 二に深心といふは、深信の心なり。これに付いて二有り。一には、我はこれ罪悪不善の身なり、無始よりこのかた六道に輪回して往生の縁無しと信ず。二には罪人といえども仏願力をもって強縁と爲すれば往生を得と信ず。疑い無く慮りなかれとなり。
    これについて二またあり。一には人に就いて信を立つ、二には行に就いて信を立つ。人に就いて信を立つというは、出離生死の道多しといえども、大きに分けて二あり。一には聖道門、二には浄土門なり。聖道門というは、この娑婆世界に於いて、煩悩を断じ菩提を証する道なり。浄土門というは、この娑婆世界を厭いて、極楽を忻い善根を修する門なり。二門ありといえども、聖道門を閣きて浄土門に帰せとなり。しかればもし人ありて、多く経論を引きて、罪悪の凡夫往生を得ずといわん。この語(ことば)を聞くといえども、退心を生ぜずして、いよいよ信心を増す。
  31. ゆえは如何となれば、罪障の凡夫、浄土に往生するは、釈尊の誠言なり、凡夫の妄説にあらず。我すでに仏言を信じて深く浄土に欣求す。たとひ諸仏・菩薩来たりて、罪障の凡夫、浄土に生まれじと言うとも、これを信ずべからず。なにを以って故に、菩薩は仏弟子なり、もし実にこれ菩薩ならば、仏説に乖くべからず。然るにすでに仏説に違して往生を得ずと言う、知んぬ真の菩薩に非ざる。この故に信ずべからず。仏はこれ同体の大悲なり、実にこれ仏ならば釈迦の説に違うべからずと。
  32. 然ればすなわち、阿弥陀経に説かく、一日・七日、阿弥陀仏の名号を念ずれば必ず往生を得とるは、六方恒沙の諸仏、釈迦仏に同じく虚しからず、これを証誠したまえり。
    然るに今釈迦の説に背いて往生を得じという、ゆえに知んぬ真仏に非ずということを。これ天魔の変化なり。この義を以っての故に信に依らずと。仏・菩薩の説なお以って信ずべからず、いかにいわんや余の説をや。汝ら執するところ大小異なりといえども、同じく仏果を期す。穢土の修行は聖道の意なり。我らが修するところの正雑に同じからず、共に極楽を欣う往生の行業は、浄土門の意なり。聖道はこれ汝が有縁の行なり、浄土門は我が有縁の行なり。これを以って彼を難ずべからず、彼を以ってこれを難ずべからず。かくのごとく信ずる、これを就人立信と名づく。
  33. つぎに行に就いて信を立つとは、往生極楽の行まちまちといえども二種を出でず。一には正行、二には雑行なり。正行は阿弥陀仏においての親しき行なり。雑行は阿弥陀仏においての疎き行なり。まず正行というは、これに付いて五あり。 一にいわく読誦、いわく三部経を読むなり。二にいわく極楽の依正を観ずるなり。三に礼拝、いわく弥陀仏を礼するなり。四には称名、いわく弥陀の名号を称するなり。五には讃嘆供養、いわく阿弥陀仏を讃嘆・供養したまうなり。この五を以って合して二となす。
  34. 一には、一心にもつぱら弥陀の名号を念じて、行住坐臥に時節の久近を問はず念々に捨てざるは、これを正定の業と名づく、かの仏の願に順ずるが故なり。 二には、先の五の中の称名を除きて已外の、礼拝・読誦等はみな助業と名づく。次に雑行とは、先の五種の正助二行を除きて已外の諸の読誦大乗・発菩提心・持戒・勧進行等の一切の行なり。この正雑二行について五種の得失あり。
    一には親疎対。いわく正行は阿弥陀仏に親しく、雑行は阿弥陀仏に疎きなり。 二に近遠対。いわく正行は阿弥陀仏に近なり、雑行は阿弥陀仏に遠なり。三は有間無間対。いわく正行は係念ひま無し、雑行は係念間断す。 四は廻向不廻向対。いわく正行は廻向を用いざるに自から往生業となる。雑行は廻向せざる時は往生業とならず。 五は純雑対。いわく正行は純に往生極楽の業なり。雑行はしからず。十方浄土乃至人天の業に通ずるなり。この如く信ずるは、行に就いて信を立つと名づく、これを深心と名づく。
  35. 三に廻向発願心とは、過去及び今生の身・口・意業に修するところの一切善根、真実心を以って極楽に廻向して往生を欣求するなり。
  36. 法然聖人は〔観経疏』玄義分の「今此観経 即以観仏三昧為宗 亦以念仏三昧為宗(いまこの『観経』はすなはち観仏三昧をもつて宗となし、また念仏三昧をもつて宗となす」の文を、亦の語によって『観経』は、観仏の観仏三昧を説き、また別に、なんまんだぶの念仏三昧を説く、一経に二宗を説く経典であると見られていた。善導大師が『観経疏』の結論で「上来定散両門の益を説くといへども、仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり」と、観経は〔なんまんだぶ〕を称する経典であると理解されたからである。御開山が『観経』を念観両宗(*)とされた所以である。