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『顯正流義鈔』は、高田派十世、真慧上人述。末尾に「三箇條の難勢」とあるように、①口称念仏を修するのは自力である。②念佛を申すのは第十九願の諸行往生である。③繪像・木像は方便であり用いるべからず、という論難がありこれに対した書であろう。

真慧(しんね )上人(1434-1512)は、本願寺の蓮如上人(1415-1499)と同時代の高田専修寺の第十代目で、寛正5年(1464)専修寺を継ぐ。元々同門のよしみで昵懇だったと言われるが、継職以後、タノム・タスケタマヘと信を強調する蓮如上人の教えに対して、口称の、なんまんだぶを強調された。なお、専修寺という寺号は、元々覚如上人が御開山の廟堂を寺院化するために、「専」ら弥陀の名号を「修」するという意図で寺額まで作ったのだが、叡山(青蓮院)から専修の言おだやかならずというので本願寺に変えたという逸話も残されているようである。この時作った寺額を高田の顕智上人が購い、持ち帰ったのが専修寺という寺号の興りだといわれている。覚如上人は聡明ではあったが、関東の同行の、土地を耕し土地によって命をつなぎ土地に感謝するという、農耕民の心情を理解しえなかったのであろう。

と、いう前置きで、「念仏真慧」、「信心蓮如」というVS構造で、この文を見るのも面白いし、江戸宗学で鎮西浄土教に対抗する為に、法然VS親鸞という図式で、なんまんだぶのご法義を考究せざるを得なかった先輩方の考察が、今も、このご法義の底流にはあるのだろう。

新刊 顯正流義鈔 叙

流祖上親下鸞尊者。嘗瑞世于扶桑國。宏闡横超之眞門。普天響應。上自王侯大人下逮販夫牧竪之儔。皆受其賜棲神安養者。不可勝計焉。
然流祖示滅幾乎二百餘年。寛正文明之間。遺派末流執異計。而胡説心行 亂譚正雜。甚則誇佛願 動失自誤他者間有焉。世之相後未遠。其生弊也如是。
所謂強弩之末不穿魯縞[1]者乎。古曰。聖人不興必有名世者出焉[2]。我於眞慧上人乎見之。上人姓平氏大内。流祖第十世法孫也。嘗慨念宗風委地法門亂統。而大悲説法歸正宗矣。而欲垂將來作爲此篇。而以發其歸趣。其爲書也直規濫吹大拯流弊。
天下眞宗安心一定。豈非斬邪見稠林之寶劍。護如來正法之金湯乎哉。止恨流芳未廣遠也。余也雖後學不類。所以荷法之一也。於是乎不獲已。遂爲之校讐參訂。命工壽椊以廣其傳。庶幾此書之流通也與乾坤不盡。而俾彼之修淨業者捨邪歸正以齊到實報土云

  正徳三年癸巳孟冬念二日。洞津本徳教寺沙門 釋洪音槃譚題


顯正流義鈔卷上

夫。一向專修の行者は。ひとへに萬行諸善を閣。疑心自力のこころをすてて。一すしに本願をたのみ。專名號を稱へきなり。
其故は。彌陀の弘誓は四十八なれとも。第十八の願を本とす。釋尊また一向專念無量壽佛[3]と説。諸佛は舌を舒て專持名號の説を證誠[4]したまふ。其外天竺の菩薩。唐土の祖師。和朝の人師。こころをつくし。ことはをあらはつ(し)て勸進す。
佛は多ましますと云とも。彌陀は今の時のわれら衆生に縁ふかし。法はよろつにわかれたれとも。名號は末法五濁の根機に相應す。妙樂大師は彌陀與此世界極惡衆生偏有因縁[5]と釋し。弘法大師は人命無常猶如蜉蝣。悠悠寂室念阿彌陀佛[6]とのたまへり。すてに顯密の先徳。自宗をさしおきてこれをほむ。假使(たとひ)他宗他門の人なりとも。聖教をあきらめ。學文にこころあらんは。いかてかこの法をそしらんや。
おほよそ眞宗の法體は淺に似たりと云へともあさからす。其故は。槃特かことくの愚鈍の者も。行するにかたからす。提婆かこときの惡逆の輩も。信すれはたすかる。これまさに佛の本願の力つよく。攝取の慈悲のふかきかいたすところなり。一聲もまことをいたし名をとなふれは。西方安養の教主は。天眼遠見力をもてみそなはし。天耳遙門(聞)力をもてききたまひて。いかなるしつかいほり[7]・あまのとまや[8]なりとも。一坐無移不動[9]の道場をちかへすして。不來の來益をなしたまふなり。
まことに神變不思議の境界。未曾有の勝利なり。このとき南無稱名の機の往生さたまるなり。これを攝取來迎とも。報身來迎とも。平生業成とも。平生往生ともまうすなり。
しかれは。佛はきたりたまふといへとも來にととまらす。本所本座をうこきたまはさるかゆへに。きたらすといへとも不來にととまらす。娑婆の機を來て護念したまふかゆへに。今時の行者。來不來のあらそひをなすことなかれ。たた佛の自在神力の不思議なり。もろもろの有智のもののよくしることなり。論の註といふ文には。身うこきたまはすして動搖無窮の徳[10]。極樂の佛菩薩はましますと。曇鸞和尚はあらはしたまへり。

そもそも別意の弘願は。教門にても判しかたく。他力の妙益は。等覺の薩埵もしらさるところなり。ひとへに一心一行專修惠念せんにはしかし。かたしけなくも光明大師は。まのあたり彌陀にあひたてまつりて。一心專念名號と傳受し。源空聖人また大師にあひたてまつり。專念彌陀の法義をうく。
親鸞聖人宗家元祖の兩意を一器に受得し。關東におひて化導をあまねくしたまひしよりこのかた。西境におよひ南北村里に遍滿す。まことに彌陀・釋迦・諸佛の御本懷。善導・法然・親鸞三師の御素意符合して。正・像・未の三時の機根をかかみ。相應の法をあたへたまふかゆゆ(ゑ)なり。おほよそ人界の生こ(と)かたし。佛法またまふあひかたし。菩薩は爪上の土[11]をたとへとし。如來は優曇花のことしととく。しかるにわれら今うまれかたき人界の生を感し。あひかたき佛教にまふあひたてまつること。まこと闇夜に燈を得。渡に船を得かことし。むしろ一眼の龜の浮木[12]につき。愁雁の天にのほるに非や。就中難行自力の教門にも生れ不逢して。性徳天然と易行他力の妙縁によること。これ併彌陀佛の法爾自然の道理。よろこふへしよろこふへし。たのむへしたのむへし。

たた佛に歸命し阿彌陀と唱んにはしかし。かたのことく專念專修のすかたにて。雜行雜修の心もなく。異學異見の人にも云さまたけられさるを。決定信とも。金剛心とも。大信心とも。願作佛心とも。淨土の大菩提心とも。利他深廣の信とも。他力の信心とも云なり。更に名號ありかたきと信し稱るより外に。當流にはことなる義なし。
風に聞法藏因位の修行をも。彌陀果位の利生をも。不聞不知と云とも。稱念まことならは。往生決定なるへし。故に法然聖人は。觀念の念にも非す。學文をして念の意をさとりきはめて申念佛にも非す。只在家無智の尼入道の身にひとしくなして。心に本願をたのみ。口に南無阿彌陀佛と唱るより外に。更に餘の子細なし。此外に奧深事を存せは。二尊の御あわれみにはつれ。永無間地獄に墮へしと御誓言あり。[13]
又親鸞聖人も。誓願を不思議と信し。名號を不思議と信する外に別の義なし。されはこの宗の意は。樣なきを樣とし。義なきを義とすと。仰らるるなり[14] 御自筆于今在之

しかるにこのころ。口には當門流と號して。言には專(ら)大師兩聖人の御相承をちかへ。念佛申してたすからんと思は自力なりと云。或は十九の願の意なりと云。或は諸行往生の義なりと云。或は彌陀皇太子の繪像木像をすて。或は代代相承の師を誹せ。在家の尼入道の後生を損破するものこれあり。豈非道計道非因計因[15]の外道。附佛法の大外道に非すや。
まさに其罪業阿鼻の苦果のかるへからす。[16]つらつら謗法外道の姿を尋るに。たすかる法おはたすからすとしめして。人の意をさまたけ。たすからぬ法ふ(お)はたすかるとおしへて。人の心をまよはす。これまさに謗法の輩なり。外道の類なり。經には。なれむつふへからす。[17]必定應墮地獄の機と説。如此あくまて不淨説法して。自らもまとひ。人をもまよはして。自他おなしく墮獄せんこと。あはれなることなり。はやく偏見の邪執をひるかへして。佛祖のことく本願他力の念佛をもて自行化他の要術とせよ。流祖聖人の和したまふ讃に云。

菩提を得ましき人はみな。
專修念佛にあたをなす。
頓教毀滅のしるしには。
生死の大海きわもなし。

念佛誹謗の有情は。
阿鼻地獄に墮在して。
八萬劫中大苦惱。
ひまなくうくとそ説たまふ。

衆生有礙のさとりにて。
無礙の佛智をうたかへは。
曾婆羅頻陀羅地獄にて。
多劫衆苦にしつむなり

と。鸞聖人の御なかれをくまん今の時の道俗等。念佛の法體をゆるかせに存することなかれ。ここに予當流の元由に順し。當流の奧旨に任せて。自らもつとめ。他おもすすめて。稱名をこととす。

▽ 然間今興するところの邪義聽聞の人人。或は後悔の心に住し。或は高慢の心をもちて問云。
念佛申てたすからんと思は自力なり。其故は。口に稱・身に拜。すてに自力の行なり。たすからんと思は。是又我意よりおこる間。自力の心なり。心行自力なれは。何そ他力の報土に生んや。

答。此尋甚非なり。心に佛の本願をたのます。身口に名號を禮稱せすしてたすかてんと思こそ。まことに自力なれ。すてに如來にまことをいたし。我名を稱んものをたすけんと誓まします間。我等かの佛の御誓をたのみてたすからんとおもはん。これ至極の他力の(な)り。何そ自力となるへきや。
不知彌陀覺王法藏比丘の昔。平等の慈悲に催されて。兆載永劫の修行をめされ。五劫思惟の御苦勞をなして。一切の我等衆生の根機にかはり。願行を圓滿し。我名を本願とたて。若は智慧のもの。若は無智のもの。若は持戒のもの。若は破戒のもの。機の善惡をきらはす。心の妄不妄を不謂。若の(は)一聲。若は十聲若は形の盡まて。いつれをももらさしたすけんと誓たまふと。今の經にねんころに釋尊の説たまふをは。只此誓約にまかせ尊號を稱れはこそ易行とは云。偏に佛の願力をたのめはこそ。他力にすかるとは申せ。
然るに我口にいひ。心におもふ間自力なりと云は。如何なる他力の行か口にも不稱心にも不思して佛になるや。聖淨二門・自他二力の差別はありとも。一代教の中に。無信無行の得道ありと云説あるへからす。いかなる經論釋によりて此義を尋るや。請其證文を出せ。聞て其決判におよはん。若文もなく證もなくは。魔説なるへし。聖教有目の輩。誰かこれを信せんや。外道の家にこそ無信無行の勸化を專にすと。大師は玄義分と云文に釋したまへ。[18]
もとより當流の意は。往生をは佛に任せ。行者の所作には稱名せよとすすむれは。吾心のよきにつけても南無阿彌陀佛。あしかにつけても南無阿彌陀佛とたのぱまてなり。これ吾心にたのみ。口に稱ふるの似たりと云へとも。彌陀如來の施與たまふ行おこさしめたまふところの心の(な)り。故に他力の行・他力の心と云なり。

鸞聖人は。これ行者の我おこし行するに似たりと云へとも。往相回向の大行・往相回向の大信まさしく他力なりと。教行證[19]に判したまへり。私のはからひをもて口に云・心に思間自力なりと云こと。無下にあさましきことなり。正教の道理をも不知。祖師の御意をも不窺して。愚癡無知の輩 邪推を以正法を批判することなかれ。

▽ 又彼邪義聽聞の人問云。念佛を申てたすからんと思。十九の願の意なり。諸行往生の義なりと。如何。

答。此尋甚非なり。大無量壽經に。彌陀如來の四十八願を一一に明すとして。第十八には念佛を生因と願し。第十九には諸行の機をたすけんと誓。第二十には結縁の類を遂に救んと誓願す。まことに哀哉。願體分明なるをたに不知して。十八はまさに念佛往生の願・往相回向の願の(な)るを。諸行往生と云。十九の願と云て。人をまとはす。豈文書に。非人は自の非を不知と云。蓋此類なり。
第十八の願に云。設我得佛。十方衆生。至心信樂。欲生我國。乃至十念。若不生者。不取正覺。唯除五逆誹謗正法と云り。同成就の文に云。諸有衆生聞其名號信心歡喜。乃至一念。至心回向せり 願生彼國即得往生住不退轉と云り。
宗家大師此本願の文を釋して。我成佛。十方衆生稱我名號下至十聲。若不生者不取正覺。彼佛今現在成佛。當知本誓重願不虚。衆生稱念必得往生とのたまへり。[20]
又は如無量壽經四十八願中。唯明專念彌陀名號得生と云り。[21]  元祖聖人は。彌陀如來餘行を以 往生の本願としたまはす。たた念佛を以往生の本願とすと釋し[22]。南無阿彌陀佛往生の業には念佛を本とすと云り。[23]流義の祖師は。此心は即是念佛往生の願より出たり。この本願を選擇本願と名とのたまへり。
又讃には。

念佛成佛これ眞宗。
萬善諸行これ假門。
權實眞假をわかすして。
自然の淨土をえそしらぬ

とも和したまへり。
すてに願文おなしく成就の文には。乃至十念と誓。又乃至一念とあらはす。大師は稱我名號[24]と釋し。元祖は念佛本願[25]とあかし。祖師は稱名正定業[26]と判す。經釋分明なり。あへて念佛申してたすからんと思は。十九の願の意・諸行往生の義なりと云ことなかれ。信行不離・機法一體は此宗の己證。源この願の意なり。信と云は。本願の名號を聞て不疑を云。行と云は。不疑意にて名號を稱るを云なり。されは鸞聖人は。行をはなれたる信もなく。信をはなれたる行もなしとのたまへり[27] 御自筆于今有之深名號を至心信樂するをこそ。正定聚の機とも。平生攝取往生の機とも。第十八願の機とも。即往生とも。難思議往生とも。大經往生とも云なり

顯正流義鈔上 終
顯正流義鈔卷下

第十九願に云。設我得佛。十方衆生發菩提心修諸功徳。至心發願欲生我國。臨命終時。假令不與大衆圍遶現其人前者不取正覺と云り。

當流の聖人。この願成就の文と云は即三輩の文これなり。又觀經の定散九品の文これなりとのたまへり。願文あきらかに修諸功徳と誓。祖師まさに三輩の諸善九品の諸行をさしてこの願の成就と釋す。機を云へは邪定聚の人臨終來迎を期す諸行往生の機。至心發願欲生の機なり。
又便往生とも。雙樹林下往生とも。觀經往生とも。十九の願の機とも云なり。何そ念佛にてたすからんとたしなむをこの願の意なりと云や。

第二十の願に云。設我得佛。十方衆生聞我名號。係念我國。植諸徳本。至心回向欲生我國。不果遂者不取正覺と云り。
この願の意は。信し行することあたはすと云へとも。何となく耳に名號をふれ。又極樂と云へは深ねかふことはなけれとも。一旦まいらはやと念をかけ。一旦のそみをなし。すゑをもとほさぬものあり。或は名聞に信する顏をし。或は利養に行するふりをするものこれあり。結縁の類なり。まことに不定聚の機。至心回向欲生の機。二十の願の機なり。
又往生を云へは難思往生なり。彌陀經往生なり。かくのことく正定の行を不定におもひて。順次の往生をせさるなり。然といへとも。其結縁すてかたくおほしめされて。三生に必たすけんと願をおこし。不果遂者と誓たまへり。上に云か如。

十八は念佛往生。十九は諸行往生。二十は結縁往生なり。この三願の意趣如此。往生のすかた三願にわたりたれとも。其差別 天と地となり。其故は。第十八は稱名信心の行者。攝機生因の二の力にて。本願眞實の報土に往生す。これ他力の正意なり。
第十九は修諸功徳の行者なり。これ生因本願の機に非か故に。攝機の力はかりにて方便化土に往生す。これ他力の傍益なり。
第二十は定散自力の行者係念遠縁の姿也。然に十九・二十の願の機も。第十八願の機にならては。眞實報土にはいたらぬなり まことにまことに。實報華王の寶國は。源名號所成の報土なるか故に。生する種も稱名なり。倩此理を案するに。阿彌陀の三字は。希有最勝の華文・無上甚深の法體なり。言語も斷・心行も不及。果分の上の果分・不可思議の上の不可思議なり。但この三願を三經に配當し。三往生に當。三定聚に配當することは。この流の義なり。[28]よくよく後學明めよ。

▽ 又彼邪義聽聞の人問云。繪像木像は方便なり。[29] これをたのみて益なし。代代相承の念佛の血脈をたたすことなかれ。只我云ところの念佛にてたすからんと思は自力なり。又諸行往生の意なり。又十九の願なり。かく心得るを善知識と云。この義をたつるを直説聖人と云と。このこと如何。

此尋甚非なり。まつ繪像木像をすつることは五逆と罪人なり。つきに念佛相承の血脈をすてさせ。經論釋義をそむき。新義を云て正義と號する。これまさに謗法の人なり。傳聞。昔我朝に守屋の大臣こそ。佛像經卷を燒すて。皇太子に敵をなす。中古日蓮法師こそ。念佛を無間業と立。又方便の教と云。今新義を立て佛法と號して人をすすむるやから。もはら繪木の佛像をすて。皇太子の尊形をのけ。念佛方便と云。豈彼同類に非すや。哀哉や。紅蓮大紅蓮は彼か永棲家なるへし。焦熱大焦熱はかの黨類の所居たるへし。可恐可恐。不可親不可親。

抑繪木の佛像と云は。忝も住持三寶の中の佛寶なれは。三國傳來の大師先徳。いつれかこれをあかめさりしそ。法然・親鸞は。彌陀の繪像木像をは。淨土の報佛の如來とあかめたてまつれるとのたまへり。
選擇集に恭敬修を明として。有縁の像教を敬と釋す。この意なり。何そ口には他力の行者と云て。彌陀の本尊をのけ。形をは佛法者となして。弘通の恩を不知して。皇太子の形像をすつるや。佛法の大恩を報せんかために。傍に皇太子を崇敬すと。鸞聖人の仰せられしによりて。彼法流を汲者。多分太子を祖師として本尊に崇。或は傍に立。これ相承におひて依用相承・血脈相承の二あり。其依用相承の義なり。

いつれの宗か佛法の弘通を知ん人。繪木の佛像をすて。皇太子をそしりたてまつるへき。且親鸞聖人當流弘通の始は。坂東常陸の國笠間稻田と云處なり。彼寺の本尊聖徳太子にましますなり。これ今にあり。流義の聖人すてに太子を本尊として佛法をひろめはしめたまふなり。其吾祖師の御在世のやうをたにも不知身にて。當流の是非を沙汰し。多の人を惑すこと。豈天魔の障礙・波旬の所行に非すや。俯惟。泥木素像と云は。凡夫の肉眼を以より感見まうして無上の勝利を得。黄卷朱軸は。我等衆生の情度に應して益を與。剃髮染衣は。佛法増進の姿なれは。見信のもの功徳を獲得せすと云ことなし。敢忽思ことなかれ。次に念佛の血脈をすてさすること。これまさに淺猿きことなり。西天の佛法今東域に將來して。八宗九宗十宗に分たりと云とも。何の宗にか代代の師を捨・血脈いるましきと立るや。
其上當宗の意は。彌陀の本願・釋尊の附屬。阿難舍利弗うけたまひしより以來。傳持の旨を今にまたくするところなり。爰以選擇集には。第一章には宗の教相を明し血脈をあらはすなり。教行證には。行卷に血脈をあけて。六卷流通分に。我空聖人よりの御相承を委したまへり。彼文に云。

しかるに愚禿釋鸞。建仁辛酉の歳。雜行を捨て本願に歸し。元久乙丑の歳。恩恕をかふりて選擇を書しき。同年初夏中旬第四日に。選擇本願念佛集の内題の字。并に南無阿彌陀佛往生之業念佛爲本と。釋綽空の字と。空の眞筆をもてこれを書しめたまふ。同日空の眞影申あつかりて。圖畫したてまつる。同二年閏七月下旬第九日。眞影の銘眞筆をもて。南無阿彌陀佛と若我成佛十方衆生稱我名號下至十聲若不生者不取正覺彼佛今現在成佛當知本誓重願不虚衆生稱念必得往生の眞文をかかしめ。又夢の告によりて綽空の字を改て。同日御筆をもて名の字をかかしめをはりぬ。本師聖人今年七旬三の御歳なり。選擇本願念佛集と云は。禪定博陸月輪殿兼實法名圓昭 の教命によりてえらひあつむるところなり。眞宗の簡要・念佛の奧義。これに攝在せり。見者さとりやすし。まことにこれ希有最勝の華文・無上甚深の寶典なり。年を渉り日を渉りて其教誨を蒙る人千萬なりと云とも。親と云疎と云。此見寫を獲る徒。甚もてかたし。しかるにすてに製作を書寫し。眞影を圖畫したてまつる。是惠念正業の徳なり。是決定往生の徴なり。仍悲喜の涙をおさへて。由來の縁を註といへり。[30]

この御傳持のむねにまかせて。當流聖人 親鸞 七十の御歳。仁治三年壬寅五月二十一日。入西坊を願主として。繪師定禪法橋に。わか影を寫さしめたまう。[31]同定禪も夢想の告あり。爾に八十三の御歳。かの眞影に自筆をもて。
大無量壽經。設我得佛。十方衆生至心信樂欲生我國。乃至十念。若不生者不取正覺。唯除五逆誹謗正法。
又言。其佛本願力。聞名欲往生。皆悉到彼國。自致不退轉。
又言。必得超絶去往生安養國。横截五惡趣。惡趣自然閉。昇道無窮極。易往而無人。其國不逆違。自然之所牽。
無量壽經優婆提舍願生偈。婆藪般豆菩薩造曰。世尊我一心歸命盡十方無礙光如來。願生安樂國。我依修多羅眞實功徳相。説願偈總持。與佛教相應。觀彼世界相。勝過三界道。究意如虚空。廣大無邊際。
又曰。觀佛本願力。遇無空過者。能令速滿足功徳大寶海。[32]

和朝釋親鸞法師正信偈曰。本願名號正定業。至心信樂願爲因。成等覺證大涅槃。必至滅度願成就。如來所以興出世。唯説彌陀本願海。五濁惡時群生海。應信如來如實言。能發一念喜愛心。不斷煩惱得涅槃。凡聖逆謗齊回人。如衆水入海一味。攝取心光常照護。已能雖破無明闇。貪愛瞋憎之雲霧。常覆眞實信心天。譬如日光覆雲霧。雲霧之下明爲闇。獲信見敬大慶喜。即横超截五惡趣。愚禿親鸞八十三歳と銘文をあそはし。[33]

又撰集したまふところの教行證一部六卷眞筆書し。建長七年乙卯冬のころ。眞佛上人・顯智上人にならへてあたへたまふ。これまことに附法相承の義顯然なり。鸞聖人の直弟多といへとも。親と云疎と云。御眞影をたまはり。自筆に銘文をかかしめ。眞筆の製作傳授あること無之。嫡弟と云附法と云。相承血脈の義。たれかこれをあらそはんや。御自筆の教行證。御自筆の銘文の御影。于今傳持す。ゆめゆめ繪木の佛像をすて。血脈いるへからすと立る義を。本にすることなかれ。
これまさしく祖師聖人 親鸞 の御おきてをしらすして偏見我慢の心につのり。利義の酒に醉て名聞にくるふものの。口にまかせて云ことなり。今あくるところの三箇條の尋は。中中返答におよはす。筆點に記にあたはすといへとも。世間に流布して。在家無智の尼入道をともなひいひさたするなれは。彼か謬のほとをもしらせ。又往生の信心をも治定せしめんかため。且は破邪顯正は佛の本意。捨謬開悟は法の大途なれは。紙をとり毫を染て。祖師相承の義趣に順し。年來披見の聖教に任て。かたのことく草案註記す。

自今已後も。一宗一流の行者。彌陀・釋迦・善導・源空・親鸞の御本意のことく。一心一向にもはら名號を稱念し。更に餘行を不雜すすめん人を。眞の善知識とたのむへし。能能意を得よ。祖師親鸞聖人の御流を承んもの。この疏のうへに不審あらは。我慢偏執の心をやめ。穩便無事の姿にて。族宿の草庵に來りて尋よ。しからは鸞聖人の御在世のおきてに任。眞佛・顯智の御相傳のむねをもて。經論釋を證として決判におよはん。尚尚この三箇條の難勢。いつれもまことしからすと云とも。風聞にまかせてこれをしるす。
其外善導大師・法然聖人の疏釋。當流にはいるへからすと云。又念佛にて亡者とふらうは自力なりと云。邊地より地獄に墮と云。如此の新義きこゆ。以の外の存外なり。
中中筆にしるすにあたはす。まことにあさましきことなり。これ管見推量の邪智の義なり。あひかまへて信用すへからす

  于時文明四年[34] 壬辰二月二十日

釋眞慧記之

  正徳四年 甲午 歳二月良辰


以下の注は、林遊の管見であり諸兄の叱正を仰ぐ。

  1. 強弩之末 不穿魯縞。強い弩も末には魯の縞すら穿つことが出来なくなる。勢いが衰える様。『漢書』
  2. 『仏祖統紀』に、「聖人不興。其間必有名世者出」とある。
  3. 『無量寿経』三輩段のそれぞれに、一向專念無量壽佛とある。
  4. 『阿弥陀経』の六法段。
  5. 彌陀とこの世界の極惡衆生はひとえに因縁あり。
  6. 人の命、無常にしてなお蜉蝣のごとし。悠悠と寂室に阿彌陀佛を念ず。
  7. しつかいほり。室か庵。
  8. あまのとまや。海人の苫屋。屋根を苫(とま)でふいた粗末な漁師の小屋。
  9. 一坐無移不動(いちざ-むいふどう)。 『法事讃』に「一坐無移亦不動」(一たび坐して移ることなくまた不動なり)とある。
  10. 動搖無窮の徳(どうよう-むぐうのとく)。『論註』に「一には一仏土において身動揺せずして十方に遍し て、種々に応化して如実に修行し、つねに仏事をなす」とある。
  11. 『涅槃経』迦葉菩薩品に、釈尊が爪の上に土をとり、迦葉にこの爪の上の土と十方世界の土と何れが多いかと問い、真に涅槃に入る者は爪上の土のごとしとある。
  12. 一眼の龜の浮木。盲亀浮木の喩え。盲ひたる亀の
  13. 一枚起請文の意
  14. 御消息(23)に「ただ誓願を不思議と信じ、また名号を不思議と一念信じとなへつるうへは、なんでふわがはからひをいたすべき。ききわけ、しりわくるなどわづらはしくは仰せられ候ふやらん」とある。
  15. 非道計道非因計因(道に非して道を計り、因に非ずして因を計る)。正しい因果の道理を認めないこと。
  16. のかるへからす。逃がるべからず。
  17. 御消息(2)に「師をそしり、善知識をかろしめ、同行をもあなづりなんどしあはせたまふよしきき候ふこそ、あさましく候へ。すでに謗法のひとなり、五逆のひとなり。なれむつぶべからず」とある。
  18. 『玄義分』に「しかるに外道のなかにはすべて称仏の人なし。 ただ仏を称すること一口すれば、すなはち仏道のなかにありて摂す。 ゆゑに「已竟」といふと」とあるを指すか。
  19. 御開山が『顕浄土真実教行証文類 』とされたのに従い『教行證』としている。教行信証という呼称は覚如上人からか。
  20. 『往生礼讃』の文。御開山は『後序』でこの文を法然聖人に書して頂いたことを感慨をもって記しておられる。
  21. 『観経疏』「定善義」真身観の文に「如無量寿経四十八願中 唯明専念弥陀名号得生。(『無量寿経』の四十八願のなかのごときは、ただもつぱら弥陀の名号を念じて生ずることを得と明かす )」とある。
  22. 『選択本願念仏集』に「弥陀如来、余行をもつて往生の本願となさず、ただ念仏をもつて往生の本願となしたまへる文」とある。
  23. 『選択本願念仏集』劈頭の文。「南無阿弥陀仏 往生の業には、念仏を先となす」。御開山の伝授本では先は本になっていた。
  24. 前掲の『『往生礼讃』の文』
  25. 法然聖人の教えの中核である『選択本願念仏集』の語から念佛本願とされる。
  26. 「正信念仏偈」の、「本願名号正定業」の文。
  27. 「御消息」(7)に、「行をはなれたる信はなしとききて候ふ。また、信はなれたる行なしとおぼしめすべし」とある。
  28. 六三法門を参照。
  29. 蓮如上人は盛んに名号を門徒に下付されて『御一代記聞書』(69)にも「他流には、名号よりは絵像、絵像よりは木像といふなり。当流には、木像よりは絵像、絵像よりは名号といふなり」とある意を曲解しての詰難であろうと思われる。
  30. 『教行証文類』後序の文。
  31. 覚如上人作『善信聖人親鸞伝絵』の第八段にあるエピソード。なお、高田派に伝わる『御伝鈔』では、本願寺の聖人ではなく善信聖人となっている。
  32. 高田派伝持の『黄地十字名号』の賛。『浄土真宗聖典全書』p.897参照。
  33. 高田派伝持の『尊号真像銘文』の文。『浄土真宗聖典全書』p.649参照。
  34. この前年文明三年に、蓮如上人は越前吉崎御坊を建てて教線を拡大する。