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さいもんげんわ
実際の聞法の現場では、念仏(なんまんだぶ)を称えながら聴聞し、聴聞しながら念仏し、法座のあとで聴衆とともにほがらかに念仏し、やがて念仏の声が毛穴から染み込むようにして、御本願のご信心に頷けるようになるのが現実の聞法の実践の場であった。「信心正因 称名報恩」説は本願寺派のご常教であるが、ある意味では口業という躍動する「身体性」を失った、観念の信心遊戯になっているのかもと思っていたりする。これは「浄土真宗」というご法義の死でもあるのだが、この事に思いを致す真宗僧侶の少ないことは宗門の危機でもあると思ふ。
先人は、私がなんまんだぶを称えていることの驚きが信心です、と言われていた。樹の枝は風がふくから揺れるのであって、枝が揺れるから風がふくのではない。念仏(なんまんだぶ)の声は、大悲の風として「名声十方に超えん(名声超十方)」と常にふいているのであった。
ともあれ、「信因称報説」が絶対の教権である江戸封建時代にあって、一定の限界はあるものの「法相の表裡」として、凡夫の口に称えられる、なんまんだぶに焦点を当てられた石泉僧叡師の「法相の表裡」説は優れた考察であったといえよう。浄土真宗の門徒であるならば、なんまんだぶしなさいよ、私に意味がわからなくとも、阿弥陀如来の方に意義や意図があるのであった。
ありがたいこっちゃ、なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ……称名相続
- 原文のカタカナはひらがなに、漢文読下しやリンク、脚注は林遊に於いて付した。
『柴門玄話 』
長月[1]のすゑ日もくれかゝり、ものさびしくて長夜曼々何時且邦无道則可巻而懐之[2]なとうちずんじ[3]、こゝろしりなる友もかなと、ひとりごちてありしおりふし笈を員(かず)て柴の戸を
さて座さだまりて、そのものがたりするをきくに道心なき人とはおもはれぬ。よきはなしかたきよと、こゝろおくこともなくかたらひ、某の講師はまさしくたれり、某の学士はとしにしぶし。
こゝの国は正法熾然なり、かしこの境は異説暴行すなど
はやくよりきく高座行信の説は
今も委曲の説をきゝてその当否を研覈[5]したるまでにはあらず。人の怪も己が疑もたゞ名言のみを認てのことなり。まこと仏祖宗門の法義ならんには疑怪するもそらおそろし。
それをすてゝ顧ず、さてやみなんは、いとくちおしきことならずや。おのれいふそこ、道心みへて衷曲を
今の物議を一犬虚を吠れば万犬実を伝るにたぐへたまふ。
当今の世は恭敬供養を貪て正法をも
悪狗の鼻を杖をもて
されば
然に行信の法門は真宗の枢要にして大谷(親鸞)一代の製作もその本意はこれを甄明し給ふにあり。
『文類』六巻のごとき出格の善字、その詮ずるところ豊富にして絢爛 目を奪わる。さるから(然るから)先輩その行信を説く模稜の手して人を両端に猶予せしむるものあり。
思に先輩おのおの一時の俊秀、おのれをにくらべては、はるかに等を異すれども祖師に望ては一班の末弟なり。
されば祖師を置て、それにつき聖典に順せざることに雷同すべきにあらず。『文類』よみがたけれど必ず一定の聖意あるべしとおもひて、月に日に手巻を釈ず、韋編三絶 やゝ聖意をしられてこれを諸文にこゝろみるにおもひ
これは懇求のいたすものからおもへば仏祖の加祐なからましかば、いかでかこの地位を知んとよろころばしくて、すゝろに涙に
さてこそ仏祖の法味にして一切有縁の受用たれば一人独楽(どく-らく)すべきにあらず。
これよりさきに諍論の分かれたる。信心正因は一往にして如来の本願はまことに口称を体とすといひ、あるいは称名往生は七祖未熟の時機に被(かぶ)る言にして真宗の実践にあらずといひ、あるは信心称名具足せしめて方生す、行と信と一缺(欠)とも不可なりといふ。
すべて聖意を大観せず、行信の法門に迷たるなり。それを諍論亡息のところにいたり法味に迷しめんとおもへども悪心を生じて餐子はせんすべなし。
今、ねもころ〔懇ろ〕に請求したまふ。
おろおろその義趣をときいでゝ来問にむくひん。さらに
略して真宗行信の法門を述するに先六巻の『文類』に就てその意義を弁じ、後に古今教導の風致を釈せむ。
初に『文類』に就て意義を弁ずとは、それ我大谷の製作多し中にして六巻の『文類』を宗義の根本とす。『文類』の所明ひろしといへどもその至要とするところのもの行信の二法なり。
これ阿弥陀如来の「往相回向」の真因にして濁悪の凡夫これによりて径(ただちに)に報土に入ことをうればなり。
源「選択本願」より出て釈迦文仏これを三経に敷演し南天(龍樹)[8]已来の伝灯の宗師
大谷それを受て、もて従前の経釈に
故に大首の「総序」にはまづ願力の一法を歎じてこれを『大経』の所説にあて、次に『観経』にとける王宮の事縁を叙してかの願力極悪最下の劣機を救ふことを明し、その願力を行信の二法となして「円融至徳の嘉号」等と歎ず。
次に「捨穢欣浄(穢を捨て浄を欣ひ)」乃至「聞思莫遅慮(聞思して遅慮することなかれ)」(*) といふて上の行信を
もし大尾の文にまづ黒谷遭難(承元の法難) の事を語てその興宗を示し、次に愚禿釈親鸞等といふて自の帰入得法を明す。
その得法とはすなはちこの「選択本願」の行信なり。後には「慶哉樹心弘誓之仏地(慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に
みよ首尾一貫して所顕臆によらず。たゞ祖訓これ伝ふといふことを示し給ふことを。いはゆる
- 三国の祖師おのおのこの一宗を興行す。愚禿すゝむるところ
全 私なし。(御伝鈔 P.1057)
又、
- われ二菩薩の引導に順じて如来の本願をひろむるにあり、真宗これによりて興し「念仏」これによりてさかりなり。これしかしながら聖者の教誨によりてさらに愚昧の今案をかまへず。(御伝鈔 P.1045)
と、いへる趣向なり。
さて正く釈顕するに至て真宗 「教」乃至「化身土」を明す。
すなはち六法なれども克論するにまた真実の行信を顕んためなり。故に第二巻云、
凡就誓願有真実行信 亦有方便行信 其真実行願者諸仏称名願 其真実信願者 至心信楽願 斯乃選択本願之行信也
其機者則一切善悪大小凡愚也 往生者則難思議往生也 仏土者則報仏報土也。乃至云云
斯乃誓願不可思議一実真如海 大無量寿経之宗致他力真宗之正意也
- おほよそ誓願について真実の行信あり、また方便の行信あり。その真実の行の願は、諸仏称名の願(第十七願)なり。その真実の信の願は、至心信楽の願(第十八願)なり。これすなはち選択本願の行信なり。
- その機はすなはち一切善悪大小凡愚なり。往生はすなはち難思議往生なり。仏土はすなはち報仏・報土なり。これすなはち誓願不可思議一実真如海なり。『大無量寿経』の宗致、他力真宗の正意なり。(行巻 P.202)
これ弘願真実の行信をあらはすにつゐて余は
かゝる行信となる法を詮するを大経真実教としこれをその宗致とす。文勢みるべし。
即(ち)行信を顕す中間ありて行信を宗要とすることを示し重て美麗の言辞をもてこれを讃じ偈頌となして有縁に授て持し
これは六巻の中、前五巻の宗要なることを示す。
これに準じていふに第六巻は題して「化身土」といへど、そのこゝろは、いはふる方便の行信をあらはすにあり。
文に云く、
案方便之願亦有行有信 願者即是臨終現前之願也
行者即是修諸功徳之善也
信者即是至心発願欲生之心也
依此願之行信 顕開浄土之要門方便権化等
- 方便の願(第十九願)を案ずるに、{仮あり真あり、}また行あり信あり。願とはすなはちこれ臨終現前の願なり。行とはすなはちこれ修諸功徳の善なり。信とはすなはちこれ至心・発願・欲生の心なり。この願の行信によりて、浄土の要門、方便権仮を顕開す。(化巻P.392)
又云く、
就方便真門誓願有行有信 願者即植諸徳本之願是也
行者此有二種一者善本二者徳本也
信者即至心回向欲生之心是也 等
- 方便真門の誓願について、行あり信あり。また真実あり方便あり。願とはすなはち植諸徳本の願これなり。行とはこれに二種あり。一つには善本、二つには徳本なり。信とはすなはち至心・回向・欲生の心これなり。[二十願なり](化巻P.397)
表顕の外に遮顕をもちふるものは行者たゞ表顕のみをきゝてその不得意のもの、なほ誤りて自力に
このゆへに真実の行信を明せるうえに
これを喩に人のために真金を示さんに偽宝をならべてその別を指説するときいよいよ真金の真金たることを知て、また姦人拐児に、誑惑せられざるが如し。遮顕をもちふるそのこゝろ甚深切なり。
行者こゝにおゐて邪径をふまず、直に本願の白道に乗して一心正念の人となる。
このゆへに一部六巻(『教行証文類』) の宗要はたゞ「選択本願」「往相回向」の行信を光昭(照)にするにありむべこそ始末の総題に『顕浄土真実教行証文類』といふこと、この意を得てよく伝はるは中興上人 (蓮如) [12] の五帖の消息(蓮如さんのお文。『御文章』) にて化身土を所廃として雑行 雑修 自力をすてよと誡め、前五巻をば一心一向に弥陀をたのめと、つゞめて勧め給ふ。これを八十篇の通旨とす。
そのほか
さなきだに報土の信者はまれなるに、それらの談をきゝては、ますます小成に安ずるやふになりもてゆかむ。
さてはまたく『本典』の祖意に違背して浄土真宗の流行にはあらず。
却説す、六巻の体製上の如くなれば行信といふことは一大緊要の法門なり。
この宗を学ぶもの、たとひ聖教老練の人に従てその指授をうくとも退(ひい)てさらに自己心中に工夫し百思千忖[13]するにあらずは云何(いかん)ぞ聖意に詣造することをえむ。
まして、なまものしりの未了有余の説をきゝて、さらに聖教に参訂するまでもなく仏祖とは墻(へい:塀)に面して立つふぜひなるを、此言決定 此義究竟 我己知之我尽宗意(この言決定なり、この義究竟なり、我すでにこれを知り、我が宗意を尽くせり)と、ほこりがにいひまはる、かの道聴塗説といへるにたぐひて道の廃れなんこそかなしけれ。
それほど易々たることならんには大黌(学)に入て講習することを
世の哲人、いやかさねに著述鈔解あることは宗義深遠広大にしてまことに尽すべからざればなり。
愚者はいよいよ愚に、惑者はますます惑ひ、悪俗弊に乗り、驕奢淫佚まさりもてゆき多許の聖教も故紙堆の看をなし、法寇外より来れども防禦に衛なく邪徒内に起れどもこれを糾すことあたはず。仏祖の正意は烏有となり去り、勝義の真宗また見へからざるに至ん。悲ひかな。
然に『文類』の中一部の正意として顕さるゝ真実の行信といふは、この二法はともに衆生の上にてと(説)ける法門なり。
初の真実教と云は諸仏上にありて、しかも、そが中の釈迦を主とす。これ娑婆世界の教なるがゆへに、その真実教といふは即 霊山所説の『大経』にして『大経』の所詮は願力なり。
文に云く、
説如来本願為経宗致 即以仏名号為経体
- 如来の本願を説きて経の宗致とす、すなはち仏の名号をもつて経の体とするなり。(教巻 P.135)
と本願名号は次の如く願力なり。因願果力更互に成就し不離一体にしてよく衆生を摂す。これを他力と云。「不虚作住持」の註に云云するがごとし。
その願力を能被の法として衆生に
古(いにしえ)は彼をつねの称呼としたるにや。『改邪鈔』『真要鈔』『見聞集』等に『教行証』とよび給へることみへたり。[15]
これは五巻の所顕、開合のあることにて第五巻の真仏土は証より開きたるものにてかれを合すれば四法となり。
さて、信は行より開きて、それを合すれば「三法」なり。これは従前の諸老も釈しをきたることなり。されば三法は極めて合したる法相なり。これは「浄土真宗」の常不変三時通入を彰す建立なり。
第六巻に云く、
信知聖道諸教為在世 正法而全非像末法滅之時機 已失時乗機也 浄土真宗者 在世正法像末法滅濁悪群萌 斉非引也。
- まことに知んぬ、聖道の諸教は在世・正法のためにして、まつたく像末・法滅の時機にあらず。すでに時を失し機に乖けるなり。浄土真宗は在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萌、斉しく悲引したまふをや。(化巻 P.413)
と。
異流よりは『教行証』は三時に選ざるゝ聖道門の上にてもちふる名にて浄土門にていふことにあらずといふげにや。
慈恩の『法華玄賛』の第五『法苑義林』の三宝章『仁王の良賁疏』等、ちかくは第六異巻所引の『末法灯明記』等にみへたれども聖道門に局(かぎ)ることにはあらず。
故に宗家(存覚) は
籍教行之縁因 乗願往生 証彼無為之法楽
- 教行の縁因に籍(よ)りて、願に乗じて往生して彼の無為の法楽を証せしむ (『六葉』)
とのたまへり。されば体義は異なれども名は一同にして彼此に通ずるものなり。
その一同の名に就て切に彼此の別異を示して二門を抑揚せんと欲す。
謂(いわく) 彼は変易無常の法 (聖道の)教・行・証、三時を逐て衰損す、此れはしからず常住不変 在世法滅、三法増減なし。
衰損あるものは自力の法は衆生自心の建立にして法 時機に随ふ。
像末の世にして証をそのなかに求るは湿る薪を
その増減することは、他力の法は阿弥陀如来の清浄願心より建立して時機のために
喩(たとえ)ば虚空の染汚を受けざるが如く、時降り人劣なるも如来清浄の願心は虚空の如くなれば、それを染汚することあたわず。こをもて三時の衆生無碍に通入することをう。これ「三法」をもちふるこゝろなり。こゝにおゐて信の一法
かくて聖道門に
後に第四巻に至て総じて因と云文に云く、
若因若果無有一事非阿弥陀如来 清浄願心所回向成就
- もしは因、もしは果、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまへるところにあらざることあることなし。(証巻 P.312)
と。
既に開て二法とす。
これを序するに或は行信といひ、或は信行といふ。これ義二途ありて次序あひ反すること乃(すなわ)ち爾り。
二途の義とは《
『末灯鈔』には、
- 行とまふすは、本願の名号をひとこえとなへて往生すとまふすことをきゝて、ひとこえをもとなへ、もしは十念をもせんは行なり。この御ちかひをきゝ、うたがふこゝろのすこしもなきを信一念とまふすなり (御消息 P.749)
といへり。
すなはち法相別ありて表裡を相成す。
しかも表より裡(うち)に
「禀受の前後」とは衆生諸仏知識の真実教を受心に聞信するを最初とす。いまだ
此二途はその
初に「法相の表裡」をもていふに、これはさきに弁ずる建立のこゝろより来る。
さて行とは所在に従て分つ中の口業の称名なり。故に釈して、
大行者則称無碍光如来名
- 大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。(行巻 P.141)
と。『末灯鈔』は
『二門偈』、
云何讃歎 口業賛 随順名義称仏名
- いかんが讃嘆する、口業に讃じたまひき。名義に随順して仏名を称せしめ (二門 P.546)
等、といへるも大行なり。
然(しかる) に口業の称名は『止観』の四種三昧等よりして要門にも真門にも通じてあり。それを「往相回向」の「大行」とすることは云何といふに、まづこの大行といふは第十八願の「乃至十念」といへる称名なり。
故に標して選択本願之行といひ、また偈には本願名号正定業といへり。これ実に超過の法なれども相似濫偽のものありてその義顕しがたし。故にこれを第十七願に寄す。標挙および引文の如し。
第十七願は、諸仏称名にして実の如く法体を顕すものなり。衆生の称名を彼(第十七願) に
謂く「離自力之心(自力の心を離る)」(化巻 P.395) とある称名は不回向の行にして、すなはちこれ如来回向の法体なり。これはもと諸仏の咨嗟を聞て得たり。得ところ諸仏咨嗟のまゝにして自力まじはることなし。
されば称念すといへども称念の功を認てそれを往生浄土の業因とは、をもはず、たゞこれ聞得たるところの法体のあらはれたるなり。故に、
非凡顕(聖)自力之行故名不回向之行
- 凡聖自力の行にあらず。ゆゑに不回向の行と名づくるなり。 (行巻 P.186)
といへり。
これなほ第二十の願真門の念仏に異なり。況(いわん)や第十九願の定散諸善と隊(くみ:組)をなすをや、而を況や止観等の念仏をや。これすなはち「極速円満真如一実功徳宝海」と嘆じたる法にして諸仏法の表に出過せる超世無上の大行なり。
この義を
能行の法、彼此なきが故に この彼此なきものを初祖(龍樹)は「阿弥陀仏本願如是」 (十住毘婆沙論 P.15) 等といひ、北天(天親)等は如実修行(浄土論 P.33) といひ、終南(善導)は正定業といひ、横川(源信)は「別発一願の念仏」(*) とし、黒谷(法然)は「選択本願」の念仏といひ、我大谷(親鸞)は「智恵の念仏」とも、また「真宗念仏」とものたまへり。
これを諸仏称名之願とのみ標挙しては不得意のもの誤りて大行とは諸仏の称名にして、いまだ衆生の手に入らざるものと
或はこの大行を所行の法体にして衆生上の能行の法に非ずといふ、蓋(けだし)標挙のこゝろを解せざるなり。
『末灯鈔』には「信心歓喜者 与諸如来等 (信心歓喜する者はもろもろの如来と等し)」の文を会して本願の信心をえたる人として則我善友と文に合し、さらに第十七の願およびその成就を引て同等を証す。(消息 P.759)
人なほ同ずることをう、その法なんぞ彼此を
『和讃』に云く、真実信心の称名は(*)等と、あに能行即法体なるにあらずや。
また『論註』には破闇満願を名号の徳とす。それを顕行(顕浄土真実行文類) には称名能破といふ。『論註』の称彼如来名と云を鸞師名号とす。
されば『註』の名号は即『論』の称名にして法体を全ふずる能行なればなり。
法体を
称名則是{最勝真妙}正業 正業則是念仏 念仏則是 南無阿弥陀仏 [19]
- 称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。(行巻 P.146)
といへり。
またこれを諸仏上にあるものとして「衆生法」に非ずといはゞ、真実教と何の別ぞ、「教行」同く諸仏上の法ならば、その真実教は何の義利かある。
既に所詮を別にす。真実とは云へど、たゞこれ「汎爾」の名句文にして諸経に異なることなし。何ぞ
又『教行証』といふが如き、行を衆生に約せずは、その証は何によりて得るや。
『六要』に所信所行といへるは衆生禀受の上にて能所を分別したるものにて機教のこゝろをもて釈せらるゝか。
次に信といふは、かの願力の回入して衆生の内心に在るものなり。願力こゝろに受られて自力はなれたるを信と云。
これすなわち「二種深信」のすがたにて信機の故に自力をはなれ信法の故に願力をうく。三信を釈する中に広く示すが如し。
かの釈は「二種深信」を宗骨とす。深信は信楽なり、信楽もとより機法の二義を具す。信楽分れて初後の二心となる。「信楽」本具の故に「至心」も「欲生」もこの二義を出でず。一より二を開し二を合に即一信楽心、自力浄尽して、たゞ願力これ存す。これを「往相回向」の「大信」とす。
願力の一因、所在に従て分て二とする。法相ほゞかくの如し。
これを知り已(おわり)てさらに開て二法とする。深く所顕あることを知べし。
曰く、行や信やたゞ一願力といへども、その願力なること知がたし。行と信とあひ
謹按往相回向 有大行有大信
- つつしんで往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり。(行巻 P.141)
と。「往相回向」とは願力の謂なり。願力の故に大と称す。その「大行」とは称名なり。称名
憶念本願 離自力之心
- 本願を憶念して自力の心を離る。(化巻 P.395)
と願力なることは自力をすてゝ他力に帰すればなり。
その自力を捨てゝ他力に帰すとは内心信受の相なり。この信をもて顕せばその口業の念仏はたゞこれ願力の露現したるなり。願力とは名号のことなり。「六字釈」を解したる文の中の如し。
終南(善導)は具(つぶさ)に名願とのたまふ。何か故ぞ願力なる。
帰命斯行信者 摂取不捨 故名阿弥陀仏 是曰他力
と、云が如なるが故に、願力露現とすれば称名といへる言辞は名をもて称を奪ふ。
称念功なく、破闇満願たゞこれ無礙光如来の徳義なり。『論註』の称彼如来名は能行をもていへるを註家その称の言をさしおひて「無碍光如来名号能破衆生一切無明 (無礙光如来の名号は、よく衆生の一切の無明を破し)」 等と云て所行の徳を語る。
これ『論註』の如彼光明智相(かの如来の光明智相のごとく) といへるこゝろなるが故に、かゝる徳行いはふる善男子善女人の手に入て即衆生の行となる。これを「讃歎門」の称名とす。天上の月を望むが如きことには非ず。
大谷そのこゝろえをえて「称名」の破闇満願としたまふ。終南(善導) の正定業といへるもその意またく同じ。
是故「論主 建言我一心 (論主、我一心と建言す)」(論註 P.104) とありて『論註』の「如実修行」も「建章」に一心に由て成じ、終南(善導)の正定業も深心をもて決す故に「一心専念」といへり。今の大行も大信によりて大行といはる。乃ち第三巻には「一心是名如実修行相応 (一心これを如実修行相応と名づく)」(信巻 P.253) といへり。この称名これを行者の用心にていへば、たゞこれ報恩行なり。それたゞ「報恩行」なり、これもて正定業といはる。
又、唯称念仏名と云が如き正定の義なれば称念は仏名に
必得往生は仏名の自爾にし称念の功を
罔極を欽仰し「四修」墜ことなく相続念報するが故に、祖師およひ覚信の事跡(御消息 P.767)、中興(蓮如)主の自ら四儀無間[20]とのたまひ、そのこゝろの群下の主計(一代記 P.1252) が行状等思てみつべし。
終南(善導)の伝(新修往生伝)に、「一心念仏 非力竭不休 寒冷亦須流汗 (一心に念仏す。力竭(つ)きるに非ざれば休まず。寒冷にも亦た須(すべから)くして汗を流すべし)」といふもまた唯こころ此にあることなり。
次に大信とは、これは正しき機受の法にて正定聚之機ともいひ「金剛(信)心絶対不二の機」(行巻 P.199) ともいへり。これいかなれば願力なる。
曰く、
三信釈に、
至心則是 至徳尊号 為其体
- 至心はすなはちこれ至徳の尊号をその体とせるなり。 (信巻 P.232)
と、云が如し。かれ初心を釈して後の二心を彰す。三心即一心なれば至心の体、尊号なるときは信楽・欲生もその体 別なくたゞ一尊号なり。いはふる「至心為体 信楽為体」はこのこゝろなり。その尊号とは「大行」なり。大行露現の名願力をもて信心の体を顕す。第二巻に、
念仏則是南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 即是正念
と、あるはこのこゝろなり、思てみつべし。
それ信心といふは心中に快く名号を受けられたるなり。名号の外はすべて雑行 雑修 自力の心を捨離して、
以斯義故 必得往生
- この義をもつての故に必ず往生を得。(行巻 P.169)
とある、名号の信知せられたるを快く受けたりとす。されは信心といふはたゞこれ名号を内心に獲得したるなり。
中興上人(蓮如)ちかく『宝章』(御文章) にのたまはわく、
- 信心といふはいかやうなることぞといへばたゞ南無阿弥陀仏なり。この南無阿弥陀仏の六字のこゝろを委(くわし)く知りたるが、すなはち他力信心のすがたなり。(3-2)
又云く、
- 南無阿弥陀仏といふはすなはち念仏行者の安心の体なり。(4-6)
又云、
- 当流の安心決定すといふ体は即ち南無阿弥陀仏の六字のすがたなりとこゝろうべきなり。(4-8)
又云、
- 一流安心の体と云こと南無阿弥陀仏の六字のすがたなりと知べし。(4-4)
又云、
- 当流安心の一義といふはたゝ南無阿弥陀仏の六字のこゝろなり (5-9)
とも又、
- 他力の信心をうるといふもこれ併南無阿弥陀仏の六字のこゝろなり (5-10)
とも又、
- 安心といふも信心といふもこの名号の六字のこゝろをよくヽこゝろうるものを他力の大信心をえたる人とは名たり (5-13)
とも又、
- されは南無阿弥陀仏とまうす体にわれらが他力の信心をえたるすがたなり この信心といふはこの南無阿弥陀仏のいはれをあらはせるすがたなりともいへり (5-22)
『最要鈔』に、
- この信心をはまことのまこゝろとよむうへは凡夫の迷心にあらず、またく仏心なり この仏心を凡夫にさづけたまふとき信心とはいはるゝなり。(最要鈔)
とあるも熟会してみれば同意にて、いはふる仏心は摂取不捨の大慈悲心にてすなはち真実の大行なり。
発願回向の言を解して
如来已発願 回施衆生行之心
- 如来すでに発願して衆生の行を回施したまふの心なり)」(行巻 P.170)
といへり。仏の回施する初めと衆生の受得たる後と法体たゞ一なるが故に仏心即大行にして「南無阿弥陀仏」を内に在て信心といふとなり。かくのごとき信心潜隠して知りがたし。
潜隠の信心より大行の称名生起して願力の法体露現す。その露現するものをもて願力の大信なることを顕すなり。(称即信)
信行互顕してこれ自力にあらず、たゝ一願力なることを詮するこゝろ略してかくのごとし。
また両重の因縁を明されたり。その初重は行の上にて分別す。その後重は行信相望て因縁を分つ。相承の指南によるにすなはち行信相顕すこゝろなり。
この指南とは『執持鈔』に釈して
- 光明と名号と父母のごとくにて、子をそだてはぐゝむべしといへども、子となりていでくべきたねなきには、ちゝはゝとなづくべきものなし。子のあるときそれがためにちゝはといひはゝといふなあり。
- それがことくに光明をはゝに、たとへ名号をちゝにたとへて光明のはゝ名号のちゝといふことも報土にまさしくむまるへき信心のた子(ね)なくはあるへからす。(執持鈔 P.863)
とのたまへり。それ父母ありて而して後子の名あり。また子ありて而後に父母の名あり。弘願の行信あひ似たることあり。
謂く大行ありて大信の大信たることを顕し、また大信ありて大行の大行たることを顕すなり。彼に結して二文を引る。いはゆる光明名号は願力なり。
その願力を信心とも念仏ともなる互顕してしかも即是なり。その体無二の故にかくのごときと行信を機教とも名て不二なりと示さる文に云く、
然按本願一乗海 円融満足極速無碍絶対不二之教
- しかるに本願一乗海を案ずるに、円融満足極速無碍絶対不二の教なり。(行巻 P.199)
按一乗海之機金剛信心絶対不二之機也可知
- 一乗海の機を案ずるに、金剛の信心は絶対不二の機なり、知るべし。(行巻 P.199)
と。
或は学者ありてこれを上の衆多の相対に望て天台の開会の絶待に同ずるは甚しき錯(あやまり)なり。それ行信をよぶに機教をもてすることは寛く通じて要門 真門にもあることなれども、そのこゝろは大に別なり。かれは逐機随情の説にて仏縁に俯逮して定散二善等の教をとく。
例せば他宗の唯心縁起の上にて、教体を論二唯影無本[21]といへる風情なり。乃(すなわ)ち教もと自力の教なり。
その教を受て行ずる行は教とはいへど自力の行なり。行自力なれば機も自力なり。故に『御鈔(愚禿鈔)』には「漸教回心機自力 (漸教回心の機は、自力なり)」(愚禿上 P.510) といへり、今はそれと反す。謂く上の真実教といへるもの随智逐法の説にて衆生の善悪浄穢を問ず。正直(せいちょく)に如来真実の願力のまゝを説きたるものなり。
その如実言をそのまゝに受たる行ゆへ、この行すなはち諸仏の誠言なり。故に行を名て教といふ。
大意に釈して第二に真実の行と云は、さきの教にあかすところの浄土の行なり。これすなはち南無阿弥陀仏なりといへるこのこゝろなり。
かくのごとき行はその機もまたこれに準ず故に『御鈔(愚禿鈔)』に「一乗円満機他力(一乗円満の機は、他力なり)」(愚禿上 P.510) といへり。これを絶対不二といへるは機教ともにたゞ一願にして教の外に機なく、機の外に教なく教を全じて機とし機を全じて教とする故なり。教を全して機とすれは「行即信」なるゆへ如実修行が一心なり。機を全して教とすれは「信即行」なるゆへ一心が如実修行なり。此「法相の表裡」は行信倶時相応のうえの建立也。
次に「禀受の前後」に就て信を先にし行を後にして、「円満の分斉」を断すとは常没の凡夫、始て善知識に遇(あい)て開悟せられて阿弥陀如来の願力不思議をきゝうる刹那に報土の真因頓爾に満足してさらに後刹那を須(もちい)ざるか故に、いはふる信楽の一念これなり。
文に、
信楽有一念 一念者斯顕信楽開発 時尅之極促 彰広大難思慶心
といへり。
また第二巻には、
即言由聞願力 光闡報土真因決定時尅之極促
- 「即」の言は願力を聞くによりて報土の真因決定する時剋の極促を光闡するなり。(行巻 P.170)
といへり。
経に「即得往生」といふは「聞其名号(その名号を聞きて)」(大経 P.41 とある最初聞信の端的にある益なり。
『論(十住毘婆沙論)』に「即入必定」とあるは、かの上の文には「念我称名」と信行並べ挙てその益とす。[22] それをなほ行を揀(わけ)て特(ひと)り念我の信に就て、それに真因決定させてかの必定も実に最初聞信の時にありとして経の即得往生に会したるものなり。
必定を引は必得往生といへるに縁(より)て来る。必得往生とは元来願行具足せる法体自爾の徳義なり。
下々品の劣機もやすく往生することは具徳の法をうるによりてなり。それにつひて法の衆生に回入する頓爾にして漸次にあらず故に一念聞信のところにて、かの具徳の法を全得して余なし。この故に真因決定といふ。真因決定してうべきことをえてよろこぶ故に広大難思の慶心といふ、広大難思は報土の果なり。信心歓喜の刹那、徳義円具し彼果を尅成するに堪たり。慶心こゝにおひて生ず。
『十住論』の「地相品」に「初地の菩薩我定て諸仏無量の徳をうべしと知る故に、このこゝろ大に歓喜」と云が如し。[23]
故に広大難思の慶心といふ、この聞信の刹那に報土の真因決定といふは甚怪むべきに似たれも、方便荘厳 真実清浄 無量功徳[24] と歎じたる不可思議功徳の名号全体 如来招喚の勅命となりて聞信にし、領得せらるゝやふに成立せし法なり。
さて、きくとき生因円満することを切に示が故に、いはふる「乃至一念」を黒谷(法然)は行とせるを、別して信楽の一念とす。こゝろは信後の称名は行を外にするにあり。此意を承(うける)が故に『願々鈔』には本願成就を引て「しかればその名号をきくといふは善知識に開悟せられるゝ時分なり。」(願願鈔P.47)
問、いまの文に何ぞ名号をとなふといはず聞といふや。
答、名号をとなうる功をもて往益を成すべからず。聞といふは善知識にあふて本願の生起本末をきくなり。きゝうるにつきて歓喜の一念治定す。このときにあたりて「即得往生住不退転 (すなはち往生を得、不退転に住せん) といへり。
『最要鈔』には第四巻(証巻) に、
獲得往相 回向心行 即時入大乗正定聚之数
- 往相回向の心行を獲れば、即のときに大乗正定聚の数に入るなり)。(証巻 P.307)
といへる行をも、なほこの聞位に収(おさめ)て、経釈すてに聞をもて詮要とせられたり。よくきくところにて往生の心行獲得する条顕然なり。このこと忽きけば相違に似たり。
その故は第二巻(行巻) には、
大行者 則称無碍光如来名
- 大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。(行巻 P.141)
といひ『末灯鈔』には、
- 一声をもし十念をもせんは行なり。(御消息 P.749)
とあれば行は口業の行なり。
されば釈せらるゝ文は第二巻(行巻) に、
帰命斯行信者摂取不捨
- この行信に帰命すれば摂取して捨てたまはず。(行巻 P.187)
等といひ第三巻には、
由斯信行必可超証大涅槃故
- この信行によりてかならず大涅槃を超証すべきがゆゑに。(信巻 P.256)
等といひ、『聚鈔』の偈には、
発信称名光照護
- 信を発して称名すれば光、摂護したまふ。(浄文 P.486)
等といへりと同意にて、向(さき) にいふ、行信互顕して自力をすてゝ願力を領得したることを顕すの施説にして因満を克示したる文にはあらず。
『鈔』にその行を聞位に収(おさむ)るものは信一念といへども隠にはまた称名をかぬるに似たり。
これらの釈に惑ふて古老の中にも最初の一声は生因なり、第二声より後をさまに報恩行とすと釈したるものなりときこふ。『願々鈔』は前後のこゝろをもて表裏を釈したるものなり。表裏前後にいたれば、報土得生の「因満の分斉」は正しく信楽開発の一念にあることにて、口業の発声はその後にありて、たゞこれ報恩の行事、往生には関係なし。
乃(すなわ) ちかの下の文にも、信心歓喜乃至一念のとき即得往生の義治定のゝち称名は仏恩報謝のためなりといへり。
明かに称名をば報恩行として揀(わけ)て因満後におく、大初聞信のところに称あるべき謂なし。
『執持鈔』に「本願を信じ名号をとなふれば、その時分にあたりて必往生はさだまるなりと知べし」 (執持鈔 P.866) とあれども、彼は総じて平生を挙て臨終に対して往生は平生に治定して臨終の善悪によらざることを示す文にして、「因満の分斉」を克したるにはあらず。彼中にも平生のとき善知識のことばのしたに帰命の一念を発得せば、そのときをもて娑婆のおはり臨終とおもふべしといへり。
帰命の一念といふ信の一法をもて分斉をさだむること炳如[25]たり。いよいよしる称名のか子(ね)ざることを、爾(しから)ばなにゆへ往生の心行獲得する等とて行をいふ。
曰く、表裏の詮意は願力を顕(あらわす) にあり。故に前後をも会すれば、いはゆる心行は所聞の名号の徳義にして、なほ願行と曰んか如し。よくきくとき回施によりて衆生の願行となる。これを往生の心行獲得する等といふ。
このこと聞位に成し已(おわ)る故に、発信のところにして「因満の分際」をさだむ生因満し已るつぎの刹那より称名あらはれども志願満足して往生におひて須(もちい)るところなし。故に報仏恩の行とす。
『口伝鈔』に云く、
- 一念をもて往生治定の時刻と定て命のぶれば自然と多念におよふ道理をあかせり。されば平生の時一念往生治定のうへの仏恩報謝の多念の称名とならふところ文証道理顕然なり。(口伝鈔 P.911)
と。「報恩行」とはこれと「正定業」と、うちきゝたるところ水火の如く相反するに似たれども、共にこれ一弘願念仏の上にある二義なり。
正定業の名は終南(善導)に創(はじま)る、『散善義』の如し。
報恩行とすることは人或は七祖の意に非と疑ふ。而れとも実に黒谷(法然)に起とみゆ『絵詞(法然上人行状絵図)』伝の廿九に兵部卿基親、念仏を報恩と思ふよしを問に、黒谷それを答て己心の所在に一部も違はず、随喜深しと印し給へることを載す。(『法然上人行状絵図』) 二尊院所蔵の『漢語灯』も、そのこと全く同じといふ。
しかれは黒谷の平常に教誨ありしことにて、西山に助業の念仏を報恩といふも、その余音とおもはる。
今家、「正信偈」龍樹章(行巻 P.205) および和讃の大首等(浄土 P.555) に示さるゝは、ことにその正伝なり。
さて名字は縁を待ておこれども二つながら二尊の秘懐を伝て七祖の通意なり。故に初祖(龍樹)の「若人欲疾得不退転地者(もし人疾く不退転地に至らんと欲せば)」等の言を『文類(教行証文類)』の偈には、
唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩
- ただよくつねに如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべし。(行巻 P.205)
といひ、『聚鈔』の偈には、
応以恭敬心執持 称名号疾得不退
- 恭敬の心をもつて執持して、名号を称し疾(と)く不退を得べし。(浄文 P.487)
といへり。
すなはち『文類』の偈の報恩行とし『聚鈔』の偈に述するところは正定業のこゝろなり。
初祖に在て、これをいふものは初をもて後を例して北天(天親)[26]已下の六祖も通じて二意あることを示さるゝ義勢なり。
正定業・報恩行とて称名に二別あるに非ず。たゞこれ南無阿弥陀仏を称念するなり。
また最初の一声を正定業とし第二声後を報恩行とするにもあらず。報恩行とすれば第一声よりして報恩ならざるものものなく、正定業とすれば尽形の称名みな正定業なり。
その正定業とは称念すところの法体名号自爾の徳義をいひ、報恩行は名号を称念する行者の用心をいふ。
『執持鈔』に云く、
- 名号を正定業となつくることは仏の不思議力をたもては往生の業まさしくさたまるゆへなり。もし弥陀の名願力を称念すとも、往生なほ不定ならば正定業とはなづくべからず。(執持鈔 P.865)
と。
『最要鈔』に云く、
- 信心歓喜乃至一念のとき即得往生の義治定ののちの称名は仏恩報謝のためなり。さらに機のかたより往生の正行とつのるべきにあらず。「応報大悲弘誓恩」と釈したまへるにてこゝろうべし。(最要鈔)
と。
この故に一体の二義にして而(しか) も二義互に成す。いかにとなれば正定業のゆへに報恩行を成す。謂く必得往生は願力の自然なり。
黒谷は「本願の念仏には、ひとりだちをさせて助さゝぬもの」(諸人伝説の詞) と の給へり。
これを正定業とす。この故に往生に造作すへきところなければ、たゝ摂取の大益を仰て恩徳を報するばかりなり。又報恩行のゆへに正定業成ず。謂く、報恩行なれば往生の正行とつのる自力を離るがゆへに、願力不思議の正定聚あらはるればなり。
『和讃』に云く、「弥陀の名号となへつゝ」等と二義相成、翫味して知べし。
『改邪鈔』に云く、
- 正定業たる称名念仏をもて往生浄土の正因とはからひつのるすら、なをもて凡夫自力のくはだてなれば、報土往生かなふべからすと云云。そのゆへは願力不思議をしらざるによりてなり。当教の肝要凡夫のはからひをやめて、たゝ摂取不捨の大益をあふぐものなり。(改邪鈔 P.936)
等と。
吁不知願力不思議を錯信己之造作擬之生因 即是自力念仏非正定業 蚤味却銘文意等称名説了 既不知願力不思議迷失如来広大恩徳 奚報謝之有非報恩行寤寐匪懈に唯摂取徳是念報恩行也 即斯為知願力不思議正定業義成也。
- 吁(うれえて)願力不思議を知らず錯りて、己が造作を信じてこれを生因と擬す。即ちこれ自力念仏、正定業に非ず。蚤(はや)く銘文意等の称名の説を味却し了る。既に願力不思議を知らず。如来広大の恩徳を迷失す。奚(なん)ぞ報謝といふか、これ有らん、報恩行に非ず。寤寐懈に匪(あら)ず。唯摂取の徳をこれ念ず報恩行なり。即ち斯れを願力不思議を知と為す、正定業の義成也。
正定業といはるゝ称名、または如実修行とも名て、すなはち如来の光明智相にして、これ実相身、これ為物身、その徳広大不思議、さてこそ仏意に契当して報恩行となるなり。
『和讃』云、仏恵功徳をほめしめて等、
又云、他力の信をえんひとは等、
又云、無慚無愧のこのみにて等、
昨夢廬[27]の「正定業」と「報恩行」と、その揆一なりと云しは、さすがに解し得て好し。西山には正定業をば白木の念仏と異名して、これを他力とし傍正の重に安じ、三業門の念仏を報恩行として助正の重におきて、四重の助業と位を同じて正定業とは名けず。忽きけば真宗と大に同じきやうなれども、終南(善導)・黒谷(法然)の所伝にあらず、そのこゝろ甚た別なり。已達の人に問て知べし。
大谷門下にも宗意未練の人は錯謬多かるべし。聖教を細尋して熟会ありたきことなり。情に党し臆に昵み僻執増上しては、法語聖言といへども己見に合はざるをば、随他方便などいひおとして自失し、他を誤り正法をとく人をみては忌嫉て、それを妨(さまたげ)んれうに権門勢家に媚諂て、こゝろを結び姦計百端して断学般若の構をなす。怖るべきことなり。
上来略して二途を弁じぬ。さて宗蔵の中に称名を正因といへる文あり。
『銘文(尊号真像銘文)』意等の如し。
- 先年一党の学者ありて助正の義を論ずる中に、称名なほ因に非ずと云しを、窮逐の次て『銘文(尊号真像銘文)』『文意(唯信鈔文意)』[28] 等の如き聖教を挙て、それを弾拶せしかば、かの徒(やから)等、余を誹謗せしめて、「称名正因」を恢張すと流言す。東上のおりふし、本山より御諭あるにつひて謹て尊命を領じ牒を写して上りぬ。
- さて西帰ののち学友をにもこれを告げ、その名目をばかたくいはずなりぬ。本山にては常教におひて、さわるところあるとおぼしめさるゝよしなり。おのれ少年の昔より半白の今に至るまで、なべて道俗を所対とする法談にわすれても、称名正因など人の惑のひくやうなること、いふたるためしなし。尊命をきゝし後は、さらにかたくつゝしむことなり。
- さるにても詩書不諱 臨文不諱[29]と礼にはいへり。聖教の文、無義の戯論語にあら子(ね)ば、学解の士文にのぞみてその義、云何を考覈せずんばあるべからず。
- 陳元覩が博聞録に
- 故人不以意伝後世 即以辞伝之 是故辞外不得増 増則為外意 辞内不得闕々則違本意二者相備則知古人意
- 故人、意を以つて後世に伝えず。即ち辞(ことば)を以つてこれを伝う。是の故に辞の外をば増すことを得ず。増は則ち外意たり。辞の内をば闕(か)くることを得ず、闕は則ち本意に違す。二にはあい備えて即ち古人の意を知れ。
- といへることあり。聖教を講するもの切にあるへきこゝろえなり。
信心を正因といへる文あり、行信共に生因とせる文あり。枚挙して縷弁[30]するに遑(いとま)あらず。上来の意を得て、もて向はゞ、左右、源に逢て往(いにしえ)として罫碍するところなからん。因(ちなみ)にいふ、『伝絵』に「信行分座」の事を載(のせ)られて信不退・行不退の御座を両方に分たるべきなり等とあり。
かの席名を雪山はこれ後世の所呼にして在世にこの名あるには非(あらず)といはれしか。何に
然にかの席名をもていへば行は要門自力にして弘願にはこれなし。弘願はたゞ信のみとするに似たり。しからば『本書(教行証文類)』とは相違といふべし[31]。
しかれば隠顕互論して人の得意不得意を分ちしものなり。
行信といふこと要門にも弘願にも通じてこれあること、さきにも文を引が如し。
而(しかる)に互に隠顕して得失を旌(あらわ)すことは、先だつるところのものをもて、正否を示す故に謂く、信不退の座につくものは信為能入(信を能入となす) よりして念仏為本(念仏を本とす) に達し、他力に帰してつねに信中に行ず。これよく前後の義に順ず、これを得とす。
その行不退といふは、念仏為本を悪取して信為能入を誤り、起行をたのむの信心にして表裡の建立を邪執して、禀受の心要と謂へるなり、これを失とす。
学者施説に迷ことなかれ。
後に古今教道の風致を釈すとは、行信の二法をいふに、表裡、前後の二途あること上の如し。
共に七祖の伝へたまふところにして、我大谷聖人の如実に相承し嫡流として、家業を開きたまふ。その表裡に非ば、もて真宗を標にたらず。
「如来本願顕称名(如来の本願、称名に顕す)」(浄文 P.487) といひ、「本弘誓願令称名 (本弘誓願に名を称せしむる)」(二門 P.549) といひ、また「念仏宗」(高僧 P.598) と云が如(ごとく)なるが故に、もし前後に非(あらず)ば、もて行者を決定するにたらず。発信の所得、回向の全体にして、報土の真因満足す。これを知ずして初念不定なれば、念念みな決定するときあるべからず。
『和語灯』の四に、
- 一念を不定に思ふものは、念々の念仏ごとに不信の念仏になる也。(和語灯録p.633)
と、黒谷のゝたまへることみへたり。思ひあらはすべし。二途具足して超過の法蘊[32]しるべく、報土の妙証一生に致すべし。
黒谷の後に在て他の背轍に異して、この一家を創(はじ)む。具足して二途を宣説せざることをえず。これその製作の中、並てこれあるをみるゆへんなり。
家業すでに定まりて、天下みなこの嫡流の真宗あることを知る。緒を継(つぐ)の宗主、必しもその載を同ぜす。宗昭(覚如) 師の如き多く前後を言たまひて、その表裡の説、漸に牢なり。信証院(蓮如) いよいよ倣(ならい)て、逐(つい)に専ら前後を用(もちい)て、もて教道を清規[33]し給ふ。
蓋(けだし)、その表裡の義、ときに快会するものあれども、多は誤て自力の大沢に陥る。かの三百八十余人の中、信座に
即ちその念仏、動(ややも)すれば己が口業を執して、称念の功を負(たの)む。他力の義、解しがたきためなり。故に、たまたま「表裡」の文を引れても、ことさらに「前後」のこゝろを示し給へり。
『安心決定鈔』の「一声のところに往生決定するなり」(安心決定 P.1388)、とあるを挙て、
- このこゝろは安心をとりてのうへの事どもにて侍(はべ)るなりと、こゝろうべきことなりとおもふべきものなり。(夏御文 P.1212)
といへるが如し。
例せば、本願の三心を「論主」合して一心とし、愚鈍の衆生をして解了し易(やすか)らしむるが如し。
「論主」の一心、本願の三を壊せず。反(かえり)て、いよいよ三心を顕す。これも専ら前後をもて教道するに、すなはち人をして不知不識表裡の玄宗に契(かな)はしむ。それよりこのかた一流なり。勧導これを常軌とす。事に
然に菽麦を弁ぜざるたぐひ[34] 法義の所在を、わかたず、前後をもて槩断せんとす。
顕行〔顕浄土真実行文類〕の標挙の如き、言の如く、義を取て、その行といふことは諸仏上の事とし去て、所聞の処におひて能行を示すことを知(ら)ず。
「称無碍光如来名」も「称名能破(衆生一切無明)」等も、みな諸仏の称名として、これを衆生に約して解することを許さず。
下の付属の一念の釈に至は、進退維谷[35] りて銷(つく)することあたはず。徒然として口を箝(つぐ)む。
大谷の聖教類文一にあらず、その通じがたきために、みざるものゝま子(ね)す、哀むべきことなり。大谷を知(ら)ずして七祖を窺ふ。おもへらく異轍[36]なりと吁(なげく)。異轍にして而(しか)も彼を承といふ[37]。品氏の羸(嬴)氏を嗣(つぎ)たるには[38]、非は曹氏の劉氏を簒(うばい)たるなり。[39]
文類六巻その余の製作こゝにおひて、旧年の陳暦の如し。当時人を誘の権謀に出て今にして用なければなり[40]。それ上、南天(龍樹)の大士より下、黒谷(法然)の聖人に至り、その跡ことなれども実にみな大心海より来(り)て、阿弥陀如来本願念仏の智印を伝持して濁世の邪偽極悪を開導し給ふものなり。
しかれども時処おなじからざれば、その布置するところ純雑なきにあらず。たゞいはふる真宗念仏に至ては旨帰無二なること画一のごとく然り。
南天(龍樹)の称名易行を、の給ふは表裡なり。念我称名(われを念じ名を称して)(毘婆論 P.15) 等といひ信心清浄者等は前後なり。
北天(天親)の『論』に建章に「一心帰命」いへるは前後なり。「讃歎門」の「如実修行」は表裡なり。註家(曇鸞)の、本願を引て「十念々仏便得往生(十念念仏してすなはち往生を得)」(論註 P.156) といへるは表裡なり。
「此十念者依止無上信心生 (この十念は無上の信心に依止して生ず)」(論註 P.97) [41]とは前後なり。西河(道綽) 表裡をもて浄土門を釈し給へども、その「三不三信誨慇懃 (三不三信の誨(おしえ)、慇懃にして)」なるは前後なり。
宗家(善導)の「序題門」に「莫不皆乗(みな乗ぜざるはなし)」[42]等といへるは前後にして付属の釈に「一向専念」(散善義 P.500) とあるは表裡なり。
『礼讃』に、本願を引て「称我名号」(往生礼讃 P.711)[43] 等との給へども、初の文には「但使信心求念(ただ信心をもつて求念すれば)」(往生礼讃 P.659) 等といへり。
『選択集』の首章に表裏をもて「念仏為本」といひ、第八章には「念仏行者 必可具三心 (念仏の行者かならず三心を具すべし)」(選択集 P.1231) と標して信為能入との給ふ。前後のこゝろなり。
かく相承し給ふゆへ尊聖配当して浄土真宗の伝灯の祖師とし歎じて「顕大聖興世正意(大聖(釈尊)興世の正意を顕し)」等といひ、勧発して「唯可信斯高僧説(ただこの高僧の説を信ずべし)」との給ふ。それを増損なく顕揚せる。これ大谷の他の旁流に超て道統の嫡嗣たるゆへんなり。乃ち六巻を製作して迦文(釈迦文仏)已来嫡々相伝の浄土真宗をあらはさる。その中にありて行信の法門はもとも宗要たり、上に弁ずるが如し。
これを知を真宗の学者とし、これを会せざるを他門の人とす。勤めずんばあるへからず。しかるにこのころは諸方の学者と称するもの、おほかたう情に淪(しずん)で法を遣れ、その安ずるところは、渡邊(辺)の名号の外に仏智を立て、称名を浅行なりと貶する計に彷彿としてかゝる大事の法門をも晦(くら)まさんと、算るよしにて、おのがさきに著せし『助正芟柞』[46]てふものを、もところころ あしさまに改転して伝ふとかや。
宗師(善導)の、
五濁増時多疑謗 道俗相嫌不用聞 {見有修行起瞋毒} 方便破壊競生怨
と、の給へるも今こそ思ひあはされたり。
客の曰く、宗意甚深解説をきゝて未曽有をえたり。これよりさき行信の法門をばすでに会得しぬと思ひしか。
今をもてかへりみれは、まことに痴犬の塊を逐(おふ)にてぞありし。それともしらで反(かえり)て正義を疑謗せしことの、あさましさ、そのつみいかにせむ。主人曰ふ、さないひそ[47]第二祖(天親)初は、小教(小乗)を執して大乗を謗り給ひしが無着の開示を蒙て大に悔過し舌を裁(きら)んとありしを、その舌をもて何ぞ讃ぜざると諭されて、諸部の方等を解釈し給ひしときく。そこもかの述にならひ、今よりのち在々処々に所聞を讃揚し給はゞ疑謗の罪は雲霧ときへて赫々たる弘願真宗の天日を、ともにみんことまた楽しからずや。客よころびてまかでぬ。
脚註:
- ↑ 長月(ながつき)。陰暦9月の異称。夜長月からといふ。
- ↑ 長夜曼々何時且邦无道則可巻而懐之(長夜曼々として何時ぞ。且(しばら)く、邦に道無ければ則ち巻きてこれを懐にすべし。)邦(くに)に仏法が無いので思いを裡(うち)に隠して、懐に抱いておこうという意味。「巻きて」は己が意を隠しての意。「邦无道則可巻而懐之」の語は『論語』にある語。
- ↑ うちずんじ(打ち誦んず)。声にしてくちずさむこと。
- ↑ 一犬虚を吠れは万犬実を伝ふ。一人がいいかげんなことを言うと、世間の多くの人はそれを真実のこととして広めてしまうということのたとえ。一犬形 (かたち) に吠ゆれば百犬声に吠ゆ。
- ↑ 研覈(けんかく)。「覈」はしらべる意。 事実をくわしく調査し明らかにすること。研究。
- ↑ 倶睒弥国の事。『末法灯明記』に、仏滅千五百年に拘睒弥国にふたりの僧ありて、たがひに是非を起してつひに殺害せん、よつて教法竜宮に蔵まるなり、とある意か。
- ↑ 罫碍(けいげ)。さまたげ。
- ↑ 南天。南インド(天竺)で生まれられた龍樹菩薩のこと。『正信念仏偈』龍樹章に、為衆告命南天竺 龍樹大士出於世とある。
- ↑ 黒谷。法然聖人は黒谷に居住しておられたので黒谷上人と称せられたことから、法然聖人の異名。
- ↑ 両巻の集。『選択本願念仏集』は二巻であったことからいふ。
- ↑ 偈頌とは、正信と念仏を讃嘆された「正信念仏偈」のこと。
- ↑ 寂れてさびさびとしていた本願寺を、蓮如さんは日本最大の教団にされたので、本願寺中興の上人といふ。
- ↑ 百思千忖。百回思い千遍もおしはかるここと。
- ↑ 管窺(かんき)。用管窺天。管の穴から天をのぞく意から 視野が狭いこと。
- ↑ 関東の門弟は「教行証」と三法で呼んでいたことは、蓮如さんと同時代の高田派の真慧著述の『顯正流義鈔』には「教行証」とある。覚如上人・存覚上人は信を強調する為に、教行信証の四法であらわされることが多い。しかし、(改邪鈔 P.931)、(改邪鈔 P.942)、(真要鈔 P.962)、(真要鈔 P.973)、(真要鈔 P.980)、(真要鈔 P.995)、(持名鈔 P.1009)などでは『教行証』と呼称している。もちろん『教行証文類』の内容は、教・行・信・証となっているので間違いではないのだが、御開山の『顕浄土真実教行証文類』といふ著述名を改竄することは穏当ではない。
- ↑ 法相の表裡(ほっそうの-ひょうり)。御開山は「顕浄土真実教行証文類」と、教行証の「三法」で浄土でさとりを得る法を表現された。法(念仏)から証といふ表現であるから、名号法である念仏行から証への、行→証といふ表現をとる。これを行に信を納めているとして「行中摂信」といふ。「行」は表に表れ「信」は内(裡)に潜んでいるから表裡(ひょうり)といふ。これは衆生済度の法である「行」を先とし、これを受け容れた「信」を後とするから表裡(行→信)の次第とする。これは、一念義的な「信因称報説」の信前行後説に対する石泉師の法相の表裡といふ行信論である。また行は衆生から立つ「能行」である。
- ↑ 禀受の前後(ひんじゅの-ぜんご)。往生浄土の「因」が満足する時剋の分斉(前後)をいふ。禀受とは、さずかり受けること。上から下へ受けること。御開山は「信心の定まるとき、往生また定まるなり」(*)と、されておられた。阿弥陀仏の衆生「済度」の「法」は無始無終で時間を問わない。しかし、衆生は時間的存在であるから時を語る。ゆえに受法の一念を時間の上で語れば、信→行の次第の前後でいふ。なお、禀受をりんじゅ、ほんじゅと読む読み癖もある。 ➡禀受
- ↑ 因体の超異(いんたいの-ちょうい)。聖道門自力の「行」に対して、浄土門他力の回向される選択本願の行である南無阿弥陀仏(因体)の超勝性をあらわすといふ意。
- ↑ 『柴門玄話』の元の文は「称名則是正業 正業則是念仏 念仏則是南無阿弥陀仏」とあるのを校正した。
- ↑ 『御文章』に「ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり。」とある。
- ↑ 『起信論疏筆削記』に、一唯本無影。即小乘教。以不知諸法 唯識所現皆影像故。二唯影無本。即終教也。以佛果無別色聲功徳。唯有如 唯有如如及如如智獨存。及如如智獨存。と、あるによるか。
- ↑ 『十住毘婆沙論』に「若人念我称名自帰。即入必定得阿耨多羅三藐三菩提。是故常応憶念(もし人われを念じ名を称してみづから帰すれば、すなはち必定に入りて阿耨多羅三藐三菩提を得」と。このゆゑにつねに憶念すべし。)」とある。
- ↑ 原文には「菩薩得初地 其心多歓喜 諸仏無量徳 我亦定当得(菩薩初地を得ば、その心歓喜多し。諸仏無量の徳、われまたさだめてまさに得べし。)」(行巻 P.150) とある。
- ↑ 『論註』八番問答に「この十念は無上の信心に依止して、阿弥陀如来の方便荘厳 真実清浄 無量の功徳の名号によりて生ず。」(論註 P.97) とある。
- ↑ 炳如(へいじょ)。あきらかであること。炳はあきらかとか、いちじるしいの意。陸象山(1139-1193)の『貴溪重修縣學記』に「二帝二皇之書 先聖先師之訓 炳 如日星(二帝二皇の書、先聖先師の訓、あかるきこと日星のごとし)」とある。
- ↑ 北天。北インド(天竺)で生まれられた天親菩薩のこと。
- ↑ 昨夢廬。江戸時代の浄土真宗本願寺派の僧、僧樸の号。
- ↑ 『尊号真像銘文』には〔「南無阿弥陀仏 往生之業念仏為本」といふは、安養浄土の往生の正因は念仏を本とすと申す御ことなりとしるべし。正因といふは、浄土に生れて仏にかならず成るたねと申すなり。〕とある。『唯信鈔文意』には、〔また称名の本願は選択の正因たること、この悲願にあらはれたり。〕とある。この念仏を因と示す両文を以て信心正因説を骨張する一党の学者の「称名なほ因に非ず」の説を論破したのであろう。御開山は、第十八願を「この心すなはちこれ念仏往生の願(第十八願)より出でたり。」とされておられた。
- ↑ 詩書不諱 臨文不諱(詩を書する時は諱(い)まず、文に臨みて諱(い)まず。)
- ↑ 縷弁(るべん)。こまかく弁ずること。縷縷として語る。
- ↑ 覚如上人は、信行両座の逸話を示すことで、御開山の示された行信不離の法門を、行対信の、行と信を相反するものとされたのだが、これは御開山が、浄土真宗の信心を「この心すなはちこれ念仏往生の願(第十八願)より出でたり」(信巻 P.211) とされた意に反する。
- ↑ 法蘊(ほういん)。法の集まりのことで、仏陀が説かれた教法を指す。ここでは浄土真宗の意。
- ↑ 清規(しんぎ)。清らかな規則という意味。ここでは『御文章』に強調されている「信因称報」をいふか。禅宗では、修行僧が守るべき生活軌範を意味する。
- ↑ 菽(豆)と麦(麦)とを見分けることもできない物事の区別もつかない愚か者のたとえ。
- ↑ 進退維谷(しんたい-いこく)。進退、維(これ)谷(きわ)まる。進むことも退くこともできず、身動きが取れないこと。
- ↑ 異轍(いてつ)。轍は車のわだちのこと。車の轍(わだち)の跡は幅が同じであるから、異なった教義理解を異轍といふ。
- ↑ 御開山(大谷)の『御著書』を熟読し理解せずに、七祖の著書を読み、七祖を異轍(異なった教え)であると嘆きながらも、しかも、七祖を承けていると理解していること。
- ↑ 羸氏は秦の始皇帝の姓ともいわれるのだが品氏の意味がわからん。品氏とは身分制度を示す品位の意か?
- ↑ 漢朝の継承者であった劉氏は、曹氏の王朝纂奪により漢朝を継承出来なかった故事によるか。三国志に詳しい。ここでは七祖相承の念仏成仏の法門、特に法然聖人の選択本願念仏の教えを簒奪することに譬えるか?
- ↑ 御開山は、本願の念仏の「行」から「信」を別に開いて浄土教を純化し、信心とは阿弥陀仏の衆生済度の仏心(菩提心)であるとされた。これを御開山は「涅槃の真因はただ信心をもつてす。」(信巻 P.229)といわれたのである。このような「信」は、私の上にあるのだが、私のものではないので、越前の同行は「御信心」と呼んでいた。これを後の学者は「信心正因」といふ名目で示したのであった。しかして、この「信心正因」説が独り歩きをして、いつしか、七祖が示して下さった、なんまんだぶを称えてさとりを得るといふ宗教の身体性を失った「観念論」に陥ってしまったのであった。たしかに御開山の著述は難解なのでが、その基底には、歴史上初めて「浄土宗」を開創された、法然聖人の「往生の業には、念仏を本となす」の口称の念仏(なんまんだぶ)の教説があったのである。旧年の陳暦云々とは、旧年の暦は現在には役に立たないこと譬えるのであろう。石泉師は、御開山の思想を正確に理解する為には、法然教学に拠るべきだといふ信念をもっておられたから表裡説をあらわしたのであった。煩瑣な阿毘達磨のように展開した宗学に無縁な、越前の在家の一門徒の林遊としては、莫迦みたいになんまんだぶを称えて往生浄土を期してきた愚鈍な幾千万の越前の同行に親しみを感じるのであった。なんまんだぶ なんまんだぶ
- ↑ 『論註』八番問答に「この十念は無上の信心に依止して、阿弥陀如来の方便荘厳 真実清浄 無量の功徳の名号によりて生ず。」(論註 P.97) とある。
- ↑ 莫不皆乗。『観経疏』「玄義分」に「一切善悪の凡夫生ずることを得るものは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁となさざるはなし」(玄義分 P.301)とある。
- ↑ 善導大師は第十八願を「もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称すること下十声に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ」と読まれておられた。
- ↑ 唯称弥陀。『往生要集』下巻に「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得」とある。(要集 P.1098)
- ↑ 『往生要集』下巻に三不信として「信心深からずして、存ぜるがごとく、亡ぜるがごときゆゑに。 信心一ならずして、決定せざるがゆゑに。 信心相続せずして、余念間つるがゆゑに。 この三、相応せざるものは、往生することあたはざるなり。」(要集 P.1125) とある。
- ↑ 『助正芟柞』。石泉僧叡師の弘願助正説を述した著書。
- ↑ さないひそ(さな-いいそ)。それほどに言わなくても。
金魚
梯實圓和上の『御消息』第二条の講演録から一部を抜粋。善人・悪人を問わない全分他力の救いを説く浄土真宗では、ともすれば煩悩のままに生きればよいのだと誤解されやすい。他力の救いという言葉を他者依存であると取り違えて、自らは何も変化しないことだと領解して、あまつさえどのような悪業も阿弥陀仏の救済には関わらないのだと悪領解(造悪無碍)する輩もいるのだが、そのような輩に対する教戒が『御消息』第二条であった。→親鸞聖人御消息 第二条 →親鸞聖人の教え・問答集
──{前略}──
はじめて仏様・阿弥陀仏の本願の教えを聞いて、そして浄土を願う心をおこした人が、しかし自分の心の愚かな事、また自分の身の罪業にまつらわれている浅ましい姿を見るにつけ、思うにつけて、こんな愚かな身で、こんな煩悩具足の浅ましい身で、どうして往生する事ができようか。こんな身では仏様のお心に契わないだろう。何とか美しい心にならなければ往生できないのではないかと言って心配しているような人々に対しては「我が心の善悪をば沙汰せず」 (御消息 P.740) 自分の心の善し悪しを問題にしなさんな。煩悩具足の凡夫である事を見抜いた上で、そのままを救うとおっしゃる仏様がいらっしゃるのだから如来様におまかせをして、自分の心の善し悪しを心配して「こんな事では救われまい」と思うような要らない心配をしないで良いのだ。こういう風に教えてあげる事が大事だ。それが大切な事だ。しかしどんな煩悩具足の凡夫であっても、どんな罪業深重の者であっても、そのままをきっとこの親が救うぞと仏様はおっしゃって下さいますけれども、しかし「どんな悪い事をしても良い」とは一言も言われてはおりません。「どんな悪をしてもいい、どんな振る舞いをしても良い」とは一言もおっしゃってはおられません。そんな事は強要されていない。
寧ろこの前言いましたように、悪を造るという事は自分で自分の首締める事です。自分で自分の首を締め、自分で自分を苦しい羽目に追い詰めていくのが悪を造る相でございます。そして自分で自分を苦しい状況に追い詰めていく、そんな姿を憐れんで、そしてそういう悪にまつらわれる事のない人間に育て上げよう。そういう人間を立派な仏に仕上げようというのが仏様の救いであって、如来様が救うというのは金魚
その意味で親鸞聖人はよく仏様の救いを磁石で喩えておられます。磁石が鉄を吸いつけるようなものだと言われています。磁石が鉄を吸いつけた時に、磁石の磁場に入った時に鉄は磁石の方に向かって動いていきます。普通の鉄では絶対に動かないのです。普通の釘が勝手に動いたらややこしいでしょう。大工さんが仕事しよう思って屋根へ上がって釘を出したら「お前とつきあいするのは嫌だ」と言って釘が余所へ行ったら、釘が勝手に動いたら仕事になりません。釘は自分で動かないものなのです。ところが動かない筈の釘が自分で自発的に動く時があるのです。自発的に、というよりも必然的に動いていく事がある。これは磁石に近づいた時です。磁石を近づけた時に、釘はその磁石の方に向かって動いていきます。これは磁場の中に入るからです。あれは外面はただの鉄釘だけども、その鉄は変貌してます。あれは鉄でなくなっているのです。単なる鉄ではなくなっているのです。あれは実は磁石になっているのです。磁場の中に入りますと鉄釘が磁石に変わるのです。同じ鉄でも磁気を帯びた鉄と磁気を帯びない鉄とでは鉄の原子は違わないけれども原子の配列が違っているのだそうです。
あの磁石の喩えは元々は経典(華厳経)に出てくるのです。親鸞聖人もそれを如来様の本願の救いの模様を顕わすのに使っていらっしゃるのです。阿弥陀仏の本願力というのは磁石のようなものだ。「よく本願の因を吸うが故に」(行巻 P.201) 本願の因を吸いつけ如来が救おうとされた救いの対象を自らに吸いつけていくのだ。それが仏様の救いのはたらきだという。その磁石に吸いついた鉄は磁石になっているのです。ですからプラスとマイナスがピタッと一致するように引っついていく訳なのです。ですから磁石に引っついてる釘の所へ他の釘を引っ付けますと、その釘がまたその釘に引っ付いていきます。という事は釘が既に磁石になってる証拠です。今申しましたように電子顕微鏡で見ますと磁気を帯びますと原子の配列が瞬間にスウーと変わるのです。そうなりますと単なる鉄ではなくて磁石になっているのです。
そうしますと本願を聞いた。そして本願を信じたという事は、その意味で外見は煩悩具足の凡夫のままの姿だけれども。しかし内的に変革を受けてる、大きな変革を受けてる。どんな形で変革を受けるかと言ったら仏様と同質のものになっていく。そして仏様と同質のものになるから、仏様の方に向かって親近性をもつ。そして仏様に向かっていくような人間になる。第一に教えを聞く事を段々と楽しむようになっていく。私達は元々は教えを聞くなどという事は嫌な事です。仏教の話を聞く気はありはしない。またそんなものを聞こうとも思いはしない。それが段々と教えを聞く事が楽しくなっていく。それだけ教えに対して親近性が出てきます。そして仏の名を称え、浄土を思う人間になっていく。仏を思う人間になっていく。これは質的に変革を受けてる証拠です。鉄が磁石に変わっていくように外見は少しも変わらないけども内的には大きな変わりが出来てきている。外的には錆びた折れ釘であっても磁気を帯びた折れ釘は他の釘を吸いつける能力を持つ。丁度そのように仏様の教えを聞いて、そして仏様に向かった存在に変わってくる。そしてまた縁のある人達を仏様の方に向け変えていくような、そんなはたらきをする人間に変わっていく。そのあたりに実は大きな変革が行われていくのです。
だから救われるという事は、やはり質的に変わっていく事なのです。外面的には余り変わりはないようだけれども質的に変わっていく。質的に変わればもちろん外面にもいくつかの変化はある。当然変化はある。その一つは今申しましたように教えを聞いて喜ぶ人間になる。そして人々に「共にこの教えを聞いて共に仏様の子である事に目覚めていきましょう」という呼びかけも出てくるようになる。その辺からやはり仏様の教えに従って、言ったらダメだぞと言われた言葉はやはり言わないように、してはいけないと言われた事はしないように慎んでいこうという
そこで「かくききてのち」 (御消息 P.740) こういう風に煩悩具足の愚かな者を、そのままで救おうと思し召す仏様の教えに触れた時に、その時に私達は大きな変革を受ける。そうですね磁石が釘を引きつける時に「お前錆びてるからダメ」とは言いません。「お前は錆びてるから引きつけてやらん」そんな事を言いはしません。鉄である限り錆びていようがどうしようが、ボロボロになっていても磁石はその鉄を引きつけます。曲がった釘だから引きつけてやらないなんて事は言いません。錆びた釘だろうが曲がった釘だろうが、鉄ならば引きつけるのです。阿弥陀仏の本願もその通りだ。賢かろうと愚かであろうと罪業深き者であろうと、その人が、いのちある者であるが故に如来は無条件に引きつけて下さる。そして如来と同質のものに仕上げて下さる。そういうはたらきが仏様の救いのはたらきです。だからこのように聞いて後「仏を信ぜんとおもふこころふかくなりぬるには」 (御消息 P.740) 仏様の本願を聞いて、そして教えをいよいよ喜ぶ人間になる。教えを聞く事を楽しむ人間になってきたという事です。そして仏様に親しみ深くなってくる。この「信ぜんとおもふこころふかくなりぬるには」 (御消息 P.740) というのは信ずる心が深くなるという事は、仏様に段々と親しみ深くなるという事です。今まで疎遠であったものが段々、仏様に親しみ深くなる。今までお仏壇にお礼をするのも、そんな気が起こらなかったものが段々と仏様にお礼を申すようになり。お念仏するのが気恥ずかしかった。お念仏しようなどという心おきなかったものが、それが段々とお念仏を申すようになってくる。その姿が段々と仏様に馴染んできている姿です。仏様に対する馴染みが深くなってくる。それを「信ぜんとおもふこころふかくなりぬるには」 (御消息 P.740) 仏様の教えを楽しんで聞くような心が段々と深くなってくると「まことにこの身をもいとひ、流転せんことをもかなしみて、ふかくちかひをも信じ、阿弥陀仏を好みまうしなんどするひとは」 (御消息 P.740) 自分の煩悩の浅ましさに気がつく。腹の立つ事の浅ましさ、人を妬んだり呪うたりする事の浅ましさ、その事の愚かしさ浅ましさというのが段々と分かってくる。しかし人を妬む心はなくならないし、人に嫌な事を言われた時に腹立つ心もなくならないけれども、しかし全くなくならないというのではない。十あったものが九や八になったらだいぶ違います。腹立ちというものがそうです。
我々はやはり嫌な事を言われたら腹が立つのです。皆さんそうでしょう。何を言われても腹は立たない、そんな所まで中々行きません。仏様ではないのですから。教えを聞いたって地金は地金ですので、悪口を言われて「言うのは向こうの勝手だ、怒るか怒らないかは俺の勝手だ」というのでスーッと済ましてるという訳にはいきません。中々そういう風にはいきません。だけど少しは違ってくるのです。腹立ちも質が少しずつ違ってくる。憎たらしい相手に、死んでしまえと思うくらいに腹立つ。思うと余計に腹が立ってくる。あれは自分の心で憎しみを増幅するのです。或いは「あいつだけは、この恨みは死んでも忘れんぞ」と思った途端に腹立ちが倍加していくのです。だけどその時に「あいつは腹立つ奴だ、死んでも忘れんぞ」という所が出てきた時に「いや死んだら忘れるぞ」と思ったら良いのです。「死んでまではこんな思いは持っていかないぞ」と思う。これはあります。「死んでまでこんな汚い思いは持っていかないぞ」という事が出てくる。そうしたら「死んだら忘れるぞ」と言ったらどこか知りませんがスコンと抜ける所があるのです。
「あいつは腹立つ奴だ、死んでしまえ」と腹立てた時に、「いや死ななくてもよい、俺にとったら憎い奴だけど、しかし彼が存在する事は素晴らしい事なのだ。仏様は大切なものだとおっしゃっておられるのだから、彼もまた如来様の子として大切なのだ。私にとっては憎い奴だけど、しかし彼は彼として存在する事に意義があるのだ」と思いますと。そうですね三分くらいは腹立ちは静まります。三分静まったらだいぶ違うのです。プラスアルファとマイナスアルファでは差引しますとだいぶ違います。人間の心というのは腹立ってる時には火に油を注ぐようにガンガンやるのです。そんな事があるでしょう。何か嫌な事を言われてカーッと腹立つ。昼は忙しいし、仕事にかまけて忘れている。しかし晩になって寝て何もする事がなくなったら思い出す。思い出してきたらまた腹が立ってくる。そして腹を立ててどうするのかというと、そういえば三年前にもあんな事を言った、と忘れていた事まで思い出すのです。そしたら何の事はない。治りかけてる傷を、瘡蓋をはがすようなものです。心の瘡蓋をはがして傷口を大きくしているのです。忘れている事は無理に思い出さなくてもよいのです、人間というのは嫌な事は忘れるように出来ているのです。それで生きていけるように出来ているのです。そんなものを全部覚えていたら生きていけません。適当に忘れるように出来ているのです。忘れる事は良い事なのです。忘れるから生きていけるのです。だから私はこの頃は忘れるという事は素晴らしい事だと思っているのです。
そんな風に瘡蓋が出来て治りかけている所を又ペーッとはがして。そう言えばあいつは三年前にもあんな事を言った、という事を思い出して腹が立つ。そこへもってきて。そう言えばあいつだけではない、こいつもこんな事を言ったあいつもあんな事を言ったと思い出す。忘れている事を全部思い出して。そしてそれに火をつける。火に油注ぐ。そして夜寝られなくなってしまうのです。バカな話です。それと同じ事で自分で自分の心にたぶらかされてる訳です。そういう点でブレーキがかかるのです。お浄土まで持っていかないぞ。この憎しみの心は浄土まで持っていかないぞ。死んだら忘れるでと言うと、何かどこかでスコンと抜けるのです。「お前のような奴は死んでしまえ」というのを「死なんでも良いぞ」と言ってみなさい。言わなくても良いですから心の中で密かに思う。密かに思うとどこか腹立ちの心にスーッと水かけたような。全部は鎮火はしないですけれども少なくとも三分か四分くらいはシュッと腹立ちが静まっていくのです。それなのです。「この身をもいとひ、流転せんことをもかなしみて、ふかくちかひをも信じ、阿弥陀仏を好みまうしなんどするひとは、もとこそ」 (御消息 P.740) この「もとこそ」というのは以前はという事です。「こころのままにてあしきことをもおもひ」心のままに自分の思いにまかせて、我が心の妄念のままに、煩悩のままに「あしきことをもおもひ、あしきことをもふるまひなんどせしかども、いまはさやうのこころをすてんとおぼしめしあはせたまはばこそ」 (御消息 P.740) そういう愚かな心を捨てたいものだ、こんな嫌な心を捨てたいものだと。これはなくなっているのではないのです。あるから言うのです。
煩悩がなくなったらこんな事は思いません。あるから言うのです。腹が立つから「ああこんな心捨てたいものだな。人を妬んだり憎んだりする心があるから、こんな心を捨てたいものだな」と思う。こういう事が大事な事なのです。人の幸せ妬むというのは人間にとって最低です。最低だというのはどういう事かと言いますと。結局一番辛い事です。幸せな人が居たら全部腹が立つのですから。これは腹立ちの材料、不幸の材料が一杯あるようなものです。これは人間にとって一番不幸な事なのです。そういう人の幸せを妬み嫉むような心がおきた時に、こんな心を捨てたいものだなと思う。そういう心がおきるだけでもね、ブレーキがかかる。心にブレーキがかかるという事は大事な事です。そのブレーキをかけて下さるのが阿弥陀様なのだ。「あしきことをもふるまひなんどせしかども、いまはさやうのこころをすてんとおぼしめしあはせたまはばこそ」 (御消息 P.740) 捨てたいものだなぁと思う人こそ「世をいとふしるしにても候はめ」この「世をいとふしるし」とはこの煩悩の世を厭うしるし。「また往生の信心は、釈迦・弥陀の御すすめによりておこるとこそみえて候へば」 (御消息 P.740) この往生の信心というのは、お釈迦様のお勧め、阿弥陀様のご本願のお勧めによってこの信心はおこったのだとお経の中に説かれておりますから、「さりともまことのこころおこらせたまひなんには、いかがむかしの御こころのままにては候ふべき」 (御消息 P.740) 阿弥陀様のお育てにより、お釈迦様のみ教えによって、本願を信じ、念仏を申す人間になったお方ならば、そんな尊いご縁を頂いた人ならば、どうして昔のままの煩悩を無条件に肯定するような、そんな昔のままの心であって良い事がありましょうか、とおっしゃっているのです。
──{後略}──
脚 註: