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[http://www.jozensearch.jp/pc/zensho/detail/volume/10/page/229 西宗要 弁長]
  
 
第六十六 第十九願事
 
第六十六 第十九願事
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:答う、来迎の願なり。
 
:答う、来迎の願なり。
 
難云 十方淨土往生説未説來迎故 極樂如餘土無來迎 淨土業成 自往生 是以十方隨願往生經見 自業所作善根力以 十方淨土生説如何。
 
難云 十方淨土往生説未説來迎故 極樂如餘土無來迎 淨土業成 自往生 是以十方隨願往生經見 自業所作善根力以 十方淨土生説如何。
:難じて云く。十方の浄土には往生を説けども来迎を説かず。ゆえに極楽も余土のごとく来迎無くとも、浄土の業成ぜば自ら往生しなん。これをもって『十方隨願往生經』を見るに自業の所作の善根力をもって十方の浄土に生ずと説けり、いかに。
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:難じて云く。十方の浄土には往生を説けども来迎を説かず。ゆえに極楽も余土のごとく来迎無くとも、浄土の業成ぜば自ら往生しなん。これをもって『十方隨願往生経』を見るに自業の所作の善根力をもって十方の浄土に生ずと説けり、いかに。
 
答 既法藏菩薩撰擇願也 來迎願有ヨカルベキカ故 選取願之也。
 
答 既法藏菩薩撰擇願也 來迎願有ヨカルベキカ故 選取願之也。
 
來迎土選取也。
 
來迎土選取也。
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:これは衆生の往生せん時、我れ迎ひに往かんと云ふ迎接を願じたまふなり。
 
:これは衆生の往生せん時、我れ迎ひに往かんと云ふ迎接を願じたまふなり。
 
修諸功德云佛本願給非 修諸功德者往生來迎セント云 願來迎コソ願立給。
 
修諸功德云佛本願給非 修諸功德者往生來迎セント云 願來迎コソ願立給。
:修諸功德と云を本願とし給うには非ず。修諸功德の者の往生するを来迎せんと云う願なれば来迎こそ願とは立て給へり。
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:修諸功德と云を本願とし給うには非ず。修諸功德の者の往生するを来迎せんと云う願なれば来迎こそ願とは立て給へり。<ref>御開山までは臨終来迎は浄土願生者の素朴で切実な願いであったので、第十九願を念仏者の利益を示す「来迎の願」としたのであろう。また願の体は一であるので、願文の「修諸功徳」の諸行往生の本願ではないとする。つまり第十九願は念仏者の利益をあらわしている願とみているのである。</ref>
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第六十七 第二十願事
 
第六十七 第二十願事
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:答う、係念定生の願なり。
 
:答う、係念定生の願なり。
 
難云 極樂淨土是願行具足生土也 而係念云者當唯願既無行 何云定生乎
 
難云 極樂淨土是願行具足生土也 而係念云者當唯願既無行 何云定生乎
:難じて云う。極楽浄土は、これ願行具足して生ずる土なり。しかるに係念と云うは唯願に当たれり、すでに行無し、何ぞ定生と云うや。
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:難じて云う。極楽浄土は、これ[[chu:願行具足|願行具足]]して生ずる土なり。しかるに[[chu:係念|係念]]と云うは唯願に当たれり、すでに行無し、何ぞ定生と云うや。
 
答 係念定生云名目以知 順次往生非其時節長短難知{此ヲ法地房ノ宣シハ魚ノ鈎ヲ呑タルカ暫ク引テアルクカ終ニハヒキアケラルルカ如シ我レニ念ヲカケタラン衆生ヲ終ニハ極樂ヘ生セシメント云フ願ヲ起シ給ヘル也 是レハ下種結縁也ト}{云云}
 
答 係念定生云名目以知 順次往生非其時節長短難知{此ヲ法地房ノ宣シハ魚ノ鈎ヲ呑タルカ暫ク引テアルクカ終ニハヒキアケラルルカ如シ我レニ念ヲカケタラン衆生ヲ終ニハ極樂ヘ生セシメント云フ願ヲ起シ給ヘル也 是レハ下種結縁也ト}{云云}
:答う。係念定生と云う名目をもって知んぬ。順次往生には非ず、その時節の長短は知り難きなり。{これを法地房のいいしは、魚の鈎を呑たるか暫く引てあるくか、終にはひきあけらるるか如し。我れに念をかけたらん衆生を終には極楽へ生せしめんと云ふ願を起し給へる也。これは下種結縁也と云々}
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:答う。係念定生と云う名目をもって知んぬ。順次往生には非ず、その時節の長短は知り難きなり。{これを法地房のいいしは、魚の鈎を呑たるか暫く引てあるくあが、終にはひきあげらるるか如し。我れに念をかけたらん衆生を終には極楽へ生せしめんと云ふ願を起し給へる也。これは下種結縁<ref>下種結縁(げしゅ-けちえん)。下種とは種を下すこと。信の種を人々に植えつけること。仏法にはじめて結縁する段階をいう語。</ref>也と云々}
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2018年3月28日 (水) 09:13時点における版

西宗要 弁長

第六十六 第十九願事

問 第十九願何願乎

問う、第十九の願は何の願ぞや。

答 來迎願也。

答う、来迎の願なり。

難云 十方淨土往生説未説來迎故 極樂如餘土無來迎 淨土業成 自往生 是以十方隨願往生經見 自業所作善根力以 十方淨土生説如何。

難じて云く。十方の浄土には往生を説けども来迎を説かず。ゆえに極楽も余土のごとく来迎無くとも、浄土の業成ぜば自ら往生しなん。これをもって『十方隨願往生経』を見るに自業の所作の善根力をもって十方の浄土に生ずと説けり、いかに。

答 既法藏菩薩撰擇願也 來迎願有ヨカルベキカ故 選取願之也。 來迎土選取也。

答う。すでに法蔵菩薩選択の願なり。来迎の願ありてよかるべきがゆえに、選択してこれを願じたまわん。

又有人云 修諸功德云 是諸行往生本願ニテコソアレ。

またある人の云く、修諸功德と云へるは、これ諸行往生の本願にてこそあれ。

答 是ワロシ。

答ふ、これわろし。

是諸行往生願取 來迎願何處アルソヤ 故上念佛往生願也。

これを諸行往生の願に取らば、来迎の願はいずれのところにあるぞや。ゆえに上は念仏往生の願なり。

此衆生往生時 我迎往云迎接願也。

これは衆生の往生せん時、我れ迎ひに往かんと云ふ迎接を願じたまふなり。

修諸功德云佛本願給非 修諸功德者往生來迎セント云 願來迎コソ願立給。

修諸功德と云を本願とし給うには非ず。修諸功德の者の往生するを来迎せんと云う願なれば来迎こそ願とは立て給へり。[1]


第六十七 第二十願事

問 第二十願何願也可云乎。

問う、第二十願は何の願なりと云うべきや。

答 係念定生願也。

答う、係念定生の願なり。

難云 極樂淨土是願行具足生土也 而係念云者當唯願既無行 何云定生乎

難じて云う。極楽浄土は、これ願行具足して生ずる土なり。しかるに係念と云うは唯願に当たれり、すでに行無し、何ぞ定生と云うや。

答 係念定生云名目以知 順次往生非其時節長短難知{此ヲ法地房ノ宣シハ魚ノ鈎ヲ呑タルカ暫ク引テアルクカ終ニハヒキアケラルルカ如シ我レニ念ヲカケタラン衆生ヲ終ニハ極樂ヘ生セシメント云フ願ヲ起シ給ヘル也 是レハ下種結縁也ト}{云云}

答う。係念定生と云う名目をもって知んぬ。順次往生には非ず、その時節の長短は知り難きなり。{これを法地房のいいしは、魚の鈎を呑たるか暫く引てあるくあが、終にはひきあげらるるか如し。我れに念をかけたらん衆生を終には極楽へ生せしめんと云ふ願を起し給へる也。これは下種結縁[2]也と云々}

  1. 御開山までは臨終来迎は浄土願生者の素朴で切実な願いであったので、第十九願を念仏者の利益を示す「来迎の願」としたのであろう。また願の体は一であるので、願文の「修諸功徳」の諸行往生の本願ではないとする。つまり第十九願は念仏者の利益をあらわしている願とみているのである。
  2. 下種結縁(げしゅ-けちえん)。下種とは種を下すこと。信の種を人々に植えつけること。仏法にはじめて結縁する段階をいう語。