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「どうして生じた?領解文問題」の版間の差分

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2023年4月28日 (金) 15:32時点における版

どうして生じた?領解文問題 vol.1

①宗門法規

この度のご消息発布に疑義があるという意見が多数あります。それはどこがどうして疑義を生んだのか?ということを整理しておく必要があります。それにはまず、私たちの浄土真宗本願寺派は何によって運営されているのか?から知っておく必要があると思うのです。

それは「宗門法規」に全ての根拠を置いて運営されています。これに沿わないものは認められない形になっています。根本は「宗制」です。これは国で言えば「憲法」のようなものです。そこには本尊・聖教・教義・歴史・宗範などが定められていて、これは宗派の運営に法義と逸脱することを阻止するためのものと言っていいでしょう。それと「宗法」は宗制に則り組織を構成する全ての分野の決まり事のことです。そこには本山・門主・寺院・僧侶寺族門徒及び信徒・事業・宗務(総局・宗会・勧学寮・監正局など)・財務・宗門投票・賞罰など各部門の職務内容が詳しく規定されているものです。

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②宗制・教義

次に私たちの浄土真宗本願寺派が全ての拠り所とする「宗制」で「教義」はどのように定められているのかを確認しておきたいと思います。この宗制制定にあたっては当時教学研究所所長であられた梯實円和上が相当練り上げられたものと聞き及んでいます。

第3章 教義 浄土真宗の教義の大綱は『顕浄土真実教行証文類』に顕示された本願力による往相・還相の二種の回向と、その往相の因果である教・行・信・証の四法である。 教とは『仏説無量寿経』、行とは南無阿弥陀仏、信とは無疑の信心、証とは滅度である。真実の教である『仏説無量寿経』に説き示された南無阿弥陀仏の名号を疑いなく聞く信心によって、現生には正定聚に住し、当来には阿弥陀如来のさとりそのものの世界である浄土に往生して滅度の仏果を証する。 信心は、阿弥陀如来の大智大悲の徳を具えた名号をいただくことであるから、往生の正因となる。信心決定の上は、報恩感謝の思いから、仏徳を讃嘆する称名念仏を相続する。これを信心正因、称名報恩というのである。 教・行・信・証の四法は、衆生が浄土に往生する相であるから、これを往相という。浄土に往生して仏果を得れば、おのずから大悲を起こし、生死の世界に還り来って自在に衆生を済度するのであり、これを還相という。往相も還相も、ともに本願力回向の利益である。これが自力心を否定した他力の救いであり、すべての衆生が、無上涅槃を証ることのできる誓願一仏乗の大道である。

③勧学寮の役割

さて、「宗制」に明示されている「教義」は私たちがこれまで学んできた浄土真宗の教えそのものです。これを基軸として全ての宗務はなされています。これはご門主とて例外ではありません。ご門主を宗法ではどのように規定されてるかを見てみましょう。宗法第3章第4条に

門主は、法灯を伝承して、この宗門を統一し、宗務を統理する

とされています。つまり親鸞聖人からの教え(法義)を伝承するものであり、法義によって宗門を一つにまとめ治める存在であると言うことです。私はご門徒さんには「ご門主はそれぞれの時代に親鸞聖人の役割を担ってくださる方」と伝えることがあります。「だからお敬い申し上げるのだ」と。なぜそれが言えるかと申せばご門主には(宗意安心の裁断)という門主権があるからです。同じく第3章第8条に

門主は、宗意安心の成否を裁断する

と規定され、それをする時は

門主は、前項に規定する裁断を行う場合には、勧学寮に諮問する

とされています。ここで今回話題に出る「勧学寮」の役割が示されています。これを読むと「ご門主の宗意安心を守る役が勧学寮にある」ことが理解できますね。いわば勧学寮はご門主のご信心を守る立場にあるということです。ひいて言うならば「ご門主を守るということは、浄土真宗のご信心を守ること」と同じ事になるのです。

今回の混乱の第一の原因に「勧学寮の判断ミス」があると考えられます。どのような判断ミスかと言いますと、ご門主より「新しい「領解文」についての消息」の内容について諮問を受けた勧学寮は、先ずは驚いたはずです。なぜなら制定方法策定委員会の答申には「領解文」という言葉は混乱を招くから使用しないように、としていたにも関わらず「新しい領解文」とあったからです。そして、その内容はそれまでに「ご親教」にて示された「浄土真宗のみ教え」に師徳段4行を付け加えただけのものであったからです。内容的には勧学としてはとても承服出来るものではない、しかしこれを「不同意」としたなら、今までご門主がご親教で語られたことを否定する事になる。

「勧学寮はご法義を守る役割があるが一方でご門主を守る役割もある」と判断したところに大きなミスがあり今回の混乱を生み出した根源があると見ています。わかりやすく言えば 「今までのご親教を否定する形になってはご門主に恥をかかせることになる」 だから、とても宗義には合わなものではあるが、ご門主を守るためには、新しい「領解文」を無理くりでもいいから会通させる事ができるか?もし出来るならそれを「解説文」として出してご門徒方に読んでもらう事で誤解のないように出来るなら「同意しても」いいのではないか?と判断された所に大きなミスであると指摘しておきます。「ご門主を守るのは法義を守るという一点しかない」ということを忘れてしまったかのような判断が先ずは問われて然るべきでしょう。

④勧学寮の重大な判断ミス

勧学寮の重大な判断ミスについて、それは「ご法義を守るためにご門主を守る」ではなく「ご門主に恥をかかせない事がご門主を守ること」と考え違いしたところにあると指摘しました。

それは遡ること今から2年前の2021年4月15日立教開宗記念法要(春の法要)時になされたご門主法話(ご親教)「浄土真宗のみ教え」に起因します。その中で「次の世代の方々にご法義がわかりやすく伝わるよう、ここにその肝要を「浄土真宗のみ教え」として味わいたいと思います」とされ示されたのが、あの「浄土真宗のみ教え」でした。ここで、「これを共に唱和し、共につとめ、み教えが広く伝わるようお念仏申す人生を歩まさせていただきましょう」とご法話されております。これが(浄土真宗のみ教え)語られたのち直ちに総局はこれを唱和するよう各関係部門に指示を出し、内容が腑に落ちないままに現場では「唱和させられる」状況が起こりました。

これが出された当時、学識者からも私たち布教使からも内容が腑に落ちない。特に「私の煩悩と仏の悟りは、本来ひとつゆえ」の部分についてが問題視されていました。私も布教使の末尾にいる者としても「これはご開山が一番警戒されていた本覚法門そのものではないか?確かに悟りの側(仏)から見れば煩悩生活している者も悟りの世界を本来的に生きている、と見て下さってはいるが、私の側から言うことではない。これでは煩悩生活をしその中で苦悩そのものを生きている私を悟りに至らそうと五劫思惟くださり兆載永劫のご修行の果て南無阿弥陀仏となってくださった法蔵菩薩のご苦労を無視することになりはしないか?いわゆる「機の深信」が欠けてしまった表現ではないか?」という思いが、布教先で「浄土真宗のみ教え」の間違いを指摘するような法話をしていました。内心は「ご門主の語られたことを真っ向批判することに、ご門徒さんはどのように感じておられるか?おそらく不信感と違和感、嫌悪感を感じてらっしゃるのではないか?」と思いつつも、そう法話せずにはおれませんでした。おそらく他の布教使方も同じ思いでおられたことと思います。

しかし私自身「たかを括ってた」面があったことは反省しています。それは「ご親教」だったからです。ご親教とはご門主がなさる法話を指すもので、ある意味そんなに重きを置いていなかったのです。なぜならご親教は勧学寮の同意無しで行われるものとの思いがありましたので、「これはやがて消えてしまうもの」と考えていたからです。しかし総局は違ったようです。この勧学寮という法義の番人の目を盗むかの如く「浄土真宗のみ教え」の権威付けに躍起になっていました。その代表的なものが2021年10月1日発行の冊子です。そこには「ご親教『浄土真宗のみ教え』をいただく」のテーマのもと勧学寮寮頭・龍大学長・勧学・総合研究所所長と副所長(勧学)の5人に一文を寄稿させて頒布したのです。これは権威付けの行為に他なりませんでした。

⑤権威付け

先に権威付けのために「浄土真宗のみ教え」をいただく、と題した小冊子を頒布したと記しました。その内容について。当時勧学寮寮頭であった徳永一道和上は恐らく内容に承服出来なかったのでありましょう「その骨子は、浄土真宗の教えの根幹が南無阿弥陀仏の名号にあり、この名号が「生老病死」という四苦のただ中にある私どもの人生の最終的な拠りどころとなるということであった」とし、「ご門主がわれわれに伝えようとされた親鸞聖人の教えの根幹は、南無阿弥陀仏の六字の名号にあり、さらにはそのはたらきは聖人が明らかにされた法義のエッセンスである「自然法爾」の四文字につくされているということである」となんとも苦しいものです。

龍大学長の入澤崇氏は社会貢献的な面を評価「新型コロナウイルス感染の蔓延が止まらない状況下でのかのお示しは特別な意義を有します」と。しかし内容を評価する文面は見当たりません。勧学の深川宣暢和上は「この度のご親教をいただいて、その源を伺ってみましょう。親鸞聖人が開かれた「浄土真宗のみ教え(ご法義)」は、その主著『教行信証』(根本聖典=本典)に述べられています。」と、このご親教を全く無視して、教えはご開山の教行信証に拠ることを明確に表現し、お救いは如来さまのお仕事とされ「要するにお救いとは、まったくもって如来さまのお仕事であり、私たちの行いや思いが入り込む余地は一切ないのです」と私たちのすることはご報謝であることを「そのご恩を知りそれに報いるという念仏生活を送ることができる身を恵まれます。(知恩報徳の益)。その報恩とは私たちからする努力です」と私たちが生きるということはお救いくださる如来への報謝であり、それは一人一人の努力であることを記されていて内容への論究は見当たりません。

総合研究所副所長の満井勧学和上と所長の丘山願海氏は連名で「浄土真宗のみ教え」を味わうとご親教の言葉を文節ごとに区切り説明をされています。

「このたびの「浄土真宗のみ教え」は、自らがつねに口にかけながら味わうことを意識されてか、七五調に整えられています。そのことによって、リズミカルで聞きやすく耳に入ってきますが内容が凝縮されているため、逆に少し理解しにくい部分もあるかもしれません。短い文章の中に深い内容が込められていますので、ご門主のご配慮に感謝しつつ、ご親教のお心を味わってみたい」

と、ご門主がご親教でわざわざ「分かりやすく伝わるように」とお示しになられたものを「理解しにくい部分もあるから」と何とも苦しい味わいではあるな、と読ませてもらいました。これでは権威付け(=正統性を主張)は、はっきり言って失敗していると思われます。が、こういう冊子を出すことで権威あるものとの印象付けは出来たと総局総長はお考えになられたことは想像にかたくないと思います。

迷惑な仕事を押し付けられた各先生方がお気の毒としか私には思えませんし、特に「子ども・若者ご縁づくり推進室」に関わっていた関係で私とも親しくしてくださった丘山氏が昨年急逝されたことは「上職の命とはいえ、心外な仕事をさせられた心労が重なったのかな」と私的には感じたことでありました。

つづく

⑥現代版「領解文」制定方法検討委員会

さて勧学寮がご消息に同意した経緯に話を戻しましょう。 ここで少し、その前段階をお話しした方がわかりやすくなると思います。現代版「領解文」制定方法検討委員会なる訳のわからない委員会(注/寮頭発言)が設置されたのは2022年4月1日付け宗則によってです。これは2022年3月25日、宗派の議決機関である常務委員会で法規事案「現代版『領解文』制定方法検討委員会設置規程宗則案」として提案され、その提案理由として

第1期計画当初から懸案事項であり、制定方法を含め更に慎重に検討を進めたい。 制定が遅れていることに対して各方面からお叱りを受けている。

と説明があり、結果として賛成多数により議決されたものです(宗会ではありません)。現在はこの常務委員会が全ての決議をし宗務の執行の後ろ盾となっています(宗本区分されてから以降、宗会による行政チェック機能は失われつつあるのが現状です)。この議決によって「制定方法検討委員会」は2022年8月9日に委員6名が指名され発足しています。

委員長に徳永一道勧学寮頭
委員には
浅田恵真勧学寮員
太田利生勧学寮員
北塔勧学和上
入澤 崇龍大学長
満井秀城総合研究所副所長・勧学

と、まさに権威付けに相応しい顔ぶれでした。この委員会に勧学寮員と勧学さまを加えている総長の人事の妙が見えます(流石です)。

同年9月5日から11月8日の間に5回の委員会が開催され答申書を総長に出しています。その答申書内容は、

現領解文の精神を受け継ぎつつ、現代において「念仏者として領解すべきことを、正しく、分かりやすい文言を用い、口に出して唱和することで、他者に浄土真宗の肝要(安心)が伝わるもの」を制定するのであれば、法灯を伝承されたご門主様にご制定いただくほかはない

とご門主が制定するものと誘導しています。もっとも答申案の文案は委員の意見を参考にしながら、宗門総合振興計画での「現代版領解文の制定」事業を担当する「総合研究所」と「統合企画室」が文書にしたものですから、総局の意向が入っていることは否めないことは分かりますよね。

答申は続いて法規上の裏付けを2つ挙げています。

  • 1、門主は総局の申達によって、教義の弘通のため、又は特定の事項について意思を宣述するため、消息を発布する

/2、前項の消息の発布は、あらかじめ勧学寮の同意を経なければならない。

これは宗法第3章門主の項の第11条消息で規定されていますので、この度の消息発布の法規的根拠(私に言わせればアリバイ工作)を書き込んでいます。

⑦「制定方法検討委員会」答申書

「制定方法検討委員という権威ある方々が決めた上で発布されたのですよ!」との法規的裏付け(アリバイ工作)がなされたのですが、ご消息つまり、新しい「領解文」はこの方々によって認められたものでありますよと言わんばかりの答申書の使い方でした。

もう一つ答申書には委員から出た意見も書き込まれています。

  • 1、現代版「領解文」という表現は、従来の『領解文』との混乱を招く表現であるので、新たな名称を検討すべきである。
  • 2、主観的な信仰告白と客観的な真宗教義の要約は相いれない面がある。
  • 3~6は割愛し
  • 7、僧侶・門徒の規範となるようなものであり、しかも聞いた者が真宗の教えに近づける性格の両面を持ち合わすこと、つまり「真宗ご法義の受けとめと表出」ということになる。

「1」は、新しく制定するものには「領解文」という名称は使うな。「7」は、領解とは自らのご信心を出言するもの。と従来の領解文の精神を欠かしてはならないという意見です。しかし、これらは全て見事に無視されていたことが、のちに勧学寮へ諮問された消息で分かったものだから、勧学寮員方が「口が開いて塞がらない、驚天動地するもの」状態だったのです。

また答申書にはさらに「付帯意見・提言」が添えられていました。それは

  • 1、今後制定される現代版領解文は従前の『領解文』とは別に位置付けられるものである。
  • 2、現代版領解文は、僧侶・門信徒を対象として「安心・報酬(謝)」に焦点を当てたものと捉えて「信心正因」「称名報恩」を表現することとし、また、他者にも伝わるという観点から、簡潔で現代的な唱えやすい文言とすべきである。
  • 3、(前文略)師徳や法度は、歴代宗主の法灯伝承の背景と定めを全て認識することとなり、それらを簡潔に表すことは非常に困難ではないか。
  • 4、『領解文』(筆者注、これは今まで出言していた領解文のこと)については、現代の人々にも分かりやすく伝わるよう解説本を作成し、さらに普及につとめなければならないのではないか。
  • 5、本委員会の設置目的にある「権威あるもの」とは、強制し服従させるとの意味に受け取められかねないため、その文言に固執することなく門信徒に広く用いられるものにすべきである。

(今まさに権威付けし唱和推進の根拠としているのではないでしょうか?)

  • 6、現代版「領解文」を改悔批判で用いるのか否かについては、十分検討すべきてあり、本委員会の協議において、御正忌報恩講における「改悔批判」では、現場の『領解文』を用いるべきとの強い意見があったことを付記する。

これらに、今までの領解文とは別に位置付けすべきとか、今までの領解文の解説本を出すべきとか、師徳は表現は困難とか、権威あるものとは不適切だとか、改悔批判には今までの領解文を使うべきとか、総長(総局)の勢いを何とか止めようとする姿勢は垣間見ることが出来ます。で、この答申書を諮問した総長に出したのが、2022年11月8日のことでした。そうです、つい5ヶ月前のことなのです。

⑧答申書のその後

2022年11月8日に答申書を提出した「現代版領解文制定方法検討委員会」の設置趣旨は、現代版領解文の内容検討ではなく、それを制定するための方法を審議するという何とも不思議な会議でした。当然委員の先生がたは熱心に審議されたことでしょう。その結果、先にも書きましたように「領解文という用語を使用しない事を条件として門主に制定いただく」という方向性の答申がなされたのです。おそらく勧学和上方は、その「ご消息発布の申達をするための内容を事前に審議する委員会」が早々に開かれるものと予想されていたと思います。それは至極当然の段取りというものです。制定方法が決まったのですから次はその内容について審議するのは。

しかし待てど暮らせど審議の声はかかりません。しかし答申を出した約1ヶ月後の12月の中旬、突然にご門主より消息に関する諮問がおりてきたのです。勧学寮との事前審議もなくです。で、その表題が「新しい「領解文」についての消息」となっていたものですから寮員の勧学寮員方は驚くとともに唖然とされたのです。

一つには答申が生かされていないことにです。領解文という用語が堂々と付いていました。 二つには2021年4月のご親教のままで、真ん中に師徳段4行を付け加えただけのものでしたから、先にも書いたように寮員和上方が驚かれたのです。

◆ここでご門主のお仕事の仕方について理解をしていないと、この度の混乱の顛末と重大さが理解しにくいと思います。

ご門主の宗務の執行について規定しているのが宗法第3章第9条で、そこには「門主は、宗務機関の申達によって宗務を行う」そして「宗務については、申達した宗務機関が、その責任を負う」と定められています。これが『門主無答責の原則』と言うものです。つまり分かりやすく言うと「ご門主の宗務執行の責任は全て総長と総局が負う」という事で、ご門主に責任を及ばせないという我が宗門のシステム。

喩えが適切ではないと思いますが
憲法第3条に「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」と規定していますが、これに準じたものであると言えばお分かりになると思います。

ですからご門主がなさる「ご親教」(ご法話)や「消息発布」全ては宗務機関、つまり総長・総局の申達によりなされ、その結果責任は全て総長と総局が負うことになっているのです。という事はご親教にしてもご消息にしても総局が申達(消息案をお示しする)する事ではじめて行うことができる仕組みなのです。ここはきちんと理解しておく必要があるところです。

⑨もしもの話

ご門主のお仕事の仕方について概略ご理解いただけだと思います。再び勧学寮に話を戻します。

ご消息について諮問が来たのですが回答期間は2日間だったそうです。時間がありません。しかも答申した内容が生かされてないどころか、2021年4月15日のご親教「浄土真宗のみ教え」にわずか師徳段4行が追加されたに過ぎないものだったので、あの「何とか委員会」は何だったのかという虚しさを感じての中ですから。しかし諮問受けた以上、慎重に審議しなければなりません。ですが意見がまとまらず時は過ぎていくのです。なぜなら幾つかの問題点があるからです。一つは「領解文」とされている点があったと思われますが、一番問題になったのはおそらく「私の煩悩と仏のさとりは本来ひとつゆえ」の箇所だった事は容易に想像できます。この言葉は受け止め方によっては異安心とも解釈することが可能だからです。

勧学和上は宗門最高位の学階位の方です。その深い学識の持ち主ですすから私どもは足元にも及ばないほどの聖教量で読まれるのです。法義とは違うことを直ちに見破られることは必然なことです。ここのところの寮員会議録は2月の宗会で「領解文問題」に関わる資料として提出を求めたのですが「議事録と同意書はあるが開示できない」との勧学寮部長からの答弁で明らかにする事は出来ませんでした。

「もし」は歴史を見る時は役に立ちませんが、もしあの時宗会に議事録を提出しことの事実を公にして総長の宗務執行に誤りがあった事と勧学寮が同意した落ち度を謝罪し、ご消息の取り下げまではいかなくとも、取り扱いについて慎重になったはずですし、これほどの混乱は起こらなかった事でしょう。また親鸞聖人ご誕生850年・立教開宗800年の慶讃法要も真にお祝い出来るご法要となったでしょうに誠に残念としか言いようがありません。

⑩怒涛のラストスパート

歴史に「もし」は通用しないことを申しました。しかしもう一度「もし」を問うてみるならば、③と④で触れたように勧学寮が「これは宗意安心とは整合性がつかないゆえ、同意出来ない」と、もし為されていたなら今回の混乱は起きなかったに違いありません。しかし、そうではなく最悪の道を歩むことになってしまったのです。

徳永一道勧学寮頭と言えば、宗乗(真宗学)ではなく余乗(仏教学)の勧学和上さまですが、長く本願寺派「聖典翻訳事業」の第一人者であることは誰もが認めるところで、寮頭にご就任になられ11年が経過しています。その寮頭をして

すでにご門主がご親教で公にしておられる内容、これを認めないとなるとご門主の以前のご親教を否定することになる(訂正しなければならないことになる)。それはご門主に傷を付けることになりかねない。

と、その優しさからか判断されたのだと思います。また「勧学寮の一面にはご門主を護らねばならない立場にある」とお考えになられたようです。しかし「新しい『領解文』」は一読するだけでも浄土真宗の教義に反する解釈が可能なもので同意するには無理がありすぎる。これは寮頭お一人ではなく寮員皆さん同じ考えであったようです。おそらく寮員会議は揺れに揺れたはずです。揺れない訳がない。ここで「何とか門主を傷付けず諮問に対して同意せねばならない」と判断されたところに大きな瑕疵(ミス)があったと言わざるを得ません。

ご門主を護るために同意という方向に向かうのですが、いかんせん宗意安心とはかけ離れ過ぎている。それなのに新しい「領解文」を真宗教義でもって会通(えつう)する解説文が書けるなら、それをもって理解してもらうことで「新しい領解文」に同意するということにしてしまったのです。

総局からは早く回答せよの猛烈な催促がある中で、このことについて寮員勧学さま方は審議され、寮員のある和上が「何とか書いてみよう」と申された時点で、諮問に対し「同意」の印を押されたのです。どうも総局というか総長のシナリオには慶讃法要で僧俗全てに唱和させるにはタイムスケジュール的に御正忌報恩講ご満座での発布がタイムリミットとの判断があったのではないかと思われます。ですから相当急がせた形跡が先程書いたようなことに見ることが出来ます。

『新しい「領解文」』と『解説文』はある意味セットです。ですから発布後速やかに解説文を発表しなければなりません。その発表は本願寺新報2月1日号なのです。解説文を仕上げる時間は20日あまりの猶予しか無い。その間は年末年始そして御正忌報恩講と落ち着かない日々、その中で起草から校正が為されていくのです。寮員和上方が修正に修正を重ねられていくのです。それは相当大変な作業であったことは想像に固くないもの。それはそうです無理やり真宗教義に適合させなければいけないのですから。例えていうなら「黒いカラスを白いです」と言い切らなければならない作業ですから。その時、少しばかりでも寮員和上の心に「痛み」があったと思いたいものです。 徳永寮頭和上は齢80を超えてらっしゃるからか、その作業には加わられなかったと漏れ聞いております。身体的にも精神的にも堪えられたのではないかと思います。

そして御正忌報恩講が始まり3日目、2023年1月11日、総局から御正忌報恩講ご満座後に『ご消息発布式』が執り行わられることが宗務所でアナウンスされ、同時に本願寺公式ホームページに告知が出るのです。