武田昭英前執行長の投稿
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「中外日報」2023(令和5年)3月31日に掲載された武田昭英前執行長の投稿
- 若干の改行変更及び各用語へのリンクは林遊が付した。
新しい「領解文」への危惧 み教え歪曲こそが一大事
本願寺前執行長 武田 昭英
新しい「領解文」が全国の僧侶・聞信徒の間で疑念が沸き起こっています。宗会でも議論になったようですが、将来の本願寺教団の法義相続に大きな禍根を残すことに気づいていたのは、一部の議員のみだったようです。いや、気付いていても、人事権を持った総長への気配りがあったのではないかと思われます。
しかし、宗祖親鸞聖人のみ教えが捻じ曲げられることこそが一大事であり、浄土真宗にとって致命的なことです。宗会がこれを座視したことは今後の宗門の衰退に拍車をかけることになる可能性を危惧します。
新しい「領解文」の問題を簡潔に指摘してみます。
①「後生の一大事」という響きがない。
「後生の一大事」は浄土真宗の要です。
②機の深信が欠如している。
浄土真宗の最重要課題である信心、ことに二種深信の機の深信が欠如しています。善導大師が「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた常に没し常に流転して出離の縁あることなし」(*)と説かれ、宗祖が「一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして、清浄の心なし。虚仮諂偽にして真実の心なし」(*)とお示しになった機の深信を、どこにも見出すことができません。
また、新しい「領解文」には「愚身(み)」という表現が用いられていますが、このような表現では、単に愚かな身という印象となり、「出離の縁あることなし」という自力の絶対否定は感じられません。この「愚身(み)」という表現は宗祖の著述のどこにも見出すことができず、石上総長が自身の著作で用いている言葉であることは、すでにSNS上で指摘されている通りです。→(*)
③「救いとられる自然の浄土」という表現の意味が不明。
ここでいう自然(じねん)とは、『無量寿経』に説かれている自然を意味しているのでしょうか。宗祖が晩年に用いられた他力の異名としての自然を意味しているのでしょうか。しかし、一般的には「しぜん」としか読めず、「自然(しぜん)の浄土」とは何か? という疑問しか出てこないでしょう。平易な言葉を用いた現代版領解文という趣旨とは裏腹に、混乱しか生まない表現といえます。
④「そのままの救い」を「このまま」と置き換えるる危険性。
第一段では「ありがとうと頂いてこの愚身をまかす このままで」とあり、「そのままの救い」が「このまま」と安易に置き換えられています。しかし、「そのまま」という如来の仰せを、「このまま」と言い換えてはならないことは、従来、伝道の現場において語り続けられてきたことです(*)。「そのまま」とは如来の仰せとしてのみ意味を持つ言葉であり、「このまま」と言い換えるならば、単なる自己肯定にしか過ぎません[1]。このような安易な言葉の置き換えは、造悪無碍・十劫安心などの様々な異安心に発展しかねません。
- 「如来大悲の恩徳は
- 身を粉にしても報ずべし
- 師主知識の思徳も
- 骨をくだきても謝すべし」(*)
と「恩徳讃」にあるように、宗祖は「そのまま」と呼びかけられたご本願に対し、粉骨砕身のご報謝に生き抜かれたのであり、「このまま」でよいなどとは一言も語っておられません。
以上、本願他力のみ教えは、受け取り違いによっては、造悪無碍の異安心、あるいは十劫安心といわれるような無安心をいとも簡単に生み出します。まさに新しい「領解文」は、そのような深刻な誤解を生むものであるからこそ今、大きな波紋が広がっているのです。きわめて安易な自己肯定、さらには聞法不要という誤解さえ生む怖れがあります。
善導大師が「曠劫よりこのかた……出離の縁あることなし」(*)と説かれた機の深信はどこにも見出せず、宗祖親鸞聖人が「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」(*)) と示された聞即信のご法義とは、かけ離れたものといわざるをえません。これは、聞法第一としてきた宗風に反するものであり、布教伝道の場はいよいよ衰退するでしょう。
新しい「領解文」の制定者として、歴史にその名が残り続けていくのは、現総局ではなく光淳ご門主です。多くの心ある僧俗が問題視する文言を、ご門主の名のもとに「ご消息」として掲げ、僧侶門信徒に唱和を続けさせてはなりません。
永代にわたってご門主を傷つけ続ける宗務行為は、一刻も早く撤回すべきです。(広島県府中町)
- ↑ 越前の前川五郎松翁は『一息が仏力さま』で「そのままや わがまま気ままと まちがうな。わがままを このまま救いと たわけるな」と云われていた。