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利用者:林遊 |
当サイトは、東京親鸞会に代表されるような、浄土真宗十派の各地にある親鸞聖人に関した講に関するサイトです。
ネット上に散らばっている浄土真宗(宗派名ではありません)に関する情報の収集と蓄積を目的とし、もって浄土真宗の門徒の間で情報を共有する目的で立ち上げられました。
- 今月のおすすめ
聖光房弁長『徹選択集』上(浄全七・九五頁)抜粋
浄土宗全書より
小僧某甲 自上人御手 未傳此選擇以前 上人向予具以告言。
世人皆有因縁發道心也。所謂別父母兄弟離妻子朋友等也。
- 世人、みな因縁ありて道心[3]を發すなり。
所謂 、父母兄弟に別れ妻子朋友に離るる等也。
然源空 無指因縁 法爾法然發道心故 師匠授名而號法然。
- しかるに源空は、指せる因縁なく、法爾法然に道心を發す故に師匠名を授けて法然と號す。
出離之志至深之間 信諸敎法修諸行業。
- 出離の志、至りて深きの間、諸々の敎法を信じて諸々の行業を修す。
凡佛敎雖多 所詮不過戒定慧之三學。
- おおよそ佛敎多しといえども所詮は戒定慧の三學に過ぎず。
所謂小乘之戒定慧・大乘之戒定慧・顯敎之戒定慧・密敎之戒定慧也。
- いわゆる小乘の戒定慧、大乘の戒定慧、顯敎の戒定慧、密敎の戒定慧なり。
然我此身於戒行不持一戒 於禪定一不得之 於智慧不得斷惑證果之正智。
- しかるに我がこの身には戒行において一戒をもたもたず。禪定において一つもこれを得ず、智慧において斷惑證果の正智を得ず。
然戒行之人師釋云 尸羅不淸淨三昧不現前。
- しかれば戒行の人師、釋して云く、尸羅[4]淸淨ならずんば三昧現前せずと、云云。
又凡夫心 隨物易移 譬如猿猴 實以散亂易動 一心難靜 無漏之正智何因得發。
- また凡夫の心は、物に隨いて移り易し、たとえば猿猴のごとし、まことにもって散亂動じやすく一心靜まり難し、無漏の正智、何に因ってか發すことを得ん。
若夫無無漏之智劒者 如何方斷惡業煩惱繩乎
- もしそれ無漏の智劒なくんば、いかんがまさに惡業煩惱の繩を斷ぜんや。
不斷惡業煩惱繩者 何得解脱生死繫縛之身乎。
- 惡業煩惱の繩を斷ぜざれば、何ぞ生死繫縛の身を解脱することを得んや。
悲哉悲哉爲何爲何。爰如予者 已非戒定慧三學之器 此三學外有相應我心之法門耶。有堪能此身之修行耶。
- 悲きかな悲しきかな、いかがせん、いかにせん。ここに予がごとき者、すでに戒定慧三學の
器 に非ず、この三學の外に我が心に相應する法門ありや、よくこの身に堪えるの修行ありや。
求萬人之智者 訪一切之學者 無敎之人無 示之倫。
- 萬人の智者に求め一切の學者を訪へども、これを敎ゆる人無くこれを示す
倫 がら無し。
然間 歎歎入經藏 悲悲向聖敎 手自披之見之。
- しかる間、歎き歎き經藏に入り、悲しみ悲しみ聖敎に向かいて、手ずからこれを
披 きてこれを見る。
善導和尚觀經疏云一心專念彌陀名號・行住坐臥・不問時節久近・念念不捨者・是名正定之業・順彼佛願故文 見得之後。
- 善導和尚の觀經の疏に、「一心專念彌陀名號 行住坐臥 不問時節久近 念念不捨者 是名正定之業 順彼佛願故」[5] といえる文を見得ての後、
如我等無智之身 偏仰此文 專憑此理。
- 我等ごときの無智の身はひとえにこの文を仰ぎ、もっぱらこの理を
憑 み、
修念念不捨之稱名 備決定往生之業因 非啻信善導之遺敎亦厚順彌陀之弘願 順彼佛願故之文染神留心耳
- 念念不捨の稱名を修して決定往生の業因に
備 ふれば、ただ善導の遺敎を信ずるのみに非ず、また厚く彌陀の弘願に順ず、順彼佛願故の文、たましいに染み心に留むるのみ。
其後又披慧心先德往生要集文 云往生之業念佛爲本。
- その後、また慧心の先德の『往生要集』の文を披くに、往生の業には念佛を本となすと云へり。
又見慧心妙行業記之文 云往生之業念佛爲先。
- また、慧心の『妙行業記』の文を見るに、往生の業には念佛を先となすと云へり。