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幸西大徳の一念義

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幸西大徳の一念義

 このように幸西は、浄土教の本体である阿弥陀仏の本願を、仏智といいあらわしたが、さらにその仏智を一念とか一念心という。『略料簡』の一乗海釈に「一乘者即弘願、弘願即佛智、佛智即一念也(一乘は即ち弘願なり、弘願は即ち佛智なり、佛智は即ち一念心なり)」といわれたものがそれである。それは一には仏智は、「無量劫即是一念、一念即是無量劫」という念劫融即の理を如実に証得しているから、正覚の一念に、よく三世を摂め、已、今、当の三世の衆生の往生をよく住持していくような性格をもっていることを顕わそうとしたものではなかろうか。後に『安心決定紗』などにおいて、「正覚の一念」ということが強調されるのと同じ意味をもっていたと考えられる。
二つには、天台でいう一念三千の法理は、凡夫の介爾(けに)の妄心の上で語るならば、幸西のいう聖頓一乗の法義となって有教無人の方便教になる。しかしすでに法然がいわれたように、如来の智徳として語るのならば、一念三千も、一心三観も、如実に現成した法理であるといえる。幸西は、法然の本覚法門批判の上に立って、仏智とは三千円具の一念であるということをあらわす為に仏智即一念といわれたのではなかろうか。
第三に本願の仏智は、常に衆生の信の一念、あるいは行の一念と相即していることを顕わす為に仏智を一念とおさえたと考えることもできよう。いいかえれば一つの一念心を衆生の上でいえば仏智と冥合した信心であり、仏智であるような南無阿弥陀仏を称えている一声の念仏であり、また一念心を仏のがわでいえば仏智であるというようなものであったと考えられる。いわば一念心の体は仏智であり、その相は衆生の三心即ち信心であり、その用は衆生の称名であるというような性格をもっていたのが幸西の「一念」であったと考えられる。

『源流章』に『一滞記』に言くとして次のような文章が引用されている。

如來能度是心。心者智智能度物。眞實唯一念心也。衆生所度是亦心。心者智。智所度。正門無外。是即心一乘。不他是即心。捨邪心也。歸正心也。捨小心也。採大心也。捨漸心也。採頓心也。捨聖心也。採凡心也。二河亦心也。白道亦心也。是亦唯一念心也。是名眞實心。是名深心是名願心。故云。具此三心必得生也。
(如来の能度はこれ心なり、心は智なり智よく物を度す。眞實はただ一念心なり。衆生の度せる所もこれまた心なり。心とは智なり。智は所度なり。正門は外無し、これ即ち心なり、一乘は他ならずこれ即ち心なり。邪を捨てるも心なり。正に歸するも心なり。小を捨てるも心なり。大を採るも心なり。漸を捨てるも心なり。頓を採るも心なり。聖を捨てるも心なり。凡を採るも心なり。二河もまた心なり。白道もまた心なり。これまた唯だ一念心なり。これを眞實心と名く。これを深心と名く、これを願心と名く。故に云く。この三心を具すれば必ず生を得るなり。)

 これによれば、如来の能度も、衆生の所度も唯一の智心であって、その智心を如来の側では仏智といい、衆生の側では信心というのである。仏道における真正の門といわれるものはこの智心より外になく、一乗の体もまた智心である。邪を捨てて正に帰し、小乗を捨てて大乗をとり、漸教を捨てて頓教をとり、聖頓一乗を捨てて凡頓一乗をとるという廃立はすべて智心のはたらきである。またわが身の貪瞋二河に気づくのも、貪瞋煩悩中に願力の白道が開け、それが清浄願往生心の白道といわれているのも、すべて唯一念の智心のはたらきである。この如来からいえば仏智であり、衆生の上でいえば清浄願往生心であるような一念心を『観経』では真実心(至誠心)、深心、願心(回向発願心)といわれたのである。その体仏智であるような三心であるから経には「此の三心を具すれば、必ず生を得」と説かれたというのである。このようにみてくると幸西の信智冥会ということは、仏智が衆生の上に顕現して、衆生を導いて外道から仏道へ、小乗から大乗へ、漸教から頓教へ、聖頓一乗から凡頓一乗へと転入せしめていくことを意味していたといえよう。それが信智唯一、能所無二ということの意味であったと考えられる。

 さて『源流章』によれば、凝然は、このような幸西の三心説を解説して「義に約すれば三心あれども、体を剋すれば唯一念なり。願を信じ、願に託し、智に契うの心、仏智と冥じて体無二なるが故に」といっている。三心というのは、本願を信じ、願力にまかせ、仏智に契った唯一の信心を義によって三と分けたもので、一信心の三義というべきものであり、その体は、唯一の仏智一念心であるというのである。信心を義によって分けたというのは、信心はその体無漏の仏智であるから無漏真実の心(至誠心)であり、それは本願の仏智を決了して疑いなき深信の心であるから深心であり、それは心を回して浄土を願生する願往生心だから回向発願心であるというのであろう。
『玄義分抄』に帰三宝偏の「共発金剛志」等の文意を釈して、

又金剛ト云ハ無漏ヲ體トス、即無漏ノ志ヲ發シテ横二四流ヲ超断スヘシト也。(中略)今横超断ト云ハ、聞佛説淨土無生、眞心徹到シテ厭苦娑婆、欣樂無為、永ク絶生死之元、郎是頓教、(中略)菩提心ハ願往生ノ心二歸ス、往生ノ心ハ決了ノ心二歸スヘシ。タトヒ往生ヲ願スト云トモ、教ヲ決了セスハ眞實心ニアラス、深信心ニアラス。

といわれている。金剛志とは、菩提心のことであるが、その体は無漏の智心である。それゆえによく四流を横超断して無為を証得する徳をもつのである。いま浄土教において菩提心とは、真心徹到して、苦の娑婆を厭い、無為無漏の浄土を願う願生心のことであるというのである。すでに法然が『三部経大意』に「浄土宗のこころは、浄土にむまれむと願ずるを菩提心といへり」といわれていたが、幸西は、それをうけて、それ横超断の徳用をもつ無漏の智心であるといわれるのである。そして願生心は、「教を決了する心」でなければならぬという。「散善義」の深心釈下によれば、仏以外の凡聖は「諸仏の教意を測量すれども、未だ決了すること能わず」といい、ただ仏語を深信するところにのみ決定了解が成立するとされている。幸西はその意をうけて、教を決了する智慧は仏智をおいてほかに存在しないとみたのである。凡夫は、どのようにつとめてみても仏意をはかり知ることはできず、本願を信ずることもできないのであって、ただ仏智のはたらきによってのみ仏意を決定了解し、疑いなく本願を信ずることができるというのであろう。仏智によって本願の仏智を決了した心を深信心といい、それゆえ真実心ともいえるというのである。

このようにして仏智のはたらきによって本願を信じ、本願力に乗託している状態を、幸西は仏智と冥会し、能所無二、信智唯一なる信心といいあらわしたのである。このような信心が、南無阿弥陀仏という所念の法体すなわち仏智に契って称えている如実の称名の心相だったのである。『玄義分抄』別時門に六字釈の義意を釈して、

願行本ヨリ具足セリ、具不具ヲ勞クスヘカラスト也。(中略)故二今願ノ眞實ノ相ヲ結シテ行者ノ安心ヲ定ム。
當知南無阿彌陀佛ト念スル外二歸命モ入ルヘカラス、發願モ入ルヘカラス、廻向モ入ルヘカラス、唯佛智ヲ了スル一心二皆具足スト也。

といわれている。南無阿弥陀仏は、如来の願行成就の果体であって、しかもそのままが衆生の往生成仏の因である。幸西はそのことを「南無阿彌陀佛トイハ決定成佛之因也」といっていた。従って善導が六字釈において衆生往生の因を願行具足として釈顕された願行は、名号に本来具足している徳義を示すもので、衆生の方から附加していくものではない。そのことを「南無阿彌陀佛ト念スル外二歸命モ入ルヘカラス、發願モ入ルヘカラス、廻向モ入ルヘカラス、唯佛智ヲ了スル一心二皆具足スト也」といわれたわけである。ここで「南無阿彌陀佛ト念スル」ということは、心念とも称念ともとれるが、端的には南無阿弥陀仏と称えることであろう。そして「唯佛智ヲ了スル一心二皆具足ス」という「仏智」とは所念の法体である南無阿弥陀仏のことであり、南無阿弥陀仏が、善悪平等に救いたまう大乗広智の実現であると了知する無疑の一心に、帰命も発願回向も行もすべて行者の身に具足して衆生往生の因を成じていくという意味であろう。こうして名号も願行具足の生因であり、一声の称名も願行具足の生因であり、名号を領受した信心も願行具足せる生因であるとみられていたことがわかる。そのなかで名号は、如来成就の法体のがわで因体を語るわけで、ここを幸西は仏智一念というのである。その名号仏智を了知して称えている弘願の称名は、一声に如来所成の願行が具足した無漏の行であり、大利無上の功徳であるから、多念をまたずに生因が満足するような真実の行法である。そこで幸西は別時門釈を結んで「上来二ノ別時(聖道の別時と衆行の別時)ヲ會通スル所詮ハ、諸門諸行ハ皆方便ニシテ、唯一念往生ノミ眞實ナルコトヲ知シム。此ノ門(別時門)ハ正シク因ヲ定ム」というのである。このように「唯一念往生ノミ眞實ナルコトヲ知ラシム」というところに一念義と評される所以がある。それは廃立の根源をあらわすものであって、称名相続という起行門を否定するものではなかった。

 また念仏往生をして如実ならしめるのはすでにのべたように本願の仏智を如実に了知する信心であったが、この信心の有無が念仏の真仮を決定していく意味をもっていたから、幸西はさきにのべたようにこの別時門で四種の捨行を示したうえでさらに『大経』によって「口稱ヲ捨テテ心念ヲ行セシムル」といい、称名よりも心念・信心に重点をおくわけである。もちろんその信は称名を離れたものではないが、仏智を了する信心において、如来所成の願行が衆生のものとなるわけであるから、信心が、往生の生因としての徳をもっていると考えていたのである。また『略料簡』に「仏心と相応する時に業成す、時節の早晩を間うことなし」というように、信心の定まる時に往生の業事成弁し、往生が定まると断言している。ここで往生の決定する「時」を問題とし、それを、「仏心と相応する時に業成す」と往因決定の時を信心の発った平生の「時」としていることは、明らかに信一念のときの平生業成説となっていくものであって、臨終業成説を説く多念義とは真向から対立している。『玄義分抄』別時門に、

唯乃至一念ノミ眞實ノ生因ナル事ヲ又隠二知ラシム。然レハ則現身不退ノ益、捨身他世ノ往生、唯此ノ一念ノ大乗二乗シテ無二無三也。當知乗願ハ不退、往生ハ安樂、證彼無爲之法樂ハ初地、(中略)入正定聚トイハ一念ヲ指ス也。

といい、「一念ノ大乗」といわれる仏智願力に乗じた「一念」に現身に於て不退の益を得、捨身他世に往生して初地に住せしめられるといわれている。ここに「乗願ハ不退」というのは、願力に乗託する時に不退に住するという意味と、願力に乗ずるが故に不退を得るという意味と両義に通ずる。もし後義ならば不退は願力の益という法の徳をあらわすが、もし前義ならば願力に乗ずる時は乃至一念の称名を往生の因と信受したときであるから、信における不退を語ったことになる。すなわち「唯乃至一念ノミ眞實ノ生因ナル事ヲ又隠二知ラシム」というのは、以下に「彌陀経ノ中二乃至一念ヲ行トスル義」とか「大経ノ下巻ノ初二合ス、即乃至一念ヲ行トスルナリ」というのと対望すると称名の一念にちがいないが、そこには信心の義も含まれていたと考えることともできよう。従って「入正定聚トイハ一念ヲ指ス也」というのも、現生不退を入正定聚とし、それは行法からいえば行一念の益であり、その時をいえば一念の行を正定業と信ずるときに得る利益とみられていたと考えることができよう。ところでこの現身不退の益について『玄義分抄』別時門によれば『小経』の諸仏護念によって得る護念不退と『大経』の不退、定聚とがあげられている。『小経』のそれが現生不退であることはわかるが、『大経』の場合は、第十八願成就文も、東方偈もいずれも彼土の不退であり、第十一願文も同成就文も彼土の正定聚であった。それを不退、定聚といずれも現生のおける念仏三昧の益とするところは、親鸞と極めて親近性をもっていたこととがわかるのである。

 このようにして幸西は、念仏の心は仏智と冥会した智慧であるから、念仏者は報化二土の深義を了知する真の智者であり、真の仏弟子であるという。即ち『玄義分抄』二乗門で「諸有智者応知」の文意を釈して、

佛智ヲ了セルモノ上ノ義ヲ知ルベシト也。(中略)諸佛ノ境界ニアラスハ報化二土ノ義ヲウカカフヘカラスト云トモ、諸佛無上の智慧ヲ了スルカ故ニ諸佛ノ境界二攝シテ報土ノ深義ヲ知ルヘシト也。三乗淺智トイハ五乗ノ中ノ假立ノ三乗也、故二今智者トイハ遺法ノ中ノ眞ノ佛弟子也。

といい、仏智を了せる信心の行者は、諸仏の境界である報化二土の義意を知り、報土の深義を了知せしめられている真実の智者であり、いかに愚かなものであっても真仏弟子といわれる徳をもっているというのである。

 このようにして幸西は、念仏往生の法義の源底を探り、阿弥陀仏の本願の救いを仏智一念心とよび、その仏智が衆生の上に現成して厳しい法の廃立をなさしめていくとみていたようである。それが四種の捨行であり、その廃立の極限において、一念の称名が報土の生因として絶対の行法であるといい、称名正定業説を極成する。またその称名は、善悪平等に救おうとされる本願の仏智を明了に了知する信心を具していなければならない。その信は仏智と冥会して信智唯一であるような無漏の智心であるが、このような信心の起る時に往生が定まり、不退転、正定聚に住するというのである。

 それゆえ幸西の説は、たしかに行一念と信心の融合した形での一念義ではあったが、しかし多念相続を否定するものではなかったことを注意しておかねばならない。もともと一念義は廃立門に立って因体を的示し、信心を確立していくという安心門の解明を主要課題としているものであった。従って相続起行という行儀の問題にふれることが比較的少かっただけで、彼等も起行門を論ずれば当然念仏の多念相続は認めたわけで、所々に相続についても言及しているわけである。従って多念相続を否定するような一念義は、幸西の真意を誤っていたというぺきであろう。

 尚、『漢語灯』十所収の「基親取信信本願之様」の終わりに、初の一念(一声)にょって業成し、第二念以後の称名は報恩であると主張した一念義のものは成覚房であったと編者の細註が出ている。しかし『西方指南抄』所収本にはこの細註がないから、必ずしも幸西の説とはいい切れない。しかし一念義系の教学のなかには、称名の 初一声は正定業、第二声以後は報恩とみるものがあったことはたしかである。