今昔物語集 巻第十九 第十四
提供: 本願力
今昔物語集 巻第十九 第十四
讃岐國多度郡五位、
今は昔、
五位の
五位、此を聞(きき)て「然(さら)ば我が此の頭(かしら)剃れ」と云ふ。講師(かうじ)「哀れに貴き事には有れども、只今俄に何(いか)でか其の御頭(かしら)をば剃らむ。實(まこと)に思(おぼ)す事ならば、家に返(かへり)、妻子眷属(くヱんぞく)などに云ひ合せて、万(よろづ)を拈て(したため)剃り給(たまふ)べき」と。五位の云(いは)く、「汝ぢ『佛の御弟子』と名乗(なのり)て、『佛は虚言(そらこと)无き』と云(いひ)て、『御弟子に成(なり)たる人をば哀(あはれ)と思(おぼ)す』と云(いひ)て、何(いか)に忽に舌を返(かへし)て『後(のち)に剃れ』とは云うぞ。糸(いと)不當(あたら)ぬ事也」と云(いひ)て、刀を抜(ぬき)て自(みづか)ら髻を(もとどり)根際(ねぎは)より切(きり)つ。
此(かか)る悪人の、俄に此(か)く髻を(もとどり)切(きり)つれば、何(いか)なる事出来(いでき)ぬらむとて、講師(かうじ)も周(あわて)て物も不云(いは)ず、其の庭(には)に居(ヰ)たる者共(ども)も※(ののし)り合(あひ)たり。亦、郎等共(らうどうども)此れを聞(きき)て、「我が君は何(いか)なる事の御(おは)するぞ」とて、大刀(たち)を抜き箭を番(つがひ)て、走り入来(いりきたり)たり。主(あるじ)、此れを見て大きに音(こヱ)を擧(あげ)て郎等共(らうどうども)を静めて云(いは)く、「汝等我が吉き身と成らむと為(す)るをば、何(いか)に思(おもひ)て妨げむとは為(す)るぞ。今朝までは汝等が有る上にも『尚(なほ)人をもがな』と思ひつれども、此より後(のち)は速に、各(おのおの)行かむと思はむ方(かた)に行き、被仕(つかはれ)むと思はむ人に被仕(つかはれ)て、一人も我れには不可副(そふべから)ず」と。郎等等共(らうどうども)の云(いは)く、「何(いか)に、此(かか)る態(わざ)をば俄に令(せし)め給へるぞ。直き(うるはし)心にては此(かか)る事不有(あえあ)じ、物の詫(つ)き給ひにけるをこそ有(あり)けれ」と云(いひ)て、皆臥(ふ)し丸(まろ)び泣く事无限(かぎりな)し。 主(あるじ)此れを、止(とど)めて、髻を(もとどり)切(きり)ては佛に奉て(たてまつり)、忽に湯を涌(わか)して紐を解(とき)て押去(おしのけ)て、自(みづか)ら頭(かしら)を洗(あらひ)て、講師(かうじ)に向(むかひ)て、「此れ剃れ。不剃(そら)ずは悪(あし)かりなむ」と云へば、「實(まこと)に此許(かくばかり)思ひ取(とり)たらむ事を、不剃(そら)ずは悪(あし)くも有(あり)なむ。亦出家を妨げば、其の罪有(あり)なむ」。旁に(かたかた)恐れ思(おもひ)て、講師(かうじ)、高座(かうざ)より下(おり)て、頭(かしら)を剃(そり)て戒を授けつ。朗等共(らうどうども)、涙を流して悲む事无限(かぎりな)し。
其の後(のち)、入道、着たりける水干袴に(すいかんのはかま)布衣(ほい)・袈裟(けさ)など替(かへ)つ、持(も)たる弓・胡録(やなぐひ)などに金鼓(こんぐ)を替へて、衣・袈裟(けさ)直(うるはし)く着て、金鼓(こんぐ)を頚に懸(かけ)て云(いは)く、「我れは此(ここ)より西に向(むかひ)て阿弥陀佛を呼(よば)ひ奉て金を叩(たたき)て、荅へ給はむ所まで行かむとす。荅へ不給(たまは)ざらむ限(かぎり)は、野山にまれ海河にまれ、更に不返(かへる)まじ。只向(むき)たらむ方(かた)に可行(ゆくべ)き也」と云(いひ)て、音(こヱ)を高く擧(あげ)て、「阿弥陀佛よや、をいをい」と叩ひ行(ある)くを、郎等(らうどう)共に行かむと為(す)れば、「己等(おのれら)は我が道妨げむと為(す)るにこそ有(あり)けれ」と云(いひ)て打たむと為(す)れば、皆留(とどま)りぬ。
此(か)く西に向(むかひ)て阿弥陀佛を呼(よば)ひ奉て叩(たたき)つヽ行くに、實(まこと)に云(いひ)つる樣(やう)に、深き水(かは)とても浅き所を不求(もとめ)ず、高き峯とても迴(めぐり)たる道を不尋(たづね)ずして、倒れ丸(まろ)ひて向(むき)たるまに行くに、日暮れて寺の有るに行き着(つき)ぬ。其(その)寺に有る住持(ぢうぢ)の僧に向(むかひ)て云(いは)く、「我れ、此の思ひを發(おこ)して西に向(むかひ)て行くに、喬平(そばひら)を不見(み)ず。况(いはむ)や後(うしろ)を不見返(みかへらず)して、此より西に高き峯を超(こえ)行かむとす。今七日(なぬか)有(あり)て我が有らむ所を必(かならず)尋(たづね)て来れ。 草を結(むすび)つ、ぞ行かむと為(す)る、其れを見て注(しるし)として可来(きたるべ)し。若(もし)可食(くらふべ)き物や有る、夢計(ゆめばかり)令得(えしめ)よ」と云(いひ)ければ、干飯(ほしいひ)を取出(とりいで)て与へたれば、「多(おほ)か」と云(いひ)て、只少しを紙に裹(つつみ)て腰(こし)に挾(はさみ)て、其の堂を出でヽ行(ゆき)ぬ。住持(ぢうぢ)、「既に夜に入(いり)ぬ。今夜許(こよひばかり)は 留(とど)まれ」と云(いひ)て留(とど)むと云へども、不聞入(ききいれ)ずして行(ゆき)ぬ。
其の後(のち)、住持(ぢうぢ)、彼(か)の教の如く七日(なぬか)と云(いふ)に尋(たづね)て行くに、實(まこと)に草を結びたる、其を尋(たづね)て高き峯を超(こえ)て見るに、亦(ま)た其(そこ)よりも高く嶮(さがし)き峯有り。其の峯に登(のぼり)て見れば、西に海現(あらは)に見ゆる所有り。其の所に二胯(ふたまた)なる木有り。其の胯(また)に入道登り居(ヰ)て、金を叩(たたき)て、「阿弥陀佛よや、をいをい」と叩ひ居(ヰ)たり。住持(ぢうぢ)を見て喜て(よろこび)云(いは)く、「我れ尚(なほ)此(ここ)より西にも行(ゆき)て、海にも入(いり)なむと思ひしかども、此(ここ)にて阿弥陀佛の荅へ給へば、其れを呼(よば)ひ奉り居(ヰ)たる也」と。住持(ぢうぢ)、此れを聞(きき)て奇異(あさま)しと思ひて、「何(いか)に荅へ給(たまふ)ぞ」と問へば、「然(さら)ば呼(よば)ひ奉らむ。聞け」と云(いひ)て、「阿弥陀佛よや、をいをい。何(いど)こに御(おはし)ます」と叫(よば)へば、海の中に微妙(みめう)の御音(こヱ)有(あり)て、「此(ここ)に有(あり)」と荅へ給ひければ、入道、「此れは聞(きく)や」と云ふに、住持(ぢうぢ)、此の御音(こヱ)を聞(きき)て、悲しく貴くて、臥し丸(まろ)び泣く事无限(かぎりな)し。入道も涙を流して云(いは)く、「汝ぢ速に可返(かへるべ)し、今七日(なぬか)有(あり)て来(きたり)て、我が有雷を見畢(つけ)ぬ」。「物や欲(ほし)きと思(おもひ)て、干飯(ほしいひ)を取(とり)て持(も)たり」きと云へば、「更に物欲(ほし)き事无くして、未だ有り」と。住持(ぢうぢ)見れば、實(まこと)に有(あり)し如くにて腰(こし)に挾(はさ)て有り。此(か)くて後(のち)の世の事を契り置(おき)て、住持(ぢうぢ)は返(かへり)ぬ。
其後(そののち)亦七日有(なぬかなぬなかあり)て行(ゆき)て見れば、前(さき)の如く木の胯(また)に西に向(むかひ)て、此の度は死(しに)て居(ヰ)たり。見れば、口より微妙(めでた)く鮮な(あざやか)る蓮花(れんぐヱ)一葉(えふ)生(おひ)たり。住持(ぢうぢ)、此れを見て、泣き悲び貴びて、口に生(おひ)たる蓮花(れんぐえ)をば折り取(とり)つ。「引(ひき)もや隠さまし」と思ひけれども、此(かか)る人をば只此(か)くて置(おき)て、「『鳥獣にも被※(くはれ)む』と思ひけむ」と思(おもひ)て、不動(はたら)かさずして泣々(なくな)く返(かへり)にけり。其の後(のち)何(いか)にか成(なり)にけむ、不知(しら)ざりけり、必ず極楽に往生(わうじやう)したる人にこそ有(ある)めれ。
住持(ぢうぢ)も正(まさし)く阿弥陀佛の御音(こヱ)を聞き奉り、口より生出(おひいで)たる蓮花(れんぐヱ)を取(とり)てけるは、定めて罪人には非ずと思(おぼ)ゆ。其の蓮花(れんぐヱ)は何(いか)にか成(なり)にけむ、不知(しら)ず。
此の事糸(いと)昔の事には非ず※※の比(ころほひ)の事なるべし。世の末なるとも、實(まこと)の心を發(おこ)せば此(か)く貴き事も有る也(なり)けりとなむ語り傳へたるとや。