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教行信証講義/教巻

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教行信証講義

序講
総序
教巻
行巻
 正信念仏偈
序講 信別序
信巻 本
信巻 三心一心
信巻 重釈
証巻
真仏土巻
化身土巻 本
化身土巻 末

教行信証講義

   第一巻 教の巻 行の巻 (第13版)
   山邊習學 赤沼智善 共著

―― 教巻 ――

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 教巻の組織

     ┏ 標挙
     ┣ 一宗の大綱
(二)真実教┫
     ┃       ┏ 一宗の根本経
     ┃    ┏正説╋ 根本経の大意
     ┃    ┃  ┗ 根本経の宗体
     ┗ 真実教┫   ┏ 徴問
          ┣ 引文┫
          ┃   ┃       ┏ 正顕━大無量寿経
          ┃   ┃   ┏ 経文┫
          ┃   ┗ 引証┫   ┃   ┏無量寿如来会
          ┃       ┃   ┗ 助顕┫
          ┃       ┃       ┗平等覚経
          ┃       ┗ 註釈━憬興師
          ┗ 結嘆

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第三編 真実教(教巻)

第一章 解題

第一節 題号

 顕浄土真実教文類一

【講義】浄土真宗の真実の教を説き顕わす肝要な文を聚めた巻。六巻の中では第一巻である。上一四五頁を見よ。

第二節 選号

 愚禿釈親鸞集

 上一五一頁をみよ。

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第二章 標挙

大無量寿経 真実之教 浄土真宗

【字解】一。『大無量寿経』 浄土真宗の正依の三経の中『仏説無量寿経』上下二巻。大の字を附するは、小部の『仏説阿弥陀経』に簡んで大部故に名づけたもの。略して『大経』ともいう。無量寿は阿弥陀仏のこと。梵語の阿弥陀庾斯〈アミダユウス〉(Amitayus)を訳して無量寿といい、阿弥陀婆(Amitabha)を訳して無量光という。この仏は竪(時間的)に永く無量寿を以て三世の衆生を救い、横(空間的)に広く無量光を以て十方の衆生を救い給うゆえ、阿弥陀仏と名づけたてまつるのである。このうち寿命は体即ち作用〈はたらき〉の本源であり、光明は用即ちはたらきであるから、用を体に摂めて寿命だけを挙げ、これを経題として「無量寿」と名けたのである。経は仏の説きたまえる教、及びこれを写した書籍をいう。梵語修多羅(スートラ Sutr)の義訳である。
 修多羅は正しくは線〈せん〉と訳し線〈いとすじ〉が花を貫いて花環を作るように、仏の説かれた義理を貫いて散り乱れぬようにしておる語を修多羅という。然るに支那では聖人の語を経と呼ぶからして、この修多羅を経と翻訳して仏の御語〈おことば〉に名けたのである。
【講義】この経は支那に於いて十二回訳出せられ、その中七訳を欠けて五訳残って居る。いま『大無量寿経』とあるは曹魏天竺三蔵康僧鎧の訳出にかかるものである。

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 番号 経名 巻数 時代 訳者 存欠

 (一)仏説無量寿経 二巻 後漠 安清高 欠
 (二)仏説無量清浄平等覚経 二巻 後漢 支婁迦懺 存
 (三)仏説阿弥陀三耶薩楼仏檀過度人道経(大阿弥陀経) 二巻 呉 支謙 存
 (四)仏説無量寿経 二巻 曹魂 康僧鎧 有
 (五)仏説無量清浄平等覚経 二巻 曹魂 白延  欠
 (六)仏説無量寿経 二巻 西晋 竺法護 欠
 (七)仏説無量寿至真等正覚経 二巻 東晋 竺法力 欠
 (八)新無量寿経 二巻 東晋 覚賢 欠
 (九)新無量寿経 二巻 宋  宝雲 欠
 (十)無量寿経  二巻 宋  曇摩羅密多 欠
 (十一)無量寿如来会 二巻 唐 菩提流志 存
 (十二)仏説大乗無量寿荘厳経 二巻 宋 法賢  存
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 この梵本は現存してあって、明治二十七年、英国のマクス、ミュレル博士は英訳して東方聖書(The Sacred books of the East)第四十九巻に出版せられた。また南条博士も直接梵本から訳出して四十一年の春『仏説無量寿経梵文和訳支那五訳対照』として公刊せられた。
 二。浄土真宗 上一一七頁をみよ。
【余義】一。茲には所依の経典と宗名とが標挙してある。『大無量寿経』というは四法中の真実教を標したものである。また浄土真宗というは、いうまでもなくここに宗名を標したものであって、宗名の中では真の字が字眼である。
 三。この『大無量寿経』を真実教というに就て、自ら二通〈とおり〉の意味が含まれて居る。一はこの教の外に他の教を見ないという意味、言い換えれば、他教の存在を認めない絶対的の意味である。今一つは相対的に他教に対待してこの教の特色を顕わす意味である。この相対的の対峙の意味がまた二つにわかれて、一にこの『大無量寿経』に依って一宗を開闢するという時には、聖道門と浄土門との対待となり、また二に本典六軸中の「化巻」に標挙〈しめ〉されて居る『観無量寿経』、『阿弥陀経』に対する時には、自〈おのずか〉ら『観経』、『弥陀経』の要門と
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『大経』の弘願という要弘相対の意義が含まれて来るのである。かくの如く『大無量寿経』は一方には浄土門中に於いて、『観経』、『小経』の経教に対し、他方には、聖道門の一切の経教に対して、その最勝最妙の特色を発揮して居るのであるが、その特色の極まる所、一切の経教の存在を奪って、絶対唯一の真実教となるのである。親鸞聖人の御心からいえばつづまるところ、この絶対的の意味になるので釈尊一代の経教は数多いけれども、要するに、如来の大慈悲を説き給うより外はない。この如来の大慈悲は『大無量寿経』に最も極端に最も明快に説き顕われて居るのである。してみれば釈尊一代の経教というも、詮ずる所は、『大無量寿経』の外はないというのである。それ故ここに経典といえば『大無量寿経』の外にはないという意味を打ち出して「大無量寿経、真実之教、浄土真宗」と標挙〈しめ〉し給うたのである。
 三。浄土真宗というは宗名には相違ない。然し、我が聖人の御心からいうと、他の宗旨の宗名などとは大きに相違して居る点がある。これを次に考えねばならぬ。
 先ずこの真宗という語の拠処〈よりどころ〉を験〈しら〉べてみると、大体からいうと、三経七祖に依られたことはいうまでもないが、『大無量寿経』の真実之利という語が義の拠処であって、善導大
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師の「散善義」の「真宗叵遇」、法照禅師『五会法事讃』の「念仏成仏是真宗」というのが語の拠処〈よりどころ〉である。であるから、『略本』(十六右)には、「論家宗師開浄土真宗」という、『御伝鈔』には、「三国の祖師各々この一宗を興行す」とあり、また一方には『文類正信偈』の善導大師の下に特に「深籍本願興真宗」と宣うてあるのである。かくの如く聖人が宗名の語拠も義拠もともに三経七祖に依って、「論家宗師開浄土真宗」などと仰せられるのは、「愚禿すすむるところ更に私なし、ただ如来の御代官を申しつるばかりなり」という腹があるからである。聖人は飽くまで七祖の後を慕うという光栄を喜び給うたけれども、開宗者という名誉を負う御心は微塵ほどもなく、またそういう開宗者というような自覚も少しくなかったのである。
 次に、我が聖人は、法然聖人を讃して、「本師源空あらわれて、浄土真宗ひらきつつ」と宣うてあるのに、法然聖人は、何故に、自ら浄土宗というて、浄土真宗と宣わなかったか。これを考えて来ると、法然聖人と我が聖人との関係が明かになるのである。
 法然聖人は、『選択集』初、『漢語灯』七(七左)などに、『遊心安楽道』、『西方要訣』、及び嘉才の『浄土論』に依って、浄土宗という宗名を成立し給うた。これは法然聖人の御一生に最も骨
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を折り給うた一つであって、当時までは、浄土教は聖道門の他宗の寓宗であったので、独立の宗名すら持たなかったのである。一実円満の真教真宗を身を以て体得せられた法然聖人はこの浄土教を独立させんがために、先ず、浄土宗という宗名を立てることが出来るか出来ぬかということまで論じつめて行って、念仏一門を押し立てられたのである。それであるから法然聖人にあっては、特に浄土真宗という真の字を加える必要がなかったのである。
 処がこの法然聖人の浄土宗の中に於いてその門下に列なった人々の中で、師の聖人の教に順〈したが〉わずに、自力の臭味を脱せない者が出て来たので、親鸞聖人の時には、愈々その浄土門の中の流派に対して、特に浄土真宗と真の字を入れねばならぬこととなったのである。『御文』一帖目十五通に、
 浄土宗中にももろもろの雑行をゆるす、方便仮宗出でたるが故に、別して、真の字を入れ給うなり。
と宣うのがこれである。このことは親鸞聖人の御著述中にも見〈みえ〉て居る。即ち、『末灯鈔』(四丁)には、
 浄土宗の中、真あり仮あり、真というは選択本願、仮というは定散二善なり。選択本願というは、浄土真宗なり。定散二善は方便仮門なり。真宗は大乗の中の至極なり。
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『唯信文意』には
 「真実の信心を得れば真実報土に生ると教え給うを浄土真宗と知るべし」
とある。これは化土の往生しか出来ない浄土の仮宗を簡んだ御語である。
 それであるから、親鸞聖人がわざわざ真の字を入れて、浄土真宗といふ四字宗名とせられたについては、二重の相対が出て来ることになる。一は聖浄相対で聖道門の一代教に対して他力の教を浄土真宗というのである。『和讃』に「念仏成仏是真宗、万行諸善是仮門」
とあるのはこれである。『大経』の文で見れば、「真実之利」が「光闡道教」の一代教に対し、「流通分」に入って、「経道滅尽」の聖道門に対して、「特留此経」の弥陀の弘願と聖浄の二門を廃立してあるのがこれである。他の一は、前に挙げた『末灯鈔』などの定散二善に迷う浄土の仮宗に対して、選択本願の浄土真宗というのがこれである。
 以上のこの二つの対待のあることは勿論のことであるから、聖人の御著述中にも上に標〈かか〉げたように顕われて居るのであるが、更に聖人の信仰上の御味〈おあじわい〉に立ち入って、今一歩突っ込んでいうと聖浄相対とか真仮相対とかいう対待を絶した絶対の一面が顕われて来るのである。前に『大無量寿経』という標挙の下でいうたように、釈尊一代の教というのも、
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つまりは、弥陀如来の大慈悲の外はないので、一切の経教というは、この弥陀如来の大慈悲が、種々に説き顕わされて下されたまでのものであるから、仏教の精髄骨目はというと、『大経』所説の弥陀如来の本願である。してみれば、七祖相承の浄土真宗という宗旨は、この仏教の精髄骨目である。阿弥陀如来の大慈悲を傾け説いて、一切衆生の救済〈すく〉わるる唯一の道を示して下さる真実の宗教ということになる。従って、また、その浄土真宗という宗名も、相対的な宗名ではなくて、絶対の宗旨、唯一の宗旨、真実の宗教という意味になるのである。華厳宗とか、天台宗とか、浄土宗とかいう宗名に対したものではないということになるのである。「信巻」に「願成就一実円満の真教真宗これなり」とあるは、この絶対的の意味を明に示してあるので、茲へ来ると、実に醇乎として淳なるもので、他を簡ぶとか、他に異なるとかいう対待の宗旨でなく、この外には何もない精髄真髄という意味合で他の宗教や宗旨は、頭から問題にならないのである。
 親鸞聖人の用い給うた浄土真宗という宗名の中には、以上三種の意味合がある。その中極まったところは、いうまでもなく、その絶対的の意味にあるので、信仰の上からは、どうしてもこう来なくてはならないのである。
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 四。因〈ちなみ〉に、「依教分宗」、「依宗教別」という対の名目があるが、それを少しく説明しよう。依教分宗というは、経教に依って別に宗旨を開くということで、華厳ならば『華厳経』に依って華厳宗を開き、天台ならば『法華経』に依って天台宗を開くをいうのである。今茲に標挙して「大無量寿経、真実之教、浄土真宗」とあるは、いわゆる依教分宗で『大無量寿経』に依って浄土真宗を開くということを示してあるのである。次に依宗教別ということは宗旨に依って教相が違うということで、天台宗には天台宗の教相があり、華厳宗には華厳宗の教相がある。浄土真宗には浄土真宗の教相があるのをいうのである。この下の「謹んで浄土真宗を按ずるに二種の回向あり――真実の教行信証あり」というのが浄土真宗の教相で、これがいわゆる依宗教別である。

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第三章 一宗の大綱

【大意】 「教巻」の最初に、先ず、浄土真宗の教理の大綱を示し給うのである。

謹按浄土真宗 有二種廻向。一者往相二者還相。就往相廻向 有真実教行信証。

【読方】つつしんで浄土真宗を案ずるに二種の回向あり。一には往相、二には還相なり、往相の回向について真実の教行信証あり。
【字解】
 一。回向 『清涼大疏』二十二(三十右)に「回者転也、向者趣也」とあって、あちらにあるをこちらに転ずるが回、あちらからこちらへ趣きむかわせるが向である。如来の功徳をこれも衆生のため衆生のためと衆生に与えて下さるることである。委しきは下二〇〇頁【余義】をみよ。
 二。往相 浄土へ往生するすがた。この世に於いて信心を得て浄土に往生して涅槃をさとること。
 三。還相 浄土から、再びこの世界へ立ち還りてあらゆる衆生を済度すること。
【文科】一宗教理の大綱を述ぶる一段。
【講義】謹んで私の信じている浄土真宗の教を考えて見るに、二種の回向がある。その
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一は往相回向。これは私共が浄土に往生する一切の仕掛〈しかけ〉を御与え下されることである。他の一は還相回向。これは私共が、浄土からこの娑婆世界へ衆生済度に還ってくる大用を御与え下されることである。この二つの回向は、弥陀如来が私共衆生に御施与〈おあた〉え下される所である。即ち私共の浄土へ往生することも、また浄土からこの世へ済度に還ることも、みな私共凡夫の力は微塵もなく、残らず弥陀如来の他力の御与えである。そしてこの第一の往相回向の中に、下に広く述べんとする所の教行信証の四法が含まれているのである。それであるからこの六巻の本書は、要するに如来の与え給うものがらの細な内容を示すに外ならぬのであって、誠に浄土真宗は全く弥陀回向の教であるといわねばならぬ。
【余義】
 一。回向ということは、浄土真宗の骨目である。この回向で、浄土真宗と、他仏教各宗とガラッと様子の変って居ること、水際立って違うて居ることが明了に.知らるるのである。尤も回向は他宗でも多く用ゆる語で、至極通俗的に使うて居るが、浄土真宗でいうような心霊的の微妙な実験を語って居るのではなく、その宗教的意義に於いては、先ず零と曰わねばならぬ。
 浄土真宗に於いては、回向ということは、一面心霊的充足の意義であると共に、他面には、
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肉体色充足の意義をゆたかに含んで居るのである。「御あてがいであります」。というこの一語の中には、実に、身心の飽満を顕わし、六官の触れうる所一切回向の春でないもののないに驚嘆した心持が顕わされて居る、以下回向の宗教的意義を少しく味おうてみよう。
 まずそれで、回向という字義は字解にも示す通り、『清涼大疏』二十二(三十右)の「回は転なり、向は趣なり」という釈で尽きて居るので、こちらのものをあちらへ趣き向かせることである。処がこの回向する物柄の相違とか心持の差別とかいうことでこれがまた種々の種類に分れるのである。『大乗義章』には三種の回向を出してある。
 (一)衆生回向 これは自他相対して自己の善根を他の衆生にさしむけて功徳利益を与えることである。
 (二)菩提回向 これは因果相対して自己の修したる善根を仏果菩提にさしむけて、その果徳を得んとすることである。
 (三)実際回向 これは事理相対して自己の修したる善根を平等の真如にさしむけ、善根をば真如法性の顕現と観じて、平等法身の理に悟り入ることである。
 二。こういう風にいろいろに分れて居るが、然しこれは自力聖道門に於いていう回向であ
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る。他力浄土門になると自〈おのずか〉ら風光〈ありさま〉を異にして居る。この浄土門の絶対他力的回向を最も鮮明にいい顕わして下されたのは、我が親鸞聖人であるが、この傾向〈かたむき〉は七祖の上に充分に見て取れるのである。例えば、善導大師は浄影大師の狭善趣求(自己〈じぶん〉の善根をさしむけて結果を求むること)の回向に対して、別に回思向道の回向ということを立てられた。狭善趣求の回向は自力の回向である。回思向道の回向は他へ向いて居った心を西方浄土へ向けるということで、他力の回向である。『般舟讃』(八丁)の「但回心して決定して向わしむ」とか、『法事讃』十四丁の「一切回心して安楽に向わしむ」とかいうのがこの他力の回向である。『尊号真像銘文』初に「又是発願回向之義というは、二尊のめしにしたごうて安楽浄土にうまれんとねがうこころなり」とあるはこの善導大師の回向の義を承けて、回思向道の意味で回向を解釈したのである。
 三。これは七祖の上に顕われた他力回向の一例であるが、我が親鸞聖人となるとその驚くべき信仰的実験から、今まで聖道門の諸師の解釈して居られた回向の義を根抵から覆えして、全く方向転換をなさしめ給うたのである。今まで諸師のいう所によれば、回向の種類はいろいろに分れて居っても兎も角も、回向ということはこちらからあちらに向わせる
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ことである。それを親鸞聖人は反対にあちらからこちらに向しめ給うこととせられたのである。

 仏←――衆生  諸師の回向
 仏――→衆生  聖人の回向

 「証巻」の結文に
 「それ真宗の教行信証を案ずるに、如来の大悲回向の利益なり、故にもしは因、もしは果、一事として、阿弥陀如来の清浄願心の回向成就し給う所にあらずということなし」。
 『正像末和讃』には左の如く出でて居る。
  往相回向の大慈より  還相回向の大悲をう
  如来の回向なかりせば 浄土の菩提はいかがせん。

 これを相承して、蓮如上人は『御文』三帖目第八通に、
  この回向を我等にあたえんがために、回向成就し給いて、一念南無と帰命するところにてこの回向を我等凡人にあたえましますなり。故に、凡夫の方よりなさぬ回向なるが故に、これをもて、如来の回向をば行者のかたよりは不回向とは申すなり。
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と説き、更に進んで不回向の義を『御一代聞書』第三十五条に、
 「真実信心の称名は、弥陀回向の法なれば、不回向となづけてぞ、自力の称念きらわるるというは、弥陀のかたより、たのむこころも、とうとやありがたやともうすこころも、みなあたえたまうゆえに、とやせんかくやせんとはかろうて念仏もうすは自力なればきらうなりとおおせそうろうなり」と申されてある。
 これによって、親鸞聖人の回向の義が従前の諸師の解釈とは全く一変したことが知らるるのである。聖人の義に従えば、二種回向の中、往は往生浄土で、還は 還来穢国度人天である。相は相状の義ですがたということである。往相、還相というは衆生に属し、回向は弥陀如来の方に属する、浄土に往生し、穢土に還来して人天を度する力用を弥陀如来より我等衆生に回転趣向して下されたが二種回向である。語〈ことば〉を平たくしていえば、我等の信仰問題の一切は如来の御回向である。求むる心も、すがる思いも、とうとやありがたやと思うこころもみな御与えである。私の方から弥陀如来に向って進み求め、すがりたのむのではなくて、如来の方から偉大な力を以て追いかけ追いかけ追いつめて摂取の懐中に収めとって下されたという味〈あじわい〉である。それで二種の回向というは、語を換えていえば、人生の一切、
(1-205)
私の始終が全く、如来の他力威神中にあるということである。
 四。この様に親鸞聖人が回向の義を今までと変えて御覧になったのはもとより拠処〈よりどころ〉はある。然し、聖人が回向の義をかくまでに変更なされたのは拠処〈よりどころ〉に依ってそうせられたのでなく、全く根本は聖人の生ける信仰である。自己の絶対無力を覚悟し、如来の本願力を感得し給うて見ると、その中心を揺ぎ動かして出ずる叫〈さけび〉は他力回向である。「もしは往、もしは還、一事として清浄願心の回向成就し給う所に非ずということなし」とは、聖人の独創的な自覚の驚喜〈おどろき〉の叫びであった。思えば、私の何処に回向すべき善根があろうか。虚仮不実の我身にて、清浄の心あることなし。あるものは、煩悩と罪悪だけである。こんなものをどうして回向することが出来ようか。悲しい哉、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、穢土の厭うべきをも知らず、涅槃の忻うべきをも知らぬ我身が鳴乎〈おこ〉がましくて回向の回の字もいいたものではない、智者聖者なら、いざ知らず、十悪無智のこの身に、どうして、回向の善根があろうか。すでに無善造悪の凡夫、定散の二善ともになく、念仏の一行、また我が善根でなければ、これを回向してというべきものは一つもない。然るに喜ばしいかな、かかる無善造悪の我等のために、阿弥陀如来、五劫の間思惟し、永劫の間修
(1-206)
行して、願行ともに具足し、往還二つながら成就して、それをそのまま回向して下さるるゆえに、我が機のなりで、この儘、救済〈すく〉わるるのであった。我が聖人は空手のなりで、他力回向の救済にあずかる幸福を驚き嘆じ給うたのである。
 五。この自覚から進んで、経典や、各祖師の著書信仰を繙いてみると、経典聖教の何処にも、この教や、自覚の声が漲って居るのである。『大経』には、
  衆のために、法蔵をひらき、広く功徳三宝を施す。諸の衆生をして功徳成就せしむ。
ととき、『十二礼』には
  我れ彼尊の功徳の事を説く乃至衆生に回施して彼の国に生ぜしむ。
とあり、また『浄土論』には
  能く速かに、功徳の大宝海を満足せしむ
というてある。また善導大師は、「玄義分」に、
  弘願というは、『大経』の説の如し、一切善悪の凡夫往生を得んとするもの、皆阿弥陀如来の大願業力に乗じて、増上縁となさざるはなし
(1-207)
と宣うは、明〈あきらか〉に他力回向をいうものではないか。殊に法然聖人に至れば、『和語灯』一(三丁)
  弥陀は因位の時、専ら我が名号を念ぜんものを迎えんと誓い給いて、兆載永劫の修行を、衆生に回向し給う
と宣い、『選択集』(九丁)には回向不回向対を立てて、他力の念仏は、不回向であるということまで宣〈のたも〉うてある。
 こういう風に、経典聖教の上に、他力回向の義は充分に顕われて居るが、然し、我が親鸞聖人が、最も、多く感触を受けて、他力回向ということに眼の醒めたのは、曇鸞大師の『往生論註』である。それであるから聖人は「証巻」の結文に、特に「宗師は大悲往還の回向を顕示して慇懃に他利利他の深義を弘宣し給えり」と宣い、また『高僧和讃』の「曇鸞章」には
  弥陀の回向成就して    往相還相ふたつなり、
  これらの回向によってこそ 心行ともにえしむなれ、
と曇鸞大師の下に弥陀如来の他力回向を讃嘆し給うてあるのである。
 六。扨(さ)て次に、曇鸞大師の『論註』の奥旨を探って見よう。
(1-208)
 もとこの往還二回向ということは、『論註』の回向門の下に出でて居るものである。その場処では、文面上では、この往還二回向ともに、明かに、行者が回向することになって居る。これは当り前のことで、もともとこれは、『浄土論』の天親菩薩の自督である五念門を解釈したところで、回向というのも、菩薩の回向であるから、『論註』に於いても、一往はどうしても、行者の回向として説明せねばならぬのである。それで、その場処では、表面では、行者の回向になって居るが、鸞師は、遂〈とう〉の昔に、回向というは、どうしても衆生につくべきものでなく、弥陀如来につくべきものであるということを看破って居られるから、隠微のところに、前の解釈をひっくり返して、弥陀回向の義を成立して置かれたのである。わが親鸞聖人は、先にもいう通り、その実験上の信仰眼からして、この『論註』の深密の義を探り知り、『論註』表面の解釈を転じて、菩薩とは弥陀の因位の法蔵菩薩、回向とは弥陀如来の他力回向とし給うたのである。
 然らば『論註』の深義とは何であるかというと、『六要鈔』にも示されてある通りに、『論註』という書はその巻末より翻って前を見て始めてその一部の奥旨を知るように出来て居る書である。それで『論註』では前には『浄土論』の五念門を長々と行者の修行として解
(1-209)
釈をして来て、巻末(二十二左)にいたり、「然るに覈〈あきらか〉にその本を求むれば、阿弥陀如来を増上縁となす」と釈し、ここにいたって先きに説き明した五念門はもと法蔵菩薩の修行であって、衆生の修行でない。弥陀如来が増上縁となり。その本願力に依って衆生に回向し給うのであると已前の解釈をここに一変せられたのである。而して曇鸞大師がこの様に他力回向と解釈せられたのは何故かというと『浄土論』に利他という語があるが、この語から、見込まれたのである。『浄土論』の始終に自利、利他という語が三箇所に出て居る。
 『浄土論』(五左)「如来自身利益大功徳力成就、利益他功徳成就を示現す」。
 『同論』(六左)「如来自利利他功徳荘厳次第成就を示現す」。
 『同論』(十右)「菩薩はかくの如く五門の行を修して、自利利他して速〈すみやか〉に阿耨多羅三藐三菩提を成就することを得たまえるが故に」
 この三文の中第一第二の二文に於いては自利利他というは、ともに弥陀如来の自利利他であることは明かであるが、最後の一箇所は、文面の上では行者たる菩薩の自利利他になって居る。曇鸞大師はこれを見て、第三の自利利他も表面では衆生の自利利他の様であるけれども前の二箇所の如くやはり弥陀の自利利他でなければならぬ。何故なれば、衆生の自
(1-210)
利利他なれば、利他とは語が使われない筈である。他利と造語せなければならぬからであると論ぜられたのである。これを大師の他利利他の深義というのであるが、この他利利他という造語上の解釈については古来大変異義がある。然し私からいうと利他というと他を利するとなるから造語上に積極的の力が顕われて居って、故作〈わざとする〉の行〈ぎょう〉であることが顕われるから、弥陀につき、他利というと「他が利される」ということになって積極的にどうこうするといふ意味がなくなって、任運〈じねん〉の働きとなるから衆生につくものだと解釈したい。永劫の間発願修行して、衆生を利益し給う弥陀に利他という積極的の意味の語は相応しいけれども、力の弱い衆生にはこの利他の語は相応しくないというのである。それ故、『浄土論』(十右)の自利利他の語も弥陀につくものであるというのが曇鸞大師の御意見である。かくの如く曇鸞大師は始めは文面の通りに五念門の行を衆生の修行とし往還二回向を衆生につけて解釈せられたけれども、巻末にいたり、利他の語に依って仏力他力を顕わし、往相も還相もみな弥陀の本願力回向であると決着せられたのである。
 大師は次にこのことを証明せんがために三願を出し給うてある。即ち十八願と十一願と二十二願である。第十八願には三信十念が誓うてあるので、この三信十念は『浄土論』の
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所明にあてると一心と五念に当り、教行信証の四法の中では行信の二法である。第十一願には正定聚と滅後が誓うてあるので、その正定聚は五功徳門の中、近門と大会衆門で、滅度は宅門と屋門である。第二十二願は還相回向の願であるから、五功徳門中の最後の園林遊戯地門に当る。この十一、二十二の二願で、五功徳門が具わって、これで四法中の証となるのである。『浄土論』の因果、一心五念五功徳門は、かくの如く、永劫の昔に、本願に誓うてあるので、この本願に依って報土に往生することも出来、また穢国に還って人天を度することも出来るのである。こういうわけであるから、鸞師は、今この三願を引いて、速〈すみやか〉に阿耨多羅三藐三菩薩を得ることが出来るのであると証明し給うた。

       願事   論
 第十八願  三信   一心          信
       十念   五念          行
 第十一願  正定聚  近門と大会衆門
       滅度   宅門と屋門   五功徳門 証
 第二十二願 還来度人 園林遊化地門

(1-212)
 扨(さ)て、こういう風に、『浄土論』に説き明してある一心五念五功徳門は、皆本願に誓うてあるので、これを以て見ても、衆生の往相も還相も、皆如来の方から回向して下さるものであることを知らねばならぬ。従って、前に行者の修行、行者の回向のように見えたのも、その真意義を探ってみると、これが皆阿弥陀如来の永劫の修行と、清浄願心の回向であったのである。鸞師は、かくの如くして、他利利他の深義を完全に成立せしめ給うたのである。
 然らば次にこの衆生往生の因も果も皆阿弥陀如来の回向であるということ、即ち『浄土論』に説いてある五念門の行が、弥陀如来因位の行を示したものであるということは何処で見て行くのであるかという疑いがある。これは外ではないが、『大経』に顕われて居るので、『大経』の勝行段には、弥陀如来が因位に於いて、五念門の行を修し給うたことを説き明して最後に、これを結んで「諸の衆生をして功徳成就せしむ」と衆生に回向し給うことが説いてある。鸞師はこれに依って、『浄土論』の生ける生命を掴み給うたのである。
 七。以上説き述べて来たように、曇鸞大師は他利利他の深義を以て、他力回向の義を成立し給うた。また独り曇鸞大師ばかりでなく、三国の祖師、みな他力回向を説き明して下
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されてある。我が親鸞聖人は、その信仰上の味いから、他力回向の義を体得し、七祖特に曇鸞大師の祖意を承述して、他力回向の義を極説し、今まで回向といえば、こちらから向うへ振り向けるように思うて居ったことを顛倒して、あちらの方からこちらへ振り向けて下さることに明白(あきらか)にその意義を改め給うたのである。
 聖人はかく回向の義を改め給うと共に、経論釈のおくり仮名をも改めて、はっきりとその真意を汲めるようにし給うた。即ち、『大経』第十八願成就の文には
  至心に回向したまえり
と読ませ『論註』には、
  いかんが回向したまえる。一切苦悩の衆生を捨てずして、心常に作願すらく、回向を首として、大悲心を成就し給えるが故に
となし、善導大師の 「散善義」には
  回向発願して生るる者は、必ず決定して、真実心中に回向せしめ給える願を須(もち)いて得生の想をなせ
と訓点を改め給うたのである。いつもいう通り、これが我が親鸞聖人の親鸞聖人たる所で、
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聖教を読まずして、聖教の上に自己の心を読み給うのである。そして、それが同時に、経典及び諸聖の真意なのである。


(1-215)

第四章 真実教

第一節 正説

第一項 一宗の根本経

【大意】これから正しく浄土真宗の真実教を示すために、先ず、浄土真宗の正所依とする根本聖典を挙げ給うのである。

 夫顕真実教者 則大無量寿経是也。

【読方】それ真実の教をあらわさば、すなわち大無量寿経これなり。
【文科】一宗の根本経を挙げる一段。
【講義】さて真実の教とは何であるか。則ち釈尊が王舎城に御説きになった『大無量寿経』上下二巻に説かれたる教がそれである。釈尊御一代の間に説かれたという七千余巻の御経の中に少しも方便を雑えぬ真実至純の教は本経の教説である。
【余義】一。いずれの宗旨にもそれぞれ所依の経論がある。天台宗には天台宗の所依の
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経論があり、華厳宗には華厳宗の所依の経論がある。今浄土真宗に於いて三経一論を以て所依の経論とするは、人の皆知る所である。
 今特に経だけについていえば、浄土真宗は釈尊一代の経典を傍依の経とし、『浄土の三部経』を正依の経とする。この正依の経の中特に『大無量寿経』を根本聖典として二宗を開闢するので、それで総依三経、別依大経の名目が立ててあるのである。今、ここに「真実教を顕わさば、『大無量寿経』これなり」と宣うは、この別依大経の覚召〈おぼしめし〉を示し給うたのである。『教行信証大意』には
  真実の教というは、弥陀如来の因位果位の功徳を説き、安養浄土依報正報の荘厳をおしえたる教なり。すなわち『大無量寿経』これなり。総じては三経にわたるべしといえども、別しては『大経』を以て本とす。これすなわち弥陀の四十八願をときて、そのなかに第十八の願をもて衆生生国の願とし如来甚深の智慧海をあかして、唯仏独明了の仏智をときのべたまえるがゆえなり。
と宣うてある。
 二。かくの如く、我が親鸞聖人が、『大経』を以て、別依の経典、根本聖典とし給うは、
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如何なる理由に依るかというと、古来いろいろの義を挙げて居る人がある。その一二を茲に出〈いだ〉してみると、
 『略讃』では六由があるとして居る。
  一。正しく出世の本願を説くが故に。
  二。正しく大悲の始末を顕わすが故に。
  三。三願の宗体を演暢するが故に。
  四。隠彰顕密に亘らざるが故に。
  五。観小二経を統摂するが故に。
  六。一仏乗の意〈こころ〉を顕示するが故に。
 また、『論草』では、
  一。顕真実教の故に。
  二。信心為本の説の故に。
の二由を出して居る。『略讃』の説は、委しく開いた説ではあるが、要するに、『大経』は真実教であるからということになる。『論草』の第一由が、それである。『論草』の第二由の信
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心為本説の故にというのは、後へ行くと解るが、善導、法然両祖等は、引化〈おひろめ〉を『観経』に依り給うのに、親鸞聖人は何故に弘化〈おひろめ〉まで、『大経』に依り給うたかという理由の説明になるのである。この第二由を今小〈すこ〉しく説明すると、善導法然両祖等が『観経』に依りて弘化〈おひろめ〉し給うた理由は別にあるが、兎に角、『観経』に依って弘化し給うたので、その御すすめ方が、念仏為本のすすめ方である。『観経』は、下々品を見ても具足十念というて、三信を説かず、流通に至っても、即是持無量寿仏名というて、ただ行を挙げてある。一経の始終が行が表になって居る。それで、善導、法然両祖ともに念仏為本のおすすめ方である、処が、親鸞聖人にいたると、その当時の浄土門の人達が、念仏為本のおすすめ方に迷うて、信を知らず、自力の迷心に落ちて居るから、これを済うには、特に信心為本ということをいわねばならぬ。それにしては、『大経』は一経の始終に、信が表に説かれて居るから、特に弘化も『大経』に依り給うたものだというのである。
 それで、この弘化のことは猶、この余義の後部にも出て来るのであるが、始めにもどって、『大経」を別依の経典、根本聖典とすることにつき、先きに引いた『数行信証大意』の文意で取って行って善いのである、少しく説明してみよう。
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 『観』『小』二経にも本願他力が説いてあることはあるが、その顕説は方便経である。ところが『大経』は一枚板のやうに真実のみで方便がない。一経の一始終、如来の因源果海を説き、わけて第十八願に三信十念を誓うて、衆生生国の願とし給うてある。それ故法然聖人も第十八願を以て王本願とし給うのである。この王本願を中心として、衆生往生の因果を真向〈まっこう〉に説き給う経典であるから、真実の中の真実、根本経典の中の根本経典である。釈迦如来よりしていえば仏出世の本懐の経典である。それ故に、わが親鸞聖人は特にこの『大経』に依って一宗を開闢せられたのである。
 三。この『大経』をかくの如く根本聖典中の根本聖典として依拠〈よりどころ〉とするは、浄土門中にあっても、特に浄土真宗の特色であって、西山派では総依一代経、別依三経(『西山宗要』に依る)とし、鎮西派では、総依三経、別依観経(『十八通』に出ず)とする。この相違が、やがて、浄土真宗と、浄土門の他流との種々の相違を示して居るのである。
 このように、親鸞聖人が『大経』を別依の根本経典とし給うときには、善導大師や、法然聖人と、その軌を異にするではないかという難が起って来る。善導大師は『観無量寿経』に『四帖の疏』を作って居られる位であるから、三経の中でも特に『観経』を重んじ
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給うたことは明かであるし、法然聖人も亦『選択集』に力(つと)めて『観経』のことを説いてある所から見ても、特に『観経』を大切にせられたことは明である。しかるに、今親鸞聖人は、この両祖に乖いて、『大経』を別依の根本聖典とせられたのは妙でないか、従って、その教理信仰の上にも大変な根本的相違があるのでないかという疑難である。
 四。然し、この事は、深く考うるまでもないことで、少しく、善導、法然両祖の上を調べて見ると、決してそういう根本的の相違があるのでなく、三祖、全く同一軌であるということが知れるのである。ただ、善導大師や、法然聖人の御時代では、聖道門が全盛の時であって、両祖は、この威勢を張って居る聖道門の中から浄土宗を独立せしめようとなされるので、自然、聖道門に対する心持〈こころもち〉を以て、『観経』に依って一宗を弘め給うたのである。即ち弘化の上で『観経』に依ったので、開宗の本典は飽くまで『大経』である。そんなら何故『観経』に依れば弘化の上に都合がよいかというと。
 第一に、本願の御目当〈おめあて〉の実機〈あいて〉を示して、末法の今日では、こういう愚鈍の悪機に対して聖道の教では間に合わぬ、弥陀他力の易行でなくてはならぬということを示し給うのである。これに就いては、『大経』は法の真実を示し、『観経』は機の真実を明すというて、『観
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経』は殊に対機の実相を示して下されてある経典であるから、この『観経』に依って、聖道門の人達に、御前等〈おまえら〉の教では今の世に間に合わぬということを示し給うのである。
 第二に、誰も知る如く、『観経』には、長々と定散二善が説いてあるが、最後にいたって、その定散二善を廃し、念仏の一法を押し立ててあるのである。この説き明し方が、その儘、聖道門一代の教から、浄土門他力の教に入る趣になって居る。何故なれば聖道門の万善諸行というのも、これを約〈つづ〉めて見れば、息慮凝心(おもんぱかりをやめ、こころをこらす)の定善と、廃悪修善(あくをやめ、ぜんをしゅす)の散善に外ならないのであってこの定散二善は『観経』に於いて、明に浄土方便の行と示されてあってみれば、聖道門一切の諸行はそのまま悉く浄土門の方便の行に外ならないのである。してみれば、早く、その方便の行を捨てて、念仏の一行に帰するが善いことは勿論である。『観経』一部の説相がこういう具合になって居るので、今大師と聖人は聖道門の人達を誘引するに都合がよいから『観経』に依り給うたものである。
 こういう都合で、善導、法然両祖ともに弘化の上では『観経』に依り給うたけれども、一宗開立の根本聖典としては、飽くまで『大経』を立て給うのである。これは次のことで知れる。
(1-222)
 五。善導大師は、『観経』を解釈するに要門と弘願を分ち、要門は方便、弘願は真実となされてある。「散善義」には「真宗遇(あ)いがたし、浄土の要遇いがたし」と対になされてあるが、この真宗は弘願真実のことであり、浄土の要というは、要門方便のことである。それであるから、「玄義分」には、「要門とは、即ちこの『観経』定散二門これなり、……弘願というは『大経』の説の如し」と示してある。文の意は、『観経』には、要門と弘願と両方説いてある。要門というは、浄土方便の行であってこの『観経』に説いてある定散二善のことであり.弘願というは浄土真実の教のことであって、この弘願を明かに説き示してあるのは、『大無量寿経』であるという意〈こころ〉である。簡明に善導大師の御意〈みこころ〉をいうてみると、『観経』には方便と真実が説いてあるが、その真実は、明かに、そして委しく『大経』に説いてあるのであるというのである。それであるから親鸞聖人は、善導大師の御意を得て、『観経』に隠顕の二義を立て、『観経』には、隠密には弘願が説いてあるけれども、顕彰には、定散二善の方便が説いてある。『大経』には、真向〈まっこう〉から、顕了〈あきらか〉に、弘願真実が説いてあると判釈し給うたのである。これに依って、善導大師の正しく『大経』を唯一の真実教として依用し給うたということが知れるのである。
(1-223)
 六。次に法然聖人は「偏依善導一師」とまでいわれた方〈かた〉であるから、大師と相違し給う訳はないが、猶その著述の上に就いて見ると、『選択集』本(八右)に「称名念仏は彼の仏の本願の行なり」と宣い、この本願の義を「本願章」に於いて『大経』について説明してある。これに依ってみても、特に『大経』を真実教として依用し給うたことか知れるでないか。且つ、『漢語灯』「大経釈」には、「浄土三部経中、この経を以て根本となすなり」と明かに宣うてある。善導法然両祖ともに『大経』を真実教とし根本聖典中の根本聖典とし給うのはこれであきらかに知れ了〈おわ〉るのである。
 親鸞聖人はこういう風に諸祖の正意を承けて、『大経』を真実教とし給うたのである。
 親鸞聖人は尚、法相の上に於いて、三願、三経、三機、三往生の分類をしたもうてあるが、この分類に依って見ると聖人の真意が理解出来るのである。因にその関係を図示して、『大経』の位置を一層はっきりせしめて置こう。

 ┏『大経』━第十八願開説━弘願門━正定聚の機━他力信━他力行━難思議往生━━報土往生
 ┃
 ┣『観経』━第十九願開説━要門━━邪定聚の機━自力信━自力行━双樹林下往生┓
 ┃                                    ┣化土往生
 ┗『小経』━第二十願開説━真門━━不定聚の機━自力信━他力行━難思往生━━┛

(1-224)

第二項 根本経の大意

【大意】上に根本経の何たるかを挙げたから、今、その根本経の大意を示し給うのである。何故大意を出し給うかというと、これに依って『大経』は本願真実を説く釈迦如来の出世本懐の経典であることが知れ、『大経』の真実教であることが証明せられるからである。

斯経大意者 弥陀超発於誓 広開法蔵 致哀凡小選施功徳之宝。
釈迦出興於世 光闡道教、欲拯群萌 恵以真実之利。

【読方】この経の大意は、弥陀ちかいを超発してひろく法蔵をひらき凡小をあわれんで、えらんで功徳の宝を施することをいたす。釈迦世に出興して道教を光闡して群萌をすくい、めぐむに眞実の利をもてせんとおぽしてなり。
【字解】
 一。弥陀 上一九〇頁をみよ。
 二。超発 諸仏に超えすぐれた本願をおこしたまうこと。
 三。法蔵 一説には阿弥陀仏因位永劫の御修行の功徳を悉く南無阿弥陀仏の六字に封じ込めて御成就なされた故に、名号を法蔵というといい、他説には因位に於いて無量の徳行善法を積み給いたるを、法の蔵〈のりのくら〉を開くといいたるものともいう。今は後説に従う。
(1-225)
 四。凡小 上一七三頁をみよ。
 五。功徳の宝 万善万行の功徳ある宝。南無阿弥陀仏のこと。
 六。道教 聖道門一代の教を指す。
 七。光闡 光は広、闡は暢、ひろめのべること。
 八。真実之利 衆生に取りて真実の利益になるもの、即ち弥陀の本願を指す。
【文科】一宗根本経の大意を示す一段。
【講義】この『大無量寿経』を大握みにした意味合〈あい〉はどうかと云えば、弥陀の招喚と釈迦の発遣の外はない。阿弥陀如来が因位の時に、世に超え勝れた四十八の大願を発して、永却の間あらゆる徳行を積み、無量の善法を修め、特に私共のために選びに選んで功徳の宝即ち六字の名号を施与〈あた〉え下さるのである。これが弥陀如来の招喚である。また釈迦如来がこの世に現われ給いて、聖道一代の教を布〈し〉かれたのは、群萌を拯うために、衆生に真実の利益となる弥陀の本願を恵まんがためであらせられた。これ即ち釈尊の発遣である。
【余義】一。茲に大意というのは、『摩訶止観』一ノ二に
 大意を釈すれば、始終を嚢括し、初後に冠戴すとある意味で、一経の始終をひきくるめ、前後を一にまとめた要領をいうのである。彼の
(1-226)
『正信偈大意』とか、『教行信証大意』とかいうのとは違う。『正信偈大意』の大意は文相の大綱の意味であるが、茲に大意というのは、文意の肝要の意味である。
 それで『大無量寿経』の大意は、弥陀釈迦二尊の喚遣に依って、六字の名号を衆生に恵施し給うことである。これが親鸞聖人の定め給うた『大経』の大意である。
 二。そんなら親鸞聖人はどうして斯〈こ〉ういう風に『大経』の大意を定め給うたかというとこれは法然聖人の『大経釈』に依り給うたものである。法然聖人は善導大師の「玄義分」の序題門の意によって、『漢語灯』一(一右)に
 大意とは、釈迦世尊、無勝浄土を捨てて、この穢土に出で、浄土教を説いて、衆生を勧誘し、浄土に生ずるを得せしめんと欲するがため、弥陀如来、この穢土を捨てて、彼の浄土に出で、穢土の衆生を引導し、浄土に生ずるを得せしめんと欲するがためなり。これ即ち、諸仏浄土を摂取し、穢土に出興し給う本意なり。善導和尚云く、釈迦は斯の方に発遣し、弥陀は即ち彼の国より来迎す。彼〈かしこ〉に喚〈よ〉ばえ、ここに遣す等云々。これ乃ちこの経の大意なり。
と示し給うてある。釈尊が、阿弥陀如来の因源(該?)果海(如来浄土の因果)を説いて、衆生に
(1-227)
その浄土に往生する(衆生往生の因果)を勧められたのが、『大経』であるから、『大経』一部は、弥陀如来の御意から窺えば、彼土よりの招喚である。釈尊の御心から覗えば、此土よりの発遣である。この招喚と発遣に依って、真実功徳の六字名号を、我等衆生に恵み施し給うのが、『大経』一部の大意である。
 三。因に、『大経釈』では発遣招喚の順序になって居り、今は招喚発遣の順序になっているが、これには違うた覚召があるのかというと、別にはない。ただ法然聖人は前にもいう通り弘化の便宜上、『観経』に依り給うものであるから『観経』に準じて、釈迦牟尼如来の方より云い、親鸞聖人は弘化も、『大経』に依り給うから、『大経』に準じて、弥陀如来の方から喚遣の順序で宣うたものである。然し、この『観経』に依れば遣喚の次第、『大経』に依れば喚遣の順序というのも、大体の上からいうので、強ち義理を押しつめていうのではない。『観経』は、始めは釈迦教で、後に弥陀教が出て居る。それで大体からいうと、釈迦弥陀二尊の遣喚の順序になって居る。『大経』は、始めから弥陀弘願の一法が説かれてあるのであるが、文についていうと、経文の始めから、下巻の不能窮尽までが、弥陀の招喚で、仏告弥勒から以下、三毒の苦を説き、五悪の咎を示し、以て厭穢欣浄せしめ給うので、こ
(1-228)
れが釈迦の発遣に当るのである。大体の上からいうて、斯ういう風になって居るから、この二経の体裁が、自然に弘化の違う両祖の上に顕われてそういう次第の相違を来したのである。

第三項 根本経の宗体

【大意】次に根本経『大無量寿経』の経宗と経体とを判定し給うのである。この経宗経体を判定することは古来〈むかしから〉講経の通規になって居るが、今聖人はかくの如く経宗経体を出して、『大経』一部が本願念仏を説く真実教であることを証明し給うのである。

是以 説如来本願為経宗致。即以仏名号為経体也。

【読方】これをもて如来の本願をとくを経の宗致とす。すなわち仏の名号をもて経の体とするなり。
【字解】
 一。本願 衆生を助けたいという本因の誓願。おやごころ。
【文科】経宗 経体を判ずる一段。
【講義】それであるから、この『大無量寿経』の宗要〈かなめ〉はといえば、弥陀如来の本願を説くことである。また、『大無量寿経』の主質はといえば弥陀の名号である。一部全体、何処を叩いてみても、弥陀の名号より外はない。
(1-229)
【余義】
 一。古来、経文を講釈するには先ずその大意を論じ、次に経宗と経体を定めて一経の根本義を知ることになって居る。今この「教巻」に先に『大経』の大意を示し、今また、経の宗体を論判してあるのは、こうして、いよいよ『大経』の真実経であることを示し給うのである。一体、経宗、経体とは、どういうことであるかというと経宗とは天台大師の『法華玄義』に
 宗とは要なり
とあって、一経に説く法門義理の中で、最も肝要なものをいうのである。扇でいへば要〈かなめ〉の如く、家でいえば梁、柱の如く、その中心点となるのをいうのである。
 経体とは、天台大師の『観経疏』上には
  体は主質の義なり
とあり、一経の全体に渉る地質、即ち一経の始終を一貫する根本精神をいうのである。扇でいえば紙の如く、家でいえば材木の如く、主要な地をなして居るものをいうのである。
 二。然らば『大経』の経宗は何であるか、
  如来の本願を説くを経の宗致とす。
(1-230)
『大経』上下二巻その説く所は甚だ広いようであるけれども、弥陀の本願の生起本末を説くが一部の宗要とする所である。茲では説くという字が字眼になって居る。釈尊此世に出世在〈ましま〉して、『大経』一部を説き給うたは何のためであるかといえば、如来の四十八願、殊に、第十八の王本願を説ききかせるためであった。所説〈とかれるもの〉は弥陀の本願、能説〈とくもの〉は釈迦の本懐、弥陀の本願を釈迦の本懐で説き給うたが一部の宗要であるということである。
 次に『大経』の教体は何であるか。
  仏の名号を以て教の体となすなり。
 四十八願の一々にこもる根本精神は何であるかといえば、外ではない。念仏である。ただに四十八願許〈ばか〉りではない。『大経』一部の全体に亘って、説かれて居る弥陀の因位の万行も、果上の万徳も、浄土の荘厳も、みな結帰する所は南無阿弥陀仏の六字名号である。『大経』上下二巻のいずこを叩いてみても南無阿弥陀仏の名号より外はないのである。それは何故かというと、阿弥陀如来がもともと、因位の第十七願に於いて、十方の諸仏に、我が名をほめて、これを衆生に説ききかせて貰いたいと御願いなされたに対して、釈迦如来も、この世にあらわれて、弥陀の名号を讃嘆するを本懐とし、『大経』一部を説き給うたのであ
(1-231)
る。それであるから、『大経』一部に亘って、四十八の本願の説いてあるのも、また、因位の万行、果地の万徳、はたまた、浄土の荘厳を説くも、みな全く名号讃嘆のためである。してみれば、『大経』一部は、つづまるところ、全く南無阿弥陀仏の一法に結帰して仕舞うのである。それで親鸞聖人は仏の名号を『大経』の経体と定め給うたのである。
 尤も、本願と名号とは、別に離れたものではない。所信の位にある時には、同じい謂れになっで居るので、本願を信ずるというも、名号を信ずるというも、別に違うたことではない。親鸞聖人も、「本願や名号、名号や本願」と仰せられて別に異なることはないのであるけれども、しばらく因(本願)と果(名号)の差別があり、所詮の言教の上で差別があるから、宗と体とにわけるのである。
 『六要鈔』ではこの本願と名号を、総(六八本願)と、別(名号)とにわけてあるが、この総別にわける釈は、もと西山派の行観の「玄義分」の『私記』二(四十四丁)に出でて居るのであって、存覚上人はこの釈を今家の心で取り用い、広略という義に用い変え給うのである。即ち、本願は六八で広く、名号は一法で略であるから、総別というたものであるというのである。存師ではこの総別の差別を以て経宗経体をわけたという覚召である。
(1-232)
 四。次に、この経宗経体とわけるのは、いつ頃から起ったかというと、天台大師が始めてであって、それから、賢者、慈恩等の諸大師が皆これに習われたものである。天台大師は『法華経』の宗体を、因果為宗、実相為体と定められたのである。
 浄土門にあっては、経宗は道綽大師か始めてであって、『安楽集』(五左)に、
  広く諸経の宗旨を弁ず、『観経』は観仏三昧を以て宗となす
と釈され、経体は曇鸞大師が始まりで、『論註』上初に
  無量寿仏の荘厳功徳を説く、即ち仏の名号を以て経の体となす
と判ぜられ、経宗経体ともに判ぜられたは、善導大師の「玄義分」に『観経』の宗体を判じて
  念仏為宗  往生為体
とあるが始めである。
 親鸞聖人は、善導大師に従って経宗経体両方を判じながら、実際の義は曇鸞大師に依り給うたものである。即ち、『論註』に「無量寿仏の荘厳功徳を説く」とあるその無量寿仏荘厳功徳というは、法蔵菩薩の願心に依りて成就し給うたものであるから、今これを因にも
(1-233)
どして本願とし、この本願を経宗と判じ、仏の名号を経体と定め給うたのである。
 五。然らば、何故、善導大師の所判の義と違って来たかというと、いつも出るように、善導大師は『観経』に依り、常に機について判じ給うものであるから、今も、機の趣入(機類の趣き進む具合)について、『観経』の宗体を判じ、従って宗体も親鸞聖人の用い給う宗体の意味とは幾分違うて、賢首大師が、『探玄記』一(四十九)に
  語の標する所を宗といい、宗の帰する所を趣という
と曰われた様に宗の結帰する所を体とするという義であるから、宗体に別法を配せずに、念仏為宗、往生為体と念仏の利益の往生を取って体とせられたのである。親鸞聖人は、常に『大経』に依って、法について判じ給うものであるから、今も、法の流出(法の流れ出る有様)について、宗体を判じ、従って、判例を天台大師の「因果為宗、実相為体」に取り給うから、宗体に別法を配して、「本願を説くを宗とし、名号を経体」となされたのである。
(1-234)

第二節 引文

第一項 徴問

【大意】上に已に、浄土真宗の真実教を説き明した。浄土真宗の真実教は、釈尊一代教中の真実数である。これだけのことを上にいうて来たから、それを文を引いて証明し給うのである。その証文を引き給うについて先ず徴問し給うのである。

何以得知出世大事。

【読方】なにをもってか出世の大事なりとしることをうとならば。
【文科】次の証文を引き起すために徴問する一段。
【講義】序文には釈尊一代の教説の中で、この浄土他力の教に及ぶものはないと云い、次上の文には、釈尊世に現われ給いて、一代教を弘められたのは、この本願の利益を人々に蒙らせんがためであると云えば、つまり釈尊出世の本懐はこの『大無量寿経』であったと云わねばならぬ。果して左様であろうか。これ実に大問題である。もしそうであるとすれば一代仏教、手近く云えば各宗の教は皆この浄土他力教の方便説となる。どうしてこの経が釈尊出世の一大事因縁といわれるか、下の諸経文はこれを証明して余りあるのである。
(1-235)
【余義】
 一。この『広本』は文類であるから、他の経論釈の文を引く場合に徴起がない。然るに今この場所に限って「何以得知出世大事(なにをもってか出世の大事なりとしることをうとならば)」と徴起の語のあるはどういうことかというに、これまでに説き述べて来た全体を受けて来て徴起して居るのは勿論であるが、その中、わけて、「大意釈」の「釈迦世に興出して云々」とあるを受けて、これから『大経』が出世本懐の根本経典であるという証拠を出さんがためである。
 いうまでもなく、華厳宗も天台宗もみなその所依の経典を以て出世の本懐の経として居るのに、今『大経』を出世本懐経としては、これらの諸宗が承知をせない。わけて、聖人の当時隆盛を極めた天台宗で合点する筈がない。それで特に徴起の語を挙げて出世の本懐であるということを以下に証拠を挙げて説明し給うのである。それで「何以得如出世本懐」の徴起〈よびおこす〉の語〈ことば〉も『法華経』の「方便品」のかの有名なる「以一大事因縁出現世(一大事因縁を以て世に出現す)」の語に依って作り給うたのである。

第二項 引証

【大意】上の徴問に引きつづいて証文を出し真実教たろを証明し給うのである。この証文が三つに
(1-236)
分れて第一科と第二科が経文、第三科が註釈である。第一科の経文が正顕にて、すなわち正しく『大無量寿経』を引いて出世の本懐を決定し、第二科に異訳の『無量寿如来会』と『平等覚経』を引いて上の『大経』の文を助顕し給うのである。第三科の註釈というは、憬興師の『大経』の註疏『述文讃』を引いて上の『大経』の文の難解の箇所を解釈し給うのである。

第一科 経文の一、正顕『大無量寿経』

大無量寿経言
今日世尊 諸根悦予 姿色清浄 光顔巍巍 如明鏡浄 影暢表裏 威容顕曜 超絶無量。未曾瞻覩 殊妙如今。唯然大聖 我心念言 今日世尊 住奇特法。今日世雄 住仏所住。今日世眼 住導師行。今日世英 住最勝道。今日天尊 行如来徳。去来現仏 仏仏相念。得無今仏 念諸仏邪。何故威神 光光乃爾。

於是世尊 告阿難曰 諸天教汝 来問仏邪。自以慧見 問威顔乎。
阿難白仏 無有諸天 来教我者。自以所見 問斯義耳。
仏言善哉 阿難 所問甚快。発深智慧 真妙弁才 愍念衆生 問斯慧義。如来以無蓋大悲 矜哀三界。
所以出興於世 光闡道教 欲拯群萌 恵以真実之利。無量億劫 難値難見 猶霊瑞華 時時乃出。
今所問者 多所饒益。開化一切 諸天人民。阿難当知。如来正覚 其智難量 多所導御。慧見無礙 無能遏絶。{已上}

(1-237)
【読方】大無量寿経にのたまわく。今日世尊、諸根悦予し、姿色清浄にして光顔巍巍とましますこと、あきらかなるかがみのきよくして、かげ表裏にとおるがごとし。威容顕曜にして超絶したまえること無量なり。いまだかつて瞻覩せず、殊妙なることきょうのごとくましますをば。唯〈やや〉然〈しか〉なり。大聖わが心に念言すらく、今日世尊、奇特の法に住したまえり。今日世雄、仏の所住に住したまえり。今日世眼、導師の行に住したまえり。今日世英、最勝の道に住したよえり。今日天尊、如来の徳を行じたまえり。去来現の仏、仏と仏とあい念じたまえり。いまの仏も諸仏を念じたまうなきことをえんや。なんがゆえぞ威神のひかり、ひかりいまししかると。
 ここに世尊、阿雖につげてのたまわく、諸天のなんじを教えてきたりて仏にとわしむるや、みずから慧見をもて威顔をとえるやと。
 阿難仏に白く、諸天の来て我を教うる者あることなし。自ら所見をもてこの義をといたてまつるならくのみと。
 仏ののたまわく、よきかな阿難、とえるところはなはだこころよし、ふかき智慧、真妙の弁才をおこして衆生を思念せんとしてこの慧義をとえり。
(1-238)
 如来、無蓋の大悲をもて三界を矜哀したまう。世に出興するゆえは、道教を光闡して群萌をすくい、めぐむに真実の利をもてせんとおぽしてなり。無量億劫にももうあいがたく、みたてまつりがたきこと、猶し霊瑞華のときありてときにいましいずるがごとし。いまとえるところは饒益するところおおし。一切の諸天人民を開化す。阿難まさにしるべし。如来の正覚はその智はかりがたくして、導御したまうところおおし。慧見無碍にしてよく遏絶することなし 已上

【字解】
 一。世尊 梵語薄伽梵(Bhagavat=Bhagavan)の義訳。世に尊まるる人、仏のこと、今は釈尊を指す。
 二。諸根 眼、耳、鼻、舌、身の五根。五官のこと。
 三。悦予 心の喜の表にあらわれたろ相。
 四。巍々 高大の貌。おごそかなること。
 五。威容顕曜 威徳すぐれたる容〈かたち〉の照りかがやくこと。
 六。瞻覩 をがみ見る。
 七。唯然〈ややしかり〉 他意なきことをあらわす語。
 八。念言 心におもいめぐらす。
 九。奇特法 身の表にあらわれた奇瑞の相。
 一〇。世雄 仏のこと。仏は魔界外道を制服する世の雄者であるから世雄という。
(1-239)
 一一。仏所住 普等三昧のこと、この定は第四十五願に出でて居る。あらゆる一切諸仏を念じ給う定である。
 二一。世眼 世の闇をてらす眼、仏のこと。
 十三。導師行 衆生を引導して涅槃の城に入らしむる徳行。
 一四。世英 仏のこと。英は智慧万人に勝るることをいう。
 一五。最勝道 最も勝れた智慧の道。
 十六。天尊 第一義天ともいう。仏のことである。
 一七。如来徳 自利々他円満の仏徳。
 一八。去来現  過去、未来、現在。
 一九。威神 神々しき威光。
 二〇。阿難 阿難陀(Ananda)の略。歓喜、慶喜、無染などとと訳する。斛飯王(Drotdana)の子で、釈尊の従弟に当り、仏陀の待者となりて二十余年間、常に御給事を申し上げ、多聞第一で釈尊十大弟子の一人に数えられて居る大弟子である。仏入滅後四ケ月目に王舎城の結集には、兼て聞き暗〈そら〉んじて居った経説を誦出されたのである。
 二一。慧見 智慧分別のこと。
 二二。威顔 威光ある仏の顔。
 二三。真妙弁才 まことにして巧妙なる弁舌の才。
(1-240)
 二四。慧義 さときわけがら。
 二五。如来 如来の字義は上、一七四頁をみよ。今は一切諸仏を指す。
 二六。熊蓋大悲 蓋は蓋覆、覆いかぶせるものなき最上の大悲。
 二七。三界 欲界、色界、無色界の称。下は地獄から上は悲想非々想処天に至るまでの全世界。
 二八。矜哀 あわれむこと。
 二九。道教 一代諸教のこと。
 三十。光闡 光は広。闡は暢。ひろめのべること。
 三一。霊瑞華 麗瑞は優曇鉢羅(Audunmbara)の義訳で華の名である。この華、芽出でて、一千年、莟〈つぼ〉みて一千年、開きて一千年、合せて三千年に一度開くといわれている。優曇華のことである。また『出曜経』には「優曇鉢華のごとき数千万劫に時々乃〈すなわ〉ち出ず。爾時群生、優曇鉢華を見て各々歓喜す。――古昔の経籍に自〈おのずか〉ら明文あり、もしこの華世に出現することあれば、如来の出世し給うこと亦復久しからず。諸天世人共に相慶賀す」とある。
 三二。饒益 饒は多に同じ、手あつく利益すること。
 三三。遏絶 おさえとめる。
【文科】経文の中『大無量寿経』を引いて正顕し給うのである。
【講義】魏訳の『大無量寿経』にはかように説かれている。
(1-241)
 常随の弟子阿難尊者が、釈尊の御相好を仰いで申し上げるよう、今日世尊は、諸根〈おからだ〉のどこもかも、悦びに溢れ、御肌も清浄に、容顔〈おんかおばせ〉は崇高〈けだか〉く光を放ち給い、澄み渡った鏡の裏と表が、すき暢〈とお〉るようにあらせらるる。威容の妙〈たえ〉にして勝〈すぐ〉れ給えることは、何とも申しあげることも出来ませぬ。私は長い間お附き申しておったけれども、かような殊妙〈たえ〉なる御相好〈おすがた〉は、いまだかつて一度も拝み奉ったことはありませぬ。世尊よ、そこで私が思いまするには、今日世尊は、罕〈まれ〉な奇瑞の御相好〈おすがた〉を顕わしていらせらるる。今日は世雄は、衆魔を制する普等三昧に入っていらせらるる。今日世眼は人天を導いて涅槃に入らしめ給う導師の徳行を行じていらせらるる。今日世英は、最も勝れた智慧に住していらせらるる。今日天尊は、自利々他欠くる所なき悲智円満の如来の徳を行うていらせらるる。三世の諸仏が御説法の時に、後仏は前仏を念じて法を説かるるということであるが、只今大聖世尊も定めて諸仏を念じていらせらるるに相違ないと存じまする。それでなければかような威神極りなきおん有様はあろう筈がありませぬ。
 この時、釈尊は阿難尊者に仰せらるるよう。阿難よ、諸天が汝に教えて、かようなことを仏に問わしめたのであるか、或いはまた汝の慧見で、崇高〈けだか〉い御相好は何故でありますかと
1-242
問うたのであるか。阿難申すよう、世尊よ、諸天が来って、私に教えたのではありませぬ。私の所見でこの義を問い奉ったことであります。
 釈尊仰せらるるよう。善哉〈よいかな〉阿難、汝の問うた所は我に於いて、甚だ快しとする所である。汝は実に深い智慧と、巧な弁才を以て、穢しい名利のためでなく衆生を愍〈あわれ〉むの思いより共に大いなる法益を潤んがために、このような結構な義〈わけがら〉を問うたのであろう。
 諸仏如来はこの上もない大慈悲心を以て、三界の衆生を矜哀〈あわれ〉み、この世に御出ましになる所以はどうであるかと云えば、群萌を拯わんがために、いろいろ様々の教を布〈ひろ〉めて、真実の利益を施さんがためである。かような如来には無量億劫の長い間にも逢い奉り、見奉つることは難しい。ちょうど優曇鉢羅樹が、極々〈ごくごく〉罕〈まれ〉に花咲くようなものである。
 阿難よ、汝がいま問うたことは世を益し、一切諸天人民の心の暗を開いて、大なる化益を獲させるであろう。汝はよくも世を救う大法の緒〈いとぐさ〉を引き出す問を起して呉れた。汝がこの問を起さなかったならば、群萌は徒〈いたずら〉に方便の教を執じて、誠の仏意をさとることが出来なかったであろう。阿難よ、如来の正覚は深く広いもので、その智慧は量ることは出来ぬ。化益極みなく、おん智慧は碍る処なく、滞る処はない。
1-243
【余義】
 一。この上の経文に、釈尊が五種の瑞相を顕わし給うなことが述べてある。釈尊は出世本懐の経典を説かんとして、先ずこの五種の瑞相を顕わし給うたのである。古来〈むかしから〉これを五徳現瑞の段と呼び来って居る。処が、異訳の『如来会』のこれに相当する処には五徳を挙げてなく、ただ「大寂定に入り如来行を行ず」とある。この二経の相違は、所謂〈いわゆる〉開合の相違で、左の様に図にして見ると、よくその趣きが知れるのである。しかも却って「如来会』の二句に依って、大に助顕せられるのである、

         ┏住奇特法━━身徳━━━━━━━相┓
         ┣住仏所住━━心徳━━━━━━━体┻入大寂定┓
 『大経』の五徳━╋住導師行━━利他徳━━━┳別┓      ┣━『如来会』二徳
         ┣住最勝道━━自利徳━━━┛ ┣用━行如来行┛
         ┗行如来徳━━仏不共二利徳━総┛

即ち住奇特法とは身の上に顕われた徳で、前の光顔巍巍として在すことである。住仏所住とは定に住し給うことで、世尊の心の徳である。この入定の心の徳があるから、前の住奇持法の身徳が顕われたのである。言い換えれば入定の徳は体で、身徳はその相である。而
(1-244)
して後の三徳は第二の仏の所住に住し給うた心徳から顕われた用である。それで、仏の所住に住するというは大寂定に住することであり、後の三徳は、如来行を行ずることであることがわかる。然し、どうして仏所住とは定とわかるか。またその定は大寂定とわかるか。
 仏は常に定を離れ給わぬ方であるから、仏所住とは定のことであることは明かである。またこの定が何故大寂定であるかというと、この経文の下に住仏所住を釈して仏々相念の句がある。仏と仏と相念じ給うことで、これを第四十五願には、普等三味というてある。それで憬興師も、下に引かれてある通り、住仏所住を普等三昧というて居られる。
 さて普等三昧は諸仏を念ずる定であり、諸仏の根本は阿弥陀如来であるから、普等三昧は結極弥陀如来を念ずる弥陀三昧のことである。而して大寂定とは弥陀を念ずる定の名であるから、住仏所住とは大寂定に入ることであることがしれる。
 それで、釈尊の五徳現瑞とは畢竟入大寂定のことであり釈尊は『大経』を説くために先ず弥陀三昧に入らせられたのである。釈尊弥陀を念じ給えば、弥陀も釈尊を念じ給い、弥陀釈尊相離れず、釈尊の威顔光々とあらせられたのも、つまりは、阿弥陀仏の御すがた
(1-245)
とならせられたのである。それであるから、今や応身の釈迦は報身の弥陀となって『大経』を説き給うたので、『大経』は弥陀の直説と曰われ、『大経』の真実教たること愈々明白となるのである。
 二。この経文は『大経』が釈迦如来出世本懐の経典であるということを示すものであることは一目瞭然である。親鸞聖人は『一念多念証文』にこの経文を次の如く解釈なされて居る。

  如来ともうすは諸仏をもうすなり。真実之利ともうすは、弥陀の誓願をもうすなり。しかれば諸仏の世にいでたまうゆえは、弥陀の願力を説きて、よろずの衆生をめぐみすくわんとおぼしめすことを、本懐とせんとしたまうがゆえに、真実之利とはもうすなり。しかればこれ諸仏の直説ともうすなり。

 『大経』の文の如来を『証文』に釈迦如来と解釈せず特に諸仏と解釈なされたは、『大経』のこの一節に相当する『如来会』の文に「一切如来」とあるを承けて証拠とし、且つ義理の上からみて、弥陀の本願を説くは独り釈迦如来の出世の本意である計りでなく、一切諸仏みな、弥陀の本願を説くを本懐とし給うことであるから、それを示し給うたのであ
(1-246)
る。
 三。又この一節の経文に二通の読み方がある。一は「世に興出し道教を光闡し給う所以は云々」と読むので、『六要鈔』主の解釈振りに依ると、この点に読まねばならぬ。『一多証文』もこの読み方に依り給うたのである。他の一は、「世に興出し給う所以は云々」と読むので、寛永本始め諸本はこの読み方にしてある。前の読み方に依れば、道教は一代教のことで真実之利とは『一多証文』の如く本願と見るべきである。道教を一代教とするは『大経』の普通の言使〈ことばづかい〉で、普現道教、宣布道教とあるは皆一切教のことである。もし後点に依らば、道教は本願となり、真実之利は名号である。覚如上人の『御本書御延書』には道教に本願と左訓してあるのである。
 四。真実之利を本願とみたり、名号とみたりするのは何に依るかというに『大経』の流通分に。

  それ、彼の仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して、乃至一念することあらん。当に知るべし、この人は大利を得となす。則ちこれ無上の大利を具足するなり。

とあって、大利は上の真実之利を受け、阿弥陀仏の名号をきくが大利を得るのであるから
(1-247)
真実之利は名号を指し名号は誓願のあらわれなれば、もとに帰ってこれを本願としても差支ないのである。
 かくの如く、親鸞聖人はこの経文に依って、諸仏出世の本懐は弥陀の誓願を説きひろめ給うことであると決定し給うた。然しこれにはいろいろの難も出て来、また他宗に対する面倒な関係もあるので、その後浄土真宗に於いて出世の本懐ということを論ずるに就いて、略々〈ほぼ〉三通〈とおり〉の義門に分れることになった。
 難というは外ではないが、彼り『法華経』の「方便品」に
 「唯一大事因縁を以ての故に世に出現せり。」
という文があって、この文からみると『法華経』が出世本懐の経典ということになる。してみると『法華経』とこの経がいずれが真実の出世本懐経であるかという質問が出るのである。且つ浄土真宗興立の時分には、人も知る如く、当時の天台宗は非常に隆盛であると共にまた至極横暴を極めたもので、浄土門に対して絶えず圧迫を加えたのであるから、親鸞聖人を始め列祖は、この『大経』の出世本懐経であるということをいうに非常に心を配われたるものである。
(1-248)
 それで、三通〈とおり〉の義門などが生れて来て居るのである。今からみれば、何でもないことのようではあるが、それが、その当時では一大事であったのである。今日私共が、何でもないことのように思うて居る事柄の下には、古聖賢の血と涙とが流れて居るのである。その血と涙に購われて、私共が、今曰平気に言い得ることになって居るのである。こういうことは気をつけてみるといくらもあるのである。それで三通の義門というのは、左に記す通りである。
 五。第一に相対門である。この義門からいうと、『法華経』も、声聞、縁覚の二乗が仏になれると説いた一乗真実の教である。『大無量寿経』も、悪人凡夫がその儘仏になれると説いた一乗真実の教である。してみれば両経ともに出世の本懐の経典であるというのである。この一相対門が存覚上人の『六要鈔』一(二十左)にはまた二通にわかれて居る。
 (一)教の権実についていう。これは三乗教一乗教相対で『法華経』は一乗教であるから本懐経である。『大無量寿経』も一乗教であるから本懐経であるというのである。然し『六要鈔』の上ではわざと『大経』のことは出してない。何故出してないかというと一先〈ひとま〉ず天台宗の『法華経』に花を持たせたのである。これが所謂〈いわゆる〉与門というのである。(1-249)
(二)機の利鈍についていう。末法五濁の悪凡夫を済うは独り弥陀の本願である。これはいかな『法華経』でもし了〈おわ〉せない点である。してみれば仏の大悲は殊に苦〈くるしみ〉あるものに於いてするものであるから、『法華経』よりは『大経』の方が出世本懐の経であるというのである。
 成程〈なるほど〉『法華経』は一乗真実の教で、教は高尚であろう。けれども、いかに教理は高尚でも、実際に、迷没の衆生を助くる力がなければ、あれどもなきが如しで、宝の持ち腐れである。今『大経』は、殊に五逆十悪の悪人、鈍根下劣の衆生を救うが能〈のう〉である。これに依って『大経』の出世本懐経であることを知れというのである。これは一度〈ひとたび〉持たせて居いた花を取り上げるのであるから、奪門というのである。『法華問答』下(三十二丁)に、
 『華厳経』のごとくんば厚殖善根の上機を化して本懐とす、法華においては二乗を化するを本懐とす。浄土の教にいたりては、重苦をすくうを本懐とす。
とあるのもこのこころである。
 六。第二に融会門 『法華経』の説と『大経』の説とは同時同味であって、『法華経』の実相の妙理は、その儘『大経』の真如一実の功徳宝海たる名号であるというのである。
(1-250)
 『決智鈔』末(八丁)に左の如くいうてある。

 法華と念仏とを相対するに分別開会の二門あるべし。開会門のときは同なり、ともに一実の仏智なるが故なり。実相と名号と相離れずおなじく、仏智一乗なり、理事ついに別ならず、事理不二なり。成仏往生は一旦の二益なり。剋するところは開悟にあり、……おおよそ如来の教法はもとより無二なり。ただ一乗の法のみあり、八万四千の法門をとけるは衆生の根性にしたがえるなり。されば実相円融の法と指方立相の教と、しばらくことなるがゆえに、文にあらわれて一法といわざれども、実には仏智一乗のほかにさらに余法なし。このまなこをもてみるときは、法華の文々句々みな念仏なりとしらるるなり。

 文面に明に見ゆるとおり、法華と念仏とは全く同一の法であるから、同じく出世本懐の経であるというのである。これは、第一の相対門の与門を押しつめて論じた義門である。
 七。第三には絶対門これは直接信仰の天地から判断したもので、かれこれ論議をして居るのではないのである。自分の信ずる他力本願の外に別に聖道門をみないのであって、
(1-251)
聖道の一法門というのは、弥陀の誓願一仏乗に入らしむるための方便教である。即ち聖道門で教ゆる修行善根功徳は悉く、『観経』の定善散善に収まるべきもので、最後の目的は弥陀の誓願に誘引せんためである。してみれば、『大経』が出世本懐の経説であることは論を待たないということである。この意味は、第一の相対門の奮門に少しくその鉾先を示して居るから、第三の絶対門は、この奪門の押し詰ったものというてもよい。猶はっきりいうならば、この聖道一代の教法を、誓願一仏乗に入らしむるための方便化前の教とするこの絶対的の判決は、信仰の特殊性から、当然出て来るべき帰結であって、別に珍らしいことではないのである。信仰というものの性質がこうなるべき筈のもので、茲へ来て初めて、生命があり力があるのである。勿論理論の上からもこの絶対的の判決を成立させようとすることはあるけれども、そもそもそれは末であって、信仰の自発的の判決を、成立させようためにつとめるだけのものである。このことの顕われて居る文は沢山あるが、その中、先きに挙げた『一念多念証文』の意味はこの絶対門である。
 右の三門を便宜のために図示するとこういう風になる。
(1-252)
 出世本懐の三義┓
 ┏━━━━━━┛
 ┃      ┏教の権実についていう。━━与門┓
 ┣ 一 相対門━┫               ┣━『六要鈔』一ノ二十丁
 ┃      ┗機の利鈍についていう。━━奪門┛
 ┣ 二 融会門━━与門の終局━━━━━━━━━━━━『決智鈔』下ノ八丁
 ┃
 ┗ 三 絶対門━━奪門の終局━━━━━━━━━━━━『一多証文』十九丁

 八。かくの如く、弥陀の本願を説くが一切諸仏出世の本懐である。それ故『大経』が出世の本懐の経説である計りでなく、浄土の『三部経』は皆釈尊出世の本懐経である。親鸞聖人は『観経』に於いては「即便微笑」の句を以て『観経』の本懐経であることを証明し給うてある。『化巻』八(二十一)「達多闍世の悪逆に依って、釈迦微笑の素懐を彰す」とあるがこれである。機縁がすべて純熟して『大経』所説の本願法がその実益をこの世に布き給う時になったので釈迦如来微笑して本懐を示し給うたというのである。また『小経』に於いては無問自説ということで『小経』の本懐経であるということを証明し給うてある。『化巻』九(十五左)に「斯経は大乗修多羅中の無問自説の経なり。爾ば如来、世に興出し給う所以は、恒沙の諸仏、証護の正意、唯斯に在るなり」というがこれである。また『一多証文』(一五右)
(1-253)
  『阿弥陀経』に一日乃至七日名号をとなうべしと、釈迦如来ときおきたまえる御のりなり。この経は無問自説経ともうす。この経をときたまいしに、如来にといたてまつる人もなし、これ即ち釈迦出世の本懐をあらわさんと思召すゆえに無問自説ともうすなり。

とあるもこれである。『阿弥陀経』は常に舎利仏よ舎利仏よと呼びかけ給うのみで、他の経の如く他の人が問い奉ることなく釈迦独り説教し給う経典である。これ、弥陀の不可思議の本願を悪逆の機が信じて、そのまま成仏するとは、いかなる智者も余り不思議なる故に愚痴になって聞き居るのみであるというので本懐の意を出すのである。これを図示すると左の如くになる。

       経文                引用
    ┏『大経』如来無蓋大悲………………………「教巻」一(十八)法についていう。
出世本懐╋『観経』即便微笑……………………………「化巻」八(二十一)機についていう。
    ┗『小経』無問自説(これは文ではない)…「化巻」九(十五)機法についていう。
 (註『口伝鈔』下(四右)以下を参照して下さい。)

 九。猶ここに今一ついうことが残って居る。善導大師の『法事讃』に『小経』の「我於五濁」
(1-254)
の文に依って、如来の出世の本意、弥陀の本願を説くにあるを示し給うてある。これを法然聖人は『漢語灯』十二にその儘引いて置き給うのである。煩わしけれどもその全文を出して見よう。

 善導和尚の意、釈尊出世の本意、唯念仏往生を説くの文
 『法事讃』に云く、如来、五濁に出現して、宜しきに随って、方便して群萌を化す。或いは多聞にして得度すと説き、或いは小解をもって三明を証すと説き、或いは福慧双べて障を除くと教え、或いは禅念坐して思量せよと教ゆ。種々の法門皆解脱すれども念仏して西方に往くに過ぎたるはなし。上一形を尽して、十念に至り、三念五念まで仏来迎して、直〈ただ〉弥陀の弘誓重きに為〈よっ〉て、凡夫をして念じて即ち生ぜしむることを致す。

 善導、法然両祖この文に依って本懐の経説であることを立証し給うから、親鸞聖人も亦『和讃』に、
  経道滅尽ときいたり、  如来出世の本意なる
  弘願真宗にあいぬれば  凡夫念じてさとるなり
と宣い『一多証文』(二十五丁)にもまたこの旨を示し給うて、凡夫念即生の不思議を以て出世本懐
(1-255)
を説いてある。
 いつも出るように、親鸞聖人は弘化を『大経』に依り給うから、重〈おも〉に『大経』の序分の文に依って出世本懐を判じ、善導法然両祖は弘化を『観経』に依り給うから『観経』流通分開説の経である『小経』に依って出世の本懐を論じ給うのである。この差別はあるが、然し、いずれも、局〈つづま〉るところは、悪逆鈍根の機が、信ずる一念に往生の事業成弁する不可思議法であるから、諸仏出世の本懐であるというに変りはない。

第二科 経文の二。助顕

無量寿如来会言
阿難白仏言世尊 我見如来 光瑞希有故 発斯念。非因天等。
仏告阿難 善哉善哉 汝今快問。善能観察 微妙弁才 能問如来 如是之義。
汝 為一切如来 応・正・等覚 及安住大悲 利益群生、如優曇華希有 大士出現世間。故問斯義。
又為哀愍利楽 諸有情故 能問如来 如是之義{已上}

【読方】無量寿如来会にのたまわく、阿難仏にもうしてもうさく、世尊、われ如来の光瑞希有なるをみ
(1-256)
たてまつるがゆえにこの念をおこせり。天等によるにあらず。仏、阿難につげたまわく、よきかなよきかななんじいまこころよくとへり。よくよく微妙の弁才を観察して、よく如来にかくのごときの義をといたてまつる。なんじ一切如来応正等覚、および大悲に安住して群生を利益せんがたゆに、優曇華の希有なるがごとく大士世間に出現したまえり。かるがゆえにこの義をといたてまつる。またもろもろの有情を哀愍し利楽せんがためのゆえに、如来にかくのごときの義をといたてまつれり。已上
【字解】
 一。『無量寿如来会』 『大無量寿経』の異訳であって、唐の菩提流支の訳出にかかる。『大宝積経』四十九会百二十巻中の第五会に収められてその十七巻と十八番になって居る。上一九一頁をみよ。
 二。光瑞 ひかりかがやく不思義の瑞相。
 三。応 具〈つぶさ〉には応供、仏十号の第二。阿羅訶、(Arhat)の訳。応ずべき力ある人の義にて、仏は人天の供養をうくべき資格ある故応供という。
 四。正等覚 または等正覚。仏十号の第三。三藐三仏陀(Samyak sambuddha)の訳。また正遍知とも訳する。平等の正理を覚知〈さと〉り給うた方ということ。
 五。大士 菩薩のこと。最後身の菩薩〈のちのみをうけないいぼさつ〉としてこの世に出現れ給うた釈尊を指す。
 六。有情 梵語薩埵(Sattva)の訳。情識〈こころ〉を有〈も〉つものという義にて、衆生に同じ。
 七。利楽 利益し安楽ならしむること。
【文科】助顕の中『無量寿如来会』を引き給う一段。
(1-257)
【講義】『無量寿如来会』に曰く。
 阿難尊者、釈迦牟尼仏に申すよう、世尊よ、私は今までにない光耀く奇瑞の御相好〈おすがた〉を拝したので、かような不思議の念をおこしたことであります。これは諸天等の教えたのではありませぬ。この時、釈尊は阿難尊者に仰せらるるよう、善哉善哉〈よいかな、よいかな〉、汝は実に快くもこのことを問うてくれた。よくよく観察して微妙なる弁舌の才を以て如来にこうした義〈わけがら〉を問うたことは、まことに快しとする所である。正しい覚りを開き、限りなき徳を具えた一切の如来は、大慈悲に安住〈やすら〉いて、群生を恵まんがために、出世されるのであるが、いまや我釈迦牟尼世尊も亦大慈悲に安住〈やすら〉いて群生を恵まんために、希〈まれ〉に咲く優曇華のように、この世に現われた。汝はこの逢い難い如来の出世に逢うたために、この義〈わけがら〉を御問い申したことである。又汝は諸の有情を哀愍〈あわれ〉み、化益を施して、安楽ならしめんがために、この義を如来に問い奉ったことである。
【余義】
 一。この文中善能観察微妙弁才は、「善く能く微妙の弁才を観察して」と訓点してあるが、意味は「善く能く観察して、微妙の弁才を以て」というのである。一本の御点には、後者の点が施してあるということである。
(1-258)
 二。助顕は、前者の文の意義を、彼の文を以て補うということであるが、我が聖人はかくの如く類文を聚めて、前に示された意味を助成し且つ補足せられるのである。

平等覚経言
仏告阿難 如世間有 優曇鉢樹 但有実無有華。
天下有仏 乃華出耳。
世間有仏 甚難得値。今我作仏 出於天下。
若有大徳 聡明善心 縁(予)知仏意。若不妄 在仏辺侍仏也。
若今所問 普聴諦聴{已上}

【読方】平等覚経にのたまわく、仏、阿雛につげたまわく、世間に優曇鉢樹あり。ただ実ありてはなあることなし。天下に仏まします。いましはなのいずるがごとくならくのみ。世間に仏ましませどもはなはだもうあうことをえがたし。いまわれ仏になりて天下にいでたり。なんじ大徳あり聡明善心にしてあらかじめ仏意をしる、なんじみだりに仏辺にありて仏につかえざるなり。なんじいまとえるところよくききあきらかにきけ 已上
【学解】
 一。『平等覚経』 『無量清浄平等覚経』の略『無量寿経』の異訳。二魯。これに後漢の支婁迦讖の訳と、曹魏の帛延三蔵の訳とがある。前者は現存し後者は欠けて居る。処〈ところ〉が現存の『平等覚経』について、訳者に異説があって、日本にては古くから帛延三蔵の訳とする説が伝わって居る。このことは凝然の『浄土源流章』に出でて居る。我祖もこの説を用いて、常に帛延の訳とし給うのである。
【文科】助顕の申『平等覚経』を引き給う一段。
(1-259)
【講義】『平等覚経』には
 釈迦牟尼仏、阿難尊者に仰せらるるよう、優曇鉢羅樹はただ実だけあって、華咲くことはない。いまこの世に仏の出現〈あら〉われ給うことは、恰度〈ちょうど〉優曇鉢樹のまれに華咲きいずる様な者である。御仏に御逢い申すことの難いのはかようである。我いま証〈さとり〉を開いて仏となり、この世に現れているが、その人を得なければ仏意を知ることが出来ない。然るに汝は心聡明〈さと〉くかつ心善く、いわざるに如来の意を知り、聞かざるに如来の意を了るものである。今も丁度その如く、已に如来の意を知って如来にこの慧義を問うて居る汝こそ常に如来の傍〈かたわら〉に侍して真に善く侍する者というべきである。決して無意味に侍する者ではない。阿難よ、今汝が問うた所について、これから説くであろうから善く耳をすまして諦〈あきら〉かに聞かれよ。

第三科 註釈

(1-260)

憬興師云
今日世尊住奇特法{依神通輪所現之相。非唯異常。亦無等者故}
今日世雄住仏所住{住普等三昧 能制衆魔雄健天故}
今日世眼住導師行{五眼名導師行。引導衆生無過上故}
今日世英住最勝道{仏住四智。独秀無叵叵故}
今日天尊行如来徳{即第一義天。以仏性不空義故}
阿難当知如来正覚{即奇特之法}
慧見無礙{述最勝之道}
無能遏絶{即如来之徳}{已上}

【読方】憬興師のいわく、今日世尊奇特の法に住したまえりとは神通輪によりて現じたまうところの相なり。ただつねにことなるのみにあらず、またひとしき者なきがゆえに。今日世雄仏の所住に住したまえりとは普等三昧に住してよく衆魔雄健天を制するがゆえに。今日世眼導師の行に住したまえりとは五眼を導師の行と名〈なづ〉く。衆生を引導すること過上なきがゆえに。今日世英最勝の道に住したまえりとは仏四智に住して独〈ひとり〉ひいでたまえること匹〈ひとし〉きことなきがゆえに。今日天尊如来の徳を行じたまえりとはすなわち第一義天なり。仏性不空の義をもてのゆえに。阿難まさにしるべし、如来正覚はすなわち奇特の法なり、慧見無碍にしては、最勝の道を述するなり、よく遏絶ずることなしとはすなわち如来の徳なり。巳上
【字解】
 一。憬興 支那法相宗の人、『述文讃』上中下三巻を作って『大経』を解釈した。
 二。神通輪 仏の身口意三業のことを三輪という。仏の身業に種々の神変不思議の用〈はたらき〉をなし給うことを神通輪という。
 三。普等三昧 普等は梵語の三曼多伽多(Samantanugata)で不遍平等という意。三昧は梵語の三摩地(Samadhi)を写したもので定と訳して、心を一境に専注せしむること。無量の諸仏を一時に普く見たてまつる禅定のこと。四十八願中の第四十五願に出づ。
 四。魔 梵語魔羅(Mara)の略。殺す者の義。心身を悩し、善法を妨げ、人の功徳の財を奪い、智慧の命を殺すもの。
(1-261)
 五。健雄天 欲界第六天の魔王のこと。勢力ともに強きが故に雄健という。
 六。五眼 『大経』上巻に出づる肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼のこと。
 七。四智 『成唯識論』第十巻に出づる大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智のこと。
 八。第一義天 『涅槃経』に出づる世天(人王)、生天(三界の諸天)、浄天(声聞縁覚〕、義天(菩薩)、第一義天(仏)の五天の一。第一義というは真如仏性のこと、この真如仏性の第一義をさとり給うが故に仏をあがめて第一義天という。
 九。仏性不空 仏性は真如法性のこと。不空は常住のこと。
【文科】憬興師の釈を以て『大経』の難解の句を註釈し給うのである。
【講義】 法相宗の憬興師はその著『述文讃』の中に、前の五徳を左の如く解釈された。
 「今日世尊住奇特法」とは、仏三業中の身業の神通輪によりて現わし給う御相〈おすがた〉で、普通にいう所の奇異相〈かわったすがた〉というだけではない、この御相好〈おすがた〉に等しいものはないという絶妙な御相好を指すのである。
 「今日世雄住仏所住」、仏所住とは普等三昧のことで、今日世尊はこの三味に入りて、第六天の魔王を止め給うことをいう。
 「今日世眼住導師行」導師行とは肉眼、天眼等の五眼を以てあやまりなく衆生を証〈さと〉りの方〈かた〉
(1-262)
に導いで下さるといふことである。
 「今日世英住最勝道」というは、仏は大円鏡智等の四智を我ものにして、匹〈くら〉ぶるものなく秀でていらせらるるということ。
 「今日天尊行如来徳」如来は真如仏性の第一義を悟り給い、五天の中の最尊にてましますから第一義天と申し上げる。第一義天とは智慧の相〈すがた〉である。自利の徳である。そして空の義である。然るに仏性は不空である。即ち常住に慈悲を以て衆生を化益する利他の徳である。かくの如く自利円満の天尊が、利他の徳を行じ給い、自利々他円満の力用〈はたらき〉を示さるるを、如来の徳を行ずるというのである。
 「阿難当知如来正覚」と釈尊の仰せらるるは、阿難の申し上げた五徳の第一なる御相好の殊妙なることに対して申されたのであって、その相好の殊妙〈すぐれておるの〉は、正覚から顕われたものであるとのこと。また「慧見無碍」と仰せられるのは、五徳の第二なる無上の智慧に対して「汝のいう通り仏智は碍えられる所はない」と述成〈さだ〉められたもの。更に「無能遏絶」というは第五の如来の徳というに答えてそのとおり如来の徳は外の菩薩聖者方のとどめることの出来るものでないということを答えられたものである。
(1-263)
【余義】一、憬興師は五徳について如来の御答を一々挙げて居られるが、親鸞聖人はそのうち第一、第四、第五の三徳に対する答ばかりを挙げて第三と第四を略し給うた。これは何故かというに、わかり切ったことであるから煩を避けて略し給うたものであるが、序〈ついで〉に左にその二つをも挙げて置こう、「多所導御」は五徳中の第三住導師行に当り、即ち衆生を導き給うことで、両者全く同じ意味である。「其智難量」は第二の住仏所住で、仏の智慧は仏と仏と互に念じ合うて、御解りになるばかりで、凡夫聖者の量り知る所でないということである。こういう風に精密に解釈されてあるから、我が聖人ここにこれを引用し給うたのである。上の如来正覚(第一)、慧見無碍(第四)、無能遏絶(第五)が如来の御答である
 因〈ちなみ〉に憬興師の釈文を割註にして、細字を須〈もち〉いられたのは、師は七祖以外の方であるから傍依としていわば参考のための意味で、態〈わざ〉とかくの如くなされたものであると、先輩は云っておられるが、然し私には、註釈であるということをはっきり知らそうというためにわざと割註になされたものと思われる。

第三節 結嘆

(1-264)
【大意】以上『大経』の真実教ということも充分説明し。且つ証文注釈を以て証明し了〈おわ〉ったから、茲に「教巻」を終ろうとして結嘆し給うのである。

爾者則 此顕真実教 明証也。
誠是如来興世之正説 奇特最勝之妙典 一乗究竟之極説 速疾円融之金言 十方称讃之誠言 時機純熟之真教也 応知。

 顕浄土真実教文類一

【読方】しかればすなわちこれ真実の教をあらわす明証なり。まことにこれ如来興世の正説、奇特最勝の妙典、一乗究竟の極説、速疾円融の金言、十方称讃の誠言、時機純熟の真教なりとしるべし。

【字解】
 一。明証 あきらかの証拠。
 二。興世 この世界に出現〈あらわ〉れ給うこと。
 三。正説 正意の説法。
 四。妙典 絶妙なる経典。典はふみのこと。
 五。一乗 一仏乗に同じく、一切衆生をして悉く同一の仏果をさとらしむる法をいう。
 六。金言 金口の誠言〈まことのことば〉、仏の黄金色の御口づから説かせられた言。
 七。十方 東、西、南、北、四維、上、下。
(1-265)
 八。時機 時節と根機。
【文科】「教巻」全体を結嘆し給う一節
【講義】これら引用の『大経』、『如来会』、『平等覚経』等の文は実に『大無量寿経』が真実教であることを顕わしている明〈あきらか〉な証拠である。誠に本経は三世の諸仏如来本懐の経であって、一切諸仏は、この経を説かんがためにこの世に出興〈おでま〉しになるのである。そして際立ち勝れた絶妙な経典である。華厳の別教一乗、真言の秘密一乗等、所謂華天密禅の四大乗教はみな一乗教であるというけれども、この弥陀他力本願こそ、最も勝れた究竟の唯一無二の一乗教である。この教でなくては、一切衆生を尽く大般涅槃の岸に運ぶことは出来ぬ。証〈さとり〉に至る乗物は唯この他力本願だけである。またむずかしい修行をして迷を出づる功徳を積むのではなく、信の一念に一切の功徳が行者の胸に融けこむ所の極疾極頓の金口の説言〈おことば〉である。かように諸仏出世の本懐の経典であるから、十方の諸仏が「間違いない」と証拠立て、口をそろえて讃め称えて、衆生にすすめて下さる所の誠言〈まことのことば〉である。そして末代に生れた機根の衰えた衆生に取っては誠に相応〈ふさわ〉しい教である。世下りて機根が拙くなっては、あらゆる聖道自力の教は、機に合わずして実際の功果を収めることが出来ない。
(1-266)
唯この時機相応の浄土他力の一法あって、遠く末代に拡〈ひろが〉ってゆくのである。誠に時節と機根に適した真教である。
【余義】一。この結嘆は「教巻」全体を受けて来て、結び止め給うのである。その中、真実教を顕わす明証なりとは、前の『大経』等の出世本懐の文を指していうのである。出世本懐の文はこれを引いたけれども、本巻に於いて、出世本懐を成り立たせようというのではなく。釈尊出世本懐の経典であるということで、『大経』の真実教たることを証明し給うたのである。