教行信証講義/総序
提供: 本願力
教行信証講義 |
---|
序講 |
総序 |
教巻 |
行巻 |
正信念仏偈 |
序講 信別序 |
信巻 本 |
信巻 三心一心 |
信巻 重釈 |
証巻 |
真仏土巻 |
化身土巻 本 |
化身土巻 末 |
教行信証講義
第一巻 教の巻 行の巻 (第13版)
山邊習學 赤沼智善 共著
- ―― 題号・撰号・総序 ――
(1-145)
本講
第一編 解題
第一章 題号
『顕浄土真実教行証文類』
【字解】
一。浄土 広くいえば仏菩薩の住み給う国、即ち五濁もなく、悪道もなき処のことである。十方に諸仏の浄土があるが、普通には狭めて阿弥陀仏の西方極楽国を指して浄土というて居る。然し今は極楽世界のことをいうのでなく、聖道門に対する語で、往生浄土門の意味に用いられて居るのである。即ち阿弥陀仏の他力の本願に乗じて西方極楽に往生せしめ給う教門のことである。
二。真実 方便でないまことのこと。
三。教行証 教は仏の言教〈おしえ〉、行はその教に説かれてある修行、証はその行の因に依って得る証果〈さとり〉のことである。それ故、教は能詮〈あらわすもの〉で行証は所詮〈あらわさるるもの〉である。又行は因〈たね〉で、証は果である。
四。文類 文は要〈かなめ〉の文、類は類聚で、この「御本書』一部に浄土門の教行信証の四法を明すに『浄土三部経』七祖の論釈、その他広くすべての経論釈に亘って、その要文を引き、その類その類に聚〈あつ〉めて説き明し給
(1-146)
うものであるから、文類と宣うのである。宗暁法師の『楽邦文類』がこの例である。
【講義】浄土真宗の真実の教行信証を説き顕わした要文を集めた書。外題には略して『教行信証』と出してある。
【余義】
一。『顕浄土真実教行証文類』という題号をみて、私共の先ず第一に感ずる所は、親鸞聖人の無我の態度である。教行信証の四法は、我が聖人の御己証の法門であるにも拘らず、「三国の祖師、各々この一宗を興行す、」仏祖、已に、経論釈に、この浄土真宗の真実の四法を説き顕わして下されてあるから、『三部経』七租の論釈を主として、その他の経論釈の要文を茲に類聚したので、親鸞は少しも珍らしい法門を説き弘めるのではない。自ら、この真宗の教行証を敬信して、人にもそれをそのまま説き伝えるだけであるという覚召〈おぼしめし〉があらわれておるのである。顕浄土の顕の一字も親鸞聖人につく文字ではなくて、三国の祖師の功〈てがら〉をあらわす一字である。ただ類の字が類聚の意味で、要文をあつめた書ということになり、聖人の力に帰するのである。それも聖人は、ただ要文を集め給うたばかりではない。特独、己証の私釈をして、全篇を打って一丸として、聖人の創作になって居るのであるけれども、聖人は、ただ文類と宣うてあるのである。此処らに聖人
(1-147)
の謙遜の御徳が、泌みじみ味〈あじわ〉われるのである。
二。この題号の教行信証の文字で、四法を論究すべきであるが、これは、前の序講第十章に述べたから一二六頁を見て貰いたい。
教行信証と、教行証。外題には、教行信証とあり、内題には教行証とある。この行信別開のこと、行中摂信のことも、一四一頁をみて貰いたい。
三。真実の二字は、勿論方便に対する文字である。四法にも、真実の教行信証あり、方便の教行信証あることは前一三〇頁に示した通りである。その二種の四法の中、真実の四法を説き示すものであるから、真実の二字を置かせられたものである。
ところが、茲に問題がある。教行信証の四法は、六巻の中、前四巻に明されて居る。第五巻は、真仏土を説き、第六巻は化身土を説いてある。而も化身土は方便の巻である。それであるから、第五巻には、「顕浄土真仏土文類」の題号になり、第六巻は、「顕浄土方便化身土文類」の題号になって居る。然るにこの六巻を総称して、「顕浄土真実教行証文類」と称するは無理ではなかろうかという問題である。
これは一応疑問の起るところである。然し、考えてみると六巻全体にこの「顕浄土真実
(1-148)
教行証」の名称を蒙むらすところに妙味があるのである。このことは、実は、前一四三頁にも説き来ったことであるが、真仏土は、証の内容を示したものであるから、収むれば、証に入るものである。また化身土は方便は方便であるが、聖人の、この方便の「化身土巻」を設けたもうたのも、実は、方便の化身土を説き明すが目的でなくて、真実の四法を説き明すためのものである。且つ化身土は、廃立の一面からいえば、廃せらるべきものであるが、如来の大慈悲からいえば、真実の延びたすがた、所謂善巧摂化であって、また聖人の経験からいえば自身の信仰の経過であるから、「化身土巻」に説き明されて居ることが、その儘みな真実の教行信証となるので、六軸全体、その儘が、「顕浄土真実教行証文類」ということになるのである。このことは前の序講第十章にも説明したのであるが、題号の問題であるからわずらわしいようであるが、更に語〈ことば〉を加えたのである。
茲に、今一つ還相回向はどうなるかという問題がある。先に一三三頁に二回向四願の法門ということを述べたが、それでみると、四法は往相回向に収まり、還相回向は四法以外に出〈い〉でて居るのである。「教巻」初めにも、「謹んで浄土真宗を按ずるに、二種の回向あり、一には往相、二には還相、往相の中に教行信証の四法あり」とあって、還相回向を説き
(1-149)
明すところがないように見える。処が実際は還相回向は「証巻」に説き明されて居るので、「証巻」に摂すべきものとも見える。ここに矛盾がないかというのである。
これは、考えてみれば、別に問題にもならないので、還来穢国度人天[1]の還相は、勿論証果の大用〈はたらき〉であるから、証に収まり、「証巻」に説き明さるべきものである。二回向四法の法門は、二回向の際〈がわ〉からいうから、教行信証の衆生往生の因果の四法は、往相に収まると示したものである。四法の際〈がわ〉からいえば、往相の中の証果と、還相の大用〈はたらき〉とは、四法の中の証に収まるのである。
四。上に述べた如く、本典六軸の本名は、『顕浄土真実教行証文類』である。ところが、この外に、いろいろの通名がある。近く、香月院師の『教行信証講義』には十名を挙げてある。
一。『顕浄土真実教行証文類』内題、及び「化身土巻」の終りに出でて居る。
二。『教行信証文類』存覚上人の『教行信証大意』に、「親鸞聖人一部六巻の書を作って、『教行信証文類』と号して云々」とある。
三。『教行証文類』 『教行信証大意』の跋文に、「謹依『教行証文類』」とあり、『遺
(1-150)
徳記』六左にも同名が出でて居る。
四。『教行信証』本典の外題が、この四字の書名である。覚如上人の『改邪鈔』末(左二二)にも「高祖聖人御製作の『教行信証』」とある。
五。『教行証』『改邪鈔』末に「祖師の御解釈『教行証』」、存覚上人の『浄土見聞集』(十四丁)に、「されば『教行証』」、『慕帰絵詞』(一二右)に、『教行証』六帙とある。
六。『浄土文類』『口伝鈔』下に「『浄土文類』にのたまわく」とある。
七。『広文類』
八。『広本』
九。『広書』
以上の三名は皆『略文類』に対して広の字を用いていうので古くから末学の間に行われたものである。尊崇して『教行信証』と直に曰わず、『広本』等というのである。
十。『御本書』『本書』の名は『六覚鈔』に始めて用いられたので、後世、御の字を加えて呼で来ったものである。真宗根本の御書という意味である。
(1-151)
第二章 選号
愚禿釈親鸞集
【字解】
一。愚禿 親鸞聖人の自ら撰び給うた号である。聖人自らの信仰生活の内容を打ち割って示して下されたもので、また同時に絶対他力教の実機を顕はして下されたものである。この二字の拠処は遠くは、『南本涅槃経』第五に「云何愚痴僧、若有比丘、在阿蘭若所、諸根不利、闇鈕[トウ12]瞢、少欲乞食、於説戒日及自恣日、教諸弟子清浄懺悔、見非弟子多犯禁戒、不能教令清浄懺悔、而便与共説戒自恣、是名愚痴僧(いかんが愚痴僧、もし比丘あり、阿蘭若の所に在り、諸根、利ならず、闇鈕[トウ12]瞢、少欲乞食す、説戒の日、及び自恣の日において、諸弟子をして清浄懺悔せしむ、非弟子の多く禁戒を犯すを見て、清浄懺悔せしむることあたわず、しかもすなわち共に説戒自恣す、これを愚痴僧と名づく)」とあり、『北本涅槃経』第三に「我涅槃後、濁悪之世、国土荒乱、互相抄掠、人民餞餓、爾時多有為餞餓故、発心出家、如是人名為禿人……破戒不護法者名禿居士。(我、涅槃の後、濁悪の世、国土荒乱、互にあい抄掠す、人民餞餓す、その時、多く餞餓のための故に発心出家するあり、かくの如き人を名づけて禿人となす……破戒し法を護らざる者を禿居士と名づく)」とあるに依り、近くは、伝教大師「入山自誓の願文」に、「伏して己が人跡を尋ね思うに、無戒にして竊に四事の労を受け、愚痴にして四生の怨となる。……是に於てか、愚が中の極愚狂が中の極狂、塵禿の有情、底下の最澄、上に諸仏に違し、中は皇礼に背き、下は孝礼に欠けたり。」とある
に依ったものである。
建暦元年十一月、岡崎中納言範光卿、赦免の御使 として越後の国府に聖人を訪〈と〉わせられた時、「已に僧に非ず、俗に非ず、是の故に禿の字を以て姓と為す」という旨を承り、奏聞に達せられた。聖人はこれ
(1-152)
に愚の字を加えて自号とし給うたのである。聖人の法兄聖覚法印もこの号を用いられた。
二。釈 釈尊の姓が釈迦(Sakya)であるから仏弟子たる沙門は皆これを姓とするのである。『増一阿含経』には「四河入海無得河名、四姓為沙門皆称釈種。」とあり、『四分律』には「……四姓出家同称釈氏。」とある。支那にては晋の代、弥天の道安師がこの釈の姓を用い初められてから後代に伝わったものである。
三。親鸞 実名であって、国府御流罪以後用い給うたものである。善信はその仮名である。聖人は老後までこの二名を用い給うた。
【講義】非僧非俗無戒の仏子たる親鸞が、三経七祖の論釈を初めとして、その他諸経論の要文を集め寄せたものである。
【余義】この愚禿釈親鸞集の六字は、草本真本共に「顕浄土真実教文類」巻一の題号の次にあるだけである、今そのところの六字をここに借り来って、ここに講じたのである。
(1-153)
第三章 組織
『御本書』は左の六巻に分れて居る。
┏序分━━━━総序
┃ ┏顕浄土真実教文題一
┃ ┣顕浄土真実行文類二
┃ ┃┏別序
┣正宗分━╋┫
┃ ┃┗顕浄土真実信文類三
┃ ┣顕浄土真実証文類四
┃ ┣顕浄土真仏土文類五
┃ ┗顕浄土方便化身土文類六
┗流通分━━━後序
即ち三序六巻である。総序は『教行信証』六巻全体に被〈こう〉むるべき序分であって、普通
(1-154)
経論を解釈する時に用ゆる例の三分科にあててみると序分というべきである。中の六巻は勿論正宗分である。別序は「信巻」特別の序分であって、「信巻」に付属して居るものであるから、「信巻」から分つことは出来ない。「後序」は「化巻」中に編み込まれて居るが、『教行信証』六巻製作の由来を記したもので、「総序」の如く、六巻全体に被むるべきものである。三分斜にあててみれば流通分である。
なお、ここに各巻の組織に立ち入って委しく記すべきではあるが、便宜上各巻の講義の前に、それぞれその巻の組織を図示して、その組織の内容は、その章、その節その項の初めに大意を述べることとする。
(1-155)
総序の組織
┏ 弥陀教の利益
┣ 教興の縁由と諸聖の大悲
一総序━┫ 名号の勝徳と易行の大益
┣ 聞法の重縁と疑慮の大過
┣ 七祖の師訓と選集の意楽
:
└ 標列
(1-156)
第二編 総序
第一章 題号と選号
『顕浄土真実教行証文類』序 愚禿釈親鸞述
【字解】
一。序 叙の意味であって、述べあらわすことである。『御本書』六巻製作のこころを述べあらわす文章のことである。
二。述 『論語』「述而篇」の「述而不作」とあるに同じく、三経七祖の正意を伝えて、私にめずらしい法を弘めるのではないという旨を含めてある。
【講義】浄土真宗の真実の教行信証を説き顕わす要文を集めるについて選集の意を示す文。
愚禿釈親鸞の述べ説いたもの。
【余義】この愚禿釈親鸞述の六字は校合の章に顕われて居るとおり、寛文本に出でて居るばかりで、草本真本は勿論、寛文以南の版本には出て居らない。『六要鈔』の御本には出でて居る。存覚上人御覧の御清書本に出でて居ったのかも知れぬ。
(1-157)
第二章 弥陀教の利益
【大意】『大無量寿経』に依って、弥陀教の大利益を挙げ給うのである。浄土教の法の真実を挙げ給うのであるともいへる。この章が三段に分れて、初めは、弘誓の大益をたたえ、次には光明の偉力〈はたらき〉をたたえ給うのである。
竊以 難思弘誓度難度海大船 無碍光明破無明闇慧日
【読方】竊におもんみれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり。
【字解】
一。難思の弘誓 思いはかることの出来ない広大な誓願
二。難度海 生死流転の迷の世界のこと。われらの深く沈みて出ずることの出来ないこの迷の世界を度り難い海に喩えていうのである。蓮如上人の御延書には度し難き衆生というてある。仏の方よりいうて、済度し難い衆生を海に喩え給うたのである。
三。無碍の光明 阿弥陀仏の光明は、衆生の所有〈あらゆる〉の煩悩にさえぎられないで、一切衆生をおさめとり給うからいうのである。
四。無明 梵語阿毘陀耶(Avidya)の訳で事理に闇いことをいう。この事理に闇いという無明が一切煩悩の根本となるものである。今は特に、仏智の不思議を疑うて、弥陀の救済〈おすくい〉を信ぜない自力の疑心をさしていう。
(1-158)
五。慧日 無碍の光明が疑の闇を晴し給うを日にたとえた語。光明の体は智慧であるから慧の語が用いてあるのである。
【文科】 二段に分れて居るのであるが、今は一段にして解釈する。難恩の弘誓と、無碍の光明と対になって居って二段に分れるのである。
【講義】 心を沈めてよくよく考えて見ると、凡夫の浅墓な思慮の及ばぬ弥陀如来の本願は、まことに度〈わた〉り難い生死の海を渡して下さる大船である。また煩悩の障壁にも障えぎられずして、私共の胸の奥底までも照し徹して下さる光明は、あらゆる煩悩の源である自力疑心の闇を破り、そして弧独な淋しい冷い心を温めて下さる太陽であります。『大無量寿経』はこの旨趣を説かれた経典である。
(1-159)
第三章 教興の縁由と諸聖の大悲
【大意】『観無量寿経』に依って、浄土教のこの世に初めて、顕われて下された縁由を示し、諸の大聖の私共のために、いろいろ御方便下された大慈悲を嘆〈たた〉え給うのである。浄土教の機の真実を挙げ給うものともいえる。これも二段に分れて、初めは浄土教の興る縁由を示し、次に諸聖の大慈悲をたたえ給うのである。
然則浄邦縁熟 調達闍世興逆害 浄業機彰釈迦韋提選安養
【読方】しかればすなはち浄邦縁熟して、調達闍世をして逆害を興ぜしむ、浄業、機あらはれて釈迦、韋提をして安養をえらばしめたまえり。
【字解】
一。浄邦 きよきみくに。阿弥陀仏の西方極楽。
二。縁熟 機縁の淳熟したこと。
三。調達 提婆達多(Devadatta)のことで、天授、天熱、天与など訳する。釈尊の叔父ドローノーダナ・ラーヂャ(Dronodaua-raja)即ち斛飯王〈こくぼんおう〉の子であるから、釈尊の従兄弟であり、阿難尊者の兄である。釈尊成道ののち出家して弟子となったけれども、仏の威勢を嫉んで五百の仏弟子を率いて別立した。そして阿闍世王と結託して釈尊を亡ぼし、摩伽陀国の宗教上の権利を握ろうとした。けれども失敗に帰した。そののち阿闇世王が後悔してその党をはなれたため、事ますます非となって、遂に病死した。『法華経』の提婆品には、提婆は未来に
(1-160)
天王如来となるという釈尊の予言が載せてある。また一説には仏にてむこうた逆罪のために、生きながら地獄におちたともいい伝えられておる。
四。闍世 阿闍世王のこと。発音アジャータシャトル(Ajatasatru)、来生怨と訳する。頻婆娑羅王の子で、提婆に唆かされて父を弑〈ころ〉し、自から王位にのぽって勢を中印度に振った。都は王舎城、のち華氏城を開いた。自分の子を愛すろところから父母の慈悲に目が醒め、のち、旧悪を懺悔して仏教に入り、釈尊教団の外護の大施〈まもり〉主となった。第一結集のときは大檀越となって僧を供養し、仏教上に大いに力をつくした人である。釈尊御入滅ののち二十四年にして崩じた。
五。浄業機彰 浄業は浄土参りの行業、即ち念仏のこと。この念仏を修する機類(衆生)のあらわれたこと。
六。釈迦 釈迦牟尼(Sakyamuni)の略語。釈迦族の聖人の意で、古来能仁寂黙と訳する。印度迦毘羅城(Kapilavastu)の主、浄飯王(Suddhodana)の御子。御母は摩耶(Maya)である。西暦紀元前五六五年四月一日嵐毘尼園(Lumbini)の樹下に生れ給い、四方に七歩づつ歩んで「天上天下唯我独尊」と唱え給うた。喬答摩(Gautama)悉蓮多(Siddartha)と称し奉った。長じて親族の拘利城(Koli)の善覚(Suprabuddha)の姫耶輸陀羅(Yasodhara)を娶り、一子羅喉羅(Rahula)の父とならせられた。二十九歳出家し、六年苦行、三十五歳の時、道を覚らせられて、それから四十五年の間、印度の中部地方に道を伝え給うて、御歳八十にして、倶尸邦伽羅〈くしながら〉の外の沙羅樹林に於て涅槃に入らせられた。
七。韋提 韋提希、本名はチェーラナー。頻婆娑羅王の妃で、毘舎離のチェータカ
(1-161)
王の娘である。その本国の名に依って韋提希、即ち毘舎離女と呼ばれたのである。古来、思惟、勝身、勝妙身などと訳せられて居る。頻婆娑羅王が幽閉せられてから、深く厭世の念を起し、釈尊に説法を請うたので、釈尊は夫人のために『観無量寿経』を説き給うたのである。
八。安養 安楽世界のこと。安らかに身を養うことが出来るところであるからいうのである。
【文科】浄土教教興の縁由をしめす一段。
【講義】さて阿弥陀如来の方には、既にかような広大な救済の方法が成就〈できあが〉っていることであるから、この恵みを戴く機縁さえあれば、水に宿る月影のように、何時も映って下さることであるが、丁度この機縁が釈尊の御晩年に漸く熟して来た。かの提婆達多が名利の為めに御教に背き、摩掲陀国の阿闍世太子を誑かして、父の頻婆娑羅王を殺さしめたことから浄土教の発端が開け、釈尊は幽閉中の韋提希夫人の請に応じて、王宮に降臨せられ、諸仏浄土の中から、夫人をして選んで弥陀の浄土へ往生したいと願しめ給うに至った。茲に至って始めて浄土往生の行業を修する機類が彰れ凡夫救済の正意が実行されたのである。
斯乃権化仁 斉救済苦悩縡萌 世雄悲正欲恵逆謗闡提
【読方】これすなはち権化の仁、ひとしく苦悩の群萌を救済し、世雄の悲、まさしく逆謗闡提をめぐまん
(1-162)
とおぼしてなり。
【字解】
一。権化の仁 仏菩薩が衆生を救わんために、仮に姿を変えてこの世にあらわれ給うを権化という。今は提婆、阿闍世、韋提希等の人々を指すのである。仁は慈悲、なさけ。
二。群萌 衆生のこと。雑草の芽のように群がり生れたものという意。
三。世雄の悲 仏は魔界外道を制伏する世の雄者であるから世雄という。悲は慈悲、なさけ。
四。逆謗 逆は五逆のこと。御恩に逆い福徳に逆う五種の大罪悪。(一)小乗の五逆は、殺父、殺母、殺阿羅漢、破和合僧(僧侶の和合を妨ぐること)、出仏身血の称。(二)大乗の五逆は、一に塔を壊し経蔵を焼き三宝の財物を盗むこと、二は三乗法を謗り聖教を粗末にすること、三に僧侶を罵り責め使うこと、四は小乗の五逆罪に同じ、五は因果の道理を信ぜず、悪口、邪淫等の十不善業をなすことの称。
謗は誹謗正法 仏なしといい、又は仏の教法をそしること。
五。闡提 梵語でに具には一闡提(Icchantika)、一闡提伽、一闡底柯、一顛迦とも写して居る。何処までも求めて満足しない義、望みの絶え果てたるものの意、信不具足、又は断善根と訳して居る。解脱の因の絶え果てて到底成仏の出来ないもののことであるが、今は慚愧の心のない曾無一善の凡夫をさしていうのである。
【文科】諸の大聖の大慈悲をたたえ給う一段。
【講義】右のような次第で、釈尊はこの逆縁によりて、韋提希夫人の為めに浄土の法門を御説きになったのが、『観無量寿経』一部である。然しこう云うことになったのも、考え
(1-163)
てみれば、非常に深い御思召のあることで、韋提希、阿闍世、提婆等の方ももとは仏菩薩であらせられて、衆生憐憫のために仮に相を変え給うたものである。釈尊初めこれらの方々の御本意は皆一様にこの三界苦悩の巷に迷うている群萌を救済い、仏法に刃向うような無信放逸の無慚無愧の悪人を恵みたいという御思召の外はありませぬ。
【余義】
一。大鐘なりと雖も、撞かざれば鳴らずという語があるが、阿弥陀如来の本願も、丁度その通りで、十劫の昔にすでに、御成就遊ばされたのであるけれども、機縁が、いまだ淳熟せないために、この世界に、その実際上の作用効果を、顕わし給うことが出来なんだのであった。ところが、今から凡そ、二千六百年前に、印度摩竭陀国の都、王舎城の王宮に、一大悲劇が起った。仏敵の提婆達多は、太子阿闍世を教唆して、阿闍世の父の頻婆娑羅王を幽閉して、自ら王位に即かしめ、且つ、阿闍世の母の韋提希夫人をも、王宮に閉じ籠めしめたのである。韋提希夫人は、国母と仰がるる身でありながら、現在、我が愛子のために、このいうようなき虐待を受け、人生の悲愁のどん底に、突き落されて、初めて、現実の世相に眼が醒めて来た。つくづく、うたかたのような、浮世のたよりなさをあきらめて、釈迦牟尼世尊に、この浮世の苦悩を除くべき法を説き給わんことを請い奉
(1-164)
った。世尊は、夫人のために、直に、王宮に降臨して弥陀如来の大慈悲を宣べつたえ、心想の劣り果てた衆生は、この如来の大悲本願力に依って救われて、極楽浄土に往生するより、外に成仏の道のないということを明に示し給うた。韋提希夫人は、この懇ろな説法に依って、無生忍という悟を得、苦悩の底、幽閉の窓の内にありながら、猶、歓喜法悦の溢るる人となられたのである。阿弥陀如来の本願は、茲に於て初めて、この閻浮提に、光を放ち、実際の作用〈はたらき〉効果を顕わして下されたのである、人も知る如く、『観無量寿経』一巻はこの韋提希という一女姓が、展転として定まりのない世相にもまれ抜いて最後に阿弥陀如来の本願に帰趣を見出した大事実を、説き宣べた経典である。
二。この王舎城の悲劇は、一事件として見れば大昔の王庭内の一つの出来事に過ぎないけれども、然しよくよく考えて来て、この悲劇が、宗教の上に及ぼした大影響ということ及び自分の受ける偉大な感触ということに思い至ると、誰しも、ただこの事を歴史上の一つの事件として取り扱うことが出来なくなって来るのである。今や世界中の人々の上に大福音となって居る他力本願の教は、この悲劇中のかよわい一女姓韋提希夫人に依ってその門を開かれたのではないか。韋提希夫人の自覚の上に、初めて生きて下された如来の本
(1-165)
願は、それを導火線としてこの人生の上に救済の火の手を挙げて下されたのではないか。もし仮りに韋提希夫人という女姓がなかったなら、又、韋提希夫人をして茲に至らしめた提婆とか阿闍世とかいう人がなかったなら、如来の本願は、法の御手許に於てこそ出来上ってあろうけれども、いつ迄も、私共の上に実際の作用をして下さることが出来なかったかもしれぬ。こう考えて来ると、この王舎城の悲劇は、天と地の間の何ものよりも偉大な出来事であって、この中には深い深いいうにいわれない御思召も籠らせられてあるのである。
それで、古来この王舎城の悲劇をば、誰も決してただの出来事とはみることが出来ぬので、いろいろに解釈をして来て居る。韋提希夫人とか、提婆、阿闍世とかいうその悲劇の中心人物についても、古来見る人に依って見方に大に相違がある。韋提の権実論というのはこれをいうので、彼等は大権の聖者か、真実の凡夫かということについていろいろ議論があるものである。
三。先ず、浄影大師、天台大師等の聖道門の諸師は、韋提希夫人を大権の菩薩と見て、その夫人の得られた無生法忍というさとりをも、解行以上の聖者の得る法忍として居られ
(1-166)
るのである。独り、韋提希夫人許りでなく、頻婆娑羅王も、阿闍世王も、提婆も、雨行、耆婆等の大臣についても、皆菩薩方の仮りに形を変えられたものと見られたのである。このことは、両大師等は、『報恩経』とか『大恩経』とか、『心地観経』とかいう諸経に依ってそういう見方をして居られるのであって、これらの諸経には明かに左の様にいうてある。
もし人あって、提婆達多は実に悪人なり、阿鼻獄に入ると言わば、この処〈ことわり〉あることなし……『報恩経』
提婆達多は不可思議なり。所修の行業は如来に同じ……『大雲経』
阿闍世は、文殊に従って懺悔して柔順忍を得、――後ち当に作仏して浄界如来と号〈なづ〉くべし……『普超三昧経』
韋提希夫人――衆生を度せんがために女身を示現す、――無縁の大慈、無碍の大悲、衆生を憐慈し、猶赤子の如し。……『心地観経』
これらの証文に依って聖道門の諸師は、韋提希夫人等が大権の聖者であって、凡夫の相はして居られるけれども、その実は修行の積んだ、高い位に昇られて居る菩薩とみられたのである。従ってその得られた無生法忍というのも、凡夫の得るような法忍とは違うて、
(1-167)
解行以上の聖者の得る法忍であると決定せられたのである。
四。処が、善導大師は丸切り、これらの諸師に反して、『観経』の「如是凡夫心想羸劣」の文を拠処〈よりどころ〉として、毅然として韋提希夫人等を実業の凡夫であると主張せられた。
……已来正しく夫人の是れ凡にして聖に非ず聖に非ざるに由るが故に、惟聖力冥加を仰いで、彼の国遥かなりと雖〈いえども〉、覩〈み〉ることを得るを明す。これ如来恐らくは衆生惑〈まどい〉を置いて、夫人は是れ聖にして凡にあらずと謂うて、疑を起すに由るが故に、即ち自ら怯弱を生じ、韋提は現に是れ菩薩の仮に凡身を示し給いしもの、我等罪人此及するに由〈よ〉し無しと。この疑を断ぜんがための故に、如是凡夫と言うと明すなり。『序分義』三十六丁
もし聖道門の諸師のように、韋提希夫人等が智徳円満の聖者であるとするならば、『観経』一部はこれら聖者のために説かれた教であって、真実の凡夫の救わるる教ではなくなる。弥陀の本願は悪人凡夫のために起して下された大慈悲の結晶〈かたまり〉でなく、凡夫救済の道がここに全く途絶えて仕舞うことになるのである。こうなっては、本為凡夫、兼為聖者という弥陀如来の本願の覚召に乖く許りでなく、全く釈迦如来のこの世へ出現し給うた本意が隠れて仕舞うことになる。善導大師は、自分のお心に頂かれた領解から、古今の諸師を楷
(1-168)
定して、大師独り、韋提希夫人等を真実の凡夫と見込れたのである。こうなって初めて、本為凡夫の浄土教が生きて来るので、我々のやうな愚痴な者でも救済せられるという大希望が各〈おのおの〉の胸に湧いて来るのである。
五。処が、不思議なるかな、一代全く善導大師の念仏を祖述し給うた親鸞聖人は、更に善導大師のこの見方に反して、これら韋提希夫人等を大権の聖者と拝まれたのである。このことは、今の「総序の文」に見ゆる許りでなく、『浄土和讃』の中には明に、
弥陀釈迦方便して 阿難目蓮富楼那韋提
達多闍王頻娑婆羅 耆婆月光行雨等
大聖おのおのもろともに 凡愚底下のつみひとを
逆悪もらさぬ誓願に 方便引入せしめけり
と示し給うてある。親鸞聖人の御思召から頂くと、これら韋提等の人々は皆、本地は、果上の大菩薩であって、その本地の大菩薩が仮に人間と顕われて心想羸劣の凡夫の姿を示し私共を浄土へ誘引せんがために、一場の芝居を演じて、いかに悪逆の凡夫でも、女人でも、ひとしく、弥陀如来の救済に預るということを身を以て教えて下されたのであると窺
(1-169)
われたのである。
六。この善導大師と、親鸞聖人の見解の相違は、信仰上の味の上から起って来るので善導大師は他力教が、重く仕様のない悪人凡夫のためのものであることを痛感してこれを示し、親鸞聖人は、更にその上に大聖の善巧摂化の御手を切実に味うて顕わされたものである。言を換えていえば、善導大師は、韋提希夫人などの上に、自分の極悪なる凡夫の相を見出して、如来の本願が全くこういう私のためであるということを喜び給うたのであるし、親鸞聖人は更に、かかる極悪非道の私のために、めぐらしたもうた大聖善巧の御手が種々に顕れて、王舎城の悲劇となったので、聖者方が模範を示して私を誘引したもうたのであると感謝せられたのである、思うに善導大師の意底には、親鸞聖人の大聖誘引の見解を蔵し、親鸞聖人の意中には善導大師と同じく他力為凡の実感が溢れて居るので、よく味おうてみると矛盾をして居るのではない。
七。以上述べた処で、聖道門の諸師が、韋提希夫人等を大権の聖者とみこまれたのと、親鸞聖人が同じく大聖と拝まれたのと、相〈すがた〉は一つであるけれどもその意底に大変な相違のあることは充分に承知の出来ることと思うが、更に一言附け加えると、諸師は聖道門自力
(1-170)
の見地に立って、韋提希夫人等を自力修行中の菩薩と見られたのであり、親鸞聖人は諸師と違うて一度は善導大師の意中をくぐって来て、その上に、道綽禅師の『安楽集』の御示の如く、仮りに実業の凡夫と身を顕わし給うた阿弥陀如来威神海中の権化と見給うたので
韋提大士、自為及〈みずから〉、末世五濁の衆生、輪回多劫の徒の痛焼を受くるを哀愍するが故に能く仮りに苦縁に遇うて、出路を諮開し、豁然たらしむ――『安楽集』上
即ち諸師に従えば、韋提希夫人等は、従因向果(因位から果上に向うこと)の修行中の聖者であるが、親鸞聖人に従えば、従果向因(果上から因位にかえること)の還相の菩薩、大慈愛の聖者ということになる。それであるから、諸師の見解に依れば、救済〈すく〉われるのはそれらの修行中の聖者だけで、逆悪の凡夫は、自力の修行が出来ないから『観経』の教に救済〈すく〉われて、報土に往生することが出来ない。これに反して、親鸞聖人の見解に従えばこういう風に、大権の聖者が娑婆に顕われ、凡夫の相を示し、芝居をして下されたのは、もともと逆悪の凡夫をその儘で救済〈すく〉いたいという大悲の覚召〈おぼしめし〉から、いろいろ方便をめぐらし手本を示して下されたのであるから、今日の逆悪の凡夫は、大聖の誘引に依って、大悲
(1-171)
の誓願に救済〈すく〉われて、報土往生が出来るのである。同様に聖者と見るのでも、これだけの相違があるのである。実に天地雲泥の相違というよりも猶甚しいのである。
八。善導大師の見解と、親鸞聖人の見解とは、一応は違うて居るようであるけれども、前にもいう通りその意底に於て、互に通うて居る所があるから、韋提希夫人等を、大師のように実業の凡夫とみられても、又聖人のやうに大権の聖者とみられても、『観経』所説の南無阿弥陀仏が、全く今日の我等のためであるということが知れて、有難いのである。私共の信仰上の味〈あじわい〉の上にも、この夫人等に対する大師の見解と聖人の見解と矛盾せずに融然として調和して存在するのである。
(1-172)
第四章 行信の勝徳と易行の大益
【大意】『阿弥陀経』に依り、名号と信心の勝れた希奇の勝徳を挙げて、この教の奉じ易く、行の修し易く、浄土の往き易きことをたたえ、如何なる愚鈍逆悪のものでも救済〈すく〉われる法なれば、誰の人も、早くこの教に帰せよ。遅れて悔ゆるなと勧め誨〈おし〉え給うのである。浄土教の法と機の真実を示し給うものともいえる。この下三段に分れて、第一、行信の勝徳を嘆〈たた〉え、第二、易修易往の捷径なるを示し、第三に、疑惑あるものに早く大道に帰せよとすすめ給うのである。
故知 円融至徳嘉号 転悪成徳正智 難信金剛信楽 除疑獲証真理也
【読方】かるがゆえにしんぬ、円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳をなす正智、難信金剛の信楽は、うたがいをのぞき証をえしむる真理なり。
【字解】
一。円融 よろずの善根功徳がみちみちてかくることなくそなわりて自由自在なること。
二。至徳 至極の功徳。
三。嘉号 善き名。阿弥陀仏の名号のこと。
四。金剛 梵語伐闍羅(Vajra)の訳。ダイヤモンドのこと。最も堅きもの故、他力の信心の堅固なるに喩える。
(1-173)
五。信楽 疑なく信じて歓喜憂楽〈よろこびねがいもとめる〉する心。ここでに三信をすべて合せた信楽で信心というに同じ。
【文科】行信の勝徳を嘆ずる一段。
【講義】かような訳合〈わけあい〉であるから、あらゆる徳を具え、一切の道理に行き亘ってい給う弥陀の名号は、かの還丹の仙薬が、鉄を黄金に変えるように、私共の極悪を、そのまま大善大功徳と転じ変えて下さる不思議の仏智である。故にこの名号の謂〈いわれ〉を信ずる獲難〈えがた〉い金剛のような堅固な信心は、私共の疑を除き、浄土の真証〈まことのさとり〉を獲させて下さる大真理である。『阿弥陀経』は実にこの理〈ことわり〉を説かせられたものである。
爾者凡小易修真教 愚鈍易往捷径 大聖一代教無如是之徳海
【読方】しかれば凡小修しやすき真数、愚鈍ゆきやすき捷径なり。大聖一代の教、この徳海にしくなし。
【字解】
一。凡小 仏菩薩の大人に対して凡夫は数にも入らぬ小人故に、凡夫のことを凡小というたもの。
二。大聖 大聖世尊、釈迦牟尼如来のこと。
三。徳海 功徳の大宝海、弥陀如来の本願の教のこと。
【文科】易修易往の捷径なるを示す一段。
【講義】されば私共のような力のない愚鈍な凡夫に取りては、まことに修め易い教、往
(1-174)
き易い捷径〈ちかみち〉といわねばならぬ。大聖釈尊御一代の間に御説きあそばさせられた教の中でこの御教に及ぶものは一もない。あらゆる聖道門の教も遂にはこの教に帰せねばならぬ。
捨穢忻浄 迷行惑信 心昏識寡悪重障多 特仰如来発遣必帰最勝直道 専奉斯行唯崇斯信
【読方】穢をすて浄をねがい、行にまどい心くらく識すくなく、悪おもくさわりおおきもの、ことに如来の発遣をあおぎ、かならず最勝の直道に帰して、もっぱらこの行につかえ、ただこの信をあがめよ。
【学解】
一。穢 穢土。われわれの住う三界迷妄の世界のこと。
二。浄 浄土のこと。
三。如来 多陀阿伽多(Tathagata)の訳。「かくの如く来れるもの」の意味である。古来これを解して、如は真如、真如より来生せるものという意で仏のことをいうたものとしてある。今は釈迦牟尼如来を指していう。
四。発遣 釈迦如来のこの世より行けよのおしえ。
五。直道 すぐみち。
【文科】疑惑あるものに勧信誡疑し給う一段。
【講義】この穢れ果〈はて〉た世を厭うことをも知り、浄土を忻うことをも知りながら、自力の心に
(1-175)
囚〈とらわ〉れて、冥想や道徳等の行に迷い、他力信心の謂〈いわれ〉に迷う人や、心暗愚〈こころおろか〉に了別〈さとり〉なく、重い悪業をかかえ、罪障の多い者にありては特に大聖釈尊の「行けよ」と仰せらるる教を仰ぎ、世にも勝れた弥陀招喚の一筋道に帰依して、一心に二心なく、この行(名号)、信(信心)を奉戴せられよ。善導大師の二河喩の旨趣〈おもむき〉、釈迦弥陀二尊の発遣招喚の御思召は此より外はない。
【余義】
一。凡そ、すべての宗教に、厭離と欣求の二面のあることは、いうまでもないことであって、先ず、痛ましい有為転変の世の有様に驚いて、それを厭い棄てて、無為常住の涅槃の境界を求めて、それに進み入るというのが宗教であるから、厭離と欣求の二面が宗教の根本の形式、又はその大切な旗幟〈はたじるし〉になって居ることは争うことの出来ない事実である。
厭うという一面は欣うということであり、欣うということは厭うということがあるから起って来るので、この厭離と欣求は帯の裏表のように離れるものではない。この二つは互にもつれ合うて、宗教信者の胸に宿って、いろいろの作用をするのである。
二。それでこの厭離と欣求の二面が、いずれの宗教にもあることは明白であるが、二面の中、いずれが前に顕われて来るか。厭離をして後に、欣求するのか。欣求があって、後に厭離するのか。この前後のことになると、教門に依って、自〈おのずか〉ら違うて来る。先ず、聖道
(1-176)
門に於ては、厭離が先になって、欣求が後になる。浄土門に於ては欣浄が先になって、厭離が後になる。これだけの相違は自然に出て来る。何故かというと、聖道門に於ては、どうしても自分の力で修行するのであるから、現在只今の境遇に気がついて、この生死を離れたいという望みが先ず第一に起らなければ、涅槃を求むる心にもならないし、修行もせないのである。それでどうしても生死を離れたいという希望が第一に必要なのである。であるからして聖道門の通規では、厭離、欣求の次第になって居って、かの苦集滅道の四諦の教などでも、生死(苦集)、涅槃(滅道)の順序になって居るのである。生死の有様を見て厭離し、次で涅槃を求むるというのである。ところが、浄土門は、他力の教であって、普通勝れた聖者方のように、厭うべき生死を厭え、欣うべき涅槃を欣うことの出来ない仕方のない愚痴無智の私共が相手であるから、如来の力で厭離欣浄の心を与えて下さるのである。それにしては、直接に汝の穢土を厭えよ、生死を厭えよとすすめて下されても、根が無知の私共であるから、その覚召〈おぼしめし〉を知ることが出来ぬ。それで如来の方で、先ず、浄土の欣ぶべきことを教え、涅槃の求むべきことを教えて下されてそれから顧みて、自然に穢土を厭う心を起さして下さるのである。丁度、刀を持って遊んで居る小児に危ないからと
(1-177)
いうてきかせても容易に離さないから、先ず、御菓子を与えて、それから刀を離させるようなものである。浄土門の我等は、願力の不思議で、仏智見を与えて下さるに及んで、初めて如実の世相〈よのさま〉を知り、厭離の心も起るのである。それで浄土門に於ては、欣浄厭穢の次第である。親鸞聖人は、『愚禿鈔』下(4右)に左の如く示されてある。
一には厭離真実 聖道門 難行道 竪出自力。
竪出とは難行道の教なり。厭離を以て本となす。自力の心なるが故なり。
二には欣求真実 浄土門 易行道 横出他力
横出とは易行道の教なり。忻求を以て本となす。何を以ての故に、願力に由って生死を厭捨せしむるが故なり。
又、存覚上人は『浄土見聞集』(14右)に左の如く示された。
そもそも楞厳の先徳の『要集』、禅林の永観の『十因』等は、厭離穢土欣求浄土とかかれたり。しかるに親鸞聖人の御相伝には、欣求をさきとし、厭離をのちにせよとのたまえり。そのゆえはまず穢土をいとえとすすむとも、凡夫はいとうこころあるべからず、これをいとわせんとするいとまにまず欣求浄土のゆえをきかせぬれば、をしえざれども信
(1-178)
心を獲得しぬれば穢土はいとわるるなりとおおせありけり」。
前にいう通り聖道門は自力の教であるから、自ら生死を厭う心を起さなければ、道にすすむことが出来ないが、浄土門は他力の教であるから、生死を厭う心のないものを殊に哀れんで、浄土の真楽〈しんらく〉をたたえて、これを欣慕せしめ、仏智見を与えて、翻って穢土を厭離せしめ給うのである。茲に他力教の親切が溢れて居るのである。
三。然しこれは大体の上からいうので、浄土門の中に於ても、厭穢欣浄の順序がないというのではない。衆生を策励する時には捨穢欣浄の順序になって居る。
『玄義分』初に「生死甚だ厭え難し、仏法復欣ひ難し」。
とあるのは修し難き聖道門にあっては生死も厭え難く、仏法も欣ひ難いものであるからそれを止めて、浄土門に入れよと策励することであって、この時は厭離欣求の順序になって居る。また今この「総序」の
穢を捨て浄を欣い
とあるは、講義に依って知られた通り、浄土要門の機を誘〈いざの〉うて弘願門に入れよと策励するので、これも捨穢欣浄の次第である。また『安楽集』初、『往生十因』、『浄土見聞集』初、『白
(1-179)
骨の御文』等の説き明し方は、すべて捨穢欣浄の順序で、仏法を知らないものを導いて浄土門に入らしめ給う時の説き明し方である。『浄土見聞集』(15右)に
はじめの十王讃嘆なんどは、すでに厭離をさきにする義なり。当流には然るべからざることなれども浅智愚問のものを誘引のためにとて、願主の所望黙止がたきによりて、わたくしの見聞をしるしいたすなり。
とある。
要するに、浄土門は高等の上根上智の機類が相手ではなく、下等の下根下智の厭うべきをも知らず欣ぶべきをも知らぬ機類が相手であるから、大悲の覚召〈おぼしめし〉は、欣ぶべき浄土をみせて、それから振り返って穢悪の世界を厭わしめ給うのである。この順序の上に他力教のいうにいわれない有難い味〈あじわい〉が汲まれるのである。それで、同行会合の仏法讃嘆でも、教導の上でも、この傾向が充分に顕われて居るのである。然し、宗教は生き物であるから、又人間も生きものであるから、すべてこの型にはまって行くと云うのではない。逆縁に導かれて信仰に入る人などはどちらかといえば、厭離が先きになって欣浄が後になる。一六三
(1-180)
頁の韋提希夫人の如きはこの好適例である。又教導の上でも、対機に依っては、先にいう如く厭穢を先とし欣浄を後にすることもあるから、一概にはいわれぬのであるが、大体宗教〈おしえ〉の性質上、欣浄厭穢の順序であるというのである。
最後にもう一つ、この厭穢欣浄が、他力回向の信心の徳用〈はたらき〉として顕るる時には、その順序に次第はない。或は光明、浄土を欣ぶ心から世相を知って厭離の情を起し、或は転変の世相に打たれて、大悲の懐を欣ぶというように、厭欣相錯綜して起って、且〈しか〉も遂には歓喜の情に終るのである。それで、穢土に対して厭う心はあっても、敢て傷〈やぶ〉らず、又世相に執着せずして、優遊〈ゆうゆう〉として楽しむというやうな妙用が顕われるのである。それであるから、「信巻」には「欣浄厭穢の妙術」といい、『略本』には「最勝の弘誓を受行して穢を捨て、浄を忻い」と宣うてあるのである。この時には自由無碍に相前後して顕われるのであるから、どちらが先きと定まったことはないのである。
因みにこの「総序」の捨穢忻浄について、『樹心録』では捨穢忻浄の順序が聖道門の形式になって居るものであるから、この一節は、聖道門の機を誘引するものであると解釈して居るが、矢張り、浄土門中の要門の機、即ち、浄土門に入り、元祖の門下に名を列ねなが
(1-181)
ら、定散心に迷うて、他力の行信を知らず、自力の心を捨てきらぬ人を指したものと見る方がよい。
(1-182)
第五章 聞法の重縁と疑慮の大過
【大意】法を聞くことを得るは一世や二世の縁ではなく多生曠劫の間、御縁を結ばせられ、御育て下された御陰である。それに今また疑うて信ぜなんだなら更に億劫の間迷に沈まねばならぬ。一時も早く本願を信じて遅れるなと誡〈いまし〉め給うのである。この下二段に分れて、初めに聞法の重縁を説き、次に疑慮の大過を上げて信を勧め給うのである。
噫弘誓強縁多生叵値 真実浄信億劫叵獲 遇獲行信遠慶宿縁
【読方】ああ弘誓の強縁は多生にももうあいがたく、真実の浄信は億劫にもえがたし、たまたま行信をえばとおく宿縁をよろこべ。
【字解】
一。強縁 強き力となり、たよりとなるものをいう。
二。億劫 劫は梵語劫波(kalpa)の略語。長時と訳する。非常に長い時間のことをいうのである。人寿八万四千歳の時から有年毎に寿一歳づつ減じて人寿十歳の時に至り、更に百年毎に寿一歳づつ増して 人寿八万四千歳の時に至る。この一減一増の間を一小劫といい、二十小劫を一中劫と名ける。そして四中劫即 ち八十小劫のうちに、世界が成立し(成劫)、定住し(住劫)、破壊し(壊劫)、空虚となる(空劫〕。この四劫を一大劫と名ける。
三。宿縁 宿世のえにし。いまは如来の方より、前世に於て、私共に結ばさせられた御縁をいうのである。
(1-183)
【文科】聞法の重縁を説く一段。
【講義】ああ手強い他力の御本願は、私共の千万生の長い歴史に於いても、値い奉ることは難く、弥陀回向の真実の他力信念は、億劫の長い間にも獲難い所であった。それであるからもし宿縁ありてこの他力本願の教を聞いて、信心を戴くならば、誠に一世や二世の御縁でない。偏に多生曠劫の間、大悲の御育を頂いたことと慶ばねばならぬ。
【余義】 一。宿因、宿善、宿縁の三語があるが、この三語は大低同じい意味に用いられてある。『御文』などには区別なく使うてある。然しこの三語に就いて、多少義の相違がないでもない。宿因という時には、自分で宿世に於て蒔いた因という義がすぐれ、宿善という時は、衆生が、宿世に於て、仏法に遇い、善根を植えたことになる。宿縁という時は、宿世に於て如来の方から御縁を結ばさせられたことがよく顕われる。同じい様なことであるが、語が違うだけに、顕される義にも、自〈おのずか〉ら相違がある。それで、親鸞聖人は、この三語の中、いま宿縁の語を出し給うたのである。
(1-184)
若也此回覆蔽疑網 更復逕歴曠劫 誠哉摂取不捨真言 超世希有正法聞思莫遅慮
【読方】もしまたこのたび疑網に覆蔽せられなば、かへりてまた曠劫を逕歴せん。まことなるかな摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。
【字解】
一。曠劫 曠は遠の義で、遠劫とか億劫とかいうに同じ。
二。摂取不捨 『観経』に出でて居る語で、如来の光明の中に、念仏の衆生をおさめとりて放ち給はぬこと。
三。超世 世に超えすぐれること。
【文科】疑慮の大過を挙げて信をすすめ給う一段。
【講義】もしまた、この度、本願に逢わして貰いながら、蚕が自ら糸を出して自らの身を縛るように、自力の疑に覆われてるならば、復びこれまでのように永い永い間、輪廻の暗〈やみ〉に沈まねばならぬ。この疑が生死の本〈もと〉であることは、法然聖人の手強く教え給うところである。
「摂め取って捨てない」とある誠諦〈まこと〉の言〈ことば〉、世に超えた殊勝の正法を聞いて、少しも遅慮〈ためら〉うことなく信ずるがよい。
(1-185)
第六章 七祖の師訓と選集の意楽
【大意】三国の七祖が如来より転々相承し給う所の教に遇うことの出来た仕合〈しあわせ〉を喜び、その喜びの余りいささか経論釈の文を集めて聞信した味〈あじわい〉をたたえるので、その外他意ないことを述べ給うのである。
爰愚禿釈親鸞 慶哉西蕃月支聖典東夏日域師釈難遇今得遇 難聞已得聞 敬信真宗教行証 特知如来恩徳深 斯以慶所聞嘆所獲矣
【読方】ここに愚禿釈の親鸞よろこばしきかな西蕃〈さいばん〉月氏の聖典、東夏日域の師釈にあいがたくしていまあうことをえたり。ききがたくしてすでにきくことをえたり。真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳のふかきことをしんぬ。ここをもてきくところをよろこび、うるところを嘆ずるなり。
【字解】
一。西蕃 支那より印度を指していう語。西に当る蕃〈えびす〉の国の義。支那人は自国以外を卑めて蕃国夷国という習慣〈くせ〉あり。
二。月支 覩貨羅〈トカラ〉(Tukhara)といい、昔、迦膩色迦王〈カニシカオウ〉(Kanishka)の支配せし国。即ち犍駄羅〈ケンダラ〉王国(Candhara)のこと。この国の種族はもと支那の祈連山と敦煌との間に居ったのであるが、紀元前二世紀に匈奴に追われて、熱河の南方に逃れて、これを第二の根拠地とし、間もなく、また烏孫族のために追われてサマルカンドの附近
(1-186)
に逃れ、茲に大夏国を滅して第三の相拠地とした。紀元一世紀の末から二世紀へかけて、盛大を極め、時の王迦膩色迦〈カニシカ〉は仏教の大外護者であった。紀元五世紀に土耳古〈トルコ〉族のたゆに滅されて仕舞うた。
三。東夏 支那のこと。夏は大の義で、支那人自ら自国を称して華夏、中夏というのである。今は西蕃に対するから東夏という。
四。日域 日本のこと。支那の東に当りて、日輪の出づる国であるから、日域という。支那人からいうたもの。
【文科】相承を示し、選集の意志を述べ給う一段。
【講義】愚禿釈親鸞はいま仕合〈しあわせ〉にも遇い難い印度支那日本の経典論釈に遇うことが出来、聞き難いこの他力本願の旨趣を既に聞くことが出来た。浄土真宗の教行信証の教を敬い信じて、まことに深重の如来の恩徳を感じさせて頂くようになった。それであるから、慶びの余り下に数々の経論釈を引いて、聞いたところを讃え、護た味〈あじわい〉を述べることである。
(1-187)
附章 標列
顕真実教一 顕真実行二 顕真実信三
顕真実証四 顕真仏土五 顕化身土六
【読方】真実の教をあらわす一 真実の行をあらわす二 真実の信をあらわす三 真実の証をあらわす四 真仏土をあらわす五 化身土をあらわす六
【講義】浄土真実の教を顕わす文類が第一巻、浄土真実の行を顕わす文類が第二巻、浄土真実の信を顕わす文類が第三巻、浄土真実の証を顕わす文類が第四巻、浄土の真仏真土を顕わす文類が第五巻、浄土方便の化身化土を顕わす文類が第六巻である。
【余義】
一。聖人自ら、本典六軸の順序を標〈なら〉べ列ね給うたのである。
二。この標列を分科するに就いて、「教巻」中に分科する人もあり、「教巻」已外に出して分科する人もある。勿論「教巻」以外に出して分科する方が義としては勝れて居る。今本書に於て「総序」の附章にしたのは講義の便宜上にしたので、「総序」に属すべきものでないことはいうまでもない。今でいうたら、書籍中の目次のようなものなのである。
脚 注