教行信証講義/化身土巻 末
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教行信証講義 |
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目次
- 1 第二編 聖浄二道判と真偽決判
- 1.1 第一章 略明
- 1.2 第二章 広明総標
- 1.3 第三章 二道判と時代観
- 1.4 第四章 真偽決判と異執誡誨
- 1.4.1 第一節 総標
- 1.4.2 第三節 経文証
- 1.4.3 第三節 論文証
- 1.4.4 第四節 釈文証
- 1.4.5 第五節 外典
- 2 第四編 流通分
教行信証講義
第三巻 真の巻 化の巻 (第13版)
山邊習學 赤沼智善 共著
化身土巻
第二編 聖浄二道判と真偽決判
第一章 略明
【大意】以下『化巻』の背景とも云うべき聖浄判と真偽判とを広説し給う。前者は仏教内の自力他力の決判にして、後者は外邪異執に対して仏教の正道たることを決判するのである。本章はその略明である。
第一説に聖浄二門を挙げて時期を判じ、第二節には教法の五種説人と、これを批判すべき四依説を挙ぐ。
第一節 聖浄二門を挙げて時機を判ず
- 信知 聖道諸教 為在世・正法 而全非像末・法滅之時機 已失時 乖機也。
- 浄土真宗者 在世正法 像末・法滅・濁悪群萌 斉悲引也。
【読方】信〈まこと〉に知りぬ。聖道の諸教は在世正法のためにして、まったく像末法滅の時機にあらず。已に時をうしない機に乖〈そむ〉けるなり。浄土真宗は在世正法像末法滅濁悪の群萌、ひとしく悲引したまうをや。
【字解】一。像末 像法と末法。像法の像は似るの意。仏滅後五百年間の正法の時過ぎ、その後一千年間をいう。この間は正法時に似て修行するものあれども、真の修行でないから証〈さと〉るものがない。三法中、教
(3-481)
行ありて証なき時期である。次、末法の末は微〈かすか〉の意。仏滅後千五百年を経て、正像の二時過ぎ、その後一万年間をいう。この間は、仏法が漸次衰微に帰するというので末法という。
【文科】時代を決判し給う。
【講義】更に眼を時代という上に転じて見れば、聖道自力の諸々の教えは、釈尊在世、及び滅後五百年の機根の勝〈すぐ〉れた時代に相応する教えであるが、像法、末法という機根の劣った時代、即ち正法の滅するという悪時代に相応するものではない。かように聖道の教えはもう時代の適応を謬り、法を受ける機根に乖いておるのである。
然るに浄土真宗は、釈尊在世の正法五百年の時代、及びその後一千年間の像法時代、その後一万年の末法の時代並びに法滅の時代に亘りて煩悩に穢〈けが〉され、悪業に繋がるる群萌〈ひとびと〉を、一様に大慈悲をもって、誘引し給う教えである。
【余義】一。上来浄土の教行信証真仏土化身土を明かし了った故に以下正しく聖浄二門相待して、時代の大勢上から聖道自力の教行証廃〈すた〉れ、浄土の教行証の興隆することを証し給う。
この時代の上から、聖浄二門の興廃を主張せられたのは、七祖の上で云えば道綽禅師
(3-482)
である。法然上人またこの文を『選択集』教相章に引用せられて、御自身の見解を披瀝せられた。
『安楽集』上三十五丁に
乃至一に謂く聖道、二に謂わく往生浄土、その聖道一種今時証〈さと〉り難し。一は大聖を去ること遥遠なるに由る。二は理深く解微なるに由る。
かくて『大集月蔵経』取意の文たる「我末法時中、億々衆生乃至唯有浄土一門可通入路」を引く。且つ『同集』上巻初めには『月蔵経』の五箇の五百年の文を出だし、大聖を去ること遥遠の世に生れた解浮薄にして暗鈍なる衆生の為に、浄土の一門の開かれたることを力説してある。
『選択集』のこの下の私釈には、更に『西方要決』後序の文を引く。
夫〈そ〉れ以〈おも〉んみれば、像季に生居〈うま〉れ、聖を去ること斯れ遥かなり。道〈みち〉三乗に預かれども、契悟するに方〈みち〉なし。乃至必ず須らく跡を娑婆に遠ざかり、心を浄域に栖〈す〉ましむべし。
かように大聖釈尊を去ること遥遠なるより聖道の修行は実修せられ難きを述べ、ここに像末相応の念仏の一門を唱道せられてある。更に「特留念仏章」には「当に知るべし聖道は機縁浅薄にして、浄土は機縁深厚なり」と云い、「念仏附属章」には「故に知り諸行は機
(3-483)
に非ず時を失う。念仏往生は機に当たり時を得たり。乃至、故に知りぬ、念仏往生の道は、正像末の三時及び法滅百歳の時に通ずることを」と云い、『同集』末文には「当に知るべし、浄土の教えは時機を叩いて行運に当れり。念仏の行は水月を感じて昇降を得たり」と時機純熟の教えは浄土念仏であると、時代の大勢から聖道自力教を貶〈へん〉せられたのである。
我が聖人は二祖の幽意を探り、更に多くの諸経を初め『末灯灯明記』を引用して、時代の大勢を論じ、修道の推移を説き、像末五濁の現代には、唯この弘願他力一法のみなりと論証せられたのである。
第二節 五節、四依を挙げて真偽を決す
第一項 五節
- 是以 拠経家披師釈 弁説人差別者 凡諸経起説不過五種。一者仏説 二者 聖弟子説 三者天仙説 四者鬼神説 五者変化説。
- 爾者四種所説 不足信用。斯三経者 則大聖自説也。
(3-484)
【読方】是〈ここ〉をもって経家によりて師釈のをひらきたるに、説人の差別を弁ぜば、およそ諸経の起説五種にすぎず。一には仏説、二には聖弟子説、三には天仙説、四には鬼神説、五には変化説なり。しかれば四種の所説は信用にならず。この三経はすなわち大聖の自説なり。
【字解】一。経家 阿難を指すという説(大谷派皆往院)あれども、ここでは釈尊を指す。
二。私釈 道綽、善導を指す。『安楽集』上初め、「玄義分」初めに出づる五種説をいう。
三。天仙 天は六欲天。四禅天等に住む天人。仙は仙人。世間を離れて山などに住し、神変自在の術を有すといわるる人。
四。変化 形を変じて種々の相を示す妖怪。
【文科】五種説人を挙げて仏説を選取し給う。
【講義】それ故に釈迦牟尼如来の教説に基づきて、道綽、善導の釈義を繙〈ひもと〉いて法の説人〈ときて〉の差別を弁明〈あか〉せば、凡て一切の諸経は、左の五種の説人の外を出づることはない。
一は釈迦牟尼仏の説、二は仏の聖弟子の説、三は天仙の説、四は鬼神の説、五は変化妖怪の説である。これら後四種の説は信ずるに足らぬ。唯信憑すべき説は、第一の仏説である。然るに今浄土真宗所依の三部経は、大聖釈尊の自ら説き給う所である。
(3-485)
第二項 四依
『大論』釈四依云
欲入涅槃時 語諸比丘 従今日応依法 不依人 応依義 不依語 応依智 不依識 応依了義経 不依不了義。
依法者 法有十二部 応随此法 不応随人。依義者 義中無諍 好悪・罪福・虚実 故語已得義。
義非語也。如人以指 指月 以示教我 看視指 而不視月。
人語言 我以指指月 令汝知之 汝何看指 而不視月。此亦如是。語為義指 語非義也。以此故 不応依語。
依智者 智能 籌量分別 善悪。識常求楽 不入正要。是故言不応依識。
依了義経者 有一切智人 仏第一。一切諸経書中 仏法第一。一切衆中 比丘僧第一。無仏世衆生 仏為此重罪。不種見仏善根人。{已上}
- 爾者末代道俗 善可知 四依修法也。
【読方】大論に四依を釈していわく、涅槃に入りなんとせし時、もろもろの比丘にかたりたまわく、今日より法によりて人によらざるべし。義によりて語によらざるべし。智によりて識によらざるべし。了義経によりて不
(3-486)
了義によらざるべし。法に依るというは、法に十二部あり。この法にしたがうべし。人にしたがうべからず。義によるというは、義の中に好悪罪福虚実を諍うことなし。かるがゆえに語はすでに義をえたり。義は語にあらざるなり。人、指をもって月をおしう。以て我を示教す。指を看視してしかも月を視ざるがごとし。人かたりて言わん。われ指をもって月をおしう。汝をしてこれを知らしむ。汝なんぞ指を視てしかも月をみざると。これまたかくのごとし。語は義の指とす。語は義にあらざるなり。これを以ての故に語によるべからず。智によるというは、智よく善悪を籌量〈ちゅうりょう〉し分別す。識はつねに楽をもとむ。正要にいらず。このゆえに識によるべからずといえり。了義経によるというは、一切智人います。仏、第一なり。一切諸経書の中に、仏法、第一なり。一切衆の中に比丘僧、第一なり。無仏世の衆生を、仏これを重罪としたまえり。見仏の善根を植えざるひとなり。已上 しかれば末代の道俗、よく四依をしりて法を修すべきなり。
【文科】四依説を挙げて修道の規範を示し給う。
【講義】龍樹菩薩の『大智度論』第九に、修道者の依憑すべき四種の教訓(四依)に就いて解釈を施してある。
釈尊、涅槃に入り給う時に、並み居る諸〈もろもろ〉の比丘に語り給うよう。汝等、今日より(一)ただ教法に依れ、人に依りてはならぬ。(二)義理に依り、言語〈ことば〉に依ってはならぬ。(三)智に依り、識に依ってはならぬ。(四)了義経に依り、不了義経に依ってはならぬ。是を四依とい
(3-487)
う。
第一に「法に依る」とは、教説は十二部経あるが、これらの教説を主として、人を主としてはならぬ。教説は純一〈まじりけのない〉ものであるが、それを伝える人格〈ひとがら〉には欠点のあるものである。人に囚〈とら〉えられずして、直ちに法の真髄を会得せよ。第二に「義に依る」とは、経説の真意義の中には、好〈すき〉とか悪〈きらい〉とか、罪悪だとか福徳だとか、虚偽だとか、真実だとかいうようなことを諍うことは要らない。即ち真の意義は純一明瞭なもので、諍いの余地はないのである。それ故に言語〈ことば〉というものはこの義理を表明すことを目的とするものであるから、義はその儘〈まま〉言語〈ことば〉ということは出来ない。故にもし言語に拘泥するならば、遂に真の目的たる義を逸してしまうのである。譬えば、人ありて指をもって吾々に月を指し示して呉れるとする。然るに指だけ見ていて、月を見ないようなものである。月を指示している人は云うであろう、「乃公〈わし〉が指をもって御前に月を指示しているのに、御前は何故指を見て肝心の目的物たる月を見ないのであるか」と。今もこれと同じである。言語というものは義を指示して呉れる指である。指は月でないように、言語は義ではない。この故に言語というものを主としてならぬと云うのである。第三は「智に依る」とは、智慧は能く物の善悪を籌量〈はか〉り、差別を考え
(3-488)
るものであるが、情識〈こころ〉はこれに反して常に盲目的に欲楽を求め、生死を出づる正しい要法に入ることを知らない。それ故にこの情識に依らず、智慧に依れというのである。第四に「了義経に依る」とは、円〈まどか〉に義理に説いた経説に依れというのである。凡〈およ〉そ一切の智人の中、仏は第一に位する。又一切の書籍の中に仏法の書籍は第一位を占めるものである。一切の道を修める人々の中で、仏法に随順〈したご〉うている比丘僧が第一である。この比丘僧とは和合僧の意味で、仏法を人格の上に体現した人、即ち万人の師表と仰がるべき人をいう。了義経とはこれらの三宝の言語を指すのである。
無仏世界の衆生を仏は重罪の人であるとせられた。これは仏に逢うても、仏法を聞いても信じない人々を指すので、どうしても、心の眼が開けない人をいう。これは前世に仏を見奉る善根を植えなかった人である。吾々はこの種の人となってはならぬ。吾等もし自ら省みて無仏世の衆生であると悲しむならば、その処に見仏の眼は開けるであろう。已上
爾れば末代の出家、在家の人々よ。善くこの四依の意義を噛み分けて道に進むが宜しい。
(3-489)
第二章 広明総標
- 然拠正真教意 披古徳伝説。顕開 聖道浄土真仮 教誡 邪偽・異執外教。勘決 如来涅槃之時代 開示 正・像・末法旨際。
【読方】しかるに、正真の教意によりて、古徳の伝説を披〈ひら〉く。聖道浄土の真仮を顕開して、邪偽異執の外教を教誡す。如来涅槃の時代を勘決して、正像末法の旨際を開示す。
【文科】二道判と真偽判を総標し給う一段。
【講義】今や進んで機類の真仮分斉を批判して時代の何たるかを決判せんが為に、正しく仏の真説に基づきて、古聖賢の遺したる伝説を繙〈ひもと〉き、聖道一代の教は方便、浄土真宗は究竟真実の教えなることを充分に顕開し、更に正道にあらざる邪偽の異端外道の真相を暴露して、修道者を教誡〈いまし〉め、終りに釈迦如来涅槃の年代を勘決して、正法、像法、末法の三時代の内容を説き示すであろう。
(3-490)
第三章 二道判と時代観
【大意】本章は正しく聖浄二道を判決し、時代相応の宗教を説き給う。裏から云えば、教法の真価は時代や修道の様式の変化によりて移さるるものでないことを力説せらるるのである。
第一節には『安楽集』の四文を引いて、機教相応の内容を示し、第二節には時代を勘決せんが為に、第一項に総説、第二項に『末法灯明記』を引用して、第一科に、四重問答して、無戒名字の比丘を末法の真宝と論定し、第二科に、広く『涅槃経』『十輪経』『大集経』『賢愚経』『大悲経』を引いて、像末時代の教法流布の状態を細説し、第三科に挙教比例して、結釈し給う。
第一節 『安楽集』の時代判
是以玄忠寺綽和尚云
然修道之身相続不絶 逕一万劫 始証不退位。当今凡夫 現名信想軽毛 亦曰仮名 亦名不定聚 亦名外凡夫。未出火宅。何以得知。拠『菩薩瓔珞経』具弁入道行位 法爾故名難行道。
【読方】ここをもって玄忠寺の綽和尚のいわく、しかるに修道の身相続してたえず、一万劫をへてはじめて不退の位を証す。当今の凡夫、現に信想軽毛となづく。また仮名といえり。また不定聚となづく。また
(3-491)
外の凡夫となづく。いまだ火宅をいでず。何をもってか知ることをうる。菩薩瓔珞経によりてつぶさに入道行位を弁ずるに、法爾なるがゆえに難行道となづく。
【字解】一。菩薩瓔珞経 二十巻。姚秦、竺仏念の訳。菩薩の法たる六度、四聖諦、唯識、修行の階級等種々の法門を説く。更に同人の異訳に『本業瓔珞経』二巻あり。
【文科】『安楽集』第一文によりて難行道を示し給う。
【講義】それであるから玄忠寺の和尚、道綽禅師は、その著『安楽集』下巻に、然るに道を修める人が、不断にその修道を継続して、一万劫の長い時期を経て、始めて不退の位に証す。そは所謂十信一万劫の修行によりて初住に入ったもので、内凡位の不退を云うのである。
聖道門の修道は、かような至難なものであるが、今日の吾等凡夫は如何なる位地をもっているかと云えば、十住位以前の外凡の位にして、薄信の修道者を意味する信想の菩薩と云わるるもので、あの微風にさえも飛ばされる軽毛のような凡夫でないか。即ち修道の力が足らぬ為に、些〈わずか〉の縁によりても進退常なきものである。故にまた仮名菩薩と名づけられ、或は不定聚とも外の凡夫とも名づけられる。これみな不退の位を獲ておらぬ三界の火宅にあることをいうのである。如何にしてこれらの趣きを知ることが出来るかと云えば、かの『菩
(3-492)
薩瓔珞経』を繙いて見ると、菩薩の修道の階梯や、行位等が具〈つぶさ〉に明かされてあり、浅より深に入り、下位より上位に昇る歴次進趣の法則は、本来法爾として謬ることはない。それ故にこれら自力の修道を指して難行道と名づけるのである。
又云
有 明教興所由 約時被機 勧帰浄土者 若機教時乖 難修難入。『正法念経』云
行者一心求道時 常当観察 時方便。
若不得時 無方便。是名為失 不名利。
何者如 攅湿木以求火 火不可得 非時故。
若折乾薪 以覓水 水不可得。無智故。
『大集月蔵経』云 仏滅度後第一五百年 我諸弟子 学慧得堅固。第二五百年 学定得堅固。第三五百年 学多聞読誦 得堅固。第四五百年 造立塔寺 修福 懺悔 得堅固。第五五百年 白法隠滞 多有諍訟 微有善法 得堅固。計今時衆生 即当 仏去世後 第四五百年。正是懺悔 修福 応称仏名号時者。一念称阿弥陀仏 即能除却八十億劫生死之罪。一念既爾 況修常念 即是恒懺悔人也。
(3-493)
【読方】又いわく、教興の所由をあかして、時に約し機に被らしめて浄土に勧帰することあらば、もし機と教と時と乖けば、修しがたく、入りがたし。正法念経にいわく、行者一心に道を求めんとき、常にまさに時と方便とを観察すべし。もし時を得ざれば、方便なし。これを名づけて失とす。利となづけず、何となれば湿〈うるお〉える木をきりて、以て火を求めんに火うべからず。時にあらざるが故に、もし乾〈かれ〉たる薪を折りて、以て水を求めんに水うべからず。智なきがごときのゆえに。大集月蔵経にのたまわく、仏滅後ののちの第一の五百年には、我もろもろの弟子、慧を学すること堅固なることえん。第二の五百年には、定を学すること堅固なることをえん。第三の五百年には、多聞読誦を学すること堅固なることをえん。第四の五百年には、塔寺を造立し、福を修し、懺悔すること堅固なることをえん。第五の五百年には、白法隠滞して、おおく諍訟あらん。すこしき善法ありて堅固なることをえん。今の時の衆生をはかるに、すなわち仏、世を去りてのちの第四の五百年にあたれり。まさしくこれ懺悔し、福を修し、仏の名号を称すべきときの者なり。一念阿弥陀仏を称するに、すなわちよく八十億劫の生死のつみを除却す。一念すでにしかりなり。いわんや常念を修するは、即ちこれつねに懺悔する人なり。
【字解】一。正法念処経 梵語Saddharma Smrtyupasthana-Sutra。七十巻。瞿曇般若流支訳。十善業道、生死、地獄、餓鬼、畜生、観天、身念処、の七品あり。善悪の業因によりて果報を異にすることを説き、地獄、餓鬼、畜生の状況を説き、殊に天上の光景を綿密に広説す。
二。大集月蔵経 上三三六頁を見よ。
(3-494)
三。白法 白は清浄の義。善法の意。
【文科】『安楽集』第二文によりて機教時相応を説き給う。
【講義】又云わく、茲に浄土教の興る所由を審らかにして、その時期に関し、その根機に相応する教えとして浄土往生に勧め帰〈もとづ〉かしめるならば、第一に、もし教を受ける機類と、教そのものと、そしてその時代と、この三つが齟齬〈くいちが〉う場合には、その教を実習し難く、又その教の真意に到達し難い。
『正法念経』の説意によれば、道を修める人にして、もし一心に道を求める場合には、いつも時期と修行の方法を観察〈かんが〉えて、その宜しきに従わねばならぬ。もし時期を失すれば、善良なる方便も共に失うことになる。是を修道の失敗と名づける。修道の利益とは名づけられない。何故かと云えば、湿〈ぬれ〉れた木を攅〈き〉って火を出そうとしても、火を得ることは出来ぬ。それは火を出しうべき時期を失しているからである。もし又乾いた薪を折って水を求めるならば、上の場合と同じように水を得られる筈がない。これらは智慧が欠けているからである。
『大集月蔵経』に云わく、仏滅後の第一の五百年は、我教えを奉ずる弟子達は、一般に証〈さとり〉を得るに主要なる智慧を学んで堅固にそれを得るであろう。是は尤も善き時代である。
(3-495)
第二の五百年は智慧を得る所の方便たる定を学んで、堅固にそれを得るであろう。第三の五百年は、やや下りて多く聞き多く学び、教典を読誦することが堅固であろう。第四の五百年は、智、定、多聞の機根衰え、唯道徳的の善根功徳を積み、罪障を懺悔することが堅固であろう。第五の五百年の間は時代大いに堕落し、善法跡〈あと〉を払い、道を修めること沈滞し、唯諍訟〈あらそい〉のみ多くなりゆきて、ほんの微かな善法〈おしえ〉だけが残って余喘を保つに至るであろう。
この経説によりて計るに、今我道綽の時代は、仏滅後大凡千五百余年に当たっている。即ち第四の五百年に入ったのである。さらば今の時はもう智慧、禅定、多聞の真摯なる修道生活に適する時代ではない。正に懺悔と修福の時代である。機根漸く衰えて自力の如法修行の叶わぬ濁世となった。今ぞ弥陀仏の名号を称うべき時節である。一念弥陀の名号を信じ称うる立ちどころに、即ち八十億劫の生死の罪業を滅ぼし除き給う。一念にしてこの通りである。況や常に不断相続して念ずるならば、是は恒に懺悔する所の人である。即ち念々称名し、念々罪を滅ぼす、かくて是人は常懺悔の生活を送る人で、正に第四の五百年という時代に相応する修道者である。
(3-496)
又云
弁経住滅者 謂 釈迦牟尼仏一代 正法五百年 像法一千年 末法一万年 衆生減尽 諸経悉滅。如来 悲哀 痛焼衆生 特留此経 止住百年。
又云
『大集経』云 我末法時中 億億衆生 起行修道 未有一人得者。当今末法 是五濁悪世。唯有浄土一門 可通入路。{已上}
【読方】又いわく、経の住滅を弁ぜば、いわく釈迦牟尼仏一代正法五百年、像法一千年、末法一万年には、衆生減じ尽き、諸経ことごとく滅せん。如来痛焼の衆生を悲哀して、ことにこの経をとどめて、止住せんこと百年ならん。又のたまわく、大集経にいわく、わが末法の時の中の億々の衆生、行をおこし道を修せんに、いまだ一人として得るものあらじと。当今は末法にしてこれ五濁悪世なり。ただ浄土の一門のみありて通入すべき路なり。已上
【文科】『安楽集』の二文によりて経典の住滅と末法の唯一教法を示し給う。
【講義】又云わく、今世仏教経典に就いて、残るものと滅びるものとを弁別するならば、大凡釈迦牟尼如来一代の経説が流伝する所の年代を三期に区分し、その第一期は正法五百年、
(3-597)
第二期は像法一千年、第三期は末法万年である。この第三の末法には災い起こりて衆生多くその数を減じ、諸々の経典は悉く滅びてしまうであろう。この時如来は、苦痛の焔〈ほむら〉に焼かるる衆生を悲哀〈あわれ〉み給いて、特にこの『大無量寿経』をこの世に留めて、百歳乃至無量歳に至らしめ給う。
又『大集経』の教意によれば、末法の時代に当たって、我教えを奉ずる億々無量の弟子達が、六度の行を起し、戒、定、慧の三学を修めても、恐らくは一人も真実に証りを得る者はないであろうと説いてある。
当時は既にこの末法の時代に属し、正に是れ五濁悪世に当たっている。されば実の効果ある教えというものは、唯浄土他力の一門に限る。是の一門のみが吾等が証りの堂奥に通達する所の唯一の道である。
第二節 時代勘決
第一項 正明
- 爾者 穢悪濁世群生 不知末代旨際 毀僧尼威儀。今時道俗 思量己分。
- 按三時教者 勘如来般涅槃時代 当周第五主 穆王五十一年壬申。
- 従其壬申 至我元仁元年。{元仁者後堀川院諱茂仁聖代也}甲申二千一百八十三歳也。
- 又依『賢劫経』『仁王経』『涅槃』等説 已以入末法 六百八十三歳也。
【読方】しかれば穢悪濁世の群生、末代の旨際をしらず。僧尼の威儀をそしる。今の時の道俗、おのれが分を思量せよ。三時教を按ずれば、如来涅槃の時代をかんがうるに、周の第五の主穆王五十一年、壬申にあたれり。その壬申より、わが元仁元年甲申にいたるまで、二千一百八十三歳なり。また賢劫経、仁王経、涅槃等の説によると、すでにもって末法にいりて六百八十三歳なり。
【字解】一。三時教 正法五百年、像法一千年、末法万年の三期をいう。
二。賢劫経 十巻、西晋の竺法護訳、三昧品より属累品に至る凡て二十四品中に、三十二相品、千仏名号品、千仏発意品等、各種の法門義類を明かす。
三。仁王経 二巻。唐の不空三蔵訳。具には仁王護国般若波羅蜜多経という。序品。観如来品、菩薩行品、二諦品、護国品、不思議品、奉持品、属累品の八品より成る。本経を読みて修する祈祷法あり、これを仁王経という。我が国に於いては寛治四年、朝廷に於いて始めてこれを修す。日月、星辰、火、水、大風、炎旱〈ひでり〉、兵賊の七難起こる時にこの法を修して災いを鎮め、又平生にもこれを行う。
四。涅槃経 具に大般涅槃経。大乗涅槃経にして。北本四十巻、南本三十六巻の二本あり、『第一巻』
(3-499)
六九二頁、『第二巻』三〇七頁に詳述。
【文科】三時教判の旨際を総標して次の『末法灯明記』の文を起し給う。
【講義】爾れば上の経説に依りて勘えて見ても、世の一切の群生は、皆末法という時代の濁浪に汚されているのであるから、等しく煩悩に穢され、悪業に囚えらるる人達である。然るに彼等はこの末代という旨際〈いわれ〉の何たるかを知らない為、無闇に僧侶、比丘尼の威儀が乱れたとか、修業が行き届かぬと毀るのである。是は僧侶も在家の人も、御互いに他人を毀ることを止めにして、先ず第一に各自の分限を思量〈おもいはか〉るが宜しい。
今や進んで正像末三時に関する教法を案〈しら〉べ、先ず釈尊後入滅の時代を勘え見るに、それは支那、周の第五世の主穆王の治世五十三年壬申に当たっている。その壬申の年から我元仁元年甲申に至るまで二千一百八十三歳である。そこで『賢劫経』『仁王経』『涅槃経』等の正法五百年説に依れば、当年はもう末法に入ってから六百八十三歳である。
第二項 『末法灯明記』の文
第一科 総説
(3-500)
披閲『末法灯明記』{最澄製作}曰
夫 範衛一如 以流化者 法王光宅四海 以乗風者仁王。然則 仁王・法王 互顕而開物 真諦・俗諦 逓因而弘教。所以玄籍 盈宇内 嘉猶溢天下。
爰愚僧等 率容天網 俯仰厳科。未遑寧処。然法有三時 人亦三品。化制之旨 依時興讃(替)。
毀讃之文 遂人取捨。夫三石(古)之運 減衰不同。後五之機 慧悟又異。豈拠一途済 就一理 整乎。故詳正・像・末之旨際 試彰破持僧之事。於中有三。初決正・像・末。次定破持僧事。後挙教比例。
【読方】末法灯明記 最澄製作を披閲するに、いわく、それ一如に範衛して、もって化をながすは法王四海に光宅して、もって風に乗ずるは仁王なり。しかれば、すなわち仁王法王たがいに顕われて物を開し、真諦俗諦はたがいによりて教をひろむ。このゆえに玄籍宇内にみち、嘉猷天下にあふる。ここに愚僧等率して天網に容り、俯して厳科をあおぐ。いまだ寧処にいとまあらず、しかるに法に三時あり。人また三品なり。化制の旨ときによりて興讃す。毀讃の文、人にしたがいて取捨す。それ三古の運、減衰おなじからず。後五の機慧悟またことなり。あに一途によりて済わんや。一理について整〈ただ〉さんや。かるがゆえに正像末の旨際を詳らかにして、試みに破持僧の事を彰わさん。中において三あり。はじめに正像末を決す。つぎに破持僧の事をさだむ。のちに教をあげて比例す。
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【字解】一。末法灯明記 一巻。我国天台宗の開祖、伝教大師著。仏法王法治化の理を説き、真諦、俗諦相依の義を述べ、正像末の三時異なりあるが故に、機に利鈍あり、法に讃毀あり、末代の修道者はこの理を考えて、機教の取捨をなさなければならぬと説く。因みに慈雲尊者はこの書を偽作とせり、戒律を厳修する者に取っては、不便なるが為か。
二。範衛 範は模範にてここには「則〈のっと〉る」の意、衛は衛護にて「まもる」の意。真如に則り、真如を守りての意である。
三。法王 大法の王。釈尊をいう。
四。四海 もと支那に於いて、東夷、南蛮、西戎、北狄を指していうたのであるが、今は国の四方を指す。全世界という程の意味である。
五。光宅 光は広、宅は居である。即ち「広く住居すること」にて、王者が四海に徳を布〈し〉くことをいう。
六。仁王 民は憐れみ、仁徳を備えた帝王のこと。
七。物 衆生のこと。
八。真諦、俗諦 この意義については、諸説区々であるが、ここでは出世間の法を真諦、世間の法を俗諦というたのである。或はこれを仏法(真諦)王法(俗諦)というてもよい。真宗本願寺派の学者は、文化、文政の頃から浄土真宗の宗義をこの二諦の名目をもって彰わしたが、大谷派では明治八年六月二十一日の五ヶ条の御消息から始まったらしい。
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九。玄籍 玄は幽玄、奥深いこと。即ち奥深い意義を有する書籍、仏典のこと。
十。嘉猷 嘉は善、猷は道、善美なる道ということ。猷は亦言也ともいう。その時は善言となる。何れにしても帝王の善き教化を指すことに一致している。道が流布せるる時に言となるのである。
十一。天網 『老子』の言葉である。天の罪人を罰すること。網を以て魚を捕えるようであるということ。
十二。厳科 天子の厳しい科めをいう。
十三。化制 化教、制教のこと。化教は釈尊一代の化益、摂化の経説のことにて、在家出家に行き亘る教えである。制教は特に修道の比丘の為に立てられたる律法をいう。
十四。三古 支那の古時代を三期に分ち、各期をその時代の聖者をもって代表せしめたのである。上古(伏羲)中古(文王)下古(孔子)の称。
十五。後五 五箇の五百年の第五の五百年のこと。五箇の五百年とは、仏滅後の二千五百年を五つに分ちてその時代の特長を示したもの。第一の五百年は解脱堅固、第二の五百年は禅定堅固、第三の五百年は多聞堅固、第四の五百年は造寺堅固、第五の五百年はここにいう後五の五百年にて、闘諍堅固の時代である。
【文科】『灯明記』の総説の文を挙ぐる一段。
【講義】伝教大師最澄の著『末法灯明記』を披閲いて見るに、曰く
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それ一如法界の真理に範り、その真理の護衛を受けて、一切衆生に化益を施すものは、大法の王である。又一天四海の国々を知ろして、その権力広く辺境の隈々に及び、そして民衆に対して徳化を垂れ給うは仁王である。それ故にこの仁王と法王と一所にこの世に顕われて、衆生を開導〈みちび〉き、法王は生死〈まよい〉を出づる智慧(真諦)、仁王は世間に処する要義(俗諦)を教えて、逓〈たが〉いに相因り、一つに溶け込んで、教えを弘めて下さる。所以に奥深い旨趣を蔵している経典の感化は、宇内に盈ち、其れが衆生に与える福祉〈さいわい〉は、天下に溢れるのである。是実に聖代の喜びである。
爰に愚僧は謹んで聖主の天網に基づき、身を下して朝廷の厳科〈おとがめ〉を仰ぎ奉り、未だ心身の安逸を計るの遑はありませぬ。然るによくよく勘〈かんが〉えて見まするに、如来の教法に正像末三時の差別あり、従ってその機類にも三種に分かれてある。摂化の教え、規定〈さだめ〉の律儀〈おきて〉の旨趣、皆時期に依って、盛んになったり衰えたりするものである。そしてこの教律の盛衰に就いても、その人々によって褒貶を異にし、取捨を異にしておりまする。
即ち古代支那の文教の中心人物に就いて考えて見ても、中古の文王は、上古の伏義氏よりも一段の位劣り、更に下古の孔子は、文王と比べて低い地位に居らなければならなか
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った。かように三古の盛衰は、表面甚だ不同である。是と等しく仏後五箇の五百年の如きは、教を受ける機類の智慧、悟了に相違ありて、第一の五百年は智慧、第二の五百年は禅定という風に各々違うている。それであるからどうしても一概に一つの定型を以て済おうとしたり、又は単純な一道理によりて律義を定めることが出来ませぬ。かような訳合であるから、正像末三時の旨趣を詳らかにして、破戒、持戒の何たるかを彰らかにするでありましょう。其れに就いて三あり、初めに正像末の三時の分際を決定し、次は破戒、持戒の事柄を決定め、終に在世正法の教説を挙げて、末法の教えと比較するであろう。
【余義】一。『末法灯明記』の引意を述ぶるに先だち、本書製作の伝教大師の趣意を知らねばならぬ。『元亨釈書』第三巻の資治表(『同書』第二十巻より二十六巻まで、欽明天皇より順徳天皇まで歴代天皇の徳化と仏教との関係を記述す)に依れば、桓武天皇延暦十七年夏四月、全国僧侶の行状改正の詔勅発布せられ、その多くの条項中、以後は三十五歳以上にして修得の経論中、大義十条を試験し、その中五以上に通ずる者にあらざれば出家を許さず、又戒律を守らざる沙門は寺を放逐すべしとのことであった。これらの厳科の為に、僧侶の刑罰を受けたものは尠なくなかった。当時僧風大いに乱れて、弊害百出の有様であった為
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に朝廷よりこの条令が発布せられたのである。
当時伝教大師は、入唐以前にして南都興福寺にあり、法相宗慈恩大師の『義林章』『法華玄賛』等の依りて本書を述作し、上の勅令は時代の大勢に通ぜざるものにて、かかる像末の時代に当たって、あのような厳科を設けられては、遂には僧となる者なく、為に三宝の種を断つに至るであろうと、専ら経論に依りて正像末の旨際を明かにし、在世正法の戒律をもって像末の時代を律するは、全く釈尊の教旨を破るものであると朝廷に表白せられたのである。この表白に為か、延暦二十年四月には、再び詔勅ありて、二十歳以上の者は出家を許すこととなった。
二。次に我が聖人の引意に就いては、古来三義を挙げてある。一、澆末無戒の相を知らしむる為に。二、一宗の宗風を扶翼せんが為に、元よりこの二義は同一義の両面に過ぎない。即ち浄土真宗の教えは、末世の無戒破戒の悪人の相を知らしめて、それらを救済し給うは偏に弥陀如来の深重なる本願ばかりであると云うのである。この趣旨を顕彰わすことは、その儘宗風を扶翼することになるからである。
已上の二義は大体に於いて元より異議を唱える必要はないのであるが、更に深くこれらの
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内的意義を知らねばならぬと思う。『灯明記』の文を見れば、末世の無戒名字の比丘の行状を経文によりて示し、これらの比丘に対しても、一般人は尚仏在世の舎利弗、目連に対するように恭敬供養をこととせよというのである。是は経典という権威を外にしては、一見甚だ奇異に感ぜざるを得ないのである。況や聖人がこれらの教権によりて、一宗を扶翼し給うということは良に謂れなきことと云わねばならぬ。
されど一度、これら教説の外皮を破りてその奥旨に徹入する時は、吾々はこれら経文の詮わす所が深意に驚き、それと同時にこれら祖聖の真意に味到することが出来るのである。
釈尊を初め、在世正法の賢哲は、一様に厳正なる戒律を守り、一代の師表として民衆を導いた事実は明らかなことであるが、而も時代の推移は如何ともすることは出来ない。況や国を異にし、所を異にするに於いては尚更である。その戒律をもってその儘末代の異国に適用せんとする余りに教法の外面に囚えられたるものと云わねばならぬ。僧侶と云えば、何人も教えを敬う上から、高潔清浄なる修道者を思い起こすものであるから、僧侶の頽廃は殊に万人の注目を惹き起すものであるが、併しながらそれは単に常識の要求である。抑も上代の正法時代と比べて、像末世の僧風が何故に紊乱するのであるかと云えば、そこには時代
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の推移という已み難いものがあるとともに、宗教の真精神は必ずしも一定の様式を取らねばならぬ必要はなく、時代によりて、如何に形式を異にしても、その真意と実益とは獲られるものであるというのである。然るにこの大乗の極意を暁〈さと〉らずして、或は上代の律儀をもって制約し、或はその当時の道徳法律等をもって一概に非難攻撃するが如きは時運の大勢を知らざるとともに、第一に教法の真精神に徹せざる謬ちに外ならぬ。是は甚だ重要なる問題である。
即ち教の流伝に就いて思考するに、教は必ずしも、聖者賢者の間に実現するばかりでなく、又凡夫悪人の間にも実現するのである。否な「諸仏の大悲は苦ある者に於いてす」金言の如く、大悲の水の注ぐ処は高嶺の花よりも、低い谷間の小草を湿〈うるお〉すを常とする。末世の僧は無戒名字たりとも、而も三衣を纏いて三宝に帰依の念をもっている。彼等が妻子を挟み、酒家に遊んで在家の人々と威儀を等しうしても、よく末世の機相を自覚して、心に慙愧の念、敬虔の情を生じ、自ら深く罪濁を感じて三宝に帰依するならば、そこに如来の大悲は実現し、仏智は低く罪濁の胸に下りて、刹那超越の宗教に入ることが出来るのである。是実に釈尊の出世本懐である。然るにこの趣旨を知らざる人々は、徒に教法をも
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って高遠なるものと思い、一般僧侶が一様に清浄なる人格を具えずんば、釈尊の教法は滅亡せるもののように心得て、自分はいつまでもその渦中から逃れて客観しつつあるのである。然るに実際より見れば、僧侶の団体も矢張り学校のようなものにて、学校の卒業生は毎年僅少の人に止まり。いつも未来卒業の学生をもって充たされているのである。然るにもしも一度に卒業する学校がないとて、在学生を放逐するならば、学校は遂に存在することを得ず、従って学問は絶滅せざるを得ない。今教界も亦その通りである。もしも在世正報の戒律をもって末世の僧を制し、是をもって彼等を罰するならば、修道者はここに絶え、教法は遂に滅するのである。
抑も教えは薬の病者に於ける如く、凡愚悪人を離れて存在するものではない。ここをもって『大経』第十八願には「唯除五逆」等と仰せられる。是を我が聖人は『銘文』本三丁に「このふたつのつみ(五逆と謗法)の重きことを知らしめて、十方一切の衆生、みなもれず往生すべしとしらせんとなり」
と仰せられた。是は「唯除」等の抑止の底を見破りて、大悲の真意に徹せられたものに外ならぬ。(『第二巻』五四一頁参照)ここにこそ真の教法があるのである。然るに教律の外面
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に拘泥して、徒に唯外面の美を願うて、律法主義に陥り、汚濁の胸奥に生るる宗教を知らざるものは大聖の教意に遠ざかるの甚だしいものと云わねばならぬ。
是は恐らくは伝教大師の『灯明記』述作の真意にして、又我が聖人がこの真意に徹せられて、全文を引用せられた所以であると思う。
第二科 正像末を決す
初決 正・像・末 出諸説 不同。且述一説。
大乗基 引『賢劫経』言 仏涅槃後正法五百年 像法一千年。此千五百年後 釈迦法滅尽。不言末法。准余所説 尼 不順八敬 而懈怠故 法不更増。故不依彼。
又 『涅槃経』於末法中 有十二万大菩薩衆 持法不滅。此拠上位故 亦不同。
問 若爾者 千五百年之内行事云何。
答 依『大術経』 仏涅槃後 初五百年 大迦葉等七賢聖僧 次第持正法不滅。五百年後正法滅尽。至六百年後 九十五種外道 競起。馬鳴出世 伏諸外道。七百年中 龍樹出世 摧邪見幢。於八百年 比丘縦逸 僅一二有得道果。至九百年 奴為比丘 婢為尼。一千年中 開(聞)不浄観 瞋恚不欲。千一百年 僧尼嫁娶 毀謗僧毘尼。千二百年 諸僧尼等 倶有子息。千三百年 袈裟変白。千四百年 四部弟子 皆如猟師 売三宝物。爰曰 千五百年 拘睒弥国 有二僧 互起是非 遂殺害。仍教法 蔵於竜宮也。『涅槃』十八 及『仁王』等 復有此文。
準此等経文 千五百年後 無有 戒・定・慧也。故『大集経』五十一言 我滅度後 初五百年 諸比丘等 於我正法 解脱堅固。{初得聖果名為解脱}
次五百年 禅定堅固。次五百年 多聞堅固。次五百年 造寺堅固。後五百年 闘諍堅固 白法隠没 云云。
此意 初三分五百年 如次 戒・定・慧 三法 堅固得住。即上所引 正法五百年 像法一千 二時是也。造寺已後 並是末法。
故 基 『般若会釈』云 正法五百年 像法一千年 此千五百年後之 正法滅尽。故知 已後是属末法。
問 若爾者 今世正 当何時。
答 滅後年代 雖有多説 且挙両説。一 法上師等 依『周異』 説言 仏当第五主 穆王満五十一年壬申 入滅。若依此説 従其壬申 至我延暦二十年辛巳 一千七百五十歳。二 費長房等 依魯『春秋』 仏当周第二十主 匡王班四年壬子 入滅。若依此説 従其壬子至我延暦二十年辛巳 一千四百十歳。故如今時 是像法最末時也。
彼時行事 既同末法。然則於末法中 但有言教 而無行証。若有戒法 可有破戒。既無戒法 由破何戒 而有破戒。破戒尚無、何況持戒。故『大集』云 仏涅槃後 無戒満州 云云。
【読方】はじめに正像末を決するに、諸説を出だすことおなじからず。且く一説を述せん。大乗基は賢劫経を引いていわく、仏涅槃ののち正法五百年、像法一千年、この千五百年の後、釈迦の法滅尽せんと。末法をいわず。余の所説に准するに、尼、八敬に順わずしてしかも懈怠するがゆえに法更に増せず。かるがゆえに彼によらず。また涅槃経に末法において、十二万の大菩薩衆ましまして法をたもちて滅せずと。これは上位によるがゆえにまた同じからず。問う、もし爾らば千五百年の内の行事いかんぞや。答う、大術経によるに、涅槃の後、はじめの五百年には、大迦葉等の七賢聖僧、次第に正法をたもちて滅せず、五百年ののち正法滅尽せんと。六百年にいたりて九十五種の外道きそいおこらん。馬鳴、世に出でて、もろもろの外道を伏せん。七百年の中に、龍樹、世にいでて邪見の幢を摧かん。八百年において、比丘縦逸にして僅かに一二道果をうるものあらん。九百年にいたりて、奴を比丘とし婢を尼とせん。一千年の中に不浄観を聞かん、瞋恚して欲せじ。一千百年に僧尼嫁娶せん。僧毘尼を毀謗せん。千二百年に諸僧尼等ともに子息あらん。千三百年に袈娑変じて白からん。千四百年に四部の弟子みな猟師のごとし。三宝物を売らん。爰に
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いわく、千五百年に拘[セン01]弥国に二の僧ありて、たがいに是非を起してついに殺害せん。よりて教法龍宮におさまる。涅槃の十八および仁王等にまたこの文あり。これらの経文に准ずるに、千五百年ののち戒定慧あることなし。かるがゆえに大集経の五十一にいわく、わが滅度の後のはじめの五百年には、もろもろの比丘等、わが正法において解脱堅固ならん。初めに聖果をうるをなづけて解脱とす。つぎの五百年には禅定堅固ならん。つぎの五百年には多聞堅固ならん。次の五百年には造寺堅固ならん。のちの五百年には闘諍堅固ならん。白法隠没せんと云々。この意はじめの三分の五百年には、次いでのごとく戒定慧の三法堅固に住することをえん。すなわち上に引くところの正法五百年、像法一千の二時これなり。造寺已後ならびにこれ末法なり。かるがゆえに基の般若会の釈にいわく、正法五百年、像法一千年、この千五百年ののち正法滅尽せんと。かるがゆえに知んぬ。造塔已後はこれ末法に属す。問う、もし爾らばいまの世は正しく何れの時にか当たれるや。答う、滅後の年代おおくの説ありといえども、しばらく両説をあぐ。一には法上等、周異記によりていわく。仏、第五の主、穆王満五十三年壬申にあたりて入滅したまう。もしこの説によらば、その壬申よりわが延暦二十年辛巳にいたるまで一千七百五十歳なり。二には費長房等、魯の春秋によらば、仏、周の第二十の主、匡王斑四年壬子にあたりて入滅したまう。もしこの説によらば、その壬子よりわが延暦二十年辛巳にいたるまで、一千四百十歳なり。かるがゆえに今の時の如きはこれ最末の時なり。彼の時の行事すでに末法に同ぜり。しかれば則ち末法の中に於いては、ただ言教のみありてしかも行証なけん。もし戒法あらば破戒あるべし。すでに戒法なし、いずれの戒を破せんによりてか而も破戒あらんや。破戒なおなし、いかにいわんや持
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戒をや。かるがゆえに大集にいわく、仏涅槃ののち無戒州にみたんと。云々
【字解】一。八敬 比丘尼八敬戒のこと。比丘尼の守るべき八法。一、百夏の比丘尼も、初受戒の比丘を礼すべし。二、比丘を罵ることを得ず。三、比丘の罪をあげ過を説くことを得ず。四、大徳の僧に従いて具足戒を受くべし。五、尼、僧残戒(失精戒等十三戒あり)を犯せば僧に従いて懺悔すべし。六、半月毎に僧の教誨を受くべし。七、比丘に従いて三月安居すべし。八、夏満ちて僧中に詣〈いた〉り自恣(懺悔改悪すること)の人を求むべし。
二。大術経 二巻。具には『摩訶摩耶経』又は『仏昇[トウ01]利天為母説法』という。上巻は仏、三十三天に昇りて摩耶母人の為に説法し給い、下巻は入涅槃を明かし、大法伝持を述べたまう。
三。大迦葉 釈尊の大弟子、頭陀第一と称せらる。摩竭陀国の首都王舎城に近い村の富有なる婆羅門であったが、妻とともに出家して釈尊の弟子となり、釈尊の滅後大衆を率いて第一結集をなし、爾後二十年にして、弥勒の出家をまたんが為に鶏足山に入りて入定す。山邊著『仏弟子像』に委し。
四。七賢聖 仏滅後、大法伝持の七大士をいう。摩訶迦葉、阿難、優婆掬多、尸羅難陀、青蓮華比丘、牛口比丘、宝天比丘の称。
五。九十五種外道 上二七三頁を見よ。
六。馬鳴 梵名アシワグホーシャ(Asvaghosha)、紀元一世紀、西印度の人、始め外道に帰したが、後仏教に入り、智弁一代に高く、文華万代を覆う偉人であった。北印度の雄主迦膩色迦〈カニシカ〉王の保護を受け、大いに大乗仏
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教を宣揚す。『起信論』『大荘厳論経』『仏所行讃』等の名著あり。曾て尊者頼吒[ワ01]羅の曲を作り、華子城の青年を感化した。
七。龍樹 『第二巻』七五二頁に詳述。
八。毘尼 委しくは毘奈耶、梵語イナヤ(Vinaya)、離行、調伏、滅等と訳す。三蔵中律蔵のこと。
九。袈娑 梵語カチャーヤ(Kacaya) 染色衣と訳す。又義によりて離塵服、消痩衣、間色衣、無垢衣、功徳衣、忍辱鎧等という。出家の正衣にして、始め棄てられた白衣端等の塵埃に赤く染まったものを洗いて綴り合せ着用したものであるが、後その色を袈娑の正色として木蘭色に染めるようになった。これに大衣、七條、五條の三衣あり、後世転じて終に、呪字袈娑、輪袈裟等を製するに至った。
十。拘[セン01]弥国 梵音カーウシャムビー(Kausambi)、中印度跋蹉(Vatsa)国の都城。優填王の都した処、今のアラハバットの北、マーサムの地に当たる。
十一。龍宮 龍王の住む宮殿、水底、又は水上にありという。『長阿含経』第十九には大海の底に娑竭羅龍王の宮殿あり。縦広八万由旬、七宝をもって荘厳せらると説いてある。その他諸経典には、須弥山と[キャ02]陀羅山との中間に難陀、跋難陀、二龍王の宮殿ありといい、娑伽羅王の宮殿は雪山の中にある阿耨達池にありともとく。或は又龍宮は、龍種族の宮殿にして、于[テン04]国をいうとも云わる。或は又龍宮は単なる想像上の産物であるとも云われておる。
十二。法上師 姓は劉氏、朝頚の人。幼にして出家し、刻苦精励して道を修め、衣食に窮せし際は、日
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に一粒一菜をもって練行し、心気益々昂進せりと称す。後徳化四方に流れ、魏斉二代に亘りて統師となり僧尼二百万を統ぶ。道俗悦服す。周の大象二年(西紀五八〇)七月寂、春秋八十有六。『増数法』四十巻。『仏性論』二巻。『大乗義章』六巻等の遺著あり。
十三。周異記 具に『周書異記』、本文伝わらず。法琳著『破邪論』上、『法苑珠林』等に引用せらる。名の示す如く周時代の特異の事跡を記載せる書籍らしい。『破邪論』上には漢の侍中傅毅の作としてあり、傅毅は後漢の明帝の夢に答えて仏教渡来の媒介者となった人である。伝記は『後漢書』七十四に出づ。又『稽古略』によれば、傅毅が明帝に仏教の将来を勧めし時に、王遵という人が、『周書異記』を引いてこれを助けたと伝えてある。この説によれば、その時代以前に出来た書らしい。
十四。魯春秋 孔子書『春秋』のこと。孔子、魯国の史官の記録によりて編する所。魯の隠公より哀公まで十二公の時代に亘りて時事の当否を断じ、王者の大道を明かにせられた。主義ある歴史書である。左氏の註をもって『春秋左氏伝』もしくは単に『左伝』として広く行わる。
【文科】『賢劫経』『大術経』の文を引いて、三時の旨際を勘決せらるる一段である。
【講義】初めに正像末三時の年代を決定するに就いては、諸説不同である。その中一説を挙ぐれば、大乗の慈恩大師窺基は、『弥勒上生経疏』上に、『賢劫経』(或は『大集経』ならんとも云う)を引用して云く、釈迦仏涅槃の後は正法は五百年、像法は一千年である。この
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千五百年を経て、釈尊の教法は減尽す、即ち末法の時代には教法は残っておるとは云わぬ。
然るに上の『賢劫経』の余の経説、即ち『善見毘婆娑律』『四分律』等の説によれば、正法は一千年と説いてある。それは女人の教団が成立する時に、もし女人に出家を許すならば一千年の正法は五百年となるであろうと云うのであるが、但し尼が八敬戒を守れば更に五百年増して一千年となるという。所が尼達が仏の定め給う八敬戒に順わず、修道を懈怠た為に、増すべき五百年の正法時代は増さずして、矢張り五百年となったのである。それであるからこの正法千年説には依ることは出来ない。
然るに『涅槃経』の中に「末法の時代に十二万人の大菩薩方が有〈ましま〉して、大法を維持して滅すことはない」と説いてあるのは、上位の菩薩に就いて云うたので、この場合とは違うのである。
問うて曰く、それならば正法像法の千五百年間の大法護持の行事〈ことがら〉は如何なるものであったか。
答う、『摩訶摩耶経』の所説に依るに、釈迦仏御入滅後、初めの五百年は、大迦葉、阿難等の七賢聖が引き続いて正法を宣伝して滅することはなかったが、五百年後には正法滅尽
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するであろう。仏滅六百年に至って、九十五種の外道競い起るが、この時馬鳴菩薩ありてこれらの諸々の外道の説を打ち破るであろう。仏滅七百年には、龍樹菩薩出世して邪見の幢〈はたほこ〉を摧き破りて、大法を宣揚するであろう。八百年には諸々の修道の比丘達が放逸な生活をなしてほんの一二人の人が道果〈さとり〉を得るに過ぎない。九百年に至ると、下僕を僧となし、婢を尼とし、そして在家の者はこれらの僧尼を軽んずる。仏滅一千年中にもし人々が不浄観を聞くならば、自分達の五欲の楽しみを減らされる為に、瞋恚の心を起こして、聞くことを欲しないであろう。千一百年には、僧も尼も、在家の人々と同じように婚姻をするに至り、却って釈尊の僧戒を毀謗〈そし〉るであろう。千二百年にはあらゆる天下の比丘も比丘尼も、一様に子供を持つであろう。千三百年には、壊爛色の袈娑が在家の服装と同じように、純白な色となるであろう。千四百年には、比丘、比丘尼、浄信士、浄信女の四部の仏弟子は、皆猟師のように殺生を事として、三宝の供養物を売却するであろう。仏滅千五百年には、拘[セン01]弥国に二人の僧があって、互に是非の諍いを起し、遂に殺し合うに至り、是が為に如来の教法は龍宮に蔵〈かく〉れてしまうのである。
『涅槃経』第十八、及び『仁王経』『月蔵経』第十にも亦上のことを記載した文がある。
(3-518)
これらの経文に依りて考えて見るに、仏滅千五百年の後には、戒定慧の三学は全く地を払うているのである。それ故に『大集月蔵経』第五十一には、「我滅度の後、第一の五百年間は諸々の修道の比丘達が如来の正法を守りて解脱を獲ることが堅固であるであろう。声聞ならば、初果、菩薩ならば初地の位を得るを解脱という。第二の五百年間は、一段下りてその解脱を獲るの方便たる禅定を堅固に修めるであろう。第三の五百年間は、更に下りて多く聞き広く学ぶことが堅固であろう。第四の五百年間は、寺塔を建て福徳を修めることが堅固であろう。第五の五百年間は、闘諍が烈しくなりて道に志す者もなく、善法は全くこの世から隠没れてしまうであろう云々。」
この経説の意は、第一より第三の五百年は次第の如く戒、定、慧三学がその時代時代の特長となりて、堅固に実習せらるることを述べたので、即ち上に引用した『弥勒上生経疏』の説たる正法五百年、像法一千年の二時期に当たっている。第四の造寺以後は末法に入っているのである。故に慈恩大師の著『般若会釈』には「正法の時代は五百年、像法の時代は一千年である。この正像の千五百年を経て、如来の正法は滅尽ぶるであろう」と。この説によりて見ても、仏滅千五百年以後は、末法に属すということが知られてくる。
問う、もし上の如き説を是とすれば、当今の時代は、正しく三時の何れに当たっておるの
(3-519)
であるか。
答う、仏滅年代に関しては、様々の説があるけれども、その中両説を挙げる。第一説は、法上師の『周異記』の説である。釈尊は周の第五主穆王満の第五十三年壬申に入滅せられたと云う。この説に依れば、その壬申歳より我延暦二十年辛巳(世紀八〇一年)に至るまで、一千七百四十九歳である。第二説は、長費房の『暦代三宝記』第一に記載せる説で、魯の『春秋』をも挙げてある。この説に依れば、釈尊入滅の歳は、周の第二十世の主、匡王斑の第四年壬子の歳であると云う。さればその壬子年から我延暦二十年辛巳歳までは、一千四百十年である。
これらの説によれば、当今は像法の最も末の時代に当たっている。即ち上に引用した『摩訶摩耶経』の説によれば、仏滅後千四百年には、四部の弟子達が猟師のようである云々とあるから、この時代の仏法の行事は、もう末法と同じなのである。されば『義林章』第六、『法華玄讃』第四等の説の如く、末法に至れば、但言教だけ残りて是を実習する所の行法なく、随って証を得るということはない。もし戒法の制定があるならば破戒というものはあるけれども、既にこの時代の衆生に対しては戒法の制定がない以上は、何の戒を破ることを破戒
(3-520)
と名づきょうぞ。破るべき戒法がないならば、破戒があろう筈はないのである。ちょうど禽獣は法律をもっておらない為に、彼等には破戒ということがないと同じことである。既に破戒さえないと云うならば、持戒も亦あろう筈はない。故に『大集月蔵経』第九には、「仏入滅の後には、戒を持たない人々が州〈くに〉にいっぱいになるであろう」云々と説いてあるのは、是が為である。
【余義】一。宗教学上に於いて、古より、肉食妻帯論が盛んに論義せられ。そしてその肯定はやがて時期相応の真宗の正意を発揚するものと考えられて来た。是は他宗の肉食妻帯を許さざるに対して真宗の著しい特色であり、又実際上一般在俗者と利行同事して、能くこの教えを弘伝するの効果を収めて来たことであるが、併しながら本宗に於いて特に肉食妻帯を論義するは、稍もすれば在家と出家とを根本的に区別するようになり、従ってその区別せられたる僧の肉食妻帯の理由という第二義的の論議、弁解的の論議に陥り易いことである。
我が聖人の上にありては、根本的に僧俗の区別を見ないのである。即ち僧とは、俗を棄てて出家修道をこととする者、俗とは家にありて家業を営む者と云うが如き習俗的の見解を
(3-521)
捨て、いやしくも外儀の姿に関わらず、道に進む者は皆僧である。そしてこれら末法の僧は、その外儀に就いては所謂在俗者と異なることはない。この在俗僧が末世の僧宝である。元より社会の階級上、末世に於いても在家出家の名義異なり、その生活様式の相違はあるにしても、それはほんの外面のことである。彼等の主要なる問題は信念の樹立である。そして云うまでもなくこの弘願他力の信心は在家出家、男女、善悪、賢愚、凡聖の区別を見ない。全く同一の念仏無別道故である。
我が聖人の宗教は是より外はない。「非僧非俗」と宣給い、自ら「愚禿」と名乗り給いし聖人の真意は、明かに従来の意味に於ける僧侶の型を破壊して、これらの外的な思想に因えられず、各人が一人一人深き内心の上に如来の本願力を感得することが、釈尊教化の本質であると確信せられたものである。
二。さりながらこの大聖の本旨は、長い間の時代の錆に覆われて、一般人に知ることが出来ない為に、教界の先進たる伝教大師の著書を引いて、末世の僧の行状を経論によって証明せられたのである。試みにその二三を挙ぐれば
「於将来世法欲滅尽時、当有比丘比丘尼於我法中得出家己手牽児臂
(3-522)
而共遊行彼酒家至酒家於我法中作非梵行(将来の世に於いては、法、滅尽せんとする時、まさに比丘比丘尼ありて我法中に於いて出家を得たるもの、己が手に児の臂を牽きて、共に遊び行きて彼の酒家より酒家に至り、我が法中に於いて非梵行を作す)」(『大悲経』の文)
「若有衆生為我法剃除鬚髪被服袈娑設不持戒、彼等悉已為涅槃之印所印也(もし衆生ありて我が法のために鬚髪を剃除し袈娑を被服して、たとい戒を持たずとも、彼等悉く已に涅槃の印の為に印せらるるなり)」(『賢愚経』の文)
等と無戒名字の比丘の行状を説き、
「然者、像季末法、不行正法、無法可毀、何名毀法無戒可破、誰名破戒(しかれば像季末法には、正法行われず、法として毀るべきなし、何をか毀法と名づけん、戒として破すべきなし、誰をか破戒と名づけん)」
という大師の語を引いて、全く在世正法時代の形式的の戒律を破っておる。即ちそれらは外面に因えられている一般人の謬見を破戒し去り、雲破れて自ずと清光を放つ明月を見せしめんと試み給うのである。末世にありては無戒の比丘を宝とするということは、一見罪を時代に嫁して、堕落僧を庇護するように聞えるけれども、これら経典の真意は左様ではなくして、時代の推移という不可抗の表面的事実を仮りて、教法の新精神を発揮せんが為である。言を換えて云えば、在世正法の戒法を盾に取りて僧の行状を非難せんとする人々に対して、何人もこの堕落時代に浮沈するでないかと、各人に自覚を促すのである。何人か時代の風潮に超然たりうるぞ。皆末世の子である。然るに身末世にありながら上代をもって今を非議するは自らを知らざるものである。是我が聖人が「末代の道俗、自が能を思量
(3-523)
せよ」と疾呼し給う所以である。我が聖人をもってすれば、上引の経文の如きは、徒に無戒の僧を庇護するものにあらずして、釈尊がこれら「名字の僧を讃じて、世の福田と為し給う」(『十輪経』の文)所以のものは、教法の真意と実益とは、決して時代の推移や、行儀の衰頽によりて隠没するものでない。そこに末世相応の教法があると教え給うと見られたのである。彼の『大経』の「独留此経止住百歳(ひとりこの経を留めて止住すること百歳ならん)」は全くこの意味に外ならぬ。
三。釈尊出世の本懐は、上述の如き僧俗一致の教法にありとすれば、肉食妻帯問題の如きは、全く月前の蛍ほどの価値なきものである。故に聖人は特にこの問題を提げて論議することを避けられた。否全く問題にならなかったのである。『化巻』上の文に、
「信に知りぬ。聖道の諸教は、在世正法の為にして、全く像末法滅の時期に非ず。已に時を失い、機に乖ける也。浄土真宗は、在世正法像末法滅濁悪の群萌斉しく悲引し給う也」
かかる類文は数うるに遑あらずである。『歎異鈔』初めには
「弥陀の本願は、老少善悪の人をえらばれず、ただ信心を要とすと知るべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに、悪をも恐るべからず、弥陀
(3-524)
の本願をさまたぐる程の悪なきがゆえにと云々」
かように「本為凡夫(もと凡夫のため)」の宗教が成立せられてある上は、大小聖人重軽悪人、皆斉しく如来の弘誓に乗ずるばかりである。この弘誓は信ずることが重要である。是を主とすれば、その衣食住等の一切の生活はそが為の所業となる。法然上人の『和語灯録』に云わく
現世の過ぐべき様は、念仏の申されんように過ぐべし。乃至聖で申されずば妻を儲けて申すべし。妻を儲けて申されずば、聖で申すべし。乃至衣食住の三つは念仏の助業なり。
この文は肉食妻帯の根本義を道破しておるのである。恵空師の『叢林集』第六に云わく
譬如毒薬在人手中不害傷人、菩薩雖在愛欲中持智慧不入悪道、譬如群国多積糞穢有益稲田茶園菩薩雖在愛欲中益於天上天下(譬えば毒薬の人の手の中に在て人をそこなわざるが如し、菩薩、愛欲の中に在りといえども、智慧を持ち悪道に入らず、譬えば群国多く糞穢を積みて稲田茶園に益あるが如し、菩薩、愛欲の中に在りといえども天上天下を益す)(『遺摩尼経』)
雖有妻子常修梵行(妻子ありといえども常に梵行を修す)(『浄名経』)
これらの文は、皆大乗菩薩の生活をよく語っておるのである。さればとて元より大乗菩薩は必ず肉食妻帯せねばならぬというのではない。それらの如何に関せず道に入ることが至要なのである。『和語灯録』に云わく
人々後世のことを申しけるについて、往生は魚食せぬものこそすれという人あり、或は
(3-525)
魚食するものこそすれという人あり、とかく論じけるを、上人ききたまいて、魚くうもの往生せんには、鵜ぞせんずる。魚くわぬものせんには、猿ぞせんずる。くうにもよらず、くわぬにもよらず、ただ念仏もうすもの、往生はするぞと、源空はしりたるぞと仰せられける云々。
是は肉食に就いての教示であるが、妻帯も是と異なることはない。これを要するに生活様式や伝習風俗等に障えられぬ本願の一道を信ずることが第一の問題であって、その他の問題は、この大道の意義を闡明〈あらわ〉す上に於いて必要であると云うに過ぎない。即ち単に教義の説明するばかりでなく、それら各種の生活様式は、具体的に信者の信念を表現すことである。然るに後人は、これらの根本を知らずして、徒に聖人の肉食妻帯を否難するか、又は無暗にそれを讃美するのである。謗る者は在世正法の僧の行状をもって律せんとし、讃るものは実人生に適当であるという。何れも皮相に拘泥んで、その精神を逸しているのである。
四。聞く所によれば、西派、某法主、一派の学者を集めて聖人の肉食妻帯の意義を諮問せられると、多くの人は皆夫々の見解を述べ、「末世の機相に同ずる」「時機純熟の大法たることを知らせんが為」とか、「肉食妻帯は一宗の旗幟である」等という。然るに碩徳
(3-526)
の聞えある老僧は黙然としておる。法主は名を呼んで意見を述べよという。老僧答えて「恐れながら我が聖人は、肉食妻帯をもって慙愧に堪えぬことと御思召されたことと存じまする」云々。法主は大いに嘆賞せられたとのことである。この碩学の一語の中に限りない法味が籠っていると思う。これらの具体的の事柄は殊に実習身読の外はないのである。
第三科 破持僧の事を彰わす(四重問答)
問 諸経律中 広制破戒 不聴入衆。破戒尚爾 何況無戒。而今重論末法 無戒。豈無瘡 自以傷哉。
答 此理不然。正・像・末法 所有行事 広載諸経。
内外道俗 誰不披諷。豈貪求自身邪活 隠蔽持国之正法乎。但今所論末法 唯有名字比丘。此名字為世真宝。無福田。設末法中 有持戒者 既是怪異 如市有虎。此誰可信。
【読方】問う、諸経律の中にひろく破戒を制して衆に入ることをゆるさず。破戒なお爾なり。いかにいわんや無戒をや。而るにいま重ねて末法を論ずるに戒なし。あに瘡なくして自らもって傷まんや。答、この理しからず。正像末法の所有の行事、ひろく諸経にのせたり。内外の道俗たれか披諷せざらん。あに自身の邪活を貪求して持国の正法を隠蔽せんや。ただしいま論ずるところの末法には、ただ名字の比丘のみあらん。この名字を
(3-527)
世に真宝とせん。福田なからんや。たとい末法の中に持戒あらば、すでにこれ怪異なり。市に虎あらんがごとし。これたれか信ずべきや。
【字解】一。邪活 邪なる手段によりて生活を営むこと。僧侶が道心なくして利養の為に法を説いて衣食を獲ること。『智度論』第十九に五種の邪命をあぐ。一、利養の為に詐りて奇特(相)を現ず。二、利養の為に自ら功徳を説く。三、利養の為に吉凶を占う。四、利養の為に高声に威を現し人をして畏敬せしむ。五、利養の為に得る所の供養を称讃し、人の心を動かす。
【文科】第一重問答、末法無戒説に就いて。
【講義】問う、諸の経典、律部等に破戒の者は仏教の衆団に入ることが出来ないということを広く説いてある。破戒でさえ尚その様に禁止してある。況や無戒に至っては申すまでも無いことである。即ち破戒ということは、兎に角戒の何たるを認めてそれを守らんとしたのであるから、よしや幾度も破った所が、尚持戒の分野に足を入れておるものである。然るに無戒といっては、まるで禽獣の如く、戒に対しては全く盲目的の否定をしているものである。然るに今末法時代に於ける比丘のなすべき行事を論定して、無戒が比丘の行事であるとするのは、さながら傷のない者が、「私は少しも傷まぬ」というようなもので、それはもう根本から云うに及ばぬことである。無傷のものには薬の必要はない。薬ということを思
(3-578)
い出すこともせないのである。即ち無戒が比丘の真面目であるならば、比丘という名を要せず、随って教団へ入るとか入らぬとかいう問題さえもない筈であるまいか。
答う、そう一概に論ずることは出来ない。上にも引用したように、正像末時代に於ける比丘の行事は諸経に多く説いてある。これは仏法の信奉者であるなしに係らず。一般の出家在家の人々の披き見る所である。それであるから今私が末法の行事を述べたのも、唯この経説に順うたので、強ち自身の法はずれの邪な生活を貪り求める為に、勝手な理屈を並べて、近くは一身を守り、進んでは一国の護持ともなるべき如来の律法を隠蔽〈おおいかく〉すことを致そうぞ。即ちこの経説は決して難問のように、無意義なものでなく、能く時勢の潮流の真相〈ありさま〉を道破して、それに順じて教法の真意義を知らせん為に外ならぬことである。事実として上来論じて来ったように、末法の今の時には、唯無戒名字の比丘だけではないか。この名ばかりの比丘を以て世の真宝となすのである。そは世界全体が堕落しているのであるから、この名字の比丘を外にしては、他の福田がないからである。故にもし末法の時代に持戒の者があると云うならば、それは寧ろ恠異なことで、市場に虎がおると云うが如く、誰も信ずる道理はない。
(3-529)
問 正・像・末事 已見衆経。末法名字 為世真宝 出聖典。
答『大集』第九云 譬如真金為無価宝 若無真金者 銀為無価宝。若無銀者 鍮石・偽宝為無価。若無偽宝 赤白銅・鉄・白錫・鉛為無価。如是一切世間宝 仏法無価。
若無仏宝者 縁覚無上。若無縁覚 羅漢無上。若無羅漢 余賢聖衆以無上。若無余賢聖衆 得定凡夫以為無上。若無得定凡夫 浄持戒以為無上。若無浄持戒 漏戒比丘以為無上。若無漏戒 剃除鬚髪 身箸袈裟名字比丘 為無上宝。比余九十五種 異道 最為第一。
応受世供 為物初福田。何以故 破能身衆生 所怖
畏故 有護持養育 安置是人 不久得忍地。{已上経文}
此文中有八重無価。所謂如来[像] 縁覚・声聞及前三果 得定凡夫 持戒・破戒・無戒名字 如其次 名為正・像・末之時 無価宝也。
初四正法時 次三像法時 後一末法時。由此明知 破戒・無戒 咸是真宝。
【読方】問、正像末の事すでに衆経にみえたり。末法の名字を世の真宝とせんこと何の聖典にいでたりや。答、大集の第九にいわく。たとえば真金を無価の宝とするがごとし。もし真金なくば銀を無価のたから
(3-530)
とす。もし銀なくば鍮石偽宝を無価とす。もし偽宝なくば赤白銅鉄白鑞鉛錫を無価とす。是のごとく一切世間の宝のうちに、仏宝無価なり。もし仏宝なくば縁覚無上なり。もし縁覚なくば羅漢無上なり。もし羅漢なくば余の賢聖衆をもって無上となす。もし余の賢聖衆なくば、得定の凡夫をもって無上とす。もし得定の凡夫なくば、浄持戒をもって無上とす。もし浄持戒なくば、漏戒の比丘をもって無上とす。もし漏戒なくば、剃除鬚髪して身に袈娑を著たる名字の比丘を無上の宝とす。余の九十五種の異道に比するにもっとも第一とす。世の供をうくべし。物の為のはじめの福田なり。何を以ての故に。能く衆生の怖畏するところを示すがゆえに、護持養育してこの人を安置することあらん。久しからずして忍地をえん。已上経文。この文の中に八重の無価あり。いわゆる如来と縁覚、声聞および前三果、得定の凡夫、持戒、破戒、無戒名字、その次第のごとく、正像末のときの無価の宝とするなり。はじめの四は正法の時、つぎの三は像法の時、のちの一は末法の時なり。此によりて明かに知んぬ、破戒無戒ことごとくこれ真宝なることを。
【字解】一。鍮錫偽宝 鍮錫は石薬をもって赤銅を煉ったもの。故に金宝の真宝に対して偽宝という。
二。[テツ02] 鐡鉄の古文字。
三。得定凡夫 色界の四種定(初禅天定乃至四禅天定)無色界の四種定(空処天定、識処天定、無所有天定、非想非々想処天定)を修得したる凡夫のこと。
四。福田 仏及び僧のこと。仏僧に供養すれば、福徳を生ずること田地の穀物を生ずるようであるから
(3-531)
この名あり。
五。忍地 小乗にては見道に入る前の加行位、[ナン02]〈煖〉、頂、忍、世界一法の四善根を起こす位。大乗にては、三賢位(十住、十行、十回向)の入口のこと。要するに不退位に入る前の位をいう。
【文科】第二重問答。末世の無戒名字の比丘を真宝とする一段。
【講義】問う、正像末の三時代に於ける比丘の行事に就いては、已に衆の経典に見えたが、末法の無戒名字の比丘が世の真宝であるということは、聖典に根拠があるか。
答う、『大集月蔵経』第九に云く、譬えば真金をもって無価宝〈このうえないたから〉としても、もしその真金のない場合には、銀をもって無価宝とする。もし銀がなければ鍮石偽宝を無価宝とする。もしこの偽宝のない時は、赤白の銅、鉄、白鑞、鉛、錫をもって無価宝とする。かように一切世間の宝の中に於いて、仏の教法は無価宝である。されどもし仏宝のない時は、縁覚が無上の宝である。縁覚の居らぬ時は、羅漢が無上の宝である。もし又羅漢の居らぬ時は、預流、一来、不還等の前三果の聖者達が無上の宝である。もし又これらの聖者達が居らぬ時は、四禅八定等の禅定の出来る凡夫が無上の宝である。もしこれらの得定の凡夫の居らぬ時は、浄戒を守っている人を無上の宝とする。もしこの浄持戒の人が居らなければ
(3-532)
破戒の比丘を無上の宝とする。もしこの破戒の比丘がなければ、唯鬚髪を剃りて身に袈娑を着けているだけの名ばかりの比丘を無上の宝とするのである。而もこの無戒名字の比丘でも、仏教以外の九十五種の外道に比ぶれば、最も勝れていて、其れ等の中の第一位に位するものである。即ち世間から供養を受ける資格がある。一般の人々の為には最初の福田である。何故かと云えば、この無戒名字の比丘と雖も、能く人々の為に、人間として尤も怖畏るべき事柄を知らせているからである。其れ故にこの名字の比丘を供養して、護持〈まも〉り、養育〈そだ〉て、僧として敬う人があるならば、その人は久しからずして初果を獲るの前の忍地を得ることが出来るであろう。已上は経文である。
上の『大集経』の文の中に、八重の無価宝がある。所謂第一如来、第二縁覚、第三声聞、及び第四羅漢果の前三果の聖者、第五禅定に達している凡夫、第六持戒の比丘、第七破戒の比丘、第八無戒名字の比丘である。その次第の如く正像末の三時に於いて無価宝である。即ち初めの如来より第四の三果の聖者までは正法、第五得定の凡夫より第七破戒の比丘までは像法、終り第九の無戒名字の比丘は末法である。今これらを上の譬に配当して図示すれば
(3-533)
挿図 yakk3-534.gif
八重の真宝
┌如来────────金────┐
│縁覚────────銀────┼─正法─┐
│声聞(羅漢)────鍮石偽宝─┤ │
│前三果の聖者────赤白銅──┘ ├─三時
│得定の凡夫─────鉄────┐ │
│持戒の比丘─────白鑞───┼─像法─┤
│破戒の比丘─────鉛────┘ │
└無戒名字の比丘───錫──────末法─┘
此れによりて破戒無戒の比丘と雖も、時代によりては咸く真宝であることが明かに知られることである。
問 伏観前文 破戒名字 莫不真宝。何故 『涅槃』『大集経』 国王大臣 供破戒僧 国起三災 遂生地獄。破戒尚爾 何況無戒。而爾如来 於一破戒 或毀 或讃。豈一聖之説 有両判之失。
答 此理不然。『涅槃』等経 且制正法之破戒。非 像・末代之比丘。其名雖同 而時有異。随時 制許。是大聖旨破。於世尊 無両判失。
【読方】問、伏して前の文をみるに、破戒名字真宝ならざることなし。何がゆえぞ涅槃と大集経に国王大臣破戒の僧を供すれば、国に三災おこり、ついに地獄に生ず。破戒なお爾なり。何にいわんや無戒をや。しかるに如来一の破戒において、あるいは毀りあるいは讃〈ほ〉む。あに一聖の説両判の失あるや。答、この理しからず。涅槃等の経に、しばらく正法世の破戒を制す。名おなじと雖も、しかも時に異なりあり。時にしたがいて制許す。これ大聖の旨なり。世尊において両判の失ましまさず。
【字解】一。三災 水災、火災、兵災の称。
【文科】第三重問答。名字比丘を末世の真宝とするに就いて、異文通釈。
【講義】問う、謹んで前文を見るに、破戒の比丘も、持戒の比丘も、皆真宝であることが解りました。然るにどういう理由で『涅槃経』北本第三『大集月蔵経』第二十五に「国王、大臣にして、もしも破戒の僧を敬いて供養するならば、その国に水災、火災、兵災の三災起こり、現世にかくの如き苦難を受けるのみならず、未来に遂に地獄に堕するであろう。破戒の比丘を供養してさえその通りである。況や無戒比丘に於いては尚更である」と説かれてあるのか。さすれば如来は一の破戒の比丘に対して、或る時は毀り、或る時は讃〈ほ〉め給うと
(3-535)
いうことになる。唯一人の大聖釈尊として、かように一つの事を全く異なった両様に批判せらるるという過失のあろう筈がない。この理由いかに。
答う、それは質問の踏み出しが違うている。問いのような理筋ではないのである。即ちその『涅槃経』等の説は、正法時代の破戒に対して禁止せられた文である。従って像末二時代の比丘に就いて仰せられたものではない。破戒の名は三時に通じて異なりはないが、各時代に応じて内容が異うているのである。即ち如来はその時代に応じて禁戒を設け給う。是が大聖世尊の旨趣である。一事に別種の批判を加えられた訳ではない。
問 若爾 以何知 『涅槃』等経 但制止正法所有破戒 非 像・末 僧。
答 如所引『大集』所説 八重真宝 是其証也。皆為当時 無価故 但正法時 破戒比丘 穢清浄衆。故仏固禁制不入衆。所以然者 『涅槃』第三云 如来今以無上正法 付嘱諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼{乃至}
有破戒 毀正法者 王及大臣四部衆 応当苦治。如是王臣等 得無量功徳。{乃至} 是我弟子 真声聞也 得福無量。{乃至}
如是制文法 往往衆多。皆是正法所明之制文。非像・末教。所以然者 像
季・末法 不行正法 無法可毀。何名毀法。
無戒可破 誰名破戒。又其時大王 無行而可護。由何出三災 及於失戒慧。又像・末 無証果人。如何 明被聴護 二聖。故知 上所説 皆約 正法世有持戒時 有破戒故。
次 像法千年中 初五百年 持戒漸減 破戒漸増。雖有戒行而無証果。
【読方】問う、もし爾らば何を以てかしらん。涅槃等の経はただ正法所有の破戒を制止して、像末の僧にはあらずと。答う、引くところの大集の所説の八重の真宝のごとし。これその証なり。みな時にあたりて無価なりとす。かるがゆえにただし正法の時の破戒の比丘は清浄衆をけがす。かるがゆえに仏かたく禁制して衆にいれず。然るゆえは涅槃の第三にのたまわく。如来いま無上の正法をもって諸王、大臣、宰相、比丘、比丘尼に付属したまえり。乃至 戒を破り正法を毀るあらば、王および大臣四部の衆まさに苦治すべし。かくのごときの王臣等無量の功徳をえん。乃至 これわが弟子なり。真の声聞なり。福をうること無量ならん。乃至 是のごとき制文の法、往々衆多なり。みなこれ正法を明かすところの制文にして像末の教にあらず。しかるがゆえは像季末法には正法を行ぜざれば、法としてそしるべきなし。何をか毀法となづけん。戒として破すべきなし。誰をか破戒となづけん。またその大王、行として護るべきなし。何によりてか三災をいだし、および戒慧を失せんや。また像末時には証果の人なし。如何ぞ彼に二聖に聴護せらるることを明かさん。かるがゆえに知んぬ。
(3-537)
かみの所説はみな正法の世に持戒あるときに約して破戒あるがゆえなり。つぎに像法千年の中に、はじめの五百年には持戒ようやく減じ、破戒ようやく増せん。戒行ありといえども而も証果なきがゆえに。
【字解】一。四部衆 四衆、四輩、四部弟子ともいう。仏の四種の弟子。比丘、比丘尼、優婆塞(清信士)、優婆夷(清信女)。
【文科】第四重問答、『涅槃経』の制戒は像末の僧に及ばずという事を論定する一段。
【講義】問う、もし説の如くであるとするならば、何によりて、その『涅槃経』等の説は、唯正法五百年間に於ける所有〈あらゆる〉破戒の比丘を戒められたもので、像末二時代の僧に及ばぬということを知ることが出来るか。
答う、其れは上に引いた『大集経』に説かれてある八重の真宝によりて知ることが出来る。あの文がその証拠である。即ち其れ等の宝は、その時代時代に於いて無価宝〈このうえないたから〉であるからである。然るに正法時代に於ける破戒の比丘は、清浄に戒を持ち、道を修めている比丘衆を穢す恐れがある。それ故に如来は堅くこの破戒の僧を禁制して教団の中に入れ給はぬ。その所以〈わけがら〉は、『涅槃経』北本第三に言わく、如来は今無上正法を、諸々の王並びに大臣宰相、及び比丘比丘尼に付属〈おゆずり〉になった。乃至 戒律を破り又は正法を毀〈やぶ〉るものがあるならば、仏教の外護者たる国王大臣、及び比丘、比丘尼、清信士、清信女の四部の弟子達は、当に苦〈ねんごろ〉にその迷いの病を治すが
(3-538)
よい。是の如くするならば、その国王大臣等の人々は、無量功徳を得るであろう。乃至 このような人にして初めて我弟子である。真の声聞である。功徳を獲ること無量であろう。乃至
このような破戒禁止の文は、経典の至る所に多く見ることが出来る。これらは皆正法時代に明かされたる制止の文である。像末に通ずる教えでない。その所以は、像法、末法の二時代には、正法を実の如く修行する者がないから、実の所教がないと云わねばならぬ。即ち無い法を毀〈そし〉ることは出来ない。されば毀法とか謗法とか名づけられるものはないのである。又既に実の如く戒を持つものがないとすれば、戒はないと云わねばならぬ。さすれば破るべき戒もないのに誰を名づけて破戒の比丘と云おうか。又その時の国王大臣にしても、護らなかった理由で三災に逢うとか。戒行と智慧を失うということがあろう筈がない。又修道の人に就いて云えば、像法末法の時には、証果を開く人がないのであるから、その時の国王大臣が預流果、乃至 阿羅漢果の聖者の教法を聞き、そしてそれらを保護するということを、釈尊の仰せらるる筈はない。この理由によっても、上の『涅槃経』等の文は、皆正法の時代に於いて、正しく持戒堅固の時に破戒あることを云われたことは明らかである。
次に像法一千年の中、初めの五百年の間は、戒を持つ人次第に減じ、戒を破る者が漸次増
(3-539)
してくる。即ちこの時代は証〈さとり〉に入るの方便たる戒行はあるけれども、機根が衰えている為に証果を得ることが出来ないのである。かように終局の目的を果たすことが出来ないことを目撃す。故に、修道の比丘達は、望みを失うて、道を捨てるに至るのである。
故『涅槃』七云 迦葉菩薩白仏言 世尊 如仏所説 有四種魔。若魔所説及仏所説 我当云何而得分別。有諸衆生 随逐魔行。復有随順仏説者 如是等輩 復云何知。
仏告迦葉 我涅槃七百歳後 是魔波旬 漸起 当頻 壊我之正法。譬如猟師身 服法衣。魔波旬亦復如是。作比丘像・比丘尼像・優婆塞・優婆夷像 亦復如是。{乃至}
聴 諸比丘 受畜 奴(卑)・僕使・牛・羊・象・馬 乃至銅鉄釜錫 大小銅盤 所須之物 耕田・種(植)・販売。市易 儲穀米。如是衆事 仏大悲故 憐愍衆生皆聴畜。如是経律悉是魔説 云云。
既云七百歳後 波旬漸起。故知 彼時比丘 漸貪畜八不浄物。作此妄説 即是魔流也。此等経中明指年代 具説行事。不可更疑。其挙一文 余皆準知。
次像法後半 持戒減少 破戒巨多。
【読方】涅槃の七にのたまわく、迦葉菩薩、仏にもうして言さく、仏の所説のごときは、四種の魔あり、もし魔の所説および仏の所説、我まさに云何してかしかも分別することを得べき。もろもろの衆生魔行に随逐するもあらん。また仏説に随順するものあらん。是の如きらの輩またいかんが知らとん。仏、迦葉につげたまわく、われ涅槃して七百歳の後に、これ魔波旬ようやく起こりて、まさに頻りにわが正法を壊すべし。たとえば猟師の身に法衣をきるがごとし。魔波旬もまたまたかくのごとし。比丘像、比丘尼像、優婆塞、優婆夷像とならんこと、またまたかくのごとし。乃至 もろもろの比丘、奴婢、僕使、牛羊、象馬、乃至銅鉄釜[フク01]、大小銅盤所須のものを受畜し、耕田種植販売市易して穀米をもうくることをゆるす。かくの如きの衆事、仏大悲のゆえに衆生を憐愍して、皆これを蓄わうることをゆるさんと。是の如きの経律はことごとくこれ魔説なりと云々。すでに七百歳の後に波旬ようやく起こらんといえり。かるがゆえに知んぬ。かの時の比丘、ようやく八不浄物を貪蓄せん。この妄説をなさん。すなわちこれ魔の説なり。これらの経の中に明らかに年代をさして具に行事を説けり。さらに疑うべからず。且く一文を挙ぐ。余みな准知せよ。つぎに像法の後半は、持戒減少し破戒巨多ならん。
【字解】一。四種魔 通常は五蘊魔、死魔、煩悩魔、天魔を指せども、ここでは魔の経律のことにて、これを二魔とし、更にこの魔経魔律を持〈たも〉つ人を二魔として、四種魔とす。
二。八不浄物 僧家に貯えてはならぬ八種の物。一、田宅園林。二、生類(草木)を種植えること。三、
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穀帛を貯積すること。四、人僕を畜養すること。五、禽獣を養繋すること。六、銭宝貴物。七、氈褥釜[カク01]。八、衆の金飾床、諸々の重物。
【文科】『涅槃経』によりて仏滅後七百歳の僧儀を示し給う。
【講義】『涅槃経』初めに云く、迦葉菩薩、釈迦牟尼仏に申すよう。世尊よ、世尊の御説法によりますれば、仏道を妨げる魔に四種類のあるとのことでありまするが、これらの悪魔の説と、正しい仏説を、どうして区別したら宜しいでしょうか。又多くの衆生が、悪魔の説に惑わされて、悪魔の行に随うものと、或は又仏説に随順うものとがありましょうが、これらの両者の区別をどうしたら知ることができるでありましょう。仏、迦葉菩薩に告げ給うよう。我涅槃の雲に隠れて後七百年にして、天魔漸く勢いを逞しくして、頻りに我正法を壊るであろう。その有様を譬えれば、猟師が身に法衣を服て僧となり済まして愚民を誑〈だま〉すようなもので、彼の天魔は、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の姿を装うて、衆生を魔道に陥れるであろう。乃至
その説く所を云えば、諸々の比丘が、奴婢、僕使を雇い、牛羊、象馬等の家畜を飼養し、乃至銅鉄の釜[カク01]、大小の銅盤等様々の必要品を備え、又田畑を耕し、種を植え、或は市場に行きて販売をなして穀米を儲けること等の様々の俗事に就いては、仏は実に大慈悲をもっ
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て、衆生を憐愍み給うものであるから、これらの事を皆比丘達に御許し下さることである云々。かような教説や戒律は、悉く天魔の説である云々。
既にこの経文に「仏滅七百年の後に、天魔が漸く勢いを逞しくする」と説いてあるから、その時代の比丘が教団に禁ぜられてある八不浄物を漸次に貯えるようになったことが解る。かように戒律を犯しながら上の如き妄説を作りて自分の犯罪を隠さんとするのである。即ち是魔説である。これらの経典の中には、明らかに「七百年」等と年代を明記して具に比丘の行事を説いてあるから、疑うべからざるものである。今はその一例を挙げたのみである。その余の事例はこれに准じて知って貰いたい。これ実に像法時代の有様である。
次に像法千年の後半は、持戒の比丘が減って、破戒の比丘が益々多くなって行く。
故『涅槃』六云{乃至}
【読方】涅槃の六に云わく 乃至
【文科】『涅槃経』北本第六の文を指示し給う。
【講義】故に『涅槃経』北本第六に云く。乃至
ここには経文を略してあるが、その文の大意を挙げれば、毒樹迦羅林の中にたった一本の薬樹鎮頭迦樹があ
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った。そしてこの両樹の実はよく似ていて区別がつかない。実は熟する頃、一人の女ありて両樹の落ちた実を拾うて市に売ったが、その中に薬樹の実はほんの十分の一もない程であった。然るに無智の小児達はこの実を購い喰いて命を失うた。智人達はこの女に、御前は何処からこれらの果実を拾うて来たのかと問えば、女はありし処をいう。彼等はこれを聞いて、それはとんでもないことじゃ、彼処の林は毒樹迦羅林に満たされている。薬樹鎮頭迦はほんの一本しかないのである云々。八不浄法を持っている衆の比丘の中に浄戒を保つ比丘のいる有様は恰もこのようである、云々。
又『十輪』言 若依我法 出家造作悪行。此非沙門 自称沙門亦非梵行自称梵行。如是比丘 能開示一切天・竜・夜叉 一切善法功徳伏蔵 為衆生善知識。雖不少欲知足 剃除鬚髪被箸法服。以是因縁故 能為衆生 増長善根。於諸天・人開示善道。乃至破戒比丘 雖是死人 而戒余才(力?) 如牛黄。此雖死而人故取之。亦如麝香 後有用 云云。
既云 迦羅林中 有一鎮頭迦樹。此喩 像運已衰 破戒濁世僅有一二持戒比丘。
又云 破戒比丘雖是死人 猶如麝香死而有用。為衆生善知識。明知 此時 漸許破戒 為世福田。
同前『大集』。
次像季後 全是無戒。仏知時運 為済末俗 讃名字僧 為世福田。
【読方】また十輪にのたまわく、もしわが法によりて出家して悪行を造作せん。これ沙門にあらずして、みずから沙門と称し、また梵行にあらずして、自ら梵行と称せん。かくの如きの比丘、よく一切天、龍、夜叉、一切善法功徳伏蔵を開示して、衆生の善知識とならん。少欲知足ならずといえども、剃除鬚髪して法服を被著せん。この因縁をもっての故に、よく衆生のために善根を増長せん。もろもろの天人において善道を開示せん。乃至破戒の比丘これ死せる人なりと雖も、しかも戒の余才(力?)牛黄のごとし。この牛死せりと雖も、而も人ことさらにこれを取る。また麝香の死して後に用あるがごとしと云々。すでに迦羅林の中に一の鎮頭迦樹ありといえり。これは像運すでに衰えて破戒濁世にみち、僅かに一二持戒の比丘あらんに喩うるなり。
又いわく、破戒の比丘これ死せる人なりと雖も、なおし麝香の死して用あるがごとし。衆生の善知識となること、明かに知んぬ。この時ようやく破戒を許して世の福田とす。前の大集におなじ。つぎに像季の後はまったくこれ戒なし。仏、時運をしらしめて末俗を済〈すく〉わんがために、名字の僧をほめて世の福田としたまえり。
【字解】一。十輪 『大方広十輪経』の略称。訳者の名を逸す。この文は第三証相品中に出ず。新
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訳は玄奘の『地蔵十輪経』である。大乗の六度等種々の法門を説く。
二。牛黄 牛の一種、死後薬品に用いらる。
三。鎮頭迦樹 迦羅迦樹のこと。黒果と訳す。果実は柿の実に似ているという。
【文科】『十輪経』の二文によりて、末世無戒名字の比丘を福田であると示し給う。
【講義】又『大方広十輪経』第三に言く、もし我が教法に従うて出家しながら、而も出家にあるまじき悪行をなす者があろう。これらの沙門は、沙門たるの資格を備えておらぬにも係らず沙門と自称し、亦清浄な行いでもないものを、清浄行であると云うておるのであろう。
併しかような比丘でも、一度出家して仏法を学んだ上は、能く天龍、夜叉等八部のあらゆる善法、功徳、及び隠れている功徳の宝を開示して、衆生の善知識となるであろう。欲少なに足ることを知ること、戒法堅固の知識ならずとも、鬚髪を剃り法衣を身に纏う為に、それが因縁となって衆生の為に菩提の善根を増長しめ、諸々の天人の為に証に赴かしめる善道を開示することである。乃至、破戒の比丘は、云わば死人のようなものであるけれども、而もあの牛黄が死んだ後も薬品として故〈ことさら〉に大切にするように、又麝香が死後その香りの為に
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珍重せられるようにこの破戒の比丘も、一度戒法を受けた為にその余力として、尚衆生の為に功徳を施すに至るのである、云々。
上の『涅槃経』の文には、迦羅林の中に僅かに一の鎮頭迦樹があると説いてある。是は像法の運勢漸く衰えて、破戒の比丘世に瀰蔓〈はびこ〉る濁悪世に、僅かに一二の持戒の比丘があることを譬えたものである。
又云わく「破戒の比丘は死人と択〈えら〉ぶことはないが、なお麝香が死後、人の役に立つように、衆生は善知識となる」というのは、仏、明かにこの像法時代には破戒を許して世に福田とし給うことが知られるのである。それは前に引用した『大集経』の説と一致している。
次に像法の末期からは全く戒というものはない。仏はこの時代の大勢を知らしめ、末世の在俗を済わんが為に、無戒名字の比丘を讃じて、世に福田であるとせられたのである。
又『大集』五十二云 若後末世 於我法中 剃除鬚髪 身箸袈裟名字比丘 若有壇越 捨於(施)供養 得無量福。
又『賢愚経』言 若壇越 将来末世 法乗欲尽 正使蓄妻 侠子 四人以上名字僧衆 応当礼敬 如舎利弗・大目連等。
又云 若打罵破戒 無知身着袈裟 罪同出万億仏身血。若有衆生 為我法剃除鬚髪被服袈裟 設不持戒 彼等悉 已涅槃為印之
所印也。{乃至}
【読方】また大集の五十二にいわく。もし後の末世にわが法の中において、剃除鬚髪し、身に袈娑を著たらん名字の比丘、壇越ありて捨施供養をなさば、無量の福をえん。また賢愚経にのたまわく、もし壇越ありて将来末世に法乗つきんとせんに、たとい妻を蓄え、子を挟〈わしばさ〉んとも、四人以上の名字の僧衆まさに礼敬せんこと舎利弗大目連等のごとくすべし。又のたまわく、もし破戒、無知の身に袈娑を著たるものを打罵せん罪は、万億の仏身より血をいだすに同じからん。もし衆生ありて、わが法のために剃除鬚髪し、袈娑を被服せん。たとい戒をたもたずとも、彼等はことごとくすでに涅槃の印のために印せらるるなり。乃至
【文科】『大集経』『賢愚経』によりて末世無戒名字の比丘の功徳を述べ給う。
【講義】又『大集月蔵経』第二十に云く、末法の時節に於いて我教法を奉じて鬚髪を剃り、身を袈娑に着ける無戒名字の比丘に対して、もし壇越が此れ等の比丘を懇ろに供養するならば、無量福徳を得るであろう。
又『賢愚経』に言わく、我教えを信ずる壇越は、末法の世に戒行衰え、衆生をして生死を出づる唯一の乗物たる仏法が滅びんとする時に、よしやその当時の比丘達が戒に背いて妻を
(3-548)
持ち、子を抱いても、これらの四人以上の破戒名字の僧を供養すること、さながら在世に於いて、舎利弗、目連等の大弟子を供養するように敬礼〈うやま〉うがよい。
又(『大集月蔵経』第八)云わく、人ありて袈娑を纏う比丘を罵言〈ののし〉り擲〈う〉つならば、よしやその比丘が戒を保つことが出来ず。又学問のない身でも、その罪は万億の仏身から血を出だすと同じであろう。それであるから、もし人ありて我が教法を信奉して鬚髪を剃り、袈娑を身に纏うならば、設い規定通りの戒行を保つことが出来ないにしても、彼等は皆涅槃に至るべき道を歩いているので、涅槃の印を持って印づけられているものである。乃至
『大悲経』云 仏告阿難 於将来世 法欲滅尽時 当有比丘・比丘尼 於我法中 得出家 己手牽児臂 而共遊行彼酒家至酒家。於我法中 作非梵行。彼等雖為酒因縁 於此賢劫中 当有千仏興出 我為弟子。次後 弥勒当補我所。乃至最後盧至如来 如是次第 汝応当知。阿難於我法中 但使性是沙門 **行自称沙門。形似沙門 尚有被着袈裟者 於賢劫 弥勒為首 乃至盧至如来 彼諸沙門 如是仏所 於無余涅槃 次第 得入涅槃。無有遺余。何以故** 如来一切沙門中 乃至一称仏名 一生信者 所作功徳 終不虚設。我以仏智 惻知法界故 云云{乃至}
【読方】大悲経にいわく、仏、阿難につげたまわく。将来世において、法滅尽せんと欲せんとき、まさに比丘比丘尼ありて、わが法の中に於いて出家を得たらんもの、己が手に児の臂を牽きて、而もともに遊行して、酒家より酒家にいたらん。わが法の中において非梵行をなさん。かれら酒の因縁たりと雖も、この賢劫において一切みな般涅槃を得。この賢劫の中において、まさに千仏ましまして、興出すべし。我を第四となす。つぎにのちに弥勒まさに我所を補〈つぐ〉べし。乃至、最後盧至如来まで、かくのごとく次第に、汝まさに知るべし。阿難、わが法の中においてたとい性はこれ沙門にして沙門の行を汚し、自ら沙門と称せん。形は沙門に似て、当に袈娑を披着するものあるべし。賢劫の中において弥勒を首として、乃至盧至如来まで、かのもろもろの沙門、是のごときの仏の所にして、無余涅槃において、次第に涅槃に入ることをえて、遺余あることなけん。何を以てのゆえに。是の如く一切沙門の中に乃至一たびも仏の名を称し、一たびも信を生ぜん者の所作の功徳、ついに虚設ならじ。われ仏智をもって法界を測知するがゆえなりと云云。 乃至
【字解】一。『大悲経』五巻。随、天竺三蔵、那連堤黎耶舎、法智とともに訳。釈尊の涅槃、伝法付属、舎利供養等を説く。
(3-550)
二。非梵行 婬事等、凡て仏の制戒を破る行為。不浄の行のこと。
三。賢劫 賢人の多く出世する劫法〈とき〉のこと。この現在の劫の名である。即ち一大劫(成、住、壊、空、各二十小劫あるから合わせて、八十小劫を含む)の中、この住劫(二十小劫)には多くの仏出世したまう。第九の小劫の人寿減じて五万歳の時、第一の拘留孫仏出世し、四万歳の時、第二の拘那含牟尼仏出世し、二万歳の時、第三の迦葉仏出世し、更に減じて人寿百歳の時、第四の釈迦牟尼仏出世し、第十の小劫の人寿八万歳の時に弥勒仏出世せらる。かようにこの現在の住劫の間に賢人出世する故にこの住劫を賢劫と称すと伝う。
【文科】『大悲経』によりて法滅時代の僧侶の威儀を示し給う。
【講義】『大悲経』に云わく、釈迦牟尼仏、阿難に仰せらるるよう、将来世の我が教法の滅尽〈ほろび〉んとする時、我が教法を奉じて出家した比丘、比丘尼達が、実の如く戒行を修めず、在家の人達と同じように、我が児の手を引いて酒楼より酒楼へ遊びまわり、出家の身として教法の中に入り浸りながら、婬事をなすであろう、彼等不浄の比丘は、かように酒色に耽っても悪因縁を醸しても、而もこの賢劫中には、一切皆涅槃に入るであろう。
即ちこの賢劫中に千仏相継いで出世し給うのであるが、その中我は第四の如来である。我に継いで出世する仏は弥勒である。弥勒仏は、当来この世に出で当に我が位を補〈おぎな〉うであろう。乃至番々出世の仏出世して最後に盧至如来まで、是の如く続くのである。汝よく是を会得せ
(3-551)
よ。
阿難よ、我が大法の中に於いて、本性だけの沙門にして、少しもそれが開発せられておらず、即ち戒行具〈ととの〉わず、沙門の行を汚し、自ら口に沙門であると云うているが、それはほんの名前だけである。而も形は真実の沙門に似て袈娑を身に纏うておる。これら名字の比丘と雖も、この賢劫中に出世し給う弥勒仏を首として乃至盧至如来に至るまで、何れか有縁の如来の教えによりて次第に無余涅槃に入りて涅槃するであろう。そして遺余〈あま〉す生死はないであろう。何故かと云えば、苟しくも仏教を奉じて出家した、一切の沙門に就いて云えば、修行を積み戒を守る者は云わずもがな、乃至下がりて一遍にても仏名を称え、又一度仏教を信じたものならば、その作す所の功徳はどこまでも虚設〈むだ〉とはならない。必ずそれが因縁となりて、終には涅槃を得るに至るのである。
我、仏智をもって、法界の不可思議なる道理を測り知った為に、この事が知られたのである。故に一度仏教に縁を結ぶならば、その人の行状の如何に関らず、必ず悟りを得るに相違ないのである云々。 乃至
(3-552)
此等諸経 皆指年代 将来末世名字比丘 為世尊師。若以正法時制文 而制末法世名字僧者 教・機相乖 人・法 不合。由此律云 制非制者 則断三明。所記説 是有罪。此上引経 配当已訖。
【読方】これらの諸経に、みな年代をさして、将来末世の名字の比丘を世の導師とす。もし正法のときの制文をもって、而も末法世の名字の僧を制せば、教機あい乖き、人法合せず。これによりて律にいわく、非制を制すれば、すなわち三明の記するところを断ず。説これ罪ありと、この上に経をひきて配当しおわんぬ。
【字解】一。三明 天眼明、宿命明、漏尽明の称。即ち如来の智慧を三方面より顕わせしもの。
【文科】上来広く末世名字の比丘僧を明かし来たったからここに結釈せらる。
【講義】これ等の諸経典には、皆年代を明記して、将来末法時代に於いては、無戒名字の比丘をもって、世間の導師とすることを説いてある。然るにもし正法の時節に須〈もち〉ゆべき戒律の制文をもって、末法に生まれた無戒名字の僧を律するならば、恰も病気に応じて調合せねばならぬ薬を、不用意に用いるように、薬は却って毒となる如く、教とそれを受ける機は相反発して、人と法と一つにならず、唯害ありて益がないことになる。これに由りて『四部律』第四十七に云く、制すべからざるものを制するならば、この制止は如来の智慧によりて
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記されたる制止の真意義を断滅するであろう。是は却って罪となるのである。
この故に戒律というものは、これを実際に施すには、よく機に応じなければならなぬということが知られる。以上経文を引いて、論旨に配当し訖〈おわ〉る
第四科 挙教比例(教を挙げて比例す)
後挙教 比例者 末法法爾 正法毀壊 三業無記。四儀有乖。且如 『像法決疑経』云。{乃至} 又『遺教経』云{乃至} 又『法行経』云{乃至} 『鹿子母経』云{乃至} 又『仁王経』云{乃至}
{已上略抄}
【読方】後に教をあげて比例せば、末法法爾として正法毀壊し、三業記しなし。四儀乖くことあらん。しばらく像法決疑経にのたまわうがごとし。乃至 また遺教経にのたまわく。乃至 また法行経にのたまわく。乃至 鹿子母経にのたまわく。乃至 また仁王経にのたまわく。乃至 已上略抄
【字解】一。像法決疑経 一巻。十五紙。失訳人。卍続蔵乙第二十三套第四冊所収。仏入滅の際、大涅槃を説かれし後、常施菩薩に対して、滅後十年の後、漸く非法起こるべしとて、僧俗の非法を挙げてこれを誡め、大慈布施を勧め給う。古来偽作としょうせらるるも、尊い教訓を載せてある。
二。遺教経 一巻。姚秦、羅什三蔵訳。具に『仏垂般涅槃略説教誡経』という。仏、宝算八十
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歳にして拘尸那迦羅の郊外なる双樹の間に入滅し給わんとする時、諸弟子の為に如来の滅後は戒を師として心を摂め五根を制し、少欲知足にして道を修めよと説かれたるものにして、慈意痛切を極む。
三。法行経 具には『観察諸法行経』四巻。隋天竺三蔵闍那崛多訳。無辺善方便品、先世勤相応品、乃至、授記品等、大乗諸法門を説く。
四。鹿子母経 『末法灯明記箋述』五十一右には法護訳とあれども、そは縮蔵宙六にある『鹿子経』のことにて、内容全く異なっている。尚同じく『箋述』に『法苑珠林』五十四の文を引いてある。縮蔵には『珠林』四十一巻である。『箋述』は明蔵に依ったらしい。その『樹林』の文に曰く「又十誦律云、鹿子母別請五百羅漢、仏言、無智不善、若於僧中次請一者者、得大功徳果報利益勝別請五百羅漢一切遠近無不悉聞(また十誦律に云わく、鹿子母、五百羅漢に別請す、仏言わく、無智不善、もし僧中において、ついでに一者を請ずれば、大功徳果報利益を得。五百の羅漢を別請すれば一切遠近、悉く聞かざるに勝る)」云々。『鹿子母経』の訳者巻数等不詳、或はこの『十誦律』の一段を名づけしものにあらざるか。
五。仁王経 二巻。唐不空三蔵訳。具に『仁王護国般若波羅蜜多経』という。序品。観如来品、菩薩行品、二諦品、護国品、不思議品、奉持品、属累品の八品より成る。日本に於いては寛治の頃、本経によりて七難消滅の祈祷を修す。是を仁王経法という。
【文科】在世正法の教えを挙げて末法の教えに比較する一段である。
【講義】後に在世正法の教を挙げて末法の教えと比較するならば、抑もこの末法に於いて正法
(3-555)
衰滅し毀壊〈こわた〉れ、修道者の三業調わずして記す価値なく、行住座臥の四儀乖いて、戒律全く廃ることは、偏に時運の然らしむる所で、誰の仕業でもないのである。
是は多くの経典に説かれてあるが、手近く二三の例を挙げれば、
『像法決疑経』には、この経には檀家が供養しても敬意がない。全く不実の心である。云々と説く。
『遺教経』には、乗騎除斎を説く、即ち一日馬に乗れば、五百日の持戒の功徳を失うという。正法時代の厳しい制戒である。
『法行経』『鹿子母経』には、檀越の人々が特別に招待供養することの非法を説いたのである。即ち別請戒のことである。是も在世正法の制戒である。
『仁王経』には、立統破禁を説く。即ち僧の位官を立てることを誡めてある。
かように正法の教えは異なっておるのである。但し時代が変わり、機教の分斉が異なりても、仏法の真髄は三時に一貫して変わることはないのである。
第四章 真偽決判と異執誡誨
【大意】前章に於いて聖浄二門の対弁を了えたから、本章に於いて、広く経論釈を的証して、外道の邪偽を砕き仏道の正真を明かし給う。
第一節は総じて真偽決判を標し、第二節経文証として第一項『涅槃経』、第二項『般舟三昧経』、第三項には『日蔵教』の文を引く。第三項中、第一科は星宿品にして星宿四時の運行等に関する信仰的解決を与え、第二科念仏品には魔女の帰仏を詳説し、第三科護塔品には、魔王の帰仏を説く。更に第四項には『月蔵経』の文を引き、第一科第二科には諸悪神の帰敬をとき、第三科に諸天王の仏教護持を広説し、第四科には諸天王に大法を付属し給うを明かす。第五科は諸魔の帰敬、第二科は諸天に対する大法護持の仏勅を説き、第七、第八科には修道者護持の仏勅を明かす。
更に第五項『首楞厳経』以下第十一項『仏本行集経』まで七個の経文を引いて、占相、祈寿、呪詛等の邪偽を斥けて、正法を明かし給う。
第三節には論文証として『起信論』を引いて修道の魔障を示し。
第四節には釈文証として第一項『弁正論』を引いて、広く道教と仏教を比較対論して、仏教の正道たることを証せらる。第二項『法事讃』第三項『法界次第』以下第九項『往生要集』の文まで、八文を引い
(3-557)
て外道の邪説を毀ちて帰三宝を説き給う。
第五節には外典の代表として『論語』の一文を引き、かくして本章終わる。波瀾万畳なれども秩序整然としている。
第一節 総標
- 夫拠諸修多羅 勘決真偽 教誡外教 邪偽異執者、
【読方】それもろもろの修多羅によりて真偽を勘決して外教邪偽の異執を教誡せば、
【文科】真偽決判を総標し給う。将に大風雨を捲き起こさんとする一点の黒雲にも譬うべし。
【講義】それ諸経典を根拠として、真実の教と虚偽の教を分別し決着して、仏教以外の諸々の邪偽なる見解を教え誡めるならば、
第三節 経文証
第一項 『涅槃経』の文
『涅槃経』言
- 帰依於仏者 終不更帰依
- 其余諸天神{略出}
(3-558)
【読方】涅槃経にのたまわく、仏に帰依せん者は終にまたその余のもろもろの天神に帰依せざれ。略出
【文科】以下広く引用せらるる諸経論の総序文ともいうべき北本『涅槃経』第八の文を引いて邪神の帰依を斥け給う。
【講義】『涅槃経』北本第八に言わく、大法に王たる仏に帰依する者は、決して仏以外の諸々の天神等の神々に帰依してはならぬ。もし仏以外の神々に帰依するならば、真に仏に帰依し奉ったとは云われぬ。
【余義】一。この下正しく外道天神等に帰依することの邪執を誡め、念仏の行者は、祈らずとても天地神明の影護を受けつつあることを証せられる。
この下の『六要』の釈はよく聖人の真意を闡明している。
「問う、天神地祇は世の貴ぶ所、何ぞこれを誡むるか。
答う、仏陀に帰するは釈教の軌範、神明を崇むるは世俗の礼奠、内外別なる故に法度この如し。是れ則ち月氏、晨旦の風教、崇むる所の神多く邪神なるが故に、三宝に帰依する者はこれに事〈つか〉うることを得ず。故に『倶舎』に云わく
「衆人、所逼を怖れて多く諸仙の園苑、及び叢林、孤樹、制多等に帰依す。この帰依は勝
(3-559)
にあらず、この帰依は尊に非ず、この帰依は依りて能く衆苦を解脱せず。」
乃至我が朝は是れ神国なり、王城の鎮守、諸国の擁衛諸大明神、その本地を尋ぬれば、往古の如来法身の大士、異域の邪神に相同じかるべからず。和光の素意本利物にあり、且は宿世値遇の善縁に酬い、且は垂述多生の調熟に依りて、今正法に帰して生死を出でんと欲す。その神恩を思うて忽諸〈ゆるがせ〉にすべからず。然りと雖も、一心一行を専らにせんと欲す、称念の決縁だも猶且つこれを閣くは一宗の廃立、大師の定判なり。乃至
別に念ぜずと雖もその利益を蒙る。故に弥陀を念ずれば、必ず諸仏菩薩の冥護を得、その垂迹たる天神地祇又本地の聖慮に違すべからず。」
『御文』二ノ十に「それ一切の神も仏と申すも、いまこのうる所の他力の信心ひとつを取らしめんがための方便に、もろもろの神、もろもろのほとけとあらわれたまういわれなればなり」も是と同意である。尚同じき一ノ九、二ノ二、三ノ一、『破邪顕正鈔』中、『持名鈔』末等にも委しくこの意を述べてある。更に『和語灯録』には
されば念仏を信じて往生を願う人は、殊更に悪魔を払わんが為に、よろずの仏神に祈りをもし、慎みをもすると、なにかはあるべきぞ。況や仏に帰する法に帰する人には、一切
(3-560)
の神も、恒沙の鬼神を眷属として、常にこの人を守り給うと云えり。乃至 我等が悪業深重なるを滅して、極楽に往生する程の大事をすら遂げさせ給う。ましてこの世にいく程ならぬ命をのべ、病を扶くる力ましまさざらんやと申すこと也。云々
は全くこの下の我が聖人の御意と一つである。
二。これを要するに祈福攘災は、我愛貪著の毒火から起る毒煙である。即ち上出の『倶舎論』の所謂災害、無常等の所逼を畏れて、現世の欲楽〈ねがい〉を満たそうとして神に祈るので、真実の帰依信頼ではない。諸神諸仏に追従もうす心に外ならぬ。そしてこの追従の対象になるものは、皆邪神淫祠である。故に彼等が如何に祈っても決してその苦しみを滅ぼさず、却って益々苦しみを増すのみである。それは通常の欲望生活と等しく渇いて鹹水を呑み、益々渇きを増すような道理である。是故にこの下に我が聖人は諸経論を引いて、諸天鬼神を拝んではならぬことを述べ、更に進んで日月星宿等の布列の意義に及び、これらの天地の現象は大自在天等の専制の邪神によりて起こるものにてはなく、全く信心の行者守護の為であると立証し信念の眼をもって見れば、森羅万象一として不可思議境の現象でないものはないと、真信仰の天地の融会無障碍なることを明し、最後に『起信論』によりて、「外道の所有の三昧は、
(3-561)
皆見愛我慢の心を離れず」等と結ばれた。
良に人心に於ける迷信の念は深い。釈尊の教団に於いても、比丘達はト占等をこととして制戒を浮けておる。当時の印度より支那日本の現代に亘りて、一般民衆の迷信は万古その姿を改めない。皆現世の欲楽の為に、真仏を拝し、福祉を祈っている。諸仏聖賢はこれをみそなわし、或る時はこの念を能く導いて正法に入らしめ、或る時はこの心を呵責して正法に入らしめ給うのである。
然るに一度正法に入りて心を仏地に樹つれば、一切の諸天鬼神は、祈らずとても日夜に影護し給う。『現世利益和讃』に
南無阿弥陀仏をとなうれば
四天大王もろともに
よるひるつねにまもりつつ
よろずの悪鬼をちかづけず。
願力不思議の信心は
大菩提心なりければ
(3-562)
天地にみてる悪鬼神
みなことごとくおそるなり。
等と仰せられたは是である。『歎異鈔』第七節には
「念仏者は無碍の一道なり。そのいわれいかんとなれば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報も感ずることあたわず。諸善も及ぶことなきゆえに無碍の一道なりと」云々。
は能くこの下の意義を簡勁に表わしているのである。この下『日蔵経』『月蔵経』を引いて広く諸天鬼神と仏教の関係を説き給う所以は、全くこの意味を広説せらるる外はないのである。
第二項 『般舟三昧経』の文
『般舟三昧経』言
優婆夷聞是三昧欲学者{乃至} 自帰命仏 帰命法 帰命比丘僧。
不得事余道 不得拝於天 不得祠鬼神 不得視吉良日。{已上}
又言
優婆夷欲学三昧{乃至} 不得拝天祠祀神{略出}
(3-563)
【読方】般舟三昧経にのたまわく。優婆夷この三昧をききて学せんと欲せば、乃至 自ら仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道に事うることをえざれ。天を拝することをえざれ。鬼神をまつることをえざれ。吉良日を視ることをえざれ。已上 又のたまわく、優婆夷三昧を学せんと欲せば、乃至 天を拝し、神を祠祀することをえざれ。略出
【文科】『般舟三昧経』の二文によりて外邪を誡め帰三宝wp明かし給う。
【講義】『般舟三昧経』に言わく、我が教えを奉ずる清信女よ、是の念仏三昧の謂われを聞いて、教えの如く会得せんと欲うならば、乃至 自ら進んで三宝に帰命するがよい。即ち仏に帰命し奉り、法に帰命し奉り、比丘僧に帰命し奉れ、信者の帰命する所は唯この三宝である。この一念帰命の所にあらゆる仏法の大海は信者の胸に生まれるのである。されば仏教以外の教えに奉事してはならぬ。大自在天、毘紐天等の天神を拝んではならぬ。諸々の怪しげな鬼神を祀ってはならぬ。又吉日良辰に心を用いて、縁起、占いをこととしてはならぬ。それらは徒なる偶像崇拝や庶物崇拝であって、我が心を邪神や自然物の奴隷とするのである。是は全く邪道である。
又同経に言わく、我が教えを奉ずる清信士にして、この念仏三昧を心に会得せんとするなら
(3-564)
ば、乃至 天神を拝み、鬼神を祠祀〈まつ〉ってはならぬ。
第三項 『日蔵経』の文
第一科 星宿品の文
『大乗大方等日蔵経』巻第八 魔王波旬星宿品第八之二言。
爾時佉盧虱吒 告天衆言 是諸月等各有主。
汝可救済四種衆生。
何者為四。
救地上人諸竜、夜叉、乃至蝎等如。
斯之類、皆悉救之。
我以安楽諸衆生故 布置星宿。
各有分部乃至模呼羅時等。
亦皆具説。随其国土方面之処 所作事業、随順増長。
佉盧虱吒 於大衆前合掌説言 如是安置日月年時大小星宿。
何者名為有六時也。正月二月名〓暖時。三月四月名種作時。五月六月求降雨時、七月八月物欲熟時、九月十月寒涼之時。十有一月合十二月大雪之時。
是十二月分為六時。
又大星宿其数有八。所謂歳星・熒惑・鎮星・太白・辰星・日・月・荷羅睺。
星又小星宿 有二十八。所謂従昴至胃 諸宿是也。我作如是次第安置 説其法已。
汝等皆須亦見亦聞。一切大衆 於意云何。我所置法 其事是不。
二十八宿及八大星所行諸業 汝喜楽不。為是為非。宜各宣説。
爾時一切天人・仙人・阿修羅・竜及緊那羅等 皆悉合掌 咸作是言。
如今大仙於天人間最為尊重。乃至諸竜及阿修羅 無能勝者。
智慧・慈悲最為第一。於無量劫不忘 憐愍一切衆生故 獲福報 誓願満已 功徳如海。
能知過去・現在・当来一切諸事 天人之間 無有如是智慧之者。
如是法用 日夜・刹那及迦羅時 大小星宿月半・月満・年満・法用 更無衆生 能作是法。
皆悉随喜 安楽我等。善哉大徳 安穏衆生。
是時佉盧虱吒仙人 復作是言 此十二月一年始終 如此方便。大小星等 刹那時法 皆已説竟。
【読方】大乗大方等日蔵経巻八、魔王破旬星宿品第八の二にのたまわく。そのときに[カ04]盧虱吒〈かるしつた〉、天衆につげていわく。このもろもろの月等、おのおの主儻あり。なんじ四種の衆生を救済すべし。何者をか四とする。地上の人、諸龍、夜叉、乃至蝎等を救けん。斯くのごときの類、みな悉くこれを救けん。我もろ
(3-566)
もろの衆生を安楽するをもってもゆえに星宿を布置す。おのおの分部乃至摸呼羅の時等あり。また皆具にとかん。その国土方面の処にしたがいて、所作の事業随順し増長せん。[カ04]盧虱吒、大衆のまえにして、掌を合せて説きていわく、是のごとく、日月、年時、大小星宿を安置す。何者をか名づけて六時ありとするや。正月二月を暄暖時となづく。三月四月を種作時となづく。五月六月は求降雨時なり。七月八月は物欲熟時なり。九月十月は寒凍の時なり。十有一月十二月は合して大雪の時なり。これ十二月をわかちて六時とす。また大星宿そのかず八あり。いわゆる歳星、[ケイ11]惑、鎮星、太白、辰星、日、月、荷羅[ゴ02]星なり。また小星宿二十八あり。いわゆる昴より胃にいたるまでの諸宿これなり。我かくのごときの次第安置をなす。その法を説きおわんぬ。汝等みな須らく亦見また聞くべし。一切大衆、意において云何ぞ。我置くところの法、その事是なるや否や。二十八宿および八大星の所行所業、汝喜楽するや否や。是となすや非となすや。よろしくおのおの宣説すべし。そのときに一切天人、仙人、阿修羅、龍および緊那羅等みな、悉く掌を合せて咸くこの言をなさく、いま大仙のごときは、天人の間においてもっとも尊重とす。乃至諸龍および阿修羅よく勝れたる者なかん。智慧慈悲もっとも第一とす。無量劫において忘れず。一切衆生を憐愍するがゆえに、福報をえ、誓願みちおわりて功徳、海のごとし。よく過去現在当来の一切諸事を知るに、天人の間、是のごときの智慧の者あることなし。是のごとき法用、日夜、刹那および迦羅時大小星宿、月半、月満、年満の法用、さらに衆生よくこの法をなすことなけん。皆ことごとく随喜し安楽ならん。われよきかな大徳衆生を安穏す。このときに[カ04]盧虱吒仙人またこの言をなさく。この十二月一年始終かくのごとく方便す。
(3-567)
大小星等刹那の時法、みな已にときおわんぬ。
【字解】一。大乗大方等日蔵経 十巻。隋の世、印度三蔵、那連堤耶舎訳。『大法等大集経』中の日蔵分の異訳である。
二。波旬 梵語パーピーヤン(Papiyan) の音訳。悪殺生者と訳す。魔王の名、常に悪意を懐き、悪法を具え、修道者の心を擾し、慧命を断つことを性とす。
三。[カ04]盧虱吒 仙人の名、梵語驢唇と訳す。『日蔵経』第七によれば、劫初の時、某王の夫人婬蕩にして王の死後驢と交わりて、頭耳口鼻眼等悉く驢馬に似たる子を生み、これを厩に棄てたが、運よく羅刹婦が来りて雪山に連れていき、そこに養育していると、この童子、天童と遊び、形相前と異りて光明を放つに至ったが、唯唇のみ驢であった。そこで驢唇と呼ばれたというのである。そして是は釈尊の前生であるという。
四。摸呼羅 梵語須臾と訳す。玄奘訳。『倶舎論』には牟呼棄多と音訳す。同論第十二には百二十刹那を一恒刹那、六十恒刹那を一臘縛、六十臘縛を一牟呼栗多、三大牟呼栗多を一昼夜としてあり。
五。歳星 木星のこと。[ケイ11]星は火星のこと。鎮星は土星のこと。太白星は金星のこと。辰星は水星のこと。以上五星を五行星、又は五曜という。これに日月を加えて七曜といい、更に羅[ゴ02]星と計都星を加えて9曜という。
六。荷羅[ゴ02]星 暗障星と訳す。時に日月の光を障うる星と称す。上の七曜の一。暗曜のこと。古
(3-568)
は日月蝕をもって、この星の作用と考えたのである。
七。阿修羅 梵音アスラ(Asura)、非天と訳す。八部衆の一。衆相山中、又は大海の底に住みて、常に三十三天の諸天と戦う鬼神である。天部に似て天部でない為に非天の名あり。
八。龍 梵語ナーガ(Naga)、八部衆の一。仏教守護の龍神。もとは印度に住せる龍種族の蛇類崇拝の神話から起こったものらしい。人面身龍にして、頭に龍の冠を戴く。是に八大龍王(難陀龍王、跋難陀龍王、紗伽羅龍王、和修吉龍王、徳叉迦龍王、阿那婆達多龍王、摩那斯龍王、優鉢羅龍王)あり。
九。緊那羅 梵語キンナラ(Kinnara)、擬人、擬神と訳す。八部衆の一。人とも神とも定め難き歌舞をなす妖鬼、歌神、歌楽神、音楽の象徴らしい。
【文科】『日蔵経』星宿品の文を引いて天地星宿の運行を信仰的に解決し給う一段である。
【講義】『大乗大方等日蔵経』巻第八、魔王波旬星宿品第八五二に言わく、爾時劫初に於いて[カ04]盧虱吒仙ありて、諸々の天衆に告げて云うよう。
これら黒日白月等には各々主として司る所がある。今それを述べるに先だち、大体これらの星辰を何の為に配置したかを云うであろう。即ち是れ衆生の為である。故に汝等、四種の衆生〈いきもの〉を救済〈たすけ〉るがよい。四種の衆生とは何であるかと云えば、地上に棲める人間、諸々の龍、夜叉、蛇蝎をいう。これらの類を我は尽く救〈たすけ〉るであろう。我、これらの諸々の衆生を安楽に
(3-569)
して道に入らしめんが為に、天の星宿を布置〈おい〉たのである。これらの星辰は各々守るべき分野がある。乃至摸呼羅時等に至るまで、具に説き示すであろう。即ちそれら星辰はその配属せらるる国土及び夫々の方面の処に随うて、その作す所の事業がそれ相応に行われ、又益々増長てゆくのである。
かくして[カ04]盧虱吒仙人は、大衆の前に於いて、掌を合せ、意を調べて説いて云うよう。かように日月年時、大小の星宿を安置した。その中六時とは何であるかというに正月二月の両月を喧暖時〈あたたかいとき〉と名づけ、三月四月の両月を種作時〈たねまきどき〉と名づけ、五月六月の両月は求降雨時〈あめふりどき〉、七月八月は物欲熟時〈ものなるとき〉、九月十月は寒凍時〈さむきとき〉、十一月十二月は大雪時と名づける。かように十二月を分かって、六時となすのである。
又大星宿の数は八つである。所謂木星、火星、土星、金星、水星、及び日月星、荷羅[ゴ02]星である。又小星宿は所謂二十八宿にして昴から胃までの諸星である。
我、かように星宿の次第布列をなし、そしてその法則を説き已った。汝等須らくそれらを、面前〈まのあたり〉に見聞するがよい。此処に集まれる一切の大衆よ、我布列せるこれらの星宿の法則を是と思うや不や、これらの二十八宿及び八大星の運行、諸業を、汝等は喜楽とすや不や、是とする
(3-570)
か、非とするか、各自が思う所を述べるがよい。
爾時〈そのとき〉、一切天人、仙人、阿修羅、龍、及び緊那羅神等、皆一様に掌を合せて云うよう。大仙は良に天人の間に於いて尤も尊重〈とおとい〉御方にていらせられる。天人のみならず、諸龍、阿修羅にも大仙に勝れた者はない。その智慧もその慈悲も、第一に位し給う。無量劫の永い間一瞬間も一切衆生を憐愍み給うことを御忘れになったことはない。是悲智によりて福徳を獲給い、誓願は円に成就して、備え給う功徳は海の如く測り知ることが出来ない。又過去と現在と当来のあらゆる事柄を知り給うことも、天人の間に智慧を較〈なら〉ぶべき者は一人もない。かように広遠なる天の星宿〈ほし〉の法則、運行、及び日夜、刹那、及び迦羅時、大小星宿、月半(十五日まで)、月満(晦日まで)並びに満年(一年間)の法則、運行等は、大仙を外のしては誰もこれらの法則を知る者はない。それ故に皆悉く大仙の設けられた法則に随喜しておりまする。願わくば吾等をして安楽ならしめよ。大徳の衆生を安穏ならしめ給うことは、福〈さいわい〉なる哉。
是時、[カ04]盧虱吒仙人復言うよう。十二月一年の始終はかような方便〈しかた〉によりて施設した。又大小星宿等の運行、刹那時等の時間の建立等皆すでに説き竟った。
(3-571)
又復安置四天大王 於須弥山四方面所 各置一王。是諸方所 各領衆生。
北方天王 名毘沙門。是其界内 多有夜叉。
南方天王 名毘留荼倶。是其界内 多有鳩槃荼。
西方天王 名毘留博叉。是其界内 多有諸竜。
東方天王 名題頭隷吒。是其界内 多乾闥婆。
四方四維 皆悉擁護 一切洲渚及諸城邑。
亦置鬼神而守護之。
爾時佉盧虱吒仙人 為於諸天・竜・夜叉・阿修羅・緊那羅・摩睺羅伽・人・非人等 一切大衆皆称善哉 歓喜無量。
是時天・竜・夜叉・阿修羅等 日夜供養佉盧虱吒。
【読方】またまた四天大王を須弥山の四方面所に安置す。おのおの一の王をおく。この諸の方所にしておのおの衆生を領す。北方天王を毘沙門となづく。これその界の内におおく夜叉あり。南方天王を毘留荼倶となづく。これその界の内におおく鳩槃荼あり。西方天王を毘留博叉となづく。これその界の内におおくもろもろの龍あり。東方天王を題頭隷吒となづく。これその界の内に乾闥婆おおし。四方四維みなことごとく一切洲渚およびもろもろの城邑を擁護す。また鬼神をおきてしかもこれを守護せしむ。そのとき[カ04]盧虱吒仙人、衆生のために法を演説し已る。ときにもろもろの天、龍、阿修羅、緊那羅、摩[ゴ02]羅伽、人、非人等一切大
(3-572)
衆において、みな善哉と称して歓喜無量なることをなす。このときに天、龍、夜叉、阿修羅等、日夜に[カ04]盧虱吒を供養す。
【字解】一。四天大王 帝釈天王の外臣として四天王に居り、仏法を守護する四天の名、東方題頭頼吒天王(持国)。南方、毘留勒叉天王(増長)。西方、毘留薄叉天王(広目)。北方、毘沙門天王(多聞)の称。この四王の各々に麾下の八将あり、合して、三十二将軍を四天下に派して出家を守護す。故に護世の諸天とも称せらる。
二。鳩槃荼 厭眉鬼と名づく。人の精気を[タン03]〈く〉らう。亦冬瓜鬼ともいう。陰嚢とも名づけらる。蓋しその形陰嚢状を呈し、冬瓜に似る故なり。或は曰く、この鬼の陰嚢甚だ大きく。常に腕の上に擔いて歩く故にこの名ありという。
三。摩[ゴ02]羅 梵音マホーラガ(Mahoraga)、大腹行、大蠎神と訳す。大蠎〈うわばみ、おろち〉のこと。八部衆の一。
【文科】星宿品の文によりて仏法守護の四天王配置を説く。
【講義】更に進んで説かん。これらの外に四天王を須弥山の四方面に安置した。即ち一方面に各々一王を配置した。これらの諸王は、この四方所の各々に於いてその衆生を統理するのである。北方の天王を毘沙門天(多聞天)と名づく、その領分に多くの夜叉鬼がある。南方の天王を毘留荼倶(増長天)と名づく、その領分に多くの鳩槃荼鬼がいる。西方の天王を毘留博叉(広目天)と名づく、その領分内には多くの諸龍がある。東方の天王を題頭隷吒(持国天)
(3-573)
と名づく、その領分内には乾闥婆神がいる。かくの如く四方四維に亘りて、一切の洲渚〈くに〉及び諸の城邑〈まちむら〉を擁護〈まも〉っている。亦この外に鬼神を置いて守護せしめるのである。
爾時、[カ04]盧虱吒仙人が衆の為に演説し已ると、これらの諸天、龍、夜叉、阿修羅、緊那羅、摩[ゴ02]羅伽、人、非人等の一切の大衆は、皆善哉と喜びの言葉を発して歓喜び極みなき有様であった。かくてこれらの天龍、夜叉、阿修羅等は、日夜にこの威徳広大なる[カ04]盧虱吒を供養し奉った。
次復於後過無量世 更有仙人 名伽力伽。
出現於世 復更別説 置諸星宿 小大月法 時節要略。
爾時 諸竜在佉羅坻山聖人住処 尊重恭敬光味仙人。
尽其竜力 而供養之{已上抄出}
【読方】次にまた後に無量世をすぎてまた仙人あらん。伽力伽となづく。世に出現してまたさらに別して、もろもろの星宿、小大月の法、時節要略をときおかん。
そのとき諸龍、[カ04]羅[テイ06]山聖人の住処にありて、光味仙人を尊重し、恭敬せん。その龍力をつくして
(3-574)
しかもこれを供養せん。已上抄出
【文科】星宿品の文によりて未来の星宿等の配置を説き給う。
【講義】次に復、後の世無量世を過ぎて、伽力伽と名づくる仙人ありて出世し、更に復星宿、小大月の法則、時節の要略を説くであろう。
以上は釈迦仏の勅命によりて雪山の香味仙が、仏力によりて征伏せられたる諸龍に対する説法であるが、これらの説法を聞いた諸龍は、[カ04]羅[テイ06]山聖人の住処におって、件の光味仙人を尊重〈とお〉び恭敬〈うやま〉い、あらゆる龍力を傾けて供養し奉った。
第二科 念仏品の文
『日蔵経』巻第九 念仏三昧品第十言
爾時波旬 説是偈已 彼衆之中 有一魔女 名為離暗。
此魔女者 曾於過去植衆徳本。
作是説言 沙門瞿曇 名称福徳。若有衆生 得聞仏名一心帰依 一切諸魔於彼衆生 不能加悪。
何況 見仏 親聞法人 種種方便 慧解深広{乃至}
設千万億一切魔軍 終不能得須臾為害。
如来今者 開涅槃道。女欲往彼帰依於仏。
即為其父 而説偈言{乃至}
- 修学三世諸仏法 度脱一切苦衆生
- 善於諸法得自在 当来願我還如仏
爾時 離暗説是偈已 父王宮中五百魔女 姉妹眷属 一切皆発菩提之心。
是時魔王 見其宮中五百諸女 皆帰於仏発菩提心 益大瞋忿怖畏憂愁{乃至}
是時五百諸魔女等 更為波旬而説偈言
- 若有衆生帰仏者 彼人不畏千億魔
- 何況欲度生死流 到於無為涅槃岸
- 若有能以一香華 持散三宝仏法僧
- 発於堅固勇猛心 一切衆魔不能壊{乃至}
- 我等過去無量悪 一切亦滅無有余
- 至誠専心帰仏已 決得阿耨菩提果
爾時魔王聞是偈已 倍大瞋恚・怖畏 煎心憔悴・憂愁独坐宮内。
【読方】日蔵経第九念仏三昧品第十にのたまわく。その時に波旬この偈をときおわるに、かの衆の中にひとり魔女あり。なづけて離暗とす。この魔女はむかし過去において、もろもろの徳本を植えたりき。この説をなしていわく、沙門瞿曇はなづけて福徳と称す。もし衆生ありて仏名を聞くことをえて、一心に帰依せん。一切の諸魔、かの衆生において悪を加うることあたわず。いかにいわんや仏を見たてまつり、親〈まのあ〉たり法をきかん人、種々に方便し慧解深広なるをや。乃至 たとい千万億の一切魔軍、ついに須弥も害をなすことを得
(3-576)
ることあたわず。如来いま涅槃道をひらきたまえり。女かしこに往きて仏に帰依せんと欲うて、即ちその父の為にしかも偈をときていわく。乃至 三世の諸仏の法を修学して、一切の苦の衆生を度脱せん。よく諸法において自在をえ、当来に願わくば我かえりて仏のごとくならんと。そのときに離暗この偈をときおわるに、父の王宮の中の五百の魔女姉妹眷属一切みな菩提の心を発せしむ。このときに魔王その宮のうちの五百の諸女みな仏に帰して菩提心を発せしむるを見るに、益々おおきに瞋忿怖畏憂愁す。乃至 このときに五百のもろもろの魔女等、また波旬の為にしかも偈をときていわく。もし衆生ありて仏に帰すれば、かの人千億の魔におそれず。何にいわんや生死の流れを度して、無為涅槃の岸にいたらんと欲するをや。もしよく一香華をもって三宝仏法僧に持散することありて、堅固勇猛の心をおこさん。一切の衆魔、壊することあたわじ。乃至 われら過去の無量の悪、一切また滅して余あることなけん。至誠専心に仏に帰したてまつりおわらば、さだめて阿耨菩提の果をえんと。そのときに魔王、この偈をききおわりて、倍す大いに瞋恚怖畏し、心をこがし、憔悴憂愁してひとり宮内に坐す。
【字解】瞿曇 梵音ゴータマ(Gotama or Gautama)、瞿曇、喬答魔はその音訳である。地最勝と訳す。釈尊の通称。当時外道を初め一般の人々は、この名をもって釈尊を呼んだ。もとこの名は釈迦種族の先祖が奉仕したる仙人の名であったのを、一族の姓としたのである。
【文科】念仏品によりて魔女の帰仏乃至慴怖を明かす。悪道外道の仏道に帰依することを示すのである。
【講義】『大集日蔵経』巻第九、念仏三昧品第十に言わく、爾時悪魔波旬が偈を説き終わる已る
(3-577)
と、魔女の中から一魔女が現れた。彼女は魔女波旬の娘で離暗と名づけらる。この魔女は過去諸々の功徳を積んだのであるが、今やその宿善開発して帰仏の念を起した。進んで申すよう。
沙門瞿曇(釈尊の通称)の尊き名は四方に聞え、そして限りない福徳を具えていらせられる。もし衆生ありて、如来の御名を聞くことが出来て、一心に帰命し奉るならば、一切悪魔もその一人に対して少しも害悪を加えることが出来ない。況やまのあたり仏を見奉り、親しく教法を聞いた人が、種々の修行を積み、広くして深い智慧を得ておる人に対しては尚更のことである。乃至 即ちよしや千万億の魔軍がどこ迄も障碍を加えても、ほんの須臾も害を与えることは出来ないのである。
その時、釈迦如来は菩提樹下に於いて涅槃の大道を知見せられた。件の魔女、彼処に赴きて如来に帰依し奉らんと欲い、即ち父の魔王の為に偈を説いて申しよう。乃至
過去現在未来の諸仏の教法を修学〈おさ〉めて、一切苦悩の衆生を度脱〈すく〉わん。かくて我は善く心内心外一切の諸法を支配する自在力を獲るであろう。当来〈のちのよ〉願わくば我も如来の如く証りを得ん。
魔女離暗の誓願はかような広大なものであった。この偈を説き了る時、父王の宮中にあ
(3-578)
る姉妹眷属の五百の魔女達は、悉く共に大菩提心を発すに至った。魔王はそれら五百の魔女達が如来に帰依して、菩提心を発すを見て、大いに瞋念〈いか〉り、怖畏〈おそ〉れ、憂愁〈うれ〉えた。乃至
是時件の五百の魔女はまた魔波旬の為に偈を説いていう。
もし衆生ありて、一度如来に帰命し奉る心を起こすならば彼の人、如来と心を一にしている為に、千億の魔も畏れることはない。況や生死輪回の流れを越えて、寂静無為の涅槃の岸に至らんと欲〈ねが〉う大菩提心の人にありては尚更である。
故にもし一茎の香華を仏法僧の三宝に捧げてその四辺〈あたり〉に散らし、堅固〈かた〉き勇猛〈いさま〉しい求道の心を発すならば、一切衆魔もこの人の心を壊ることは出来ない。乃至 我等が過去に作りし無量悪業も、この菩提心を発すことによりて一切消滅して、少しも残ることはないであろう。至誠〈まごころ〉を篭め、心を専らにして如来に帰命し奉ったことである。されば決定して無上正真道を得るであろう。
爾時、魔王この偈を聞きて倍〈ますます〉大いに瞋恚〈いか〉り大いに怖畏〈おそ〉れ心を煎がし、憂愁〈うれ〉え憔悴〈やつ〉れ孤影悄然として宮殿の中に坐した。
(3-579)
是時 光味菩薩摩訶薩 聞仏説法一切衆生尽離攀縁 得四梵行{乃至}
【読方】このときに光味菩薩摩訶薩、仏の説法をききて一切衆生ことごとく攀縁をはなれ四梵行をえしむ。乃至
【字解】一。攀縁 煩悩の異名。猿が木の枝を飛び回りて暫らく休むことなきように、外境に転ぜられて静平を保つことの出来ない精神作用をいう。
二。四梵行 慈、悲、喜、捨の四浄行を指す。
【文科】星宿品により聞法の得益を明し給う。
【講義】この時、光味菩薩(上に諸龍の供養を受けた光味仙人のこと)大菩薩が、真実に如来の法を聞いたことによりて、一切の衆生は尽く煩悩を離れ、慈、悲、喜、捨の四浄行を体得するに至った。乃至
応浄洗浴 着鮮潔衣 菜食長斉 勿噉辛臭。
於寂静処 荘厳道場 正念結跏 或行或坐 念仏身相 無使乱心。
更莫他縁 念其余事。或一日夜 或七日夜 不作余業。
至心念仏 乃至見仏。小念見小 大念見大。乃至無量念者 見仏色身無量無辺{略抄}
【読方】きよく洗浴し、鮮潔のころもを着て、菜食長斎して辛く臭きもの[タン03]〈くら〉うことなかるべし。寂静処にして道場を荘厳し、正念結跏し、あるいは行じあるいは坐して、仏身の相を念じて、乱心せしむることなかれ。さらに他縁し、その余の事を念ずることなかれ。あるいは一日夜、あるいは七日夜、余の業をなさざれ。至心念仏すれば乃至仏をみたてまつる。小念は小をみたてまつり、大念は大をみたてまつる。乃至無量の念は、仏の色身の無量無辺なるをみたてまつる。略抄
【字解】結跏 結跏趺坐のこと。左の脚を右の股の上におく坐相。
【文科】念仏品によりて思惟修行の方軌を明かし給う。
【講義】当に身体をを洗浴〈あら〉い、煩悩の垢を除いた鮮潔衣(袈娑のこと)を纏い、菜食を取り長く斎を持〈たも〉ちて、五辛等の臭き食物を取る勿れ。寂静なる山林に居を占めて、修道の場に荘厳〈おごそか〉にし、念〈おもい〉を正しくして結跏趺坐し、労〈つか〉るれば経行〈あゆ〉み、歩みては坐し、如来の身相を観念〈おもいうか〉べて心を乱さず、他事〈よそごと〉を念〈おも〉う勿れ。
かくの如くして一日一夜、或いは七日七夜に亘りて余業を作さず、心を一つにして念仏し奉れば、やがて仏を見奉るであろう。小声の念仏は小仏を見、大声の念仏は大仏を見奉る。乃至無量の大念仏は無量広大なる仏身を見奉るであろう。
(3-581)
第三科 護塔品
『日蔵経』巻第十 護塔品第十三言
時魔波旬 与其眷属八十億衆 前後囲遶 往至仏所。
到已 接足頂礼 世尊説如是偈{乃至}
- 三世諸仏大慈悲 受我礼懺一切殃
- 法僧二宝亦復然 至心帰依無有異
- 願我今日所供養 恭敬尊重世導師
- 諸悪永尽不復生 尽寿帰依如来法
時魔波旬 説是偈已 白仏言 世尊如来於我及諸衆生 平等無二心 常歓喜 慈悲含忍。
仏言 如是。
時魔波旬 生大歓喜 発清浄心。重於仏前接足頂礼 右遶三匝 恭敬合掌却住一面 瞻仰世尊 心無厭足{已上抄出}
【読方】日蔵経第十護塔品第十三にのたまわく。ときに魔波旬、その眷属の八十億衆と前後に囲遶して仏所に往至す。到りおわりて接足して世尊を頂礼したてまつり。是の如きの偈をとく。乃至 三世の諸仏の大慈悲、わが一切の殃〈つみ〉を礼懺するをうけたまえ。法僧二宝もまたまたしかなり。至心帰依したてまつるに異あることなし。願わくばわれ今日、世の導師を供養し恭敬し尊重したてまつる所なり。諸悪ながく尽してまた生ぜじ。寿をつくすまで如来の法に帰依せんと。ときに魔波旬この偈をときおわりて、仏にもうして言さ
(3-582)
く。世尊如来、我および、もろもろの衆生において平等無二の心にして、つねに歓喜し慈悲含忍したまえ。仏、如是とのたまう。時に魔波旬、大歓喜を生じて清浄心をおこして、かさねて仏前にして接足頂礼し、右に遶ること三匝して、恭敬合掌して却〈しりぞ〉きて一面に住して、世尊を瞻仰したてまつる。心に厭足なし。已上抄出
【字解】一。含忍 含は含むこと。摂受すること。忍は堪え忍ぶこと、罪を厭わず、慈悲をもって忍受すること。故に含忍は摂受哀愍の意味である。
【文科】護塔品の文によりて魔王の帰仏乃至魔王生浄心を明かし給う。
【講義】『日蔵経』巻第十、護塔品第十三に言わく、その時に悪魔波旬は、八十億の魔の眷属を吾前後に囲遶せしめ、釈迦牟尼仏の御許〈みおと〉に詣で、頂をもって世尊の御足に接けて礼拝し奉り、かくの如き偈を説いた。乃至
三世諸仏の大慈悲を心とし給う世尊よ、我心からなる礼拝を受けさせ給え。我いま仏に対〈むか〉い奉りて一切の殃〈わざわい〉を懺悔し奉る。仏とともに法僧二宝にも懺悔いたしまする。この三宝に至誠心をもって帰依し奉るに、些しの異心もありませぬ。我今日供養し奉り、恭敬〈うやま〉い尊重〈とうと〉びまつる人天の大導師世尊よ、願わくば我あらゆる罪悪を永く滅尽〈ほろぼ〉して復と再び起らぬようにせしめ給え。永劫の末かけて如来の大法に帰依し奉る。
(3-583)
時に悪魔波旬、この偈を説き了りて、更に世尊に申すよう。如来世尊は私はじめ一切の衆生を平等にして変わりなき心にて見〈みそな〉わし給う。願わくば常に歓喜と大慈悲心をもって吾等を摂受哀愍し給え。
仏、如是如是と魔波旬の申し出でを印可し給うと、波旬大いに歓喜〈よろこ〉びて、法悦に浸り、清浄心を起こして重ねて仏前に進みて、頂を仏足に接けて敬礼し奉り、右に遶ること三度、更に恭敬の念をもって掌を合せ、却〈しりぞ〉いて一方に坐し、子の母を愛念〈おも〉うようにしげしげと世尊の容顔を仰ぎまつりて[エン14]〈あ〉くことを知らぬ有様であった。已上抄出
第四項 『月蔵経』の文
第一科 諸悪鬼神得敬品上の文
『大方等大集月蔵経』巻第五 諸悪鬼神得敬信品第八上言
諸仁者 於彼遠離邪見因縁 獲十種功徳。
何等為十。一者心性柔善 伴侶賢良。
二者信有業報 乃至奪命 不起諸悪。
三者帰敬三宝 不信天神。
四者得於正見 不択歳次日月吉凶。
五者常生人天 離諸悪道。
六者得賢善心明 人讃誉。
七者棄於世俗 常求聖道。
八者離断・常見 信因縁法。
九者常与正信・正行・正発心人共 相会遇。
十者得生善道。
以是遠離邪見 善根廻向 阿耨多羅三藐三菩提。
是人速 満六波羅蜜 於善浄仏土而成正覚。
得菩提已 於彼仏土 功徳・智慧・一切善根 荘厳衆生。
来生其国 不信天神 離悪道畏 於彼命終 還生善道{略抄}
【読方】大方等大集月蔵経巻第五、諸悪鬼神得敬信品第八の上にのたまわく。もろもろの仁者、かの邪見を遠離する因縁をおいて十種の功徳をえん。何等をか十とす。一には心性柔善にして伴侶賢良ならん。二には業報あることを信じて、乃至奪命にももろもろの悪をおこさず。三には三宝を帰敬して天神を信ぜず。四には正見をえて歳次日月吉凶をえらばず。五にはつねに人天に生じてもろもろの悪道をはなる。六には賢善の心あきらかなることをえ、人讃誉す。七には世俗をすててつねに聖道をもとむ。八には断常の見をはなれて因縁の法を信ず。九にはつねに正信、正行、正発心の人とともにあい会〈あつま〉りあわん。十には善道に生ずることをう。この邪見を遠離する善根をもって、阿耨多羅三藐三菩提心に回向せん。この人すみやかに六波羅蜜を満せん。善浄仏土にしてしかも正覚をならん。菩提を得おわりて、かの仏土にして功徳智慧一切善根衆生を荘厳しその国に来生せしむ。天神を信ぜず、悪道の畏れを離れて、かしこ
(3-585)
にして、命終して、かえりて善道に生ぜん。略抄
【字解】一。断常見 断見、常見のこと。断見とは、有情死すれば、断滅し生ずることなしという見解にて、因果の理を知らぬ妄見である。常見とは、世界は永久不変、我が身も死すれば再び生まれて無窮に今の状態にて相続すると執する妄見。これを有(常)無(断)の二見とも称す。通常は上の如く解釈すれども、要するに人生観上の謬れる積極、消極の両極端主義にて、この二つの思想の範疇の中に、あらゆる内容を盛ることが出来るのである。
二。六波羅蜜 六度。大乗修道者の行。布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧。
【文科】得敬品の文によりて、離邪の益を示し給う。
【講義】『大方等大集月蔵経』巻第五、諸悪鬼神得敬信品第八の上に言わく、釈尊大衆に告げ給うよう、諸仁者〈なんじら〉よ、もし邪の見解を棄てるならば、十種の功徳を獲るであろう。十種の功徳とは何、
一には、心性おのずと柔軟になりて、善良思〈よきおもい〉に満たされ、従って賢良なる伴侶〈とも〉と交わるようになる。二には、一切の事柄は因果の道理に従うことを知る故に、我と業報に支配せらるることを信ずる。故に小は日常の些少事を慎むが、乃至命を奪わるとも、諸々の罪悪を造ることはない。三には仏法僧の三宝を信じ敬う為に、天神を信じない。四には、仏法の因
(3-586)
果法に順う正しい見解をもっている為に年月日の吉凶福徳という如き迷信に煩わされることはない。五には、命終わるとも三悪道へ堕ちず、常に人間天上界に生を禀ける。六には、明らかなる智慧と善良なる心をもっている為に人々に讃誉〈ほめ〉られる。七には、心の行くべき真実の一道が見える為に、人間天上の世俗事に執着せず、常に仏道を求めてやまぬようになる。八には、思想の両極端とも云うべき、単なる否定の考えたる断見、単なる肯定の考えたる常見の両悪見を離れて、諸法因果の道理を信ずるに至る。九には、常に正しい信念と、正しい修道と、正しい見解の人々を友として、互に相集まりて尊い会合をなす。十には、善良なる智慧を生むことが出来る。
衆生にして一度邪見を離るれば、かくの如き功徳を獲るのであるが。この善根を挙げて、賤しい欲情の満足等に須いずして、無上菩提を得んことを求めて、回向すれば、この人は速やかに六度の行を円に成就し、その住する国土は宛然にして善浄の仏土になり、そこには正覚を成じ、真智を得るであろう。かくしてその仏土に於いて如来の功徳智慧等のあらゆる善根を具えて、一切衆生を教化し、衆生をしてその国に生まれしめるであろう。彼等衆生はその教化に浴して、横暴なる偶像的な天神を信ぜず。又悪道に堕するの畏れを離れて、その国に命終わる
(3-587)
とも、悪道に堕することなく、人天等の善趣に生じて、更に無上菩提に進むであろう。略抄
第二科 諸鬼神得敬品下の文
月蔵経巻第六諸悪鬼神得敬信品第八下言仏出世甚難法僧亦復難衆生浄信難離諸難亦難哀愍衆生知足第一難得聞正法難能修第一難得知難平等於世常受楽此十平等処智者常速知 乃至
爾時世尊於彼諸悪鬼神衆中説法時於彼諸悪鬼神衆中彼悪鬼神昔於仏法作決定信彼於後時近悪知識心見他過以是因縁生悪鬼神 略出
【読方】月蔵経巻第六、諸悪鬼神得敬信品の第八の下にのたまわく。仏の出世はなはだ難し。法僧もまたまた難し。衆生の浄信もかたし。諸難をはなるることまたかたし。衆生を哀愍することかたし。知足第一にかたし。正法をきくことを得ることかたし。よく修すること第一にかたし。難を知ることを得て、平等なれば、世において、つねに楽をうく。この十平等処は智者つねに速やかにしらんと。乃至
その時世尊、かのもろもろの悪鬼神衆の中にして、法を説きたまう時に、彼の諸の悪鬼神衆の中においてか
(3-588)
の悪鬼神はむかし仏法において決定の信をなせしかども、彼のちの時において悪知識にちかづきて心に他の過をみる。この因縁をもって悪鬼神に生まる。略抄
【字解】一。十平等 一は衆生平等、二は法平等、三は清浄平等、四は布施平等、五は戒平等、六は忍平等、七は精進平等、八は禅平等、九は智平等、十は一切法清浄平等。人もしこの十平等の心をうれば、生死海中にありて恒に勝報を享け、速やかに無畏の城に入ることを得ると説く。
【文科】得敬品の文によりて十平等法と悪鬼因を説き給う。
【講義】『大集月蔵経』巻第六、諸悪鬼神得敬信品の第八下に言わく、如来世に出で給うことは極めて難く、又真実の法宝僧宝の世にあることも難しい。浄らかなる信仰を起こすということも難ければ、仏道の妨げをなす様々の障碍を離れることも難しい。衆生を心から、哀愍〈あわれ〉むことも難い。外物を追わず、我心に足ることを知りて満足することも難い。そして正しい教法を聞くことも難い。更に進んでその教えを通りに実修することは尚困難である。
修道上に於けるこれらの困難を能く呑み込んで、而も極端の行動に出でず、偏頗の心を起こさず。普通の法則に準じて道を修むれば、この悪縁多い世間に処しても、常に真実の法楽を享受けることが出来る。
(3-589)
是は本経第五巻に説く所の十平等を重ねて広説したる経文の一部であるが、この十平等処の至要なることに就いては、道に進まんとする智者の、速やかに了知せねばならぬ所である。乃至
爾時に大聖世尊は、其処に集まれる諸の悪鬼神の中にありて、法を説かれたが、その悪鬼神の中にいた一悪鬼神は、昔仏法を深く信じておったのであるが、その後悪い知識(師友)に近づいた為に、他人の罪悪を見るようになった。即ち他人の悪を心に見たということは他人の悪の中へ入ったのである。是が因縁となって、悪鬼神界に生まれたというのである。
悪教に従う時は、かくの如く悪果報を得る。悪知識には近づいてはならぬことである。略出
第三科 諸天王護持品の一(問答)
大方等大集経巻六月蔵分中諸天王護持品第九言爾時世尊示世問故問娑婆世界主大梵天王言此四天下是誰能作護持養育時娑婆世界主大梵天王作如是言大徳婆伽婆兜率陀天王共無量百千兜率陀天子護持養育北鬱単越他化自在天王共無量百千他化自在天子護持養育東弗婆提化楽天王共無量百千化楽天子護持養育南閻浮提須夜摩天王共無量百
(3-590)
千須夜摩天子護持養育西瞿陀尼
【読方】大方等大集経巻第六、月蔵分の中の諸天王護持品第九にのたまわく。そのときに世尊、世間を示すがゆえに、娑婆世界の主大梵天王に問うてのたまわく。この四天下にこれ護持養育をなすと。ときに娑婆世界の主大梵天王かくのごときの言をなさく。大徳婆伽婆、兜率陀天王、無量百千の兜率陀天子とともに、北鬱単越を護持し養育せしむ。他化自在天王、無量百千の他化自在天子とともに、東弗婆提を護持し養育せしむ。化楽天王、無量百千の化楽天子とともに、南閻浮提を護持し養育せしむ。須夜摩天王、無量百千の須夜摩天子とともに、西瞿陀尼を護持し養育せしむ。
【字解】一。大梵天王 色界初禅天の主、三界を司る。色界大梵天宮中の高楼閣中に住す。
二。婆伽婆 梵音ブハガワット(Bhagavat)、薄伽梵とも音訳す。世尊と訳す。仏は諸徳を円備して能く世間を利し、世間を尊重せらるる故にこの名あり。
三。兜率陀天王 欲界六欲天の第四兜率天王をいう。兜率は梵音ツシタ(Tusita) 妙足、止足、知足等と訳す。
四。北鬱単越 梵音ウツタラクル(Uttarakuru) 北勝処と訳す。北鬱単越は梵漢並びあげたもの、北倶廬州と同じ。須弥四州の一。須弥山の北側にあり、形方座の如く。地盤他の三州に高出す。寿、一千歳、中夭なく、快楽極みなし。
五。他化自在天王 欲界六欲天の最高天の主、故に第六天王ともいう。即ち欲界の天主大魔王のこ
(3-591)
とである。この界の天人は他人の変化する楽事を自分の楽しみとする能力ある故にこの名あり。
六。東弗婆提 梵音プールワーイデーハ(Purvavideha)、東勝身と訳す。須弥四州の一。東勝身州のこと。須弥山の東側にあり、地形は東侠西広にして、縦広九千由旬、人寿二百五十歳。
七。化楽天王 欲界六欲天の第五、楽変化大王のこと。この天界の特色とする所は、自ら五欲を変化して楽しむ所にある。故にこの名あり。
八。南閻浮提 梵音ヂャンブ、ドイーパ(Jambudvipa)穢樹城、勝金州、妙金土などと訳す。須弥山の南方に位し、地形南侠北広にして縦広七千旬、楽しみは東北二州に劣るが、仏法を聞くに於いては本州を第一とすとせらる。もと印度に名づけたものであるが、のち、これを吾人の住する世界としたのである。
九。夜摩天王 欲界六欲天の第三夜摩天王のこと。須夜摩天王、焔魔天王、焔天王と称せられる。梵音ヤマ(Yama) 善時、時分と訳す。この天人は時々口に快楽を唱うる故にこの名あり。
十。西瞿陀尼 梵音アパラゴーダーナ、又はゴードハヌヤ(Aparagodana or Godhanya)、アパラは西、他は牛貨、西牛貨と訳す。須弥四州の一。須弥山の西に位し、形満月の如く、縦広八百由旬、人寿五百歳。
【文科】護持品の文によりて、空居四天王の仏法の為に須弥四州を守護しつつあることを明し給う。
【講義】【読方】と等しきによりて略す。
(3-592)
大徳婆伽婆毘沙門天王共無量百千諸夜叉衆護持養育北鬱単越提頭頼吒天王共無量百千乾闥婆衆護持養育東弗婆提毘楼勒叉天王共無量百千鳩槃荼衆護持養育南閻浮提毘楼博叉天王共無量百千龍衆護持養育西瞿陀尼
【読方】大徳婆伽婆、毘沙門天王、無量百千の諸夜叉衆とともに、北鬱単越を護持し養育せしむ。提頭頼吒天王、無量百千の乾闥婆衆とともに東弗婆提を護持し養育せしむ。毘楼勒叉天王、無量百千の鳩槃荼衆とともに南閻浮提を護持し養育せしむ。毘楼博叉天王、無量百千の龍衆とともに、西瞿陀尼を護持し養育せしむ。
【字解】一。夜叉 梵音ヤクシャ(Yaksa) 勇健、暴悪と訳す。八部衆の一。虚空を飛行する天夜叉、地を行く地夜叉の別あり。
二。提頭頼吒天王 梵音ドフリタラーシュタラ(Dhrtarasta) 持国天王のこと。四天王の一。上五七三頁を見よ。
三。毘楼勒叉天王 ウィルードハカ(Virudhaka)、増長天王のこと。四天王の一。上五七三頁を見よ。
四。鳩槃荼 梵音クムブハーンダス(Kumbharndas)、陰嚢、形卵と訳し、厭眉鬼、冬瓜鬼と名づく。人の精気を[タン03]〈くら〉う鬼の名。上五七三頁を見よ。
五。毘楼博叉天王 梵音ウィルーパクシャ(Virupaksa) 広目天王のこと、四天王の一。上五七四頁を見よ。
(3-593)
【文科】地居四天王の仏法の為に須弥四州を護持することを明かす一段である。
【講義】略
大徳婆伽婆天仙七宿三曜三天童女護持養育北鬱単越彼天仙七宿者虚危室壁奎婁胃三曜者鎮星[ケイ11]惑星三天童女者鳩槃弥那迷沙大徳婆伽婆彼天仙七宿中虚危三宿是鎮星土境鳩槃是辰壁奎二宿是歳星土境弥那是辰婁胃二宿是[ケイ11]惑土境迷沙是辰大徳婆伽婆如是天仙七宿三曜三天童女護持養育北鬱単越大徳婆伽婆天仙七宿三曜三天童女護持養育東弗婆提彼天仙七宿者昴畢觜参井鬼柳三曜者太白星歳月三天童女者毘利沙弥偸那羯迦吒迦大徳婆伽婆彼天仙七宿中昴畢二宿是太白土境毘利沙是辰觜参井三宿是歳星土境弥偸那是辰鬼柳二宿是月土境羯迦吒迦是辰大徳婆伽婆如是天仙七宿三曜三天童女護持養育東弗婆提大徳婆
(3-594)
伽婆天仙七宿三曜三天童女護持養育南閻浮提彼天仙七宿者星張翼軫角亢[テイ04]三曜者日辰星太白星三天童女者[シャク02]訶迦若兜羅大徳婆伽婆彼天仙七宿中星張翼是日土境[シャク02]訶是辰軫角二宿是辰星土境迦若是辰亢[テイ04]二宿是太白土境兜羅是辰大徳婆伽婆如是天仙七宿三曜三天童女護持養育南閻浮提大徳婆伽婆彼天仙七宿三曜三天童女護持養育西瞿陀尼彼天仙七宿者房心尾箕斗牛女三曜者[ケイ11]惑星歳星鎮星三天童女者毘離支迦檀[ド01]婆摩伽羅大徳婆伽婆彼天仙七宿中房心二宿是[ケイ11]惑土境毘利支迦是辰尾箕斗三宿是歳星土境檀[ド01]婆是辰牛女二宿是鎮星土境摩迦羅是辰大徳婆伽婆如是天仙七宿三曜三天童女護持養育西瞿陀尼
【読方】大徳婆伽婆、天仙の七宿、三曜、三天童女、北鬱単越を護持し養育せしむ。かの天仙の七宿は虚、危、室、壁、奎、婁、胃なり。三曜は鎮星、歳星、[ケイ11]惑星なり。三天童女は鳩槃、弥那、迷沙なり。大徳婆伽婆、かの天仙の七宿のなかに、虚危室の三宿はこれ鎮星の土境なり。鳩槃はこれ辰なり。壁奎
(3-595)
の二宿はこれ歳星の土境なり。弥那はこれ辰なり。婁胃の二宿はこれ[ケイ11]惑の土境なり。迷沙はこれ辰なり。大徳婆伽婆、かくのごとき天仙の七宿、三曜、三天童女、北鬱単越を護持し養育せしむ。大徳婆伽婆、天仙の七宿、三曜、三天童女、東弗婆提を護持し養育せしむ。かの天仙の七宿は、昴、畢、觜、参、井、鬼、柳なり。三曜は太白、星歳、星月なり。三天童女は毘利沙、弥偸那、羯迦吒迦なり。大徳婆伽婆、かの天仙の七宿のなかに、昴、畢の二宿はこれ太白の土境なり。毘利沙はこれ辰なり。觜参胃の三宿はこれ歳星の土境なり。弥偸那は、これ辰なり。鬼柳の二宿はこれ月の土境なり。羯迦吒迦はこれ辰なり。大徳婆伽婆、かくのごときの天仙の七宿、三曜、三天童女、東弗婆提を護持し養育せしむ。大徳婆伽婆、天仙の七宿、三曜、三天童女、南閻浮提を護持し養育せしむ。かの天仙の七宿は星、張、翼、軫、角、亢、[テイ04]なり。三曜は日辰星太白星なり。三天童女は[シャク02]訶、迦若、兜羅なり。大徳婆伽婆、かの天仙の七宿のなかに、星張翼はこれ日の土境なり。[シャク02]訶はこれ辰なり。軫角の二宿はこれ辰星の土境なり。迦若はこれ辰なり。亢[テイ04]の二宿はこれ太白の土境なり。兜羅はこれ辰なり。大徳婆伽婆、かくのごとき天仙の七宿、三曜、三天童女、南閻浮提を護持し養育せしむ。大徳婆伽婆、かの天仙の七宿、三曜、三天童女、西瞿陀尼を護持し養育せしむ。かの天仙の七宿は房、心、尾、箕、斗、牛、女なり。三曜は[ケイ11]惑星、歳星、鎮星なり。三天童女は毘利支迦、檀[ド01]婆、摩迦羅なり。大徳婆伽婆、かの天仙の七宿のなかに房心の二宿はこれ[ケイ11]惑の土境なり。毘利支迦はこれ辰なり。尾箕斗の三宿はこれ歳星の土境なり。檀[ド01]婆はこれ辰なり。牛女の二宿はこれ鎮星の土境なり。摩迦羅はこれ辰なり。大徳婆伽婆、かくのごときの天仙の七宿、三曜、三天童女、西瞿陀尼を
(3-596)
護持し養育せしむ。
【字解】一。天仙 [カ04]盧虱吒仙人をいう。この仙人が初めてこれらの星宿辰を配置したるにより「天仙の七宿」等という。
二。三曜、七宿、三天童女の四方配置の図。
挿図 yakk3-597.gif
東門
七宿
昴 畢 觜参井 鬼 柳
└┬┘ └┼┘ └┬┘
三曜 │ │ │
大白星 歳星 月星
└毘利沙 └弥倫那 └羯迦吒迦(辰宮)
└位、酉 └位、申 └位、未位、
南門
七宿
星張翼 軫 角 亢[テイ04]
└┼┘ └┬┘ └┬┘
三曜 │ │ │
日 辰星 大白星
└[シャク02]訶 └迦者 └兜羅(辰宮)
└位、午 └位、巳 └位、辰
西門
七宿
房 心 尾箕斗 牛 女
└┬┘ └┼┘ └┬┘
三曜 │ │ │
[ケイ11]惑星 歳星 鎮星
└毘利支迦 └檀[ド01] └婆摩迦羅(辰宮)
└位、卯 └位、寅 └位、丑
北門
七宿
虚危室 壁 奎 婁 胃
└┼┘ └┬┘ └┬┘
三曜 │ │ │
鎮星 歳星 [ケイ11]惑星
└鳩槃 └弥那 └迷沙(辰宮)
└位、子 └位、亥 └位、戌
三。三天童女 十二宮神のこと。十二辰ともいう。四方に各々三辰あり。これを三天童女という。この十二
(3-597)
辰は皆天女であるからこの名あり。
四。土境 分野、境域の意。
【講義】略。
大徳婆伽婆此四天下南閻浮提最為殊勝何以故閻浮提人勇健聡慧梵行相応仏婆伽婆於中出世是故四大天王於此倍増護持養育此閻浮提有十六大国謂鴦伽摩伽陀国傍伽摩伽陀国阿槃多国支提国此四大国毘沙門天王与夜叉衆囲遶護持養育迦尸国都薩羅国婆蹉国摩羅国此四大国提頭頼吒天王与乾闥婆衆囲遶護持養育鳩羅婆国毘時国槃遮羅国疎那国此四大国毘楼勒叉天王与鳩槃荼衆囲遶護持養育阿湿婆国蘇摩国蘇羅吒国甘満闍国此四大国毘楼博叉天王与諸龍衆囲遶護持養育
【読方】大徳婆伽婆、この四天下に南閻浮提はもっとも殊勝なりとす。何をもってのゆえに、閻浮提の人は勇健
(3-598)
聡慧にして、梵行相応す。婆伽婆、なかにおいて出世したまう。このゆえに四大天王ここに倍増してこの閻浮提を護持し養育せしむ。十六の大国あり。いわく鴦伽摩伽陀国、傍伽摩伽陀国、阿槃多国、支提国、この四大国をば毘沙門天王、夜叉衆と囲遶して護持し養育せしむ。迦尸国、都薩羅国、摩羅国、この四の大国をば提頭頼吒天王、乾闥婆衆と囲遶して護持し養育せしむ。鳩羅婆国、毘時国、槃遮羅国、疎那国、この四の大国をば毘楼勒叉天王、鳩槃荼衆と囲遶して護持し養育せしむ。阿湿婆国、蘇摩国、蘇羅吒国、甘満闍国、この四の大国をば毘楼博叉天王、もろもろの龍衆と囲遶して護持し養育せしむ。
【文科】四天王が南閻浮提を仏法流通の地として特別に護持することを明かし給う一段。
【講義】大徳世尊よ、この東西南北の須弥四州の中に南閻浮提は一番勝れております。何故かと申しますれば、閻浮提の人々はその性勇健にして智慧聡し、浄行を修めるに適しておりまする。即ち如来はこの国に御出世になりて衆生を化益し給うものである。それでありますから、四方の大天王も一層力を籠めてこの閻浮提の人々を護持り、養育ることであります。(以下略)
大徳婆伽婆過去天仙護持養育此四天下故亦皆如是分布安置於後随其国土城邑村落塔寺園林樹下塚間山谷昿野河泉
(3-599)
波泊乃至海中宝洲天祠於彼卵生胎生湿生化生諸龍夜叉羅刹餓鬼毘舎遮富単那迦吒富単那等生於彼中還住彼処無所繋属不受他教是故願仏於此閻浮提一切国土彼諸鬼神分布安置為護持故為護一切諸衆生故我等於此説欲随喜
【読方】大徳婆伽婆、過去の天仙この四天下を護持し養育せしむ。かるがゆえに亦かくの如く分布安置せしむ。後においてその国土、城邑、村落、塔寺、樹下、塚間、山谷、昿野、河泉、波泊、乃至海中宝洲天祠にしたがいて、かの卵生、胎生、湿生、化生においてもろもろの龍、夜叉、羅刹、餓鬼、毘舎遮、富単那、迦吒富単那等、かの中に生じて、かのところに還住して、繋属するところなし。他の教をうけず、このゆえにねがわくは仏、この閻浮提の一切国土において、かのもろもろの鬼神分布し安置して、護持のための故に、一切のもろもろの衆生を護らんがための故に、我等この説において随喜せんとおもうと。
【字解】一。羅刹 梵音ラークシャサ(Raksasa) 可畏、護者、食人鬼と訳す。悪鬼の通名。
二。餓鬼 三塗、三悪趣、六道の一。この界の有情は、常に飢餓に苦しむ故にこの名あり。地下五百由旬の閻魔の界辺を本処とす。
三。毘舎遮 敢人精気鬼と訳す。東方天王の領する鬼神。
四。富単那 臭餓鬼と訳す。熱病を司る鬼神。
(3-600)
五。迦吒富単那 奇臭餓鬼と訳す。
【文科】新たに生まれた有情を護持することを、梵王が世尊に請い奉る一段である。かくの如く有情は無窮に産まれ、諸天は無窮に護りて仏法を信ぜしむるのである。
【講義】大徳、世尊よ、過去の天仙[カ04]盧虱叱はこの四天下を護持し養育して、人々に仏法を信ぜしめんが為に、かように星宿、諸天、鬼神を分布し配置したことでありますが、その後、卵生、胎生等の四生から生まれたる諸龍、夜叉等の類が、国土、城邑、乃至海中の宝島、天祠等に再び住まうことになったが、何の天神等にも属しておらないので、他から指導を受け又は保護を受けるということはありませぬ故、どうぞ世尊よ、この閻浮提のあらゆる国土に行き亘るような、諸々の善鬼神を適宜に配属して下さい。その一切の有情を護持る為に。私共はそれが宜しいと存じておりまする。
仏言如是大梵如汝所説爾時世尊欲重明此義而説偈言示現世間故導師問梵王於此四天下誰護持養育如是天師梵諸天王為首兜率他化天化楽須夜摩能護持養育如是四天下四王
(3-601)
及眷属亦復能護持二十八宿等及以十二辰十二天童女護持四天下随其所生処龍鬼羅刹等不受他教者還於彼作護天神等差別願仏令分布憐愍衆生故熾然正法灯
【読方】仏ののたまわく。是の如し、大梵、なんじが所説のごとしと。その時に世尊、重ねてこの義を明かさんとおぼして、しかも偈を説きてのたまわく。
世間に示現するがゆえに、導師梵王にとわまく。この四天下において、たれか護持し養育せん。是のごときの天師梵諸天王を首として、兜率、他化天、化楽、須夜摩、よくかくの如きの四天下を護持し養育せしむ。四王および眷属、またまたよく護持せしむ。二十八宿等および十二辰、十二天童女、四天下を護持せしむ。その所生のところに随いて、龍、鬼、羅刹等他の教をうけずば、彼〈かしこ〉にかえりて護をなさしめん。天神等、差別して願じて仏分布せしめたまえり。衆生を憐愍するがゆえに正法の灯を熾然ならしむと。
【文科】仏、梵王の請いを印可し、重ねて偈を説き給う。
【講義】仏宣給わく、その通りである。大梵天よ、汝の云う通りに相違ない。
その時、釈迦牟尼世尊は、重ねて上の事柄を明かさんが為に偈を説かれた。
我、仏としてこの世に示現〈あらわ〉れた為に、梵王に問う、この四天下を護持〈まも〉り長養〈やしな〉う者は誰ぞや。曰く天界の師たる梵王諸天王を初め、兜率、他化、化楽、須夜摩等の諸天王ぞ、四王
(3-602)
天主及びその眷属、進んでは二十八宿、十二辰、十二天童女と共に四天下を護持り且つ長養〈やしな〉う。更にその生まれた処により、他に配属せず他の指導を受けない諸龍鬼神を類についても、またその処に於いて、上の諸天部を護持〈まも〉りをなす。是即ち天神等の願いにして、如来の適宜〈よろしき〉に応じて分布配属し給う所である。そは衆生を洩れなく憐愍〈あわれ〉みて遺憾なきように、又熾んになる正法の灯火を高くかかげて、濁世の迷暗〈やみ〉を払わんが為に。
第四科 諸天王護持品の二(付属)
爾時仏告月蔵菩薩摩訶薩言了知清浄土賢劫初人寿四万歳時鳩留孫仏出興於世彼仏為無量阿僧祇億那由他百千衆生回生死輪転正法輪追回悪道安置善道及解脱果彼仏以此四大天下付属娑婆世界主大梵天王他化自在天王化楽天王兜率陀天王須夜摩天王等護持故養育故憐愍他衆生故令三宝種不断絶故熾然故地精気衆生精気正法精気久住増長故令諸衆生休息三悪道故趣向三善道故以四天下付属大梵及諸天王如是漸次劫尽諸天人尽一切善業白法尽滅増長大悪
(3-603)
諸煩悩溺
人寿三万歳時拘那含牟尼仏出興於世彼仏以此四大天下付属娑婆世界主大梵天王他化自在天王乃至四大天王及諸眷属護持養育故乃至令一切衆生休息三悪道趣向三善道故以此四天下付属大梵及諸天王如是次第劫尽諸天人尽白法亦尽増長大悪諸煩悩溺
人寿二万歳時迦葉如来出興於世彼仏以此四大天下付属娑婆世界主大梵天王他化自在天王化楽天王兜率陀天王須夜摩天王[キョウ02]尸迦帝釈四天王等及諸眷属護持養育故乃至令一切衆生休息三悪道趣向三善道故彼迦葉仏以此四天下付属大梵四天王等及付諸天仙衆七曜十二天童女二十八宿等護持故養育故
了知清浄土如是次第至今劫濁煩悩濁衆生濁大悪煩悩濁闘諍悪世時人寿百歳一切白法尽一切諸悪闇翳世間譬如海水
(3-604)
一味大鹹大煩悩味遍満於世集会悪党手執髑髏血塗其掌共相殺害如是悪衆生中我今出世菩提樹下初成正覚受提謂波利諸商人食為彼等故以此閻浮提分布天龍乾闥婆鳩槃荼夜叉等護持養育故
以是大集十方所有仏土一切無余菩薩摩訶薩等悉来集此乃至於此娑婆仏土其処百億日月百億四天下百億四大海百億鉄囲山大鉄囲山百億須弥山百億阿修羅城百億四大天王百億三十三天乃至百億非想非非想処如是略数娑婆仏土我於是処而作仏事乃至於娑婆仏土所有諸梵天王及眷属魔天王他化自在天王化楽天王兜率陀天王須夜摩天王帝釈天王四大天王阿修羅王龍王夜叉王羅刹王乾闥婆王緊那羅王迦楼羅王摩[ゴ02]羅伽王鳩槃荼王餓鬼王毘舎遮王富単那王迦吒富単那王等悉将眷属於此大集為聞法故乃至於此娑婆仏土所有諸菩薩摩訶薩等及諸声聞一切無余悉来集此為聞法
(3-605)
故我今為此所集大衆顕示甚深仏法復為護世間故以此閻浮提所集鬼神分布安置護持養育
【読方】そのときに仏、月蔵菩薩摩訶薩につげてのたまわく。清浄土を了知するに、この賢劫のはじめ人寿四万歳のとき、鳩留孫仏世に出興したまいき。かの仏、無量阿僧祇億那由他百千の衆生のために、生死に回して正法輪を輪転せしむ。追うて悪道に回して、善道および解脱の果を安置せしむ。かの仏、この四大天下をもって、娑婆世界の主大梵天王、他化自在天王、化楽天王、兜率陀天王、須夜摩天王等に付属せしむ。護持のゆえに、養育のゆえに、他の衆生を憐愍するがゆえに、三宝の種をして断絶せざらしめんがゆえに、熾然ならんがゆえに、地の精気、衆生の精気、正法の精気、ひさしく住し増長せんがゆえに、もろもろの衆生をして三悪道を休息せしめんがゆえに、三善道に趣向せんがゆえに、四天下をもって大梵およびもろもろの天王に付属せしむ。かくのごとく漸次に劫つき、もろもろの天人つき、一切の善業白法つき滅して、大悪もろもろの煩悩溺を増長せん。
人寿三万歳のとき、拘那含牟尼仏世に出興したまう。かの仏、この四大天下もって、娑婆世界の主大梵天王、他化自在天王、乃至四大天王およびもろもろの眷属に付属したまう。護持養育のゆえに、乃至一切衆生をして三悪道を休息して、三善道に趣向せしめんがゆえに、この四天下をもって、大梵およびもろもろの天王に付属したまえり。かくのごとく次第に劫つき、もろもろの天人つき、白法またつき、大悪もろもろの煩悩溺
(3-606)
を増長せん。
人寿二万歳のとき、迦葉如来世に出興したまう。かの仏この四大天下をもって娑婆世界の主大梵天王、他化自在天王、化楽天王、兜率陀天王、須夜摩天王、[キョウ02]尸迦帝釈、四大天王等、およびもろもろの眷属に付属したまえり。護持養育のゆえに、乃至一切衆生をして三悪道を休息して、三善道に趣向せしめんがゆえに、かの迦葉仏よく四天下をもって、大梵四天王等に付属し、およびもろもろの天仙衆、七曜、十二天童女、二十八宿等につげたまえり。護持のゆえに。養育のゆえに。
清浄土を了知するにかくのごとく次第にいま劫濁、煩悩濁、衆生濁、大悪煩悩濁、闘諍悪世の時、人寿百歳にいたりて一切の白法つき、一切の諸悪闇翳ならん。世間はたとえば海水の一味にして大鹹なるがごとし。大煩悩の味わい世に遍満せん。集会の悪党、手に髑髏をとり、血をその掌にぬらん。ともにあい殺害せん。かくのごときの悪衆生の中に、われいま菩提樹下に出世して、はじめて正覚をなれり。提謂波利、もろもろの商人の食を受けて、彼等がためのゆえに、この閻浮提をもって天、龍、乾闥婆、鳩槃荼、夜叉等に分布せしむ。護持養育のゆえに。
これをもって大いに十方所有の仏土一切無余の菩薩摩訶薩等を集めて、ことごとくここに来集せしめ、乃至この娑婆仏土にして、そのところの百億の日月、百億の四天下、百億の四大海、百億の鉄囲山、大鉄囲山、百億の須弥山、百億の四阿修羅城、百億の四大天王、百億の三十三天、乃至百億の非想非非想処、是のごとく数を略せり。娑婆仏土われこのところにしてしかも仏事をなす。乃至娑婆仏土の諸有のもろもろの梵
(3-607)
天王およびもろもろの眷属、魔天王、他化自在天王、化楽天王、兜率陀天王、帝釈天王、四大天王、阿修羅王、龍王、夜叉王、羅刹王、乾闥婆王、緊那羅王、迦楼羅王、摩[ゴ02]羅伽王、鳩槃荼王、餓鬼王、毘舎遮王、富単那王、迦吒富単那王等、ことごとくまさに眷属を将いてここに大集せり。法を聞かんがためのゆえに。乃至ここに娑婆仏土に所有のもろもろの菩薩摩訶薩等、およびもろもろの声聞、一切余なくことごとくここに来集せり。聞法のためのゆえに。我いまこの所集の大衆のために、甚深の仏法を顕示せしむ。また世間を護らんがための故に、この閻浮提所集の鬼神をもって分布安置し、護持養育せん。
【字解】一。鳩留孫仏 梵音クラクチュハンダ(Krakucchanda) 所応断已断と訳す。賢劫千仏の第一過去七仏の第四。人寿四万歳の時、安和城に生まれ、尸利沙樹下に成道して説法度生す。
二。善道 ここでは人間、天上のこと。
三。地精気 五穀のこと。
四。衆生精気 衆生の福力のこと。
五。正法精気 三宝のこと。
六。拘那含牟尼仏 梵音カナカムニ(Kanakamuni) 金山人と訳す。賢劫千仏の第二、過去七仏の第五。人寿三万歳の時、清浄城に生まれ、優曇鉢羅樹下に成道して説法度生せらる。
七。迦葉如来 梵音カーシャバ(Kasyapa)、飲光と訳す。賢劫千仏の第三。過去七仏の第六。人寿二万歳の時、婆羅奈城に生まれ、尼拘楼陀樹下に成道して説法度生す。
(3-608)
八。[キョウ02]尸迦 梵音カーウシカ(Kausika)帝釈天の姓。
九。提謂波利 村名。
十。乾闥婆 梵音ガンドハルヴァ(Gandharva)、健達縛、彦達縛とも音訳す。尋香神、食香神等と訳す。帝釈の俗楽神にして須弥山の南、金剛窟中に居り、酒肉を喰らわず、唯香のみを取りて食す。
【文科】過去の四仏が娑婆世界護持の付属をなせる歴史を説き給う。
【講義】爾の時、仏、月蔵菩薩大菩薩に告げ給うよう。今この清浄なる国土(如来は御心清きが故にその国土も清し、故にこの名なり)の歴史を考えて見るに、この賢劫の初め人寿四万歳の時に、賢劫千仏の第一鳩留孫仏が御出世になり、阿僧祇億、那由他百千という無量の衆生の為に正法〈おしえ〉の輪を転〈めぐ〉らし邪見を摧き、悪道に赴く衆生を導いて、人天の果報或は三乗の聖果〈さとり〉を獲せしめ給う。更にこの御仏は、この四天下をあげて、大梵天王乃至須夜摩天王等に依托せられた。それは外の事ではない。仏世に生まれ後れたる他の衆生を護持〈まも〉り養育〈やしな〉い、憐れみ給う為である。即ち仏法僧三宝の種をして彼等の胸に植えしめ、長しなえに絶えないようにし、長しなえに熾んならしめ、地の精気たる五穀、衆生の精気たる聞法の福力、正法の精気たる三法をして、長しなえにこの地に住せしめ弥栄〈いやさか〉えに栄えしめ、かくて一切衆生の心より三
(3-609)
悪道の因種を奪い取りて、再び此れ等悪道の門を塞ぎ、常に人天修羅の三善道に生ぜしめて仏道を修めしめんが為に、この四天下をあげて大梵天王等に付属し給うものである。されば衆生は唯三宝を念じて道を修むるがよい。一切の鬼神は仏の依托を受けている為に、祈らずとても獲ることである。
かくて次第に劫時移り、諸天人の果報衰え、あらゆる善業の力尽き、日没みて暗黒の世を覆うように、諸々の大悪業、煩悩の劫水は、澎湃〈ほうはい〉として一切世間の人々を溺らするようになった。(下略)
更に熟〈よくよく〉この清浄なる国土の歴史を考えて見るに、劫波幾度も移りて、今や時代(劫)は濁り、衆生の煩悩は増し、衆生の機根は衰え、驚くべき罪悪は到る処に起り、闘諍は悪獣の如く烈しくなるの時、即ち人寿の百歳の時代に至ってあらゆる善という善は滅び尽くされ、あらゆる悪業の闇は広がりてこの世を覆うであろう。そはかの四大海水の何処を甞めても鹹いように、この大煩悩の力も一の強大なるものとなって世界に満ちみち、集まれる人々は悪鬼に魅〈つ〉かれたように狂いまわり、手に手に生血したたる敵の髑髏を提げて、両手を紅に染め、さながら羅刹のように人を見れば互に殺し合うであろう。
(3-610)
我は実にかような濁悪の衆生の中に出世して、菩提樹下に正覚を開き、提謂波利村の商人達の供養によりて心身の力を増し、進んで一切衆生の為にこの閻浮提をあげて、天龍、乾闥婆、鳩槃荼、夜叉に依属して夫々配属し、長しなえに護持らしめ、懇ろに養育わしむることである。(下略)
爾時世尊復娑婆世界主大梵天王言過去諸仏以此四大天下曾付属誰令作護持養育時娑婆世界主大梵天王言過去諸仏以此四天下曾付属我及[キョウ02]尸迦令作護持而我有失不彰己名及帝釈名但称諸余天王及宿曜辰護持養育爾時娑婆世界主大梵天王及[キョウ02]尸迦帝釈頂礼仏足而作是言大徳婆伽婆大徳修伽陀我今謝過我如小児愚痴無智於如来前不自称名大徳婆伽婆唯願容恕大徳修伽陀唯願容恕諸来大衆亦願容恕我於境界言説教令得自在処護持養育乃至令諸衆生趣善道故我等曾於鳩留孫仏已受教勅乃至令三宝種已作熾燃拘那
(3-611)
含牟尼仏迦葉仏所我受教勅亦如是於三宝種已勤熾燃地精気衆生精気正法味醍醐精気久住増長故亦如我今於世尊所頂受教勅於己境界言説教令得自在処休息一切闘諍飢饉乃至令三宝種不断絶故三種精気久住増長故遮障悪行衆生護養行法衆生故休息衆生三悪道趣向三善道故為令仏法得久住故勤作護持
【読方】そのときに世尊、また娑婆世界の主大梵天王に問うてのたまわく。過去の諸仏、この四大天下をもって曾て誰も付属してか、護持養育をなさしめたまう。ときに娑婆世界の主大梵天王もうさく。過去の諸仏この四天下をもって曾て我および[キョウ02]尸迦に付属したまえりき。護持をなさしめて、而もわれ失ありや。己が名および帝釈の名をあらわさず。ただ諸天の天王および宿曜辰を称せしむ。護持養育すべしと。そのときに娑婆世界の主大梵天王および[キョウ02]尸迦帝釈、仏足を頂礼して、しかもこの言をなさく。大徳婆伽婆、大徳修伽陀、われ今過を謝すべし。われ小児のごとくして愚痴無智にして、如来の前にして自ら称名せざらんや。大徳婆伽婆、やや願わくば容恕したまえ。大徳修伽陀、やや願わくば容恕したまえ。諸来の大衆又願わくは容恕しわまえ。われ境界において言説教令す。自在のところをえて護持養育すべし。乃至もろもろの衆生をして善道に趣かしめんが故に、我等むかし鳩留孫仏のみもとにして、すでに教勅をうけたまわり、乃至三宝
(3-612)
の種をしてすでに熾然ならしむ。拘那含牟尼仏、迦葉仏のみもとにして、われ教勅をうけたまわりしこと、亦かくの如し。三宝の種においてすでに勤〈ねんごろ〉にして熾然ならしむ。地の精気、衆生の精気、正法の味わい、醍醐の精気、ひさしく住し、増長せしむるが故に、亦わが如きもいま世尊の所にして教勅を頂受し、おのれが境界において言説教令す。自在のところをえて一切闘諍飢饉を休息せしめ、乃至三宝の種をして断絶せざらしむるがゆえに、三種の精気ひさしく住して増長せしむるが故に、悪行の衆生を遮障して行法の衆生を護持するが故に、衆生の三悪道を休息せしめ、三善道に趣向するがゆえに、仏法をしてひさしく住することを得しめんがための故に、ねんごろに護持をなすと。
【字解】一。修伽陀 梵音スガタ(Sugata)、仏十号の一。善逝、好去、妙往と訳す。仏は無量の智慧を以て諸々の惑いを断じ、善妙に果上に趣く故にこの名あり。
二。醍醐精気 醍醐は五味の最上、牛乳を最も精製したるもの、ここでは真実純一の意にして仏法をいう。
【文科】梵王、世尊の御前に進み自ら仏法の為、この国土を護らんことを誓う。
【講義】爾の時、世尊重ねて娑婆世界の主大梵天王に問わるるよう、梵王よ、過去の諸仏は、この四天下を何人に護持ること、養育ることを付属したのであるか。大梵天王答えて「過去の諸仏は、曾て私と帝釈天に、この四天下を護るようにと御依托になりました。然るに
(3-613)
今世尊はこの天下を付属したまうに、何が私達に過失があると思召してか、私と帝釈天を指定し給うことなく、余の天王、宿曜等の名をあげて、護持、養育を委ね給う」かように申し上げて、梵王、帝釈の両人は起〈た〉って仏足を頂礼し奉り、申し上げるよう。
大徳世尊善逝の仏陀よ、もし私共に過失がありますならば、此処に御詫び申しまする。世尊よ、吾等は小児の如く愚痴にして智慧なきが為に、この付属に預かることを得ず、如来の御前に於いて、自ら「私共は此処に居りまする。仰せ下さる御仕事あらば、いつにても」と申すことが出来ないのでありまするか。どうして私共は他の天王と等しく御付属に選ばるることができないのでありもしょう。
大徳世尊よ、願わくばこの礼しらぬ愚かなる者の申し出でを容恕し下さい。世尊よ、願わくば容恕し下さい。此処に集まられた大衆の方々も亦御容恕し下さい。申すも鳴滸がましいことであるが、私共は自分自分の自在〈こころのまま〉に支配する領分に於いては、よく言説をもって教令を垂れ常に護持り養育うことを疎かにいたしては居りませぬ。乃至、それは畢竟〈つまり〉諸々の衆生を導いて悪道を離れて、修道の便宜ある人天等の善道に生まれさせたいという願望の外はありませぬ。私共は曾〈むかし〉鳩留孫仏の御許〈みもと〉にありて、已に教勅〈おおせ〉を受けまつり、四天下を護り、乃至三宝の種を
(3-614)
して益々熾然〈さかん〉ならしむるように力を尽しました。又拘那含牟尼仏、迦葉仏の御許にあっても等しく教勅を受け奉り、勤〈ねんごろ〉に三宝の種を長養うて熾然ならしめ、五穀を豊かにし、衆生の福力を増し、正法の味わいたる仏法の真精神をして、長しなえに栄えゆくように力を致したことである。それでありますから、今亦不肖の身をもって、大徳世尊の御出世に逢い、その御前にありて過去の諸仏に於ける如く教勅を頂きたいことであります。かくて私共の権力〈ちから〉の及ぶ境地に於いて、言説をもって教令を垂れ、自在にその教えを実現せしめ、一切闘諍〈あらそい〉と飢饉の恐れを除き、乃至三宝の因種〈たね〉を養うて断絶しめることなく、地の精気等の三種の精気をして長しなえに栄えしめる為に、又悪を行う衆生を制してその悪行を遮障〈さえぎりとど〉め、教法の如く実修する衆生を護り育てんが為に、又衆生をして三悪道に堕する恐れを除き、天上人間修羅の三善道に趣かしむる為に、かくしてこの世尊の御教えをして長しなえにこの世界に流布せしめんが為に、私共も大法護持の重任を忝うして、どこ迄も修道の人々を護り育てんことを願うて已まぬものであります。
仏言善哉善哉妙丈夫汝応如是爾時仏告百億大梵天王言所
(3-615)
有行法住法順法厭捨悪者今悉付属汝等手中汝等賢首於百億四天下各各境界言説教令得自在処所有衆生弊悪麁獷悩害於他無有慈愍不観後世畏觸悩刹利心及婆羅門毘舎首陀心乃至觸悩畜生心如是作殺生因縁乃至作邪見因縁随其所作非時風雨乃至令地精気衆生精気正法精気作損減因縁者汝応遮止令住善法若有衆生欲得善者欲得法者欲度生死彼岸者所有修行檀波羅蜜者乃至修行般若波羅蜜者所有行法住法衆生及為行法営事者彼諸衆生汝等応当護持養育若有衆生受持読誦為他演説種種解説経論汝等当与彼諸衆生念持方便得堅固力入所聞不忘智信諸法相令離生死修八聖道三昧根相応若有衆生於汝境界住法奢摩他毘婆舎那次第方便与諸三昧相応勤求修習三種菩提者汝等応当遮護摂受勤作捨施勿令乏少若有衆生施其飲食衣服臥具病患因縁施湯薬者汝等応当令彼施主五利増長何等為五一者寿増長二者
(3-616)
財増長三者楽増長四者善行増長五者慧増長汝等長夜得利益安楽以是因縁汝等能満六波羅蜜不久得成一切種智
【読方】仏ののたまわく。善哉〈よいかな〉よいかな、妙丈夫なんじ是のごとくなるべしと。そのときに仏、百億の大梵天王につげてのたまわく。所有の行法、法に住し法に順じて悪を厭捨せんものは、いま悉く汝等が手のうちに付属す。なんだち賢首、百億の四天下各々の境界において言説教令す。自在のところをえて、所有の衆生弊悪麁獷脳害他において慈愍あることなし。後生の畏れを観ぜずして、刹利の心および婆羅門毘舎首陀の心を觸悩せん。乃至畜生の心を觸悩せん。かくのごとし。殺生をなす因縁、乃至邪見をなす因縁、その所作にしたがいて非時の風雨あらん。乃至地の精気、衆生の精気、正法の精気、損減の因縁をなさしめば、なんじ遮止して善法に住せしむべし。もし衆生ありて善を得んと欲〈おも〉わんもの、法を得んと欲わんもの、生死の彼岸に度せんと欲わんもの、檀婆羅蜜を修行すること有らん所のもの、乃至般若波羅蜜を修行せんもの、所有の行法、法に住せん。衆生および行法のために事を営まんもの、かのもろもろの衆生、なんだちまさに護持養育すべし。もし衆生ありて受持読誦して、他のために演説し種々に経論を解説せん。なんだち当にかのもろもろの衆生と、念持方便して堅固力をうべし。所聞にいりて忘れず、諸法の相を智信して生死をはなれしめ、八聖道を修して三昧の根相応せん。もし衆生ありて、なんじが境界において法に住せん。奢摩他毘婆舎那次第に方便して、もろもろの三昧と相応して、ねんごろに三種の菩提を修習せんと求め
(3-617)
ん者、汝等まさに遮護し摂受して、ねんごろに捨施をなして乏少せしむることなかるべし。もし衆生ありて、その飲食衣服臥具をほどこし、病患の因縁に湯薬をほどこさんもの、汝等まさにかの施主をして五利増長せしむべし。何等をか五とす。一には寿増長せん。二には財増長せん。三には楽増長せん。四には善行増長せん。五には慧増長するなり。汝等、長夜に利益安楽をえん。この因縁をもって汝等よく六波羅蜜を満てん。久しからずして一切種智を成ずることをえん。
【文科】世尊則ち梵王の請いを印可し更に懇ろに護持を勅し教示し給う。
【講義】かように仏法護持について、誠意燃ゆるが如き梵王帝釈の申し出でを聞かれて、釈尊言わく、善哉善哉〈よいかなよいかな〉、勇ましいき大法護持の丈夫〈ますらお〉よ、今や汝等の願望の如く許すであろう。
更に百億の大梵天王を顧みて仰せらるるよう。「汝等、我仰せを受けて大法を護持するに当たり、その行う所、如来の法に基づき、如来の法に順い、悪を厭い捨つる者あらば、今尽く汝等の掌中に付属するであろう。
汝等賢首よ、各自の境界たるその百億の四天下に対して自在に教え導くがよい。多くの衆生は狂犬の如く悪心猛く、心麁〈あら〉びて他人を悩害〈そこな〉い、慈愍〈あわれみ〉の心なく、因果の法を知らざれば、後世の畏れを思わず、刹利、婆羅門、毘舎、首陀等のあらゆる階級の人々の心を觸悩〈なやま〉し、
(3-618)
延〈ひ〉いては畜生の心までも觸悩すであろう。これらの殺生が因縁〈もと〉となり、邪見が因縁となり、即ちその所作の如何に従いて、時ならざる風雨の害があるであろう。かくて地の精気たる五穀、衆生の福力正法の精気を損減すの因縁となるであろう。かくの如き悪衆生の所作を遮り、長しなえに善法を栄えしめよ。
もし衆生ありて、善を得んと心掛け、正法を会得して、生死の海を渡り、涅槃の彼岸に到らんと念じ、布施乃至智慧等の六度の行を修むるに当たり、その修むる所のあらゆる行法が凡て如来の法に基づき、更にその行法を修むる方便〈てだて〉として、何かの事柄を企てるような場合には、汝等力を尽してこれらの道に進む衆生を護持り、養育て、修道の外護者となるがよい。
もし衆生ありて、経典を受持〈たも〉ち、これを読みて他人の為に演説〈ときあか〉し、また種々に経論の意義を解釈することあらば、汝等、彼の衆生の為に、その心の乱れないように念〈おもい〉をかけ、方便を尽くし、彼等をして何物にも妨げられぬ堅固の力を得さしめよ。さすれば彼等修道者は、その聞く所を忘れず、一切万物の真相〈すがた〉を解了して深くその意義を信じ、是により、生死〈まよい〉の因〈たね〉を断ち、八聖道を修めるであろう。即ち信、精進、念、定、慧の五根は円〈まどか〉に心中にその力を現わすであろう。
(6-619)
もしまた衆生ありて、汝等が支配する境界に於いて、禅定、観法を修めてよく法に叶い、その進趣〈すすみゆき〉に従うて諸々の三昧を会得し、勤〈ねんごろ〉に声聞、縁覚、菩薩の三種の菩提心を修習〈おさめ〉るならば、汝等は直ちにその修道の魔障〈さわり〉を遮〈とど〉め、よく摂〈おさめ〉め守りて、修道に必要なる衣服飲食等の財施を欠くる所なく給与するがよい。
もしまた衆生ありて、これら修道者の為に、その飲食、衣服、臥具を施し、又病患者には湯薬を施さんとするならば、汝等、まさにその施主の為に、五種功徳を獲さしめよ。五つの利益とは、一には寿〈いのち〉延びること。二には財物増すこと。三には楽しみ増すこと。四には善行増すこと。五には解脱の正因たる智慧の増すことである。
上の如く四天下の衆生を守り、修道の外護者として力を尽すならば、汝等は長き夜の寝覚めにも心ゆたかに、大なる利益と楽しみを覚えるであろう。良〈まこと〉にこれら外護の因縁によりて、汝等は遂に解脱の正因たる六度の行を満たし、やがては、一切(種智)仏智を獲、証りに至るであろう。
時娑婆世界主大梵天王為首共百億諸梵天王咸作是言如是
(3-620)
如是大徳婆伽婆我等各各於己境界弊悪麁獷悩害於他無慈愍心不観後世畏乃至我当遮障与彼施主増長五事仏言善哉善哉汝応如是爾時復有一切菩薩摩訶薩一切諸大声聞一切天龍乃至一切人非人等讃言善哉善哉大雄猛士汝等如是法得久住令諸衆生得離悪道速趣善道
【読方】ときに娑婆世界の主大梵天王を首として、百億のもろもろの梵天王とともに、咸くこの言をなさく。是の如し、是の如し、大徳婆伽婆、われら各々におのれが境界において、弊悪麁獷他を悩害し、慈愍の心なく、後世の畏れを観ぜざらん。乃至まさに遮障し、かの施主のために五事を増長すべしと。仏ののたまわく、善哉〈よいかな〉善哉〈よいかな〉、汝かくの如くなるべしと。そのときにまた一切の菩薩摩訶薩、一切の大声聞、一切の天龍、乃至一切の人非人等ありて讃〈ほ〉めてもうさく。善哉善哉、大雄猛士、汝等、かくの如きの法ひさしく住することを得、もろもろの衆生をして悪道を離るることを得、すみやかに善道に趣かしめんと。
【字解】一。大雄猛士 仏世尊の異名。煩悩の賊を夷〈たいら〉げたる霊界の雄猛士の意。
【文科】梵王仏勅を受領し、仏徳を讃じ奉る一段。
【講義】爾時、娑婆界の主大梵天王をはじめ、百億の諸々の天王は異口同音に申すよう。誠に世尊の宣給う如く教勅を守るでありましょう。大徳世尊よ、我等は仰せの如く、各自の
(3-621)
境界でありて、心邪悪〈よこしま〉にして麁獷〈あら〉く、慈愍〈あわれみ〉の心なく、後世の畏れもなき愚痴の衆生に対して、能くその悪を遮障〈とど〉め、善を助け、又彼等施主の為に五つの福利を増さしむるであろう。
仏宣給わく、善哉善哉、汝等その言葉の如く行うがよろしい。
爾時、復其処に集まれる一切の菩薩大菩薩、一切の諸々の大声聞、一切の天龍乃至一切の緊那羅、阿修羅等の人非人等は、一様に讃じて云わく、世尊大雄猛士よ、是の如きの汝等(下の法を人格的に見て指すと覚ゆ)大法は、世尊の威徳によりて、長しなえにこの世に栄え、諸々の衆生を導いて、悪道を離れて、善道に趣かしむることである。
爾時世尊欲重明此義而説偈言
我告月蔵言 入此賢劫初 鳩留仏付属 梵等四天下
遮障諸悪故 熾然正法眼 捨離諸悪事 護持行法者
不断三宝種 増長三精気 休息諸悪趣 令向諸善道
拘那含牟尼 復属大梵王 他化化楽天 乃至四天王
次後迦葉仏 復觸梵天王 化楽等四天 帝釈護世王
(3-622)
過去諸天仙 為諸世間故 安置諸曜宿 令護持養育
至於濁世悪 白法尽滅時 我独覚無上 安置護人民
今於大衆前 数数悩乱我 応答捨説法 置我令護持
十方諸菩薩 一切悉来集 天王亦来此 娑婆仏国土
我問大梵王 誰昔護持者 帝釈大梵王 指示余天王
於時釈梵王 謝過導師言 我等所王処 遮障一切悪
熾然三宝種 増長三精気 遮障諸悪朋 護持善朋党 已上抄出
【読方】その時に世尊、かさねてこの義を明かさんとおぼして、しかも偈を説きてのたまわく。われ月蔵に告げていわく、この賢劫の初めに入りて、鳩留仏、梵等に四天下を付属したまう。諸悪を遮障するがゆえに、正法の眼を熾然ならしむ。もろもろの悪時を捨離し。行法者(修道者)を護持し、三宝の種を断ぜず、三精気を増長し、もろもろの悪趣を休息し、もろもろの善道にむかわしむ。拘那含牟尼また大梵王、他化、化楽天乃至四天王に属したまう。つぎのちに迦葉仏また梵天王、化楽等の四天、帝釈、護世王、過去のもろもろの天仙に属したまう。もろもろの世間のための故に、もろもろの曜宿を安置して護持し養育せしめたまえり。
濁悪世にいたりて白法尽滅せんとき、われ独覚無上にして人民を安置しまもらん。いま大衆の前にして数々〈しばしば〉われを悩乱せん。まさに説法を捨すべし。我を置ちて護持せしめよ。
(3-623)
十方のもろもろの菩薩一切ことごとく来集せん。天王もまたこの娑婆仏国土に来らしめん。われ大梵王に問わく。誰かむかし護持するものと。帝釈、大梵王、余の天王をさししめす。時に釈、梵王、過〈とが〉を導師に謝していわく。われら所王の処、一切の悪を遮障し、三宝の種を熾然ならしめ、三精気を増長せん。諸悪朋を遮障して善朋党を護持せしめんと。已上抄出
【字解】一。正法眼 眼は智慧を彰わす。正法の智慧、即ち証りを獲るの正因たる智慧のこと。是は正法によりて開発せらるるものなる故に、正法眼という。
二。曜宿 三曜、七宿等の天体をいう。
三。捨説法 この時の捨は捨施の意。説法を施すこと、教えを垂れること。
四。所王処 王として君臨する土地。支配する境界。
五。諸悪朋 悪人の伴侶〈ともだち〉、悪人の団体。
六。善朋党 善人の伴侶〈ともだち〉、善人の団体。即ち道を修むる人々の団体。真実の僧伽のこと。
【文科】世尊、上来宣説せられし所を重ねて偈説し給う。
【講義】(上略)・・・・・この五濁悪世に至り、一切善法尽く消え失せんとする時、我師なくして独り無上菩提の証りを開き、一切の人民を護りて一子の如く安らかならしめた。今この集まれる大衆の前に立つに、これらの衆生は病める子のその親を悩ますように、しばしば我心を悩
(3-624)
乱すことである。それ故に我はまさに法を捨施〈ほどこ〉すであろう。汝等我意〈わがこころ〉を置〈たも〉ちて、衆生を護持〈まも〉れ。(下略)
第五科 諸魔得敬信品
月蔵経第七諸魔得敬信品第十言爾時復有百億諸魔倶共同時従座而起合掌向仏頂礼仏足而白仏言世尊我等亦当発大勇猛護持養育仏之正法熾然三宝種久住於世間令地精気衆生精気法精気皆悉増長若有世尊声聞弟子住法順法三業相応而修行者我等皆悉護持養育一切所須令無所乏 乃至
於此娑婆界 初入賢劫時 拘楼孫如来 已属於四天
帝釈梵天王 護持令養育 熾然三宝種 増長三精気
拘那含牟尼 亦属四天下 梵釈諸天王 護持令養育
迦葉亦如是 已属四天下 梵釈護世王 護持行法者
過去諸仙衆 及以諸天仙 星辰諸宿曜 亦属令分布
我出五濁世 降伏諸魔怨 而作大集会 顕現仏正法
(3-625)
乃至 一切諸天衆 咸共白仏言 我等所王処 皆其時正法
熾然三宝種 増長三精気 令息諸病疫 飢饉及闘諍 乃至略出
【読方】月蔵経巻第七、諸魔得敬信品第十にのたまわく。その時に百億の諸魔あり。ともに同時に座よりして起ちて、合掌して仏にむかいたてまつり、仏足を頂礼して、しかも仏にもうして言うさく。世尊、我等またまさに大勇猛をおこして、仏の正法を護持し養育して、三宝の種を熾然ならしめて、ひさしく世間に住せしめ、いま地の精気、衆生の精気、法の精気、みなことごとく増長せしむべし。もし世尊声聞を弟子ありて、法に住し法に順じ、三業相応してしかも修行せば、我等みなことごとく護持し養育して一切の所須乏しきところなからしめん。乃至 この娑婆界にしてはじめ賢劫にいりしとき、拘楼孫如来すでに四天(下)を、帝釈、梵天王に属せしめて護持し養育せしめ、三宝の種を熾然ならしめ、三精気を増長せしめたまいき。拘那含牟尼また四天下を梵、釈、諸天王に属して護持し養育せしむ。迦葉もまた是のごとし。すでに四天下を梵、釈、護世王に属して行法の者を護持せしめて、過去の諸仙衆および諸天仙星辰、もろもろの宿曜また属し分布せしめき。われ五濁世にいでてもろもろの魔の怨を降伏して、しかも大集会をなして仏の正法を顕現せしむ。乃至 一切のもろもろの天衆、ことごとくともに仏にもうして言うさく。われら所王の処、みな正法を護持し三宝の種を熾然ならしめ、三精気を増長せしめ、もろもろの病疫飢饉および闘諍をやめ
(3-626)
しめんと。乃至略出
【字解】一。百億諸魔 百億の多様な悪魔ども。
二。大勇猛 大勇猛心。勇ましい奮発心。
三。熾然 盛んなる貌〈かたち〉。猛火の天を焦す勢いをもって三宝の弘まりゆくを形容したのである。
四。梵釈 梵王と帝釈の称。
五。護世王 世間守護の王。四天王を指す。
六。過去諸仙衆 過去世にありし仏法守護の仙人達。仙人とは学道によりて神力を体得せる隠遁者をいう。
七。諸天仙 上にいでし[キョ03]盧虱吒仙人の如き、天体を布列せし人々をいう。
八。所王処 王として命令を施行する土地。自分の支配する境土を指す。
【文科】諸魔得敬信品によりて、諸魔の発心、諸天の発願を説き給う。
【講義】略。
【余義】「指示余天王(余の天王を指示す)」は上の『大集経』巻六、月蔵分、諸天王護持品(上五九〇頁)の初めの文を指す。彼処には帝釈梵天が仏の問いに対して余の天王等の護持を広く説いてある。それは一括してこの一句に摂めたのである。「謝過導師(過〈あやまち〉を導師に謝す)」は、帝釈梵天二王に過失があったの
(3-627)
ではなく、二王が自分等にもこの四天下の護持の任を仰せつけて頂きたいと強く願う時に、「私達に過失があって仰せつけて下さらぬことでありまするか、もし過失があらば謝りまする」と言いしことを指す。
第六科 提頭頼吒天王護持品
提頭頼吒天王護持品云仏言日天子月天子汝於我法護持養育令汝長寿無諸衰患爾時復有百億提頭頼吒天王百億毘楼勒叉天王百億毘楼博叉天王百億毘沙門天王彼等同時及与眷属従座而起整理衣服合掌敬礼作如是言大徳婆伽婆我等各各於己天下勤作護持養育仏法令三宝種熾然久住三種精気皆悉増長 乃至 我今亦与上首毘沙門天王同心護持此閻浮提北方諸仏法 已上略抄
【読方】提頭頼吒天王護持品にいわく、仏のたまわく、日天子、月天子、汝わが法において護持し養育せば汝をして長寿にして諸々の衰患なからしめんと。そのときにまた百億の提頭頼吒天王、百億の毘楼勒叉天王、百億の毘楼博叉天王、百億の毘沙門天王あり。かれら同時におよび眷属と座よりしてたちて衣服
(3-628)
を整理し、合掌し敬礼して是のごときの言をなさく。大徳婆伽婆、われも各々、己が天下にして、ねんごろに仏法を護持し養育することをなさん。三宝の種をして、熾然として、ひさしく住し、三種の精気みなことごとく増長せしめん。乃至 我いままた上首毘沙門天王と同心に、この閻浮提と北方との諸仏の法を護持す。已上略抄
【字解】一。日天子 日宮天子、宝光天子、宝意天子とも云う。帝釈の内臣にして四天王に隷属す。日輪はその宮殿である。この天子は他行する時には、七宝車に乗じ、八頭の馬を御して是を牽かせ、二妃左右に侍り、七曜九宿の星宿その護衛としてこれをめぐり、摩利支天はその前を行くという。
二。月天子 月宮殿に住する天王にして、日天子と同じく四天王に属す。月天を領し、多くの天女を侍らして歓楽を尽すという。寿命五百歳。
三。諸衰患 種々の衰える患み。例せば老、病、死、天災等の無常転変の患〈なや〉みをいう。
四。提頭頼吒天王 題頭隷吒に同じ。時国天王をいう。東方天王である。
五。毘楼勒叉天王 毘留荼倶に同じ。増上天王をいう。南方天王である。
六。毘楼博叉天王 毘留博叉に同じ。広目天王をいう。西方天王である。
七。毘沙門天王 多門天王のこと。北方天王である。
八。眷属 従伴者。つき従う者共。
【文科】大法護持の仏勅と諸天の受領を明し給う。
(3-629)
【講義】略。
第七科 忍辱品
月蔵経巻第八忍辱品第十六言仏言如是如是如汝所言若有愛己厭苦求楽応当護持諸仏正法従此当得無量福報若有衆生為我出家剃除鬚髪被服袈娑設不持戒彼等悉已為涅槃印之所印也若復出家不持戒者有以非法而作悩乱罵辱毀呰以手刀杖打縛斫截若奪衣鉢及奪種種資生具者是人則壊三世諸仏真実報身則排一切天人眼目是人為欲隠没諸仏所有正法三宝種故令諸天人不得利益堕地獄故為三悪道増長盈満 已上
又言爾時復有一切天龍乃至一切迦吒富単那人非人等皆悉合掌作如是言我等於仏一切声聞弟子乃至若復不持禁戒剃除鬚髪著袈娑片者作師長想護持養育与諸所須令無乏少若余天龍乃至迦吒富単那等作其悩乱乃至悪心以眼視之我等
(3-630)
悉共令彼天龍富単那等所有諸相欠減醜陋令彼不復得与我等共住其食亦復不得同処戯笑如是擯罸 已上
【読方】月蔵経巻第八、忍辱品題十六にのたまわく。仏ののたまわく是のごとし是のごとし汝我がいう所のごとし。もしおのれを愛し、苦を厭い、楽を求むることあらん。まさに諸仏の正法を護持すべし。此れよりまさに無量の福報をうべし。もし衆生ありて我ために出家し、鬚髪を剃除し袈娑を被服せん。たとい戒を持たざらんも、彼等ことごとくすでに涅槃に印のために印せらるるなり。もし出家して戒を持たざらんもの、非法をもってしかも悩乱をなし、罵辱し、毀呰せん。手をもって刀杖打縛し、斫截することあらん。もし衣鉢を奪いおよび種々の資生の具を奪わんもの、この人はすなわち三世の諸仏の真実の報身を壊するなり。すなわち一切天人の眼目を排〈はら〉うなり。この人、諸仏所有の正法三宝の種を隠没せんと欲うが為のゆえに、もろもろの天人をして利益をえず、地獄に堕せしむるがゆえに、三悪道増長し盈満することをなすなり。已上
又のたまわく。その時にまた一切天、龍乃至一切迦吒富単那、人非人等ありて、皆ことごとく合掌して是のごときの言をなさく。我等、仏一切声聞弟子、乃至もしまた禁戒を持たざれども、鬚髪を剃除し袈娑の片はしを著ん者において師長の想いをなさん。護持養育してもろもろの所須をあたえて、乏少なることなからしめん。もし余の天、龍乃至迦吒富単那等、その悩乱をなし。乃至悪心をもって眼をもってこれをみば、我等ことごとくともにかの天、龍、富単那等をして所有の諸相欠減し、醜陋ならしめん。彼をしてまた我等とともに住し、共
(3-631)
に食することを得ざらしめん。またまた同処にして戯笑することを得じ。是のごとく擯罸せん。已上
【字解】一。人非人 人にして人に非らざるもの。天、龍、夜叉等の八部衆の率いる眷属の妖鬼。
【文科】末世無戒比丘の功徳と諸天の修道者護持を明かす一段。
【講義】『大集月蔵経』第八、忍辱品第十六に言わく、釈迦牟尼仏宣給うよう。その通り、その通り、汝の云うとおりである。もし真に自分というものを愛し、苦しみを厭うて真の楽を求めるならば、当に三世諸仏の正法を護りて、外難を除くが宜しい。この仏法外護の役を務めることから、無量〈かぎりない〉福徳〈さいわい〉を得るであろう。即ちもし衆生ありて我教えを信奉して出家し、鬚髪〈かみのけ〉を剃り、袈娑を纏うならば、その人がよしや教えの如く戒行を持つことが出来ないにしても、この人はこの形ばかりの出家の為に、はや涅槃をうる所の印を印〈しるし〉づけられるのである。出家の徳はかくの如く偉いなるものである。
然るにもし人ありて、この戒を持たぬ比丘に対して、非法の振舞いをもって、迫害を加え、罵辱〈ののしりはずかし〉め毀呰〈そし〉り、進んでは手に刀杖を取りて、打縛〈うちのめ〉し、斫截〈きりさいな〉むに至り、又はそれ程でなくともその比丘の衣鉢を奪い、その他資生〈ひぐらし〉に必要な器具を奪うならば、この人は実に三世諸仏の真実の報身を傷〈そこ〉ない奉ると同じい罪を犯すのである。云わば一切の天上人間の眼目を排〈くじ〉り
(3-632)
出すようなものであ。そは如来は真の意味に於いて天人の眼目にて在〈おわ〉すからである。則ち無戒の比丘に対してかような迫害を加える人は、自分ではそれが大した罪悪とも思うておらぬかも知れぬが、深くこの悪心の底を掘ってゆくと、正に一切諸仏の所有〈あらゆる〉正法〈おしえ〉と、三宝の田種〈たね〉をこの世界から隠没〈なく〉してしまう考えが本となっているのである。故に是を結果から云えば、一切の天上人間に対して教えの泉を塞ぎ、真実の利益を獲せしめないようにしようと云う企てとなるのである。かように仏法の流れに浴することの出来ない衆生は、凡て地獄に堕ちるの外はない。かような有様であるから、無戒の比丘に迫害を加えるということは人天三界の衆生を毒し、一切の善法を破壊し、三悪道を増長んならしめて、一切処に盈満〈みた〉しめんとするに外ならぬことである。
又言わく、爾時復あらゆる天人、諸龍はじめ奇臭餓鬼(疫病神)、人非人等の八部衆ありて、皆掌を合せて申し上ぐるよう、私共一同は如来の教えを受けまして、如来のあらゆる聖弟子方は申すまでもなく、よしや無戒にして、単に鬚髪を剃り、袈娑の片端を纏うような比丘に対しても、師長に奉持〈つか〉えまつる思いをいたして、護持〈まも〉り養育〈やしな〉い。修道に必要なものを捧げて、乏少〈たらぬ〉ということのないように致すでありしょう。もし又私共以外の天人、
(3-633)
諸龍乃至奇臭餓鬼なぞが、弟子達の修道心を婬〈みだ〉すような妨げをしたり、或は悪心をもって恐ろしい眼で睨みつけるようなことを致すならば、私共は総掛かりでそれらの悪天龍等の奴原〈やつばら〉の眼鼻四肢等の肉体を傷つけて、醜陋者となし、もう已後は決して彼等とともに生活したり、食事したりすることをやめ、亦同処には戯笑〈あそび〉を共とせぬ迄に排斥し、打懲〈うちこわ〉すでありましょう。
第八科 忍辱品の文(或云北本『華厳経』第二十四文)
又言離於占相修習正見決定深信罪福因縁 抄出
【読方】又のたまわく。占相をはなれて、正見を修習せしめ、決定してふかく罪福の因縁を信ずべし。抄出
【文科】邪道を離れて、正道に帰することを勧むる文である。
【講義】又『華厳経』に言わく、占相〈うらない〉の邪道を離れて、正しい見解に住〈すわ〉り、必ず善悪因果の法則によりて、罪福の結果が獲られるという諸法因縁の理を深く信ずるであろう。
第五項 『首楞厳経』の文
首楞厳経言彼等諸魔彼諸鬼神彼等群邪亦有徒衆各各自謂
(3-634)
成無上道我滅度後末法之中多此魔民多此鬼神多此妖邪熾盛世間称善知識令諸衆生落愛見坑失菩提路[ゲン03]惑無識恐令失心所過之処其家耗散成愛見魔失如来種 已上
【読方】首楞厳経にのたまわく。彼等の諸魔、彼の諸鬼神、彼等の群邪また徒衆ありて、各々に自らいわん。無上道を成ずと。わが滅度ののち、末法の中にこの魔民おおからん。この鬼神おおからん。この妖邪おおからん。世間に熾盛にして善知識となりて、もろもろの衆生をして愛見の坑におとさしめん。菩提の路をうしない、[ゲン03]惑無識にして恐らくは心を失わしめん。所過の処にその家耗散して、愛見の魔となりて、如来の種を失せん。已上
【字解】一。首楞厳経 十巻。具には『大仏頂如来蜜因修証了義諸菩薩万行首楞厳経』唐天竺門般刺蜜帝の訳。外には異訳として羅什訳の『首楞厳三昧経』三巻あり。今の引用の経は十巻の経である。
二。諸魔 本経に説く所によれば、もし修道者にして婬欲を断ぜずして禅定を修むれば、凡人に勝れた定力をうれども、皆魔道に堕す。上品は魔王、中品は魔民、下品は魔女になる。そしてそれらの人々は自ら魔道にありながら正道にあると思うている。
三。諸鬼神 修道者にしてもし殺生を離れずして禅定を修むれば、凡人に勝れた通力はうれども、その本に悪業あるために皆鬼神に堕す、上品は大力の鬼神となり、中品は飛行の鬼神となり、下品は鬼神の眷属
(3-635)
となる。
四。群邪 修道者にしてもし盗心を捨てやらずして禅定を修むれば、みな邪道に堕つ。上品は精量、中品は妖魅。下品は邪人となりて魔魅に憑かる。
【文科】『首楞厳経』によりて、修道上の魔障をときたまう一段である。
【講義】『首楞厳経』に言わく、彼等悪魔達、悪鬼神達、及び妖邪共に、またそれぞれ従う徒衆があって、各々に云うであろう。自分はもうこの上もない真実の証を開いたと。
ここに悪魔等といったのは、修道者が婬欲、殺生、盗心を離れずして禅定等を修めると、そこに凡夫の至り難い邪定力を獲るので、そこに鋭い反省を加えないと、その通力を恃んで、もう悟りを獲たと思い込むのをいうたものである。是は実に恐るべきもので、良に仏魔一紙である。即ち修道者はその煩悩に従うて魔となり、鬼神となり、又は妖邪となるのである。
我(釈尊御自身を指す)滅度の後、末法の時代に及んでは、上の魔民、鬼神、妖邪が多く、世に蔓延〈はびこ〉りて社会の先覚者と自称し、かくして衆生をして、恐ろしい享楽(愛見)の坑〈あな〉へ陥れて真の道を失わしめ、全くその心を[ゲン03]惑〈くら〉して物の弁別〈わきまえ〉さえも出来ないようにし、本心を奪うに至るであろう。かくしてこれら魔民共の過ぐる所には、烈風の草木を仆〈たお〉すように、彼
(3-636)
等に誑〈だま〉される人々の一家は離散して肉楽の淵に耽溺し、遂に証りを開くべき如来の因種〈たね〉をも失うに至るであろう。
第六項 『潅頂経』の文
潅頂経言三十六部神王万億恒沙鬼神為眷属陰相番代護受三帰者 已上
【読方】潅頂経にのたまわく。三十六部の神王、万億恒沙の鬼神を眷属として、相をかくし番にかわりて三帰を受くる人を護る。已上
【字解】一。潅頂経 十二巻。具には『仏説潅頂三帰五戒帯佩護身呪経』という。又は『大潅頂神呪経』とも称す。東晋天竺三蔵帛尸梨蜜多羅の訳。
二。三十六部神王 『潅頂経』にいづ。この諸神王は恒河沙の鬼神を眷属として、三帰戒を受けし男女を護る。その名は、弥栗頭不羅婆(善光主疾病と訳す)、弥栗頭婆羅娑(善明主頭痛)、弥栗頭婆邏波(善方主寒熱)、弥栗頭称陀羅(善日主満腹)、弥栗頭陀利奢(善見主癰腫)、弥栗頭阿楼呵(善供主癲狂)、弥栗頭伽娑婆帝(善捨主愚痴)、弥栗頭悉抵[タ03](善寂主瞋恚)、弥栗頭菩提薩(善覚主婬欲)、弥栗頭提婆羅(善天主邪鬼)、弥栗頭呵波帝(善住主傷亡)、弥栗頭不若羅(善福主塚墓)、弥栗頭[ヒツ01]闍伽(善衛主四方)、弥栗頭伽麗娑(善帝主怨家)、
(3-637)
弥栗頭羅闍遮(善王主偸盗)、弥栗頭修乾陀(善香主債主)、弥栗頭檀那波(善施主劫賊)、弥栗頭支多那(善意主疫毒)、弥栗頭羅婆那(善吉主五蘊)、弥栗頭鉢婆駄(善山主蜚尸)、弥栗頭三摩陀(善調主注連)、弥栗頭戻[テイ07]駄(善備主往復)、弥栗頭波利陀(善敬主相引)、弥栗頭波利那(善浄主悪党)、弥栗頭虔伽地(善品主蠱毒)、弥栗頭毘利駄(善結主恐怖)、弥栗頭支陀那(善寿主危難)、弥栗頭伽林摩(善遇主産乳)、弥栗頭阿留伽(善願主県官)、弥栗頭闍利駄(善因主口舌)、弥栗頭阿伽駄(善照主憂脳)、弥栗頭阿訶婆(善生主不妄)、弥栗頭婆和邏(善至主百恠)、弥栗頭波利那(善蔵主嫉妬)、弥栗頭周陀那(善音主呪阻)、弥栗頭韋陀羅(善妙主厭祷)の称。
【文科】神王鬼神が真の修道者を護持りたまうことを明かす。
【講義】『大潅頂神呪経』に言わく、三十六部の神王が、万億恒沙の鬼神共を眷属と従えて、相を陰〈かく〉して、番代〈かわるがわる〉三宝に帰依する者をつねに護持〈まも〉りて休むことはない。已上
第七項 『地蔵十輪経』
地蔵十輪経言具正帰依遠離一切妄執吉凶終不帰依邪神外道又言或執種種若少若多吉凶之相祠祭鬼神 乃至 而生極重大罪悪業近無間罪如是之人若未懺悔除滅如是大罪悪業不令出家及受具戒若令出家或受具戒即便得罪 已上
(3-638)
【読方】地蔵十輪経にのたまわく。具にまさしく帰依して一切の妄執吉凶を遠離せんものは、ついに邪神外道に帰依せじと。已上 又のたまわく、あるいは種々に、もしは少もしは多、吉凶の相を執して鬼神をまつりて 乃至 而して極重の大罪悪業を生じ、無間罪にちかづかん。是の如きの人、もし未だかくの如きの大罪悪業を懺悔し、除滅せずば、出家しおよび具戒を受けしめざらんも、もし出家しあるいは具戒を受けしめんも、即ち罪をえん。已上
【字解】一。地蔵十輪経 十巻。具には『大乗大集地蔵十輪経』。唐玄奘三蔵訳。『大方広十輪経』の異訳。(上五四五頁参照)
二。具戒 具足戒のこと。比丘の二百五十戒、比丘尼の三百四十八戒をいう。この戒を持てば無量の戒徳具足する故に名づく。
【文科】修福攘災の妄執と吉凶禍福を占う心を誡め給う一段。
【講義】『地蔵十輪経』に言わく、正しく三宝に帰依し奉りて、あらゆる妄執〈まよい〉と吉凶禍福を占うことを遠離〈すて〉たる者ならば、決して邪神や外道に帰依することはない。
又言わく、或る者は少しばかり、或る者は非常に強く吉凶禍福の相〈すがた〉に執着し、そして自分の穢〈きたな〉い欲望を満たさんが為に鬼神を祭り、乃至 かくして極めて重大なる悪業を造りて、無間の業火に焼かれるべき罪に近づくのである。かくの如き人は、もしもその邪鬼神を祭ることから起こ
(3-639)
ってくる大罪悪業を懺悔し除滅して仕舞わなければ、出家を許し具足戒を授けることは出来ない。然るにもし強いて出家せしめ具足戒を受けしむるならば、却って罪を得るであろう。
第八項 『集一切福徳三昧経』の文
集一切福徳三昧経中言不向余乗不礼余天 已上
【読方】集一切福徳三昧経の中にのたまわく。余乗にむかわざれ、余天を礼せざれ。已上
【字解】一。集一切福徳三昧経 三巻。姚秦鳩摩羅什三蔵訳。大乗菩薩の修道、及びその福徳等を広説す。
【文科】外道天神に帰依することを誡めたまう一段。
【講義】『集一切福徳三昧経』の中に言わく、苟しくも仏教を信じて道を修めるものならば、仏教以外の余の教に心を向けてはならぬ。又仏教以外の大自在天のような天神を礼拝してはならぬ。
第九項 『薬師経』の文
本願薬師経言若有浄信善男子善女人等乃至尽形不事余天
(3-640)
又言又信世間邪魔外道妖[ケツ03]之師妄説禍福便生恐動心不自正卜問覓禍殺種種衆生解奏神明呼諸魍魎請乞福祐欲冀延年終不能得愚痴迷惑信邪倒見遂令横死入於地獄無有出期 乃至 八者横為毒薬厭祷呪詛起屍鬼等之所中害 已上抄出
【読方】本願薬師経にのたまわく。もし浄信の善男子善女人等ありて、乃至尽形までに余天につかえざれ。又のたまわく。また世間の邪魔、外道、妖[ケツ03]〈ようげき〉の師の妄に禍福を説くを信じて、すなわち恐動を生ぜん。心みずから正しからず。卜問して禍をもとめ、種々の衆生を殺し、神明に解奏し、もろもろの魍魎をよぼうて、福祐を請乞し、延年を冀〈ねが〉わんとするに、終に得ることあたわず。愚痴迷惑して邪を信じ、倒見してついに横死せしめ、地獄にいりていづる期あることなけん。 乃至 八には横に毒薬、延祷、呪詛、起死鬼等のために中害せらる。已上抄出
【字解】一。本願薬師経 一巻。具には『薬師瑠璃光如来本願功徳経』という。他に異訳四本あり。薬師如来の本願功徳を宣説せる経典。
二。妖[ケツ03]之師 妖とは衣服、歌謡、草木の怪をいい。[ケツ03]とは禽獣、虫蝗之怪をいうと、『説文』に見ゆ。今は病気災難等に罹っている人にむかって、神木を伐った祟りだとか、死猫の祟りだとかいうて人を誑〈たぶら〉かす妖僧等を云う。
(3-641)
三。魍魎 山川の精を指す。或は「木石之妖変」ともいう。『准南子』には、「状如三歳小児赤黒色、赤目長耳、美髪(状〈さま〉は三歳の小児のごとく、赤黒色、赤目長耳、美髪なり)」とあり。一言にして云えば妖鬼である。『左伝』宣公三年、杜氏注に「罔両水神、説文云、罔両山川之精物也」と。
四。厭祷 厭は飽くこと、故にここでは鬼神に犠牲を供えてそれに飽かしめ、自分の福祉等を祈ること。周の伯温という人曰く、厭祷の厭は、正しく[エン14]とせねばならぬと云々。
五。鬼屍鬼 屍鬼とは死体中にある一種の気にて是は精神と肉体に関せずに残るという。故に呪術をもってその死屍に加うれば、その気鬼は活きだす。即ち呪術に応じて屍を起こす鬼ということ。呪術から云えば屍中の鬼を活かせる術ということである。
『十誦律』第二に起屍鬼の例を載す。比丘あり。怨みある人を詛〈のろ〉い殺さんために、二十九日以内に全身欠くる所なき死屍を求め、鬼を呼び出し、尸〈かばね〉を呪うて起たしめ、水に洗い衣を着せ、刀を手中に握らせて、心口にその怨みある人を呪詛すれば、その比丘は直ちに死す。然るにその比丘禅定に入るか、慈心三昧にあるか、又は他の大力呪師の護念を受けておれば、害せらるる憂えなし。その代わりに呪いを企てた比丘が却って死ななければならぬ。これを免るるには、羊を殺し、芭蕉樹を仆〈たお〉せば、助かることが出来る云々。
要するに起屍鬼とは、かような怪しい妖術に現るるものの一つである。
【文科】迷信邪道の禍悪を示したまう一段。
【講義】『本願薬師経』に言わく、善男子、善女人等にして、如来の教法を信奉する
(3-642)
ならば、身終るまで、外道の崇める所の天神等の心を寄せてはならぬ。
又言わく、世間に正道に仇をする邪魔神あり、又は外道や妖[ケツ03]〈あやしい〉魔道に仕えている妖師等があって、妄りに無智の人達の弱点につけ込んで、様々の吉凶禍福を説いている。多くの人々は、この説を信じて、心の権衡〈つりあい〉を失い、全く運命邪神の恐れを抱き、卜〈うらな〉いを頼みて却って禍を醸すことを知らず、それらの邪神や卜師〈うらないし〉の言を信じて禍を恐れんが為に、牛馬等の様々の衆生〈いきもの〉を殺して、犠牲に供え、それによりて災禍の繋〈きづな〉を解かんことを神明に祈願し、又は諸の妖神を呼んで現世の福祐〈さいわい〉を請い乞め、延年を願うているけれども、これらの邪道に陥りては、どうしてその願を満たすことが出来ようぞ。かように愚痴〈おろか〉の為に迷惑〈まどわ〉され邪道を信じて倒〈さか〉しまの見解に堕ち、その行きつく所は非常の最期を遂げ、死して地獄に入り、いつ迄たっても浮かむ時がないのである。乃至
横死に九種ある中の第八には邪見に陥っている者は、毒薬、厭祷〈いのり〉、呪詛〈のろい〉、起屍鬼の妖魔の為に非業の最期を遂げることである。
第十項 『菩薩戒経』の文
(3-643)
菩薩戒経言出家人法不向国王礼拝不向父母礼拝六親不敬鬼神不礼 已上
【読方】菩薩戒経にのたまわく。出家の人の法は、国王に向かいて礼拝せず。父母にむかいて礼拝せず。六親につかえず。鬼神を礼せず。已上
【字解】一。菩薩戒経 『梵網経』のこと。具には『梵網経盧舎那仏説菩薩心地戒品第十』。この経は大乗菩薩の戒を説く故に『菩薩戒経』の異名ある所以である。
【文科】『菩薩戒経』によりて根底なき道義を排し給う一段である。
【講義】『菩薩戒経』に言わく、仏教を奉じて出家した者の法として、国王を礼拝してはならぬ。父母を礼拝してはならぬ。六親眷属等に務めをしてはならぬ。天魔鬼神等の邪神を拝んではならぬ。
【余義】一。出家ということは、是迄もっていた思念を棄てることである。言い換えれば今迄は生活の真の意義を知らず、真の力を有せず、唯客観〈そと〉の出来事に動かされて浮草のように生活して来たのである。左様な心にて王を拝し父母眷属を拝しても何の所詮もない。然るに家を捨てて道を修めるに当たり、未だ真道に入らざる中に稍もすれば、この世俗の習
(3-644)
慣に従って道を棄てんとする。今はそれを戒めたのである。即ち真の道の生命を我生命とすれば、そこに自然の俗諦が流れて来る。この境地に達せねばならぬ。然るに多くの修道者は片手に世間の道を握り、片手に仏道を握っている。そしてこの二段に立ち縮〈すく〉んで、二兎を追う愚人のように、一兎も得ることが出来ないのである。
二。先師曰く「如来の奴隷となれ、その他の奴隷となる勿れ」。道に進む人は、これらの文字を平淡に解せずに深くその奥旨を知らねばならぬ。
第十一項 『仏本行集経』の文
仏本行集経第四十二巻優婆斯那品言爾時彼三迦葉兄弟有一外甥螺髻梵志其梵志名優婆斯那 乃至 恒共二百五十螺髻梵志弟子修学仙道彼聞其舅迦葉三人諸弟子往詣於彼大沙門辺阿舅剃除鬚髪著袈娑衣見已向舅而説偈言舅等虚祀火百年亦復空修彼苦行今日同捨於此法猶如蛇脱於故皮爾時彼舅迦葉三人同共以偈報其外甥優婆斯那作如是言我等昔空
(3-645)
祀火神亦復徒修於苦行我等今日捨此法実如蛇脱於故皮 抄出
【読方】仏本行集経第四十二巻、優婆斯那品にのたまわく 闍那崛多の訳 そのときにかの三迦葉兄弟にひとりの外甥の螺髻梵志というものあり。その梵志を優婆斯那と名づく。 乃至 つねに二百五十の螺髻梵志、弟子とともに仙道を修学しき。かれその舅迦葉三人をきくに、もろもろの弟子とかの大沙門の辺に往詣して、阿舅鬚髪を剃除して袈裟衣をきるを見おわりて、舅に向かいてしかも偈を説きていわく、舅等虚しく火を祀ること百年、またまた虚しくかの苦行を修しき。今日おなじくこの法を捨つること、なおし蛇のふるき皮を脱ぐがごとくするをや。その時にかの舅迦葉三人、おなじくともに偈をもって、その外甥、優婆斯那に報じて、かくのごときの言をなさく。我等むかし空しく火神を祀りて、またまた徒らに苦行を修しき。われら今日この法を捨つること、まことに蛇の故き皮を脱ぐがごとくす。抄出
【字解】一。仏本行集経 六十巻。隋、闍那崛多訳。釈尊一代の伝。並び諸大弟子の伝記を詳述す。漢訳仏伝中尤も詳密のものである。
二。三迦葉兄弟 釈尊成道第二年に弟子となれる事火外道兄弟。長兄は優楼頻螺迦葉、中兄は伽耶迦葉、弟は那提迦葉。各々多くの弟子を率いて摩褐陀国の尼連禅河の畔に住し、名声国内に轟いた人々であった。山邊著『仏弟子伝』二七頁以下に委し。
三。螺髻梵志 髻を螺のように束ねている婆羅門。ここでは事火外道を指すらしい。
四。仙道 俗を捨てて山林に入りて道を修めること。ここでは苦行を指す。
(3-646)
【文科】三迦葉の外道を捨てて仏道に帰依した実例を挙げて上来説いて来った経証を事実の上に教示したまう一段である。
【講義】『仏本行集経』第四十二巻。優婆斯那品(隋の闍那崛多訳)に言わく、
爾時に釈尊に帰依した三迦葉兄弟に一人の外甥があった。優婆斯那といい、螺髻婆羅門であった。彼は恒に二百五十人の弟子とともに仙道を修めておったが、その舅の三迦葉や弟子達が打ち連れて、大沙門瞿曇の許に往きて、鬚髪を剃り、袈娑を著けて、仏陀の弟子になったということを聞いて、舅達を訪れ、正しくその帰仏の状態〈ありさま〉を見て、云うよう。こうなって見れば、舅等〈あなたがた〉はこれまで百年の長い間、徒らに火神を祀り、亦徒らに苦行を修めたというものである。それは余りに思い切りがよ過ぎるではありませぬか。云わば蛇が故皮を脱ぎ捨てるようなものと思います。
爾時、舅の三迦葉は異口同音に外甥の優婆斯那に答えるよう。良の汝のいう通りである。吾等今日まで邪見に陥り、長い間空しく火神を祀り、空しく苦行を修めたことである。今や世尊の御教えによりてその迷いが醒めて見ると、従来の法を捨てることは、蛇の故皮を脱ぐようなものである。抄出
(3-647)
第三節 論文証
第一項 『起信論』の文
起信論曰或有衆生無善根力則為諸魔外道鬼神所誑惑若於坐中現形恐怖或現端正男女等相当念唯心境界則滅終不為悩或現天像菩薩像亦作如来像相好具足若説陀羅尼若説布施持戒忍辱精進禅定智慧或説平等空無相無願無怨無親無因無果畢竟空寂是真涅槃或令人知宿命過去之事亦知未来之事得他心智弁才無碍能令衆生貪著世間名利之事又令使人数瞋数喜性無常准或多慈愛多睡多宿多病其心懈怠或率起精進後便休廃生於不信多疑多慮或捨本勝行更修雑業若著世事種種牽纏亦能使人得諸三昧少分相似皆是外道所得非真三昧或復令人若一日若二日若三日乃至七日住於定中
(3-648)
得自然香美飲食身心適悦不飢不渇使人愛著或亦令人食無分斉乍多乍少顔色変異以是義故行者常応智慧観察勿令此心堕於邪網当勤正念不取不著則能遠離是諸業障応知外道所有三昧皆不離見愛我慢之心貧著世間名利恭敬故 已上
【読方】起信論にいわく。あるいは衆生ありて善根力なければ、則ちもろもろの魔、外道、鬼神のために誑惑せらる。もしは坐中にして形を現じて恐怖せしむ。あるいは端正の男女等の相を現ず。まさに唯心を念ずべし。境界すなわち滅してついに悩をなさず。あるいは天像、菩薩像を現じ、また如来像の相好具足せるをなして、もしは陀羅尼をとき、もしは布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧をとき、あるいは平等、空、無相、無願、無怨、無親、無因、無果、畢竟空寂、これ真の涅槃なりととかん。或は人をして宿命過去の事をしらしめん。また未来の事をしる他心智をえ、弁才無碍ならしむ。よく衆生をして世間の名利の事に貪著せしむ。また人をして、しばしば瞋り、しばしば喜ばしめ、性常准なからしむ。或はおおく慈愛し、おおく睡り、おおく宿し、おおく病いす。その心懈怠なり。或はにはかに精進をおこして、後にはすなわち休廃す。不信を生じて疑いおおく、慮りおおし。或はもとの勝行をすてて、さらに雑業を修せしめ、もしは世事に著せしめ、種々に牽纏せらる。また能く人をしてもろもろの三昧の少分相似するを得しむ。みなこれ外道の所得なり。真の三昧にあらず。或はまた人をしてもしは一日、もしは二日、もしは三日、乃至七日、定中に住し
(3-649)
て自然香味の飲食をえ、身心適悦して飢せず、渇せざらしむ。人をして愛著せしむ。或はまた人をして食に分斉なからしむ。たちまちに多くたちまちに少なくして願色変異す。この義をもってのゆえに、行者つねに智慧をして観察して、この心をして邪網に堕せしむることなかるべし。まさに勤めて正念にして取らず著くせずして則ちよく是もろもろの業障を遠離すべし。しるべし。外道の所有の三昧は、みな見愛我慢の心をはなれず。世間の名利恭敬に貪著するがゆえなり。已上
【字解】一。起信論 具に『大乗起信論』。馬鳴菩薩著。真諦三蔵訳一巻。実叉難陀訳二巻。衆生一心の上に真如、生滅の二門を開き、真如門には一心の本体的方面を説き、生滅門には一切の現象的方面たる真如縁起を広説し、更に一心の義理を弁述して体、相、用の三大とした。次に実践の行法に移り、真如、三宝を信ずる四信と、布施、持戒、忍辱、精進、止観の五行によりて迷界を解脱することを説く。大いに大乗の信を鼓吹せるをもってこの名あり。その教義が大乗の諸教理に通ずる故に大乗通申論とも称せらる。
二。陀羅尼 梵音ドハーラニー(Dharani)、総持、能遮等と訳す。種々の善法を集めて散失せしめざること。又衆徳を具足せる経文及び名号をいう。又支那の禁呪法に似たるが故に呪とも称す。
【文科】『起信論』を引いて、修道上の魔障を説き、外道の三昧を斥けたまう一段。
【講義】『起信論』に曰く、過去の善根力を有たない衆生が道を修むる際には、様々の悪魔や、外魔道や、鬼神等の為に、心を誑惑〈まど〉わされる。その一例を挙げれば、坐っていた
(3-650)
前に、恐ろしい形相を現して脅かしたり、或は美しい男女の相を現して、色に託〈かこつ〉けて誘惑したりする。かかる場合には、唯三界唯一心と念ずるがよい。一切は心の所作である。この心を離れて何物もないと観ずるのである。かように客観の境界が滅びて仕舞えば、心は静かになりてもう悩まされることはない。
又或る時には天人の像、菩薩の像を現す。時には相好円満なる如来世尊の像を作すこともある。そしてこの如来の陀羅尼を説き示したり。布施、持戒等の六波羅蜜の行を説いたり、或は亦諸法は平等にして凡夫の見るような差別あるものでない。そして唯空である。様々に見ゆる現象も幻に過ぎないので全く無相である。願望すべきものもなければ、怨むべきものもなく、親愛すべきものもない。それらは皆凡夫の心にある迷いにして、実の法は怨親を離れた平等のものである。又その天地は因果の力の及ばぬ所である。即ち大海の底の湛然平静たるが如く、畢竟空寂にして、何物にも擾〈みだ〉さるることはない。是ぞ真の涅槃の境界であると説くであろう。
或は亦修道者をして、宿命過去〈むかしのこと〉を知らしめたり未来に起こることを予知せしめ、よく他人の心を知る智慧を得せしめて才弁流るるが如く、法を説いて人々を随喜せしめる。か
(3-651)
ようにして修道者は、俗世間の名誉や利益を貪りて道を棄てるようになる。
又或る時は、人の感情を煽りて、忽ちにして瞋らしめ、忽ちにして喜ばしめ常に権衡〈つりあい〉をとらしめない。或は又人を慈愛〈いつくし〉むことが度を超えたり、睡り過ごし、夕に多く喰らい過ぎて朝まで食物が腹の中に停滞していたり、又無暗に病気する。従って元気が衰えて心は懈怠〈なま〉ける。又或る時は突然、精進〈つとめはげ〉むが、後はぐったりして休廃〈やめ〉てしまう。
かように修道生活に狂いがでてくると、清浄に正法を受け込む所の信が欠けて、事々に孤疑逡巡し、或は為に従来修めて来た結構な行を抛って、余の雑じり気のある行業を修めたりして、心を常に動揺して定まらない。或は世間の事に執着を起こして、種々の出来事に牽纏〈ひっかか〉ったりする。又は諸の禅定の一部分の味わいを得させたりするが、これらは皆外道の人々の得る結果であって、真の禅定ではないのである。
或はまた修道者をして、一日もしくば七日の間、定の中に於いて、さながら夢に飲食するように、自然に香ばしい美食を食して、見も心も爽やかに心地よく、飢えることなく、渇くことなく、そぞろに修道者を耽溺せしめる。
又或る時は、食事に制限なからしめ、時には多く、時には少なく取る為に、身体の営養悪
(3-652)
しくなり、顔色が変異ってくる。
かような義であるから、道を修める者は、常に智慧の光をもって、よく修道中の様々の出来事を冷静に観察〈かんが〉え、この心をして邪道の網に罹らぬようにせねばならなぬ。即ち勤め励みて念を正しくして流水の如く滞ることなく、執着の念を離れて、上に挙げた様々の業障〈さわり〉を遠離〈すて〉ねばならぬ。是によりて外道の人々が道を修めて得る所は皆邪の見解と我愛、我慢の心を離れておらぬことを知ることが出来る。そは彼等が根本に於いて、真に道に進むのではなく、世間の名聞や、利養や、恭敬に執着して離れないからである。已上
第四節 釈文証
第一項 『弁正論』
【大意】真偽決判の釈文証として本論を引用せらるるに就いて、初め第二、第三科の十喩篇は主に釈尊と老子の伝記の上に優劣を論じ、第四科九箴篇には仏教信仰の奇瑞を弁正し、菩提涅槃の意義を論じ、第五科気為道本には引文『正法念経』の文を挙げて持戒破戒の得否を決し、第六科出道偽謬篇には道教の妄誕を難じ、第七科帰心有地篇には道書の偽謬を指摘し、武帝の捨老帰仏の文を引いて結ぶ。支那に於ける
(3-653)
外道と仏教の真偽決判には好個の証文である。そして又啻にそれのみならず、道教の思想は稍もすれば大乗仏教に似て非なるものなれば、これに対して、厳正なる批判を加えなければならぬ。即ち老子の教えは、後世大いに誤られて迷信を加え、一面仏教の宗教的方面と混ずる恐れがあるとともに、他方にはその虚無恬淡の思想が超人生的な非現実主義者となりて、俗人をして仏教の根本思想と等しいような見解を起こさしめる恐れがある。これは歴史的に支那に於ける道教と仏教の関係たるのみならず、真道〈まことのみち〉に趣かんとする人士が、稍もすれば道教風の邪路に陥るのである。本論引用文はこれらの点に対して厳正なる批判を加えているのである。
第一科 総標
弁正論曰 法琳撰 十喩九箴篇 答李道士十異九迷
【字解】一。弁正論 唐の沙門法琳師が当時の道教の攻撃に対して、破邪顕正せる書。八巻。十二篇に分つ。三教治道篇第一(上下)、十代奉仏篇第二(上下)、仏道先後篇第三(巻第五)、釈李師資篇第四、十喩篇第五(巻第六)、九箴篇第六、気為道本篇第九、出道偽謬篇第十(巻第七)、品藻衆書篇第九、出道偽謬篇第十(巻第八)、歴世相承篇第十一、帰心有道篇第十二。この中引用の文は、第五、第六、第七、第十、第二の各篇である。
二。法琳 姓は陳氏、支那、頴川の人。少時出家して釈儒二道に精通す。たまたま唐の武徳四年(西暦六百二十一年)黄巾の徒なる太史令伝奕が十一ヶ條を立てて仏教破斥の意見を上奏するに会し、大いにこれ
(3-654)
を駁撃し、更に伝奕の友、李仲卿の仏教破斥の書に対して堂々たる反論を加えた、上の『弁正論』がそれである。当時、道教の徒朝に列して仏教を破斥せんとしたのであるから、師の殉教的の奮闘は目覚しいものであった。百牢関の菩提寺に寂す。歳六十九。『続高僧伝』第二十四に委し。
三。箴 針のこと。石針をいう。腫れ物に強く刺す。これをもって言論の有効なるに喩う。
第二科 十喩篇第五
外一異曰太上老君託神玄妙玉女剖左腋而生釈迦牟尼寄胎摩耶夫人開右脇而出 乃至 内一喩曰老君逆常託牧女而左出世尊順化因聖母而右生開士曰案盧景裕載[シン03]韋処玄等集解五千文及梁元帝周弘政等考義類云太上有四謂三皇及尭舜是也言上古有此大徳之君臨万民之上故云太上也郭荘云時之所賢者為君材不称世者為臣老子非帝非皇不在四種之限有何典拠輙称太上耶[ケン03]道家玄妙及中胎朱韜玉机等経并出塞記云老是李母所生不云有玄妙玉女既非正説尤仮謬談也仙人玉[ロク01]云仙人無妻玉女無夫雖受女形畢竟不産若有茲瑞誠
(3-655)
曰可嘉何為史記無文周書不載求虚責実信矯盲者之言耳礼云退官無位者左遷論語云左袵者非礼也若以左勝右者道士行道何不左施而還右転耶国之詔書皆云如右竝順天之常也 乃至
【読方】外の一異にいわく、太上老君は、神を玄妙玉女に託して、左腋を割いてうまれたり。釈迦牟尼は、胎を摩耶夫人によせて、右脇を開きていでたり。乃至 内の一喩にいわく。老君は常に逆〈たが〉いて、牧女に託して左よりいづ。世尊は化にしたがいて、聖母によりて右より生じたまう。
開士のいわく。盧景裕、載[シン03]、韋処玄等が集解五千文、および梁の元帝周弘政等が考義類を案ずるに、いわく、太上に四あり。いわく三皇および尭舜これなり。言うこころは上古にこの大徳の君あり。万民の上にのぞめり。かるがゆえに太上という。郭荘がいわく。時の賢とするところのものを君とす。材、世に称せられざるものを臣とす。老子、帝にあらず、皇にあらず、四種の限りにあらず。なんの典拠ありてかたやすく太上と称するや。道家の玄妙および中胎、朱韜、玉机等の経、ならびに出塞記をかんがふるに、いわく、老はこれ李母が生めるところ、玄妙玉女ありといわず。すでに正説にあらず。尤も仮の謬談なり。他人玉録にいわく。仙人は妻なし。玉女は夫なし。女形を受けたりといえどもついに産せず。もしこの瑞あらばまことに嘉とすべしという。何為〈なんすれ〉ぞ史記にも文なし、周書にものせず、虚をもとめて実をせめば、嬌盲者の言を信
(3-656)
ずならくのみ、礼にいわく、官を退きて、位なきは左遷せらる。論語にいわく、左袵〈さじん〉は礼にあらずと。もし左をもって右にすぐれたりとせば、道士行道するに何ぞ左に施ずして、而もかえりて右にめぐるや。国の詔書に皆いわく、右のごとしと。竝びに天の常に順うなり。乃至
【字解】一。太上老君 老子の尊称。姓は李、名は耳、字は[タン02]、伯陽と号す。楚国苦県の人。周の柱下史となり、後函谷関を超えて跡を晦ますに際し関の令尹喜の請いにより道徳五千余言を残す。所謂『老子』上下二篇八十章が即ち其である。
二。玄妙玉女 玄妙は賞美の言葉、玉女は人間界を離れたる仙女のこと。即ち神秘の色深き、妙に美しい仙女ということ。
三。開士 菩薩の異名。ここでは道を修める人の意。開は開達、または明の意。秦主符堅が有徳の沙門を尊重して呼んだところである。
四。盧景裕等 『国史経籍志』によれば、盧景裕は、『老子註』二巻を作りし人。『仏祖統記』第三十八によれば、盧景裕は仏法に通ぜしため人彼を呼んで居士と称した。嘗て従兄仲礼の乱に坐して禁獄せられたが、経を誦して枷をを脱がれ為に免〈ゆる〉されたとある。戴[シン03]は『老子義疏』九巻、『荘子義疏』九巻の著者、韋処玄は『老子疏』四巻の著者。
五。梁元帝 梁の武帝の第七子、孝元帝のこと。
六。周弘政 北周の人、老荘の疏を作りし人。
(3-657)
七。三皇 支那上古の三君主、伏羲、神農、黄帝。
八。上古 古々〈むかしむかし〉久しの意。伏羲は上古、周の文王は中古、孔子は後古、他の一説には、上古は三皇、中古は五帝(少昊、[セン11][ギョク01]、高辛、唐尭、虞舜)、下古は三王(夏后、殷湯、周姫)。以上二説にて、大体上、支那上古の意義を知ることが出来る。
九。郭荘 字は子玄、荘子の注をもって有名であるから、この名あり。
十。『史記』 百三十巻。司馬遷の著。本紀十二、年表十、世家三十、列伝七十、本邦刻八尾版にて合冊二十五、本紀は五帝に始まり漢の孝武帝に終わる。年表、世家、列伝等も元よりこの範囲を出ることはない。
十一。『周書』 五十巻。本紀八、列伝四十二。北周の史であるから『後周書』ともいう。唐の令狐徳[フン02]が勅を奉じて撰する所。但し殊欠あり。後人これを補う。又竄入多しと称せらる。
【文科】一異一喩の文、老子と釈尊の出生上の優劣論。
【講義】外論には、道教仏教の第一異として、初めに二教教祖の伝記に就いて仏教を貶とし道教を賞揚して曰く、道教の開祖たる太上老君即ち老子は、神を絶妙なる仙女に宿し、その左の腋を割いてうまれられたが、釈尊は摩耶夫人の胎内に宿りて、その右脇を開いて胎内から出られた。
内道たる仏教の見解から、上の外の一異に対して、内の一喩を立てて曰く。汝の言を真
(3-658)
とすれば、老子は実に常理に違うているのである。即ちその母は玉女ではなくして李氏の娘たる牧女で、その左腋から生まれたというではないか。その左ということが左道(邪道)の証拠である。然るに釈迦牟尼世尊は、天地化育の法則に順じて、聖母摩耶夫人の右脇より誕生せられた。右は正道を顕わしているのである。
ここに於いてか開士説をなしていう。盧景裕、戴[シン04]、韋処玄等の『老子』の解釈、及び梁元帝、周弘政等の『老子』を解釈した考義類を案〈しらべ〉て見ると、この「太上」に四ありという。即ち伏羲、神農、黄帝の三皇と、尭舜を合して一となし、四太上という。その意味はと云えば、上古の時代には、これらの徳の高い聖人が上にありて、万民に君臨せられたというので、太上と名づけたという。郭荘のいうには、その時代の民衆がその人の徳に懐き、賢者として崇敬する者を君主となし、智徳を備えていても、その名声が世に顕われない者は、君王を補佐する臣となる。是が実の意味に於ける君と臣とである云々。
今、道家に云う所謂太上老君を考えて見るに、老子は、尭舜のような帝王でもなければ、伏羲神農等の三皇の班に列すべき人物でもない。さすれば四種の太上に洩れた人である。何の典拠に依りて軽々しく太上の尊称を冠するのであるか。更に道家の書と称せらるる
(3-659)
『玄妙』、『中台』、『朱韜』、『玉机』等の経典并びに『出塞記』等を繙いて見るに、唯老子は母李氏の生む所というて、玄妙玉女のことに関しては一言も述べてない。さすれば玉女云々の説は、道教部内に於いても正しい伝説ということは出来ない。非常なる仮謬〈まちがい〉の談である。
更に玉女に就いて考えて見るに、『仙人玉[ロク01]』には、仙人は世を捨てて道を修めている人であるから妻はない。又玉女は夫を持たない。故に女の形相をもって生れても、決して子を産むということはない。もしかような希瑞あらば誠に嘉賞〈ほむ〉べきものである云々と云うてある。されば老子が玉女を母として生れたということは、不合理の甚だしいものでないか。
更に正史に就いて見ても、既に玉女云々のことは、『史記』にも『周書』にも記載してない。左様な嘘を土台として事実を非難するならば、矯妄者の言葉を信〈まこと〉とすると同じことである。
『礼記』に云わく、官職をやめて無位となった人は左遷せられたものである。『論語』に云わく、左袵〈ひだりまえ〉は正しい礼に背いておる。かくの如く古書によりても右の勝っていることは明らかである。もしそれにも係らず尚左を以て勝れりとするならば、道士が儀式の際に行導する際に、何故に左方に施らずして、右方に回転るのであるか。国家の詔書を見ても、
(3-660)
右の如しと云うでないか。これらは皆天理自然の常道に順うているので、自ずとかように右を主として来たのである。乃至
外四異曰
老君文王之日為隆周之宗師
釈迦荘王之時為[ケイ02]賓之教主
内四喩曰
伯陽職処小臣忝充蔵吏不在文王之日亦非隆周之師
牟尼位居太子身証特尊当昭王之盛年為閻浮教主 乃至
【読方】外の四異にいわく。老君は文王の日、隆周の宗師たり。
釈迦は荘王のとき、[ケイ02]賓の教主たり。
内の四喩にいわく。
伯陽は職小臣に処〈お〉り、忝く蔵吏にあたれり。文王の日に在らず。また隆周の師にあらず。
牟尼はくらい太子に居して、身特尊を証したまえり。昭王の盛年にあたり、閻浮の教主たり。乃至
【字解】一。蔵吏 周の官名。又は柱史、柱下ともいう。儒官にして、日本の大内記に類す。
【文科】四異四喩の文。老子と釈尊の時代と地位の優劣論。
【講義】外論の四異の中に云わく、老子は周の文王の世、即ち周代の初めであるから最も隆盛を極めた周朝の国師であるが、釈迦は是よりずっと後れて、周第十六代荘王の時、印度の一小国たる[ケイ02]賓国の教主に過ぎないと貶めている。
これに対して内道の第四喩に云わく、老子の職は低く、僅かに周の小役人を忝〈かたじけ〉なうしただけで初代文王の世隆〈さかんな〉周の国師どころではなかった。然るに釈尊は、出家以前には一国の王位を継ぐべき太子の身分であり、出家しては天上天下に畴〈たぐ〉いなき独尊の証りを獲られた。そして支那の年代に配当すれば、周の第四世昭王の全盛時である。又小国の教主にあらずして閻浮提〈このせかい〉の凡てに行き亘りて教えを布き給う大教主にて在します。乃至
外六異曰
老君降世始自周文之日訖于孔丘之時釈迦下生肇於浄飯之家当我荘王之世
内六喩曰
迦葉生桓王丁卯之歳終景王壬午之年雖訖孔丘之時不出姫昌之世
調御誕昭王申寅之年終穆王壬申之歳是為浄飯之胤本出荘王之前
開士曰孔子至周見老[タン02]而問礼焉史記具顕為文王師則無典証出於周末其事可尋周初史文不載 乃至
【読方】外の六異にいわく。
老君は世に降して、はじめ周文の日より孔丘のときにおわれり。釈迦は生をくだして浄飯の家にはじまりて、わが荘王の世にあたれり。
内の六喩にいわく。
迦葉は桓王丁卯の歳に生まれて、景王壬午の年におわる。孔丘の時に訖〈お〉うといえども、姫昌の世にいでず。
調御は昭王甲寅の年に誕して、穆王壬申の歳に終う。これ浄飯の胤たり。もと荘王の前にいでたまえり。
開士のいわく。孔子、周にいたりて老[タン02]をみて礼を問う。史記につぶさにあらわる。文王の師たることすなわち典証なし。周の末に出でたり。そのことたづぬべし。周の初めの史文にのせず。乃至
(3-663)
【字解】一。迦葉 老子を指していう。老子の本地は迦葉菩薩であるという説による。
二。姫昌 周の文王のこと。文王の姓は姫、名は昌であるから。
三。調御 仏十号の一。具には無上士調御丈夫という。仏は猛獣を調順するように、一切の有情等の心を調え給う故にこの名あり。
【文科】六異六喩の文。老子と釈尊の時代の前後優劣論。
【講義】外論の第六異に云わく、太上老君のこの世に降誕あせられたのは、周の文王の時代の始まり、そして終りの日は、実に孔子の時代である。この間数百年の間、老君は教えを垂れ給うたのであるが、釈迦の生れたのは、印度の一小国主たる浄飯王の家であって、我周の荘王の治世に当たっているのである。
これに対して内道の第六喩に云わく、老子の生れたのは、周の第十九世桓王の丁卯の歳であって、第二十世景王の壬午の歳に終っている。孔子の時代まで生きていたけれども、文王の時代なぞでは断じてない。
然るに釈尊は、周の第四世昭王の二十六年即ち甲寅の年に誕生せられ、第五代穆王の五十三年即ち壬申の歳に入滅せられた。浄飯大王の後継者であっても、その時代を云えば老子の生れた荘王の時代とは、遥か以前である。
(3-664)
開士、説をなして云わく、孔子が魯より周に赴きて、礼のことに関して老子に問うたということは、『史記』に委しく記載してあるけれども、文王の師匠であったというようなことは、何処にもその典拠を求めることは出来ない。即ち老子の生れた時代は孔子と同時代であるから周末の春秋戦国の時である。その事蹟ならば蹟づけることが出来る。併し周の初代の文王の時代であるということは、どの文書にも記載する所はない。
外七異曰
老君初生周代晩適流沙不測始終莫知方所
釈迦生於西国終彼提河弟子[ツイ01]胸群胡大叫
内七喩曰
老子生於頼郷葬於槐里詳乎秦佚之弔責在遁天之形
瞿曇出彼王宮隠慈鵠樹伝乎漢明之世秘在蘭台之書
開士曰荘子内篇云老[タン02]死秦佚弔焉三号而出弟子怪問非夫子之徒歟秦佚曰向吾入見少者哭之如哭其父老者哭之如哭
(3-665)
其子古者謂之遁天之形始以為其人也而今非也遁者隠也天者免縛也形者身也言始以老子為免縛隠形之仙今則非也嗟其諂曲取人之情故不免死非我友 乃至
【読方】外の七異にいわく。
老君はじめて周の代に生まれて、のちに流沙に適〈ゆ〉く。始終をはからず、方所を知ることなし。
釈迦は西国に生じて、かの提河におわりぬ。弟子胸を[ツイ01]ちて群胡大きにさけぶ。
内の七喩にいわく。
老子は頼郷にうまれて、槐里に葬らる。秦佚が弔を詳らかにす。せめ遁天の形あり。
瞿曇はかの王宮にいでて慈鵠樹に隠れたまう。漢明の世に伝わりて、秘そかに蘭台の書にまします。
開士のいわく。荘子の内篇にいわく、老[タン02]死して秦佚弔う。ここに三〈みたび〉号〈さけ〉んで出ず。弟子怪しんでとう。夫子の徒〈ともがら〉にあらざるかと。秦佚がいわく。向〈さき〉に吾いりて少者を見るに、これを哭することその父を哭するがごとし。老者これを哭す。その子を哭するがごとし。古にこれを遁天の形という。始めはおもえらく、その人なりと。而るにいま非なり。遁は隠なり。天は免縛なり。形は身なり。言うこころは、はじめ老子をもって、免縛隠形の仙とす。今すなわち非なり。嗟その諂曲、人の情を取る。かるがゆえに死をまぬかれず。わが友にあらず。乃至
【字解】一。流沙 支那の北方より印度に至る間に於ける大砂漠を指す。『西域記』第十二によれば、瞿薩
(3-666)
旦那の東境の関防たる尼壌城を過〈よ〉ぎりて東すれば、「大流沙に入る。沙は則ち流慢、聚散風に随う。人行迹なく、遂に多く路に迷う。四遠茫々として指す所を知るなし。是を以て、往来するに遺骸を聚めてこれを記す。林水罕〈まれ〉に熱風多し。風起これば則ち人畜昏迷し、これに因りて病を成す。」もって瘴烟漲る大砂漠の光景の一般を知ることが出来る。
二。提河 具には阿爾多[バ01]底、梵音アヂタワティ(Ajitavati)、無勝河と訳す。略して跋提河、又は提河という。ヒマヌヤワティ(Hiranyavati) 河の俗称である、中印度、拘尸那掲羅国にあり。
【文科】七異七喩の文。老子と釈尊の終焉に関する優劣論。
【講義】外論の第七異に云わく、太上老君は初め周代に生まれ、晩年には『列仙伝』第六に出づる如く、尹喜とともに流沙の西に赴き、草木の実を食して生活したということであるが、その後の始終を測り知ることも出来なければ、又何処へ行かれたのやら、その方所も知ることは出来ない。
老君の晩年はかように凡俗を超脱したものであったが、釈迦は西方印度に生れ、彼の跋提河の畔に逝き、臨終の際、彼の弟子達は胸を捉〈と〉って悲き、その信者の群胡〈えびすども〉は、大いにその死を動哭した。釈迦の臨終は、かように平凡な人情臭いものであった。
これに対して内道の第七喩に云わく、老子は晩年に往く所を知らずなどというのは、虚偽
(3-667)
で、彼は頼郷に生まれ、槐里という処に死んでいる。それはあの有名な『荘子』に出でている。弟子の友人秦佚の弔いの話で詳らかにせられている。所謂遁天之形云々と非難せられてある所がそれである。
然るに釈瞿曇は、初め王宮に出現し、終りに鶴林の下に入滅し給う。その事は後漢の明帝の世に経典によりて伝えられ、天子の図書館たる蘭台の蔵書として秘蔵せられてある。
開士説を立てて曰く、『荘子』の内篇即ち養生主に云うよう。老[タン02]が死んだということを聞いて、その友人秦佚が悔やみにゆき、世間の礼義に順じて三度号泣して、家の奥にも入らず、死体も見ないで、直ちに引き返して出て来た。秦佚の弟子がこの素気ない有様を見て怪しんで問う、老子は先生の旧友ではあるませぬか。何故先生は御弔いになるに、そんな素気ない態度をせられるのでありますか。秦佚の云わく、私が今しがた家に入って様子を見ると、小者は老子の死を悲しんで、追慕の涙にくれていることは、ちょうどその父の死を悲しむよう、老者は亦その子を失うたように泣いておる。これを見て私も興が醒めた。実に古には老子の人物をもって遁天の形である、真の隠士であると思っておったが、今は左様に思わぬ。
(3-668)
抑も遁天の遁は隠である。即ち塵界から姿を隠すことである。天は人情の繋縛〈とらわれ〉を免れること。形は身を意味す。そこで遁天の形とは、人情の縛〈とらわ〉れを免れ、身を塵の世から隠す所の仙人のことである。老子は実にこの免縛隠形之仙人であると思うたことであるが、今はそうではない。嗟かように近親の老少をして悲しませることは、老子が生前に、諂曲〈へつらい〉の心をもって、常人の人情を迎えた為である。かくの如くんば、故意〈ことさら〉に死を招いたようなもので、死は寧ろ当然のことである。即ち生きていても死と選ぶことはない。左様な人は我友達ではない。乃至
【余義】所引の『荘子』の文、本文と相違している。『荘子』養生主第三に曰く「向吾入而弔焉、有老者哭之如哭其子、少者哭之如哭其母、彼其所以会之必有不[キ01]言而言不[キ01]哭而哭者、是遁天倍情忘其所受、古者謂之遁天之刑(さきに吾入りて弔す。老者これを哭すること、その子を哭するが如く、少者これを哭することその母を哭するがごとし。彼、それこれを会する所以は、必ず言を[キ01]〈もと〉めずして言い、哭することを[キ01]〈もと〉めずして哭することある者、これを天を遁れ情に倍〈そむ〉いて、その受くるところを忘する、古にこれを遁天の刑と謂う)」。この意に依れば、老若の人達が老子の死を悲しむのは、特に死を悲しめと遺言はせないが、彼の遺風が自ずと伝わりてこの醜状を演じせしめたのである。是は天理に背きて俗情に囚<とら>えられたので、天理を遁れた為に、逃れ難い刑罰を受けるという。さすれば「遁天刑」とは、老子を貶したことになるのであるが、法琳の解釈には、免縛の仙人として讃めたことになっている。是は上
(3-669)
に引く如く本文の上に相違があるので、弥天の道安の著『二教論』は、法琳の解釈と同じであるから、察する所、その『二教論』に拠ったのであろう。その文に曰く「荘周、称老子曰、古者謂之遁天之形、始以為其人今則非人也、尚非遁天之仙故有秦佚之弔死扶風葬槐里(荘周、老子を称して曰わく、古はこれを遁天の形と謂う。始は以てその人と為す。今は則ち人にあらざるなり、なお遁天の仙にあらず。故に秦佚の弔あり。扶風に死して槐里に葬る)」云々。
但し何れにしても、結局老子を貶していることには変わりはない。
第三科 十喩篇第五残文
内十喩答外十異
外従生左右異一内従生有勝劣
内喩曰左袵則戎狄所尊右命者為中華所尚故春秋云冢卿無命介卿有之不亦左乎史記云藺相如功大位在廉頗右頗恥之又云張儀相右秦而左魏犀首相右韓而左魏蓋云不便也礼云左道乱群殺之豈非右優而左劣也皇甫謐高士伝云老子楚之相人家干渦水之陰師事常樅子及常子有疾李耳往問疾焉稽康云李耳従涓子学九仙之術検太史公等衆書不云老子剖左
(3-670)
腋生既無正出不可承信明矣験知揮戈操翰蓋文武之先五気三光寔陰陽之首是以釈門右転且扶人用張陵左道信逆天常何者釈迦起無縁之慈応有機之召語其迹也 乃至
【読方】内の十喩、外の十異を答す。
外は生より左右ことなる一なり。内は生より勝劣あり。
内に喩〈さと〉していわく。左袵はすなわち戎狄の尊ぶところ、右命は中華のとうとぶところとす。かるがゆえに春秋にいわく、冢卿は命なし。介卿はこれあり。また左〈たがわ〉ずや。史記にいわく。藺相如は功大きにしてくらい廉頗が右にあり。頗これを恥ず。又いわく、張儀相、秦を右にして魏を左にす。犀首相、韓を右にして魏を左にす。蓋しいわく、便ならず。礼にいわく、左道乱群をばこれを殺す。あに右は優りて左は劣れるにあらずや。皇哺謐が『高士伝』にいわく、老子は楚の相人、渦水の陰に家す。事を常樅子にひとしくす。常子疾あるにおよんで、李耳
ゆきて疾〈やまい〉をとう。稽康が云わく、李耳、涓子にしたがいて九仙の術をまなぶ。太史公等が衆書を[ケン03]するに、老子左腋をひらきて生まるといわず。既に正しく出でたることなし。承信すべからざること明らけし。験〈あきらか〉に知んぬ。戈をふるい翰を操るは、けだし文武の先、五気三光はまことに陰陽の首〈はじめ〉なり。ここをもって釈門には右に転ずることまた人用を扶く。張陵左道す。まことに天の常に逆う。何となれば、釈迦無縁の慈を起こして、有機の召しに応ず。その迹〈あと〉をかたるなり。乃至
【字解】一。右命 命は命令。凡て上より下に向かって命ぜられるること。故に右命とは右を上とし命令の第
(3-671)
一に下る所とすること。
二。冢卿 六卿の長。即ち大宰相のこと。
三。介卿 介は助。左右大臣等の如く宰相を補佐する公卿。
四。藺相如、廉頗 共に趙の臣。藺相如、恵文王の命を奉じて所謂連城の璧〈たま〉を奉じて秦に使いし、(紀元前二八三年)秦王の城を償うの意なきを知りて、遂に璧を完うして帰り、又王を奉じて秦王と会飲した時も君を辱むることはなかった。為に上卿となって将軍廉頗の右に位した。頗これを恥とし争わんとしたが、後に互に和(紀元前二七九年)して君国の為に尽した。
五。張儀 魏の人。蘇秦と師を同じうし、蘇が六国に相として合従(紀元前三三三年)して秦に当たりたるに対して、張はその後六国を連衡(紀元前三一一年)して秦に仕えしめた。秦の相となり又魏の相となりて卒す。
六。犀首 魏の公孫、秦に仕えて宰相となる。周の顕王三七年(紀元前三三二年)秦王の命を受けて、斉魏を欺いて共に趙に伐たしめた。
七。左道 邪道の意。
八。皇哺謐 名は子安。玄安先生という。晋の人である。『高士伝』十巻を著わす。
九。相人 占者のこと。或は曰く、地名、又は応接役のことであるという。今は第一説に随う。
十。稽康 東晋の大夫、竹林七賢人の一。名は稽寂夜、『賢聖高士伝』三巻を著わす。
十一。五気 五運のこと。一、太易――未だ気を見ざる所。二、太初――気の始め。三、太始――形の
(3-672)
始め。四、太秦――質の始め。五、太極――天地の両儀を生ずるもの。以上の気と形と質と相離れざる所を渾沌という。五気通運するを天地の元となす。清は陽をもって発する故に、気上りて天となり、濁は陰をもって凝る故に気は下りて地となる。要するに五気とは、天地生成の原質である。
十二。三光 日、月、星。
十三。張陵 後漢の順帝の世の人。沛に生れる。鵠鳴山に登りて鬼神を使う術を得、道書を作り、病人をして米を寄贈せしめて悔過せしめ、五斗米を取りて弟子となし、男女合気の術を教えた。かくして愚民を惑乱した。米賊又は五斗米道と称せらる。陵死し、凉張魯祖父の術を伝え、漢中にありて自ら師君と称し、乱をなし魏の曹操に滅ぼさる。又中元年中鉅鹿の人、張角自ら黄天部師と称し、みな黄巾を着けて印となし、遥かに張魯に応じた。これを道教の三張という。
【文科】標章、第一異喩の文、左(道教)右(仏教)の優劣論。
【講義】内道の十喩、是は外道の十異に対する解答である。
外論は、老子と釈迦との生まれ方が左右の違いがあることを第一の問題として挙げてある。是に対して内道はその左右の生れ方に於いて勝劣がある。右脇より生れた釈尊は勝れ、左腋より生れた老子は劣っているというのである。
直ちに内喩を明かす、内喩に云わく、左袵は文化の開けない戎狄の尊〈あが〉める所で、右命は支那
(3-673)
中国の尚〈あが〉むる所である。それ故に『春秋』には「大宰相には上下の命令はないが、左右の大臣には、上下の命令がある。即ち上下の別がある。それでは道理上左〈たが〉うではないか云々」とある。『史記』に云うよう、趙の藺相如は王を補けて会合した時、王をして少しも負を取らせなかった功の大いなる為に、上卿の位となり、将軍廉頗の右(上位)に出た。廉頗はこれを自分の恥とした。又云わく、宰相張儀は、秦国を右とし魏国を左とした。又犀首相は韓国を右にし、魏国を左とした。これというは外のことではない。親しい国を右とし疎い国を左とするので、疎い国には不親切であるというのである。
『礼記』に云わく、「左道の者が徒党を結んで乱を醸せば、それらを撃って殺す」とある。以上の例によりても右は優り、左は劣っているでないか。
皇哺謐という人の著わした『高士伝』に依れば、老子の楚国の占人で渦水の北に住居し常樅子という人を師として事えた。常子が病気に罹った時に、老子が行きて師の疾を見舞うたと書いてある。又老荘の流れを汲んだ竹林七賢人の一人たる稽康は「老[タン02]は涓子という人から九仙の術を学んだ」と云うておる。
かように『史記』を書いた太子公司馬遷等の衆の典籍を検べて見ても、老子は楚国の相
(3-674)
人であるとか、九仙の術を学んだと云うようなことを記載しておるが、玉女の左腋を割いて産れたというようなことは書いてない。既に正しい出拠がない以上は、左様な説は妄誕不稽〈いつわり〉の甚だしいものであって、信ずるに足るぬものであることは明らかである。
験〈あき〉らかに知る、武人の戈を揮〈ふる〉い、文人の翰〈ふで〉を執る皆な右を先としている。是かの太易、太初等の五気、日月星辰の三光が陰陽の首〈はじ〉めであると相応しているのである。それであるから釈尊が摩耶夫人の右脇から転生れ給うたのは、又右を尚〈とうと〉ぶ世間の習俗と相応したのである。彼の張陵なぞの左道の教えは、天理に逆らうておることが解る。何故に釈尊が右脇より生まれ給うたかと云えば、元釈尊の目的とし給う所は、恰も一月天に輝いて万水にその影を宿すように無縁平等の大慈悲をもって、自然の理に従って有縁の機の召請に応じて摂化を施し給うの外はない為に、その根本の意味から流れ出た迹を示したものである。
【余義】本文初めの『春秋』(左伝照公四年の下)の文「冢卿無命、介卿有之不亦左乎(冢卿無命、介卿はこれあり。また左〈たが〉わざるや)」は現行の文には「南遺謂季孫曰、叔孫未乗路、葬焉用之、且冢卿無路、介卿以葬、不亦左乎(南遺、季孫に謂いて曰わく、叔孫、いまだ路に乗らず、これを葬るにこれを用ゆ、かつ冢卿、路なし、介卿は以て葬る、また左〈たが〉わざるや)」とあり、この文意は、「南遺が主君の季孫に申すようは、叔孫は生前すら路車の乗ることの出来ない身分なるに、葬るに路を用いるはどうして出来ましょうぞ。
(3-675)
且つ上卿すら路車がないのに、次卿の身分で路を用いて葬るは、道理に遠〈そむ〉くではありませぬか」であるから、全く意味は違うているのである。法琳師の用いられしは別本なるか、後の君子を俟つ。
夫釈氏者天上天下介然居其尊三界六道卓爾推其妙 乃至
【読方】それ釈氏は天上天下に介然としてその尊に居す。三界六道卓爾としてその妙を推〈お〉す。乃至
【文科】第三喩の文。釈尊の独尊を示し給う。
【講義】それ大聖釈尊は、天上、天下、さながら雪山の天に沖〈ひい〉るようにその至尊の位にいらせられ、三界六道の中にありて、並ぶものなき卓越者として、皆その妙なる威徳を仰ぎ奉るものである。乃至
外論曰老君作範唯孝唯忠救世度人極慈極愛是以声教永伝百王不改玄風長被万古無差所以治国治家常然楷式釈教棄義棄親不仁不孝闍王殺父翻得無愆調達射兄無聞得罪以此
(3-676)
導凡更為長悪用斯範世何能生善此逆順之異十也
内喩曰義乃道徳所卑礼生忠信之簿瑣仁譏於匹婦大孝存乎不匱然対凶歌笑乖中夏之容臨喪扣盆非華俗之訓〔原壌母死騎棺而歌孔子助祭弗譏子桑死子貢弔四子相視而笑荘子妻死扣盆而歌也〕故教之以孝所以敬天下之為人父也教之以忠敬天下之為人君也化周万国乃明辟之至仁形于四海実聖王之巨孝仏経言識体輪回六趣無非父母生死変易三界孰弁怨親又言無明覆慧眼来往生死中往来多所作更互為父子怨親数為知識知識数為怨親是以沙門捨俗趣真均庶類於天属遺栄即道等含気於己親〔行普正之心等普親之意〕且道尚清虚爾重恩愛法貴平等爾簡怨親豈非惑也勢競遺親文史明事斉桓楚穆此其流也欲以[シ05]聖豈不謬哉爾道之劣十也 乃至
【読方】外論にいわく。老君を範となす。ただ孝ただ忠、世を救い人を度す。慈をきわめ愛を極む。ここをもって声教ながく伝え、百王改まらず。玄風ながく被〈こうむ〉らしめて、万古差〈たが〉うことなし。このゆえに国をおさめ家をおさむるに常然たり。楷式たり。釈教は義をすて、親をすて、仁ならず、孝ならず、闍王父を殺せる、翻して
(3-677)
[ケン02]〈とが〉なしととく。調達兄を射て罪を得たりと聞くことなし。此れをもって凡を導く、さらに悪を長〈ま〉すことをなす。斯をもって世に範〈のり〉とする、何ぞよく善を生ぜんや。これ逆順の異十なり。
内に喩していわく、義はすなわち道徳の卑しうするところ、礼は忠信の薄きより生ず。瑣仁、匹婦をそしり、大孝は不匱に存す。然うして凶に対いて歌い笑う。中夏の容に乖〈たが〉う。喪にのぞんで盆〈ほとぎ〉をたたく、華俗のおしえにあらず。〔原壌、母死して騎棺してうたう。孔子まつりをたすけてそしらず。子桑死するとき子貢とむらう。四子あいみてわらう。荘子妻死す。ほとぎをたたきてうたう。〕
かるがゆえにこれを教えるに孝をもってす。天下の人父たるを敬するゆえなり。これを教うるに忠ををもってす。天下の人君たるを敬するゆえなり。化万国にあまねし、すなわち明辟の至れるなり。仁四海にあらわる、まことの聖王の巨孝なり。仏経にいわく、識体六趣に輪回す。父母にあらざることなし。生死三界に変易す。たれか怨親を弁〈わきま〉えん。又いわく、無明慧眼をおおうて生死の中に来往す。往き来たりて多く所作す。さらに互に父子たり。怨親しばしば知識たり。知識しばしば怨親たり。ここをもって沙門、俗を捨てて真におもむく。庶類を天属にひとしくす。栄をすてて道につく、含気を己親にひとしくす。〔普く正しき心を行じて普く親き志を等しくす。〕また道は清虚を尚ぶ。それ恩愛を重くせんや。法は平等をとうとぶ。それ怨親を簡〈きら〉わんや。豈惑いにあらずや。勢競親をわすれ、文史事をあかす。斉桓楚穆これその流〈ともがら〉なり。もって聖を[シ05]〈そし〉らんとおもう。豈謬れるにあらずや。それ道の劣十なり。乃至
【字解】一。闍王 阿闍世王、釈尊当時の王舎城の主、第二巻五六〇頁参照。
二。調達 釈尊の従弟。山邊著『仏弟子伝』に委し。
三。瑣仁 小仁の意。
(3-678)
四。不匱 乏しからずの意。富貴のこと。
五。明辟 辟は天子諸侯の称。ここでは名君という意。
六。庶類 諸の生類。一切の有情のこと。
七。典属 父母のこと。
八。含気 気を含める者。衆生のこと。含識に同じ。
九。勢競 勢は威力の義。競は争いの義。熟してもののなりゆき。
十。斉桓 斉の桓公のこと。桓公の二十七年に公の妹にして曩〈さき〉に魯の[ビン01]公に嫁ぎたる哀姜が、公子の慶父と情を通じて、[ビン01]公を殺さしめ、情夫慶父を立てようとしたが、桓公は交親国の難を救わんが為に親を忘れて、妹哀姜を殺して釐公を立てた。
十一。楚穆 楚の穆王。諱を商臣という。宮衛兵をもって父成王を囲み、遂に父王をして自ら絞れしめ、商臣自身立って王位に即いた。これを穆王となす。
【文科】第十異喩の文。怨親平等の仏教の真義を述ぶる一段。
【講義】外論にいう。太上老君は、万人の為に摸範を示して、唯忠孝の道をもって、邪に奔〈はし〉る世間を救い、人々を度〈すく〉い、慈しみの限りをつくして愛の極みを尽された。それが為にその芳しい名声と、尊い教訓は永なえに伝えられ、代々の君王も百世の久しきに亘りて、この
(3-679)
道を改めることなく、かくて幽玄〈おくぶか〉い遺風は、長く世に行われて、千万年に及びても変わることはない。所以にこの教えを以って大は一国を治めるにも小は一家を斉え〈ととのえ〉るにも、少しの異〈ちが〉うことはない。即ちどこまでも正しい規矩〈おきて〉である。然るに釈迦の教えはこれに反して、教主の伝記から見ても、自分の解脱の為に、国民に対する義理を捨て、又老いたる父王を棄てた。是は国民に対しては不仁であり、親に対しては不孝の子である。又その教えを奉ずる側から云えば、阿闍世王は父を殺しながらも、回心すれば罪はないと説き。提婆達多の如きは、従兄たる釈迦を射ても、罪を得たと聞いたことはない。かような教えをもって一般世間の人々を導くならば、益々罪悪を増長せしめるばかりである。かかる悪法を用いて、世間の軌範〈てほん〉とするならば、どうして善を栄えしめることが出来ようぞ。正に木によりて魚を求めるようなものである。此れ道教は正道に順じ、釈教は正道に逆らうている相違の第十である。
上の外論に対する内喩にいわく、今道教の意のよれば、義を立てるということは真の道徳から云えば卑しむべきものであり。礼は忠信の薄い所から生じた虚飾に過ぎない。そして小さな仁愛は匹婦の行う所で、士君子の歯〈よわい〉するに足らぬもの、そして大孝すなわち大仁は富貴
(3-680)
を得る為に外ならぬと。是実に汝等の主張する所である。
かように向こう見ずの説をなす汝等の実際上のことは、どうであるかと云えば矢張りその説の如く奇矯に陥りておるのである。即ち近親の不幸に対して歌うたり笑うたりするのは、第一に中夏の風俗に背いておるでないか。或は喪にありながら盆を叩いて歌うということは、華国の風習ではない。──荘子の徒たる原壌は、その母を喪うや、棺に跨りて歌った。孔子はその喪祭に会しながらそれを非難しない。子桑が死んだ時、子貢が弔いにゆくと、四人の子が相視て歌うていた。又荘子はその妻の死んだとき盆を叩いて歌った。この中孔子、子桑子貢等はこれらの名を仮りて荘子が自分の思想を述べたので、是全体が道教の徒の奇矯な例を挙げたのである──かような放逸無慚な徒輩の為に孝道を教えるのである。即ち天下の民衆をしてその父を敬うことの尊い道たるを知らせん為である。又これらに教えるに忠の道を以ってするのは、天下の人君を敬う道を知らしめる為である。その教化が広く万国に行き亘ることは、明君が極度までその徳を発揚したものであり、仁慈が雨のように四海の果てまでも湿すのは実に聖王の巨いなる孝道である。
仏経に曰く、吾々の識体〈こころ〉は久遠の昔から輪回〈へめぐ〉りてきたのであるから、一切の有
(3681)
情は皆父母でないことはない。又我等の生死は三界に亘りて変易〈うつりかわ〉っておるのであるから三界のどの有情に対しても皆深い因縁を結んでいる。故にあれには怨みがある、是は親しいというように怨親の区別をつける訳にもゆかぬ。
又言わく、無明の煩悩が霧のように生死をいづる智慧の眼を覆い眩まして幾度もいくたびも生死〈まよい〉の巷に往来するのである。かように生死海に往来して互いに多くの様々なる業を造り、互に父子となり、敵も味方も数々互に知識となって教え導き、知識が亦数々怨〈かたき〉となり味方となった。この道理を会得して沙門は世俗の生活を擲〈なげう〉って真諦の出世間道に入り、怨親平等の天地に悟り入るのである。即ち一切衆生をあげて我父母と均しく敬い、浮世の栄華を遺てて証りを得る所の智慧に赴く。そしてあらゆる有情を自分の親と均しくするのである――平等の心、即ち万人を等普〈ひとしなみ〉に親しむ志を実行すること――。また吾等の道として尚〈あが〉むべきものは、人情の穢れを離れた清浄恬淡の心である。然るに汝等は人間の恩愛というものを重く見て、それに囚〈とら〉えられておる。又法と云えば一味平等を貴ばねばならぬ。然るに汝等は小さい人情に従って怨親を分ける。それは惑いの甚だしいものでないか。ものの成り行きにより義によりて、親を滅ぼすことは、歴史の明らかに記載する所で、彼の斉の桓公、楚の穆王など
(3-682)
が、その流〈たぐい〉である。教えを奉じた者が罪を犯すことは、何も仏教のみに関することではない。仏教の主とする所は怨親平等の道である。我等の迷妄の見解を翻せば、そこに平等の一道が感得せられるものである。かかる深遠なる旨趣を弁えずして、大聖の教えをそしらんとするは、繆まれるの甚だしいものでないか、これ爾〈なんじ〉の道の劣っているものの第十である。乃至
第四科 九箴篇第六
二皇統化〔須弥四域経云応声菩薩為伏羲吉祥菩薩為女[カ03]也〕居淳風之初三聖立言〔空寂所問経云迦葉為老子儒童為孔子光浄顔回也〕興已澆之末玄虚沖一之旨黄老盛其談詩書礼楽之文周孔隆其教明謙守質乃登聖之階梯三畏五常為人天之由漸蓋冥符於仏理非正弁之極談猶訪道於[イン01]聾麾方面莫窮遠邇問津於兎馬知済而不測浅深因斯而談殷周之世非釈教所宜行也猶焔赫耀童子不能正目而視迅雷奮撃懦夫不能張耳而聴是以河池涌泛昭王懼於誕神雲霓変色穆后欣亡聖〔周書異記云昭王二十四年四月八日江河泉水悉皆泛漲穆王五十二年二月十五日暴風卒起樹木摧折天陰雲黒有白虹之恠也〕豈能越葱河而禀化踰雪嶺而効誠浄名云是盲者過非日月咎適欲窮其
(3-683)
鑿竅之弁恐傷吾子渾沌之性非爾所知其盲一也
【読方】二皇化を統べて〔須弥四域経にいわく応声菩薩を伏羲とす。吉祥菩薩を女[カ03]とす。〕淳風のはじめに居り、三聖言を立てて〔空寂所問経にいわく、迦葉を老子とす。儒童を孔子とす。光浄を顔回とす。〕已澆の末を興す。玄虚沖一の旨、黄老その談をさかりにして、詩書礼楽の文、周孔その教を隆〈たか〉くす。謙を明らかにし質をまもる。すなわち聖にのぼる階梯なり。三畏五常は人天の由漸とす。けだし冥に仏理にかなう。正弁の極談にあらず。なお道を[イン01]聾に訪うがごとし。方は麾〈さしまね〉いて遠邇を窮むることなし。津を兎馬に問う。済〈わた〉るを知りて浅深をはからず。斯によりて談ずるに、殷周の世は釈教のよろしく行ずべき所にあらず。なお炎威、耀〈ひかり〉を赫〈かがやか〉す。童子目を正しくして視ることあたわず。迅雷奮い撃つ。懦夫〈たんふ〉、耳を張りて聴くことあたわず。ここをもって河池湧き浮かぶ。昭王、神を誕ずること懼る。雲霓〈うんけい〉いろを変ず。穆后聖を失わんことを欣ぶ。〔周書異記にいわく、昭王二十四年四月八日、江河泉水ことごとくみな泛漲せり。穆王五十二年二月十五日、暴風おこりて樹木摧けおれ天くもり雲黒くして、白虹の怪あり。〕あによく葱河をこえて化をうけ、雪嶺をこえて誠を効〈いた〉さんや。浄名にいわく、これ盲者の過にして、日月の咎にあらずと。たまたまその鑿竅の弁を窮めんとす。恐らくば吾子渾沌の性を傷む。それ知る所にあらず。その盲一なり。
【字解】一。已澆之末 人情薄く澆〈にご〉った末世。
二。玄虚沖一 玄は玄妙の徳。『老子』に玄之又玄、衆妙之門というは是である。虚は虚無恬淡寂莫無為の大道。黄老家の極談である。沖は虚の義、道の体は虚であるが、これは用うれば窮まりなし。或る時は盈ち、或る時は盈たず。上の玄虚沖一致の旨は黄老家の談ずる所である。
三。周公 周は周の武王の子を輔けたる聖人周公旦のこと。孔は孔夫子。
(3-684)
四。三畏 君子に三畏あり、天命、大人と聖人の言とである。
五。五常 『礼記』三、『論語』為政篇に出づ。
六。由漸 由は因、漸は事の由来。故に由漸とは因りて来る基本、階梯という程の意。
七。兎馬 経に三獣河を渡る喩による。兎は水上を渡り、馬は兎より深く身を没して泳ぐけれども、足は尚水底に届かぬ。然るに象はドシンドシンと水底を踏んで渡る。兎馬は法河を渡れども象のように仏性の源底を尽すことが出来ないというのである。
八。浄名 維摩居士の称。ここでは『維摩経』を指す。
【文科】周世無機の文。周世に仏教を信ずる機類なかりしことを述ぶ。
【講義】伏羲、女[カ03]の二皇が万民の教化を司り――『須弥四域経』に云わく、伏羲氏は応声菩薩の垂迹、女[カ03]氏は吉祥菩薩の垂迹と――淳朴な風俗の初期にありて教えを垂れ、老子、孔子、顔回の三聖は言教を立てて――『空寂所問経』に云わく、老子は迦葉菩薩、孔子は儒童菩薩、顔回は光浄菩薩の垂迹である――末世の濁った時代にありて、道を興した。騒がしい人為の多端を離れて、幽玄〈くぶかい〉い虚無恬淡の旨趣を盛んに談ずるは黄帝、老子であり、詩書礼楽等の六芸の文教をもって親しく一般人を教え導かんとするは、周公、孔子である。即ち傲慢を離れて、謙遜の意義を明らかにし、浮華を避けて質朴の気風を守ることは、聖人
(3-685)
の域に登る階梯〈かけはし〉である。君子の三の畏れ、仁義礼智信の五常の如きは、人間天上の人々がよってもって道に進む階段である。そしておもうに顧うに是は暗々裏に仏教の道理に叶うているのである。さりとて元より正しい道の極談ではない。云わば[イン01]や聾に道を訪ねるようなもので、方角だけは指し示して呉れても、遠い近い等の細かな点を窮め尽して教えてくれないようなものである。かの津〈わたり〉を兎や馬に問うが如く、彼等は河を渡れども、大象のように底を極めて渡らず、唯水の表面を泳ぐだけであるから、水の深浅を知らして呉れる訳にはゆかぬ。儒教や道教はこの兎と馬に当たるのである。是によりて思うに、殷や周の時代には未だ機縁が熟しない為に、仏教が弘まることが出来ないのである。譬えて云えば、炎威焼くが如き太陽に向かえば、童子なぞは正視することが出来ず、又は迅雷はためきて、雲を劈〈つんざ〉き鳴り轟く時には、臆病な人間は、耳を張って聞くことが出来ないようなものである。それであるから釈尊印度に誕生せらるるの日、この地の川や池の水が溢れた奇瑞を見て、周の昭王が、西方に神が誕生したと懼れ、入滅の日暴風樹木を折り、天日暗く、白虹空にかかるという怪異を見て、穆王が西方の聖人が隠れるというて欣ばれたということは、上述の時機純熟せぬことを証拠立てているのである。さればこの時代に於いては、どうして葱嶺流沙の難を
(3-686)
越えてくる仏教の化益に浴し、雪山の険を踰えて渡来する大法の真実に触れることが出来ようぞ。
『維摩経』仏国品に云わく、日月の光の見えないのは、盲者の所為であって、日月の咎ではないと。仏教の光に浴することの出来ないのは、仏教の過ではなくして、機の咎である、尚これらの事に関し、進んで細かな点に立ち至りて言論を弄するならば、ちょうど『荘子』にある喩えのように、[シュク02]と忽の二帝が中央の帝渾沌の徳に報ぜんとて、彼の耳目等のなきを見て、それらの七竅を穿ち終ると渾沌は遂に死んだというように、今も余り微〈こまか〉に亘り細を穿つならば、汝等の渾沌の性を傷つけんことを恐れることである。即ち却って汝等の仏性を破る恐れがある。誠に仏教の深い道理は汝等の知ることの出来ないものである。即ち上に挙げた日月を見ることの出来ない盲人と一つである。
内建造像塔指二
自漢明已下訖于斉梁王公守牧清信士女及比丘比丘尼等冥感至聖目覩神光者凡二百余人至如見迹万山浮耀滬涜清台
(3-687)
之下覩満月之容雍門之外観相輪之影南平獲応於瑞像文宣感夢於聖牙蕭后一鋳而剋成宋皇四摸而不就其例甚衆不可具陳豈以爾之無目而斥彼之有霊哉
【読方】内に像塔を建造する指の二。漢明より已下、斉梁におわるまで、王公守牧清信の士女、および比丘比丘尼等、冥に至聖を感じ、目に神光を覩る者および二百余人、あとを万山に見、耀を滬涜にうかべ、清台のもとに満月の容〈かたち〉を覩、雍門の外に相輪の影をみるが如きに至る、南平に応を瑞像にえ、文宣は夢を聖牙に感ず。蕭后ひとたび鋳て尅成し、宋皇四たび摸して就〈なら〉ず。その例はなはだ衆〈おお〉し。具に陳ぶべからず。豈なんじが無目をもって、しかもかの有霊を斥〈きら〉わんや。
【字解】一。覩神光者凡二百余人 于宝の『捜神記』、臨川の『冥験録』、徴応の『冥祥幽明録』、太宗の『感応伝』等に載する奇瑞不思議の事実を指す。
二。万山 地名、襄州檀渓寺の金像は、弥天の道安の作であるが、夜な夜な万山に赴かれ、明くれば檀渓寺に帰る。山の一石山に一足相〈ひとつのあしのすがた〉を現ぜられたという伝説あり。『広功明集』第十七。
三。滬涜〈ことく〉 水江。西晋の愍帝建興元年に呉郡の松江に石像二体浮かび上がる。朱応という居士ありてこれを玄通寺に安置した。この石仏に背銘あり、一は惟衛、二は迦葉。『広弘明集』十七、『法苑珠林』二十等参照。
四。清台 清涼台のこと。後漢の明帝の時に、天竺の摩騰法師が釈迦像を将来せるを、帝は之を画工
(3-688)
に描かせて清涼台中に安置された。『仏祖統記』第五十四。『法苑珠林』第二十。
五。満月之容〈すがた〉 仏像、釈尊の相好は衆星の間をゆく満月のようであらせられたと経文にあるによる。
六。雍門之外 洛陽の西門のこと。後漢の明帝の時、摩騰法師の為に城の西雍門の外に白馬寺を建た。是れ支那伽藍の初めである。
七。相輪 仏塔のこと。『翻訳名義集』七に「僧祈」の文を引いて曰く「仏、迦葉仏の塔を造り、上に盤蓋を施し、長なえに輪相を表わす。経中多く相輪という。人仰望して瞻相するを以てなり。」これによりて見れば、相は視るの意にて、輪相を仰ぎ視るという意味で、その種の仏塔を相輪塔という。
八。南平 南平王のこと。『弁正論』三「十代奉仏篇」に王の獲信感応を載す。
九。文宣 斉の文宣皇帝のこと。『法苑珠林』三十に帝が仏牙を夢みし後に、正しく仏牙の渡漢となりしことを記載す。
十。蕭后 斉の大祖高皇帝を指す。帝『法華経』を手写し、般若を誦し、四月八日には常に金像を鋳た。帝は蘭陵の人にして性は蕭である。后は君であるから帝は蕭后と称したものであろう。『弁正論』三参照。
十一。宗皇 宋太宗明皇帝、南宋の第六代の君、文帝の第十一子である。帝かつて丈八の金銅像四躯を鋳造せられたが成らず、更に丈四の像を鋳成して功成る。
【文科】内建造像塔指の文中、外論細末註文仏教流布の奇瑞を述ぶる一段。
【講義】内道に於いて、仏像、仏塔を建立するに就いて、その趣意を指定する第二箴。
(3-689)
抑も仏教渡来の時、即ち後漢の明帝から斉梁の時代まで大凡五百年の間、諸王、公卿、郡守、又は信男、信女、比丘、比丘尼等が、心に如来の御心を感得して、まのあたり神光を覩たてまつった者は凡そ二百余人と称せられてある。仏陀の遺跡を万山の地に現し奉り、滬涜の地に仏像の光を輝かして、万人の崇敬をいたし、又明帝の時代には、清台殿に仏像を安置して、さながら清涼なる満月の容〈かたち〉を見奉り、宮門の一なる雍門の外に白馬寺の相輪塔の影を仰ぐという盛大を来たしたことである。南平王の如きは奇瑞ある仏像に向い奉りて感応を得、斉の文宣帝は、仏牙の渡来せんとする前にそれを夢み、斉の蕭王即ち大宗は、一度大仏像を鋳んと企てて直ちに完成し。宋の大宗の如きは、四度までも仏像を鋳奉ったが遂に出来上がらなかった。かような例は甚だ多くして挙げて数えることの出来ない程である。これらは決して無意味に像塔を建立したものではない。如来の御心がその人々の心に感応し、その喜びの余り発現せられたものである。爾等〈なんじら〉はこの仏光を拝む眼をもとめ心霊上の盲人の癖に、どうして彼等像塔して人々の尊い信念を斥けることが出来ようぞ。
然徳無不備者謂之為涅槃道無不通者名之為菩提智無不周
(3-690)
者称之為仏陀以此漢語訳彼梵言則彼此之仏照然可信也何以明之夫仏陀者漢言大覚也菩提者漢言大道也涅槃者漢言無為也而吾子終日践菩提之地不知大道即菩提異号也禀形於大覚之境未閑大覚即仏陀之訳名也故荘周云且有大覚者而後知其大夢也郭註云覚者聖人也言患在懐者皆夢也註云夫子与子游未能忘言而神解故非大覚也君子曰孔丘之談茲亦尽矣涅槃寂照不可識識不可智知則言語断而心行滅故忘言也法身乃三点四徳之所成蕭然無累故称解脱此其神解而患息也夫子雖聖遥以推功仏何者按劉向古旧二録云仏経流於中夏一百五十年後老子方説五千文然則周之与老並見仏経所説言教往往可験 乃至
【読方】しかるに徳として備わらざる者なし。これをいうて涅槃とす。道を通ぜざるものなし。これを名づけて菩提とす。智として周からざる者なし。これを称して仏陀とす。この漢語をもってかの梵言を訳す。すなわち彼此の仏、昭然として信すべきなり。何を以てかこれを明かすとならば、それ仏陀というは、漢には大覚という。菩提というは、
(3-691)
漢には大道という。涅槃というは、漢には無為という。しかるに吾子ひめもすに菩提の地をふんで大道すなわち菩提の異号なることを知らず。形は大覚の境にうけて、未だ大覚すなわち仏陀の訳名なることを閑〈なら〉わず。かるがゆえに荘周云わく、また大覚あれば而して後にその大夢をしる。郭が註にいわく、覚は聖人なり。いうこころは患〈うれい〉懐〈こころ〉にあるはみな夢なり。註にいわく、夫子と子游といまだ言を忘れて神解することあたわず。かるがゆえに大覚にあらず。君子のいわく、孔丘の談ここに亦つきぬ。涅槃寂照、識〈しき〉として識〈さと〉るべからず。智として知るべからず。すなわち言語たえてしかも心行滅す。かるがゆえに言を忘るるなり。法身はすなわち三点四徳の成ずるところ、蕭然として無累なり。かるがゆえに解脱と称す。これその神解として患息するなり。夫子聖なりといえども、はるかにもって功を仏にゆずれり。何〈いかん〉となれば、劉向が古旧二録を按ずるに、いわく、仏経中夏に流れて一百五十年の後、老子まさに五千文をとく。然れば則ち周と老とならびに仏教の所説をみる言教往々に験〈あきらめ〉つべし。 乃至
【字解】一。三点 仏の三徳のこと。第一、法身の徳、仏は法性に随って成仏する故に普遍平等にして不増不減である。これを法身の徳という。第二に、般若の徳、仏は絶対平等の智慧を有する方面をいう。三、解脱の徳、仏は生死を脱して一切に大自在にを得たまえる方面をいう。この三徳は相関して離れず、恰も伊字(※)の三点のようであるというのでこの三徳を三点という。
二。四徳 仏の四徳。浄、楽、我、常をいう。
三。劉向古旧二録 劉向は前漢成帝の時の都水使者、光禄大夫であった。普く古書を渉猟して『烈仙伝』を著わす。黄帝より以来二代の間に仙道を得し者七百余人を得、その中虚実を検覈して、一百四十六人
(3-692)
を撰した。而もその中に仏経を見たものが七十四人あったとのことである。『広弘明集』第十一参照。古旧二録というは解し難し。『烈仙伝』を指すか、或はこの書の外に他の一書ありしか、明らかでない。
【文科】内建造像塔指の文中、正しく内箴の文である。菩提、涅槃の意義を明かす一段。
【講義】然るに苟しくも徳と名づけらるるものならば、如何なる徳をも備えないものはないと云うのが仏教に云う所の涅槃である。又如何なる教えにも行き亘っておらぬことのないのが、仏教に云う菩提である。即ち菩提とは真証に至るべき智慧をいう。そしてこの一切智を周く備えている人格が仏陀である。此れ等の漢語をもって彼の涅槃、菩提等の梵語を訳すれば、印度と支那に云う所の仏陀の意義は明らかに信受する事が出来るのである。何故かと云えば、仏陀は漢には大覚と訳す。菩提は大道と訳す。涅槃は無為と訳す。さすれば汝等老子の徒は、既に菩提の地を践んでいるのである。即ち日がな一日菩提と離れることは出来ない。それにも係らず、汝等のいう所の大道が菩提の別名であることを知らずにいる。又大地から樹木の生えるように、その身を大覚の境地から禀けていながら、その大覚というものは、仏陀の訳名であることは閑〈な〉れない為に、仏陀を毀らんとするのである。
故に荘周は、「大覚をもっている者にして初めて大夢を知る」というておる。郭象はこれを
(3-693)
注釈して、「覚とは聖人のことである。その意味は、懐〈こころ〉に心配をもっているものは皆夢である」と云う。是は聖人にして始めて迷夢の迷夢たるを知りわけるというのである。夢に没しているものは、夢を知らない。夢から醒めた所で、初めて夢を知る。夢とは患えのことを指すという。
更に『郭註』にいう。「孔子とその弟子の子游とが、未だ言葉に拘泥〈なず〉んで、神〈こころ〉に深く解了することが出来ない。だから大覚ということは出来ない」と。此処に公平なる君子説をなして云わく、孔子の教えは、ここまでで尽きている。この上一歩も出ることは出来ない。抑も仏教に云う所の涅槃の境、寂なる智慧の照らす所は、いかなる凡人の識〈こころ〉も識〈さと〉ることは出来ない。凡夫の智慧では如何なる智慧でも知ることは出来ない。則ち言語断え、心の行〈はたら〉きの滅び尽くした天地である。即ち全く言を忘れた所である。この境地に悟入した所が法身であるが、この法身は法身、般若、解脱の三徳、常楽我常のの四徳が円に備わった所で、大虚空の如く何物にも累〈わず〉わされることはない。それ故に解脱という。この心に証解〈さと〉るということは、患えの夢が消えることである。老子、いかに聖人と呼ばれても、その勝れた功績を釈尊に譲りて、遥かに後に瞠若たらねばならぬ。何故かと云えば、前漢の劉向の古録を案〈しらべ〉て見るに、仏経が支那
(3-694)
に渡りて一百五十年後に、老子がかの道徳五千文を説いたと云うてある。そして又『荘子』『老子』の内容を検べて見るに、仏典を見て、その影響を受けた跡が処々に見えてある。是は一考すべき問題である。乃至
正法念経云人不持戒諸天減少阿修羅盛善龍無力悪龍有力悪龍有力則降霜雹非時暴風疾雨五穀不登疾疫競起人民飢饉互相残害若人持戒多諸天増足威光修羅減少悪龍無力善龍有力善龍有力風雨順時四気和暢甘雨時降百穀稔豊人民安楽兵戈[シュウ04]息疾疫不行也 乃至
【読方】正法念経にのたまわく、人戒をたもたざれば、諸天減少し阿修羅さかんなり。善龍ちからなし悪龍ちからあり。悪龍ちからあれば則ち霜雹をくだし、非時の暴風疾雨ありて、五穀みのらず。疾疫きそい起こりて、人民飢饉し、たがいにあい残害す。もし人戒をたもてば、おおく諸天威光を増足し、修羅減少す。悪龍ちからなし善龍ちからあり。善龍力あれば、風雨ときに順し、四気和暢なり。甘雨時にくだりて百穀ゆたかなり。人民安楽にして兵戈[シュウ04]息し、疾疫行ぜざるなり。乃至
【文科】内教為治本指の文。正法世に行わるれば、人民栄え、邪法行わるれば人民衰頽することを明かす
(3-695)
一段である。
【講義】『正法念経』に云わく、人々が戒法〈おきて〉を守らずして、放逸無慚なれば、諸天の勢力衰え、阿修羅の力盛んとなり、善龍力を失い、悪龍が跋扈する。かように悪龍が力を獲るに至れば、時ならぬ霜や雹を降らし、時ならぬ暴風大雨荒れすさびて、五穀実らず悪疫流行して人民飢えに労〈つか〉れ、疾に仆れ、互に食を諍いて獣のように残害〈そこな〉い合う。然るにこれに反して人もし戒法を持〈たも〉つならば、多くの人界保護の諸天は威光〈いきおい〉を増す。阿修羅の勢力は衰えてくる。悪龍力を失い、善龍力を獲る。かように善龍が力を獲れば、風雨時に順い、春夏秋冬の四時和暢〈やわら〉ぎ、時に甘雨大地に湿〈うるお〉して五穀豊かに稔り、人民安楽に家業を励み、兵戦は全く止み、悪疫の流行を見ることはない。乃至
第五科 気為道本 第七
君子曰道士大霄隠書無上真書等云無上大道君治在五十五重無極大羅天中玉京之上七宝玄台金牀玉机仙童玉女之所侍衛住在三十三天三界之外按神仙五嶽図云大道天尊治大玄之都玉光之州金真之郡天保之県元明之郷定志之里災所
(3-696)
不及霊書経云大羅是五億五万五千五百五十五重天之上天也五嶽図云都者覩也太上大道道中之道神明君最守静居太玄之都諸天内音云天与緒仙鳴楼都之鼓朝宴玉京以楽道君
【読方】君子のいわく、道士大霄が『隠書』、『無上真書』等にいわく、無上大道君、治、五十五重無極大羅天の中、玉京のうえ、七宝玄台、金床玉机にあり。仙童玉女の侍衛するところ、三十三天三界のほかに住在す。『神仙五岳の図』を按ずるに、いわく大道天尊は大玄の都、玉光の州、金真の郡、天保の県、元明の郷、定志の里を治す。災およばざるところなり、『霊書経』にいわく、大羅はこれ五億五万五千五百五十五重天の上天なり。五岳の図にいわく、都は覩なり。大上は大道なり。道の中の道神なり。明君もっとも静をまもりて大玄の都に居る。『諸天内音』にいわく、天と諸仙と楼都の鼓を鳴らす、玉京に朝宴してもって道君を楽しましん。
【字解】一。大霄 伝記不明。
二。『隠書』『無上真書』『神仙五嶽之図』『霊書経』『諸天内音』 皆道教の作る所の偽教。
三。朝宴 『説文』に宴は案也という。平和に来朝〈あつま〉ること。
【文科】道教の伝うる偽経の所説をあげ、もってその妄誕を知らしむる一段。
【講義】(略)
第六科 出道偽謬篇 第十
(3-697)
案道士所上経目皆云依宋人陸修静而列一千二百二十八巻本無雑書諸子之名而道士今列乃有二千四十巻其中多取漢書芸文志目妄注八百八十四巻為道経論 乃至 案陶朱者即是范蠡親事越王勾践君臣悉囚於呉甞屎飲尿亦以甚矣又復范蠡之子被戮於斉父既有変化之術何以不能変化免之案造立天地記称老子託生幽王皇后腹中即是幽王之子又身為柱史復是幽王之臣化胡経言老子在漢為東方朔若審爾者知幽王為犬戎所殺豈可不愛君父与神符令君父不死耶 乃至 指陸修静目録既無正本何謬之甚也然修静為目已是大偽今玄都録復是偽中之偽矣 乃至
【読方】道士のあぐるところの経の目を按ずるに、みないわく、宋人陸修静によりてしかも一千二百二十八巻を列ねたり。もと雑書諸子の名なし。しかるに道士いま列ぬるに、すなわち二千四十巻あり。その中におおく漢書、芸文志の目をとりて、妄りに八百八十四巻を註〈しる〉して道の経論とす。乃至 按ずるに陶朱は、すなわちこれ范蠡なり。まのあたり越王勾践につかえて、君臣ことごとく呉に囚〈とら〉われて、屎をなめ尿をのんで、亦もって
(3-698)
甚だし。またまた范蠡が子は斉にころさる。父すでに変化の術あらば、なんぞもって変化して、これを免るることあたわざる。造立天地記を按ずるに、称すらく、老子、幽王の皇后の腹の中に託生す。すなわちこれ幽王の子なり。また身、柱史たり。またこれ幽王の臣なり。化胡経にいわく、老子、漢にありては東方朔たり。もし審〈あきらか〉にしからばしんぬ。幽王、犬戎の為に殺さる。あに君父を愛して、神符をあたえて、君父をして死せざらしめざるべけんや。乃至 陸修静が目録をさす。すでに正本なし。何ぞ謬りの甚だしきや。しかるに修静、目をなすこと、すでにこれ大偽なり。いま玄都録またこれ偽のなかの偽なり。乃至
【文科】道経目録の誤謬を指摘し、真妄説を難破する一段。
【講義】今道士玄都観が天子に上った道経目録を案べて見るに、宋の陸修静の編纂した書籍目録に依ったとして一千二百二十八巻を列ねておる。然るにその中には『韓非子』『淮南子』というような諸子やその他の雑書は入っておらぬ。然るに現存の道家の経は大凡二千四百巻を数えておる。その中千百五十六巻は道家の経典や伝記等の道書にして、他の八百八十四巻は諸子百家の書籍である。これらを『漢書』『芸文志』の目録から取り出して、自分勝手に道教の経論であると数え立てているのである。乃至
更に道家は、陶朱公の著作と称して『変術経』を挙げているが、その陶朱公は親しくかの越王勾践に事えて呉を伐った人である。もし彼がそんな神変不思議の術を知っていたな
(3-969)
らば、甞つて越王が呉王に破られて、君臣悉く呉に囚えられ、屎を甞め尿を飲んだという甚だしい悲境に陥ったこともあり、また范蠡の子が斉に殺されたこともあった。これらの場合にその父范蠡に変化不思議の術があったならば、なぜ変化の術をもってその子を救わなかったのであるか。越王の悲境に沈んだ時もその通りの非難を受けねばなるまい。
『道立天地記』という道教の書を案〈しら〉べて見るに、老子は周の幽王の皇后の胎内に宿ったと称しておる。さすれば彼は幽王の子である。又彼自身周の柱史となったと云えば幽王の臣である。『化胡経』という道書によれば、老子は漢時代には東方朔であったあという。もしその説が真実であるならば、幽王が犬戎の為に殺される時に、何故に君父たる幽王の為に神符を与えて犬戎の毒手から免れしめなかったのであるか。乃至
先に道家に於いて、陸修静の目録に依ると指定してあるが、その目録の正本がない。誤謬の甚だしいものである。即ち陸修静の目録が既に大なる偽作である。されば其れに依れる玄都観の目録なるものは、偽中の偽と云わねばならぬ。乃至
第七科 帰心有地篇 第十二
又云大経中説道有九十六種唯仏一道是於正道其誉九十五
(3-700)
種皆是外道朕捨外道以事如来若有公卿能入此誓者各可発菩提心老子周公孔子等雖是如来弟子而為化既邪止是世間之善不能隔凡成聖公卿百官侯王宗室宜反偽就真捨邪入正故経教成実論説云若事外道心重仏法心軽即是邪見若心一等是無記不当善悪事仏心強老子心弱者乃是清信言清信者清是表裏倶浄垢穢惑累皆尽信是信正不邪故言清信仏弟子其余等皆邪見不得称清信也 乃至 捨老孔之邪風入法流之真教 已上抄出
【読方】又いわく大経の中にとかく、道に九十六種あり。ただ仏の一道これ正道なり。その余の九十五種においてはみなこれ外道なりと。朕、外道をすててもって如来につかう。もし公卿ありてこの誓いに入らん者は、おのおの菩提の心をおこすべし。老子、周公、孔子等、これ如来の弟子として、しかも化をなすといえども、すでに邪なり。ただこれ世間の善なり。凡を隔てて聖を成すこと能わず。公卿百官候王宗室よろしく偽をかえして真につき、邪を捨てて正に入るべし。かるがゆえに経教成実論に説いていわく、もし外道につかえて、心おもく、仏法は心かろし。すなわちこれ邪見なり。もし心一等なるこれ無記にして善悪に当たらず。仏に事えて、心強く、老子に心弱きは乃ちこれ清信なり。清信というは、清はこれ表裏ともによくきよく、
(3-701)
垢穢惑累みなつくす。信はこれ正を信じて邪ならざるがゆえに清信仏弟子という。その余ひとしくみな邪見なり。清信と称することをえざるなり。乃至 老孔の邪風をすてて法流の真教に入れよとなり。已上抄出
【字解】一。成実論 梵音サトヤ、シツドヒ、シャーストラ(Satyasiddhi-sastra)、二十巻。訶梨跋摩造、鳩摩羅什訳。内容を百二品に分ち、四阿含経の文を引証して問答体に我法二空の理を述示せるもの。
【文科】終わりに外道を捨てて仏法帰依することを勧むる一段。
【講義】又梁の武帝の捨老帰仏の誓に云わく、『涅槃経』に説く、九十六種の教法の中、唯仏教のみが正しい道である。余の九十五種は外道の法である。朕〈われ〉いま外道の教えを捨てて如来に帰命し奉る。もし三公九卿の輩にして、朕の帰仏の誓いに入らんと思わん者は、各々菩提心を発すがよい。この道を求める心を起こすならば、必ずや朕とともに正道に帰するであろう。かの老子、周公、孔子等の聖人は、みな如来の弟子として、万民に化益を施しているけれども、真実の如来の道より云えば邪道と云わねばならぬ。即ちそれらの教えはこの世に於ける善にして、出世無漏の善ということは出来ない。凡夫を超えて聖果〈さとり〉を成ずることが出来ない。公卿、文武の百官、諸候、並びに王家の宗族達は、宜しく偽教に反いて真実教に就き、邪道を棄てて正道に帰入するが宜しい。
故に『経教成実論』に説いて云わく、もし外道の教えを奉ずること慇懃にして、仏教を信
(3-702)
奉することが薄いならば、それは邪見である。もし外道仏教の何れにも、均等の心をもって信奉するならば、無記にして善でもなく悪でもない。故に仏教を信奉する心強く、老子の教えを信ずる心が弱いならば、それは清信である。清信とは、清は裏表ともに浄らかに、煩悩の垢穢〈けがれ〉や、惑いの累〈わずら〉いが残らず尽きている所をいう。信とは正しい道理を信じて邪を離れるをいう。かくの如き心をもつ者を清信の仏弟子というのである。その余は尽く邪見である。清信と称することは出来ない。乃至
老子、孔子の邪の化風〈おしえ〉を捨てて仏法の真実なる法流に帰入せよと云うのである。已上抄出
第二項 『法事讃』の文
光明寺和尚云上方諸仏如恒沙還舒舌相為娑婆十悪五逆多疑謗信邪事鬼餧神魔妄想求恩謂有福災障禍横転弥多連年臥病於床枕聾盲脚折手攣[ケツ01]承事神明得此報如何不捨念弥陀 已上
【読方】光明寺の和尚ののたまわく、上方の諸仏恒沙のごとし。かえりて舌相をのべたまうことは、娑
(3-703)
婆の十悪五逆おおく疑謗し、邪を信じ、鬼につかえ、神摩を餧〈あかし〉めて、みだりに想うて、恩をもとめ福あらんとおもえば、災障禍横うたたいよいよおおし。連年に病の床枕に臥す。聾盲脚おれ手攣[ケツ01]〈ひきつ〉り、神明に承事してこの報をうるもののためなり。如何ぞすてて弥陀を念ぜざらん。已上
【文科】『法事讃』の文によりて、諸仏の証誠は邪神邪魔に帰依せざれということであると宣たまう一段。
【講義】光明寺の善導和尚の云わく、余の五方の諸仏と等しく上方の諸仏と亦恒沙の如くましまして、また舌相をいだして、弥陀の本願を証誠し給う所以〈わけがら〉は、娑婆世界の十悪五逆の人々が、多く疑いを起こして仏法を謗り、邪道を信じ鬼神に奉仕え、魔神を餧〈あが〉めて、自分の目の前の欲を満たさんが為に、妄想を壇〈ほしいまま〉にして、恩恵を求むれば、福祉〈さいわい〉が来るであろうと思えば、そうでなくして、災障、禍〈まがつみ〉が思いがけなく起こって、弥々多くなり。年を経て病の床枕に臥し、聾となり、盲となり、脚折れ手攣[ケツ01]〈てひきつ〉る。これらは実に邪神に承事〈つか〉えた報いである。これらの衆生の為に、上方恒沙の諸仏が舌相を示し給うのである。されば何ぞこれらの迷信を捨てて弥陀の本願を信ぜざる。已上
第三項 『法界次第』の文
天台法界次第云一帰依仏経云帰依於仏者終不更帰依其余
(3-704)
諸外天神也又云謂帰依仏者終不堕悪趣云二帰依法謂大聖所説若教若理帰依修習也三帰依僧謂帰心出家三乗正行之伴故経云永不復更帰依其余諸外道 已上
【読方】天台の法界次第にいわく、一には仏に帰依す。経にいわく、仏に帰依せん者、ついに更りて、その余のもろもろの外天神に帰依せざれ。又いわく、仏に帰依せん者、ついに悪趣に堕せじといえり。二には法に帰依す。いわく大聖の所説、もしは経もしは理、帰依し修習せよとなり。三には僧に帰依す。いわく心、家を出でたる三乗正行の伴〈とも〉に帰するがゆえに、経にのたまわく、永くまた更りてその余のもろもろの外道に帰依せざるなり。已上
【字解】一。法界次第 六巻。具に『法界次第初門』、天台智者大師智顗の撰。法門の浅深次第を解せざるもの、又は名数に迷う者の為に、自然に三諦三観の妙理を観ずることの出来るようにという意にて、述作せられた典籍である。述ぶる所の法門三百科、四禅、四諦、十二因縁、六度等多くの名数を集む。
【文科】『法界次第』の文によりて、外道天神の帰依を誡〈いまし〉め、三宝帰依を勧むる一段である。
【講義】天台大師の著『法界次第』に帰依を明かしてある。一に仏に帰依し奉る。経に説き給うよう、仏に帰依し奉るものは、どうしても仏以外の諸天鬼神等に帰依してはならぬ。又云わく、仏に帰依し奉る者は、結局三悪道に堕つることはない。二には法に帰
(3-705)
依し奉る。そは大聖釈尊の説かれたる教理〈おしえ〉に帰依し、実の如く修習〈おさ〉めよと云うのである。三に僧に帰依し奉る。そは心、煩悩の家をいでて、正しく三乗(声、縁、菩)の法を修めている仏道の伴侶〈とも〉に帰依することをいう。故に経に云わく、真実の僧宝に帰依する者は永〈とこし〉えにまた仏教以外の外道の法に帰依することはないと。
第四項『往生略伝』の文
慈雲大師云然祭祀之法天竺韋陀支那祀典既未逃於世論真誘俗之権方 已上
【読方】慈雲大師のいわく、しかるに祭祀の法は、天竺には韋陀、支那には祀典といえり。既にいまだ世を逃れず。真を論ずれば俗を誘〈こしら〉うる権方なり。已上
【字解】一。慈雲大師 名は遵式、支那天台郡寧海の人。慈雲大師はその諡号である。初めに禅を学び、後天台を学び、大いに台宗を振興す。明道元年十月十日、(西紀一〇三二)寂す。歳六十九。著わす所。『誓生西方記』、『浄土行願法門』『浄土略伝』『教蔵随逐目録』等である。
二。韋陀 発音ヱ-ダ(Veda)、吠陀論のこと。印度最古の聖典。アールヤ民族が中央高原から下りて、印度五河の流域より雪山の西麓恒河の流域に居を占むる間に成立せる讃歌を集めしものにて、婆羅門教の根
(3-706)
本聖典である。その成立年代は学者によりて説を異にしているが、大凡紀元前千五百年より千年の間に成立せるものらしい。これに四種あり。一、リグ吠陀(Rig-Veda)、二、ヤジュル吠陀(Yajur-Veda)、三、アタルワ吠陀(Atharva-Veda)、四、サーマ吠陀(Sama-Veda)、
【文科】『往生略伝』によりて、祭祀の意義を示したまう一段である。
【講義】慈雲大師遵式の『往生略伝』に云わく、鬼神死者等を祭祀〈まつ〉る法は、印度にては吠陀の聖典があり、支那には祀典があるけれども、これら祭祀法は、未だ世間の道に関する所論に過ぎないので、真実の所を云えば、世俗の人々の性に同じて出世間道に入らしめんが為めの権化方便である。
第五項 『四教儀』の文
高麗観法師云餓鬼道梵語闍黎多此道亦遍諸趣有福徳者作山林塚廟神無福徳者居不浄処不得飲食常受鞭打填河塞海受苦無量諂誑心意作下品五逆十悪感此道身 已上
【読方】高麗の観法師のいわく、餓鬼道、梵語には闍黎多、この道また諸趣に遍ず。福徳あるものは山林塚廟神となる。福徳なきものは不浄処に居し飲食をえず。つねに鞭打をうく。河をふさぎ海をふさぎ
(3-707)
て、苦をうくること無量なり。諂誑の心意に、下品の五逆十悪を作りてこの道の身を感ず。 已上
【字解】一、観法師 高麓の人。名は諦観、支那の呉越王、使を高麗に遣わして経疏を求むるに会し、国人の望みに応じて経疏を奉じて行き、(西暦九六一年)、天台第十五祖義寂師の講述を開いて心服し師の礼を執る。有名なる『天台四教儀』はその遺著である。『併祖統紀』第十に委〈くわ〉し。
二。闍黎多 梵音プレータ(Preta)、畢利多、薜[レイ03]多、閉黎多、弥多等とも音訳す。餓鬼と訳す。
【文科】鬼神に諂(こ)びる者の果報は餓鬼道なりと示し給う。
【講義】高麗国の諦観法師の著『四教儀集註』上の文に云わく、餓鬼道の梵語は闍黎多という。この界の有情は人間、天上等の各趣に行き亘っている。即ち福徳の因をもっている餓鬼は、山林や塚廟の神となり、福徳をもっておらぬ餓鬼は、不浄処に住いて、飲食を取ることが出来ず、常に諸天の為に駆使〈こきつか〉われ、鞭打たれ、河を填〈うず〉めたり、海を塞いだりする。果なき苦役に使われ、限りない苦みを受ける。
この餓鬼道に堕する者は、誑諂〈いつわりへつら〉い、心意から軽い五逆十悪の罪を作った為に、この界の身を受けたのである。
第六項 『四教儀集解』の文
(3-708)
神智法師釈云餓鬼道常飢曰餓鬼之言帰尸子曰古者名人死為帰人又天神云鬼地神曰祗也 乃至 形或似人或如獣等心不正直名為諂誑
【読方】神智法師釈していわく、餓鬼道はつねに飢えたるを餓という。鬼の言は帰なり。尸子にいわく、いにしえは人死を名づけて、帰人とす。また天神を鬼といい、地神を祗という。 乃至 形あるいは人に似たり。あるいは獣等のごとし。心正直ならざればなづけて諂誑とす。
【字解】一。神智法師 支那平陽の人。姓は葉氏、名は従義、神智はその謚号である。学を扶宗に受け、天台宗山外の系統に属し、後山化と称せらるる一人である。大雲、五峰、宝績等の諸寺に歴住し、晩年寿聖寺に属して大いに宗風を張る。元祐六年(西紀一〇九一)寂す。『天台四教儀集解』はその著である。
【文科】『集解』の釈文をあげて、『四教儀』の文を助顕し給う。
【講義】神智法師の『四教儀集解』中に上に餓鬼道を解釈して云わく、餓鬼道の餓はいつも飢餓に苦しんでいること。又鬼は帰の意味である。『尸子』とうふ書に、古は人の死ぬのを帰人というたとあるはこの意である。されば餓鬼とは、死んで飢餓の身となったという意味である。又天神を鬼と云い、地神を祇と名づけるという説もある。この意味によれば飢餓の天神となったという意味である。元より天神というても、天部に属する鬼神の意味で、
(3-709)
常に飢に苦んで天人に駆使せらるる鬼をいう。乃至
その餓鬼の形は人に似た者もあり。獣等に似たものもある。又この餓鬼道に落ちる因として諂誑という煩悩があげてあったが、それは心の正直〈ただし〉くないことをいう。この不正直の心から、強者に対しては諂〈へつら〉いとなり、弱者に対しては誑〈だます〉ということになるのである。
第七項 『孟蘭盆経新記』の文
大智律師云神謂鬼神総収四趣天修鬼獄
【読方】大智律師のいわく。神はいわく鬼神なり。すべて四趣、天修、鬼獄におさむ。
【字解】一。大智律師 元照律師のこと。支那余杭の人、宋の元符元年に四明開元寺に戒壇を創立したが、後病により浄土門に帰依す。『四分律行事抄資持記』『阿弥陀経義疏』等の著あり。政和六年(西暦一一一六)寂。寿六十九。本書第二巻、三九〇頁参照。
【文科】鬼神の所属を示して貶黜し給う一段。
【講義】大智律師元照の『孟蘭盆経新記』上に云わく、神と云うのは鬼神のことである。この鬼神は餓鬼道に属するのである。この道の所在を云えば、総べて四修に収められる。
(3-710)
即ち天界、修羅、餓鬼、地獄である。そは劣った餓鬼は餓鬼界に属し、勝れたものでは天界に属する。又地獄に属するというのは、閻浮提の下五首由旬なる閻摩王界に餓飢道ありて閻羅王に領せらる。
第八項 『観経扶新論』の文
度律師云魔即悪道所収
【複方】度律師のいわく、魔は即ち悪道の所収なり。
【字解】一。度律師 戒度律師の略称。元照律師の弟子。宋の人、四明龍山沙門にして『四分律』に通達す。晩年余姚の極楽寺に住し、一意西方に帰依す。『観無量寿経正観記』三巻、『阿弥陀経聞持記』三巻、『観経扶新論』等の著あり。
【文科】魔の所属を示し給う。
【講義】戒度律師はその著『観経扶新論』に云わく、修道を妨げる魔は、六道の何れに収められるかと云えば、矢張り鬼神等と等しく三悪道に属する。
(3-711)
止観魔事境云二明魔発相者通管属皆種為魔細尋枝異不出三種一者慢悵鬼二者時媚鬼三者魔羅鬼三種発相各各不同
【読方】止観の魔事境にいわく、二に魔の発相をあかさば、管属に通じてみな称して魔とす。くわしく枝異をたずぬれば、三種をいでず。一には慢悵鬼。二にに時媚鬼。三には魔羅鬼なり。三種の発相各々不同なり。
【字解】一。止観 天台智者大師の著『摩訶止観』十巻を指す。弟子章安記。天台宗の観心を説ける書にして天台一家の修道の本拠とする所である。全篇十章に分つ。第一、止観大意。第二、止観の釈名。第三、止観の体相。第四、止観の一切法を摂持すること。第五、偏教と円教の区別。第六、二十五方便。第七、十乗観法。後の三章は講説一夏に満ちた故に説いてない。
二。慢悵鬼 『止観』本文には[タイ03]惕鬼〈たいてきき〉としてあり。この下の『六要』には「慢悵鬼未見、有異本歟(慢悵鬼、いまだ見ず、異本あるか)」というて、[タイ03]惕鬼の相を明す。この魔の現わるる有様は、修道者が座っていると、頭を摩でたり、身体に触れたり、又は抱いたり、振ったりして、こそばいような、嫌な気分がして堪え難い。別段苦痛を感ずる程烈しくはないが、時には耳や眼鼻に故障を与え、変な声を発して迫ってくるから、捉へて見るが風のように取り留めることが出来ない。この鬼の面に枇杷に似て四目両口である。
三。時媚鬼 又は時魅ともいう。修道者が邪想の座禅をやっていると、老若男女、けたいな禽獣なぞ
(3-712)
の姿した魔が現われて、時には人を楽ませる。この魔は昼夜十二時の時に応じて一定の奴が出るのであるから、例せば、丑の時ならば丑と呼び、寅の時ならば寅と云えば魔は去るというのである。
四。魔羅鬼 正しく善を破り、悪を増長せしむる悪魔にして、修道者の感官や意識を惑乱して、修行を退堕せしめる。
【文科】この文は度律師の文を証する為に引く。故に上文に属する。
【講義】『摩訶止観』第八、摩事境に五科をあげて種々の魔相を明かす中、その第二科に魔の起こる模様を云えば、魔にも様々ありて、皆それぞれ部属する所があるが、それを総じて魔というのである。それで細かに枝葉に亙りて案〈しら〉べて見るに、大凡三種に分類せられる。一には慢悵鬼、二には時媚鬼、三には魔羅鬼である。これらの三種の魔が修道を妨げる有様はそれぞれ違うている。
第九項 『往生要集』の文
源信依止観云魔者依煩悩而妨菩提鬼者起病悪奪命根 已上
【読方】源信、止観によりていわく、魔は煩悩によりて菩提をさまたぐ。鬼は病悪をおこして命根をうばう。 巳上
(3-713)
【文科】魔衆の障碍を示し給う。
【講義】源信和尚はその著『往生要集』中末に、『摩訶止観』に依りて云わく、魔とは如何なるものかと云えば、煩悩に依りて菩提を妨げるものをいう。即ち出世間道を妨げるものである。次に鬼とは如何なるものかと云えば、身体の病気を起こして命根を奪うものをいうのである。魔は菩提心を妨げ、鬼はその菩提心を宿す所の肉身を毀〈やぶ〉る。已上
第五節 外典
第一項 『論語』の文
論語云季路問事鬼神子曰不能事人焉能事鬼神 己上抄出
【読方】論語にいわく。季路とわく、鬼神に事〈つか〉えんかと。子ののたまわく、人に事うること能わず。いずくんぞよく鬼神につかえんや。巳上抄出
【文科】鬼神を祀〈まつ〉ることに関する外典の説の代表として論語を引き、もって鬼神に仕うることの無意味なることを示し給う。
【講義】『論語』に云わく、季路、孔子に問うよう。「鬼神に奉仕〈つか〉えても宜しいでしょうか。」
(3-714)
孔子答えて、「吾々は日常自分の最も親しくしている人間に対してさえ、誠心〈まごころ〉をもって交際〈つきあ〉うことは出来ないでいる。さればどうして眼に見えぬ鬼神に事〈つか〉える資格があろうぞ。
(3-715)
(3-716)
第四編 流通分
【大意】本篇は正しく『化巻』全部の結文である。ここに聖人は自らその修道生涯に於ける最も重大時期を叙して、師弟障難、恩師入滅、師資相承、本典製作の理由〈いわれ〉を述べ給う。これ聖人の略自叙博である。熾烈なる信仰的権威、謙虚なる修道者の襟度、良〈まこと〉に欽仰専崇すべき聖文である。
第一章 黒谷障難
第一節 緇素昏迷
- 窃以 聖道諸教 行証久廃 浄土真宗 証道今盛。
- 然諸寺釈門 昏教兮不知真仮門戸 洛都儒林 迷行兮無弁邪正道路。
- 斯以 興福寺学徒 奏達 太上天皇{号後鳥羽院諱尊成} 今上{号土御門院諱為仁}聖暦承元丁卯歳 仲春上旬之候。
- 主上臣下 背法違義 成忿結怨。
【読方】竊に以〈おもん〉みれば、聖道の諸教は行証ひさしく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛なり。しかるに諸寺の釈門、教に昏くして真仮の門戸を知らず。洛都の儒林、行に迷いて邪正の道路を弁〈わきま〉うることなし。ここをもって興福寺の学徒、太上天皇 後鳥羽の院と号す。諱尊成。 今上 土御門の院と号す。諱為仁。 聖暦承元丁の卯の歳、仲春上旬の候に奏達す。主上臣下、法にそむき義に違し、忿〈いかり〉をなし、怨〈うらみ〉を結ぶ。
【字解】一。行証 仏果を得べき修行と、修行によりてうる証果のこと。
二。証道 往生成仏の証りを得る本願の大道のこと。現実に証りをうる教えということ。
三。諸寺の釈門 奈良の興福寺、東大寺、比叡の延暦寺、三井の園城寺等、当時の俗的勢力のありし寺々の僧侶のこと。僧に皆な釈を姓とする故に釈門という。
四。真仮門戸 仏の本願を信じて成仏するは真実の教にして、万行の自力修善を執して仏果を獲んとする教は、方便の教である。教は人を導いて道の奥旨に達せしむる故に門尸という。
五。洛都儒林 洛都は京都、儒林は菅家、江家等の儒者達のこと。
六。興福寺 法相宗の大本山。大和奈良市にあり。藤原鎌足公の夫人鏡女王の創立にかかわり、藤原氏の氏寺である。始めは山科寺又に厩坂寺と称せしが、和銅三年、不比等いまの地に移し興福寺と称す。元慶二年以来、火災に罹りしこと八回。
七。太上天皇 位を禅〈ゆず〉り給いし天皇の称。
(3-718)
【文科】緇素道俗の昏迷を権威ある筆にて叙し給う一殴。
【講義】竊に思いをめぐらせば、聖道自力の諸教〈おしえ〉は、その教の如く実修することと、並にその証果〈さとり〉を得ることは、もう遠い以前から廃れて、ほんの名ばかりとなっておるのであるが、これに反して浄土真宗の他力易行の教えは、今や時機相応の法として、一天四海に盛んに弘まりつつあるのである。然るに南都北嶺の諸大寺の僧侶達は、釈尊の教法が三時に亘りて興廃する道理に昏い為に、浄土門は真実、聖道門は権仮方便の教えであることを知らずにいる。又京都の儒者達も実際に行うべき行法の取捨に迷うて見分けがつかない為に、現世祈祷等をこととする邪道と、正しい仏教の道理とを区別することが出来ずにある。
かような有様であるから、南都興福寺の学僧達が、時は承元六年丁卯歳四月上旬、太上天皇即ち後鳥羽院、並に今上天皇即ち土御門院に奏上し奉りて、念仏禁止を訴えるに至った。
第二節 師弟障難
- 因茲真宗興隆大祖源空法師 并門徒数輩 不考罪科 猥坐死罪。或改僧儀 賜姓名処遠流。予其一也。
- 爾者 已非僧非俗。是故以禿字為姓。
- 空師并弟子等 坐諸方辺州経五年居諸。
【読方】これによりて真宗興隆の太祖、源空法師、ならびに門徒数輩、罪科を考えず猥がわしく死罪に坐〈つみ〉す。あるいは僧儀を改め、姓名をたもうて遠流に処す。予はその一なり。爾ればすでに僧にあらず俗にあらず。この故に禿の字をもって姓とす。空師ならびに弟子等、諸方の辺州に坐〈つみ〉して五年の居緒をへたり。
【字解】一。居緒 日月。『詩経』の「日居、月緒」から出たもので、居緒は添字で、何の意味もない。今は月曰の異名として用いらる。
【文科】光焔迸〈ほとばし〉る文字をもって師弟遭難を叙し姶う一段。
【講義】ああ何等の非法であろう。主上も臣下も、天下の大法に背き、正義に違い、叨〈みだ〉りに無法の忿〈いかり〉を起こし、怨〈うらみ〉を結び、遂に彼等無法の学徒等が訴えを容れ給いて、遂に浄土真宗を初めて我国に興隆し給いし太祖源空聖人を初めとして、門下の秀俊なる人々に対して、罪科の如何を考えもせず、擅〈ほしい〉ままに死罪を行い、又は僧侶の資格を奪うで俗姓を賜い、遠国に流竄した。我愚禿親鸞もその一人である。さればかような擯罰を蒙った上は、もう僧侶でもなければ、又在俗者の班に列することも出来ない身分である。それ故に破戒僧の異名と
(3-720)
称せらるる禿の字をもって自分の姓としたのである。源空聖人並びに弟子達は、辺国の配所に坐〈つみ〉せられて、五年の星霜を経るに至った。
第三節 空師の帰洛入滅
- 皇帝{佐土院諱守成}聖代建暦辛未歳子月中旬 第七日 蒙勅免 入洛已後 空 居洛陽東山西麓 鳥部野北辺 大谷。
- 同二年 壬申寅月下旬第五日午時 入滅。奇瑞不可称計。見別伝。
【読方】皇帝(佐渡の院。諱守成)聖代建暦辛の未の歳、子月中旬第七日、勅免を蒙りて、入洛已後、空、洛陽東山の西の麓、鳥部野北の辺大谷に居したまいき。同じき二年壬の申寅月下旬第五日午の時に入滅したまう。奇瑞称計すべからず。別伝にみえたり。
【字解】別伝 聖覚法印の『十六門記』とする説われども、同書は安貞元年の作なれば、元仁元年よりは三年後なればこの説用い難し。
【文科】師聖人の帰洛入滅を述べ給う。
【講義】かくて順徳天皇の聖代、建暦元年辛未歳十一月中旬、空聖人は勘気御免
(3-721)
の勅命を蒙りて御帰洛となり、その後は京都東山の西麓、鳥部野の北辺〈きたほとり〉なる大谷に御住居〈おすまい〉になり、同二年壬申の正月二十五日午時に入滅になった。御臨終の際、様々の奇瑞があって称〈たた〉えまつる遑〈いとま〉もない。委しくは源空聖人の別伝に載せてある。
(3-722)
第二章 聖人の入宗と稟教
第一節 入宗稟教
- 然愚禿釈鸞 建仁辛酉暦 棄雑行兮帰本願。
- 元久乙丑歳 蒙恩恕兮書選択。同年初夏中旬第四日 『選択本願念仏集』内題字 并南無阿弥陀仏 往生之業念仏為本 与釈綽空字 以空真筆令書之。
- 同日 空之真影申預 奉図画。同二年閏七月下旬第九日
- 真影銘 以真筆令書南無阿弥陀仏 与
- 若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不者正覚 彼仏今現在成仏 当知本誓重願不虚 衆生称念必得往生 之真文。
- 又依夢告 改綽空字 同日以御筆令書名之字畢。本師聖人今年七旬三御歳也。
- 『選択本願念仏集』者依禅定博陸{月輪殿兼実法名円照}之教命所令撰集也。
- 真宗簡要 念仏奥義 摂在于斯 見者易諭 誠是希有最勝之華文 無上甚深之宝典也。
- 渉年渉日 蒙其教誨之人 雖千万 云親云疎 獲此見写之徒 甚以難。
- 爾既書写製作 図画真影。是専念正業之徳也。是決定往生之徴[徴字]{チ反アラハス}也。
- 仍抑悲喜之涙 註由来之縁。
【読方】しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、難行をすてて本願に帰す。元久乙の丑の歳、恩恕を蒙りて選択を書しき。同じきとし、初夏中旬第四日、選択本願念仏集の内題の字、ならびに南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本と、釈の綽空の字と、空の真筆をもってこれを書かしめたまいき。おなじき日、空の真影もうし預りて図画したてまつる。おなじき二年閏七月下旬第九日、真影の銘は、真筆をもって南無阿弥陀仏と、若我成仏十方衆生、称我名号下至十声、若不生者不取正覚、彼仏今現在成仏、当知本誓重願不慮、衆生称念必得往生の真文とを書かしめたまいき。又夢の告によりて、綽空の字を改めておなじき日、御筆をもって名の字を書かしめたまいおわんぬ。本師聖人今年七旬三の御歳なり。選択本願念仏集は、禅定博陸(月輪殿兼実法名円照)の教命によりて選集せしめたまう所なり。真宗の簡要、念仏の奥義、これに摂在せり。見るもの諭〈さとり〉やすし。誠にこれ希有最勝の華文、無上甚珠の宝典なり。年を渉〈わた〉り日を渉〈わた〉りて、その教誨を蒙ぶる人千万なりといへども、親といひ疎といい、この見写を獲る徒〈ともがら〉はなはだ以てかたし。爾るにすでに製作を書写し真影を図画せり。これ専念正業の徳なり。これ決定往生の徴〈ち〉なり。よりて悲喜の涙を抑えて由来の縁をしるす。
【字解】一。恩恕 師の許しであるから、恩恕という。恩恵深いお恕〈ゆる〉しということ。
(3-724)
二。選択 法然聖人の『選択集』。この親鸞聖人御浄写の本は、高田派本山にありと伝う。
三。綽空 聖人の名。吉水入室前までは範宴と云われしが、入室後師法然聖人よりこの綽空の命名を受く、後救世菩薩の告命によりて善信と改む。
四。内題 書籍の本文の初めに書かれた書名。外題(表紙に書かれた書名)に対していう。
五。空真筆 空は源空の空にて法然聖人のこと。即ち聖人の直筆ということ。
六。銘 讃、又は自誡の為に記しおく文。
七。本誓重願 弥陀如来の四十八願、正しくは第十八願を指す。本誓は本弘誓願、弥陀が因位に衆生を助けずばおくまいと誓い給いし広大(弘)なる本願であるから本弘誓願という。そしてその願は深重の大悲から出たるものであるから重願という。
八。禅定博陸 禅定は禅定門の略。禅門ともいう、入道ともいう。騒しい世を脱〈のが〉れて、禅〈しずか〉に仏道を修する故にいう。博陸は摂政関白の唐名。前漢の光昭帝が幼かった為に霍光が政を摂めた。光の徳を誉めて博陸侯と呼んだことから起こる。博は大、陸は平〈たいらか〉の義。
九。専念正業 専念は信心、正業は念仏の大行、信は行を孕み、行は信を具えて、一体である。これを真実の信といい、真実の行という。正しく如来回向の大信心が、聖人の人格の上に表われて、迸〈ほとばし〉った御言葉である。
一〇。決定往生 定めて浄土往生の分に住すること。上の真実の行信を、果に望めて云われたので
(3-725)
ある。
【文科】敬虔流るる如き心懐〈みこころ〉をもって師資相承の喜びを叙し給う一段である。
【講義】然るに我愚禿釈の親鸞は建仁元年辛酉の歳二十九歳にして自力の雑行を修める心を棄てて、他力本願に基き、元久二年三十三歳の時、師法然聖人から『選択集』書写の恩恕〈おゆるし〉を蒙ったが、同年の夏七月十四日に、師聖人は『選択本願念仏集』という内題の字と、並に南無阿弥陀仏往生之業念仏為本、釈綽空という文字を、手づからこの書写の本に御染筆遊ばされた。同日に又御許しを得て源空聖人の御真影を図画〈えが〉き奉った。同年閏七月二十九日、その真影の銘として、空聖人は亦南無阿弥陀仏と、「若我成仏十方衆生、称我名号下至十声、若不生者不取正覚」(『第一巻』四七七頁に委し)等の善導大師の第十八願加減の御文を御認〈おしたた〉め下された。又観音菩薩の肉食妻帯の夢の御告げに善信と呼びかけられしことから、綽空の名を改めて、御銘御染筆の日に、善信と御書き遊ばされた。
本師源空聖人は今年(元久二年)七十三歳にていらせられる。『選択本願念仏集』は月輪殿関白兼実公の御教命〈おおせ〉を受けて、撰述遊ばされた御著述である。浄土真宗の簡要〈かなめ〉、他力念仏の奥義は、この書の中に欠目なく摂められてある。一度この書を拝見すれば、何人も念仏
(3-726)
の奥旨を会得することが出来る。良〈まこと〉に世にも稀有なる最勝〈すぐれ〉た大文字である。意味甚深なる無上の宝典である。本書によりて浄土他力の独立の旗幟〈はたじるし〉は我国に樹立せられ、久しく聖道権化に覆われた仏日はここに鮮なる光りを放って、普く一般民衆を潤おすに至ったのである。されば年月を経て聖人の教誨を蒙った人々は、千万人の多きに達するけれども、親疎に関せずこの書の書写を許された人々は甚だ罕〈まれ〉である。即ち聖覚法印、聖光上人、隆寛律師等の数人に過ぎない。爾るに自分はもう師聖人の御鑑識〈おめがね〉によりてこの宝典の書写を許され、御真影まで御附属を頂いた。是れ良〈まこと〉に私が師教によりて、専ら信念仏の一道を修めた徳の致す所である。そして又必ず往生一定の身に定められた証拠である。夫〈それ〉故に仏恩師恩の忝さを感じ、慶喜〈よろこび〉の涙を抑えて、ことのここに至れる縁由〈わけがら〉を書き註〈しる〉すことである。
第二節 本典製作の因由
- 慶哉 樹心弘誓仏地 流念難思法海。
- 深知如来矜哀 良仰師教恩厚。慶喜弥至 至孝弥重。因茲鈔真宗詮摭 浄土要。
- 唯念 仏恩深 不恥人倫嘲。
- 若見聞斯書者 信順為因 疑謗為縁 信楽彰於願力 妙果顕於安養矣。
- 安楽集云、
- 採集真言 助修往益。何者欲使前生者導後 後生者訪前 連続無窮 願不休止。為尽無辺生死海故。{已上}
- 如華厳経偈云
- 若有見菩薩 修行種種行
- 起善不善心 菩薩皆摂取{已上}
【読方】慶〈よろこば〉しき哉、心を弘誓の仏地にたて、念を難思の法海にながす。ふかく如来の矜哀なしりて、まことに師教の恩厚をあおぐ。慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。茲によりて真宗の詮を抄し、浄土の要を[セキ01]〈ひろ〉う。ただ仏恩の深きことを念〈おも〉うて、人倫の嘲〈あざけり〉をはじず。もしこの書を見聞せんものは、信順を因とし、疑謗を縁として、信楽を願力にあらわし、妙果を安養にあらわさん、安楽集にいわく、真言を採り集めて往益を助修せん。何となれば、前に生ぜん者は後を導き、後に生ぜん者は前を訪い、連続無窮にして願くば休止ぜざらしめんと欲す。元辺の生死海を尽さんが為のゆえなり。(已上)。爾れば末代の通俗あおいで信敬すべきなり。しるべし。華厳経の偈にいうがごとし。もし菩薩種々の行を修行するを見て、善不善の心を起こすことあれども、菩薩みな摂取す。已上
【文科】慶喜至孝の念をもって本典製作の因縁を述べ給う。自然法爾の至誠漲〈みなぎ〉りて天地を包むの趣きがある。
(3-728)
【講義】ああ慶ばしい哉、樹木が日光を浴びて大地に樹〈た〉つように心を本願他力の大地に樹〈た〉て、又憶念の喜びを、洋々として果〈はて〉なき難思の本願海に流すことである。深く如来の矜哀〈おんあわれ〉みを威銘し奉り、師教の厚き恩徳〈めぐみ〉を仰ぎ奉る。慶喜の思いは弥〈いよいよ〉心に溢れ、至孝〈うやまい〉の念は益重くなりゆく。是れ実に他力本願の然らしむる所である。この慶喜報恩の思いから真宗の詮〈かなめ〉を抄出〈ぬきい〉だし、浄土真実教の肝要を[セキ01]〈ひろ〉い集めたことである。唯仏恩の深重なることを念じて、世間の人々の嘲り笑うことを少しも恥とは思いませぬ。さればこの書を披見し、又はこの書の意味を聞く人々は、どうぞ信順を因とせられよ。もし又信ずることが出来ないならば、疑い謗るも宜しい、夫等〈それら〉の人々は疑謗が縁となりて遂に信順の人となるであろう。そして如来の本願力の上に吾等の信念を彰わせ、即ち本願は信念に彰われ、信念は本願に彰われて、機法一体、仏凡一体の妙を感得するのである。さすれば無上の妙果〈さとり〉の華は、安養浄土に開くであろう。
『安楽集』上に云わく、如来の真実〈まこと〉の御言を採り集めて、往生の利益を助け修めしむる。何故かと云えば前に本願を信じて往生一定の身となった者は、後に来る人々を導き、後に信ずる人々は、前の人々の恩恵〈めぐみ〉を感謝し、どこ迄も先人後人手を取りて暫くも体止〈やす〉む時なく
(3-729)
信念を確立せしめ、かくて、限りなき生死の大海を尽さんが為であると。已上
爾れば末代の出家の人も在家の人も、唯仰いでこの本願の一道を信じ敬うが宜しい。『華厳経』入法界品に云わく、もし人々ありて道を修むる人が種々の修行をなすを見て、随喜の善心を起こし、又誹謗〈そしり〉瞋〈いかり〉等の不善心を起こしても、この修道者は、この善悪の如何に関わらず、ともに仏道に縁ある人として、哀愍〈あわれ〉み摂取〈おさ〉めて、斥けてはならぬ。 已上
教行信証講義 第三巻 真仏土巻 化身土巻 終
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