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浄土真宗本願寺派では門徒が阿弥陀如来の前で口に唱え耳に聴いてきた「もろもろ」ではじまる『領解文』が、この
言語学者であった井筒俊彦氏(1914~1993) は、『大乗起信論』を論ずる著作『意識の形而上学』で、貯蔵された無量無数の言語的分節単位それぞれの底に潜在する意味カルマ(=長い歳月にわたる歴史的変遷を通じて次第に形成されてきた意味の集積)[1]といふ事を論じていたが、『領解文』は我々の先輩が口に唱え耳に聴いてきた歴史の上で形成されてきた意味の集積なのであった。
『領解文』を捨てて新しい領解文の口唱を強要することは伝統の破壊であるとし、また変更された新作領解文[2]は浄土真宗の宗義に背いている疑義があると一部の僧俗が声を挙げた。
ただ、包括宗教法人[3](本山)の傘下にある被包括法人である一般寺院(末寺)は、本山から様々な統制を受けるので自由に声を挙げることは困難が伴う。このため宗義上の疑義があるにもかかわらず一部の愛山護法の有志を除いて教団内の僧分からの声が高まることはないであろう。仏法より世法である。浄土真宗の僧侶にご信心がないから新作領解文を自らの信に照らしあわせて考察することができないのであろう。
なお、本願寺派での宗義論争には「三業惑乱」があった。『浄土真宗辞典』によれば、
- そして、この問題は『領解文』の「たのむ」の理解に関わるものであったため、学匠間の論争にとどまらず、地方の門徒をも巻き込む暴動にまで発展し、本願寺だけでは事態を収拾することができず、ついに幕府の介入を受けることとなる。(三業惑乱)
と、あるようにご法義理解の根幹に関わる大騒動であった。今回の「新作領解文」問題もまた宗義安心問題であった。
それはまた『領解文』から御開山が示された重要なターム(術語、名目)の「たのむ一念」のたのむ(憑む)を排除する事態であった。
本来なら「三業惑乱」以上に喧喧囂囂(けんけん-ごうごう)とした議論が門徒の間で勃発するはずなのである。だが皮肉なことに三業惑乱の旧義派が主張した三業帰命の否定が、今回の新作領解文の《「われにまかせよ そのまま 救う」の弥陀のよび声》(*) の廃立なき無帰命安心に堕したのであった。これは宗教の死でもあった。
脚注