法然教学の研究 /第二篇/第三章 法然聖人の信心論/第三節 深心の意義
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目次
第二篇 法然教学の諸問題
第三章 法然聖人の信心論
第一節 『観経』の三心と本願の三心
念仏往生、それが法然の自行化他のすべてであった。その信条を一言でいえば「わが身の善悪をかへりみず、ほとけの本願をたのみて念仏申すべきなり」[1] という法語にきわまる。すなわち法然にとって本願を信ずることと、念仏を行ずることとは決して別のことではなかった。「わが名を称へんものをむかへん」と誓いたまうた本願に信順することは、本願にまかせてはからいなく念仏することであり、わが心の善悪を沙汰せず、ただ念仏することが本願を信ずるありさまに外ならなかった。そのことをまた法然は「たゞ名号をとなふるに、三心おのづから具する也」[2] といって三心具足の念仏とよばれたのである。
この念仏行者の具している三心を釈顕されたのが『選択集』「三心章」であった[3]。そこにははじめに「念仏行者、必可レ具二足三心一之文」と標章して、『観経』の三心と、それを釈した善導の『散善義』と『往生礼讃』の三心釈を引用し[4]、さらに簡単な私釈を加えて、念仏行者の信相をつまびらかにせられる。
従ってここで釈される三心とは、『観経』に説かれた至誠心、深心、廻向発願心であることはいうまでもない。
しかしこの三心をもって本願念仏の信相を釈顕しようとするのであるから、それは当然第十八願の三心、すなわち至心、信楽、欲生に
- 念仏を勧進するところは、第十八の願成就の文なり、観経の三心、小経の一心不乱、大経の願成就の文の信心歓喜と、同流通の歓喜踊躍と、みなこれ至心信楽之心也と云り。これらの心をもて念仏の三心を釈したまへる也と云云。[5]
といわれている。これによれば『観経』の三心は、本願の三心の成就したものと見られていたことがわかる。
もともと第十八願の心は「至レ心信楽欲一生二我国一」と一連に読むべきであるから、必ずしも三心とは考えられないが、これを三心とよばれたのは法然が最初であった。それは『観経』の三心と会合されたからであった。『観経』は、はっきりと三種心といい、一者、二者、三者と分けてあるからである。これと会合するから至心は単に信楽の修飾語ではなくて至心という心であり、欲生我国も欲生心とし、至心、信楽、欲生の三心とみなすようになったのである。「観経釈」に「今此経三心、即開二本願三心一、爾故至心者至誠心也、信楽者深心、欲生我国者廻向発願心也」[6] と両経の三心を配釈されている。「要義問答」にも同様の文があげられている[7] このように両経の三心を会合できたのは、両者をいずれも本願念仏の能修の心とみられたからで、前掲「十八条法語」にも「これらの心をもて、念仏の三心を釈したまへる也」といわれている。
もっとも『観経』の三心と、本願の三心とを直ちに同致せしめるには問題が残る。すなわち第十八願の三心は、乃至十念の念仏とのみ組み合っているから念仏の三心といえようが、『観経』の三心は、念仏のみならず定善、散善とも組み合うもので、善導も『散善義』の三心釈の結文に「又此三心亦通二摂定善之義一」[8] といわれている。法然もそれをうけて「三心章」の私釈に「此三心者総而言レ之、通二諸行法一、別而言レ之在二往生行一、今挙レ通摂レ別、意即周矣」[9] といわれている。ここでいわれる「諸行法」とは定散諸行のことであり、「往生行」とは称名正定業をさしているとみるべきで、「挙通摂別」とは諸行に通ずる三心を挙げて、しかも別して念仏の安心に収めるという意味で、所顕は念仏の三心にあることを注意されたものであると考えられる[10]。後にのべるように深心釈下に正雑、助正の名目をたてて往生行を簡択し、仏願に順ずれば、所信所就の行は正定業たる念仏の一行であると決択されるわけであるから、能就の信は念仏往生と信ずる深心中心の三心であるということは明らかである。
このようにして法然は『観経』の三心と、第十八願の三心とを、念仏の三心として会合しながら、『観経』の三心を中心にして三心釈を行われる。これはやはり
第二節 至誠心の意義
一、至誠心釈の概要
『選択集』「三心章」によれば、三心は念仏行者の至要であって必ず具すべき心とされている。至誠心とは真実心であり、深心とは二種深信であらわされるような無疑の信心であり、廻向発願心とは、善根回向の義と、決定得生の願往生心という意味とをもっているとみなされていたようである[11]。
第一の至誠心を、真実心とするのは『散善義』の至誠心釈に、
- 一者至誠心、至者真、誠者実、欲レ明下一切衆生、身口意業所二修一解行、必須中真実心中作上、不レ得下外現二賢善精進之相一、内懐中虚仮上。[12]
- 〔追記:一には至誠心と。 「至」とは真なり、「誠」とは実なり。 一切衆生の身口意業の修する所の解行、かならずすべからく真実心のうちになすべきことを明かさんと欲す。 外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。〕
といわれたものによっている。すなわち至誠心を具するとは、真実心をもつことであり、具体的には、願生行者が修する身口意の三業行はすべて真実心をもってなすべきで、外に賢善精進の相を現じて内に虚仮を懐くような内外不調があってはならないというのである。そして次の如く「内懐虚仮」のありさまを釈される。
- 貪瞋邪偽、奸詐百端、悪性難レ侵、事同二蛇蝎一、雖レ起二三業一、名為二雑毒之善一、亦名二虚仮之行一、不レ名二真実業一也。若作二如レ此安心起行一者、従使苦二励身心一、日夜十二時、急走急作、如レ炙二頭燃一者、衆名二雑毒之善一、欲下廻二此雑毒之行一、求三生二彼仏浄土一者、此必不可也。何以故、正由下彼阿弥陀仏因中行二菩薩行一時、乃至一念一刹那、三業所二修一皆是真実心中作上、凡所二施-為趣求一、亦皆真実。
- 〔追記:貪瞋・邪偽・奸詐百端にして、悪性侵めがたく、事蛇蝎に同じきは、三業を起すといへども名づけて雑毒の善となし、また虚仮の行と名づく。 真実の業と名づけず。もしかくのごとき安心・起行をなすものは、たとひ身心を苦励して、日夜十二時急に走り急になすこと、頭燃を救ふがごとくするものも、すべて雑毒の善と名づく。この雑毒の行を回して、かの仏の浄土に生ずることを求めんと欲せば、これかならず不可なり。なにをもつてのゆゑに。 まさしくかの阿弥陀仏因中に菩薩の行を行じたまひし時、すなはち一念一刹那に至るまでも、三業の所修、みなこれ真実心のうちになしたまひ、おほよそ施為・趣求したまふところ、またみな真実なるによりてなり。〕(*)
内に貪瞋邪偽の煩悩悪性をいだいているならば、三業を苦励し、頭燃をはらうが如く急作急走してつとめてみても、すべて雑毒の善であり、虚仮の行であって、浄土に生まれることはできない。何故ならば、浄土は阿弥陀仏が因位のとき、真実心をもって三業二利の行を修して成就された真実の境界である。それゆえ真実ならざる解行、すなわち安心起行をもって往生することはできないといわれるのである。疏文は、さらに行者の修すべき真実なる行業を自利と利他に分け、その自利行について止悪門と作善門にわたって詳細に解説し、内外、明闇をえらばず、皆真実であるべきことを勧励されている。この『散善義』の文脈によれば、あくまでも願生行者が、内外ともに賢善精進であることを真実心を具している相とみなされていたとせねばならない。しかもその真実心の典型として、法蔵菩薩の浄土建立の菩薩行の真実性をあげられたことは重要な意味をもってくる。後に親鸞が「信文類」において至心釈を施されるとき、『大経』と『如来会』の勝行段の文を出して、真実心の何たるかを釈出されたのは、善導のこの釈意をうけられたものである[13]。しかし法蔵の如き真実心をもって二利行をなせというのは、凡夫の行者にとっては至難の要求であった。むしろ行者は、この教説に直面して真実の何たるかを知らしめられると同時に、自身の反真実性、煩悩性が顕わになり、痛切な懴悔が生ずるはずである。善導が『礼讃』や『法事讃』に、切実な懴悔の表白をされているのはそのあらわれである。特に『礼讃』に示された上品、中品、下品の三品の懴悔は有名である。
- 就下実有二心願レ一生者上而勧、或対二四衆一、或対二十方仏一、或対二舎利尊像大衆一、或対二一人一、若独自等、又向二十方尽虚空三宝、及尽衆生界等一、具向発露懴悔、懴悔有二三品一、上中下、上品懴悔者、身毛孔中血流、眼中血出者、名二上品懴悔一、中品懴悔者、遍身熱汗従二毛孔一出、眼中血流者、名二中品懴悔一、下品懴悔者、遍身徹熱、眼中涙出者、名二下品懴悔一、……若不レ如レ此、縦使日夜十二時急走、衆是無レ益、若二不レ作者一応レ知。[14]
- 〔追記:実に心に生ぜんと願ずることあるものにつきて勧む。あるいは四衆に対し、あるいは十方の仏に対し、あるいは舎利・尊像・大衆に対し、あるいは一人に対す。もしは独自等なり。また十方尽虚空の三宝および尽衆生界等に向かひ、つぶさに向かひて発露懺悔すべし。懺悔に三品あり。上・中・下なり。「上品の懺悔」とは、身の毛孔のなかより血流れ、眼のなかより血出づるものを上品の懺悔と名づく。 「中品の懺悔」とは、遍身に熱き汗毛孔より出で、眼のなかより血流るるものを中品の懺悔と名づく。 「下品の懺悔」とは、遍身徹りて熱く、眼のなかより涙出づるものを下品の懺悔と名づく。 ……もしかくのごとくせざれば、たとひ日夜十二時に急に走むとも、すべてこれ益なし。なさざるもののごとし。知るべし〕
ここに「若不レ如レ此、縦使日夜十二時急走、衆是無レ益、若二不レ作者一」といわれているが、これは明らかに前掲の至誠心釈下に雑毒虚仮の行を批判して「縦使苦二励身心一、日夜十二時急走急作、如レ炙二頭燃一者、衆名二雑毒之善一、欲下廻二此雑毒之行一、求中生彼仏浄土上者、此必不可也」といわれたものと一致している。善導においては、こうした懴悔をなしつつ、安心起行していくことが至誠心の相であったといえよう。のちに親鸞が「浄土真宗に帰すれども、真実の心はありがたし、虚仮不実のわが身にて、清浄の心もさらになし」等と悲歎述懐されたのも、善導の至誠心釈に感応されたものである[15]。 如来の真実に直面して、自身の虚仮不実を知らされたものにとって「真実」とは、自身に真実はないという懴悔することのほかになかったのである。
『礼讃』には、上掲の文につづいて、具体的な発露懴悔の相を説示されるが、そこには無始以来の十悪、破戒等無辺の罪障があげられ、「唯仏与仏、乃能知二我罪之多少一」といわれている。これはまさに次の深心釈における機の深信の内容であったとしなければならない。かくて善導においては、法蔵の如く真実心であらねばならぬという教説に呼応して、痛烈な懴悔の実修が行われ、その懴悔をとおして、「決定深信二自身現是罪悪生死凡夫、曠劫已来常没常流転無レ一有二出離之縁一」という機の深信が呼びおこされ、さらに機の深信と一具なる法の深信が成立していくのであった。
ところで法然は、この『散善義』の至誠心釈に対して、大きな問題意識をもっておられたと考えられる。それは後にのべる『三部経大意』の至誠心釈に「もしかの釈のごとく一切の菩薩とおなじく諸悪をすて、行住座臥に真実をもちゐるは悪人にあらず、煩悩をはなれたるものなるべし」[16] といい、疏の文相のままならば、煩悩具足の凡夫にはありえない至誠心になるのではないか、というのである。また「回向発願の釈は、水火の二河のたとひをひきて、愛欲、瞋恚つねにやき、つねにうるほして、止事なけれども、深信の白道たゆることなければむまるることをうといへり」[17] といって、二河譬との矛盾をとりあげておられるものなどがそれである。すなわち至誠心釈を疏文のままに理解するならば、煩悩悪性を止めなければ至誠心が具せられないことになり、煩悩具足の凡夫が、本願を信じ、念仏して報土に往生するという凡夫入報の法義が成立しなくなるではないかという問題である。法然やその門下の人々が善導の至誠心釈の文意の領解に苦心された所以である。
法然門下の学匠のなかで、至誠心(真実心)を如来のがわで語り、無漏真実の心とみるものと、あくまでも行者が発起すべき真実心とみるものとの二派が分れるが、それもこの疏文の領解をめぐる見解の相違であった[18]。 至誠心を阿弥陀仏の無漏清浄なる真実心とみたのは隆寛や親鸞等であり、衆生発起の心とみるのは弁長や良忠等であった。隆寛は『具三心義』に「所帰之願真実故、能帰之心名二真実心一、以二此義一故、立二至誠心一也」といい、『極楽浄土宗義』にも「是即指二弥陀本願一、名為二真実一、帰二真実願一之心故、随二所帰願一、以二能帰心一、為二真実心一」といい、至誠心の体を本願の真実と定め、所帰より能帰に名づけて、能帰の心も真実心と名づけられるといわれている[19]。
また親鸞は『教行証文類』「信文類」に、至心を釈して「斯心則是不可思議不可称不可説一乗大智願海 回向利益他之真実心、是名二至心一」といい、成仏の因種となるような真実心は、煩悩具足の凡夫の上には法爾として存在せず、ただ如来より清浄真実なる智慧心を回向されてはじめて至心を具足するといわれている[20]。 また『尊号真像銘文』(広本)には「至心は真実とまふすなり。真実とまふすは、如来の御ちかひの真実なるを至心とまふすなり。煩悩具足の衆生は、もとより真実の心なし、清浄の心なし、濁悪邪見のゆへなり」といい、至心、すなわち至誠心は如来の誓願の真実なるをいい、それを「ふたごころなくふかく信じてうたがはざれば信楽とまふす也」というふうに至心を所信の法とされる場合もある[21]。いずれにしても親鸞は至心、真実心を如来の領分としてみていかれるのであって、真実心の体を無漏の仏智とされたことは明らかである。
これに対して弁長は『念仏三心要集』に「第一至誠心者、真実申事也。其真実心者、雑毒虚仮心無申也」といい、雑毒の毒とは名利心であり、憍慢心であるといわれている。すなわち雑毒虚仮の行とは憍慢念仏、利養念仏、貪欲念仏、誑惑念仏のことであるとし「此名聞利養、憍慢貪欲二心捨、只一筋此念仏 決定往生念仏也思取申 至誠心念仏也。真実心念仏者也。穴賢、穴賢、此念仏以世過身過不レ可レ思」といわれる[22]。そして虚実について四句分別をし、一 内虚外実、二 内実外虚、三 内外倶実、四 内外倶虚とし、二は往生人、三は決定往生人、一と四は非往生人であるといい、「善導所立浄土宗意、此四句中第三内外倶実人以本意」と決定されている[23]。要するに名利心を捨て、憍慢心を去り、貪欲をはなれて、臨終正念往生極楽のためにのみ念仏することを至誠真実心というのである。石井教道氏はこの場合の真実心は煩悩と雑起する真実心であるから、凡夫有漏の真実心であるといわれている。有漏ではあるけれども根本真如を体としているから、凡夫の弱い有漏真実も、仏の真実に相順する理があり、強力な本願力によって摂取されて往生をうるというのである[24]。 良忠は、『散善義記』一に「但菩薩真実強、聖心堅固故、行者真実弱、凡心羸劣故、強弱雖レ異、真実相順、謂仏願強故、摂二行者弱心一、以令レ生二浄土一也」といわれる[25]。 すなわち地上の菩薩は強い無漏真実心が発るが、凡夫の行者は弱い有漏の真実心しか起こせない。しかし真実相順の道理によって、強い仏願に摂取されていくというのである。
法然が「十二箇条問答」に、
- はじめに至誠心といふは、真実心也と釈するは、内外とゝのほれる心也。何事をするにも、ま事しき心なくては成ずる事なし。人なみなみの心をもちて穢土のいとはしからぬをいとふよしをし、浄土のねがはしからぬをねがふ気色をして、内外ととのほらぬをきらひて、ま事の心ざしをもて、穢土をもいとひ、浄土をもねがへとおしふる也。[26]
といわれたものは、弁長の考え方に親しい。但しこれを石井氏のように有漏の真実というべきかどうかは問題である。また後に詳述するように醍醐本『法然上人伝記』「三心料簡事」に、
- 由下阿弥陀仏因中真実心中作上行、悪不レ雑之善故云二真実一也、其義以レ何得レ知、次釈凡所二施為趣求一亦皆真実文、此以二真実一施者、施二何者一云、深心二種釈、第一罪悪生死凡夫云 施二此衆生一也、造悪之凡夫、即可レ由二此真実一之機也。[27]
- 〔追記:阿弥陀仏因中の真実心の中に作に由る行こそ、悪雑はらざるの善なるが故に真実と云ふ也。その義なにを以つて知ることを得、次の釈に「凡所施為趣求亦皆真実」文。この真実を以て施すとは何者に施すと云へば、深心の二種の釈の第一、罪悪生死の凡夫と云へる、この衆生に施すなり。造悪の凡夫、すなわちこの真実に由るべきの機なり。〕
といわれたものは、隆寛や親鸞の無漏真実心の領解に親しいといわねばならない。
法然の至誠心釈には、こうした両面があって、しかもそれらは決して矛盾するものではなかったといわねばならない。行者が発起する至誠心は、心相であり、如来の真実心は、至誠心の心体であったといえよう。さらに心相としての至誠心にも、後述するように安心門の所談と起行門にかけての釈があったと考えられる。もっとも心体と心相といっても後に親鸞が『教行証文類』で展開されるような本願力回向の信心論が教義的に確立されていて、両者が構造的に統一されていたわけではない。後に述べるようにそのような考え方は萠芽的にみとめられるに過ぎないのである。
二、内外相翻釈の意義
『選択集』「三心章」の私釈には、『散善義』の「不レ得下外現二賢善精進之相一、内懐中虚仮上」といわれた文意をつまびらかにするために、内外相飜の釈が施されている。
- 外者対レ内之辞也、謂外相与二内心一不レ調之意、即是外智内愚也。賢者対レ愚之辞也、謂外是賢、内即愚也。善者対レ悪之辞也、謂外是善、内即悪也。精進者対二懈怠一之辞也、謂外示二精進相一、内即懐二懈怠心一也。若夫飜レ外蓄レ内者、祇応レ備二出要一。内懐二虚仮一等者、内者対レ外之辞也、謂内心与二外相一不レ調之意、即是内虚外実也、虚者対レ実之辞也、謂内虚外実者也。仮者対レ真之辞也、謂内仮外真也。若夫飜レ内播レ外者、亦可レ足一出要二。[28]
- 〔追記:外は内に対する辞なり。いはく外相と内心と不調の意なり。すなはちこれ外は智、内は愚なり。賢といふは愚に対する言なり。いはく外はこれ賢、内はすなはち愚なり。善は悪に対する辞なり。いはく外はこれ善、内はすなはち悪なり。精進は懈怠に対する辞なり。いはく外には精進の相を示し、内にはすなはち懈怠の心を懐く。もしそれ外を翻じて内に蓄へば、まことに出要に備ふべし。「内に虚仮を懐く」と等とは、内は外に対する辞なり。いはく内心と外相と不調の意なり。すなはちこれ内は虚、外は実なり。虚は実に対する言なり。いはく内は虚、外は実なるものなり。仮は真に対する辞なり。いはく内は仮、外は真なり。もしそれ内を翻じて外に
播 さば、また出要に足りぬべし。 〕
といわれたものがそれである。すでにのべたように疏文の当分は、内外不調を不真実といい、内外相応して真実心でなければならないといわれているのである。それに対して法然は、外相が智、賢、善、精進、実、真であっても、内心が癡、愚、悪、懈怠、虚、仮であるならば至誠心ではない。しかし外を飜えして内に蓄え、内を飜えして外に播すならば、出離の要道となりうるといわれるのである。この内外虚実の相対について「往生大要抄」には次のように四句分別をされている。
「一には、ほかをかざりて、うちにはむなしき人。二には外をもかざらず、うちもむなしき人。三にはほかはむなしく見えて、うちはま事ある人。四にはほかにもまことをあらわし、うちにもまことある人」というのがそれである。そして「前の二人をば虚仮の行者といふべし、後の二人をば、ともに真実の行者といふべし。しかればたゞ外相の賢愚、善悪をばゑらばず、内心の邪正迷悟によるべき也」といわれている[29]。
この釈によれば、外相と内心が不調である場合に二種があって、内に虚仮心を抱いて、外に賢善精進を現ずるものを不真実とするのであって、内に真実があるならば、外相はたとえ愚悪懈怠の相であっても、出離に足る真実心であるとみなされていたことがわかる。これは、善導には見られない釈であって、外相よりも内心を問題とし、重視することによって、浄土教を内面化しようとされたからであると考えられる。
「往生大要抄」に「しかるを人つねにこの至誠心を熾盛心と心えて、勇猛強盛の心をおこすを至誠心と申すは、此釈の心にはたがふ也」といって、至誠心を、勇猛強盛なる熾盛心と誤解する人々のいたことを指摘し、誡められている[30]。 これについて井上光貞氏は『台記』の久安四年(一一四八)五月十四日の条などに出てくる、四天王寺念仏衆の出雲聖人の如きものを指しているのであろうといわれている[31]。 彼は勇猛念仏を修して多くの人々の信仰を得ていたが、『台記』の著者の頼長は、「其説非二正直一、足レ為レ怪」といい、外面の賢善ぶりに比して内心は非正直だと評しているのが好例であるといわれている[32]。もっとも勇猛なる至心念仏を強調したのは、永観の『往生拾因』であって、法然もあながちに勇猛心熾盛心を否定しているわけではない[33]。 「往生大要抄」には前文につづいて「さればとてその猛利の心をすべて至誠心をそむくと申にはあらず、それは至誠心のうゑの熾盛心にこそあれ、真実の至誠心を地にして熾盛なるはすぐれ、熾盛ならぬはおとるにてある也」といわれている。至誠心なき熾盛心は、名聞に堕するが、至誠心のうえの、つまり起行門としての熾盛心は評価されているのである。ともあれ法然は内に願生の信心をもたずに、名利のために後世者ぶるものを「ひじり名聞」と批判し、それを虚仮不実の心として厳しく誡められたのであった。[34]
もっとも外相はいかにもあれ、といったからとて、「人のそしりをもかへりみず、ほかをかざらねばとて、心のままにふるまふがよきと申すにてはなき也。菩薩の譏嫌戒とて、人のそしりになりぬべき事をば、なせそとこそいましめられたれ」といい、譏嫌戒をまもって、放逸をつつしみ、人のそしりを招かないようにはげむべきであると注意されている。
ところで『選択集』の内外相飜について石田充之氏は「飜レ外蓄レ内」とは、内外一致して賢善なる賢者のことであり、「飜レ内播レ外」というのは内外一致して愚悪なる虚仮者のこととみ、賢者は賢者のまま、愚者は愚者のまま「その現状のありのままの姿や心で、内外一致して至心に阿弥陀仏の本願の真実心に帰順する意味だといった理解を」示されたものであって、善導の至誠心釈に一大変革を与えられた釈であるとみられている[35]。 たしかに法然が「弥陀如来の本願の名号は、木こり、くさかり、なつみ、みづくみのたぐひごときものゝ、内外ともにかけて一文不通なるが、となふれば、かならずむまれなんと信じて、真実に欣楽して、つねに念仏申を最上の機とす。……浄土門の修行は、愚癡に返りて極楽にむまると」[36] といわれたものも「十悪の法然房が念仏して往生せんといひてゐたる也。又愚癡の法然房が念仏して往生せんといふ也」[37] といわれたものは、まさに内外ともに愚悪なままに本願に帰して念仏する至誠心のあったことが知られる。
しかしこのように内外一致して虚仮なるものに至誠心をみとめるということは、さきにあげた「往生大要抄」の四句分別の釈と矛盾するようにみえる。彼の第二句の内外倶虚のものは、至誠心なき虚仮の行者で、往生できないとされていたからである。しかし「大要抄」をしさいにみると、第一句の外実内虚の者は、願生の信なくして、名利ばかりの後世者をさしており、第二句の内外倶虚の者は、願生心なき世俗の人であり、第三句の外虚内実の人は、願生の信をもつ愚者であり、第四句の内外倶実の人は、信をもつ賢者をあらわしていた。従って第三句の外愚内実の人と、内外倶虚の願生者とは、結局同致するとみるべきであろう。もっとも親鸞が『愚禿鈔』において
「聞二賢者信一、顕二愚禿心一、賢者信、内賢外愚也、愚禿心、内愚外賢也」[38] といって自身を慚愧されたものは、法然のそれを更に展開されたものである。
三、至誠心と生活規範
さて「往生大要抄」の三心釈によれば、
わたくしに料簡するに、至誠心といは真実の心なり。その真実といは、内外相応の心なり。身にふるまひ、口にいひ、意におもはん事、みな人めをかざる事なくま事をあらはす也。しかるを人つねにこの至誠心を熾盛心と心えて、勇猛強盛の心をおこすを至誠心と申すは、此釈の心にはたがふ也……又至誠心は、深心と回向発願心とを体とす。この二をはなれては、なにによりてか至誠心をあらはすべき、ひろくほかをたずぬべきにあらず。深心も回向発願心もまことなるを至誠心とはなづくる也。[39]
といわれている。これによれば内に深心と回願心をもち、それにふさわしい三業行をあらわしていることを内外相応の至誠心とされていたことがわかる。同様の釈が「十八条法語」にも出ている。すなわち、
- 又云真実心といふは、行者願往生の心なり。矯飾なく表裏なき相応の心也。雑毒虚仮等は名聞利養の心也。大品経云、捨二利養名聞一、大論述二此文一之下云、当三業捨二雑毒一者、一声一念猶具レ之、无二実心之相一也。飜レ内矯レ外者、仮令外相不法、内心真実、願二往生一者、可レ遂一往生二也云云。[40]
というものがそれである。この場合も至誠心とは願往生の心があって、矯飾なく表裏相応している状態をいうわけである。その反対に雑毒虚仮とは、名聞利養の心をいうのであって、『大論』にもこれを雑毒、無実心とされているからである。それは内を
ここでは名利心を雑毒虚仮といい、往生の障りになるようにいわれているが、法然には名利心は往生の障りにならないといわれる場合もある。「十二箇条問答」に「衆生の心はつねに名利にそみてにごれる事、かの水のごとくなれども、念仏の摩尼珠を投ぐれば、心のみづおのづからきよくなりて、往生をうる事は念仏の力也」といい、念仏の功力によって、名利の濁心も浄化されるから、名利はあれども、往生の障りにはならないとされている[41]。 それでは名利心があるから往生できないといわれたのは何故であろうか。これについて「御消息」第三には、
- われも人も、いふばかりなきゆめの世を執する心のふかゝりしなごりにて、ほどほどにつけて名聞利養をわづかにふりすてたるばかりを、ありがたくいみじき事にして、やがてそれを返りて又名聞にしなして、……つゆの事も人のそしりにならん事あらじといとなむ心よりほかにおもひさす事もなきやうなる心ちのみして、仏のちかひをたのみ、往生をねがはんなんどいふ事をばおもひいれず、沙汰もせぬ事の、やがて至誠心かけて往生もえせぬ心ばヘにて候也。[42]
といわれている。後世を願う心をおこして、世をいとい、名利をすてたはずの後世者が、かえって、後世者であることをほこるとき、名利をすてたことが名利となり、人目ばかりを飾るようになり、本願をたのみ、往生をねがう願生の信心が欠ける。それを「至誠心かけて往生もえせぬ」というのである。このように信なくして後世者ぶるものを、名利に狂うて至誠心のかけた虚仮の行者というのである。しかしそのことの浅ましさを慚愧し、回心して本願をたのみ、一向に念仏するならば、飜レ内播レ外した至誠心の行者として、名利の煩悩をもったまま障りなく往生せしめられるのである。
そうなれば至誠心の有無は、名利心の有無よりも、本質的には信心(深心)の有無にかかっていることがわかる。
信あるものは、たとえ名利心をもち、貪瞋煩悩をもっていても至誠心のあるものであり、信なきものは、たとえ頭燃をはらうが如く三業をつとめていても至誠心なき虚仮の行者といわれるのである。かくて至誠心は深心におさまるといわねばならない。
『三部経大意』に至誠心を釈して「その解行といふは、罪悪生死の凡夫、弥陀の本願に依りて十声一声決定してむまると真実にさとりて行ずるこれなり。ほかには本願を信ずる相を現じて、うちには疑心をいだく、これは不真実のさとりなり」といわれた所以である[43]。 また「東大寺十問答」に行具の三心を明かして「一向に帰すれば至誠心也、疑心なきは深心也、往生せんとおもふは回向心也」といい[44]、深心の行者の一向専修の相を内外相応の至誠心とみなされていたことは、法然の至誠心観を端的にあらわしているというべきである。
しかし又一面法然の至誠心釈には、貪瞋煩悩をいましめるものもある。「七箇条の起請文」に「たゞ真実心を至誠心と善導はおほせられたる也。真実といふは、もろもろの虚仮の心のなきをいふ也。虚仮といふは、貪瞋等の煩悩をおこして正念をうしなふを虚仮心と釈する也」といい[45]、貪瞋煩悩を虚仮心の体とされている。これは疏文の「貪瞋邪偽……」といわれたものをそのまま依用された釈であるが、それでは貪瞋煩悩を具足した凡夫には虚仮心ばかりで至誠心はありえないではないかという問題がでてくる。しかし法然は貪欲に喜足小欲の貪と、不喜足大欲の貪があって、「いま浄土宗に制するところは不喜足大欲の貪煩悩也、まづ行者かやうの道理を心えて念仏すべき也。これが真実の念仏にてある也。喜足小欲の貪はくるしからず」といわれている。瞋恚にも敬上慈下の心を破らぬ程度のものならば往生の障りにならない。愚癡も厭欣心があり、往生を大事におもい、家業を事とせぬ程度ならば「少々の癡は往生のさわりにはならず、これほどに心えつれば、貪瞋等の虚仮の心はうせて真実心はやすくおこる也。これを浄土の菩提心といふなり」といわれている。こうして煩悩に浅深強弱を分別し、喜足小欲にして、敬上慈下の心があり、往生を一大事と心得て、「生死の報をかろしめ、念仏の一行をはげむがゆへに、真実心とはいふ」というのである。
この「七箇条の起請文」の三心釈の最後につぎのようにいわれている。貪瞋癡は悪趣に行くべき妄心であるから、できるかぎりとどめようと心がけねばならない。しかし、
- いまだ煩悩具足のわれらなれば、かくは心えたれども、つねに煩悩はおこる也。おこれども、煩悩をば心のまら人とし、念仏をば心のあるじとしつれば、あながちに往生をばさえぬ也。煩悩を心のあるじとして、念仏を心のまら人とする事は雑毒虚仮の善にて往生にはきらはるゝ也。詮ずるところ、前念後念のあひだには煩悩をまじふといふとも、かまえて南無阿弥陀仏の六字のなかに、貪等の煩悩をおこすまじき也。[46]
といわれている。煩悩を主とし、念仏を
四、『三部経大意』の至誠心釈
昭和八年、神奈川県の金沢文庫に襲蔵されてきた『浄土三都経大意』一巻が公表され、つづいて三重県の真宗高田派本山専修寺に秘蔵されていた『三部経大意』一巻が公表された[48]。
この両書は、殆ど同じ内容のものであるが、金沢文庫は、その奥書によれば「建長六年甲
一方専修寺本の奥書には「正嘉二歳戊午八月十八日書写之」とあるから正嘉二年(一二五八)金沢文庫本より四年後に書写されたものであることがわかる[53]。 古くは親鸞筆と伝えられていたが、表紙には「釈慶信」とあり、内容の筆蹟と一致する。生桑完明氏によれば、親鸞の真蹟でもなく、また「慶信上書」を書いた慶信の筆蹟ともちがうので、慶信書写本を伝写したか、同名異人の慶信の書写かと見られている。[54]
両書は、内容的には一致しているが、差異もあって、山上氏は①綴文上の左右、②文字の差降、③文句の出没、④伝持上の特徴の四項目にわたって両書を詳細に比較検討を行った上で「写伝の特質、系統が大体に於て一致するものと心得て支障が無いであろう」といわれている。[55]
ところでこの両書と『和語灯録』巻一所収の「三部経釈」とを対照すると、『観経』の至誠心釈の文に大きな相違が見られる。便宜上三本の至誠心釈の部分を比較対照してみると、次表の如くである。
専修寺本によれば、先ず至誠心釈の疏文をあげ、真実心中になすべき「解行トイフハ、罪悪生死ノ凡夫、弥陀ノ本願ニ依テ十声一声決定シテムマルト真実ニサトリテ行スルコレナリ。ホカニハ本願ヲ信スル相ヲ現シテ、ウチニハ疑心ヲイタク、コレハ不真実ノサトリナリ」といい、外に本願を信ずる相をあらわして、内に疑心をいだくことを、「外現賢善精進之相、内懐虚仮」というと釈される。これは『和語灯録』所収の「三部経釈」も同じであるが、金沢文庫本はこの一節百二十六字を欠いている。但し後に同文が出ているから、筆写者が故意に省略したとは考えられない。
{別頁へ予定}
『三部経大意』は、つづいて疏の「貪瞋邪偽奸詐百端」以下、自利真実、利他真実を明かす文を引き、最後に「コノナカオホクノ釈アリ、スコフルワレラカ分ニコエタリ」といわれるが、これ以下は『和語灯録』本には見られない。「内懐虚仮」を、貪瞋煩悩のこととすれば、真実とは煩悩が超剋された状態でなければならない。ところで疏文では、行者に真実心が要求されるのは、浄土が法蔵菩薩の真実なる三業行によって成就された無漏真実の境界だからであるといわれている。それと対応すれば、行者に要求される真実は、一切の菩薩とおなじく真実心をもって廃悪修善することであるといわねばならない。それゆえ法然は「スコフルワレラカ分ニコエタリ」といわざるを得なかったのであろう。
こうして法然は、善導の至誠心釈のなかに、われらの分にかなった至誠心と、われらの分をこえた至誠心があるとみられたのである。そのことを明確にするために至誠心について、定善、散善、弘願の三門をたて。総と別、自力と他力の至誠心があると釈顕されるのである。
- タヾシコノ至誠心ハヒロク定善、散善、弘願ノ三門ニワタリ釈セリ。コレニツキテ摠別ノ義アルヘシ。摠トイフハ、自力ヲモテ定散等ヲ修シテ往生ヲ子カフ至誠心ナリ、別トイフハ他力ニ乗シテ往生ヲネカフ至誠心ナリ。ソノユヘハ疏ノ玄義分ノ序題ノ下ニイハク、定ハスナハチオモヒヲトヽメテコヽロヲコラシ、散ハスナワチ悪ヲトヽメテ善ヲ修ス、コノ二善ヲメクラシテ往生ヲモトムルナリ。弘願トイフハ大経ニトクカコトシ、一切善悪ノ凡夫ムマルヽコトヲウルハ、ミナ阿弥陀仏ノ大願業力ニ乗シテ増上縁トセストイフコトナシトイヘリ。自力ヲメクラシテ他力ニ乗スルコトアキラカナルモノカ。シカレハ、ハシメニ一切衆生ノ身口意業ニ修スルトコロノ解行、カナラス真実心ノ中ニナスヘシ、外に賢善精進の相を現スルコトヲエサレ、ウチニ虚仮をイタケハナリ、ソノ解行トイフハ罪悪生死ノ凡夫、弥陀ノ本願ニ乗シテ十声一声決定シテムマルヘシト真実心ニ信スヘシトナリ。外ニハ本願ヲ信スル相ヲ現シテ内ニハ疑心ヲ懐、コレハ不真実ノ心ナリ。
- 次ニ貪瞋邪偽奸詐百端ニシテ悪性ヤメガタシ、事蛇蝎ニオナシ、三業ヲオコストイヘトモナツケテ雑毒ノ善トス、マタ虚仮ノ行トナツク、真実ノ善トナツケストイフナリ。自他ノ諸悪ヲステ、三界六道毀厭シテミナ専真実ナルヘシ、カルカユヘニ至誠心トナツクトイフ、コレラハコレ摠ノ義ナリ(専修寺本)
これによれば、元来『観経』の三心は、定善、散善、弘願の三門に通ずるものであったから、疏の至誠心釈もまた三門に通じてなされており、定善と散善を総とし、弘願を別とし、前者は自力、後者は他力の法門をあらわしているというのである。このように分別するのは『玄義分』序題門の要弘二門の釈に依る[56]。 すなわち善導は『観経』所説の定散二門を要門とし、『大経』所説の願力増上縁の法門を弘願とよんでいる。定善とは息慮凝心であり、散善とは廃悪修善をいうが、この二善を回向して願生するのだから自力の法門である。それに対して弘願とは、自力の心をひるがえして、善悪の凡夫が、ひとしく阿弥陀仏の大願業力に乗じて往生をうる他力の法門である。それは具体的にいえば『大経』所説の第十八願の念仏往生の法門をさしていた。
かくて弘願他力の別の至誠心を明かしたものは、疏文の初から「内懐虚仮」までの文で、罪悪生死の凡夫が、十声一声の念仏によって決定往生すと、真実に信ずることをいい、外信内疑を不真実虚仮とするというのである。
これに対して定散自力の総の至誠心とは、「貪瞋邪偽奸詐百端」以下の疏文に示されたように、菩薩の如く廃悪修善して自利々他の真実心を成就しようとすることである。しかし初果の聖者ですら倶生起の煩悩をもっているのだから、まして凡夫が「自力ニテ諸行ヲ修シテ至誠心ヲ具セムトスルモノハモハラカタシ、千カ中ニ一人モナシトイヘルコレナリ」といい、定散自力の至誠心を所廃とみなされている。
このように善導の至誠心釈に自力の至誠心と他力の至誠心が明されているとみねばならない理由は、もし文相の如く貪瞋煩悩をなくしなければ成就しないような至誠心ならば、次下に釈顕される深心釈下の機の深信や、二河譬に「愛欲瞋恚ツネニヤキツネニウルホシテ止事ナケレトモ深信ノ白道タユルコトナケレハムマルヽコトヲウ」といわれたものと矛盾することになるからである[57]。 又善導の『礼讃』の四修釈のなかの無間修の釈相を注意してみると余行をもってへだてない無間修と、貪瞋煩悩をもってきたしへだてない無間修とが釈出されているが、後の二行の得失の釈から反顕すると、余行をまじえない無間修は念仏についていったものであり、貪瞋等の煩悩をきらう無間修は自力の余行についていったものである。それと同じように「貪瞋等ヲキラフ至誠心ハ余行ニアリ」といわねばならない。そこからみると至誠心釈にも、自力余行に約する釈と、他力念仏に約する釈とがあったとせねばならぬといわれるのである。
かくて弘願他力の至誠心とは、外信内疑の虚仮をひるがえして、無有出縁の凡夫が、貪瞋煩悩のままで内外一致して本願を深信して念仏する深信白道の心をいうとしなければならない[58]。 ここに法然が深心中心の三心観をもっておられたことが看取できるのであって『三部経大意』の三心釈のはじめに総釈して「三心ハマチマチニワカレタリトイヘトモ、要ヲトリ詮ヲエラヒテコレヲイヘハ深心ヒトツニオサマレリ」といわれる所以である。そしてこうした至誠心釈は親鸞に継承され更に詳細に展開されていくのであって、その弘願他力の至誠心釈は「信文類」に、定散自力の至誠心は「化身土文類」にそれぞれ引釈されていく。[59]
ところがこうした定善、散善、弘願の三門の分別や、定散を自力、弘願を他力とみることについて鎮西派の良忠等は否定的な見解をもっていた。すなわち良忠の『浄土宗要集』一には「要門者定散二善即往生之行因也。故文云二回斯二行一、弘願者弥陀本願 即往生之勝縁也。故文 云二増上縁一、是則因縁和合得二往生果一也」[60] といい、要門と弘願を行因と勝縁、すなわち因縁の関係にあり、二門相依って往生を遂げるとされている。また『浄土宗行者用意問答』には「近代ノ末学 浄土ノ行ニ自力他力ト云コトヲ立テ、或ハ定散二善ヲ自力トシ念仏ヲ他力トストイヘリ 故上人ハ仰セラレサリシ義ナリ」[61] といって、定散二善を自力とし、念仏を他力とみる如き義を否定している。
しかし法然の法語には、定散二善の要門と弘願とを各別の法門とみなしておられる文が少なくない。「十八条法語」に、
- 又云玄義に云く、釈迦の要門は定散二善なり、定者息慮凝心なり。散者廃悪修善なりと、弘願者如大経説、一切善悪凡夫得生といへり。予ごときは、さきの要門にたゑず、よてひとへに弘願を憑也と云り。[62]
といわれたものは明らかに要弘二門を難易をもって廃立されている。又「一期物語」に「或人問云、常存二廃悪修善旨一念仏与、常思二本願旨一念仏 何勝哉。答、廃悪修善是雖二諸仏通戒一、当世我等、悉違背、若不レ乗一別意弘願二者、難三出二生死一者歟云云」といって、廃悪修善(散善)を通戒とし、それを廃して別意弘願を自己の道と選定されたのも同意である[63]。 又定散を総とし、弘願を別というのは「法然聖人御説法事」に「はじめには定散の二善を説いて総じて一切の諸機にあたえ、次には念仏の一行を選びて、別して未来の群生に流通せり」といわれたものと同じである[64]。 さらに三心について総別を分けられるのは『選択集』「三心章」の私釈において「此三心者、総而言レ之 通二諸行法一、別而言レ之 在二往生行一」[65] といわれているが、この総通諸行とは定散にわたる要門の三心、別在往生行とは五正行を全うじた弘願念仏の三心をさしており、『三部経大意』の至誠心釈の総別義と同じであるとせねばならない。すなわち定散弘願の三門、総別、自力他力の釈義は、法然の釈として必ずしも異例のものではなかったのである。山上正尊氏は、『和語灯録』所収の「三部経釈」の至誠心釈において、定散弘願の三門、総別、自力他力の釈文が欠けていることについて「その伝者の感情に任せて嫌厭する所を削除したものだと云い得るであろう」といわれている[66]。 けだし良忠の弟子で、忠実な鎮西義の伝承者でもあった了恵は、「三部経釈」を収録するにあたって良忠の義に従ってこの部分を削除したと推察することもできよう。
五、「三心料簡事」の至誠心釈
『三部経大意』の至誠心釈と深く関連するとみられる至誠心釈が、醍醐本『法然上人伝記』所収の「三心料簡事」にも認められる。[67]
- 付二疏第四一仰云、先浄土悪雑善永以不レ可レ生知、是以玄義分、定即息レ慮以疑レ(凝)心、散即廃レ悪 以修レ善、廻二此二行一求一願往生二文。又散善義云、上輩上行上根人、求レ生二浄土一 断二貪瞋一文。然則今此至誠心、世所レ嫌之虚仮行者、余善諸行也。三業精進雖レ勤、内貪瞋邪偽等血毒雑故、名二雑毒之善一、名二雑毒之行一、云二往生不可一也。是以礼讃専雑二行得失中、雑修失云、貪瞋諸見煩悩来間断、故廻二此等雑行一、直欲レ生二報仏浄土一者、尤不可嫌道理也。然以二身口二業一為レ外、以二意業一一為レ内者僻事也。既云二雖起三業一、豈除二意業一乎。又虚仮者誑惑者云事僻事、既云二苦励身心一、又云二日夜十二時急走急作如炙頭
然 者一文、云何仮名之行人如レ此哉。正是雑行者也。次所二選取一之真実者、本願功徳、即正行念仏也。是以玄義分云、言二弘願一者 如二大経説一、一切善悪凡夫得レ生者、莫レ不下皆乗二阿弥陀仏大願業力一、為中増上縁上也云云。是以今文正由下彼阿弥陀仏因中行二菩薩行一時、乃至一念一刹那三業所レ修、皆是真実心中作上云云。由下阿弥陀仏因中真実心中作上行 悪不レ雑之善故 云二真実一也。其義以レ何 得レ知、次釈凡所二施為趣求一亦皆真実文、此以二真実一施者、施二何者一云、深心二種釈第一罪悪生死凡夫云施二此衆生一也。造悪之凡夫、即可レ由二此真実一之機也。云何得レ知、第二釈阿弥陀仏四十八願、摂二受衆生一等云々。如レ此可レ得レ心也云々。[68] - 〔追記:疏(観経疏)の第四について仰せに云く。まず浄土には悪雑わる善は永く以って生ずべからずと知るべし。ここを以って義分(玄義分)には、「定即息慮以凝心、散即廃悪以修善、廻此二行求願往生」の文。また「散善義」に云く、「上輩上行上根人、求生浄土 断貪嗔」の文。しかれば即ち、今この至誠心中に嫌う所の虚仮の行とは、余善諸行なり。三業に精進を勧むといえども、内に貪嗔邪偽等の血毒雑る故に、雑毒の善と名づけ雑毒の行と名づけて往生不可なりと云ふ。ここを以って、『礼讃』の専雑二行得失中の、雑修の失に云く、「貪・嗔・諸見の煩悩来りて間断す」と。故に此等の雑行を廻らして、ただちに報仏浄土に生ぜんと欲するは、もっとも不可と嫌う道理なり。しこうして、身口二業を以って外とし、意業一を以って内となさんとは僻事(ひがごと)なり。すでに「雖起三業」といえり、あに意業を除かんや。また「虚仮者」とは、狂惑者ということ僻事とす。すでに「苦励身心」と云い、また「日夜十二時 急走急作 如炙頭然者」と云ふ 文。いかんぞ仮名の行人、この如きなるや、まさに是れ雑行の者なり。
- つぎに選取するところの真実とは、本願の功徳すなわち正行念仏なり。ここを以って「玄義分」にいわく。「言弘願者、如大経説、一切善悪凡夫得生者、莫不皆乗阿弥陀仏大願業力 為増上縁也」云々 ここを以て今の文に「正しく彼の阿弥陀仏因中に菩薩の行を行ぜし時、乃至一念一刹那も、三業の修すところ、皆これ真実心の中に作すに由るべし」と云々。 阿弥陀仏因中の真実心の中に作すに由る行こそ悪雑はらざるの善なるが故に真実と云ふ也。 その義なにを以て知ることを得、次の釈に「凡所施為趣求亦皆真実]文。この真実を以て施すとは何者に施すと云へば、深心の二種の釈の第一、罪悪生死の凡夫と云へる、この衆生に施すなり。造悪の凡夫、すなわちこの真実に由るべきの機なり。云何が知ることを得る。第二の釈に、「阿弥陀仏四十八願衆生を摂受す」等と云々。かくのごとく心得べきなりと云々 〕
これによれば、浄土へは悪の雑わる善を以て往生することはできないが、そのような行とは雑行をさしている。すなわち善導は、息慮凝心の定善、廃悪修善の散善は、貪瞋煩悩を断じて往生しようとするものであるといわれているが、この至誠心釈において虚仮の行といわれたのは、正しくこのような定散という要門の余善諸行をさしている。それは廃悪修善しようとして三業に精進するけれども、現実には内に貪瞋邪偽等の煩悩の血毒が雑わっているからである。それゆえ雑毒の行善とよばれ、報仏の浄土へ生まれることのできない雑行であるといわれるのである。尚疏の虚仮の行者を、誑惑の者とみるのは不当である。なぜならば、すでに身心を苦励し日夜精進している者であるから決して誑惑者といった仮名の行人ではなく、定散自力の行をはげむ雑行者をさしていたとせねばならない。また疏の「外現賢善精進、内懐虚仮」といわれた内外と、「雖起三業名為雑毒之善亦名虚仮之行」といわれた三業との関係は、三業全体を外とし、内に煩悩悪性を懐いていることを内といわれたとせねばならない。身口二業を外とし、意業を内としたものではない。すなわち雑行は如何に三業を苦励しても、内に煩悩悪性を懐いているから雑毒虚仮の行善といわれるのである。
このような雑行が如来によって選捨されたものであるのに対して、選取せられた真実とは、本願の功徳、すなわち正行たる念仏である。それは『玄義分』のいわゆる弘願にあたる。それは至誠心釈に「阿弥陀仏が因中に真実心の中に作すに由るべし」といわれたものにあたる。すなわち阿弥陀仏因中の真実心中の作に由る行こそ、悪の雑わらない善であるから真実というのである。そのことは「凡所施為趣求亦皆真実」といわれたものによって知ることができる。施とは、何者に施すのかといえば、次下の深心の第一釈(機の深信)における罪悪生死の凡夫に施すのである。すなわち造悪の凡夫が、この如来より施与せられた真実に由るべき機であることがわかる。それをさらに明確に示しているのが第二釈(法の深信)の「阿弥陀仏四十八願摂受衆生」等といわれたものであるというのである。
この「三心料簡事」によれば、至誠心釈の雑毒虚仮の行とは、三業を苦励しながらも、内には煩悩悪性を懐いている雑行をさし、それを誡めたのが「不得外現賢善精進之相、内懐虚仮」の文であるということになる。従ってこの文は親鸞が読まれたように「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐けばなり」と読まねばならないことになる。要するにこれは雑行を誡めた文になるのである[69]。 また念仏が悪の雑わらぬ真実であるのは、阿弥陀仏の真実心に由って行ずるものだからである。如来の真実心に由来する行であるということは、如来より施された行であるという意味をあらわしている。それを示しているのが「所施為趣求」という語であるといわれているから、この文は一般に読まれるような「施為(利他)趣求(自利)するところ」と単に如来の自利々他をあらわすものではなく「施為せられて趣求する」とよむべきである。すなわち如来から真実なる行を施されて、その行を以て浄土を趣求するという意味になる。親鸞が「凡そ施したまふところ趣求をなす」とよまれたのも、その意をあらわそうとされたものであろう。[70]
前述の『三部経大意』において、「不得外現賢善精進之相、内懐虚仮」の文を、専修寺本は、親鸞と同じく「外ニ賢善精進ノ相ヲ現スルコトヲエサレウチニ虚仮ヲイタケハナリ」と読んでいたが、金沢文庫本は、法然の他の書と同じように「外ニ賢善精進ノ相ヲ現シテ内ニ虚仮ヲ懐ク事ヲエサレ」と読んでいた。ところが「凡所施為趣求亦皆真実」の文を、専修寺本が「オホヨソ施為趣求スルトコロマタミナ真実ナルニヨル」と一般的な読み方をなされているのに対して、金沢文庫本は「凡所施趣キ求ルカ為ニ亦皆真実ナリ」となっている。これは「およそ施すところ(施され?)趣き求むるが為に亦皆真実なり」というのだから、むしろ「三心料簡事」や親鸞の読み方に近いといわねばならない。石田充之氏は、『三部経大意』や「三心料簡事」の至誠心釈の釈相によれば「仏の真実心中作の行を廻施せられ修する念仏行なる故にこそ、凡夫の修する念仏行をも、至誠真実心を以て修する真実の行業と云い得るのだ……そこには他力回向の思想の一端をさえ見出さしめ、極めて他力と云うことを強調せられているように推考せられる」といわれている。[71]
このような法然の至誠心観は、単にこれらの書にかぎらず、たとえば「念仏大意」の至誠心釈にも、
- たゞしこの三心の中に、至誠心をやうようにこゝろえて、ことにまことをいたすことを、かたく申しなすともがらも侍にや。しからば弥陀の本願の本意にもたがひて、信心はかけぬるにてあるべきなり。いかに信力をいたすといふとも、かかる造悪の凡夫のみの信力にて、ねがひを成就せむほどの信力は、いかでか侍べき。ただ一向に往生を決定せむずればこそ、本願の不思議にては侍べけれ。さやうに信力もふかく、よからむ人のためには、かゝるあながちに不思議の本願おこしたまふべきにあらず、この道理おば存じながら、まことしく専修念仏の一行にいる人いみじくありがたきなり。[72]
といわれているが、ここでも凡夫の信力を深め強めることを至誠心と考えることを否定されていて、明らかに自力の至誠心の否定が示されている。このようにみてくると、親鸞が『散善義』の至誠心釈に破天荒ともおもえるような訓読を施し、自力の至誠心と他力のそれとを分判されたのも、決して独断ではなく、むしろ法然の教示を伝承し展開されたとみるべきであろう。
ところで『三部経大意』や「三心料簡事」の至誠心釈について坪井俊映氏は「善導の至誠心釈に対するこのような理解は、法然上人の他の著書語録には全然見られないものである。また了恵の『和語灯録』(元亨版)に収められている「三部経釈」の至誠心釈にはこの文がない。……これが法然の考へなりや否やは今後の充分なる研究を要することであるから、いまにわかに結論を出すことができない」といい。「三心料簡事」に対しても「はたして法然上人の真説を伝えたものや否や疑いなきを得ないのである」といって、いずれも疑義を投げかけておられる[73]。「三心料簡事」の至誠心釈については、すでに望月信亨氏が「是れ頗る西山義の所立に類す……此の法語は異流の人の伝説にして、之を正統の宗義と認む可からざるが如きも……更に検考を要すべき所なりとす」[74] といい、浄土宗(鎮西派)の正統宗義ではなく、西山派に類する異端的な教説であるとされたものを坪井氏は承けられたのであろう。しかしすでに山上正尊氏は、「建長正嘉両本に存する至誠心釈下の定散弘願三門の説並に自力他力総別の義は『選択集三心章私釈』『登山状』『法然上人伝記一期物語』(三心料簡事)『念仏大意』等、諸種の資料に依って元祖教化の意懐なることを徴証」されている[75]。 また石田充之氏は醍醐本『法然上人伝記』は寛永三年(西紀一六二六年)に逝ける醍醐七十九世の座主義演の書写するところなるが記事の内容は歴史的価値あるもので、法然滅後三十年頃に成立せるものと推定される故重要視せられねばならぬ。……伝記の第三篇「三心料簡事」の下の二十七箇条の問答は『語灯録』に載せていないが、真宗教義研究者は是非参照すべきものである。蓋し『語灯録』編纂以前の成立である。」といい、又金沢文庫本及び専修寺本の『三部経大意』についても「孰れも了恵の『語灯録』編纂(文永一一年、西紀一二七四)以前、二十年、十五、六年前の写本であって、『観経疏』三心釈討究態度の如き、親鸞聖人が真仮を分って『疏』を取扱われる如き態度と一致すべきものがあるといった様な状態で『和漢語灯』至上主義の崩壊を覚ゆるものである」とまでいわれている[76]。 たしかに法然の思想信仰を知るうえでこれらの書物は重大な意味をもっているのである。
第三節 深心の意義
一、二種深心について
深心とは「深信之心」であると法然は規定されているが、言うまでもなく『散善義』の深心釈の冒頭の文に依られたのである。そこには、
- 二者深心、言二深心一者即是深信之心也、亦有二二種一、一者決定深信二自身現是罪悪生死凡夫、曠劫已来常没常流転、無レ一有二出離之縁一。二者決定深信下彼阿弥陀仏四十八願摂二受衆生一、無レ疑無レ慮乗二彼願力一定得中往生上。 [77]
- 〔追記:二には深心と。 「深心」といふはすなはちこれ深く信ずる心なり。 また二種あり。一には決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。二には決定して深く、かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず。〕
といわれている。
この「深く信ずる心」というときの「深」とは、「
- 詮じては、仏のちかひをたのみて、いかなるところをもきらはず、一定むかへ給ふぞと信じて、うたがふ心のなきを深心とは申候也[80]。
といわれたように「仏のちかひをたのむ」ことと「一定むかへ給ふぞと信ずる」ことと、「うたがふ心なき」ことは、いずれも深心、すなわち信心の義をあらわしているのである。あるいは又「ふた心なく念仏するを深心具足といふなり」[81]といい、「無二心」の意味とされたり、善導の二河譬の文によって「二尊の心に信順して水火二河をかへりみず」と「信順」の義とされる場合もある[82]。 さらにこの無疑信順のこころを「わたくしのはからひをまじえない」ことであるともいわれている[83]。 要するに深心とは、決定の信心のことであって、無疑、信順、無二心(一心)、はからいをはなれた心をいい「たのむ」という和語でいいあらわされるような心をいう[84]。
なお「往生大要抄」の深心釈によると、法然は、世間の人々の信心に対する誤解を指摘して次の如くいわれている。
- おほかたこの信心の様を、人の心えわかぬとおぼゆる也。心の ぞみぞみと身のけもいよだち、なみだもおつるをのみ信のおこると申すはひが事にてある也。それは歓喜、随喜、悲喜とぞ申べき、信といはうたがひに対する心にて、うたがひをのぞくを信とは申すべき也。みる事につけても、きく事につけても、その事一定 さぞとおもひとりつる事は、人いかに申せども、不定におもひなす事はなきぞかし、これをこそ物を信ずるとは申せ。[85]
すなわち信とは、見聞することについて、疑いをさしはさまず、さぞと決定的に思いとって、不定におもいなすことのない無疑決定心をいうのであって、歓喜、随喜、悲喜というような感情的な心情とは性格が異っていると注意されている。
こうして深心とは、はからいなく仏語に信順し、阿弥陀仏の本願をふたごころなくたのむ無疑決定の信心のことであった。その信心の相をくわしくのべたものが、善導の『散善義』の深心釈であった。初めに深く信ずる相を機法の二種に開いて示し、さらに法の深信について、『大経』、『観経』、『小経』の法門を信ずべきことを説き、三遺三随順を明かし、仏語を信じて不了義を信じてはならないことを誡め、さらに自心の建立を明かすといった六相を開き、親鸞のいわゆる七深信、六決定の広釈が施されている。[86]しかしそれは要するに第一の機の深信と、第二の『大経』によって乗彼願力を信ずる法の深信に結帰していくから、『礼讃』の深心釈は、この二種の深信のみをあげられたのである。
- 二者深心、即是真実信心。信下知自身現是具二足煩悩一凡夫、善根薄少流二転三界一、不上レ出二火宅一。今信丙知弥陀本弘誓願、及下称二名号一下至中十声一声上、定得乙往生甲乃至二一念一無レ有二疑心一、故名二深心一。[87]
- 〔追記:二には深心。すなはちこれ真実の信心なり。自身はこれ煩悩を具足する凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知し、いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下十声・一声等に至るに及ぶまで、さだめて往生を得と信知して、すなはち一念に至るまで疑心あることなし。ゆゑに深心と名づく〕
法然はこれを『選択集』「三心章」の私釈において「今建二立二種信心一、決二定九品往生一者也」といい、「二種信心」と名づけ、上々品から下々品に至るまで、すべての機は、この二種の信心によって往生を決定するのであるといわれている[88]。「三心章」では、この二種信心(二種深信)についての詳釈はないが、「往生大要抄」には次のように述べられている。
- わたくしに此二つの釈を見るに、文に広略あり、言ばに同異ありといへども、まづ二種の信心をたつる事は、そのおもむきこれひとつなり。すなはち二の信心といは、はじめにわが身は煩悩罪悪の凡夫也、火宅をいでず、出離の縁なしと信ぜよといひ、つぎには決定往生すべき身なりと信じて一念もうたがふべからず、人にもいひさまたげらるべからずなんどいへる、前後のことば相違して、心えがたきににたれども、心をとゞめてこれを案ずるに、はじめにはわが身のほどを信じ、のちにはほとけの願を信ずる也。たゞしのちの信心を決定せしめんがために、はじめの信心をばあぐる也。……所詮は深信といは、かのほとけの本願は、いかなる罪人をもすてず、たゞ名号をとなふる事一声までに、決定して往生すとふかくたのみて、すこしのうたがひもなきを申す也。[89]
すなわち第一深信は、自身は罪悪生死の凡夫であって、出離の縁なき身であると信ずることであり、第二深信は、かかる身が本願力に乗じて念仏往生せしめられると信ずることであって、前者を機の深信、あるいは信機、後者を法の深信、あるいは信法といいならわしている。なお「往生大要抄」には、法の深信についての疏釈を、所信に約して二種に分類し「二つの心あり、すなはちほとけについてふかく信じ、経についてふかく信ずべきむねを釈したまへるにやと心えらるゝなり」[90]といわれている。仏について信ずるというのは、一、弥陀の本願、二、釈迦の所説、三、諸仏の議勧をいい、経について信ずとは、一『無量寿経』、二『観経』、三『阿弥陀経』を疑いなく信受せよと明かされたものをいう。
ところで前掲の「往生大要抄」の文に「のちの信心を決定せしめんがために、はじめの信心をばあぐる也」とあることによって、二種深信は、二心が前後次第して起こるという説を立てる人がいる。[91] すなわち機の深信は、法の深信が成立するための前段階としての意味をもっているに過ぎないといい、究竟の深信とは法の深信、すなわち阿弥陀仏の本願に対する信だけであるとするのであって、江戸時代に出た能登の頓成の信機自力説、信機方便説はその典型である。
しかしここで「はじめ」「のち」といわれたのは、疏文の「一者」「二者」のことで、直前には「はじめに」「つぎに」といわれているように、説かれている順序を示したものであって、信心そのものが成立していく時間的、段階的前後をあらわしたものではない。また「のちの信心を決定せしめんがために……」といわれたものも、まず機の真実を知らしめ、次いで法の真実を知らしめるという説筆の次第をあらわしているのであって、信は機法の二実を如実に領解した一念に成立するのである。故に信機、信法の成就に時間的な前後はないとせねばならない。次下に示された文を見ればわかるように、二種深信の教語は我々をして断疑生信せしめていくありさまをあらわしている。
- もしはじめのわが身を信ずる様をあげずして、たゞちにのちのほとけのちかひばかりを信ずべきむねをいだしたらましかば、もろもろの往生をねがはん人……弥陀の本願に十声一声にいたるまで往生すといふ事は、おぼろげの人にてはあらじ、妄念をもおこさず、つみをもつくらぬ人の甚深のさとりをおこし、強盛の心をもちて申したる念仏にてぞあるらん。われらごときのえせものどもの一念十声にてはよもあらじとこそおぼえんもにくからぬ事也。これは善導和尚は、未来の衆生のこのうたがひをおこさん事をかへりみて、この二種の信心をあげて、われらがごとき煩悩をも断ぜず罪悪をもつくれる凡夫なりとも、ふかく弥陀の本願を信じて念仏すれば、十声一声にいたるまで決定して往生するむねをば釈し給へる也。かくだに釈し給はざらましかば、われらが往生は不定にぞおぼへまし。[92]
善導が信心の相を信機信法の二種に開いて教示されたから、われらは煩悩具足の凡夫のまま、十声一声の念仏によって願力に乗じて往生を得しめられると深信することができるのである。従って深信そのものは、この教示を聞き開くところに成就するのであって、信機と信法は時間的に前後起するのでも、段階的に実現していくのでもなく、いわゆる二種一具というあり方であったといわねばならない。「十二箇条問答」に「深心といふは、仏の本願を信ずる心也」といわれているから、法然にとって深心とは法の深信だけであって、機の深信は前段階的な意味しかなかったという人もいる。しかしこの文は「われは悪業煩悩の身なれども(信機)ほとけの願力にてかならず往生するなり(信法)といふ道理をきゝて、ふかく信じてつゆちりばかりもうたがはぬ心也」とつづく文章であって、「本願を信ずる」ことの内容として、信機信法の二種がそなわっていることは明らかである。[93] 法然には逆に機の深信だけで安心を表現される場合もある。「聖道門の修行は、智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚癡にかへりて極楽にむまる」[94]といわれたものや「浄土宗の人は愚者になりて往生す」[95]といわれたものがそれである。
これは『一枚起請文』に「念仏を信せん人は、たとひ一代の御のりをよくく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともからにおなしくして、智者のふるまひをせすして、たゝ一向に念仏すへし」[96]といわれたものと同意であることはいうまでもない。すなわちたとえ信法だけで語っても、信機を離しておらず、信機だけで信心を語っても、決して信法を離していないのである。
要するに二種深信(二種信心)とは、煩悩具足の凡夫を願力不思議をもって必ず救うとおおせられる釈迦、弥陀二尊の発遺、招喚に信順する一信心の二相であって、「二種の信心」といっても、信心の体が二つあるわけではない。機の深信とは、自身が現に生死出離の手がかりさえもない無有出縁の凡夫であることを信知したことであり、そこにおのずからわが身をたのみ、わが心の善悪、罪の軽重をはかって本願を疑うような自力心をはなれていく。法の深信とは、かかる身に念仏を選択し、教示し救いたまう阿弥陀仏の本願他力をたのむことである。「要義問答」に「念仏の行者は、みをば罪悪生死の凡夫とおもへば、自力をたのむ事のなくして、たゞ弥陀の願力にのりて往生せむとねがふ」[97]といわれた所以である。
後に存覚は『六要鈔』三に二種深信を釈して次のようにいわれている。
- 正明下不レ論二有善無善一、不レ仮二自功一、出離偏在中他力上。聖道諸教、盛談二生仏一如之理一、今教依レ知二自力無レ功、偏帰二仏力一、依レ之此信殊最要也。[98]
- 〔追記:正しく有善・無善を論ぜず、自の功を仮らず、出離は偏に他力に在ることを明かす。聖道の諸教は盛んに生仏一如の理を談ず。今教は自力の功なきことを知るに依りて、偏に仏力に帰す。これに依りて、この信は殊に最要なり。〕
たしかに二種深信は、生仏一如の理を観念的にあげつらう聖道門、ことに天台本覚法門の如き、煩悩の現実を忘れて「我即仏」と語る理談に対して、痛むべき自身の罪障の現実をはっきりとみすえながら、そこに如来の大悲本願を仰いで念仏するという浄土教の特質を明確に顕わしていた。そして又信機によって自力がすたり、信法によって他力に乗托する捨自帰他の他力信心の信相をあざやかに示した妙釈だったのである。しかも罪悪深重の凡夫が救われることを知るがゆえに、下三品の機の悪も障りにならず、往生は偏えに如来の本願力によることを知るが故に、上六品の諸善も往生の助けにならぬことが明らかに知らしめられる。かくて善悪を超え、賢愚をへだてず九品の諸機を平等に救いたまうことを信知して、九品平等の信心を確立せしめていくのが二種深信の教説である。法然が「建二立二種信心一、決二定九品往生一」といわれた所以である。
二、信疑決判について
『散善義』の深心釈下に「又深心深信者、決定建二立自心一、順レ教修レ行、永除二疑錯一、不下為二一切別解別行異学異見異執一之所中退失傾動上也」[99]といい、外邪異見の論難によって退失、傾動されることのない信心を確立すべきことを明かされている。[100] そして信心を建立する方法としてここには「順教修行」といわれているが、その順教、すなわち仏の教語に随順することによって信が確立することを善導は就人立信といい、修行、すなわち仏所説の行法を信ずることによって信が確立することを就行立信とよんで以下に広く釈顕されていく。
良忠の『散善義記』一によれば、就人立信の人について、①就二解行不同人一立二不退信一、②就二満足大悲人一立二決定往生信一、③就二罪悪生死人一立二往生機信一という三説をあげ、第一説は弁長の説でもあり、文に親しいといっている。[101] それに対して深励は「能説ノ人ニ付テ信心ヲ成立スルコト、今信ズル所ノ弥陀ノ本願ハ大聖釈尊ノ解説ニシテ其上ニ十方諸仏ノ証誠アリ、是ニハモフ間違ナイゾト信ジテオルノハ能説ノ人ニ付テ信ヲ立ル也」[102]といっているから、良忠の第二義を採っていることがわかる。また柔遠は「就人立信之人、即是満足大悲人、然四重破人、亦其一分」といって、能説の人たる釈迦(諸仏)を主とするが、四重の破人もその一分であるといっている。[103]今はしばらく深励の説によって就人の人は釈迦、諸仏と領解する。
就人立信釈下にあげられた四重の破人とは、①凡夫、②地前の菩薩と阿羅漢、辟支仏、③地上の菩薩、④化仏報仏をさす。もっとも現実に存在するのは凡夫の謗難であって、後の三は仮想の難であるが、たといそれらが現われて念仏往生を否認したとしても、信心を退失してはならないというのであって、浄土三部経によって、釈迦、諸仏の仏語に信順する信心の金剛堅固なることを顕示されているのである。法然や親鸞は、この文をしばしば法語や御消息のなかに引用し、さまざまな謗難にさらされていた専修念仏者の信心を守議し、指導していかれたのであった。[104]
次の就行立信とは、浄土三部経等に説かれているあらゆる往生行を、雑行と正行に分判し、さらに正行のなか、読誦、観察、礼拝、讃嘆供養の四行は非本願の行であるから助業とみなさるべきであり、第四の称名のみが仏願に順ずる正定業であると決択し、決定往生の行業として深信すべきものは称名一行であると勧められたものがそれである。
こうして煩悩具足の凡夫(信機)が、釈迦、諸仏の勧めに随順して(就人)、本願の念仏を専修すれば(就行)、仏願力に乗じて決定して往生を得ると信知する(信法)ことを深心、すなわち真実信心というのである。これによって信心とは、念仏往生と深信する心であり、念仏とは二種深信を実践している深信の行相であることがわかる。
「往生大要抄」に上来の二種深信の釈を結んで、
- たゞ心の善悪をもかへりみず、罪の軽重をもわきまへず、心に往生せんとおもひて、口に南無阿弥陀仏ととなえば、こゑについて決定往生のおもひをなすべし。その決定によりて、すなはち往生の業はさだまる也。[105]
といわれたものは、このような信行のありさまをあざやかに示されたものである。すなわち二種深信を成立せしめるような発遺、招喚の教説を聞いて、決定摂取の本願を領解すれば、「心に決定往生せん」という決定心が生ずる。その決定心をもって、正定業たる念仏を行ずれば、そこに響いている南無阿弥陀仏において決定往生の想いをなせといわれるのである。それは、一つには名号に表現されている決定摂取の仏願を聞いて、いよいよ決定往生のおもいを増上していくことであり[106]、二つには念仏するものを救うといわれた誓願に随順していることを、念仏している自身の上に確認し、往生すべき身であるという信を増上していくという意味があったと考えられる。[107]この決定の信心の成就が、すなわち往生の業因の成就なのである。
醍醐本『法然上人伝記』所収の「三心料簡事」のなかに「五決定を以て往生す」という法然の法語が収められている。五決定とは「一弥陀本願決定也、二釈迦所説決定也、三諸仏証誠決定也、四善導教釈決定也、五吾等信心決定也。以二此義一故往生決定也云云」といわれたものがそれである。[108] 第一の本願決定とは、正定業たる念仏を選択して、決定摂取を誓われたことをいうのだから就行立信にあたり、釈迦、諸仏、善導教釈決定は就人立信にあたる。
すなわち所説所讃と能説能讃を開いたもので、全うじて所信の法の決定をあらわしている。第五の信心決定は、それを領解した機受の信で、二種深信のことである。要するに能説の人も所説の法も決定的であるから、それを信受した能信も決定的であり、必然的に往生は決定であるといわれるのである。前述のように「往生大要抄」に「その決定の心によりてすなはち往生の業はさだまるなり」といわれた所以である。
正定の業因として如来が選択し成就された本願の名号を、はからいなく信受して称えていくとき、名号は正しく自身往生の業因として主体化されていく。逆にいえば、たとえ念仏という万人の救われる正定業が成就されていても、疑惑し領受しないならば、自身の往生の業因とはならないのである。選択本願念仏という、万人を平等に救う普遍の行法は、すでに成就されているが、私という個人の救いが成就するか否かは、選択本願を信ずるか疑うかによって決定する。『選択集』「三心章」に信と疑をもって、生死と涅槃の得失を決定されたのはその故である。すなわち曰く、
- 当レ知生死之家、以レ疑為二所止一、涅槃之城、以レ信為二能入一、故今建二立二種信心一、決二定九品往生一者也。[109]
- 〔追記:まさに知るべし、生死の家には疑をもつて所止となし、涅槃の城には信をもつて能入となす。ゆゑにいま二種の信心を建立して、九品の往生を決定するものなり。〕
信心が菩提涅槃の因であるということは、すでに『涅槃経』[110]に説かれ、源信は『往生要集』「第五助念方法」の修行相貌釈下に『礼讃』の三心釈とならんで引用されていた。[111] ところで信疑決判は先哲もすでにそろって指摘されているように『大経』の胎化段の信疑得失の教誡から重要な示唆を受けられたことは充分考えられる。[112]もっとも胎化段は、往生人の胎生と化生という果相について、それをあらしめた因の疑惑仏智と、明信仏智とを明確に的示して、真仮廃立を行われたものである。それに対して今は生死輪廻と、涅槃とを相対して、迷いと悟りの分れ目は、本願を疑うか信ずるかによって決定すると、信疑をもって、迷悟の決判を行われるわけであるから、胎化得失とはいささか所顕が異っている。むしろ信と疑をわって、生死と涅槃とを分判する例は、善導の三心釈等にあったとすべきであろう。『散善義』の三心釈のはじめに「弁定三心以為正因」と標し、深心釈において就人就行の立信を明かして疑慮を誡め、信順を勧め、四重の破人をあげて金剛不壊の信心を説き、回願心釈に金剛の如き決定深信をあげ、異学異見に惑わされて進退心(疑心)を生じて回顧すれば道より落ちて往生の大益を失うと信疑を対望されたものなど、いずれも信疑をもって迷悟を分けるものである。また『法事讃』下に「衆生邪見甚難レ信、専々指授帰二西路一、為レ他破壊還如レ故、曠劫已来常如レ此」という如きは、疑いによって生死に止まる相を明らかにされている。[113]
本願を信じ念仏すれば、善悪を簡ばず往生するという選択本願念仏の法門がすでに成就しているのであるから、本願を信ずるものは必定して涅槃に入る。それゆえ「涅槃之城、以レ信為二能入一」といわれたのである。信心が正しく涅槃に至る因となるからである。しかし本願を信じない、疑惑の行者は生死界にとどまらねばならない。もちろん生死界にあって六道を輪廻する親因縁は、各自の善悪業であることはいうまでもないが、生死界を超脱できないのは、本願を疑惑するからである。それを「生死之家、以レ疑為二所止一」といわれたのである。親鸞は『尊号真像銘文』にこの文を釈して、
- 当知生死之家といふは、当知はまさにしるべしと也。生死之家は生死のいゑといふ也。以疑為所止といふは、大願業力の不思議をうたがふこころをもて六道四生二十五有十二類生にとゞまると也。いまにひさしく世にまよふとしるべしと也。涅槃之城とまふすは安養浄刹をいふ也。これを涅槃のみやことはまふすなり。以信為能入といふは、真実信心をえたる人の如来の本願の実報土によくいるとしるべしとのたまへるみことなり。信心は菩提のたねなり。无上涅槃をさとるたねなりとしるべしとなり。[114]
といわれている。親鸞が「涅槃真因、唯以二信心一」といい、信心をもって「証大涅槃之真因」といわれた、いわゆる信心正因説は、まさしく法然のこの信疑決判をうけて展開されたものといえよう。[115]
ともあれ信と疑をもって、迷悟を分判するということは、従来の仏教の迷悟の因果論を超越した、新しい仏道領解の枠組みを提供されているとしなければならない。生死の苦果は、無明煩悩に縁って起こっている。それゆえ、生死の苦を滅して、涅槃の果をうるためには、八正道(あるいは六波羅蜜等)の行を実修して無明煩悩を断じなければならないというのが、苦集滅道の四諦の教説が示す迷悟の因果論であった。それはたしかに迷悟の事実を示していた。従来の仏道体系はこの四諦の因果を座標軸として成立していたのである。それを法然は自力断証の聖道門と名づけられたのであった。
しかし阿弥陀仏の本願力によって一毫未断の凡夫が報土に往生し涅槃を証せしめられるという本願力の救済体系が成就している以上、凡夫が生死海にとどまっているのは、必ずしも煩悩があるからではなくて、本願を信じないからであるといわねばならない。それは自力断証の四諦の因果を認めながらも、それを包んで越えるような思議を絶した救済の因果であった。法然によれば阿弥陀仏の成仏の因果の徳は、すべて名号に摂在せしめられ、それを称える衆生の往生成仏の因となっていくように選択されており、それが本願の念仏であった。いいかえれば本願の不思議力によって如来の成仏の因果が、衆生の往生の因果を成就していくのであって、このような法門を法然は浄土門と名づけられたのであった。
「浄土宗大意」において「自力断惑出離生死の教」である聖道門に対してそれを「他力断惑往生浄土門」とよび、後者を「二超の中には横超也」といい、「思不思のなかには不思議なり」といって、不可思議の法門とされたのであった。[116] けだし自力による断証の法門が、行によって自証していくのに対して、他力不思議の法門は釈迦弥陀二尊の発遺招喚に、はからいなく信順することによってのみ開かれていく信中心の法門なのである。こうして自力の断証という自行の因果を座標軸として構築されていた聖道門に対して、本願他力の不思議を信じて念仏するという本願他力の信を座標軸の原点とする新しい宗教的世界観を樹立していかれたのであった。
聖道門的世界観にあっては、自己の行為の善悪によって宗教的世界が形成されていくのであるから、善悪が価値の基準となっていたが、浄土教的世界観においては、不可思議なる本願を信ずるか疑うかという信疑が価値観の基準となっていた。法然が病床にあった正(聖)如房に与えられた法語に、
- われらが往生は、ゆめゆめわがみのよき、あしきにはより候まじ、ひとへに仏の御ちからばかりにて候べきなり。わがちからばかりにては、いかにめでたくたうとき人と申とも、末法のこのごろ、たゞちに浄土にむまるるほどの事はありがたくぞ候べき。また仏の御ちからにて候はむに、いかにつみふかくおろかにつたなきみなりとも、それにはより候まじ。たゞ仏の願力を信じ信ぜぬにぞより候べき。[117]
といわれたものは、善悪のはからいを超えて、絶対的な仏の救済力、本願力を信ずべきことをひとへに勧励されている。後に聖覚が「たゞ信心を要とす、そのほかおばかへりみざるなり」[118]といい、親鸞が「弥陀の本願には、老少善悪のひとをえらばれず、たゞ信心を要とすとしるべし。そのゆへは罪悪深重、煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆへに、悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆへに」[119]といわれたのはこの法然を伝承されたのである。
かくて法然、聖覚、親鸞等によって確立し展開せしめられた浄土教においては、行為の善悪よりも、本願への信疑が最大の問題となっていたことがわかる。如来に対する最大の反逆は、仏智の不思議をうたがうことであった。
親鸞が「誡疑讃」において「仏智うたがふつみふかし、この心おもひしるならば、くゆるこゝろをむねとして、仏智の不思議をたのむべし」といわれた所以である。[120]
第四節 廻向発願心の意義
廻向発願心について『選択集』の「三心章」と『観経釈』の三心釈は、いずれも「廻向発願心之義、不レ可レ俟二別釈一、行者応レ知レ之」とのみいわれている[121]。 また「往生大要抄」には廻向発願心釈を欠いている。しかし同系統の三心釈を明かした「浄土宗略抄」や「御消息」第一の三心釈には、詳しい釈が施されているし、「要義問答」には疏の廻向発願心釈が、二河譬も含めて取意引用されていて、法然の廻向発願心についての見解を窺うことができる。
『散善義』によれば、廻向発願心について四釈が施されているとみることができよう。
- 三者廻向発願心、言二廻向発願心一者、過去及以今生身口意業所レ修世出世善根、及随二喜他一切凡聖身口意業所レ修世出世善根一、以二此自他所修善根一、悉皆真実深信心中、廻向願レ生二彼国一故、名二廻向発願心一也。[122]
- 〔追記:三には「回向発願心」と。「回向発願心」といふは、過去および今生の身口意業所修の世・出世の善根と、および他の一切凡聖の身口意業所修の世・出世の善根を随喜せると、この自他の所修の善根をもつて、ことごとくみな真実の深信の心中に回向して、かの国に生ぜんと願ず。ゆゑに回向発願心と名づく。〕
というのは、第一釈であって、一切の善根を廻向して浄土を願生する心を廻願心というのである。次に、
- 又廻向発願(願)生者、必
須 三決定真実心中廻向願二作得生想一、此心深信由若二金剛一、不三為一切異見異学別解別行人等一之所二動乱破壊一、唯是決定一心捉正直進、不レ得下聞二彼人語一、即有二進退一心生二怯弱一廻顧落レ道、即失中往生之大益上也。[123] - 〔追記:また回向発願して生ぜんと願ずるものは、かならずすべからく決定真実心のうちに回向し願じて、得生の想をなすべし。 この心深信せること金剛のごとくなるによりて、一切の異見・異学・別解・別行の人等のために動乱破壊せられず。 ただこれ決定して一心に捉りて、正直に進み、かの人の語を聞きて、すなはち進退あり、心に怯弱を生ずることを得ざれ。 回顧すれば道より落ちて、すなはち往生の大益を失するなり。 〕(*註釈版七祖の訓み)
といわれるのは、第二釈であって、作得生想の願往生心の義とみられている。尚疏文をこのように二釈に分別したのは、後にのべるように、法然の「浄土宗略抄」や「御消息」第一の意によるのである。次に二河譬があげられたあとに、
- 又一切行者、行住坐臥、三業所修、無レ問二昼夜時節一、常作二此解一、常作二此想一、故名二廻向発願心一。[124]
- 〔追記:また一切の行者、行住坐臥に三業の所修、昼夜時節を問ふことなく、つねにこの解をなしつねにこの想をなすがゆゑに、回向発願心と名づく。 〕
といわれたものが第三釈である。ここに「常作此解、常作此想」というのは、次上の二河譬の結文の「仰蒙三釈迦発遺指向二西方一、又藉二弥陀悲心招喚一、今信二順二尊之意一、不レ願二水火二河一、念々無レ遺、乗二彼願力之道一、捨命已後、得レ生二彼国一、与レ仏相見慶喜何極也」というのをうけているとみるべきであるから、要するに二尊の発遺招喚に信順して、得生の想いをなすことであるといえよう。従って第三釈は第二釈と同義とみることができる。最後に、
- 又言二廻向一者、生二彼国一已、還起二大悲一、廻二入生死一、教二化衆生一、亦名二廻向一也。[125]
- 〔追記:また「回向」といふは、かの国に生じをはりて、還りて大悲を起して、生死に回入して衆生を教化するをまた回向と名づく。〕
といわれたのは第四釈であるが、これは明らかに往生後の大悲還相の廻向である。尚『礼讃』の三心釈には善根を廻向して願生することを廻向発願心というと釈し、又五念門の作願門に真実心をもって願生すべしといい、廻向門釈に、自他の善根を浄土に廻向する善根廻向の義を明かし、さらに「又到二彼国一已、得二六神通一、廻二入生死一、教二化衆生一、徹二窮後際一、心無二厭足二、乃至成仏、亦名二廻向門一」[126] と還相回向が出されているが、疏の第一釈から第四釈に相当するといえよう。
法然はこの善導の釈をうけて「御消息」第一に、
- 三に廻向発願心といふは、善導釈していはく、過去及今生の身口意業に修するところの出、出世の善根および他の一切の凡聖の身口意業に修せんところの世出世の善根を随喜して、この自他所修の善根をもて、ことごとくみな真実深信の心の中に廻向して、かのくにゝむまれんとねがふ也。又廻向発願心といふは、かならず決定真実の心の中に廻向してむまるゝ事をうるおもひをなせ、この心ふかく信じて、なをし金剛のごとくして、一切の異見異学別解別行の人のために動乱破壊せられざれといへり。[127]
といい、疏の第一釈と第二釈をあげて廻向発願心の義意を示されている。「浄土宗略抄」にも同文があり、「要義問答」にも同意文が見られるから、法然の廻向発願心についての一般的な見解といえよう。[128]
ところで『選択集』「二行章」の不廻向廻向対の釈意によれば、正行(剋実すれば称)は本来往生行であるから別して廻向を用いる必要がないが、雑行は非往生行であるから廻向しなければ往生行とはならないといわれていた[129]。
従って第一釈のように過去及び今生の自他所修の世出世の一切善根を廻向することは、明らかに雑行廻向の相であって、所廃の心行に属することになる。親鸞がこの第一釈の疏文を「化身土文類」要門章に引用して要門の廻向発願心の義意とされたのはその故である[130]。しかし法然は必ずしもこの第一釈を所廃の雑行廻向とばかりはみず、むしろ異類の助業として認めていかれる一面もあった。醍醐本『法然上人伝記』に、余仏、余経に付いて結縁助成することは雑行になるのかという問いに答えて、
- 我身乗二仏本願一之後、決定往生信起之上、結二縁他善一事、全不レ可レ為二雑行一、可レ成二往生助業一也。善導釈中、已随二他善根一以二自他善根一廻二向浄土一云々、以二此釈一可レ知也。[131]
- 〔追記:我身、仏の本願に乗じての後、決定往生の信起らんの上は、他善に結縁する事、全く雑行と為すべからず、往生の助業と成べき也。 善導の釈中、已に他の善根に随い自他の善根を以って浄土に回向と、云々。 此の釈を以って知るべき也。 〕
といわれたものがそれである。安心門において異類の善根(雑行)をもって念仏を助けるならば「助けさす念仏」となって辺地の業因でしかないと批判されているが[132]、決定の信がおこった上での起行相続門の立場では、異類の助業も念仏生活を荘厳するものとして、その意義を肯定されているのである。しかしこの場合は善根廻向といっても、往生の業因としてことさらに作善し廻向せよとすすめるといった積極的な意味は失われていた。それゆえ「御消息」第一には前掲の文につづいて、
- 一切の善根をみな極楽に廻向すべしと申せばとて、念仏に帰して一向に念仏申さん人の、ことさらに余の功徳をつくりあつめて廻向せよとには候はず、たゞすぎぬるかたにつくりをきたらん功徳をも、もし又こののちなりともおのづから便宜にしたがひて念仏のほかの善を修する事のあらんをも、しかしながら往生の業に廻向すべしと申す事にて候也。[133]
といわれている。この場合善根を極楽へ廻向するというのは、次上の文に「すべてわが身の事にても人の事にても、この世の果報をもいのり、おなじくのちの世の事なれども、極楽ならぬ余の浄土にむまれんとも、もしは都率にむまれんとも、もしは人中天上にむまれんとも」願わず、ただ「一向に極楽に往生せんと」廻向することであるといわれている。つまり念仏を主とし、全人生を往生極楽の一点に集約し、浄土に向かって生きよと教示されているのであって、善根廻向というままが、浄土願生の想いをあらわしていた。「東大寺十問答」に「往生せんとおもふは廻向心也」[134] といわれているが、この場合の廻向は「廻此向西」(此土への想いをひるがえして西方に向かう)の意味になるから、廻向が発願と同義になり、廻向発願心とは願往生心のことになる。さきにあげた廻向発願心の第二釈がまさしくそれである。「十二箇条問答」によれば、
- 次に廻向発願心といふは、わが修するところの行を廻向して極楽にむまれんとねがふ心也。わが行のちから、わが心のいみじくて往生すべしとはおもはず、ほとけの願力のいみじくおはしますによりて、むまるべくもなき物もむまるべしと信じて、いのちおはらば、仏かならずきたりてむかへ給へと思ふ心を、金剛の一切の物にやぶられざるがごとく、この心をふかく信じて臨終までもとおりぬれば、十人は十人ながらむまれ、百人は百人ながらむまるゝ也。
といわれている。ここには「むまるべくもなき物」が「ほとけの願力のいみじくおわしますによりてむまる」と信ずる二種深信をもって決定得生の想いをなすことを廻向発願心とみられていたことがわかる。かくて廻向発願心もまた自ずから第二の深心に摂まるいわれがあるのである。
醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事に「白道事」という一節がある。
- 白道事、雑行中願往生心、白道為二貪瞋水火一披レ損、以レ何得知、釈云下廻二諸行業一直向西方上也云云。諸行往生願生心白道聞。
- 次専修正行願生心名二願力道一、以レ何得レ知、仰蒙二釈迦発遺指南一、西方、又藉二弥陀悲心招喚一、今信二順二尊之意一、不レ願二水火二河一、念々無レ遺、乗二彼願力之道一、捨レ命已後得レ生二彼国一文、已下文是也。正行者、乗二願力道一故、念不下貪瞋水火損害上、是以譬喩中云、西岸上有レ人喚言、汝一心正念直来、我能護レ汝、衆不レ畏レ堕二於水火難一云云。合喩中云、言二西岸上有レ人喚一者、即喩二弥陀願意一也云云。専修正行人不レ可レ恐二貪瞋煩悩一也。乗二本願力白道一、豈容レ被レ損二火焔水波一哉云云。[135]
- 〔追記:白道の事。雑行の中の願往生の心は、白道なれども貪瞋水火のために損ぜらる。何を以って知ることを得る。釈に「諸(もろもろ)の行業を回(向)して直ちに西方へ向かう」と云ふと。云々。諸行往生の願生の心の白道と聞きたり。
- 次に専修正行の願生の心をば願力の道と名づく。何を以って知ることを得る。仰ぎて釈迦発遣して指して西方に向かはしめたまふことを蒙り、また弥陀悲心をもつて招喚したまふによりて、いま二尊(釈尊・阿弥陀仏)の意に信順して、水火の二河を顧みず、念々に遺わするることなく、かの願力の道に乗じて、捨命以後かの国に生ずることを得」已下(以下)の文是れなり。正行の者、願力の道に乗ずるゆえ、全く貪瞋水火の損害を受けず。是を以って譬喩の中に云く。 西岸の上に人ありて喚ばひて言はく、汝一心正念にしてただちに来れ。 我能く汝を護らん。 衆(すべ)て水火の難に堕することを畏れざれと云々。
- 合喩の中に云く、西岸上に人有りて喚ひて言くとは、すなわち弥陀の願意に喩う也と云々。専修正行の人は貪瞋煩悩を恐るべからず也。本願力の白道に乗ぜり。豈に火焔水波に損ぜられべけんやと云々。 〕
これによれば、法然は『観経疏』の廻向発願心釈に、雑行と組みあった諸行往生の願生心と、専修正行の願生心とが釈されているとみられていたことがわかる。すなわち二河譬のなかに白道を合法して「喩二衆生貪瞋煩悩中、能生清浄願往生心一也」といわれているが、この白道たる願生心のなかに、貪瞋水火のために損ぜられるものと、損ぜられないものとがある。疏に「水波常湿レ道者、即喩三愛心常起能染二汚善心一也、又火焔常焼道者、即喩瞋嫌之心能焼功徳之法財也」[136] といわれたものが前者である。この善心、功徳の法財を廻向して浄土に往生しようと願うことを、以下に「喩下廻二諸行業一直向中西方上也」といわれたのであって、これは、諸行往生の願生心をあらわしたものである。そしてこれは明らかに前述の廻向発願心の第一釈の善根廻向の願生心と対応しているといえよう。
次に疏に「仰蒙二釈迦発遺指南一、西方、又藉二弥陀悲心招喚一、今信二順二尊之意一、不レ願二水火二河一、念々無レ遺、乗二彼願力之道一、捨レ命已後得レ生二彼国一」[137]といわれたものは、後者、すなわち専修正行の願生心をあらわしている。ここでは白道を彼願力之道といわれている。すなわち願力の道が、清浄願往生心であるようなものが専修正行、すなわち本願念仏の願生心なのである。けだし釈尊の発遺と、「汝一心正念直来、我能護レ汝、衆不レ畏レ堕二於水火之難一」という本願の招喚に信順して、本願力の白道に乗じて願生するものは、如来の本願が、行者の願往生心となっていくいわれがあるのである。衆生の貪瞋煩悩中に、煩悩に汚されざる清浄なる願往生心が生じたといい、火焔にも水波にも損われざる白道であるといわれる所以である。それゆえ専修正行の人は、貪瞋煩悩を恐れることがないといわれるのである。[138]
このようにみていけば、諸行往生の願生心は破損するが、専修正行の願往生心は破損することなく金剛堅固であるといわねばならない。疏の廻願心の第二釈において作得生想の願生心を「此心深信由レ若二金剛一、不下為二一切異見異学別解別行人等一之所中動乱破壊上」といわれたのも、この心が、如来の本願を体としているものだからである。
親鸞が第二釈の文を「又廻向発願(願)生者、必
尚三心を退転のあるものとみるか、不退転とみるかについて、鎮西派の良忠は『浄土宗要集』四に三心退転説を立て「三心退縁、有二別解別行退及自造罪退一、又臨終要決出二捨命退一」といって三種の退縁にあえば、退転することがあるといわれている[140]。それに対して親鸞は、弘願の三心は不退転であるが、要門、真門の自力の三心は退転するとみられていた。弘願の信心は正定聚の機を成ずるし、要門の信は邪定聚、真門の信は不定聚の機であるというのが親鸞の三願三門三機等の六三法門(*)の教義だったのである。法然に親鸞のような三願三機説は見られないが、上述のように退転のある願生心は諸行往生の信であり、念仏往生の信には退転はないとみなされていたことは明らかである。
第五節 三心の要義
一、三心即一の深心
法然は「御消息」の三心釈を結んで、
- 詮じては、たゞま事の心ありて、ふかく仏のちかひをたのみて、往生をねがはんずるにて候ぞかし、さればあさくふかくのかわりめこそ候へども、さほどの心はなにかおこさざらんとこそはおぼへ候へ、……たゞしこの三心は、その名をだにもしらぬ人も、そらに具して往生し、又こまかにならひ沙汰する人も、返りて闕(かけ)る事も候也[141]。
といわれている。これによって、第一には三心はふかく本願をたのむ深心におさまること、第二には三心は知解によって具するものではないから、三心の教義を知っていても欠けているものもあり、教義的理解はなくても本願を信じ念仏している人には具していること、第三には三心の心相には、人によって浅深のかわりめがあると考えられていたことがわかる。
先ず第一に、三心は要をとっていえば深心におさまるといわれる。すでにのべたように至誠心とは、外に後世者ぶった名利の虚飾をあらわさず、内に真実に信心(深心)をそなえていることであり、深心とは、疑いなく本願を信ずる心であるが、その内容をいえば、自身を無有出縁の機と深信して、自力のはからいをはなれ、念仏往生の本願を信じて他力に帰している二種深信の心相である。廻向発願心とは、本願を深信して決定得生の想いをなすことであった。従って至誠心も廻向発願心も深心のほかにないということになり、三心は要をとっていえば第二の深心に摂まるといわねばならない。『三部経大意』に、
- 三心はまちくにわかれたりといゑども、要をとり、詮をゑらびてこれをいへば深心ひとつにおさまれり[142]。
といわれた所以である。「十八条法語」によれば、もともと善導の三心釈は、深心に摂まるものであって、至誠心釈も、廻向発願心釈も、要は深心の義理を釈せんが為であったとして次のようにいわれる。
- 又云 導和尚深心を釈せむがために、余の二心を釈したまふ也。経の文の三心をみるに一切行なし、深心の釈にいたりて、はじめて念仏の行をあかす所也[143]。
たしかに『観経』の三心には行が説かれていない。また『疏』の三心釈をみても、至誠心釈では、三業所修の解行は真実心をもってなせといい、廻向発願心釈では、所修の行を廻向して浄土を願えといわれているが、その所修の行の何たるかは説かれていない。所修の行を明確に簡択していかれるのは深心釈であった。弥陀の本願に順ずれば、信受奉行すべきものは正定業たる称名一行であって、雑行、助業は所信所就の行とすべきではないと釈顕されたものがそれである。この本願念仏を正定業と疑いなく深信し、表裏相応してこの行を専修していることを至誠心といい、この信行をもって浄土に往生せんとおもうことを廻向発願心というのであるから、三心といってもその安心の極要は、念仏往生の本願をうたがいなく信ずる深心の一つに帰することがわかる。「念仏往生義」に、
- 念仏往生と申す事は、弥陀の本願に、わが名号をとなへんもの、わがくにゝむまれずといはば、正覚をとらじ、とちかひて、すでに正覚をなり給へるがゆへに、この名号をとなふるものは、かならず往生する事をう。このちかひをふかく信じて、乃至一念もうたがはざるものは、十人は十人ながらむまれ、百人は百人ながらむまる。念仏を修すといへども、うたがふ心あるものはむまれざるなり[144]。
といい、機受を無疑の信心(深心)一つに収約して、信疑決判されるものは、三心が深心に即一することを何よりも明らかにされているといわねばならない。
ところで法然は「示或女房法語」の中で、
- 三心と申候も、ふさねて申ときは、たゞ一の願心にて候なり、そのねがふ心のいつはらずかざらぬかたおば至誠心と申候。このこゝろまことにて、念仏すれば、臨終にらいかうすといふことを一念もうたがはぬかたを深心とは申候、このうへわが身もかの土へむまれむとおもひ、行業おも往生のためとむぐるを廻向心とは申候なり。このゆへにねがふ心いつはらずして、げに往生せんとおもひ候へば、おのづから三心はぐそくすることにて候なり[145]。
といい、三心を一の願心に収約されている。これは恐らく二河譬において白道を「能生清浄願往生心」といわれたものによられていると考えられる。二河譬では、二尊の意に信順した信心のことを願往生心といわれているのだから、今の願心も、「願生の信心」のことで、三心を即した深心と同意語であったとみるべきであろう。浄土教の信心は、浄土願生の信であるところに特色があるから、その義意をあらわす為に信心(深心)を願心と表現されたものであろう。
このようにして三心は、深心に帰一するとすれば、自ずから三心即一の道理を法然もみられていたとしなければならない。事実「要義問答」に三心を釈したあとに『観経』の三心と第十八願の三心と『小経』の一心不乱とを会合して「ひとたび三心を具足してのち、みだれやぶれざる事金剛のごときにて、いのちのおはるを期とするをなづけて一心といふ」といい、「不乱」というのは、散乱心がなくなることではなくて、外邪異見に動乱破壊せられず「いのちおはるを期としてみだれぬものを一心とは申すなり」といわれている[146]。すなわち『小経』の一心とは、信心が乱れ破れないことをいうとされているから、疑心が雑わらないことを意味していたといえよう。
ところで「三心料簡事」によれば、『阿弥陀経』の一心不乱について、次のような釈が施されている。
:一心者、何事心一するぞと云、一向念仏申阿弥陀仏心我心一成也。如天台十疑論云、如世間慕人能受慕者、機念相投必成其事、慕人者阿弥陀仏也、恋者我等也。既心発一向阿弥陀仏、早仏心一成也。故云一心不乱、上少善根福徳因縁念うつさぬ也云云[147]。
これによれば、法然は、一心とは、我を念じたまう阿弥陀仏の心と、阿弥陀仏を念ずる我が心とが一つに成ったことであるとされている。そして「一心にして乱れず」とは、「不可以少善根福徳因縁得生彼国」と嫌貶された諸行に心をうつさぬことをいうというのである。要するに「一心」とは、仏心と相応し一体となった信心が、余行に心をかけて乱れることのない状態を意味していた。法然が三心即一心と釈顕された文章はみられないが、その意を展開すれば、親鸞が『文類聚鈔』に第十八願の三心と、『観経』の三心と、『小経』の一心とを、その真実義において会合して、「一心之中摂在至誠廻向之二心……三経大網雖有隠顕、一心為能入」[148] といわれたものに同致していくといえよう。
二、智具の三心と行具の三心
三心は知解によって具するものではなく、釈迦、弥陀二尊の発遺招喚に信順して、念仏往生の本願を信ずるとこに自然に具するものであった。「七箇条の起請文」に、
- 阿弥陀ほとけの法蔵菩薩のむかし、五劫のあひだよるひる心をくだきて案じたてて成就せさせ給ひたる本願の三心なれば、あだくしくいふべき事にあらず。いかに無智ならん物もこれを具し、三心の名をしらぬ物までも、かならずそらに具せんずる様につくらせ給ひたる三心なれば、阿弥陀をたのみたてまつりて、すこしもうたがふ心なくして、この名号をとなふれば、あみだほとけかならずわれをむかへて、極楽にゆかせ給ふときゝて、これをふかく信じて、すこしもうたがふ心なく、むかへさせ給へとおもひて念仏すれば、この心がすなはち三心具足の心にてあれば、たゞひらに信じてだにも念仏すれば、すずろに三心はあるなり[149]。
といわれている。三心は、どんな無智な、三心の名さえ知らないものも、「たゞひらに信じて念仏す」るところに「かならず、そらに具せんずるように」法蔵菩薩が成就された「本願の三心」であるといわれていることは注目すべきであって、親鸞の願力廻向の三心論の原型をみる思いがする。
いかなる無智なものにも自然に具するように成就された三心であるということを、ここでは「そらに」とか「ひらに」とか「すずろに」という修飾語を用いてあらわされている。「そらに」とは「自然に」ということであり、「ひらに」とは「いちずに」「ひたすらに」ということであり、「すずろに」とは「意識をはなれて、物事や心が進み、あるいは存在するさま」をあらわしているから、人間の分別解知を超えて自然にそなわるということをあらわしている。すなわち三心は、その名目を解知したからといって具するものではなく、たゞひたすらに本願を信じ、念仏しているところに「信ずる」内容として自然と具するように成就されているのである。だから法然は「自然に三心は具足するなり」といわれるのである。「諸人伝説の詞」に法然のつねのおおせとして次のような法語が記録されている。
- 又人目をかざらずして往生の業を相続すれば自然に三心は具足する也。たとへば葦のしげきいけに十五夜の月のやどりたるは、よそにては月やどりたりとも見へねども、よくくたちよりて見れば、あしまをわけてやどる也。妄念のあしはしげゝれども、三心の月はやどる也[150]。
まことに美しい法語である。この三心を水月とたとえられたところに如来よりたまわりたる三心というこころをあらわされているように思われる。『歎異鈔』に、親鸞(善信房)の法語として、勢観房源智、念仏房念阿などとの間で交された信心一異の諍論が記されている。親鸞は、法然と師弟一味の信心であることを主張し、勢観房、念仏房などは反対したというのである。それに対する法然の決択のことばは「源空が信心も如来よりたまはりたる信心なり、善信房の信心も如来よりたまはらせたまひたる信心なり、さればたゞひとつなり」というのであったと伝えられている[151]。もしこの言葉の通りであったとすれば、「如来よりたまわりたる信心」という表現は、恐らくこのときはじめて法然が用いられたのであろう。あしまをわけて月が宿る如く、妄念の心の中に摂取決定の本願のみことばの宿っていることを信心といい、三心というのであって、そのことわりを「如来よりたまわりたる信心」といい、やがて親鸞によって本願力廻向の大信心として展開されていく信心の奥義であった。
このように念仏するところに自然に具足する三心を法然は「行具の三心」とよばれることがあった。「東大寺十問答」に、三心について智具の三心と行具の三心を分別して、
- 三心に智具の三心あり、行具の三心あり。智具の三心といふは、諸宗修学の人、本宗の智をもて信をとりがたきを、経論の明文を出し、解釈のおもむきを談じて、念仏の信をとらしめんとてとき給へる也。行具の三心といふは、一向に帰すれば至誠心也。疑心なきは深心也。往生せんとおもふは廻向心也。かるがゆへに一向念仏して、うたがふおもひなく往生せんとおもふは行具の三心也[152]。
といわれている。智具の三心とは、聖道諸宗の学僧は、聖道門的な思想信仰に執われて浄土教の信を得がたいので、経論の明文を示され、三心のいわれを詳細に解釈してもらうことによって、本宗の智見をはなれて、念仏の信を具するにいたる。これを智具の三心というのである。『観経疏』の三心釈の如きはその典型である。行具の三心とは、一向に本願を信じて、往生せんとおもうて念仏しているところに自然と具している三心をいう。智具の三心といっても、教理の理解に止まっているようなものではなく、智解を縁として、自力のはからいを捨て、念仏もうさんと思いたつところに自然に具する三心をいうのであるから、結局は行具の三心に帰するともいえよう。法然は諸所に広く三心を釈されるが、その最後は必ず「まめやかに往生せんとおもひて念仏申さむ人は、自然に具足しぬべきこゝろに候」[153] というふうに結ばれているのはその故であろう。
「諸人伝説の詞」によれば、ある人が、善導の本願取意の文に、三心の安心を略して称名のみをあげられた理由をたずねたとき法然は「衆生称念必得往生としりぬれば、自然に三心を具足するゆへに、このことはりをあらわさんがために略し給へる也」と答えられている[154]。三心といっても、衆生称念必得往生と、本願のことわりを領解しているほかにないのである。その心を開けば三心になるから有名な『一枚起請文』には「たゝし三心四修なんと申す事の候は、みな決定して南無阿弥陀仏にて往生するそとおもふうちにこもり候なり」[155]といわれるのであって、これがまさしく行具の三心である。
法然が「念仏行者、必可具足三心」といわれたものは、「衆生称念必得往生」と本願を深信して念仏するのでなければならぬといわれたものであるが、またそのような念仏は、本願をたのむ信心が口にあらわれているのだから、念仏は信心の相であるともいえる。隆寛は、『後世物語聞書』に行具の三心を釈したあとに、「三心すなはち称名のこえにあらはれぬるのちには、三心の義をこゝろのそこにもとむべからず」[156] といわれたのはこのこころをあらわすものである。法然が「称名必得生、依仏本願故」といわれた念仏は、本願への絶対の信順を口にあらわしている信相としての念仏であった。それゆえ念仏のほかに信心を見ないのであって、『選択集』はこれを「往生之業、念仏為本」というのである。また法然が信疑決判を行い、「涅槃之城、以信為能入」といって、信心を涅槃の因といわれたからといって、称名を非因であるとみられたと考えてはならない。「称名必得生」と誓われた本願を、はからいなく信受したとき、三心具足の如実の念仏者となり、涅槃の浄土に迎えられるべき「必得往生」の身たらしめられたということをあらわしていたのである。念仏往生の本願を信じて如実の念仏者となり、念仏を相続することにおいてその信が実践され、本願がわが身の上に具体化していくのである。親鸞が、
- 弥陀の本願とまふすは、名号をとなへんものをば、極楽へむかへんとちかはせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候なり。信心ありとも名号をとなへざらんは詮なく候、また一向名号をとなふとも信心あさくば往生しがたくさふらふ。されば念仏往生とふかく信じて、しかも名号をとなへんずるは、うたがひなき報土の往生にてあるべくさふらふなり[157]
。
といわれたものは、法然の念仏往生の信行の道理を美事に相承されたものであるといえよう。信なき念仏は不如実修行であって、不安の叫びでしかなく、行なき信は、空虚な観念にすぎないのである。法然がしばしば「心と行と相応すべし」と勧誡される所以である[158]。
三、三心の浅深と九品の階位
第三に法然は三心(信心)に浅深、強弱を分けられたことの意味について窺ってみよう。「往生大要抄」に、至誠心を熾盛心と誤まってはならないと批判されたとき、しかし熾盛心勇猛心がすべていけないというのではなくて、至誠心のない、外相ばかりをかざる見せかけの熾盛心が悪いのだといって、
- 真実の至誠心を地にして熾盛なるはすぐれ、熾盛ならぬはおとるにてある也。これにつきて九品の差別までもこころうべき也。……三心すでに九品に通ずべしと心えてのうゑには、その差別のあるやうをこゝろうるに、三心の浅深強弱によるべき也[159]。
といわれている。すなわち至誠心を具したうえで、熾盛勇猛なる心をもって行業(称名を中心とした起行)をはげむものと、そうでないものとのちがいによって、九品の浅深差別があるといわれるのである。このように法然は三心のなかでも、特に至誠心の強弱浅深によって三心の浅深強弱があり、それに応じて九品の差別が成立すると考えられていたことがわかる。もっとも浅深の差はあっても、三心具足のものは往生を得ることに疑いはないとされている。
ところで三心に浅深を分けるといわれるところに問題が残る。すでにのべたように、三心は究極的には深心に摂まるが、深心とは「深く信ずる心」であり、「往生大要抄」によれば「所詮は深信といは、かのほとけの本願は、いかなる罪人をもすてず、たゞ名号を称ふる事、一声までに、決定して往生すと、ふかくたのみてすこしのうたがひもなきを申す也」[160]といわれるように、決定往生とふかく本願をたのみて、すこしのうたがいもないことを深信(深心)というのだから、信心は一様に深心であって、決して浅心ではない筈である。深信の深とは決定心であり、それに対すれば浅心とは、不決定心であるといわねばならない。とすれば、三心を深心に摂めて信心というときは、信心に浅深の別をたてることはできないといわねばならない。従って法然が三心に浅深の別があるといわれたのは、安心門(業因門)の所談ではなくて、起行門(相続門)の所談であったとみるべきである。
法然は上述のように三心の浅深によって九品の差別があるといわれたが、これにも問題がある。というのは、法然の法語には九品の差を肯定的にみられる場合と、否定的に見られる場合とがあるからである。上述の「往生大要抄」のほかに、たとえば『三部経大意』には、
- 又善導和尚、三万已上は上品の業とのたまへり、数返によりて上品にむまるべし。又三心につきて九品あり、信心によりても上品に生ずべきか。上品をねがふこと、わがみのためにあらず、かのくににむまれおはりて、とく衆生を化せむがためなり。これ仏の御心にかなはざらんや[161]。
といわれたものなどは、日課念仏の数の多少と、信心の浅深強弱によって九品の差を生ずるとみられていたことは明らかである。なおここに九品のなかでも上品往生を願うのは、すみやかに衆生教化(いわゆる還相摂化)をするためであるといわれているが、このような考えかたは法語の随所にみうけられる。たとえば「大胡の太郎実秀に答ふる書」に「ただ御身ひとつに、まづよくよく往生をもねがひ、念仏おもはげませたまひて、くらゐたかく往生して、いそぎかへりきたりて、人おもみちびかむとおぼしめすべく候」[162] といわれたものなどがそれである。
これに対して「十一箇条問答」には、
- 極楽の九品は弥陀の本願にあらず。四十八願の中にこれなし。これは釈尊の巧言なり。善人悪人一処にむまるといはば、悪業のものども慢心をおこすべきがゆへに品位差別をあらせて、善人は上品にすゝみ、悪人は下品にくだるなりとときたまふなり。いそぎまいりてみるべし[163]。
といわれたものは、明らかに浄土における九品の階位を否定されている。四十八願のなかには浄土に九品をもうけると誓われていないから、本願成就の報土には九品の差別はない。『観経』の九品段の教説は、善人と悪人が平等に一処に生まれるといえば、悪業のものどもが慢心を生じ、向上心を失うおそれがあるから、そうした邪見による悪平等を防ぐために品位差別を説いて、悪をつつしみ、善に向かわせようとされた釈尊の巧みな方便説であるというのである。これによれば法然は、浄土そのものに、九品の差別があるとは考えられていなかったことがわかると同時に、九品の差は、安心門よりも、むしろ起行門の立場で、念仏者の倫理性を強調する為の教説であったことがわかる。
さきに三心を深心に摂めて語るときは、三心に浅深の別を立てることができないといったが、念仏についても、たとえば「念仏往生要義抄」などによれば、浅深高下の別をみることをきっばりと否定されている[164]。すなわち念仏に自力と他力とを分け「他力の念仏」においては「聖人の念仏と世間者の念仏と、功徳ひとしくしてまたくかはりめあるべからず」といい、浄心の念仏も妄心の念仏も、一声も十声も、最後(臨終)の念仏も平生の念仏も、智者の念仏も愚者の念仏も「ほとけの本願にとづかば、すこしの差別もなし」といい、本願他力の念仏は機によって、又数量の多少によって、その価値に高下の別はないと強張されている。『選択集』「利益章」でも念仏は無上功徳であるとあらわされていたが[165]、一念一念が無上功徳であるような念仏を業因とするかぎり、九品の階位は立ちえないことになる。従って念仏の数量によって九品の差を談ずるのは、安心門ではなく起行門の所談であったとせねばならない。
ところで法然は「大経釈」において『大経』の三輩段を但念仏、助念仏、但諸行の三義をもって解釈された[166]。但念仏往生の立場からみれば、三輩段に説かれた諸行は所廃の行を明かしたもので、所立の行法は、三輩を通じて一向専念の念仏のみということになる。この場合三輩の別は、一つには念仏往生の機類の差別を示すもので、要するに善悪平等に念仏往生することを明かしたものということになる。二つには上述のように念仏相続のうえでの日課念仏の数の多少によって九品の差別が立つとみられたのである。助念仏の立場でいえば、諸行は念仏を助成する行業として説かれたことになり、三輩の差は、助業の強弱によって立つわけである。この助念仏についても、起行門(相続門)における「五門相続助三因」という場合と、安心門(業因門)において、「念仏に助をさす」と嫌貶される助念仏とがあることは周知の如くである。また諸行往生を明かす三輩とみれば、諸行の優劣によって上中下三輩の別が立つことはいうまでもない。法然は『大経』の三輩と『観経』の九品とを開合の異とみられていたから、三輩の差別と行業の関係は、そのまま九品にもあてはめてみることができる[167]。
かくて念仏往生(但念仏)の立場に立って九品の教説をみるとき、安心門、すなわち廃立門でいえば九品は平等であって、差別はないことになる。従って三心(信心)の浅深を語り、行業の強弱を談じ、それに応じて九品の階位を説かれるのは、相続起行を勧励し、念仏者の倫理性を強調するための教説であったといえよう。それに対して安心門において念仏を資助するような行業を勧めたり、諸行によって上品往生を得るかのように説かれている場合は、助念仏往生、諸行往生といわれる自力門の所説であるというべきである。法然は三輩段や九品段には、このような他力の法門たる但念仏往生と、助念仏往生、諸行往生という自力の法門とが説かれているとみられていたというべきであろう。親鸞が「信文類」において「大願清浄報土、不云品位階次、一念須臾頃、速疾超証无上正真道、故曰横超也」といわれたのは[168]、他力念仏による九品平等の証果をあらわされたものであり、「化身土文類」において三輩段や九品段を第十九願成就の教説とみなされたのは、自力の諸行(助念仏)往生の果を説くものとみられたものである。そのいずれもが、法然の三輩九品観を継承し展開されたものであるといわねばならない。
上述のように但念仏往生の安心門という絶対的な立場にあっては「たゞ心のよきわろきをも返り見ず、罪のかろきおもきをも沙汰」しない善悪平等の救いを語るが、起行門という相対的な立場においては、悪を慎しみ、善行をつとめるようにしなければならない。この起行相続門に立って、念仏者の宗教儀礼や日常的な倫理を問題とするときは、その行為の善悪は峻別されねばならないし、行業や心況の強弱、浅深が問題になるのは当然であって、そこに自ずから九品の差異もみられるわけである。その場合真実と虚仮、善と悪の判断の基準となるのは、異類の助業としての戒律の規範であり、信仰的には至誠心釈に示されたように法蔵菩薩の真実なる二利行である。この法蔵菩薩の二利行の真実に返照されて自身の虚仮不実を信知するところに機の深信が成立するということはすでにのべた。この信機における深い罪障の自覚と、慚愧によって、消極的には、悪への拒否性と、積極的には二利行への指向性がよびさまされ、起行門における実践がうながされていくのである。至誠心釈においても一言したように、念仏者は、自身の煩悩の現実を悲しみ痛み、浄土を欣求するものであるがゆえに、その厭欣の思いが生活の場に反映して、名利をつつしみ、少欲知足、敬上慈下の思いに住し、譏嫌戒をまもって、生活を向上させようと努めねばならない。それが煩悩を客とし、念仏を主として生きる念仏者の生活態度である。上品往生をめざして努力せよという勧誡もそこから生まれてくるのである。
さきに九品の教説は、九品平等を強張しすぎると、悪人が慚愧心を失って邪見におちいる危険性があるから、あえて九品の階位を説いていましめられたといわれていたが、法然もまた釈尊の九品の巧説に準じて念仏者の行儀と生活倫理を強調し、同類の助業のみならず、異類の助業までも勧励されていったのである。
四、悪人往生と倫理性の問題
念仏往生の信心を安立する安心門においては廃立をすわりとして、善悪をかえりみず、本願念仏について決定の信心を建立する。このことを「三心料簡事」には、
- 念仏申者、只生付まゝにて申へし、善人乍善人、悪人乍悪人、本まゝにて申すへし。此入念仏之故、始持戒破戒なにくれと云べからす。只本体ありのまゝにて申へしと云云[169]。
といい、善人は善人のまま、悪人は悪人のまま、本体ありのままにて念仏し救われていくという、機の善悪を超絶した絶対平等の救済のありさまを顕わされている。
ところで『選択集』「本願章」によれば、こうした不簡善悪という絶対的な救済をあらしめているのは、阿弥陀仏の「平等の慈悲」という選択の願心であった[170]。十方一切の衆生を、一機も漏れなく救わんと思しめす平等の慈悲にもよおされて、勝易具足の称名一行を選択されたというのである。しかも法然が平等の慈悲の具体相を釈顕されるときは、常に愚悪の下機を救うことに焦点をあわせて語られていたことは「本願章」のうえに明らかである[171]。これは、すでに善導が『玄義分』において「諸仏大悲於苦者」といい[172]、岸上の人よりも、今現に溺れつつあるものに急いで偏へに救いの手をさしのべるところに大悲の特性である急救性があるといわれたものを的確に伝承されたからである。善導が「定為凡夫、不為聖人」といわれたのや元暁が浄土宗の特質を「本為凡夫、兼為聖人」といわれたのも、この大悲の急救性(急救の大悲)に立脚した教説であった[173]。
法然は「三心料簡事」に、
- 悪機一人置此機往生、謂道理なりけりと知程習たるを、浄土宗善学云也。此宗悪人為手本、善人摂也。聖道門善人為手本悪人摂也云云[174]。
といい、「本為凡夫、兼為聖人」をさらに一歩すすめて「悪人為手本、善人摂」といい切られたのであった。この考え方を究極までつきつめるならば、いわゆる悪人正機説となっていくのであって、「三心料簡事」には、
- 一、善人尚以往生、況悪人乎事【口伝有之】[175]
と言い切られている。『歎異抄』第三条に、
- 一、善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をや。この条一旦そのいはれあるににたれども本願他力の意趣にそむけり。そのゆえは自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず、しかれども自力のこゝろをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるゝことあるべからざるをあはれみたまひて、願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり。よて善人だにこそ往生すれ、まして悪人は、と仰せさふらひき[176]。
といわれたものは、正しく法然の悪人正機の口伝を伝承されたものであることがわかる。「三心料簡」には、前掲の「善人尚以往生、況悪人乎事」という法然の口伝をあげたあとに「私云」として、解説が施されている。「三心料簡事」のなかで「私云」といわれたのはこの節だけであって、恐らく勢観房源智の解説ではないかと推測するが、次のような文である。
- 私云、弥陀本願、以自力可離生死有方便善人為をこし給。哀極重悪人無他方便輩をこし給へり。然菩薩賢聖付之求往生、凡夫善人帰此願得往生。況罪悪凡夫、尤可憑此他力云也。悪領解不可住邪見、譬如云本為凡夫兼為聖人。
これによれば、悪人正機説が、「本為凡夫兼為聖人」説を究極まで展開せしめたものであることがわかる。又前掲の「悪人為手本善人摂」る浄土門と、「善人為手本悪人摂」る聖道門との法門の成立基盤の違いを知れといわれた法語と対照しながら『歎異抄』第三条をみれば、『歎異抄』は全くこれを伝承したものであることがわかる。親鸞の浄土教は、法然浄土教の最奥の部分を実に正確に伝承しているのである。
ところで法然は、一見これと反対にみえる教説もしばしばのべられている。たとえば「黒田の聖に遺す書」に「罪は十悪五逆のものむまると信じて、少罪おもおかさじとおもふべし、罪人なほむまる、いはむや善人おや」といい、また「念仏往生要義抄」に「念仏のちからにあらずば、善人なをむまれがたし、いはんや悪人をや」[177] といわれたものがそれである。これらはいずれも「悪人なを往生す、いかにいわんや善人をや」[178] ということになり、少なくとも言葉のうえでは『歎異抄』に「しかるを世の人つねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をや、この条一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり」といわれたものと同じであるといわねばならない。同じ法然の教説のなかに「善人なをもて往生す、いわんや悪人をや」という口伝と、「悪人なを往生す、いわんや善人をや」という教説とがあったということは、どう領解すべきであろうか。
結論的にいうならば、「善人なをもて往生す、いわんや悪人をや」というのは、阿弥陀仏の大悲の急救性を極めてラディカルに表現されたものであって、法然の本願領解の真髄をあらわしていたといえよう。しかしこの教語は、極めて誤解を受けやすく、後述するように造悪無碍の異端者の口実になる可能性が高かった。そのために法然は口伝として、真意を理解してくれるほどの弟子にだけ口授されたのであろう。「三心料簡事」に「口伝有之」と細註された所以である。親鸞の場合でも、『教行証文類』をはじめ、多くの自撰の書に悪人正機の意をのべられたとみなされる文はあるにもかかわらず、明言されておらず[179]、わずかに「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」ということばは『歎異抄』に著者(恐らく唯円房)の聞き書としてのみ伝わっており、覚如の『口伝抄』[180] に、これも口伝として伝承されているばかりであることがその辺の事情をあらわしていると考えられる。
これに対して「悪人なを往生す、いわんや善人をや」という教語は、一般性があり、少くとも造悪無碍的な誤解を生ずる恐れがなかったことと、起行相続を勧励し、念仏者の倫理を説くときには最も適切であった。まず悪人正機的な教説が、誤解されて人倫を無視する邪見が生まれてきたことは、「往生大要抄」の深心釈下に、十悪五逆の罪人も一念十念に往生すということをのべて、
- たゞしかやうのことはりを申つれば、つみをもすて給はねば心にまかせてつみをつくらんもくるしかるまじ、又一念にも一定往生すなれば、念仏はおほく申さずともありなんと、あしく心うる人のいできて、つみをばゆるし、念仏をば制するやうに申しなすが返々もあさましく候也。悪をすゝめ、善をとゞむる仏法は、いかゞあるべき。……たゞこれは大悲本願の一切を摂する、なを十悪五逆をももらさず、称名念仏の余行にすぐれたる、すでに一念十念にあらはれたるむねを信ぜよと申すにてこそあれ。かやうの事はあしく心うれば、いづかたもひが事になる也。つよく信ずるかたをすゝむれば、邪見をおこし、邪見をおこさせじとこしらふれば、信心つよからずなるが術なき事にて侍る也[181]。
となげかれたところによくあらわれている。信を強調する一念義系のひとが、悪人正機を特に強く主張し、その系統から造悪無碍の邪見におちいる者が多くでてきたもようがこの法語のなかに窺われる。おなじことが「十二箇条問答」第十一問答にもみられる。
- ほとけは悪人をすて給はねども、このみて悪をつくる事、これ仏の弟子にはあらず、一切の仏法に悪を制せずといふ事なし。悪を制するに、かならずしもこれをとゞめえざるものは、念仏してその罪を滅せよとすゝめたる也。……たとへば人のおやの、一切の子をかなしむに、そのなかによき子もあり、あしき子もあり。ともに慈悲をなすとはいへども、悪を行ずる子をば、目をいからし、杖をさゝげて、いましむるがごとし。仏の慈悲のあまねき事をきゝては、つみをつくれとおぼしめすといふさとりをなさば、仏の慈悲にももれぬべし。悪人までもすて給はぬ本願としらんにつけても、いよくほとけの知見をばはづべし、かなしむべし。父母の慈悲あればとて、父母のまへにて悪を行ぜんにその父母よろこぶべしや。なげきながらすてず、あはれみながらにくむ也。ほとけも又もてかくのごとし[182]。
悪を制止しない仏法はない。自他を苦悩せしめる因だからである。しかし、いかに悪を禁制せられても、とゞめえない煩悩具足の凡夫の為に、念仏を与え、願力をもって悪を消して浄土へ生まれしめようと願われたのが本願の大悲である。かかる悪人を捨てたまわぬ本願と信知すれば、仏の知見をはじ、煩悩悪性の身を悲しみ痛むべきである。善人も悪人も平等に大悲したまうと聞いて、思うさまに罪をつくれといわれていると考えるならば、如来の慈悲に背反し、救いにもれていくといわねばならない。親は善き子も、悪き子も、平等に慈悲をたれるが、悪を行ずる子を「なげきながらすてず」、その罪を「あわれみながらにくむ」ものである。ちょうどそのように、仏は一切衆生を平等に慈愛し、悲憐したまうが、特に悪人を「なげきながら」も「捨てず」して摂取したまい、悪を行ずる人を「あわれみ」ながらも、その罪を「にくみ」除却しようとされているのである。このように悪人救済の仏意を領解するならば、信者は必然的に倫理的たらざるをえないのである。「十二箇条問答」の第十二問答に、
- 悪をもすて給はぬ本願ときかんにも、まして善人をば、いかばかりかよろこび給はんと思ふべき也。一念十念をもむかへ給ふときかば、いはんや百念千念をやとおもひて、心のおよび、身のはげまれん程ははげむべし。さればとてわが身の器量のかなわざらんをばしらず、仏の引接をばうたがふべからず[183]。
といわれる所以である。すなわち悪人を捨てたまわぬ大悲に感動するがゆえに、仏の冥見をはじつつ善につとめることこそ仏意にかなう道であり、わずか一念に往生を決定せしめたまう念仏なるがゆえに、身心をはげまして念仏を相続すべきである。かくいえばとてわが身の器量には限界があることを知って、たとえ及ばずといえども、仏の救いを疑ってはならないといわれるのである。ここに悪を救いたまう大悲に感動して、善をはげもうとつとめ、一念に往生決定すると信じて、多念相続を勧励する、安心門と起行門とのあり方がわかるであろう。さきにあげた「罪人なほむまる、いはむや善人おや」というのも「罪人なほむまる」は安心門の所談であり「いはむや善人おや」は起行門の所談であったとみることもできるのである。すなわち前掲の「黒田の聖へ遺はす書」は次のような文脈で記されているのである。
- 末代の衆生を往生極楽の機にあてゝみるに、行すくなしとてうたがふべからず、一念十念たりぬべし。罪人なりとてうたがふべからず、罪根ふかきおもきらわずといへり……罪は十悪五逆のものむまると信じて、少罪おもおかさじとおもふべし、罪人なほむまる、いはむや善人おや、行は一念十念むなしからずと信じて、无間に修すべし、一念なほむまる、いかにいはむや多念おや[184]。
これによって信は十悪五逆の罪人も一念に往生すると立て、しかも多念を行じて少しでも善人になるようにつとめよと、一念と多念、救悪と廃悪とを安心門と起行門にかけて明かされていることがわかるのである。『往生礼讃』の安心門においては煩悩具足の凡夫が十声一声の称名で往生すと信知せよといい、起行門においては、その信の上で四修の法によって五念門を実修せよと勧められていた。法然はこの意をうけて、悪人のままに念仏往生せしめられるという信心と、浄土願生者としてふさわしい行儀と倫理を勧誡しようとして「悪人なを往生す、いはんや善人をや」といわれたのであろう。それに対して『歎異抄』第三条に「悪人なを往生す、いかにいはんや善人をや」といはれたのは、法然が「三心料簡事」において「聖道門善人為手本、悪人摂也」といわれた、聖道門的な善悪観をあげたものであると考えられる。それゆえ『歎異抄』は「この条一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり、そのゆへは自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこゝろかけたるあひだ弥陀の本願にあらず」といい、それは聖道門的見解であると解説されているのである。
もっとも法然には、「悪人なを往生す、いはんや善人をや」という論法を、善悪平等の救いを論証する為に用いられる場合がある。たとえば「往生大要抄」に、
- かのくにゝむまるゝ事は、すべて行者の善悪をゑらばず、たゞほとけのちかひを信じ信ぜさるによる……ひろく通ずといは、五逆の罪人をあげてなを往生の機におさむ、いはんや余の軽罪をや、いかにいはんや善人をやと心えつれば、往生のうつはものにきらはるゝものなし。かるがゆえにひろく通ずといふ也。とをく通ずといは、末法万年ののち法滅百歳まで、この教とゞまりて、その時にきゝて一念する、みな往生すといへり。いはんや末法のなかをや、いかにいはんや正法像法をやと心えつれば、往生の時もるゝ世なし。かるがゆへにとをく通ずといふなり[185]。
といわれたものがそれである。すなわち善悪をえらばず、正像末の三時をえらばず、誰でもが、いつでも救われるという念仏往生の法門の摂機の広さと、教法の時間的な永遠性をあらわす為に、下をあげて上を摂し、末をあげて本を摂するという常識的な論法を用いられたものである。
法然はこのような常識的な論法をもって安心を勧められる場合もあった。たとえば「正如房へ遺す書」に、
- 返々もなほなほ往生をうたがふ御こころ候まじきなり。五逆十悪のおもきつみつくりたる悪人なを十声一声の念仏によりて往生をし候はむに、ましてつみつくらせおはします御事は、なにごとにかは候べき、たとひ候べきにても、いくほどのことかは候べき。この経にとかれて候罪人には、いひくらぶべくやは候。それにまづこゝろをおこし出家とげさせおはしまして、めでたきみのりにも縁をむすび、ときにしたがひ日にそえて善根のみこそはつもらせおはします事にて候はめ。そのうへふかく決定往生の法門を信じて、一向専修の念仏にいりて、ひとすじに弥陀の本願をたのみて、ひさしくならせおはしまして候。なに事にかは、ひとことも往生をうたがひおぼしめし候べき……こゝろよはくは、ゆめくおぼしめすまじく候[186]。
といわれたものがそれである。正如房という女性が病床にあって、心細さのあまり法然に救いを求めてきたのに対する返信である。死を目前にして、不安にかられ、法然に臨終の善知識になってほしいと哀願してきたものであった。そうした「心弱き」女性の信者に対して法然は、五逆十悪をつくった極重悪人でさえ十声一声の念仏で往生したのだから、ましてそなたのような罪も少く、善人の念仏者の救われないことがあろうか。「ひとすじに弥陀の本願を信じて」決定往生の思いをなして、心安らかに臨終を迎えよと、深い慈愛をこめて勧められている。ここで正如房を善人といわれたものは、まさに経に「善男子善女人」といわれたものと等しい意味をもっていたといえよう。それは発心し出家までして念仏の道に生きてきた正如房の人生そのものを評価し、真の仏弟子として意味づけていくようなことばでもあったのである。ともあれこのような状況のもとで使われる「悪人なを往生す、いはんや善人をや」という教語は、いい意味で常識的であるがゆえに領解しやすく、死の前に立って心細く不安におののいているという切迫した状況の人には極めて効果的な教説であったといわねばならない。
脚註:
- ↑ 「念仏往生要義抄」(『和語灯』二・真聖全四・五九七頁)◇→(和語灯録#P--597)
- ↑ 「十八条法語」(『指南抄』中本・真聖全四・一三一頁)◇→(西方指南抄/中本#P--131)
- ↑ 『選択集』「三心章」(真聖全一・九五七頁)◇→(chu:選択本願念仏集_(七祖)#no8)
- ↑ 『観経』(真聖全一・六〇頁)、『散善義』(真聖全一・五三三頁)、『往生礼讃』(真聖全一・六四八頁)◇→(観無量寿経#no22)、→(往生礼讃#no2)、→(観経疏 散善義#no3)
- ↑ 「十八条法語」(『指南抄』中本・真聖全四・一三二頁)◇→(西方指南抄/中本#P--132)
- ↑ 「観経釈」(『漢語灯』二・真聖全四・三五二頁)◇「観経釈」とは『選択集』に先行する法然聖人の浄土三部経の講義碌の一つ。読下:「今この経の三心は、即ち本願の三心を開く、しかる故に至心は至誠心なり、信楽は深心、欲生我国は廻向発願心なり」→(観無量寿経釈#P--352)
- ↑ 「要義問答」(元亨版『和語灯』三・法然全・六二六頁の校異)には第十八願文をあげて「此文ニ至心ト云ハ、観経ニアカス処ノ三心ノ中ノ至誠心ニ当レリ、信楽ト云ハ深心ニ当レリ、欲生我国ハ廻向発願心ニ当レリ」という。尚『西方指南抄』下末所収の「要義問答」では、廻願心の部分が欠落している。◇→(西方指南抄/下末#P--248)
- ↑ 『散善義』(真聖全一・五四一頁))◇[またこの三心はまた通じて定善の義を摂す、知るべし。 ] →(観経疏 散善義)
- ↑ 『選択集』「三心章」(真聖全一・九六七頁)◇ 「この三心は総じてこれをいへば、もろもろの行法に通ず。別してこれをいへば、往生の行にあり。いま通を挙げて別を摂す。意すなはちあまねし。」→(選択本願念仏集#P--1249)
- ↑ 深励『選択集講義』五(二九九頁)
- ↑ 『選択集』「三心章」私釈(真聖全一・九六六頁)、「観経釈」(真聖全四・三五三頁)參照、尚、廻向発願心については別釈を設けられていないが、後に述べるように、善根廻向の義と、作得生想の義を以て釈されている。
- ↑ 『散善義』(真聖全一・五三三頁)、尚この至誠心釈の文の訓点は、『選択集』の往生院本(写真版一〇〇頁)による。以下同じ。◇ 現行の「註釈版七祖篇」でも御開山の読み替えの意図が学べるように当面読みで読下している。註釈版の脚注を参照されたし。なお、七祖の訓点を採用した経緯についてはchu:註釈版聖典七祖篇を読むを参照。 →(観経疏 散善義_(七祖)#no4)
- ↑ 『教行証文類』「信文類」(真聖全二・六〇頁)◇→(chu:顕浄土真実信文類_(本)#no22)
- ↑ 『往生礼讃』(真聖全一・六八〇頁)◇〔実に心に生ぜんと願ずることあるものにつきて勧む。あるいは四衆に対し、あるいは十方の仏に対し、あるいは舎利・尊像・大衆に対し、あるいは一人に対す。もしは独自等なり。また十方尽虚空の三宝および尽衆生界等に向かひ、つぶさに向かひて発露懺悔すべし。懺悔に三品あり。上・中・下なり。「上品の懺悔」とは、身の毛孔のなかより血流れ、眼のなかより血出づるものを上品の懺悔と名づく。 「中品の懺悔」とは、遍身に熱き汗毛孔より出で、眼のなかより血流るるものを中品の懺悔と名づく。 「下品の懺悔」とは、遍身徹りて熱く、眼のなかより涙出づるものを下品の懺悔と名づく。 ……もしかくのごとくせざれば、たとひ日夜十二時に急に走むとも、すべてこれ益なし。なさざるもののごとし。知るべし〕
- ↑ 「悲歎述懐讃」(真聖全二・五二七頁)◇ (chu:正像末和讃#no94)
- ↑ 『三部経大意』(真聖全四・七八八頁)尚、専修寺本、金沢文庫本の至誠心釈は後に全文をかかげる。◇→(chu:三部経大意#P--788)
- ↑ 『三部経大意』(同・七九〇頁)。なお醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八三)に同意文がある。◇→(chu:三部経大意#P--790)、(chu:三心料簡および御法語)
- ↑ 石井教道『選択集全講』(三四一頁)
- ↑ 『具三心義』(日大蔵九〇・一七八頁)、『極楽浄土宗義』(日大蔵・九〇・一八八頁)◇『極楽浄土宗義』の訓み「所帰の願、真実なるが故に、能帰の心も真実心と名づく、この義の故に、至誠心と立てるなり」。 『極楽浄土宗義』の訓み「これ即ち弥陀の本願を指して、名づけて真実となす、真実の願に帰するの心なるが故に、所帰の願に随いて、能帰の心を以つて、真実の心となす」
- ↑ 『教行証文類』「信文類」(真聖全二・六一頁)◇「この心すなはちこれ不可思議不可称不可説一乗大智願海、回向利益他の真実心なり。これを至心と名づく。 」 →(chu:顕浄土真実信文類_(本)#no25)
- ↑ 『尊号真像銘文』(広本)(真聖全二・五七七頁)◇→(chu:尊号真像銘文#no1)
- ↑ 『念仏三心要集』(浄全一〇・三八八頁)[1]◇「この、名聞利養、憍慢貪欲の二心を捨て、ただ一筋にこの念仏は決定往生の念仏なりと思い取りて申すは至誠心の念仏なり。真実心の念仏なり。あなかしこ、あなかしこ、この念仏を以つて世を過ぎ身を過ごさんと思ふべからず。」
- ↑ 『末代念仏授手印』(浄全一〇・三頁)には虚実について三種の四句分別を施して詳細に解釈されている。◇「善導所立の浄土宗の意は、この四句の中に第三内外倶実の人を以つて本意とす。」
- ↑ 石井教道『選択集全講』(三四二頁)
- ↑ 『散善義記』一(浄全二・三七九頁)[2]◇「ただし菩薩の真実強し、聖心堅固なるが故に。行者の真実は弱し、凡心羸劣なるが故に、強弱異なるといえども、真実相順す、いわゆる仏願強きが故に、行者の弱心を摂して、以つて浄土に生れしむなり。」
- ↑ 「十二箇条問答」(『和語灯』四・真聖全四・六三八頁)◇→(和語灯録#P--638)
- ↑ 醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八二頁)◇「 阿弥陀仏因中の真実心の中に作に由る行こそ、悪雑はらざるの善なるが故に真実と云ふなり。その義なにを以て知ることを得、次の釈に「凡所施為趣求亦皆真実」文、この真実を以て施すとは何者に施すと云へば、深心の二種の釈の第一、罪悪生死の凡夫と云へる、この衆生に施すなり。造悪の凡夫、すなわちこの真実に由るべきの機なり。」◇→(chu:三心料簡および御法語#no1)
- ↑ 『選択集』「三心章」私釈(真聖全一・九六六頁)。尚「観経釈」(『漢語灯』二・真聖全四・三五三頁)に殆ど同文があげられている。但し義山本には、至誠心釈の内外相飜釈百七十字が省かれている。◇→(chu:選択本願念仏集_(七祖)#P--1248)
- ↑ 「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五七三頁)◇→(和語灯録#P--573)
- ↑ 「往生大要抄」(同上・五七一頁)◇→(和語灯録#P--571)
- ↑ 井上光貞『日本浄土教成立史の研究』(二六四頁)、同氏『日本古代の国家と仏教』(二六二頁)
- ↑ 『台記』巻八(補増史料大成(台記一・二五二頁)
- ↑ 『往生拾因』(浄全一五・三九一頁)に第十八願の至心を釈するのに『地蔵占察経』の至心をあげ「二者勇猛心、所謂専求不レ懈不レ顧二身命一」といい、又『同』(同・三九三頁)に臨終の念仏を明かすなかにも「令レ二勇猛心一」といっている。◇→(往生拾因#十 随順本願故)
- ↑ 「往生大要抄」(前掲・五七四頁)◇→(和語灯録#P--571)
- ↑ 石田充之「善導大師の思想の親鸞聖人への影響」『善導大師の思想とその影響』(四五〇頁)所収。
- ↑ 「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六七七頁)◇→(和語灯録#P--677)
- ↑ 「同右」(同右)
- ↑ 『愚禿鈔』上(真聖全二・四五五頁)、『同』下(同・四六四頁)◇「賢者の信を聞きて、愚禿が心を顕す。賢者の信は、内は賢にして外は愚なり。愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり。」→(chu:愚禿鈔_(上)#no1)
- ↑ 「往生大要抄」(『和語灯』一、真聖全四・五七〇頁)。尚「大要抄」の三心釈と、「浄土宗略抄」(『和語灯』二・真聖全四・六一二頁)や「御消息」第一(『拾遺語灯』下・真聖全四・七五〇頁)の三心釈とは共通するところが多い。但し「大要抄」には回向発願心釈と起行の釈を欠き、「御消息」では起行の釈を欠いている。◇→「往生大要抄」(和語灯録#P--570)
- ↑ 「十八条法語」(『指南抄』中本・真聖全四・一三三頁)。尚この法語を『真宗聖教全書』は「十七条法語」としているが、「十八条法語」というべきである。法語は十八箇条掲載されているからである。◇「また「云真実心」といふは、行者願往生の心なり。矯飾なく表裏なき相応の心也。雑毒虚仮等は名聞利養の心也。『大品経』云く、利養名聞を捨てると、『大論』に此の文を述する下に云く、当に業に雑毒を捨つは、一声一念、なおこれを具せば、実心の相无き也、内を飜(ほん)じ外を矯(かざ)るは、たとひ外相不法なれども、内心真実にして、往生を願ずれば、往生を遂ぐ也と云云。」 →(西方指南抄/中本#P--133)
- ↑ 「十二箇条問答」(『和語灯』四・真聖全四・六三六頁)◇→(和語灯録#P--636)
- ↑ 「御消息」第一(『拾遺語灯』下・真聖全四・七五一頁)。「大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五七四頁)にも同意の文がある。◇→(拾遺語灯録下#P--751)、→(和語灯録#P--574)
- ↑ 『三部経大意』(真聖全四・七八六頁)◇→(chu:三部経大意#P--786)
- ↑ 「東大寺十問答」(『拾遺語灯』下・真聖全四・七四四頁)◇→(拾遺語灯録下#P--744)
- ↑ 「七箇条の起請文」(『和語灯』二・真聖全四・六〇二頁)◇→(和語灯録#P--602)
- ↑ 「同右」(同・六〇三頁)◇→(和語灯録#P--603)
- ↑ 「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六八三頁)◇→(和語灯録#P--683)
- ↑ 「真宗学報」第一七号に、山上正尊氏によって「建長正嘉両本対照三部経大意」が発表され上段に専修寺本(正嘉本)、下段に金沢文庫本(建長本)がそれぞれ輯録されている。又専修寺本は『真宗聖教全集』巻四に輯録されており、「昭和新修法然上人全集』は金沢文庫本を底本としている。
- ↑ 金沢文庫本本『三部経大意』奥書(真宗学報第一七号・七八頁)
- ↑ 石橋誠道「金沢文庫と浄土教に関する珍書」第三回(昭和八年八月廿六日付「中外日報」)塚本善隆「金沢文庫浄土宗典研究第一・金沢文庫所蔵浄土宗学上の未伝稀観の鎌倉古鈔本」(五四二頁)恵谷隆戒「浄土三部経大意解説」(『浄土宗第三祖然阿良忠上人伝の新研究』附録)
- ↑ 『法水分流記』(四頁))
- ↑ 山上正尊「三部経大意の検討」(真宗学報第一七号・一六頁)
- ↑ 専修寺本『三部経大意』奥書(真宗学報第一七号・七九頁)
- ↑ 生桑完明『親鸞聖人撰述の研究』(三一六頁)
- ↑ 山上正尊「三部経大意の検討」(真宗学報第一七号・二四頁)
- ↑ 『玄義分』(真聖全一・四四三頁)「然娑婆化主、因其請故、即広開浄土之要門、安楽能人顕彰別意弘願、其要門者、即此観経定散二門是也。定即息慮以凝心、散即廃悪以修善、回斯二行、求願往生也。言弘願者、如大経説、一切善悪凡夫得生者、莫不皆乗阿弥陀仏大願業力、為増上縁)也」 ◇〔しかも娑婆の化主(釈尊)はその請によるがゆゑにすなはち広く浄土の要門を開き、安楽の能人(阿弥陀仏)は別意の弘願を顕彰したまふ。その要門とはすなはちこの『観経』の定散二門これなり。 「定」はすなはち慮りを息めてもつて心を凝らす。「散」はすなはち悪を廃してもつて善を修す。この二行を回して往生を求願す。弘願といふは『大経』に説きたまふがごとし。「一切善悪の凡夫生ずることを得るものは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁となさざるはなし」〕観経疏 玄義分_(七祖)#no5
- ↑ 同意の文が醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八三頁)にも出ている。
- ↑ 石田充之『法然聖人門下の浄土教学の研究』上(一三五頁)參照。
- ↑ 『教行証文類』「信文類」(真聖全二・五一頁以下)、「化身土文類」(同・一四九頁以下)、『愚禿鈔』下(真聖全二・四六五頁以下)
- ↑ 『浄土宗要集』一(浄全一一・八頁)
- ↑ 『浄土宗行者用意問答』(浄全一〇・七〇五頁)
- ↑ 「十八条法語」(『指南抄』中本・真聖全四・一三二頁)
- ↑ 醍醐本『法然上人伝記』「一期物語」(法然伝全・七七九頁)、同意文が「浄土随聞記」(『拾遺語灯』上・真聖全四・七〇二頁)、「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六七五頁)、「一百四十五箇条問答」(『和語灯』五・真聖全四・六七一頁)にも出ている。尚定善、散善、弘願の三門を立てることは「登山状」(『拾遺語灯』中・真聖全四・七一五頁)にも見られるが、これは法然の自作ではなく、聖覚の代筆であると伝えられている。◇「或人の問いて云く。常に廃悪修善の旨を存じて念仏せむと、常に本願の旨を思いて念仏すると何れが勝れたる哉。 答。廃悪修善はこれ諸仏通戒といえども、当世の我等は悉く違背せり。 もし別意弘願に乗ぜずば、生死を出で難き者歟と、云々。 」→chu:醍醐本法然上人伝記#no23
- ↑ 「法然聖人御説法事」(『指南抄』上末・真聖全四・一二二頁)◇→(西方指南抄/上末#P--133)
- ↑ 『選択集』「三心章」私釈(真聖全一・九六七頁)◇「この三心は総じてこれをいへば、もろもろの行法に通ず。別してこれをいへば、往生の行にあり。」 →chu:選択本願念仏集_(七祖)#P--1249
- ↑ 山上正尊「三部経大意の検討」(真宗学報第一七号・二九頁)
- ↑ これらについてすでに山上正尊「三部経大意の検討」(前掲)や、石田充之『法然上人門下の浄土教学の研究』上(一三五頁)等に詳細な検討がなされている。
- ↑ 醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八二頁)◇→(chu:三心料簡および御法語)
- ↑ 親鸞は「信文類」(真聖全二・五一頁)に『散善義』の至誠心釈を引用して「欲一切衆生身口意業所修解行必須真実心中作、不得外現賢善精進之相、内懐虚仮、貪瞋邪偽……正由彼阿弥陀仏因中行菩薩行時、乃至一念一刹那三業所修皆是真実心中作、凡所施為趣求亦皆真……」◇〔 一切衆生の身口意業の所修の解行、かならず真実心のうちになしたまへるを須ゐんことを明かさんと欲ふ。外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐いて、貪瞋邪偽……まさしくかの阿弥陀仏、因中に菩薩の行を行じたまひしとき、乃至一念一刹那も、三業の所修みなこれ真実心のうちになしたまひしに由つてなり。おほよそ施したまふところ趣求をなす、またみな真実……〕→(chu:顕浄土真実信文類_(本)#no13)といい、あるいは「内懐虚仮」(『愚禿鈔』真聖全二・四六四頁)→(chu:愚禿鈔_(下)#P--517) と読まれている。これについて存覚の『六要鈔』三(真聖全二・二七九頁)には「今此釈意誡雑行也、所以然者、凡夫之心更無賢善精進之義、只是愚悪懈怠機也、而人不顧自心愚悪、随縁起行、若欲求修賢善精進之諸行者、悪性心故、煩悩賊害、必是不免虚仮雑毒、内懐虚仮是其義也。然者不現賢善等相 識知自心三毒悪性捨自力行、帰他力行、可得真実清浄業也。以勧此心、為今釈要、雖起等者、三業為外、悪性為内、如常義者、外名身口、内名意業、如然可云雖起二業、既云三業、可知三業只是外也、内悪性也。」〔今この釈の意は雑行を誡むるなり。然る所以は、凡夫の心は更に賢善精進の義なし。ただこれ愚悪懈怠の機なり。而るに人は自心の愚悪を顧みず、随縁起行して、もし賢善精進の諸行を修することを求めんと欲せば、悪性の心なるが故に、煩悩賊害して、必ずこれ虚仮雑毒を免れじ。「内懐虚仮」これその義なり。然れば賢善等の相を現ぜず、自心三毒の悪性を識知して、自力の行を捨て、他力の行に帰して、真実清浄の業を得べきなり。この心を勧むるを以て今の釈の要と為す。「雖起」等とは、三業を外と為し、悪性を内と為す。常の義の如きは、外を身口に名づけ、内を意業に名づく。然の如きならば、「雖起二業」というべし。既に三業という、知るべし。三業はただこれ外なり。内は悪性なり。〕と釈されているが、「三心料簡事」と正しく符合している。
- ↑ 『六要鈔』三(真聖全二・二八〇頁)には、「凡所施為趣求亦皆真実」についての宗祖の文点の意を釈して、「施為趣求、配当二利、施為利他、趣求自利、是常義也。今有文点、施為名目不依用之、凡所施者是如来施、仏是能施、為趣求者是約行者、仏道趣求、是則対仏衆生所施、是以如来施与之行、即為衆生趣求之行、能所雖異、倶是如来利他行故、謂之真実」〔施為・趣求は二利に配当す。施為は利他、趣求は自利、これは常の義なり。今、文点あり、施為の名目は、これを依用せず。「凡所施」とは、これ如来の施、仏はこれ能施なり。「為趣求」とは、これ行者に約す。仏道の趣求なり。これ則ち仏に対して衆生は所施なり。これ如来施与の行を以て即ち衆生趣求の行と為す。能所異なりといえども、倶にこれ如来利他の行なるが故にこれを真実という〕といわれているが、これも「三心料簡事」と同じ発想であるといえよう。
- ↑ 石田充之『法然上人門下の浄土教学の研究』上(一三五頁)
- ↑ 「念仏大意」(『指南抄』下末、真聖全四・二二六頁)◇→(西方指南抄/下末#P--226)
- ↑ 坪井俊映「法然浄土教における三心具足の過程について」(『法然上人研究』仏教大学法然上人研究会編一四一頁)
- ↑ 望月信亨「醍醐本法然上人伝記解説」(古典叢書本『法然上人伝記』解説一頁)。尚醍醐本『法然上人伝記』の成立については、三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(九八頁以下)に詳説されていて、「三昧発得記」を除く五篇は、勢観房源智の見聞を集めたもので、その弟子の宿蓮房が法然滅後三十年頃に現行本のように編集したのであろうといわれている。
- ↑ 山上正尊「三部経大意の検討」(真宗学報第一七号・三一頁)
- ↑ 石田充之『法然上人門下の浄土教の研究』上(一一八頁 ̄一二三頁)
- ↑ 『散善義』(真聖全一・五三四頁)◇「二には深心と。 「深心」といふはすなはちこれ深く信ずる心なり。 また二種あり。
一には決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。
二には決定して深く、かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず。」 七祖p.457 (chu:観経疏 散善義_(七祖)#no5) - ↑ 「大胡太郎実秀への御返事」(『指南抄」下本・真聖全四・一九一頁)◇(西方指南抄/下本#P--191)
- ↑ 「十八条法語」(『指南抄』中本・真聖全四・一三三頁)◇(西方指南抄/中本#P--133)
- ↑ 「浄土宗略抄」(『和語灯』二・真聖全四・六一五頁)◇(和語灯録#P--615)
- ↑ 「七箇条の起請文」(『和語灯』二・真聖全四・六〇三頁)◇(和語灯録#P--603)
- ↑ 「要義問答」(『指南抄』下末・真聖全四・二四七頁)◇(西方指南抄/下末#P--247)
- ↑ 「九条殿北政所への御返事」(『指南抄』下末・真聖全四・二三三頁)、「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五八〇頁)◇(西方指南抄/下末#P--233)、(和語灯録#P--580)
- ↑ 「黒谷上人御法語」(二枚起請文)(真聖全四・四五頁)には、「阿弥陀仏の悲願をあふぎ、他力をたのみて、名号を憚りなく唱べきなり。是を本願を憑とはいふなり。すべて仏たすけたまへと思て名号をとなふるに過たる事はなき也」といい、信心を本願他力をたのむこととし、その内容を「仏たすけたまへと思」うこととされている。しかしこの御法語は、石井教道編「昭和新修法然上人全集」では「伝法然書篇」(一一二九頁)に収め、真偽未詳とされている。但し越中勝興寺には蓮如の写本があり、蓮如の「たすけたまへと弥陀をたのむ」という教語の一つの依り処とはなったと考えられる。
- ↑ 「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五八六頁)◇(和語灯録#P--586)
- ↑ 『愚禿鈔』下(真聖全二・四六七頁)に「按文意 就深信有七深信 有六決定」といわれたものがそれである。◇(愚禿鈔_(下)#no53)「按文意 就深信有七深信 有六決定(文の意を案ずるに、深信について七深信あり、六決定あり)」。
- ↑ 『往生礼讃』(真聖全一・六四九頁)◇「二には深心。すなはちこれ真実の信心なり。自身はこれ煩悩を具足する凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知し、いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下十声・一声等に至るに及ぶまで、さだめて往生を得と信知して、すなはち一念に至るまで疑心あることなし。ゆゑに深心と名づく」。(chu:往生礼讃_(七祖)#no2)
- ↑ 『選択集』「三心章」(真聖全一・九六七頁)、「観経釈」(古本『漢語灯』二・真聖全四・三五三頁)◇「いま二種の信心を建立して、九品の往生を決定するものなり」。(chu:選択本願念仏集_(七祖)#P--1248) 「信疑決判釈」
- ↑ 「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五七七頁)◇(和語灯録#P--577)
- ↑ 「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五八二頁)◇(和語灯録#P--582)
- ↑ 頓成の信機自力説については、『能登頓成御教誡』(続真大系一八・三三一頁以下)や、藤沢教声『選択集壁底録』(一八九頁)等に出ている。最近においては浄土宗の坪井俊映氏が「法然浄土教における三心具足の過程について」(『法然上人研究』一四四頁)において、二種深信は、前後次第して起るもので信機は前段階であると見られている。
- ↑ 「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五七八頁)、同意の文は、「浄土宗略抄」(『和語灯』二・真聖全四・六一四頁)、「御消息」一(『拾遺語灯』下・真聖全四・七五三頁)にも出ている。◇(和語灯録#P--578)
- ↑ 「十二箇条問答」第六条(『和語灯』四・真聖全四・六三八頁)◇(和語灯録#P--638)
- ↑ 「浄土宗の大意」(『指南抄』下本・真聖全四・二一九頁)、同じ文が「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六七七頁)、醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八四頁)等各所に記されている。◇(西方指南抄/下本#P--219)、(和語灯録#P--638)、(chu:三心料簡および御法語#no11)
- ↑ 『末灯鈔』(真聖全二・六六五頁)に親鸞は「故法然聖人は、浄土宗の人は愚者になりて往生すと候しことをたしかにうけたまはり候し……」といわれている。◇(chu:親鸞聖人御消息_(上)#no16)
- ↑ 『一枚起請文』(法然全・四一六頁)◇(chu:一枚起請文)
- ↑ 「要義問答」(『指南抄』下末・真聖全四・二五三頁)◇(西方指南抄/下末#P--253)
- ↑ 『六要抄』三(真聖全二・二八一頁)◇「正しく有善・無善を論ぜず、自の功を仮らず、出離は偏に他力に在ることを明かす。聖道の諸教は盛んに生仏一如の理を談ず。今教は自力の功なきことを知るに依りて、偏に仏力に帰す。これに依りて、この信は殊に最要なり。」
- ↑ 『散善義』(真聖全一・五三五頁)◇「また深心は「深き信なり」といふは、決定して自心を建立して、教に順じて修行し、永く疑錯を除きて、一切の別解・別行・異学・異見・異執のために、退失し傾動せられざるなり」。 (chu:観経疏 散善義_(七祖)#no7)
- ↑ 親鸞は『散善義』のこの文を第七深信とよび、要門自力の深心を明かしたものとみなされていたことは、この文を「化身土文類」要門章(真聖全二・一五〇頁)に引用されたことからも窺われる。けだし「建立自心」という語感から自力とみなされたのであろう。しかし疏文の当分は法然が「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五八三頁)に釈されたように、別解別行のものに破られない信心を建立する為に就人、就行の立信を明かされたものとみるべきである。もっとも親鸞も、就人就行立信を明かすところは真実とみて「信文類」(真聖全二・五四頁)に引用されている。◇(chu:顕浄土方便化身土文類_(本)#P--386)、(「往生大要抄」)
- ↑ 『散善義記』一(浄全二・三八六頁)
- ↑ 深励『選択集講義』(一一一頁)
- ↑ 柔遠『選択集錐指録』(真全一九・一一三頁)
- ↑ 法然は「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五八四頁)、「浄土宗略抄」(『和語灯』二・真聖全四・六一八頁)、「御消息」第一(『拾遺語灯』下・真聖全四・七五四頁)、「大胡太郎実秀への御返事」(『指南抄』下本・真聖全四・一九〇頁)、「正如房へ遺わす書」(『指南抄』下本・真聖全四・二〇三頁)等にしばしばこの文意を引用されており、親鸞も「血脈文集」所収の五月二十九日付、善鸞義絶状(真聖全二・七一七頁)にこの文意をのべておられる。◇各文へのリンク→(「往生大要抄」)、(「浄土宗略抄」)、(「御消息」)、(「大胡太郎実秀への御返事」)、(「正如房へ遺わす書」)、(「血脈文集」親鸞聖人御消息 上)
- ↑ 「往生大要抄」(真聖全四・五八〇頁)◇(和語灯録#P--580)
- ↑ 法然が「声について決定往生のおもひをなすべし」といわれたのを、名号に表現されている決定摂取の本願を聞くことだと理解し、それを継承されたのが親鸞の「行文類」(真聖全二・二二頁)の六字釈の「帰命者本願招喚之勅命也」という妙釈だったとみることができよう。◇帰命は本願招喚の勅命なり。 (chu:顕浄土真実行文類#no34)
- ↑ 「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六八二頁)に「念仏だにもひまなく申されば、往生は決定としれ」といわれたものと同意である。◇(和語灯録#P--682)
- ↑ 醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八六頁)◇(chu:三心料簡および御法語#no19)
- ↑ 『選択集』「三心章」私釈(真聖全一・九六七頁)、「観経釈」(『漢語灯』二・真聖全四・三五三頁)◇「まさに知るべし、生死の家には疑をもつて所止となし、涅槃の城には信をもつて能入となす。ゆゑにいま二種の信心を建立して、九品の往生を決定するものなり」(chu:選択本願念仏集_(七祖)#P--1248)
- ↑ 『大般涅槃経』第三十五(大正蔵一二・五七三頁)◇(大般涅槃経/5#→信巻信楽釈引文(32))
- ↑ 『往生要集』大門第五「助念方法」(真聖全一・八一六頁)◇(chu:往生要集中巻_(七祖)#P--971)。御開山は信巻信楽釈(32)でこの『涅槃経』の文「あるいは阿耨多羅三藐三菩提を説くに、信心を因とす。これ菩提の因、また無量なりといへども、もし信心を説けば、すなはちすでに摂尽しぬ」を引文されておられる。
- ↑ 『大経』下(真聖全一・四三頁)◇(仏説 無量寿経_(巻下)#no44)
- ↑ 『散善義』(真聖全一・五三二頁、五三五頁、五三七頁、五三八頁)、『法事讃』下(真聖全一・六一一頁)◇「衆生邪見甚難信、専々指授帰西路、為他破壊還如故、曠劫已来常如此( 衆生邪見にしてはなはだ信じがたし。もつぱらにしてもつぱらなれと指授して西路に帰せしむれども、他のために破壊せられてまた故のごとし。曠劫よりこのかたつねにかくのごとし)」 (chu:観経疏 散善義_(七祖)#no2)、(chu:観経疏 散善義_(七祖)#no7)、(chu:観経疏 散善義_(七祖)#no9)、(chu:法事讃_(七祖)#no100)
- ↑ 『尊号真像銘文』広本(真聖全二・五九六頁)◇(chu:尊号真像銘文#P--666)
- ↑ 『教行証文類』「信文類」(真聖全二・五九頁、四八頁)◇(chu:顕浄土真実信文類_(本)#no19)
- ↑ 「浄土宗の大意」(『指南抄』下本・真聖全四・二一九頁)◇(西方指南抄/下本#P--219)
- ↑ 「正如房へ遺す書」(『指南抄』下本・真聖全四・二〇一頁)◇(西方指南抄/下本#P--201)
- ↑ 『唯信抄』(真聖全二・七五〇頁)◇(chu:唯信鈔#P--1349)
- ↑ 『歎異抄』第一条(真聖全二・七七三頁)◇(chu:歎異抄#第1条)
- ↑ 「誡疑讃」(真聖全二・五二五頁)◇(chu:正像末和讃#no82)
- ↑ 『選択集』「三心章」(真聖全一・九六七頁)、「観経釈」(『漢語灯』二・真聖全四・三五三頁)。但し義山が改訂した「観経釈」(真聖全四・三五三頁)には、この文につづいて「者以二所修善根一、廻二向浄土一、其義如レ疏又(てえれば所修の善根を以って浄土に廻向す、その義疏の如し、また)」の十五字が入れられているが、回向発願心を善根回向の義に限定することによって鎮西義に近づけようとしたものと推察される。◇義山の書は鎮西義に合わせようとするための改竄が多いので浄土真宗で用いるときは注意すべきだといわれている。 →(chu:選択本願念仏集_(七祖)#P--1248)
- ↑ 『散善義』(真聖全一・五三八頁)◇→(観経疏 散善義_(七祖)#no9)
- ↑ 『同右』(同右)、但しこの訓読は『選択集』の往生院本(写真版一一七頁)によった。尚この文には親鸞の独自の訓読があるが、それについては後に述べる。
- ↑ 『散善義』(真聖全一・五四一頁)◇→(観経疏 散善義_(七祖)#no9)
- ↑ 『同右』(同右)
- ↑ 『往生礼讃』前序(真聖全一・六四九頁 ̄六五〇頁)◇訓読「またかの国に到りをはりて六神通を得て生死に回入して、衆生を教化すること後際を徹窮して心に厭足なく、すなはち成仏に至るまでまた回向門と名づく。 」 →(chu:往生礼讃_(七祖)#P--656)
- ↑ 「御消息」第一(『拾遺語灯』下・真聖全四・七五六頁)◇→(拾遺語灯録下#P--756)
- ↑ 「浄土宗略抄」(『和語灯』二・真聖全四・六一九頁)、「要義問答」(『指南抄』下末・真聖全四・二四四頁)參照。◇→(和語灯録#P--619)、→(西方指南抄/下末#P--244)
- ↑ 『選択集』「二行章」(真聖全一・九三七頁)◇→(chu:選択本願念仏集_(七祖)#P--1197)
- ↑ 『教行証文類』「化身土文類」(真聖全二・一五一頁)◇→(chu:顕浄土方便化身土文類_(本)#P--387)
- ↑ 醍醐本『法然上人伝記』禅勝房への答(法然伝全・七八〇頁)。尚これと同意文が「十一箇条問答」(『指南抄』下本・真聖全四・二一四頁)にもでている。◇→(chu:醍醐本法然上人伝記#no25)、(西方指南抄/下末#P--214)
- ↑ 「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六八二頁)◇→(和語灯録#P--682)
- ↑ 「十二箇条問答」(『和語灯』四・真聖全四・六三八頁)◇→(和語灯録#P--638)
- ↑ 「東大寺十問答」(『拾遺語灯』下・真聖全四・七四四頁)◇→(拾遺語灯録下#P--744)
- ↑ 醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八三頁。◇→(chu:三心料簡および御法語)
- ↑ 『散善義』(真聖全一・五四〇頁)◇「「水波つねに道を湿す」といふは、すなはち愛心つねに起りて、よく善心を染汚するに喩ふ。また「火炎つねに道を焼く」といふは、すなはち瞋嫌の心よく功徳の法財を焼くに喩ふ。」 →(観経疏 散善義_(七祖)#P--469)
- ↑ 『同右』(同右・五四一頁)◇「仰ぎて釈迦発遣して指して西方に向かはしめたまふことを蒙り、また弥陀悲心をもつて招喚したまふによりて、いま二尊(釈尊・阿弥陀仏)の意に信順して、水火の二河を顧みず、念々に遺るることなく、かの願力の道に乗じて、捨命以後かの国に生ずる」 →(観経疏 散善義_(七祖)#P--469)
- ↑ 親鸞が『愚禿鈔』下(真聖全二・四七六頁)に「白道者、白言対レ黒、道言対レ路、白者則是六度万行定散也、斯則自力小善路也、黒者則是六趣四生二十五有十二類生黒悪道也〔白道とは、白の言は黒に対す、道の言は路に対す、白とは、すなはちこれ六度万行、定散なり。これすなはち自力小善の路なり。黒とは、すなはちこれ六趣・四生・二十五有・十二類生の黒悪道なり。 〕」といって、他力白道に対して、定散自力の白路を釈出されたのは、法然が白道を諸行往生と専修正行とに分判されたのを継承展回されたものであろう。「信文類」(真聖全二・六七頁)にも同じことがいわれている。◇→(chu:愚禿鈔_(下)#P--537)
- ↑ 『教行証文類』「信文類」(真聖全二・五四頁)、『愚禿鈔』下(真聖全二・四七三頁)◇訓読「また回向発願して生ずるものは、かならず決定して真実心のうちに回向したまへる願を須ゐて得生の想をなせ。」 →(chu:/顕浄土真実信文類_(本)#P--221)、→(chu:愚禿鈔_(下)#no76)
- ↑ 良忠『浄土宗要集』四(浄全一一・九二頁)◇三心の退縁は、別解別行退と及び自造罪退と有り。また臨終要決に捨命退を出せり。
- ↑ 「御消息」第一(『拾遺語灯』下・真聖全四・七五八頁)、なお「浄土宗略抄」(『和語灯』二・真聖全四・六二〇頁)にもほぼ同様のことばで三心釈を結ばれている。
- ↑ 『三部経大意』(専修寺本・真聖全四・七八六頁)
- ↑ 「十八条法語」(『指南抄』中本・真聖全四・一三二頁)
- ↑ 「念仏往生義」(『拾遺語灯』下・真聖全四・七三八頁)
- ↑ 「示或女房法語」(『拾遺語灯』中・真聖全四・七三六頁)
- ↑ 「要義問答」(『指南抄』下末・真聖全四・二四八頁)
- ↑ 醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八五頁)
- ↑ 『浄土文類聚鈔』(真聖全二・四五三頁)
- ↑ 「七箇条の起請文」(『和語灯』二・真聖全四・六〇五頁)
- ↑ 「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六七三頁)
- ↑ 『歎異抄』(真聖全二・七九〇頁)、同じことが覚如の『親鸞伝絵』上(真聖全三・六四五頁)にもでているが、『歎異抄』の方がより原型をのこしていると思われる。
- ↑ 「東大寺十問答」(『拾遺語灯』下・真聖全四・七四四頁)
- ↑ 「大胡太郎実秀への御返事」(『指南抄』下本・真聖全四・一八八頁)、その他「十一箇条問答」(『指南抄』下本・真聖全四・二一八頁)、「念仏往生義」(『拾遺語灯』下・真聖全四・七四二頁)、「御消息」第一(『拾遺語灯』下・真聖全四・七五八頁)等にも同意のことばで三心釈を結ばれている。
- ↑ 「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六七六頁)
- ↑ 『一枚起請文』(法然全・四一六頁)
- ↑ 『後世物語聞書』(真聖全二・七六五頁)
- ↑ 『末灯鈔』第十二通(真聖全二・六七二頁)
- ↑ 「浄土宗略抄」(『和語灯』二・真聖全四・六一二頁)、「御消息」第一(『拾遺語灯』下・真聖全四・七五〇頁)、「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五六九頁)
- ↑ 「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五七一頁)
- ↑ 「同右」(同右・五八〇頁)
- ↑ 『三部経大意』(専修寺本・真聖全四・七九八頁)、「金沢文庫本」(真宗学報第一七号・七二頁)、『和語灯』所収の「三部経釈」(真聖全四・五六三頁)も同じである。
- ↑ 「大胡太郎実秀に答ふる書」(『指南抄』下本・真聖全四・一九九頁)、同文が「浄土宗略抄」(『和語灯』二・真聖全四・六二四頁)にもある。
- ↑ 「十一箇条問答」(『指南抄』下本・真聖全四・二一四頁)
- ↑ 「念仏往生要義抄」(『和語灯』二・真聖全四・五九二頁)
- ↑ 『選択集』「利益章」(真聖全二・九五三頁)
- ↑ 「大経釈」(『漢語灯』一・真聖全四・二九八頁)、尚「大経釈」には、「廃立、助正、と念仏諸行各立三品」の三義をあげ、『選択集』「三輩章」には、廃立、助正、傍正の三義があげられている。この両者の同異については、第一篇第五章第二節(九三頁)參照。
- ↑ 『選択集』「三輩章」(真聖全一・九五一頁)
- ↑ 『教行証文類』「信文類」(真聖全二・七三頁)
- ↑ 醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八四頁)
- ↑ 『選択集』「本願章」(真聖全一・九四四頁)
- ↑ 『本論』第二篇第二章第六節參照。
- ↑ 『玄義分』(真聖全一・四五〇頁)に「然諸仏大悲於苦者、心偏愍念常没衆生、是以勧帰浄土、亦如溺水之人、急須偏救、岸上之者、何用済為」とい・われている。
- ↑ 善導『玄義分』(真聖全一・四四八頁)、元暁『遊心安楽道』(浄全六・六二五頁)參照。
- ↑ )醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八四頁)
- ↑ 『同右』(同・七八七頁)
- ↑ 『歎異抄』第三条(真聖全二・七七五頁)
- ↑ 「黒田の聖に遺す書」(『指南抄』下未・真聖全四・二二一頁)
- ↑ 「念仏往生要義抄」(『和語灯』二・真聖全四・五九七頁)
- ↑ 『教行証文類』総序(真聖全一・一頁)に「権化仁、斉救済苦悩群萌、世雄悲正欲恵逆謗闡提」といい、「信文類」の三心釈にいわゆる機無、円成、廻施の釈を施し(同・六〇頁)、又難化の三機、難治の三病(五逆、謗法、闡提)を広釈(同、八一頁)されたものはたしかに悪人正機の意を顕わされている。しかし悪人正機の語は見出せない。また『愚禿鈔』上(真聖全二・四六〇頁)に善悪の機を詳説し、善機について傍機と正機を分判し三乗を傍機、人天を正機といわれている。しかし、善悪対望して傍正を明言されてはいない。
- ↑ 『口伝抄』下(真聖全三・三二頁)に「本願寺の聖人、黒谷の先徳より御相承とて、如信上人おほせられていはく」として「善人なをもて往生す、いかにいはんや悪人をや」という法語をあげられている。
- ↑ 「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五八一頁)
- ↑ 「十二箇条法語」(『和語灯』四・真聖全四・六四一頁)
- ↑ 「同右」(同右・六四三頁)
- ↑ 「黒田の聖へ遺す書」(『指南抄』下末・真聖全四・二二〇頁)
- ↑ 「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五六八頁)、
- ↑ 「正如房へ遺す書」(『指南抄』下本・二〇六頁)