法然教学の研究 /第二篇/第三章 法然聖人の信心論/第三節 深心の意義
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目次
第二篇 法然教学の諸問題
第三章 法然聖人の信心論
第一節 『観経』の三心と本願の三心
念仏往生、それが法然の自行化他のすべてであった。その信条を一言でいえば「わが身の善悪をかへりみず、ほとけの本願をたのみて念仏申すべきなり」[1] という法語にきわまる。すなわち法然にとって本願を信ずることと、念仏を行ずることとは決して別のことではなかった。「わが名を称へんものをむかへん」と誓いたまうた本願に信順することは、本願にまかせてはからいなく念仏することであり、わが心の善悪を沙汰せず、ただ念仏することが本願を信ずるありさまに外ならなかった。そのことをまた法然は「たゞ名号をとなふるに、三心おのづから具する也」[2] といって三心具足の念仏とよばれたのである。
この念仏行者の具している三心を釈顕されたのが『選択集』「三心章」であった[3]。そこにははじめに「念仏行者、必可レ具二足三心一之文」と標章して、『観経』の三心と、それを釈した善導の『散善義』と『往生礼讃』の三心釈を引用し[4]、さらに簡単な私釈を加えて、念仏行者の信相をつまびらかにせられる。
従ってここで釈される三心とは、『観経』に説かれた至誠心、深心、廻向発願心であることはいうまでもない。
しかしこの三心をもって本願念仏の信相を釈顕しようとするのであるから、それは当然第十八願の三心、すなわち至心、信楽、欲生に会合されていなければならない。それについて「三心章」ではなにも触れていないが「十八条法語」には、
- 念仏を勧進するところは、第十八の願成就の文なり、観経の三心、小経の一心不乱、大経の願成就の文の信心歓喜と、同流通の歓喜踊躍と、みなこれ至心信楽之心也と云り。これらの心をもて念仏の三心を釈したまへる也と云云。[5]
といわれている。これによれば『観経』の三心は、本願の三心の成就したものと見られていたことがわかる。
もともと第十八願の心は「至レ心信楽欲一生二我国一」と一連に読むべきであるから、必ずしも三心とは考えられないが、これを三心とよばれたのは法然が最初であった。それは『観経』の三心と会合されたからであった。『観経』は、はっきりと三種心といい、一者、二者、三者と分けてあるからである。これと会合するから至心は単に信楽の修飾語ではなくて至心という心であり、欲生我国も欲生心とし、至心、信楽、欲生の三心とみなすようになったのである。「観経釈」に「今此経三心、即開二本願三心一、爾故至心者至誠心也、信楽者深心、欲生我国者廻向発願心也」[6] と両経の三心を配釈されている。「要義問答」にも同様の文があげられている[7] このように両経の三心を会合できたのは、両者をいずれも本願念仏の能修の心とみられたからで、前掲「十八条法語」にも「これらの心をもて、念仏の三心を釈したまへる也」といわれている。
もっとも『観経』の三心と、本願の三心とを直ちに同致せしめるには問題が残る。すなわち第十八願の三心は、乃至十念の念仏とのみ組み合っているから念仏の三心といえようが、『観経』の三心は、念仏のみならず定善、散善とも組み合うもので、善導も『散善義』の三心釈の結文に「又此三心亦通二摂定善之義一」[8] といわれている。法然もそれをうけて「三心章」の私釈に「此三心者総而言レ之、通二諸行法一、別而言レ之在二往生行一、今挙レ通摂レ>別、意即周矣」[9] といわれている。ここでいわれる「諸行法」とは定散諸行のことであり、「往生行」とは称名正定業をさしているとみるべきで、「挙通摂別」とは諸行に通ずる三心を挙げて、しかも別して念仏の安心に収めるという意味で、所顕は念仏の三心にあることを注意されたものであると考えられる[10]。後にのべるように深心釈下に正雑、助正の名目をたてて往生行を簡択し、仏願に順ずれば、所信所就の行は正定業たる念仏の一行であると決択されるわけであるから、能就の信は念仏往生と信ずる深心中心の三心であるということは明らかである。
このようにして法然は『観経』の三心と、第十八願の三心とを、念仏の三心として会合しながら、『観経』の三心を中心にして三心釈を行われる。これはやはり偏依善導といわれるように、善導の釈義を忠実に祖述しようとされたからであろう。
第二節 至誠心の意義
一、至誠心釈の概要
『選択集』「三心章」によれば、三心は念仏行者の至要であって必ず具すべき心とされている。至誠心とは真実心であり、深心とは二種深信であらわされるような無疑の信心であり、廻向発願心とは、善根回向の義と、決定得生の願往生心という意味とをもっているとみなされていたようである[11]。
第一の至誠心を、真実心とするのは『散善義』の至誠心釈に、
- 一者至誠心、至者真、誠者実、欲レ明下一切衆生、身口意業所二修一解行、必須中真実心中作上、不レ得下外現二賢善精進之相一、内懐中虚仮上。[12]
といわれたものによっている。すなわち至誠心を具するとは、真実心をもつことであり、具体的には、願生行者が修する身口意の三業行はすべて真実心をもってなすべきで、外に賢善精進の相を現じて内に虚仮を懐くような内外不調があってはならないというのである。そして次の如く「内懐虚仮」のありさまを釈される。
- 貪瞋邪偽、奸詐百端、悪性難レ侵、事同二蛇蝎一、雖レ起二三業一、名為二雑毒之善一、亦名二虚仮之行一、不レ名二真実業一也。若作二如レ此安心起行一者、従使苦二励身心一、日夜十二時、急走急作、如レ炙二頭燃一者、衆名二雑毒之善一、欲下廻二此雑毒之行一、求三生二彼仏浄土一者、此必不可也。何以故、正由下彼阿弥陀仏因中行二菩薩行一時、乃至一念一刹那、三業所二修一皆是真実心中作上、凡所二施-為趣求一、亦皆真実。
- 〔追記:貪瞋・邪偽・奸詐百端にして、悪性侵めがたく、事蛇蝎に同じきは、三業を起すといへども名づけて雑毒の善となし、また虚仮の行と名づく。 真実の業と名づけず。もしかくのごとき安心・起行をなすものは、たとひ身心を苦励して、日夜十二時急に走り急になすこと、頭燃を救ふがごとくするものも、すべて雑毒の善と名づく。この雑毒の行を回して、かの仏の浄土に生ずることを求めんと欲せば、これかならず不可なり。なにをもつてのゆゑに。 まさしくかの阿弥陀仏因中に菩薩の行を行じたまひし時、すなはち一念一刹那に至るまでも、三業の所修、みなこれ真実心のうちになしたまひ、おほよそ施為・趣求したまふところ、またみな真実なるによりてなり。〕(*)
内に貪瞋邪偽の煩悩悪性をいだいているならば、三業を苦励し、頭燃をはらうが如く急作急走してつとめてみても、すべて雑毒の善であり、虚仮の行であって、浄土に生まれることはできない。何故ならば、浄土は阿弥陀仏が因位のとき、真実心をもって三業二利の行を修して成就された真実の境界である。それゆえ真実ならざる解行、すなわち安心起行をもって往生することはできないといわれるのである。疏文は、さらに行者の修すべき真実なる行業を自利と利他に分け、その自利行について止悪門と作善門にわたって詳細に解説し、内外、明闇をえらばず、皆真実であるべきことを勧励されている。この『散善義』の文脈によれば、あくまでも願生行者が、内外ともに賢善精進であることを真実心を具している相とみなされていたとせねばならない。しかもその真実心の典型として、法蔵菩薩の浄土建立の菩薩行の真実性をあげられたことは重要な意味をもってくる。後に親鸞が「信文類」において至心釈を施されるとき、『大経』と『如来会』の勝行段の文を出して、真実心の何たるかを釈出されたのは、善導のこの釈意をうけられたものである[13]。しかし法蔵の如き真実心をもって二利行をなせというのは、凡夫の行者にとっては至難の要求であった。むしろ行者は、この教説に直面して真実の何たるかを知らしめられると同時に、自身の反真実性、煩悩性が顕わになり、痛切な懴悔が生ずるはずである。善導が『礼讃』や『法事讃』に、切実な懴悔の表白をされているのはそのあらわれである。特に『礼讃』に示された上品、中品、下品の三品の懴悔は有名である。
- 就下実有二心願レ一生者而勧、或対二四衆一、或対二十方仏一、或対二舎利尊像大衆一、或対二一人一、若独自等、又向二十方尽虚空三宝、及尽衆生界等一、具向発露懴悔、懴悔有二三品一、上中下、上品懴悔者、身毛孔中血流、眼中血出者、名二上品懴悔一、中品懴悔者、遍身熱汗従毛孔出、眼中血流者、名中品懴悔、下品懴悔者、遍身徹熱、眼中涙出者、名二下品懴悔一、……若不レ如レ此、縦使日夜十二時急走、衆是無レ益、若二不レ作者一応レ知。[14]
- 〔追記:実に心に生ぜんと願ずることあるものにつきて勧む。あるいは四衆に対し、あるいは十方の仏に対し、あるいは舎利・尊像・大衆に対し、あるいは一人に対す。もしは独自等なり。また十方尽虚空の三宝および尽衆生界等に向かひ、つぶさに向かひて発露懺悔すべし。懺悔に三品あり。上・中・下なり。「上品の懺悔」とは、身の毛孔のなかより血流れ、眼のなかより血出づるものを上品の懺悔と名づく。 「中品の懺悔」とは、遍身に熱き汗毛孔より出で、眼のなかより血流るるものを中品の懺悔と名づく。 「下品の懺悔」とは、遍身徹りて熱く、眼のなかより涙出づるものを下品の懺悔と名づく。 ……もしかくのごとくせざれば、たとひ日夜十二時に急に走むとも、すべてこれ益なし。なさざるもののごとし。知るべし〕
ここに「若不レ如レ此、縦使日夜十二時急走、衆是無レ益、若二不レ作者一」といわれているが、これは明らかに前掲の至誠心釈下に雑毒虚仮の行を批判して「縦使苦二励身心一、日夜十二時急走急作、如レ炙二頭燃一者、衆名二雑毒之善一、欲下廻二此雑毒之行一、求中生彼仏浄土上者、此必不可也」といわれたものと一致している。善導においては、こうした懴悔をなしつつ、安心起行していくことが至誠心の相であったといえよう。のちに親鸞が「浄土真宗に帰すれども、真実の心はありがたし、虚仮不実のわが身にて、清浄の心もさらになし」等と悲歎述懐されたのも、善導の至誠心釈に感応されたものである[15]。 如来の真実に直面して、自身の虚仮不実を知らされたものにとって「真実」とは、自身に真実はないという懴悔することのほかになかったのである。
『礼讃』には、上掲の文につづいて、具体的な発露懴悔の相を説示されるが、そこには無始以来の十悪、破戒等無辺の罪障があげられ、「唯仏与仏、乃能知二我罪之多少一」といわれている。これはまさに次の深心釈における機の深信の内容であったとしなければならない。かくて善導においては、法蔵の如く真実心であらねばならぬという教説に呼応して、痛烈な懴悔の実修が行われ、その懴悔をとおして、「決定深信二自身現是罪悪生死凡夫、曠劫已来常没常流転無レ一有二出離之縁一」という機の深信が呼びおこされ、さらに機の深信と一具なる法の深信が成立していくのであった。
ところで法然は、この『散善義』の至誠心釈に対して、大きな問題意識をもっておられたと考えられる。それは後にのべる『三部経大意』の至誠心釈に「もしかの釈のごとく一切の菩薩とおなじく諸悪をすて、行住座臥に真実をもちゐるは悪人にあらず、煩悩をはなれたるものなるべし」[16] といい、疏の文相のままならば、煩悩具足の凡夫にはありえない至誠心になるのではないか、というのである。また「回向発願の釈は、水火の二河のたとひをひきて、愛欲、瞋恚つねにやき、つねにうるほして、止事なけれども、深信の白道たゆることなければむまるることをうといへり」[17] といって、二河譬との矛盾をとりあげておられるものなどがそれである。すなわち至誠心釈を疏文のままに理解するならば、煩悩悪性を止めなければ至誠心が具せられないことになり、煩悩具足の凡夫が、本願を信じ、念仏して報土に往生するという凡夫入報の法義が成立しなくなるではないかという問題である。法然やその門下の人々が善導の至誠心釈の文意の領解に苦心された所以である。
法然門下の学匠のなかで、至誠心(真実心)を如来のがわで語り、無漏真実の心とみるものと、あくまでも行者が発起すべき真実心とみるものとの二派が分れるが、それもこの疏文の領解をめぐる見解の相違であった[18]。 至誠心を阿弥陀仏の無漏清浄なる真実心とみたのは隆寛や親鸞等であり、衆生発起の心とみるのは弁長や良忠等であった。隆寛は『具三心義』に「所帰之願真実故、能帰之心名二真実心一、以二此義一故、立二至誠心一也」といい、『極楽浄土宗義』にも「是即指二弥陀本願一、名為二真実一、帰二真実願一之心故、随二所帰願一、以二能帰心一、為二真実心一」といい、至誠心の体を本願の真実と定め、所帰より能帰に名づけて、能帰の心も真実心と名づけられるといわれている[19]。
また親鸞は『教行証文類』「信文類」に、至心を釈して「斯心則是不可思議不可称不可説一乗大智願海回向利益他之真実心、是名二至心一」といい、成仏の因種となるような真実心は、煩悩具足の凡夫の上には法爾として存在せず、ただ如来より清浄真実なる智慧心を回向されてはじめて至心を具足するといわれている[20]。 また『尊号真像銘文』(広本)には「至心は真実とまふすなり。真実とまふすは、如来の御ちかひの真実なるを至心とまふすなり。煩悩具足の衆生は、もとより真実の心なし、清浄の心なし、濁悪邪見のゆへなり」といい、至心、すなわち至誠心は如来の誓願の真実なるをいい、それを「ふたごころなくふかく信じてうたがはざれば信楽とまふす也」というふうに至心を所信の法とされる場合もある[21]。いずれにしても親鸞は至心、真実心を如来の領分としてみていかれるのであって、真実心の体を無漏の仏智とされたことは明らかである。
これに対して弁長は『念仏三心要集』に「第一至誠心者、真実申事也。其真実心者、雑毒虚仮心無申也」といい、雑毒の毒とは名利心であり、憍慢心であるといわれている。すなわち雑毒虚仮の行とは憍慢念仏、利養念仏、貪欲念仏、誑惑念仏のことであるとし「此名聞利養、憍慢貪欲二心捨、只一筋此念仏 決定往生念仏也思取申 至誠心念仏也。真実心念仏者也。穴賢、穴賢、此念仏以世過身過不レ可レ思」といわれる[22]。そして虚実について四句分別をし、一 内虚外実、二 内実外虚、三 内外倶実、四 内外倶虚とし、二は往生人、三は決定往生人、一と四は非往生人であるといい、「善導所立浄土宗意、此四句中第三内外倶実人以本意」と決定されている[23]。要するに名利心を捨て、憍慢心を去り、貪欲をはなれて、臨終正念往生極楽のためにのみ念仏することを至誠真実心というのである。石井教道氏はこの場合の真実心は煩悩と雑起する真実心であるから、凡夫有漏の真実心であるといわれている。有漏ではあるけれども根本真如を体としているから、凡夫の弱い有漏真実も、仏の真実に相順する理があり、強力な本願力によって摂取されて往生をうるというのである[24]。 良忠は、『散善義記』一に「但菩薩真実強、聖心堅固故、行者真実弱、凡心羸劣故、強弱雖レ異、真実相順、謂仏願強故、摂二行者弱心一、以令レ生二浄土一也」といわれる[25]。 すなわち地上の菩薩は強い無漏真実心が発るが、凡夫の行者は弱い有漏の真実心しか起こせない。しかし真実相順の道理によって、強い仏願に摂取されていくというのである。
法然が「十二箇条問答」に、
- はじめに至誠心といふは、真実心也と釈するは、内外とゝのほれる心也。何事をするにも、ま事しき心なくては成ずる事なし。人なみなみの心をもちて穢土のいとはしからぬをいとふよしをし、浄土のねがはしからぬをねがふ気色をして、内外ととのほらぬをきらひて、ま事の心ざしをもて、穢土をもいとひ、浄土をもねがへとおしふる也。[26]
といわれたものは、弁長の考え方に親しい。但しこれを石井氏のように有漏の真実というべきかどうかは問題である。また後に詳述するように醍醐本『法然上人伝記』「三心料簡事」に、
- 由下阿弥陀仏因中真実心中作上行、悪不レ雑之善故云二真実一也、其義以レ何得レ知、次釈凡所二施為趣求一亦皆真実文、此以二真実一施者、施二何者一云、深心二種釈、第一罪悪生死凡夫云 施二此衆生一也、造悪之凡夫、即可レ由二此真実一之機也。[27]
といわれたものは、隆寛や親鸞の無漏真実心の領解に親しいといわねばならない。
法然の至誠心釈には、こうした両面があって、しかもそれらは決して矛盾するものではなかったといわねばならない。行者が発起する至誠心は、心相であり、如来の真実心は、至誠心の心体であったといえよう。さらに心相としての至誠心にも、後述するように安心門の所談と起行門にかけての釈があったと考えられる。もっとも心体と心相といっても後に親鸞が『教行証文類』で展開されるような本願力回向の信心論が教義的に確立されていて、両者が構造的に統一されていたわけではない。後に述べるようにそのような考え方は萠芽的にみとめられるに過ぎないのである。
二、内外相翻釈の意義
『選択集』「三心章」の私釈には、『散善義』の「不レ得下外現二賢善精進之相一、内懐中虚仮上」といわれた文意をつまびらかにするために、内外相飜の釈が施されている。
- 外者対レ内之辞也、謂外相与二内心一不レ調之意、即是外智内愚也。賢者対レ愚之辞也、謂外是賢、内即愚也。善者対レ悪之辞也、謂外是善、内即悪也。精進者対二懈怠一之辞也、謂外示二精進相一、内即懐二懈怠心一也。若夫飜レ外蓄レ内者、祇応レ備二出要一。内懐二虚仮一等者、内者対レ外之辞也、謂内心与二外相一不レ調之意、即是内虚外実也、虚者対レ実之辞也、謂内虚外実者也。仮者対レ真之辞也、謂内仮外真也。若夫飜レ内播レ外者、亦可レ足一出要二。[28]
- 〔追記:外は内に対する辞なり。いはく外相と内心と不調の意なり。すなはちこれ外は智、内は愚なり。賢といふは愚に対する言なり。いはく外はこれ賢、内はすなはち愚なり。善は悪に対する辞なり。いはく外はこれ善、内はすなはち悪なり。精進は懈怠に対する辞なり。いはく外には精進の相を示し、内にはすなはち懈怠の心を懐く。もしそれ外を翻じて内に蓄へば、まことに出要に備ふべし。「内に虚仮を懐く」と等とは、内は外に対する辞なり。いはく内心と外相と不調の意なり。すなはちこれ内は虚、外は実なり。虚は実に対する言なり。いはく内は虚、外は実なるものなり。仮は真に対する辞なり。いはく内は仮、外は真なり。もしそれ内を翻じて外に播さば、また出要に足りぬべし。 〕
といわれたものがそれである。すでにのべたように疏文の当分は、内外不調を不真実といい、内外相応して真実心でなければならないといわれているのである。それに対して法然は、外相が智、賢、善、精進、実、真であっても、内心が癡、愚、悪、懈怠、虚、仮であるならば至誠心ではない。しかし外を飜えして内に蓄え、内を飜えして外に播すならば、出離の要道となりうるといわれるのである。この内外虚実の相対について「往生大要抄」には次のように四句分別をされている。
- 「一には、ほかをかざりて、うちにはむなしき人。二には外をもかざらず、うちもむなしき人。三にはほかはむなしく見えて、うちはま事ある人。四にはほかにもまことをあらわし、うちにもまことある人」というのがそれである。そして「前の二人をば虚仮の行者といふべし、後の二人をば、ともに真実の行者といふべし。しかればたゞ外相の賢愚、善悪をばゑらばず、内心の邪正迷悟によるべき也」といわれている[29]。
この釈によれば、外相と内心が不調である場合に二種があって、内に虚仮心を抱いて、外に賢善精進を現ずるものを不真実とするのであって、内に真実があるならば、外相はたとえ愚悪懈怠の相であっても、出離に足る真実心であるとみなされていたことがわかる。これは、善導には見られない釈であって、外相よりも内心を問題とし、重視することによって、浄土教を内面化しようとされたからであると考えられる。
「往生大要抄」に「しかるを人つねにこの至誠心を熾盛心と心えて、勇猛強盛の心をおこすを至誠心と申すは、此釈の心にはたがふ也」といって、至誠心を、勇猛強盛なる熾盛心と誤解する人々のいたことを指摘し、誡められている[30]。 これについて井上光貞氏は『台記』の久安四年(一一四八)五月十四日の条などに出てくる、四天王寺念仏衆の出雲聖人の如きものを指しているのであろうといわれている[31]。 彼は勇猛念仏を修して多くの人々の信仰を得ていたが、『台記』の著者の頼長は、「其説非二正直一、足レ為レ怪」といい、外而の賢善ぶりに比して内心は非正直だと評しているのが好例であるといわれている[32]。もっとも勇猛なる至心念仏を強調したのは、永観の『往生拾因』であって、法然もあながちに勇猛心熾盛心を否定しているわけではない[33]。 「往生大要抄」には前文につづいて「さればとてその猛利の心をすべて至誠心をそむくと申にはあらず、それは至誠心のうゑの熾盛心にこそあれ、真実の至誠心を地にして熾盛なるはすぐれ、熾盛ならぬはおとるにてある也」といわれている。至誠心なき熾盛心は、名聞に堕するが、至誠心のうえの、つまり起行門としての熾盛心は評価されているのである。ともあれ法然は内に願生の信心をもたずに、名利のために後世者ぶるものを「ひじり名聞」と批判し、それを虚仮不実の心として厳しく誡められたのであった。[34]
もっとも外相はいかにもあれ、といったからとて、「人のそしりをもかへりみず、ほかをかざらねばとて、心のままにふるまふがよきと申すにてはなき也。菩薩の譏嫌戒とて、人のそしりになりぬべき事をば、なせそとこそいましめられたれ」といい、譏嫌戒をまもって、放逸をつつしみ、人のそしりを招かないようにはげむべきであると注意されている。
ところで『選択集』の内外相飜について石田充之氏は「飜レ外蓄レ内」とは、内外一致して賢善なる賢者のことであり、「飜レ内播レ外」というのは内外一致して愚悪なる虚仮者のこととみ、賢者は賢者のまま、愚者は愚者のまま「その現状のありのままの姿や心で、内外一致して至心に阿弥陀仏の本願の真実心に帰順する意味だといった理解を」示されたものであって、善導の至誠心釈に一大変革を与えられた釈であるとみられている[35]。 たしかに法然が「弥陀如来の本願の名号は、木こり、くさかり、なつみ、みづくみのたぐひごときものゝ、内外ともにかけて一文不通なるが、となふれば、かならずむまれなんと信じて、真実に欣楽して、つねに念仏申を最上の機とす。……浄土門の修行は、愚癡に返りて極楽にむまると」[36] といわれたものも「十悪の法然房が念仏して往生せんといひてゐたる也。又愚癡の法然房が念仏して往生せんといふ也」[37] といわれたものは、まさに内外ともに愚悪なままに本願に帰して念仏する至誠心のあったことが知られる。
しかしこのように内外一致して虚仮なるものに至誠心をみとめるということは、さきにあげた「往生大要抄」の四句分別の釈と矛盾するようにみえる。彼の第二句の内外倶虚のものは、至誠心なき虚仮の行者で、往生できないとされていたからである。しかし「大要抄」をしさいにみると、第一句の外実内虚の者は、願生の信なくして、名利ばかりの後世者をさしており、第二句の内外倶虚の者は、願生心なき世俗の人であり、第三句の外虚内実の人は、願生の信をもつ愚者であり、第四句の内外倶実の人は、信をもつ賢者をあらわしていた。従って第三句の外愚内実の人と、内外倶虚の願生者とは、結局同致するとみるべきであろう。もっとも親鸞が『愚禿鈔』において
「聞二賢者信一、顕二愚禿心一、賢者信、内賢外愚也、愚禿心、内愚外賢也」[38] といって自身を慚愧されたものは、法然のそれを更に展開されたものである。
三、至誠心と生活規範
さて「往生大要抄」の三心釈によれば、
わたくしに料簡するに、至誠心といは真実の心なり。その真実といは、内外相応の心なり。身にふるまひ、口にいひ、意におもはん事、みな人めをかざる事なくま事をあらはす也。しかるを人つねにこの至誠心を熾盛心と心えて、勇猛強盛の心をおこすを至誠心と申すは、此釈の心にはたがふ也……又至誠心は、深心と回向発願心とを体とす。この二をはなれては、なにによりてか至誠心をあらはすべき、ひろくほかをたずぬべきにあらず。深心も回向発願心もまことなるを至誠心とはなづくる也。[39]
といわれている。これによれば内に深心と回願心をもち、それにふさわしい三業行をあらわしていることを内外相応の至誠心とされていたことがわかる。同様の釈が「十八条法語」にも出ている。すなわち、
- 又云真実心といふは、行者願往生の心なり。矯飾なく表裏なき相応の心也。雑毒虚仮等は名聞利養の心也。大品経云、捨二利養名聞一、大論述二此文一之下云、当三業捨二雑毒一者、一声一念猶具レ之、无二実心之相一也。飜レ内矯レ外者、仮令外相不法、内心真実、願二往生一者、可レ遂一往生二也云云。[40]
というものがそれである。この場合も至誠心とは願往生の心があって、矯飾なく表裏相応している状態をいうわけである。その反対に雑毒虚仮とは、名聞利養の心をいうのであって、『大論』にもこれを雑毒、無実心とされているからである。それは内を飜して外を
ここでは名利心を雑毒虚仮といい、往生の障りになるようにいわれているが、法然には名利心は往生の障りにならないといわれる場合もある。「十二箇条問答」に「衆生の心はつねに名利にそみてにごれる事、かの水のごとくなれども、念仏の摩尼珠を投ぐれば、心のみづおのづからきよくなりて、往生をうる事は念仏の力也」といい、念仏の功力によって、名利の濁心も浄化されるから、名利はあれども、往生の障りにはならないとされている[41]。 それでは名利心があるから往生できないといわれたのは何故であろうか。これについて「御消息」第三には、
- われも人も、いふばかりなきゆめの世を執する心のふかゝりしなごりにて、ほどほどにつけて名聞利養をわづかにふりすてたるばかりを、ありがたくいみじき事にして、やがてそれを返りて又名聞にしなして、……つゆの事も人のそしりにならん事あらじといとなむ心よりほかにおもひさす事もなきやうなる心ちのみして、仏のちかひをたのみ、往生をねがはんなんどいふ事をばおもひいれず、沙汰もせぬ事の、やがて至誠心かけて往生もえせぬ心ばヘにて候也。[42]
といわれている。後世を願う心をおこして、世をいとい、名利をすてたはずの後世者が、かえって、後世者であることをほこるとき、名利をすてたことが名利となり、人目ばかりを飾るようになり、本願をたのみ、往生をねがう願生の信心が欠ける。それを「至誠心かけて往生もえせぬ」というのである。このように信なくして後世者ぶるものを、名利に狂うて至誠心のかけた虚仮の行者というのである。しかしそのことの浅ましさを慚愧し、回心して本願をたのみ、一向に念仏するならば、飜レ内播レ外した至誠心の行者として、名利の煩悩をもったまま障りなく往生せしめられるのである。
そうなれば至誠心の有無は、名利心の有無よりも、本質的には信心(深心)の有無にかかっていることがわかる。
信あるものは、たとえ名利心をもち、貪瞋煩悩をもっていても至誠心のあるものであり、信なきものは、たとえ頭燃をはらうが如く三業をつとめていても至誠心なき虚仮の行者といわれるのである。かくて至誠心は深心におさまるといわねばならない。
『三部経大意』に至誠心を釈して「その解行といふは、罪悪生死の凡夫、弥陀の本願に依りて十声一声決定してむまると真実にさとりて行ずるこれなり。ほかには本願を信ずる相を現じて、うちには疑心をいだく、これは不真実のさとりなり」といわれた所以である[43]。 また「東大寺十問答」に行具の三心を明かして「一向に帰すれば至誠心也、疑心なきは深心也、往生せんとおもふは回向心也」といい[44]、深心の行者の一向専修の相を内外相応の至誠心とみなされていたことは、法然の至誠心観を端的にあらわしているというべきである。
しかし又一面法然の至誠心釈には、貪瞋煩悩をいましめるものもある。「七箇条の起請文」に「たゞ真実心を至誠心と善導はおほせられたる也。真実といふは、もろくの虚仮の心のなきをいふ也。虚仮といふは、貪瞋等の煩悩をおこして正念をうしなふを虚仮心と釈する也」といい[45]、貪瞋煩悩を虚仮心の体とされている。これは疏文の「貪瞋邪偽……」といわれたものをそのまま依用された釈であるが、それでは貪瞋煩悩を具足した凡夫には虚仮心ばかりで至誠心はありえないではないかという問題がでてくる。しかし法然は貪欲に喜足小欲の貪と、不喜足大欲の貪があって、「いま浄土宗に制するところは不喜足大欲の貪煩悩也、まづ行者かやうの道理を心えて念仏すべき也。これが真実の念仏にてある也。喜足小欲の貪はくるしからず」といわれている。瞋恚にも敬上慈下の心を破らぬ程度のものならば往生の障りにならない。愚癡も厭欣心があり、往生を大事におもい、家業を事とせぬ程度ならば「少々の癡は往生のさわりにはならず、これほどに心えつれば、貪瞋等の虚仮の心はうせて真実心はやすくおこる也。これを浄土の菩提心といふなり」といわれている。こうして煩悩に浅深強弱を分別し、喜足小欲にして、敬上慈下の心があり、往生を一大事と心得て、「生死の報をかろしめ、念仏の一行をはげむがゆへに、真実心とはいふ」というのである。
この「七箇条の起請文」の三心釈の最後につぎのようにいわれている。貪瞋癡は悪趣に行くべき妄心であるから、できるかぎりとどめようと心がけねばならない。しかし、
- いまだ煩悩具足のわれらなれば、かくは心えたれども、つねに煩悩はおこる也。おこれども、煩悩をば心のまら人とし、念仏をば心のあるじとしつれば、あながちに往生をばさえぬ也。煩悩を心のあるじとして、念仏を心のまら人とする事は雑毒虚仮の善にて往生にはきらはるゝ也。詮ずるところ、前念後念のあひだには煩悩をまじふといふとも、かまえて南無阿弥陀仏の六字のなかに、貪等の煩悩をおこすまじき也。[46]
といわれている。煩悩を主とし、念仏を客として生きるとは、世俗的な欲望をみたすための手段として念仏を使っていくような生活態度に通じていく。逆に念仏を主とし、煩悩を客として生きるとは、如来を心の中心にすえ、念仏をとおして、たえずわが身の煩悩性を浅ましきことと慚愧しつつ生きることを意味していたと考えられる。「諸人伝説の詞」に「現世をすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし、念仏のさまたげになりぬべくば、なになりとも、よろづをいとひすてゝ、これをとゞむべし。……衣食住の三は念仏の助業也……もし念仏の助業とおもはずして身を貪求するは、三悪道の業となる」といわれたのもそのこころであって[47]、 念仏を中心とした専修念仏者の生き方の基本姿勢を示されているのである。喜足小欲、敬上慈下、浄土の菩提心というのも、念仏を主とし煩悩を客として生きる念仏者の生活規範を示されたものといえよう。こうして法然の至誠心釈は、深心を内にもって、賢者は賢者のまま、愚者は愚者のまま虚飾をはなれて念仏するという内外相応のありかたを顕わす安心門の釈から、念仏を主とし、煩悩を客として生活する生活規範を示すといった起行門の立場にかけて、幅広い解釈が施されていたことがわかる。ことに起行門における至誠心釈は、浄土教の倫理観の基盤となるものであるが、それについては後に詳述することにしよう。
四、『三部経大意』の至誠心釈
昭和八年、神奈川県の金沢文庫に襲蔵されてきた『浄土三都経大意』一巻が公表され、つづいて三重県の真宗高田派本山専修寺に秘蔵されていた『三部経大意』一巻が公表された[48]。
この両書は、殆ど同じ内容のものであるが、金沢文庫は、その奥書によれば「建長六年甲
一方専修寺本の奥書には「正嘉二歳戊午八月十八日書写之」とあるから正嘉二年(一二五八)金沢文庫本より四年後に書写されたものであることがわかる[53]。 古くは親鸞筆と伝えられていたが、表紙には「釈慶信」とあり、内容の筆蹟と一致する。生桑完明氏によれば、親鸞の真蹟でもなく、また「慶信上書」を書いた慶信の筆蹟ともちがうので、慶信書写本を伝写したか、同名異人の慶信の書写かと見られている。[54]
両書は、内容的には一致しているが、差異もあって、山上氏は①綴文上の左右、②文字の差降、③文句の出没、④伝持上の特徴の四項目にわたって両書を詳細に比較検討を行った上で「写伝の特質、系統が大体に於て一致するものと心得て支障が無いであろう」といわれている。[55]
ところでこの両書と『和語灯録』巻一所収の「三部経釈」とを対照すると、『観経』の至誠心釈の文に大きな相違が見られる。便宜上三本の至誠心釈の部分を比較対照してみると、次表の如くである。
専修寺本によれば、先ず至誠心釈の疏文をあげ、真実心中になすべき「解行トイフハ、罪悪生死ノ凡夫、弥陀ノ本願ニ依テ十声一声決定シテムマルト真実ニサトリテ行スルコレナリ。ホカニハ本願ヲ信スル相ヲ現シテ、ウチニハ疑心ヲイタク、コレハ不真実ノサトリナリ」といい、外に本願を信ずる相をあらわして、内に疑心をいだくことを、「外現賢善精進之相、内懐虚仮」というと釈される。これは『和語灯録』所収の「三部経釈」も同じであるが、金沢文庫本はこの一節百二十六字を欠いている。但し後に同文が出ているから、筆写者が故意に省略したとは考えられない。
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『三部経大意』は、つづいて疏の「貪瞋邪偽奸詐百端」以下、自利真実、利他真実を明かす文を引き、最後に「コノナカオホクノ釈アリ、スコフルワレラカ分ニコエタリ」といわれるが、これ以下は『和語灯録』本には見られない。「内懐虚仮」を、貪瞋煩悩のこととすれば、真実とは煩悩が超剋された状態でなければならない。ところで疏文では、行者に真実心が要求されるのは、浄土が法蔵菩薩の真実なる三業行によって成就された無漏真実の境界だからであるといわれている。それと対応すれば、行者に要求される真実は、一切の菩薩とおなじく真実心をもって廃悪修善することであるといわねばならない。それゆえ法然は「スコフルワレラカ分ニコエタリ」といわざるを得なかったのであろう。
こうして法然は、善導の至誠心釈のなかに、われらの分にかなった至誠心と、われらの分をこえた至誠心があるとみられたのである。そのことを明確にするために至誠心について、定善、散善、弘願の三門をたて。総と別、自力と他力の至誠心があると釈顕されるのである。
- タヾシコノ至誠心ハヒロク定善、散善、弘願ノ三門ニワタリ釈セリ。コレニツキテ摠別ノ義アルヘシ。摠トイフハ、自力ヲモテ定散等ヲ修シテ往生ヲ子カフ至誠心ナリ、別トイフハ他力ニ乗シテ往生ヲネカフ至誠心ナリ。ソノユヘハ疏ノ玄義分ノ序題ノ下ニイハク、定ハスナハチオモヒヲトヽメテコヽロヲコラシ、散ハスナワチ悪ヲトヽメテ善ヲ修ス、コノ二善ヲメクラシテ往生ヲモトムルナリ。弘願トイフハ大経ニトクカコトシ、一切善悪ノ凡夫ムマルヽコトヲウルハ、ミナ阿弥陀仏ノ大願業力ニ乗シテ増上縁トセストイフコトナシトイヘリ。自力ヲメクラシテ他力ニ乗スルコトアキラカナルモノカ。シカレハ、ハシメニ一切衆生ノ身口意業ニ修スルトコロノ解行、カナラス真実心ノ中ニナスヘシ、外に賢善精進の相を現スルコトヲエサレ、ウチニ虚仮をイタケハナリ、ソノ解行トイフハ罪悪生死ノ凡夫、弥陀ノ本願ニ乗シテ十声一声決定シテムマルヘシト真実心ニ信スヘシトナリ。外ニハ本願ヲ信スル相ヲ現シテ内ニハ疑心ヲ懐、コレハ不真実ノ心ナリ。
- 次ニ貪瞋邪偽奸詐百端ニシテ悪性ヤメガタシ、事蛇蝎ニオナシ、三業ヲオコストイヘトモナツケテ雑毒ノ善トス、マタ虚仮ノ行トナツク、真実ノ善トナツケストイフナリ。自他ノ諸悪ヲステ、三界六道毀厭シテミナ専真実ナルヘシ、カルカユヘニ至誠心トナツクトイフ、コレラハコレ摠ノ義ナリ(専修寺本)
これによれば、元来『観経』の三心は、定善、散善、弘願の三門に通ずるものであったから、疏の至誠心釈もまた三門に通じてなされており、定善と散善を総とし、弘願を別とし、前者は自力、後者は他力の法門をあらわしているというのである。このように分別するのは『玄義分』序題門の要弘二門の釈に依る[56]。 すなわち善導は『観経』所説の定散二門を要門とし、『大経』所説の願力増上縁の法門を弘願とよんでいる。定善とは息慮凝心であり、散善とは廃悪修善をいうが、この二善を回向して願生するのだから自力の法門である。それに対して弘願とは、自力の心をひるがえして、善悪の凡夫が、ひとしく阿弥陀仏の大願業力に乗じて往生をうる他力の法門である。それは具体的にいえば『大経』所説の第十八願の念仏往生の法門をさしていた。
かくて弘願他力の別の至誠心を明かしたものは、疏文の初から「内懐虚仮」までの文で、罪悪生死の凡夫が、十声一声の念仏によって決定往生すと、真実に信ずることをいい、外信内疑を不真実虚仮とするというのである。
これに対して定散自力の総の至誠心とは、「貪瞋邪偽奸詐百端」以下の疏文に示されたように、菩薩の如く廃悪修善して自利々他の真実心を成就しようとすることである。しかし初果の聖者ですら倶生起の煩悩をもっているのだから、まして凡夫が「自力ニテ諸行ヲ修シテ至誠心ヲ具セムトスルモノハモハラカタシ、千カ中ニ一人モナシトイヘルコレナリ」といい、定散自力の至誠心を所廃とみなされている。
このように善導の至誠心釈に自力の至誠心と他力の至誠心が明されているとみねばならない理由は、もし文相の如く貪瞋煩悩をなくしなければ成就しないような至誠心ならば、次下に釈顕される深心釈下の機の深信や、二河譬に「愛欲瞋恚ツネニヤキツネニウルホシテ止事ナケレトモ深信ノ白道タユルコトナケレハムマルヽコトヲウ」といわれたものと矛盾することになるからである[57]。 又善導の『礼讃』の四修釈のなかの無間修の釈相を注意してみると余行をもってへだてない無間修と、貪瞋煩悩をもってきたしへだてない無間修とが釈出されているが、後の二行の得失の釈から反顕すると、余行をまじえない無間修は念仏についていったものであり、貪瞋等の煩悩をきらう無間修は自力の余行についていったものである。それと同じように「貪瞋等ヲキラフ至誠心ハ余行ニアリ」といわねばならない。そこからみると至誠心釈にも、自力余行に約する釈と、他力念仏に約する釈とがあったとせねばならぬといわれるのである。
かくて弘願他力の至誠心とは、外信内疑の虚仮をひるがえして、無有出縁の凡夫が、貪瞋煩悩のままで内外一致して本願を深信して念仏する深信白道の心をいうとしなければならない[58]。 ここに法然が深心中心の三心観をもっておられたことが看取できるのであって『三部経大意』の三心釈のはじめに総釈して「三心ハマチマチニワカレタリトイヘトモ、要ヲトリ詮ヲエラヒテコレヲイヘハ深心ヒトツニオサマレリ」といわれる所以である。そしてこうした至誠心釈は親鸞に継承され更に詳細に展開されていくのであって、その弘願他力の至誠心釈は「信文類」に、定散自力の至誠心は「化身土文類」にそれぞれ引釈されていく。[59]
ところがこうした定善、散善、弘願の三門の分別や、定散を自力、弘願を他力とみることについて鎮西派の良忠等は否定的な見解をもっていた。すなわち良忠の『浄土宗要集』一には「要門者定散二善即往生之行因也。故文云二回斯二行一、弘願者弥陀本願 即往生之勝縁也。故文 云二増上縁一、是則因縁和合得二往生果一也」[60] といい、要門と弘願を行因と勝縁、すなわち因縁の関係にあり、二門相依って往生を遂げるとされている。また『浄土宗行者用意問答』には「近代ノ末学 浄土ノ行ニ自力他力ト云コトヲ立テ、或ハ定散二善ヲ自力トシ念仏ヲ他力トストイヘリ 故上人ハ仰セラレサリシ義ナリ」[61] といって、定散二善を自力とし、念仏を他力とみる如き義を否定している。
しかし法然の法語には、定散二善の要門と弘願とを各別の法門とみなしておられる文が少なくない。「十八条法語」に、
- 又云玄義に云く、釈迦の要門は定散二善なり、定者息慮凝心なり。散者廃悪修善なりと、弘願者如大経説、一切善悪凡夫得生といへり。予ごときは、さきの要門にたゑず、よてひとへに弘願を憑也と云り。[62]
といわれたものは明らかに要弘二門を難易をもって廃立されている。又「一期物語」に「或人問云、常存二廃悪修善旨一念仏与、常思二本願旨一念仏 何勝哉。答、廃悪修善是雖二諸仏通戒一、当世我等、悉違背、若不レ乗一別意弘願二者、難三出二生死一者歟云云」といって、廃悪修善(散善)を通戒とし、それを廃して別意弘願を自己の道と選定されたのも同意である[63]。 又定散を総とし、弘願を別というのは「法然聖人御説法事」に「はじめには定散の二善を説いて総じて一切の諸機にあたえ、次には念仏の一行を選びて、別して未来の群生に流通せり」といわれたものと同じである[64]。 さらに三心について総別を分けられるのは『選択集』「三心章」の私釈において「此三心者、総而言レ之 通二諸行法一、別而言レ之 在二往生行一」[65] といわれているが、この総通諸行とは定散にわたる要門の三心、別在往生行とは五正行を全うじた弘願念仏の三心をさしており、『三部経大意』の至誠心釈の総別義と同じであるとせねばならない。すなわち定散弘願の三門、総別、自力他力の釈義は、法然の釈として必ずしも異例のものではなかったのである。山上正尊氏は、『和語灯録』所収の「三部経釈」の至誠心釈において、定散弘願の三門、総別、自力他力の釈文が欠けていることについて「その伝者の感情に任せて嫌厭する所を削除したものだと云い得るであろう」といわれている[66]。 けだし良忠の弟子で、忠実な鎮西義の伝承者でもあった了恵は、「三部経釈」を収録するにあたって良忠の義に従ってこの部分を削除したと推察することもできよう。
五、「三心料簡事」の至誠心釈
『三部経大意』の至誠心釈と深く関連するとみられる至誠心釈が、醍醐本『法然上人伝記』所収の「三心料簡事」にも認められる。[67]
- 付二疏第四一仰云、先浄土悪雑善永以不レ可レ生知、是以玄義分、定即息レ慮以疑レ(凝)心、散即廃レ悪 以修レ善、廻二此二行一求一願往生二文。又散善義云、上輩上行上根人、求レ生二浄土一 断二貪瞋一文。然則今此至誠心、世所レ嫌之虚仮行者、余善諸行也。三業精進雖レ勤、内貪瞋邪偽等血毒雑故、名二雑毒之善一、名二雑毒之行一、云二往生不可一也。是以礼讃専雑二行得失中、雑修失云、貪瞋諸見煩悩来間断、故廻二此等雑行一、直欲レ生二報仏浄土一者、尤不可嫌道理也。然以二身口二業一為レ外、以二意業一一為レ内者僻事也。既云二雖起三業一、豈除二意業一乎。又虚仮者誑惑者云事僻事、既云二苦励身心一、又云二日夜十二時急走急作如炙頭
然 者一文、云何仮名之行人如レ此哉。正是雑行者也。次所二選取一之真実者、本願功徳、即正行念仏也。是以玄義分云、言二弘願一者 如二大経説一、一切善悪凡夫得レ生者、莫レ不下皆乗二阿弥陀仏大願業力一、為中増上縁上也云云。是以今文正由下彼阿弥陀仏因中行二菩薩行一時、乃至一念一刹那三業所レ修、皆是真実心中作上云云。由下阿弥陀仏因中真実心中作上行 悪不レ雑之善故 云二真実一也。其義以レ何 得レ知、次釈凡所二施為趣求一亦皆真実文、此以二真実一施者、施二何者一云、深心二種釈第一罪悪生死凡夫云施二此衆生一也。造悪之凡夫、即可レ由二此真実一之機也。云何得レ知、第二釈阿弥陀仏四十八願、摂二受衆生一等云々。如レ此可レ得レ心也云々。[68]
これによれば、浄土へは悪の雑わる善を以て往生することはできないが、そのような行とは雑行をさしている。すなわち善導は、息慮凝心の定善、廃悪修善の散善は、貪瞋煩悩を断じて往生しようとするものであるといわれているが、この至誠心釈において虚仮の行といわれたのは、正しくこのような定散という要門の余善諸行をさしている。それは廃悪修善しようとして三業に精進するけれども、現実には内に貪瞋邪偽等の煩悩の血毒が雑わっているからである。それゆえ雑毒の行善とよばれ、報仏の浄土へ生まれることのできない雑行であるといわれるのである。尚疏の虚仮の行者を、誑惑の者とみるのは不当である。なぜならば、すでに身心を苦励し日夜精進している者であるから決して誑惑者といった仮名の行人ではなく、定散自力の行をはげむ雑行者をさしていたとせねばならない。また疏の「外現賢善精進、内懐虚仮」といわれた内外と、「雖起三業名為雑毒之善亦名虚仮之行」といわれた三業との関係は、三業全体を外とし、内に煩悩悪性を懐いていることを内といわれたとせねばならない。身口二業を外とし、意業を内としたものではない。すなわち雑行は如何に三業を苦励しても、内に煩悩悪性を懐いているから雑毒虚仮の行善といわれるのである。
このような雑行が如来によって選捨されたものであるのに対して、選取せられた真実とは、本願の功徳、すなわち正行たる念仏である。それは『玄義分』のいわゆる弘願にあたる。それは至誠心釈に「阿弥陀仏が因中に真実心の中に作すに由るべし」といわれたものにあたる。すなわち阿弥陀仏因中の真実心中の作に由る行こそ、悪の雑わらない善であるから真実というのである。そのことは「凡所施為趣求亦皆真実」といわれたものによって知ることができる。施とは、何者に施すのかといえば、次下の深心の第一釈(機の深信)における罪悪生死の凡夫に施すのである。すなわち造悪の凡夫が、この如来より施与せられた真実に由るべき機であることがわかる。それをさらに明確に示しているのが第二釈(法の深信)の「阿弥陀仏四十八願摂受衆生」等といわれたものであるというのである。
この「三心料簡事」によれば、至誠心釈の雑毒虚仮の行とは、三業を苦励しながらも、内には煩悩悪性を懐いている雑行をさし、それを誡めたのが「不得外現賢善精進之相、内懐虚仮」の文であるということになる。従ってこの文は親鸞が読まれたように「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐けばなり」と読まねばならないことになる。要するにこれは雑行を誡めた文になるのである[69]。 また念仏が悪の雑わらぬ真実であるのは、阿弥陀仏の真実心に由って行ずるものだからである。如来の真実心に由来する行であるということは、如来より施された行であるという意味をあらわしている。それを示しているのが「所施為趣求」という語であるといわれているから、この文は一般に読まれるような「施為(利他)趣求(自利)するところ」と単に如来の自利々他をあらわすものではなく「施為せられて趣求する」とよむべきである。すなわち如来から真実なる行を施されて、その行を以て浄土を趣求するという意味になる。親鸞が「凡そ施したまふところ趣求をなす」とよまれたのも、その意をあらわそうとされたものであろう。[70]
前述の『三部経大意』において、「不得外現賢善精進之相、内懐虚仮」の文を、専修寺本は、親鸞と同じく「外ニ賢善精進ノ相ヲ現スルコトヲエサレウチニ虚仮ヲイタケハナリ」と読んでいたが、金沢文庫本は、法然の他の書と同じように「外ニ賢善精進ノ相ヲ現シテ内ニ虚仮ヲ懐ク事ヲエサレ」と読んでいた。ところが「凡所施為趣求亦皆真実」の文を、専修寺本が「オホヨソ施為趣求スルトコロマタミナ真実ナルニヨル」と一般的な読み方をなされているのに対して、金沢文庫本は「凡所施趣キ求ルカ為ニ亦皆真実ナリ」となっている。これは「およそ施すところ(施され?)趣き求むるが為に亦皆真実なり」というのだから、むしろ「三心料簡事」や親鸞の読み方に近いといわねばならない。石田充之氏は、『三部経大意』や「三心料簡事」の至誠心釈の釈相によれば「仏の真実心中作の行を廻施せられ修する念仏行なる故にこそ、凡夫の修する念仏行をも、至誠真実心を以て修する真実の行業と云い得るのだ……そこには他力回向の思想の一端をさえ見出さしめ、極めて他力と云うことを強調せられているように推考せられる」といわれている。[71]
このような法然の至誠心観は、単にこれらの書にかぎらず、たとえば「念仏大意」の至誠心釈にも、
- たゞしこの三心の中に、至誠心をやうようにこゝろえて、ことにまことをいたすことを、かたく申しなすともがらも侍にや。しからば弥陀の本願の本意にもたがひて、信心はかけぬるにてあるべきなり。いかに信力をいたすといふとも、かかる造悪の凡夫のみの信力にて、ねがひを成就せむほどの信力は、いかでか侍べき。ただ一向に往生を決定せむずればこそ、本願の不思議にては侍べけれ。さやうに信力もふかく、よからむ人のためには、かゝるあながちに不思議の本願おこしたまふべきにあらず、この道理おば存じながら、まことしく専修念仏の一行にいる人いみじくありがたきなり。[72]
といわれているが、ここでも凡夫の信力を深め強めることを至誠心と考えることを否定されていて、明らかに自力の至誠心の否定が示されている。このようにみてくると、親鸞が『散善義』の至誠心釈に破天荒ともおもえるような訓読を施し、自力の至誠心と他力のそれとを分判されたのも、決して独断ではなく、むしろ法然の教示を伝承し展開されたとみるべきであろう。
ところで『三部経大意』や「三心料簡事」の至誠心釈について坪井俊映氏は「善導の至誠心釈に対するこのような理解は、法然上人の他の著書語録には全然見られないものである。また了恵の『和語灯録』(元亨版)に収められている「三部経釈」の至誠心釈にはこの文がない。……これが法然の考へなりや否やは今後の充分なる研究を要することであるから、いまにわかに結論を出すことができない」といい。「三心料簡事」に対しても「はたして法然上人の真説を伝えたものや否や疑いなきを得ないのである」といって、いずれも疑義を投げかけておられる[73]。「三心料簡事」の至誠心釈については、すでに望月信亨氏が「是れ頗る西山義の所立に類す……此の法語は異流の人の伝説にして、之を正統の宗義と認む可からざるが如きも……更に検考を要すべき所なりとす」[74] といい、浄土宗(鎮西派)の正統宗義ではなく、西山派に類する異端的な教説であるとされたものを坪井氏は承けられたのであろう。しかしすでに山上正尊氏は、「建長正嘉両本に存する至誠心釈下の定散弘願三門の説並に自力他力総別の義は『選択集三心章私釈』『登山状』『法然上人伝記一期物語』(三心料簡事)『念仏大意』等、諸種の資料に依って元祖教化の意懐なることを徴証」されている[75]。 また石田充之氏は醍醐本『法然上人伝記』は寛永三年(西紀一六二六年)に逝ける醍醐七十九世の座主義演の書写するところなるが記事の内容は歴史的価値あるもので、法然滅後三十年頃に成立せるものと推定される故重要視せられねばならぬ。……伝記の第三篇「三心料簡事」の下の二十七箇条の問答は『語灯録』に載せていないが、真宗教義研究者は是非参照すべきものである。蓋し『語灯録』編纂以前の成立である。」といい、又金沢文庫本及び専修寺本の『三部経大意』についても「孰れも了恵の『語灯録』編纂(文永一一年、西紀一二七四)以前、二十年、十五、六年前の写本であって、『観経疏』三心釈討究態度の如き、親鸞聖人が真仮を分って『疏』を取扱われる如き態度と一致すべきものがあるといった様な状態で『和漢語灯』至上主義の崩壊を覚ゆるものである」とまでいわれている[76]。 たしかに法然の思想信仰を知るうえでこれらの書物は重大な意味をもっているのである。
第三節 深心の意義
一、二種深心について
深心とは「深信之心」であると法然は規定されているが、言うまでもなく『散善義』の深心釈の冒頭の文に依られたのである。そこには、
- 二者深心、言二深心一者即是深信之心也、亦有二二種一、一者決定深信自身現是罪悪生死凡夫、曠劫已来常没常流転、無一レ有二出離之縁一。二者決定深信下彼阿弥陀仏四十八願摂二受衆生一、無レ疑無レ慮乗二彼願力一定得中往生上。 [77]
といわれている。
この「深く信ずる心」というときの「深」とは、「
- 詮じては、仏のちかひをたのみて、いかなるところをもきらはず、一定むかへ給ふぞと信じて、うたがふ心のなきを深心とは申候也[80]。
といわれたように「仏のちかひをたのむ」ことと「一定むかへ給ふぞと信ずる」ことと、「うたがふ心なき」ことは、いずれも深心、すなわち信心の義をあらわしているのである。あるいは又「ふた心なく念仏するを深心具足といふなり」[81]といい、「無二心」の意味とされたり、善導の二河譬の文によって「二尊の心に信順して水火二河をかへりみず」と「信順」の義とされる場合もある[82]。 さらにこの無疑信順のこころを「わたくしのはからひをまじえない」ことであるともいわれている[83]。 要するに深心とは、決定の信心のことであって、無疑、信順、無二心(一心)、はからいをはなれた心をいい「たのむ」という和語でいいあらわされるような心をいう[84]。
なお「往生大要抄」の深心釈によると、法然は、世間の人々の信心に対する誤解を指摘して次の如くいわれている。
- おほかたこの信心の様を、人の心えわかぬとおぼゆる也。心の ぞみぞみと身のけもいよだち、なみだもおつるをのみ信のおこると申すはひが事にてある也。それは歓喜、随喜、悲喜とぞ申べき、信といはうたがひに対する心にて、うたがひをのぞくを信とは申すべき也。みる事につけても、きく事につけても、その事一定 さぞとおもひとりつる事は、人いかに申せども、不定におもひなす事はなきぞかし、これをこそ物を信ずるとは申せ。[85]
すなわち信とは、見聞することについて、疑いをさしはさまず、さぞと決定的に思いとって、不定におもいなすことのない無疑決定心をいうのであって、歓喜、随喜、悲喜というような感情的な心情とは性格が異っていると注意されている。
こうして深心とは、はからいなく仏語に信順し、阿弥陀仏の本願をふたごころなくたのむ無疑決定の信心のことであった。その信心の相をくわしくのべたものが、善導の『散善義』の深心釈であった。初めに深く信ずる相を機法の二種に開いて示し、さらに法の深信について、『大経』、『観経』、『小経』の法門を信ずべきことを説き、三遺三随順を明かし、仏語を信じて不了義を信じてはならないことを誡め、さらに自心の建立を明かすといった六相を開き、親鸞のいわゆる七深信、六決定の広釈が施されている。[86]しかしそれは要するに第一の機の深信と、第二の『大経』によって乗彼願力を信ずる法の深信に結帰していくから、『礼讃』の深心釈は、この二種の深信のみをあげられたのである。
- 二者深心、即是真実信心。信知自身現是具足煩悩凡夫、善根薄少流転三界、不出火宅。今信知弥陀本弘誓願、及称名号下至十声一声、定得往生乃至一念無有疑心、故名深心。[87]
法然はこれを『選択集』「三心章」の私釈において「今建二立二種信心一、決二定九品往生一者也」といい、「二種信心」と名づけ、上々品から下々品に至るまで、すべての機は、この二種の信心によって往生を決定するのであるといわれている。[88]「三心章」では、この二種信心(二種深信)についての詳釈はないが、「往生大要抄」には次のように述べられている。
- わたくしに此二つの釈を見るに、文に広略あり、言ばに同異ありといへども、まづ二種の信心をたつる事は、そのおもむきこれひとつなり。すなはち二の信心といは、はじめにわが身は煩悩罪悪の凡夫也、火宅をいでず、出離の縁なしと信ぜよといひ、つぎには決定往生すべき身なりと信じて一念もうたがふべからず、人にもいひさまたげらるべからずなんどいへる、前後のことば相違して、心えがたきににたれども、心をとゞめてこれを案ずるに、はじめにはわが身のほどを信じ、のちにはほとけの願を信ずる也。たゞしのちの信心を決定せしめんがために、はじめの信心をばあぐる也。……所詮は深信といは、かのほとけの本願は、いかなる罪人をもすてず、たゞ名号をとなふる事一声までに、決定して往生すとふかくたのみて、すこしのうたがひもなきを申す也。[89]
すなわち第一深信は、自身は罪悪生死の凡夫であって、出離の縁なき身であると信ずることであり、第二深信は、かかる身が本願力に乗じて念仏往生せしめられると信ずることであって、前者を機の深信、あるいは信機、後者を法の深信、あるいは信法といいならわしている。なお「往生大要抄」には、法の深信についての疏釈を、所信に約して二種に分類し「二つの心あり、すなはちほとけについてふかく信じ、経についてふかく信ずべきむねを釈したまへるにやと心えらるゝなり」[90]といわれている。仏について信ずるというのは、一、弥陀の本願、二、釈迦の所説、三、諸仏の議勧をいい、経について信ずとは、一『無量寿経』、二『観経』、三『阿弥陀経』を疑いなく信受せよと明かされたものをいう。
ところで前掲の「往生大要抄」の文に「のちの信心を決定せしめんがために、はじめの信心をばあぐる也」とあることによって、二種深信は、二心が前後次第して起こるという説を立てる人がいる。[91] すなわち機の深信は、法の深信が成立するための前段階としての意味をもっているに過ぎないといい、究竟の深信とは法の深信、すなわち阿弥陀仏の本願に対する信だけであるとするのであって、江戸時代に出た能登の頓成の信機自力説、信機方便説はその典型である。
しかしここで「はじめ」「のち」といわれたのは、疏文の「一者」「二者」のことで、直前には「はじめに」「つぎに」といわれているように、説かれている順序を示したものであって、信心そのものが成立していく時間的、段階的前後をあらわしたものではない。また「のちの信心を決定せしめんがために……」といわれたものも、まず機の真実を知らしめ、次いで法の真実を知らしめるという説筆の次第をあらわしているのであって、信は機法の二実を如実に領解した一念に成立するのである。故に信機、信法の成就に時間的な前後はないとせねばならない。次下に示された文を見ればわかるように、二種深信の教語は我々をして断疑生信せしめていくありさまをあらわしている。
- もしはじめのわが身を信ずる様をあげずして、たゞちにのちのほとけのちかひばかりを信ずべきむねをいだしたらましかば、もろもろの往生をねがはん人……弥陀の本願に十声一声にいたるまで往生すといふ事は、おぼろげの人にてはあらじ、妄念をもおこさず、つみをもつくらぬ人の甚深のさとりをおこし、強盛の心をもちて申したる念仏にてぞあるらん。われらごときのえせものどもの一念十声にてはよもあらじとこそおぼえんもにくからぬ事也。これは善導和尚は、未来の衆生のこのうたがひをおこさん事をかへりみて、この二種の信心をあげて、われらがごとき煩悩をも断ぜず罪悪をもつくれる凡夫なりとも、ふかく弥陀の本願を信じて念仏すれば、十声一声にいたるまで決定して往生するむねをば釈し給へる也。かくだに釈し給はざらましかば、われらが往生は不定にぞおぼへまし。[92]
善導が信心の相を信機信法の二種に開いて教示されたから、われらは煩悩具足の凡夫のまま、十声一声の念仏によって願力に乗じて往生を得しめられると深信することができるのである。従って深信そのものは、この教示を聞き開くところに成就するのであって、信機と信法は時間的に前後起するのでも、段階的に実現していくのでもなく、いわゆる二種一具というあり方であったといわねばならない。「十二箇条問答」に「深心といふは、仏の本願を信ずる心也」といわれているから、法然にとって深心とは法の深信だけであって、機の深信は前段階的な意味しかなかったという人もいる。しかしこの文は「われは悪業煩悩の身なれども(信機)ほとけの願力にてかならず往生するなり(信法)といふ道理をきゝて、ふかく信じてつゆちりばかりもうたがはぬ心也」とつづく文章であって、「本願を信ずる」ことの内容として、信機信法の二種がそなわっていることは明らかである。[93] 法然には逆に機の深信だけで安心を表現される場合もある。「聖道門の修行は、智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚癡にかへりて極楽にむまる」[94]といわれたものや「浄土宗の人は愚者になりて往生す」[95]といわれたものがそれである。
これは『一枚起請文』に「念仏を信せん人は、たとひ一代の御のりをよくく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともからにおなしくして、智者のふるまひをせすして、たゝ一向に念仏すへし」[96]といわれたものと同意であることはいうまでもない。すなわちたとえ信法だけで語っても、信機を離しておらず、信機だけで信心を語っても、決して信法を離していないのである。
要するに二種深信(二種信心)とは、煩悩具足の凡夫を願力不思議をもって必ず救うとおおせられる釈迦、弥陀二尊の発遺、招喚に信順する一信心の二相であって、「二種の信心」といっても、信心の体が二つあるわけではない。機の深信とは、自身が現に生死出離の手がかりさえもない無有出縁の凡夫であることを信知したことであり、そこにおのずからわが身をたのみ、わが心の善悪、罪の軽重をはかって本願を疑うような自力心をはなれていく。法の深信とは、かかる身に念仏を選択し、教示し救いたまう阿弥陀仏の本願他力をたのむことである。「要義問答」に「念仏の行者は、みをば罪悪生死の凡夫とおもへば、自力をたのむ事のなくして、たゞ弥陀の願力にのりて往生せむとねがふ」[97]といわれた所以である。
後に存覚は『六要鈔』三に二種深信を釈して次のようにいわれている。
- 正明不論有善無善、不仮自功、出離偏在他力。聖道諸教、盛談生仏一如之理、今教依知自力無功、偏帰仏力、依之此信殊最要也。[98]
たしかに二種深信は、生仏一如の理を観念的にあげつらう聖道門、ことに天台本覚法門の如き、煩悩の現実を忘れて「我即仏」と語る理談に対して、痛むべき自身の罪障の現実をはっきりとみすえながら、そこに如来の大悲本願を仰いで念仏するという浄土教の特質を明確に顕わしていた。そして又信機によって自力がすたり、信法によって他力に乗托する捨自帰他の他力信心の信相をあざやかに示した妙釈だったのである。しかも罪悪深重の凡夫が救われることを知るがゆえに、下三品の機の悪も障りにならず、往生は偏えに如来の本願力によることを知るが故に、上六品の諸善も往生の助けにならぬことが明らかに知らしめられる。かくて善悪を超え、賢愚をへだてず九品の諸機を平等に救いたまうことを信知して、九品平等の信心を確立せしめていくのが二種深信の教説である。法然が「建立二種信心、決定九品往生」といわれた所以である。
二、信疑決判について
『散善義』の深心釈下に「又深心深信者、決定建立自心、順教修行、永除疑錯、不為一切別解別行異学異見異執之所退失傾動也」[99]といい、外邪異見の論難によって退失、傾動されることのない信心を確立すべきことを明かされている。[100] そして信心を建立する方法としてここには「順教修行」といわれているが、その順教、すなわち仏の教語に随順することによって信が確立することを善導は就人立信といい、修行、すなわち仏所説の行法を信ずることによって信が確立することを就行立信とよんで以下に広く釈顕されていく。
良忠の『散善義記』一によれば、就人立信の人について、①就二解行不同人一立二不退信一、②就二満足大悲人一立二決定往生信一、③就二罪悪生死人一立二往生機信一という三説をあげ、第一説は弁長の説でもあり、文に親しいといっている。[101] それに対して深励は「能説ノ人ニ付テ信心ヲ成立スルコト、今信ズル所ノ弥陀ノ本願ハ大聖釈尊ノ解説ニシテ其上ニ十方諸仏ノ証誠アリ、是ニハモフ間違ナイゾト信ジテオルノハ能説ノ人ニ付テ信ヲ立ル也」[102]といっているから、良忠の第二義を採っていることがわかる。また柔遠は「就人立信之人、即是満足大悲人、然四重破人、亦其一分」といって、能説の人たる釈迦(諸仏)を主とするが、四重の破人もその一分であるといっている。[103]今はしばらく深励の説によって就人の人は釈迦、諸仏と領解する。
就人立信釈下にあげられた四重の破人とは、①凡夫、②地前の菩薩と阿羅漢、辟支仏、③地上の菩薩、④化仏報仏をさす。もっとも現実に存在するのは凡夫の謗難であって、後の三は仮想の難であるが、たといそれらが現われて念仏往生を否認したとしても、信心を退失してはならないというのであって、浄土三部経によって、釈迦、諸仏の仏語に信順する信心の金剛堅固なることを顕示されているのである。法然や親鸞は、この文をしばしば法語や御消息のなかに引用し、さまざまな謗難にさらされていた専修念仏者の信心を守議し、指導していかれたのであった。[104]
次の就行立信とは、浄土三部経等に説かれているあらゆる往生行を、雑行と正行に分判し、さらに正行のなか、読誦、観察、礼拝、讃嘆供養の四行は非本願の行であるから助業とみなさるべきであり、第四の称名のみが仏願に順ずる正定業であると決択し、決定往生の行業として深信すべきものは称名一行であると勧められたものがそれである。
こうして煩悩具足の凡夫(信機)が、釈迦、諸仏の勧めに随順して(就人)、本願の念仏を専修すれば(就行)、仏願力に乗じて決定して往生を得ると信知する(信法)ことを深心、すなわち真実信心というのである。これによって信心とは、念仏往生と深信する心であり、念仏とは二種深信を実践している深信の行相であることがわかる。
「往生大要抄」に上来の二種深信の釈を結んで、
- たゞ心の善悪をもかへりみず、罪の軽重をもわきまへず、心に往生せんとおもひて、口に南無阿弥陀仏ととなえば、こゑについて決定往生のおもひをなすべし。その決定によりて、すなはち往生の業はさだまる也。[105]
といわれたものは、このような信行のありさまをあざやかに示されたものである。すなわち二種深信を成立せしめるような発遺、招喚の教説を聞いて、決定摂取の本願を領解すれば、「心に決定往生せん」という決定心が生ずる。その決定心をもって、正定業たる念仏を行ずれば、そこに響いている南無阿弥陀仏において決定往生の想いをなせといわれるのである。それは、一つには名号に表現されている決定摂取の仏願を聞いて、いよいよ決定往生のおもいを増上していくことであり[106]、二つには念仏するものを救うといわれた誓願に随順していることを、念仏している自身の上に確認し、往生すべき身であるという信を増上していくという意味があったと考えられる。[107]この決定の信心の成就が、すなわち往生の業因の成就なのである。
醍醐本『法然上人伝記』所収の「三心料簡事」のなかに「五決定を以て往生す」という法然の法語が収められている。五決定とは「一弥陀本願決定也、二釈迦所説決定也、三諸仏証誠決定也、四善導教釈決定也、五吾等信心決定也。以此義故往生決定也云云」といわれたものがそれである。[108] 第一の本願決定とは、正定業たる念仏を選択して、決定摂取を誓われたことをいうのだから就行立信にあたり、釈迦、諸仏、善導教釈決定は就人立信にあたる。
すなわち所説所讃と能説能讃を開いたもので、全うじて所信の法の決定をあらわしている。第五の信心決定は、それを領解した機受の信で、二種深信のことである。要するに能説の人も所説の法も決定的であるから、それを信受した能信も決定的であり、必然的に往生は決定であるといわれるのである。前述のように「往生大要抄」に「その決定の心によりてすなはち往生の業はさだまるなり」といわれた所以である。
正定の業因として如来が選択し成就された本願の名号を、はからいなく信受して称えていくとき、名号は正しく自身往生の業因として主体化されていく。逆にいえば、たとえ念仏という万人の救われる正定業が成就されていても、疑惑し領受しないならば、自身の往生の業因とはならないのである。選択本願念仏という、万人を平等に救う普遍の行法は、すでに成就されているが、私という個人の救いが成就するか否かは、選択本願を信ずるか疑うかによって決定する。『選択集』「三心章」に信と疑をもって、生死と涅槃の得失を決定されたのはその故である。すなわち曰く、
- 当知生死之家、以疑為所止、涅槃之城、以信為能入、故今建立二種信心、決定九品往生者也。[109]
信心が菩提涅槃の因であるということは、すでに『涅槃経』[110]に説かれ、源信は『往生要集』「第五助念方法」の修行相貌釈下に『礼讃』の三心釈とならんで引用されていた。[111] ところで信疑決判は先哲もすでにそろって指摘されているように『大経』の胎化段の信疑得失の教誡から重要な示唆を受けられたことは充分考えられる。[112]もっとも胎化段は、往生人の胎生と化生という果相について、それをあらしめた因の疑惑仏智と、明信仏智とを明確に的示して、真仮廃立を行われたものである。それに対して今は生死輪廻と、涅槃とを相対して、迷いと悟りの分れ目は、本願を疑うか信ずるかによって決定すると、信疑をもって、迷悟の決判を行われるわけであるから、胎化得失とはいささか所顕が異っている。むしろ信と疑をわって、生死と涅槃とを分判する例は、善導の三心釈等にあったとすべきであろう。『散善義』の三心釈のはじめに「弁定三心以為正因」と標し、深心釈において就人就行の立信を明かして疑慮を誡め、信順を勧め、四重の破人をあげて金剛不壊の信心を説き、回願心釈に金剛の如き決定深信をあげ、異学異見に惑わされて進退心(疑心)を生じて回顧すれば道より落ちて往生の大益を失うと信疑を対望されたものなど、いずれも信疑をもって迷悟を分けるものである。また『法事讃』下に「衆生邪見甚難信、専々指授帰西路、為他破壊還如故、曠劫已来常如此」という如きは、疑いによって生死に止まる相を明らかにされている。[113]
本願を信じ念仏すれば、善悪を簡ばず往生するという選択本願念仏の法門がすでに成就しているのであるから、本願を信ずるものは必定して涅槃に入る。それゆえ「涅槃之城、以信為能入」といわれたのである。信心が正しく涅槃に至る因となるからである。しかし本願を信じない、疑惑の行者は生死界にとどまらねばならない。もちろん生死界にあって六道を輪廻する親因縁は、各自の善悪業であることはいうまでもないが、生死界を超脱できないのは、本願を疑惑するからである。それを「生死之家、以疑為所止」といわれたのである。親鸞は『尊号真像銘文』にこの文を釈して、
- 当知生死之家といふは、当知はまさにしるべしと也。生死之家は生死のいゑといふ也。以疑為所止といふは、大願業力の不思議をうたがふこころをもて六道四生二十五有十二類生にとゞまると也。いまにひさしく世にまよふとしるべしと也。涅槃之城とまふすは安養浄刹をいふ也。これを涅槃のみやことはまふすなり。以信為能入といふは、真実信心をえたる人の如来の本願の実報土によくいるとしるべしとのたまへるみことなり。信心は菩提のたねなり。无上涅槃をさとるたねなりとしるべしとなり。[114]
といわれている。親鸞が「涅槃真因、唯以信心」といい、信心をもって「証大涅槃之真因」といわれた、いわゆる信心正因説は、まさしく法然のこの信疑決判をうけて展開されたものといえよう。[115]
ともあれ信と疑をもって、迷悟を分判するということは、従来の仏教の迷悟の因果論を超越した、新しい仏道領解の枠組みを提供されているとしなければならない。生死の苦果は、無明煩悩に縁って起こっている。それゆえ、生死の苦を滅して、涅槃の果をうるためには、八正道(あるいは六波羅蜜等)の行を実修して無明煩悩を断じなければならないというのが、苦集滅道の四諦の教説が示す迷悟の因果論であった。それはたしかに迷悟の事実を示していた。従来の仏道体系はこの四諦の因果を座標軸として成立していたのである。それを法然は自力断証の聖道門と名づけられたのであった。
しかし阿弥陀仏の本願力によって一毫未断の凡夫が報土に往生し涅槃を証せしめられるという本願力の救済体系が成就している以上、凡夫が生死海にとどまっているのは、必ずしも煩悩があるからではなくて、本願を信じないからであるといわねばならない。それは自力断証の四諦の因果を認めながらも、それを包んで越えるような思議を絶した救済の因果であった。法然によれば阿弥陀仏の成仏の因果の徳は、すべて名号に摂在せしめられ、それを称える衆生の往生成仏の因となっていくように選択されており、それが本願の念仏であった。いいかえれば本願の不思議力によって如来の成仏の因果が、衆生の往生の因果を成就していくのであって、このような法門を法然は浄土門と名づけられたのであった。
「浄土宗大意」において「自力断惑出離生死の教」である聖道門に対してそれを「他力断惑往生浄土門」とよび、後者を「二超の中には横超也」といい、「思不思のなかには不思議なり」といって、不可思議の法門とされたのであった。[116] けだし自力による断証の法門が、行によって自証していくのに対して、他力不思議の法門は釈迦弥陀二尊の発遺招喚に、はからいなく信順することによってのみ開かれていく信中心の法門なのである。こうして自力の断証という自行の因果を座標軸として構築されていた聖道門に対して、本願他力の不思議を信じて念仏するという本願他力の信を座標軸の原点とする新しい宗教的世界観を樹立していかれたのであった。
聖道門的世界観にあっては、自己の行為の善悪によって宗教的世界が形成されていくのであるから、善悪が価値の基準となっていたが、浄土教的世界観においては、不可思議なる本願を信ずるか疑うかという信疑が価値観の基準となっていた。法然が病床にあった正(聖)如房に与えられた法語に、
- われらが往生は、ゆめゆめわがみのよき、あしきにはより候まじ、ひとへに仏の御ちからばかりにて候べきなり。わがちからばかりにては、いかにめでたくたうとき人と申とも、末法のこのごろ、たゞちに浄土にむまるるほどの事はありがたくぞ候べき。また仏の御ちからにて候はむに、いかにつみふかくおろかにつたなきみなりとも、それにはより候まじ。たゞ仏の願力を信じ信ぜぬにぞより候べき。[117]
といわれたものは、善悪のはからいを超えて、絶対的な仏の救済力、本願力を信ずべきことをひとへに勧励されている。後に聖覚が「たゞ信心を要とす、そのほかおばかへりみざるなり」[118]といい、親鸞が「弥陀の本願には、老少善悪のひとをえらばれず、たゞ信心を要とすとしるべし。そのゆへは罪悪深重、煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆへに、悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆへに」[119]といわれたのはこの法然を伝承されたのである。
かくて法然、聖覚、親鸞等によって確立し展開せしめられた浄土教においては、行為の善悪よりも、本願への信疑が最大の問題となっていたことがわかる。如来に対する最大の反逆は、仏智の不思議をうたがうことであった。
親鸞が「誡疑讃」において「仏智うたがふつみふかし、この心おもひしるならば、くゆるこゝろをむねとして、仏智の不思議をたのむべし」といわれた所以である。[120]
注
- ↑ 「念仏往生要義抄」(『和語灯』二・真聖全四・五九七頁)◇→(和語灯録#P--597)
- ↑ 「十八条法語」(『指南抄』中本・真聖全四・一三一頁)◇→(西方指南抄/中本#P--131)
- ↑ 『選択集』「三心章」(真聖全一・九五七頁)◇→(chu:選択本願念仏集_(七祖)#no8)
- ↑ 『観経』(真聖全一・六〇頁)、『散善義』(真聖全一・五三三頁)、『往生礼讃』(真聖全一・六四八頁)◇→(chu:仏説 観無量寿経#no22)、(chu:往生礼讃_(七祖)#no2)、(chu:観経疏 散善義_(七祖)#no3)
- ↑ 「十八条法語」(『指南抄』中本・真聖全四・一三二頁)→(西方指南抄/中本#P--132)
- ↑ 「観経釈」(『漢語灯』二・真聖全四・三五二頁)◇「今この経の三心は、即ち本願の三心を開く、しかる故に至心は至誠心なり、信楽は深心、欲生我国は廻向発願心なり」→(観無量寿経釈#mk-kangyou2daikyou)
- ↑ 「要義問答」(元亨版『和語灯』三・法然全・六二六頁の校異)には第十八願文をあげて「此文ニ至心ト云ハ、観経ニアカス処ノ三心ノ中ノ至誠心ニ当レリ、信楽ト云ハ深心ニ当レリ、欲生我国ハ廻向発願心ニ当レリ」という。尚『西方指南抄』下末所収の「要義問答」では、廻願心の部分が欠落している。◇→(西方指南抄/下末#P--248)
- ↑ 『散善義』(真聖全一・五四一頁))◇[またこの三心はまた通じて定善の義を摂す、知るべし。 ] →(観経疏 散善義_(七祖))
- ↑ 『選択集』「三心章」(真聖全一・九六七頁)◇ 「この三心は総じてこれをいへば、もろもろの行法に通ず。別してこれをいへば、往生の行にあり。いま通を挙げて別を摂す。意すなはちあまねし。」→(chu:選択本願念仏集_(七祖)#P--1249)
- ↑ 深励『選択集講義』五(二九九頁)
- ↑ 『選択集』「三心章」私釈(真聖全一・九六六頁)、「観経釈」(真聖全四・三五三頁)參照、尚、廻向発願心については別釈を設けられていないが、後に述べるように、善根廻向の義と、作得生想の義を以て釈されている。
- ↑ 『散善義』(真聖全一・五三三頁)、尚この至誠心釈の文の訓点は、『選択集』の往生院本(写真版一〇〇頁)による。以下同じ。◇「一には至誠心と。至とは真なり、誠とは実なり。一切衆生の身口意業の修する所の解行、かならずすべからく真実心のうちになすべきことを明かさんと欲す。 外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。」 現行の「註釈版七祖篇」でも御開山の読み替えの意図が学べるように当面読みで読下している。註釈版の脚注を参照されたし。なお、七祖の訓点を採用した経緯についてはchu:註釈版聖典七祖篇を読むを参照。 →(観経疏 散善義_(七祖)#no4)
- ↑ 『教行証文類』「信文類」(真聖全二・六〇頁)◇→(chu:顕浄土真実信文類_(本)#no22)
- ↑ 『往生礼讃』(真聖全一・六八〇頁)◇〔実に心に生ぜんと願ずることあるものにつきて勧む。あるいは四衆に対し、あるいは十方の仏に対し、あるいは舎利・尊像・大衆に対し、あるいは一人に対す。もしは独自等なり。また十方尽虚空の三宝および尽衆生界等に向かひ、つぶさに向かひて発露懺悔すべし。懺悔に三品あり。上・中・下なり。「上品の懺悔」とは、身の毛孔のなかより血流れ、眼のなかより血出づるものを上品の懺悔と名づく。 「中品の懺悔」とは、遍身に熱き汗毛孔より出で、眼のなかより血流るるものを中品の懺悔と名づく。 「下品の懺悔」とは、遍身徹りて熱く、眼のなかより涙出づるものを下品の懺悔と名づく。 ……もしかくのごとくせざれば、たとひ日夜十二時に急に走むとも、すべてこれ益なし。なさざるもののごとし。知るべし〕
- ↑ 「悲歎述懐讃」(真聖全二・五二七頁)◇ (chu:正像末和讃#no94)
- ↑ 『三部経大意』(真聖全四・七八八頁)尚、専修寺本、金沢文庫本の至誠心釈は後に全文をかかげる。◇→(chu:三部経大意#P--788)
- ↑ 『三部経大意』(同・七九〇頁)。なお醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八三)に同意文がある。◇→(chu:三部経大意#P--790)、(chu:三心料簡および御法語)
- ↑ 石井教道『選択集全講』(三四一頁)
- ↑ 『具三心義』(日大蔵九〇・一七八頁)、『極楽浄土宗義』(日大蔵・九〇・一八八頁)◇『極楽浄土宗義』の訓み「所帰の願、真実なるが故に、能帰の心も真実心と名づく、この義の故に、至誠心と立てるななり」。 『極楽浄土宗義』の訓み「これ即ち弥陀の本願を指して、名づけて真実となす、真実の願に帰するの心なるが故に、所帰の願に随いて、能帰の心を以つて、真実の心となす」
- ↑ 『教行証文類』「信文類」(真聖全二・六一頁)◇→(chu:顕浄土真実信文類_(本)#no25)
- ↑ 『尊号真像銘文』(広本)(真聖全二・五七七頁)◇→(chu:尊号真像銘文#no1)
- ↑ 『念仏三心要集』(浄全一〇・三八八頁)[1]◇「この、名聞利養、憍慢貪欲の二心を捨て、ただ一筋にこの念仏は決定往生の念仏なりと思い取りて申すは至誠心の念仏なり。真実心の念仏なり。あなかしこ、あなかしこ、この念仏を以つて世を過ぎ身を過ごさんと思ふべからず。」
- ↑ 『末代念仏授手印』(浄全一〇・三頁)には虚実について三種の四句分別を施して詳細に解釈されている。◇「善導所立の浄土宗の意は、この四句の中に第三内外倶実の人を以つて本意とす。」
- ↑ 石井教道『選択集全講』(三四二頁)
- ↑ 『散善義記』一(浄全二・三七九頁)[2]◇「ただし菩薩の真実強し、聖心堅固なるが故に。行者の真実は弱し、凡心羸劣なるが故に、強弱異なるといえども、真実相順す、いわゆる仏願強きが故に、行者の弱心を摂して、以つて浄土に生れしむなり。」
- ↑ 「十二箇条問答」(『和語灯』四・真聖全四・六三八頁)◇→(和語灯録#P--638)
- ↑ 醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八二頁)◇「 阿弥陀仏因中の真実心の中に作に由る行こそ、悪雑はらざるの善なるが故に真実と云ふなり。その義なにを以て知ることを得、次の釈に「凡所施為趣求亦皆真実」文、この真実を以て施すとは何者に施すと云へば、深心の二種の釈の第一、罪悪生死の凡夫と云へる、この衆生に施すなり。造悪の凡夫、すなわちこの真実に由るべきの機なり。」◇→(chu:三心料簡および御法語#no1)
- ↑ 『選択集』「三心章」私釈(真聖全一・九六六頁)。尚「観経釈」(『漢語灯』二・真聖全四・三五三頁)に殆ど同文があげられている。但し義山本には、至誠心釈の内外相飜釈百七十字が省かれている。◇→(chu:選択本願念仏集_(七祖)#P--1248)
- ↑ 「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五七三頁)◇→(和語灯録#P--573)
- ↑ 「往生大要抄」(同上・五七一頁)◇→(和語灯録#P--571)
- ↑ 井上光貞『日本浄土教成立史の研究』(二六四頁)、同氏『日本古代の国家と仏教』(二六二頁)
- ↑ 『台記』巻八(補増史料大成(台記一・二五二頁)
- ↑ 『往生拾因』(浄全一五・三九一頁)に第十八願の至心を釈するのに『地蔵占察経』の至心をあげ「二者勇猛心、所謂専求不レ懈不レ顧二身命一」といい、又『同』(同・三九三頁)に臨終の念仏を明かすなかにも「令レ二勇猛心一」といっている。◇→(往生拾因#十 随順本願故)
- ↑ 「往生大要抄」(前掲・五七四頁)◇→(和語灯録#P--571)
- ↑ 石田充之「善導大師の思想の親鸞聖人への影響」『善導大師の思想とその影響』(四五〇頁)所収。
- ↑ 「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六七七頁)◇→(和語灯録#P--677)
- ↑ 「同右」(同右)
- ↑ 『愚禿鈔』上(真聖全二・四五五頁)、『同』下(同・四六四頁)◇「賢者の信を聞きて、愚禿が心を顕す。賢者の信は、内は賢にして外は愚なり。愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり。」→(chu:愚禿鈔_(上)#no1)
- ↑ 「往生大要抄」(『和語灯』一、真聖全四・五七〇頁)。尚「大要抄」の三心釈と、「浄土宗略抄」(『和語灯』二・真聖全四・六一二頁)や「御消息」第一(『拾遺語灯』下・真聖全四・七五〇頁)の三心釈とは共通するところが多い。但し「大要抄」には回向発願心釈と起行の釈を欠き、「御消息」では起行の釈を欠いている。◇→「往生大要抄」(和語灯録#P--570)
- ↑ 「十八条法語」(『指南抄』中本・真聖全四・一三三頁)。尚この法語を『真宗聖教全書』は「十七条法語」としているが、「十八条法語」というべきである。法語は十八箇条掲載されているからである。◇→(西方指南抄/中本#P--133)
- ↑ 「十二箇条問答」(『和語灯』四・真聖全四・六三六頁)◇→(和語灯録#P--636)
- ↑ 「御消息」第一(『拾遺語灯』下・真聖全四・七五一頁)。「大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五七四頁)にも同意の文がある。◇→(拾遺語灯録下#P--751)、→(和語灯録#P--574)
- ↑ 『三部経大意』(真聖全四・七八六頁)◇→(chu:三部経大意#P--786)
- ↑ 「東大寺十問答」(『拾遺語灯』下・真聖全四・七四四頁)◇→(拾遺語灯録下#P--744)
- ↑ 「七箇条の起請文」(『和語灯』二・真聖全四・六〇二頁)◇→(和語灯録#P--602)
- ↑ 「同右」(同・六〇三頁)◇→(和語灯録#P--602)
- ↑ 「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六八三頁)◇→(和語灯録#P--683)
- ↑ 「真宗学報」第一七号に、山上正尊氏によって「建長正嘉両本対照三部経大意」が発表され上段に専修寺本(正嘉本)、下段に金沢文庫本(建長本)がそれぞれ輯録されている。又専修寺本は『真宗聖教全集』巻四に輯録されており、「昭和新修法然上人全集』は金沢文庫本を底本としている。
- ↑ 金沢文庫本本『三部経大意』奥書(真宗学報第一七号・七八頁)
- ↑ 石橋誠道「金沢文庫と浄土教に関する珍書」第三回(昭和八年八月廿六日付「中外日報」)塚本善隆「金沢文庫浄土宗典研究第一・金沢文庫所蔵浄土宗学上の未伝稀観の鎌倉古鈔本」(五四二頁)恵谷隆戒「浄土三部経大意解説」(『浄土宗第三祖然阿良忠上人伝の新研究』附録)
- ↑ 『法水分流記』(四頁))
- ↑ 山上正尊「三部経大意の検討」(真宗学報第一七号・一六頁)
- ↑ 専修寺本『三部経大意』奥書(真宗学報第一七号・七九頁)
- ↑ 生桑完明『親鸞聖人撰述の研究』(三一六頁)
- ↑ 山上正尊「三部経大意の検討」(真宗学報第一七号・二四頁)
- ↑ 『玄義分』(真聖全一・四四三頁)「然娑婆化主、因其請故、即広開浄土之要門、安楽能人顕彰別意弘願、其要門者、即此観経定散二門是也。定即息慮以凝心、散即廃悪以修善、回斯二行、求願往生也。言弘願者、如大経説、一切善悪凡夫得生者、莫不皆乗阿弥陀仏大願業力、為増上縁)也」 ◇〔しかも娑婆の化主(釈尊)はその請によるがゆゑにすなはち広く浄土の要門を開き、安楽の能人(阿弥陀仏)は別意の弘願を顕彰したまふ。その要門とはすなはちこの『観経』の定散二門これなり。 「定」はすなはち慮りを息めてもつて心を凝らす。「散」はすなはち悪を廃してもつて善を修す。この二行を回して往生を求願す。弘願といふは『大経』に説きたまふがごとし。「一切善悪の凡夫生ずることを得るものは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁となさざるはなし」〕観経疏 玄義分_(七祖)#no5
- ↑ 同意の文が醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八三頁)にも出ている。
- ↑ 石田充之『法然聖人門下の浄土教学の研究』上(一三五頁)參照。
- ↑ 『教行証文類』「信文類」(真聖全二・五一頁以下)、「化身土文類」(同・一四九頁以下)、『愚禿鈔』下(真聖全二・四六五頁以下)
- ↑ 『浄土宗要集』一(浄全一一・八頁)
- ↑ 『浄土宗行者用意問答』(浄全一〇・七〇五頁)
- ↑ 「十八条法語」(『指南抄』中本・真聖全四・一三二頁)
- ↑ 醍醐本『法然上人伝記』「一期物語」(法然伝全・七七九頁)、同意文が「浄土随聞記」(『拾遺語灯』上・真聖全四・七〇二頁)、「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六七五頁)、「一百四十五箇条問答」(『和語灯』五・真聖全四・六七一頁)にも出ている。尚定善、散善、弘願の三門を立てることは「登山状」(『拾遺語灯』中・真聖全四・七一五頁)にも見られるが、これは法然の自作ではなく、聖覚の代筆であると伝えられている。
- ↑ 「法然聖人御説法事」(『指南抄』上末・真聖全四・一二二頁)
- ↑ 『選択集』「三心章」私釈(真聖全一・九六七頁)
- ↑ 山上正尊「三部経大意の検討」(真宗学報第一七号・二九頁)
- ↑ これらについてすでに山上正尊「三部経大意の検討」(前掲)や、石田充之『法然上人門下の浄土教学の研究』上(一三五頁)等に詳細な検討がなされている。
- ↑ 醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八二頁)◇→(chu:三心料簡および御法語)
- ↑ 親鸞は「信文類」(真聖全二・五一頁)に『散善義』の至誠心釈を引用して「欲一切衆生身口意業所修解行必須真実心中作、不得外現賢善精進之相、内懐虚仮、貪瞋邪偽……正由彼阿弥陀仏因中行菩薩行時、乃至一念一刹那三業所修皆是真実心中作、凡所施為趣求亦皆真……」◇〔 一切衆生の身口意業の所修の解行、かならず真実心のうちになしたまへるを須ゐんことを明かさんと欲ふ。外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐いて、貪瞋邪偽……まさしくかの阿弥陀仏、因中に菩薩の行を行じたまひしとき、乃至一念一刹那も、三業の所修みなこれ真実心のうちになしたまひしに由つてなり。おほよそ施したまふところ趣求をなす、またみな真実……〕→(chu:顕浄土真実信文類_(本)#no13)といい、あるいは「内懐虚仮」(『愚禿鈔』真聖全二・四六四頁)→(chu:愚禿鈔_(下)#P--517) と読まれている。これについて存覚の『六要鈔』三(真聖全二・二七九頁)には「今此釈意誡雑行也、所以然者、凡夫之心更無賢善精進之義、只是愚悪懈怠機也、而人不顧自心愚悪、随縁起行、若欲求修賢善精進之諸行者、悪性心故、煩悩賊害、必是不免虚仮雑毒、内懐虚仮是其義也。然者不現賢善等相 識知自心三毒悪性捨自力行、帰他力行、可得真実清浄業也。以勧此心、為今釈要、雖起等者、三業為外、悪性為内、如常義者、外名身口、内名意業、如然可云雖起二業、既云三業、可知三業只是外也、内悪性也。」〔今この釈の意は雑行を誡むるなり。然る所以は、凡夫の心は更に賢善精進の義なし。ただこれ愚悪懈怠の機なり。而るに人は自心の愚悪を顧みず、随縁起行して、もし賢善精進の諸行を修することを求めんと欲せば、悪性の心なるが故に、煩悩賊害して、必ずこれ虚仮雑毒を免れじ。「内懐虚仮」これその義なり。然れば賢善等の相を現ぜず、自心三毒の悪性を識知して、自力の行を捨て、他力の行に帰して、真実清浄の業を得べきなり。この心を勧むるを以て今の釈の要と為す。「雖起」等とは、三業を外と為し、悪性を内と為す。常の義の如きは、外を身口に名づけ、内を意業に名づく。然の如きならば、「雖起二業」というべし。既に三業という、知るべし。三業はただこれ外なり。内は悪性なり。〕と釈されているが、「三心料簡事」と正しく符合している。
- ↑ 『六要鈔』三(真聖全二・二八〇頁)には、「凡所施為趣求亦皆真実」についての宗祖の文点の意を釈して、「施為趣求、配当二利、施為利他、趣求自利、是常義也。今有文点、施為名目不依用之、凡所施者是如来施、仏是能施、為趣求者是約行者、仏道趣求、是則対仏衆生所施、是以如来施与之行、即為衆生趣求之行、能所雖異、倶是如来利他行故、謂之真実」〔施為・趣求は二利に配当す。施為は利他、趣求は自利、これは常の義なり。今、文点あり、施為の名目は、これを依用せず。「凡所施」とは、これ如来の施、仏はこれ能施なり。「為趣求」とは、これ行者に約す。仏道の趣求なり。これ則ち仏に対して衆生は所施なり。これ如来施与の行を以て即ち衆生趣求の行と為す。能所異なりといえども、倶にこれ如来利他の行なるが故にこれを真実という〕といわれているが、これも「三心料簡事」と同じ発想であるといえよう。
- ↑ 石田充之『法然上人門下の浄土教学の研究』上(一三五頁)
- ↑ 「念仏大意」(『指南抄』下末、真聖全四・二二六頁)◇→(西方指南抄/下末#P--226)
- ↑ 坪井俊映「法然浄土教における三心具足の過程について」(『法然上人研究』仏教大学法然上人研究会編一四一頁)
- ↑ 望月信亨「醍醐本法然上人伝記解説」(古典叢書本『法然上人伝記』解説一頁)。尚醍醐本『法然上人伝記』の成立については、三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(九八頁以下)に詳説されていて、「三昧発得記」を除く五篇は、勢観房源智の見聞を集めたもので、その弟子の宿蓮房が法然滅後三十年頃に現行本のように編集したのであろうといわれている。
- ↑ 山上正尊「三部経大意の検討」(真宗学報第一七号・三一頁)
- ↑ 石田充之『法然上人門下の浄土教の研究』上(一一八頁 ̄一二三頁)
- ↑ 『散善義』(真聖全一・五三四頁)◇「二には深心」と。 「深心」といふはすなはちこれ深く信ずる心なり。 また二種あり。
一には決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。
二には決定して深く、かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず。 七祖p.457 (chu:観経疏 散善義_(七祖)#no5) - ↑ 「大胡太郎実秀への御返事」(『指南抄」下本・真聖全四・一九一頁)◇(西方指南抄/下本#P--191)
- ↑ 「十八条法語」(『指南抄』中本・真聖全四・一三三頁)◇(西方指南抄/中本#P--133)
- ↑ 「浄土宗略抄」(『和語灯』二・真聖全四・六一五頁)◇(和語灯録#P--615)
- ↑ 「七箇条の起請文」(『和語灯』二・真聖全四・六〇三頁)◇(和語灯録#P--603)
- ↑ 「要義問答」(『指南抄』下末・真聖全四・二四七頁)◇(西方指南抄/下末#P--247)
- ↑ 「九条殿北政所への御返事」(『指南抄』下末・真聖全四・二三三頁)、「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五八〇頁)◇(西方指南抄/下末#P--233)、(和語灯録#P--580)
- ↑ 「黒谷上人御法語」(二枚起請文)(真聖全四・四五頁)には、「阿弥陀仏の悲願をあふぎ、他力をたのみて、名号を憚りなく唱べきなり。是を本願を憑とはいふなり。すべて仏たすけたまへと思て名号をとなふるに過たる事はなき也」といい、信心を本願他力をたのむこととし、その内容を「仏たすけたまへと思」うこととされている。しかしこの御法語は、石井教道編「昭和新修法然上人全集」では「伝法然書篇」(一一二九頁)に収め、真偽未詳とされている。但し越中勝興寺には蓮如の写本があり、蓮如の「たすけたまへと弥陀をたのむ」という教語の一つの依り処とはなったと考えられる。
- ↑ 「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五八六頁)◇(和語灯録#P--586)
- ↑ 『愚禿鈔』下(真聖全二・四六七頁)に「按文意 就深信有七深信 有六決定」といわれたものがそれである。◇(愚禿鈔_(下)#no53)「按文意 就深信有七深信 有六決定(文の意を案ずるに、深信について七深信あり、六決定あり)」。
- ↑ 『往生礼讃』(真聖全一・六四九頁)◇「二には深心。すなはちこれ真実の信心なり。自身はこれ煩悩を具足する凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知し、いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下十声・一声等に至るに及ぶまで、さだめて往生を得と信知して、すなはち一念に至るまで疑心あることなし。ゆゑに深心と名づく」。(chu:往生礼讃_(七祖)#no2)
- ↑ 『選択集』「三心章」(真聖全一・九六七頁)、「観経釈」(古本『漢語灯』二・真聖全四・三五三頁)◇「いま二種の信心を建立して、九品の往生を決定するものなり」。(chu:選択本願念仏集_(七祖)#P--1248) 「信疑決判釈」
- ↑ 「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五七七頁)◇(和語灯録#P--577)
- ↑ 「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五八二頁)◇(和語灯録#P--582)
- ↑ 頓成の信機自力説については、『能登頓成御教誡』(続真大系一八・三三一頁以下)や、藤沢教声『選択集壁底録』(一八九頁)等に出ている。最近においては浄土宗の坪井俊映氏が「法然浄土教における三心具足の過程について」(『法然上人研究』一四四頁)において、二種深信は、前後次第して起るもので信機は前段階であると見られている。
- ↑ 「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五七八頁)、同意の文は、「浄土宗略抄」(『和語灯』二・真聖全四・六一四頁)、「御消息」一(『拾遺語灯』下・真聖全四・七五三頁)にも出ている。◇(和語灯録#P--578)
- ↑ 「十二箇条問答」第六条(『和語灯』四・真聖全四・六三八頁)◇(和語灯録#P--638)
- ↑ 「浄土宗の大意」(『指南抄』下本・真聖全四・二一九頁)、同じ文が「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六七七頁)、醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八四頁)等各所に記されている。◇(西方指南抄/下本#P--219)、(和語灯録#P--638)、(chu:三心料簡および御法語#no11)
- ↑ 『末灯鈔』(真聖全二・六六五頁)に親鸞は「故法然聖人は、浄土宗の人は愚者になりて往生すと候しことをたしかにうけたまはり候し……」といわれている。◇(chu:親鸞聖人御消息_(上)#no16)
- ↑ 『一枚起請文』(法然全・四一六頁)◇(chu:一枚起請文)
- ↑ 「要義問答」(『指南抄』下末・真聖全四・二五三頁)◇(西方指南抄/下末#P--253)
- ↑ 『六要抄』三(真聖全二・二八一頁)◇「正しく有善・無善を論ぜず、自の功を仮らず、出離は偏に他力に在ることを明かす。聖道の諸教は盛んに生仏一如の理を談ず。今の教は自力の功なきことを知るに依りて、偏に仏力に帰す。これに依りて、この信は殊に最要なり。」
- ↑ 『散善義』(真聖全一・五三五頁)◇「また深心は「深き信なり」といふは、決定して自心を建立して、教に順じて修行し、永く疑錯を除きて、一切の別解・別行・異学・異見・異執のために、退失し傾動せられざるなり」。 (chu:観経疏 散善義_(七祖)#no7)
- ↑ 親鸞は『散善義』のこの文を第七深信とよび、要門自力の深心を明かしたものとみなされていたことは、この文を「化身土文類」要門章(真聖全二・一五〇頁)に引用されたことからも窺われる。けだし「建立自心」という語感から自力とみなされたのであろう。しかし疏文の当分は法然が「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五八三頁)に釈されたように、別解別行のものに破られない信心を建立する為に就人、就行の立信を明かされたものとみるべきである。もっとも親鸞も、就人就行立信を明かすところは真実とみて「信文類」(真聖全二・五四頁)に引用されている。◇(chu:顕浄土方便化身土文類_(本)#P--386)、(「往生大要抄」)
- ↑ 『散善義記』一(浄全二・三八六頁)
- ↑ 深励『選択集講義』(一一一頁)
- ↑ 柔遠『選択集錐指録』(真全一九・一一三頁)
- ↑ 法然は「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五八四頁)、「浄土宗略抄」(『和語灯』二・真聖全四・六一八頁)、「御消息」第一(『拾遺語灯』下・真聖全四・七五四頁)、「大胡太郎実秀への御返事」(『指南抄』下本・真聖全四・一九〇頁)、「正如房へ遺わす書」(『指南抄』下本・真聖全四・二〇三頁)等にしばしばこの文意を引用されており、親鸞も「血脈文集」所収の五月二十九日付、善鸞義絶状(真聖全二・七一七頁)にこの文意をのべておられる。◇各文へのリンク→(「往生大要抄」)、(「浄土宗略抄」)、(「御消息」)、(「大胡太郎実秀への御返事」)、(「正如房へ遺わす書」)、(「血脈文集」親鸞聖人御消息 上)
- ↑ 「往生大要抄」(真聖全四・五八〇頁)◇(和語灯録#P--580)
- ↑ 法然が「声について決定往生のおもひをなすべし」といわれたのを、名号に表現されている決定摂取の本願を聞くことだと理解し、それを継承されたのが親鸞の「行文類」(真聖全二・二二頁)の六字釈の「帰命者本願招喚之勅命也」という妙釈だったとみることができよう。◇帰命は本願招喚の勅命なり。 (chu:顕浄土真実行文類#no34)
- ↑ 「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六八二頁)に「念仏だにもひまなく申されば、往生は決定としれ」といわれたものと同意である。◇(和語灯録#P--682)
- ↑ 醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八六頁)◇(chu:三心料簡および御法語#no19)
- ↑ 『選択集』「三心章」私釈(真聖全一・九六七頁)、「観経釈」(『漢語灯』二・真聖全四・三五三頁)◇「まさに知るべし、生死の家には疑をもつて所止となし、涅槃の城には信をもつて能入となす。ゆゑにいま二種の信心を建立して、九品の往生を決定するものなり」(chu:選択本願念仏集_(七祖)#P--1248)
- ↑ 『大般涅槃経』第三十五(大正蔵一二・五七三頁)◇(大般涅槃経/5#→信巻信楽釈引文(32))
- ↑ 『往生要集』大門第五「助念方法」(真聖全一・八一六頁)◇(chu:往生要集中巻_(七祖)#P--971)。御開山は信巻信楽釈(32)でこの『涅槃経』の文「あるいは阿耨多羅三藐三菩提を説くに、信心を因とす。これ菩提の因、また無量なりといへども、もし信心を説けば、すなはちすでに摂尽しぬ」を引文されておられる。
- ↑ 『大経』下(真聖全一・四三頁)◇(仏説 無量寿経_(巻下)#no44)
- ↑ 『散善義』(真聖全一・五三二頁、五三五頁、五三七頁、五三八頁)、『法事讃』下(真聖全一・六一一頁)◇「衆生邪見甚難信、専々指授帰西路、為他破壊還如故、曠劫已来常如此( 衆生邪見にしてはなはだ信じがたし。もつぱらにしてもつぱらなれと指授して西路に帰せしむれども、他のために破壊せられてまた故のごとし。曠劫よりこのかたつねにかくのごとし)」 (chu:観経疏 散善義_(七祖)#no2)、(chu:観経疏 散善義_(七祖)#no7)、(chu:観経疏 散善義_(七祖)#no9)、(chu:法事讃_(七祖)#no100)
- ↑ 『尊号真像銘文』広本(真聖全二・五九六頁)◇(chu:尊号真像銘文#P--666)
- ↑ 『教行証文類』「信文類」(真聖全二・五九頁、四八頁)◇(chu:顕浄土真実信文類_(本)#no19)
- ↑ 「浄土宗の大意」(『指南抄』下本・真聖全四・二一九頁)◇(西方指南抄/下本#P--219)
- ↑ 「正如房へ遺す書」(『指南抄』下本・真聖全四・二〇一頁)◇(西方指南抄/下本#P--201)
- ↑ 『唯信抄』(真聖全二・七五〇頁)◇(chu:唯信鈔#P--1349)
- ↑ 『歎異抄』第一条(真聖全二・七七三頁)◇(chu:歎異抄#第1条)
- ↑ 「誡疑讃」(真聖全二・五二五頁)◇(chu:正像末和讃#no82)